感想 あらゐけいいち 『日常 4』

日常 (4) (角川コミックス・エース 181-4)

日常 (4) (角川コミックス・エース 181-4)

 大体の内容。「日常とも非日常ともいえず」。一番言えそうなは“亜日常"かなー、とは思うけれども。日常というには異常だし、でも非日常というには逸脱しすぎてないくらいには日常してるし、とかなんとか。いや、“亜日常”ってなんなのか、言ってる自分でもわりと意味分かってません。
 今回もまあそんな感じでそんな感じの「日常」的日常がくるくる繰り広げられるわけですが、今までのつながりの薄い単品構成からは少しだけ逸脱し、なのを狙う中村先生の話と、色々と錯乱する高崎先生の話とか、囲碁サッカー部の話がクロスオーバーするようになっていたりします。その高崎先生の「失神していない」から「行くぞっ!!」までの流れが本当に秀逸で、これだけで元を取った気にさせられます。いや、ホント良かったんですよ。サムズアップ時の良い顔とか。
 他に秀逸なのといえば、“魚雷飛び”と“ドッピオ”。“魚雷飛び”の「日常の59」はこれは漫画だなー、という荒唐無稽さが前面に出ていて、その荒唐無稽が売りである「日常」にはぴったり空気のあった話。あれはあれで新競技として成立しそうな雰囲気だ、と思ったら「のちの」メソッドが使われてて最後で噴く。
 “ドッピオ”の「日常の67」は一転して荒唐無稽さは影を潜め、ひたすらスタバ系カフェの難解さで押していくスタイル。メニューの意味が分からないと、難読というより不可解ですらあるあの系統のカフェで無理をするゆっこがどんどん不憫になること受けあい。ただオーダーしてるだけで十分に笑いになる、という不思議な回でした。その後を受ける「日常の68.5」でゆっこが更に不憫化するのもポイント。言える人と言えない人の差、とか考えるとそれはそれで楽しかったりします。
 それはさておき。
 囲碁サッカー部はまさかあの世界ではちゃんと存在するっつーのが凄いよなあ。実写化*1したらCG使わないと無理な動きというか、サッカーボールの上に碁石があるというだけでもリフティングが超絶難しそうなのに、それで三連星とかどんだけ人外なんだよ。しかし、このテコ入れで囲碁サッカー部がどうなるか、は今後の見所なのでしょう。やることがわからない創作スポーツだけに、たぶん大きく変わらないとは思うけれど。

*1:ねーよ