花はんめ
ドキュメンタリー映画 2004年公開
戦争という歴史に翻弄されながら、遠く故郷を離れ日本で生きて来た在日朝鮮人たち。彼女等ははんめと呼ばれている。激動の時代を生き抜いた在日一世たちは、80歳を過ぎて、やっとなんでもない日常を手れた。年老いた在日のおばあちゃんたちが、路地裏の小さなアパートに毎日集まり、ただ歌って、踊って、笑って…。かけがえのない仲間たちと一緒に、“今”を力の限り生きる姿を4年間カメラは寄り添った。老い、生、死と向き合いながら、どこかに、置き去りにしてきた、“青春”を取り戻す姿を、描いたヒューマンドキュメンタリー。
2009-09-24 サーファーになりたい
今でこそ映像を生業にしているが、実はそれは成り行き。
結構マジにサーファーに成りたかった。
女にもてるかと思い高校生の時に始めたサーフィン、しかしそううまくはいかない。
方向を変えて体育会系サーファーを名乗り、台風が近づけば天気図を読み海へと向かった。
アルバイトしては海、全国を渡り歩いた。
和歌山、紀伊半島は勿論、四国、九州、種子島…スリランカなんかにも足を運んだ。
当時は情報も少なく、放浪と言うか冒険に近かった。
そんな経験が今の自分に大きく影響していると思う。
5年ぶりにサーフィンにいった。
驚くほど何も出来なかった…。
海の近くに住んで時々サーフィンをしながら、1年に1本くらい映画をつくる…。
そんな日を夢見ている。
東京学芸大の養護学校の卒業生が中心になって続けられているミュージカルの
構成と編集を手がけている。現場にいっていない作品をまとめるのは初めての経験だ。
思い切ったことをやってみたい。
テーマは「ファンタジー」。
乞うご期待!
2009-09-22 同級生
仕事帰り、井の頭線に乗っていると電話が鳴った。
当然無視。しかしあまりにしつこいので携帯をみると中学時代の同級生だった。
ちょっとだけ失礼して出てみると悲しい知らせ。
同じ野球部の通称”ヨッカ”が3ヶ月前に他界したと言う。
電車を降りて電話をかけ直した。
”ヨッカ”を偲んで同級生が集まって飲んでいる時に私の事を思い出し電話をくれた。
次々に同級生たちが電話口に登場「おぼえてるか?」「たまには会おうぜ!」
当時の体育の先生まで…。
懐かしさが先にこみ上げた。
でもなかなか”ヨッカ”の死がピントこなかった。
いつもはバスで帰る道を歩きながら”ヨッカ”の事を考えた。
初めての出会いは小学校の時”ヨッカ”が殴り込みに来たとき。
色黒でちっちゃかった。でも根性丸出し。
野球がうまかった。
ずっとひっかかっていたのは私の結婚式の時のこと。
何年も会っていなかったので招待しなかった。でもお祝いに駆けつけてくれた。
どんな風に人生の幕を閉じたのか?
それなりに楽しい人生だったろうか?
なんか悔しい。
自分が生きていることを考える。
…。
まあ ぼちぼちやりますか。
今日は5年がかりの自主制作につきあってくれている照明技師Mさんの見舞いの行って来た。
1ヶ月くらい危ない状態だった。でも凄く快復していてほっとした。
来年にはまた一緒に撮影に行けると思う。
なんとか完成させるぞ!
2009-07-05 寿
久しぶりに横浜中華街ではなく、すぐそばにある寿町に寄ってみた。
寿町と言えばドヤ街として有名だ。
仕事にあぶれたおっちゃんたちが昼から酒を飲んだり、博打をしたり…
そのやからでボランティアの人たちが駆け回ったり、保育園もある。
なかなかディープで素敵な町、何故か落ち着く。
2004年、取材で寿によく通った。野宿生活者たちの現状とその支援活動を撮影するためだ。
そのとき夜回りをしたり炊き出しをしたり支援を続けていたKさんの言葉を思い出した。
「支援をはじめてから10年、本当はやめたいんだよね。でもやめられない…」
久しぶりにKさんに会った。「やめるどころか、増々炊き出しに人が集まる一方だよ…」
老若男女、公園のまわりには行列ができていた。
それぞれの人生に想いをよせると切ない気持ちになる、でも思い直す。
みんなどっこい生きているぜ!
寿の人たちを撮ってみたいと思った。
2009-06-27 龍馬がゆく、おれもゆく
「われ死する時は命を天にかえし、高き官にのぼると思いさだめて死をおそれるなかれ」
「世に生を得るは、事をなすにあり」
坂本龍馬が自分を躾けるように書きとめていた言葉だ。
人間どうせ死ぬ、ならば死の事を考えず、事をなすことのみを考えればいいと…。
なんと志高き言葉なんだろう。
別に次ぎなる大河ドラマが「龍馬」だからブームに乗ろうと言うわけではない。
実は高校生の時、本嫌いだった私がはじめて読み切ったのがこの本。
歴史的背景もほとんど理解できず、読めない漢字をどんどん飛ばしながらも何故か全部読めてしまった。
かっこいい!あんな風に生きたい!そう思ったような気がする。
その本を最近読み返した。
歴史も少し分かるようになったし漢字もだいぶ読めるようになった。
そして読んだあとの読後感はあの時と変わらなかった。
志高く生きなきゃ…。またちょっと勇気をもらった。
あとがきを読んでびっくりした「立志篇」として書かれた一冊目は
なんと1963年6月、私が生まれた時に書かれている。
司馬遼太郎さんもすごい!
仕事に追われる日々だが、やりかけの映画を完成させるため動き出そう。

