はじまりのうた

ONCE ダブリンの街角で(2006年)」のジョン・カーニー監督の新作。

主演のキーラ・ナイトレイの歌声を聴くことが出来るということで興味を持った作品なのだが、まあ、文化果つる街である俺の地元での公開は期待できず、DVDになるのを待つしかないだろうなあと思っていたところに何故か2ヶ月遅れでの公開が決定。狐につままれたような面持ちで映画館へ向かう。

ストーリーは、落ちぶれた中年プロデューサーのダンが無名のシンガー・ソングライターのグレタと出会うところから始まるのだが、このときの二人の状況は最悪であり、ダンは自分の立ち上げたレーベルから追い出されてしまうし、グレタはメジャー・デビューを果たした恋人にフラれてしまったばかり。

いわば漫画の「あしたのジョー」で丹下段平矢吹丈とが運命的な出会いを果たしたようなものであり、ドン底の状態にいた二人が協力し合いながら成功への階段を駆け上っていくというサクセス・ストーリーは多くの人々に受け入れられやすいだろう。しかも、そこにグレタに扮したキーラ・ナイトレイのやさしい歌声やニューヨークのお洒落な街角のシーンが加わるとなれば鬼に金棒であり、好感度急上昇は間違いの無いところ。

しかし、実際に見てみると、そのナチュラルな映像とは裏腹の“不自然さ”を感じてしまうのが困ったところであり、おそらくその原因はあまりにも“出来過ぎ”な本作のストーリーにあるものと思われる。あくまでもフィクションなので、ダンの娘がギターの天才だったという偶然は許せるにしても、フラれた男とヨリを戻すふりをしてフリ返すというエピソードはやり過ぎだったように思う。

ということで、この“不自然さ”は前作の「ONCE ダブリンの街角で」を見たときにも感じたものであり、要するに、俺のようにヒネた老人はジョン・カーニーの監督作品ではなく、「インサイド・ルーウィン・デイヴィス(2013年)」のような作品を見ていれば良いということなんでしょう。