かな? しかしマキシマムだるい

暇なのでグダぐだとしたこと書こうと思います。
前々から思っているのだが、天野こずえさんの「ARIA」が安定して売れてるんだからそろそろ「浪漫倶楽部」を復刊して欲しいというか、権利的にも前の短編集が可能だったんなら無理は無いだろうし、出して欲しいなあ、って言うか出せ。 あの「すこしふしぎ」のSF感が今に営々と繋がってるんだし、一つの原点としてもうちょっと注目されてもいいよなあとか思うわけで。
え? 「クレセントノイズ」? あ〜〜〜〜っ、ねぇ?(万能避け言葉)
あー、でも絵のレベルの向上という意味では避けて通れないわけで、って避けるなよ。 真正面から当たっていかな。 で、真正面からぶつかるとやっぱり「動きがなぁ・・・」という地点に落ちてしまうわけですね。 でもよくよく思い起こすとそんなに動きのシーンってないんですよね、あの作品。 あれ、じゃあ何でこんなに印象に残ってるんだろう? ああー? あー?
ああそうか、通常時とあまりにギャップが激しかったからだ。 だから印象に強く焼きついてるんだな、うん。 っていうかいちいちひどい事いってるなあ。 まあ半分位黒歴史だから、どうしてもこういう物言いになっちまうんだけれども。 でも通常時の緩急とかは上手かったわけだし、それは今にも通じてるから無かった事には出来ないわけだけど。 それに「世界」を見せるっていう方向で話を描いてるのも今の「ARIA」に通じてるし。 結構重要なのかな。 まあ駄目なところがあっても、そういうのを含めて好きなわけだし、認めていかなくては。
うわっ、すごいグダグダ!

 機先を制す(記憶力に挑戦シリーズ)

さあて、皆さん、唐沢俊一さんの挑発にのるじゃないですよ!
前にも書いたけど、いいように油を注がれて燃えてしまう様なけつの青さじゃあ、到底太刀打ちできる相手じゃねえんだから。 まず検討、それから対論を出しての反論。 そういう手順を踏んでいかないと単なる時間の無駄でしかないんだから! 今私がこういうことを書いているのと同じようにね!

 感想 川上稔『AHEADシリーズ 終わりのクロニクル 3』

さとやす電撃文庫・750円・ISBN:4840227314
内容を要約すると「あああおう」
読んでない人には全く意味不明の文字列ですが、読んでればこの台詞の意味が瞬間でわかる辺り、話の持っていき方が上手い証拠であると判断できますね。
壊し壊され直し直され頭突き頭突かれ招き招かれ抱き抱かれ想い想われとひたすらに長かった三話目もこれにて終了と相成ります。 メイド祭りもひとまず終了。
後半はいつもどおりの濃く早い展開でしたが、交渉面がややトリッキーだったり、京の大がんばりが功を奏してみたり、太陽のあんちゃんが最後にきっちり立って見せてかっこよかったり、ややエロが良い所をみせたと思ったら相方にもっといい所を持っていかれたりで、やや中だるみ気味だったところきっちり締め切って見事に収束。 お見事お見事。 章扉絵や挿絵の入るタイミングもお見事であります。 正直、メイド砲(仮称)は絵がないと面白さ半減だったかもしれませんね。 いや、とにかくお見事。
しかし、どうしても「都市シリーズ」の残滓(正確に言うと逆なんですけど)が出てきてもう、妄想が止まりませんよ。 テュボーンのアレの対処が「OOSAKA」の割り込み連射っぽいとか、京はベレッタに相当する位置だーとか、メイド砲(仮)はベンドーターだーとかもー、駄々漏れしてきていちいち脳内で対応させて悶えさせられます。 何の嫌がらせでしょうか? こういう風に対応を見つけて楽しめるのも川上稔ファンだからだろうと思いつつも、それ以外の人でも十二分に面白いわけで、あーもういいなあちゅくしょう!
まあとにかくよかったという事で。

 ひとまず

実は終わりのクロニクルは4巻も読み終わってるんですが、それはまた後日、ちまちまと書いていきたいです。 4巻は読んでると3巻以上に妄念が沸いてきて、「こんなに新伯林が好きだったのか」と思うことしきりでした。 まあまた書きますけど。
それよりも次は米澤穂信「春季限定いちごタルト事件」です。 なにせあちらこちらの巡回先で言及されていて、それを見るたびに、

  • 春季限定!
  • 春季限定!
  • 春季限定!
  • そう、春季限定!
  • そこを閉じる(ガツン)だ!!

という状態になって目を伏せブラウザを閉じる事になるのはもういい加減うんざりなんです。 なのでとっとと読んで気分良く巡回したいわけです。 または感想を読みたいわけです。 というわけでちゃっちゃーと読んじゃいましょうか。