「究極超人あ〜る」と「げんしけん」の決定的差異

前々から突っ込みどころの多い話題だとは思っていましたけれども乙木の記さんのこれみて少しまとまった形で違和感の正体が見えてきました。
それは根本的に「あ〜る」と「げんしけん」が別の位相にあるのに一緒くたにされているという事ではないかと。 「あ〜る」のオタクネタは細かい特撮ネタなわけですけれども、それを隅々にちまちま乗せているというのが「あ〜る」の時代の特色なわけであります。
それとここが一番重要なのですが「究極超人あ〜る」は「オタクの話」じゃないんですよね。 オタクネタが隅にでてくる以上のものではないんです。
ひるがえりまして、「げんしけん」です。
これは確実完全大保障付で「オタクの話」が中心なわけです。 オタクネタはすでに隅ではなく中央で語られるのです。 この差は天と地、月とすっぽんであります。
この差が全く無視されて話される背景は、おそらく「はみ出し者の空間」としての「光画研」と「げんしけん」の対比としてみらているからです。 しかし、ここにはすさまじい差がある。
平野耕太の漫画から引用するなら、

あんな屈託無くいれたか? ああも堂々とお天道様と世間様の前をおたくのまま歩けたか?

であります。
「光画研」は曲がりなりにも写真部の一変形、文系青春のひとつの形でした。 しかしおたくではなかった。 「光画研」はおたくで無い状態で堂々と青春をしていた。 おたくネタは紛れ込んでいますが、それは「お天道様と世間様」から身を隠すようにひっそりとでした。
そして「げんしけん」はまちがいなく「屈託無く」いるおたくであります。 この差は大きい。 本当ならこの間に「屈託無く」入れれなかったおたくが入ってこなくてはならないのに、その過程をすっ飛ばしてしまっている。 ゆえに、「あ〜る」と「げんしけん」の比較というのには違和感が付いて回って上手く話がまとまらないのです。
このミッシングリンクを上手く埋めない限りは「我々の意見は永遠に平行線だな」という事になると思います。
ああ、世代の話はまたいつか気が向いたら書いてみようと思います。

 「このライトノベルがすごい!」遅まき雑感。

  • 全体としての出来は、俯瞰してみるに中級者向けという雰囲気。 少なくとも初心者向きだとはいえないし、マニア向けとしては所々力が入っているもののやや淡白。 なので中級者向けと見るのが妥当と思われます。
  • ランキングは十分に順当とも不当とも。 書評家や書評サイトの点数配分がやや高いきらいがある以外は問題ない。 高い点数が欲しいなら、書系サイトとして名をあげるのが手っ取り早いと思う。
  • キャラ、台詞ランキングはノーコメント。
  • 作品紹介は紹介としては妥当。 その中でも分類のされ方がなかなか興味深い。 少なくとも「そう写る」というのが特に。
  • 作家アンケートは個々の差が如実に現れていて、なかなか巧企画。 よく見ると高橋弥七郎のいつもどおりのテンプレート解答や冲方丁のテンションの高さ、あざの耕平の商魂も味わい深い。
  • 目利きランクは普通。 全体的にもっとぐちゃぐちゃに入り乱れるという予想が目立つ。
  • 対談はまあこんなもんだよな。 特に叩かれる理由もないんじゃないかとすら思う。 いいやん、ダラダラで。 叩く人がそこに入れないということだけ見ても、叩きはただの遠吠えレベルだと思う。
  • 作作法とレーベル傾向はそうしたい人専用。 傾向はそれはそれでレーベルの見方が見えるので、使い方次第といえよう。
  • 中級者の向上用書籍としては、なかなか価値がある。

こんなものかな。

 感想一乃勢マヤ「ISON Ⅱ」

<pako;富士見ファンタジア文庫:580円:ISBN:4829116463
内容を要約すると「国家レベルの陰謀があっさりつぶれる」
奇病の対策のために施された処理により、超人的な能力を手に入れた「ISON」の二人、トーヤとティファの活躍にただひたすらスポットを当てまくるという、わかりやすいアクション作品。
青臭さ成分と血なまぐささ成分が不思議な配合率で振りまかれていて、その割には結構万人受けするタイプに安定して仕上がっている、というのが全体からの印象。
個人的には、安定しすぎてむしろ尖がっている感じだと思うのだけれども、それは自分が常日頃エッジなものばかり愛でるからだろうか? 内容からは及びも付かないくらい普通というのは、むしろ変だと思うんだけどなぁ。
ただし、キャラクターの立ちっぷりはなかなか厚みがあるので、キャラが気に入れば結構好きになれるかも。 ちなみに自分もその口です。
できればもう少し大掛かりで報われないラストになって欲しいと思う私は、浅井ラボに毒されすぎですかそうですか。