シェイプ・オブ・ウォーター

今日は、妻&娘と一緒にギレルモ・デル・トロ監督の新作「シェイプ・オブ・ウォーター」を見てきた。

今週末の封切りは、本作以外にも、マーベルの「ブラックパンサー」やクリント・イーストウッドの「15時17分、パリ行き」といった洋画ファンには見逃せない作品が目白押し。特に「ブラックパンサー」は全米で記録的な大ヒットを続けているらしく、正直、ちょっぴり迷わないでは無かったが、“ここはやっぱりデル・トロだよね”ということで娘と意見が一致し、はやる気持ちを抑えながら映画館へ。

さて、ストーリーは、生まれつき口のきけないオールドミスがアマゾンで捕獲された謎の水棲生物との恋に落ちるという異色のファンタジー。ヒロインの孤独を前面に押し出すことにより、この奇妙な恋物語を特に違和感なく観客に受け入れさせてしまうところは流石であり、舞台を1960年代に設定したことによるレトロな非現実感もそれに大きく寄与しているのだろう。

実を言うと、鑑賞中は、ヒロインのあまりの躊躇いの無さに対する疑問が時折脳裏をよぎらないではなかったのだが、謎の水棲生物の驚異的な再生能力によって水中で意識を取り戻した彼女の“傷口”から気泡が漏れるというラストシーンを見て、思わず納得。へえー、彼女って本物の〇〇姫だったんだ!

また、デル・トロ作品らしい丁寧な演出は今回も健在であり、本作の特徴を一言で述べるとしたら、それは“愛おしさ”がピッタリ。声の代わりに手に入れた足で軽やかなステップを踏んでみせるヒロインや毛髪の薄くなったことを嘆く初老の同性愛者はもちろん、鬼瓦のような鬼気迫る表情で典型的な悪役を演じてくれたストリックランドに至るまで、もう主要登場人物の全員がとにかく愛おしい。

当然、法律的に悪いのは研究所の“物”を盗んだヒロイン一味やソ連に内通していたホフステレル博士(=おそらく気は優しくて意気地なしの彼がデル・トロの化身なんだろう。)の方であり、命懸けで国家機密を守ろうとしたストリックランドに罪の意識は無いのだが、結局、“優しさのない正義”には何の価値も無いことを証明するかのように死んでいく。うん、これなら「スリー・ビルボード」と良い勝負になるかもしれない!

ということで、実はこの日記を書いている時点では、見事、本作がアカデミー作品賞に輝いたことを知っているのだが、「スリー・ビルボード」とは反対に、デル・トロがメキシコ人だっていうのが有利に働いたのかもしれないなあ。いずれにしても、これで「狂気の山脈にて」の映画化にまた一歩近づいた訳であり、明日からも“その日”を夢みて力強く生きていこうと思います。