道草

 歩く歩く歩く私は歩く。歩くのが好きだからひたすら歩く。靴の減りも早いし、少しシャレたヒールのある靴でもすぐボロボロになりおまけに足が痛くなるし肉刺も出来る。それでも歩く歩く歩くひたすら歩く。


 某日

 知人に教わった大阪北新地の豆乳製品が充実しているスーパーまで会社帰りに歩く。知人お勧めの豆乳チーズケーキと冷奴と豆腐と海老のシュウマイを買う。シュウマイは明日弁当に入れよう。新地から駅まで薄闇の中で地上を歩く。黄昏時の大阪の街は独特の匂いがして空を見上げると立ち並ぶビルのネオンが美しい。
 自然の景色も美しいけれども街には街の美しさがあると気づいたのはほんの最近のことだ。
 
 ふと気づくと覚えのあるガラス張りのカフェがある。そうだこの店は何年か前に好きな人と来たカフェだ。私が乗りたいと言って梅田のHEPの観覧車に乗った後で珈琲を飲んだ。こんなふうにデートみたいなことをするのは始めてで嬉しいありがとうと言うと、これから二人でもっといろんな楽しい時間を過ごそう約束だと言われて泣きそうになった場所だ。
 それなのにその約束は果たせずにお互い相手を嫌いになったわけでも他に好きな人が出来たわけでもないのに何故か終わってしまった。別れた相手に「いい人を見つけて幸せになって欲しい」と思ったことなんて初めてだ。嫌いになったわけじゃあないのに、また街で偶然会うこともあるかも知れないのに、それでも確かに終わったという事は間違いなくて記憶だけが足に絡みつき、すくわれそうになりながら大阪の街を歩く歩く歩くセンチメンタルに飲み込まれそうなガラス張りのカフェからこぼれる光に追われながら星の見えない大阪の空の下を歩く歩く歩く。逃げたいほど胸が苦しいけれども大阪の街は美しく見とれてしまう。

 
 電車に乗りバスで高速を走り淀川を渡ると川沿いのネオンが拙い光で夜に漂う。汚い大阪の川も闇の中では光の映る美しい流れとなる。電車に乗りバスに乗りその光を映す流れを見る度に上田正樹の「悲しい色やね」の「大阪の海は、悲しい色やね。さよならを皆ここに捨てにくるから」というフレーズを想い出す。
 朝になるとそこはまた大阪らしく薄汚れた川となるけれども、夜だけは人の捨てられた切なさが笑止の蛍となって映されて悲しく美しい色の流れとなる。


 
 某日  

 気分転換というわけでは無いけれども隣の駅の付近を歩く歩く歩く。駅前に入り口が美容院のような本屋を見つける。中は広くなく狭くなく本を探すのにちょうどよいスペースで窓はステンドグラス。ステンドグラスから光の入る位置に書店お勧め本のコーナーがあり、そのコーナーに並べられた本の羅列に久々に「お店に恋をする」。
 昔所有していたもののいつのまにか手元から消えた谷崎潤一郎の「人魚の嘆き」がそこにあった。この本は内容云々よりも装丁が人を幻惑するほどに美しい。日本語と日本文化の美しさを誰よりも表現することに長けた谷崎の美文をそのままイメージしたかのような装丁なのだ。その他にもその一角から萩原朔太郎の「猫町」と柳田国男の「日本の昔話」を購入。他にも好みの本だらけだったのだがキリがないので我慢する。
 
 「恋する本屋」に出会えて幸せで浮かれながら歩く歩く歩く。それと同時に、ああいう「売れる本」より「売りたい本」を並べる本屋が商売的に難しいということもわかるのが少し悲しい。そうやって恋のような感情を抱いていながらもその存在が永遠のように錯覚していた喫茶店が無くなっていくのを最近経験したばかりだ。もっとあの店に行けばよかったと後悔しても後の祭り。

 荷物を増やしたくないのとお金が無いのとで本はなるべく買わないようにしていたのだが、それでもどうしても欲しいと私に思わせた本屋との出会いの幸せに喜びながら歩く歩く歩く。
 今度は私鉄の駅の近くに小さな古本屋があり外に並べられていた本を見る。ずっと欲しかったけれども今は絶版になっている歌人吉井勇の随筆を発見し幸福に目が眩む。京都にまつわる歌は数知れないけれども西行吉井勇の歌は私の想う古都を描いている。吉井勇祇園を舞台にしたなんとも艶かしい歌を残し「祇園歌人」と呼ばれている京都を愛した東の人。
 その店でまたまた掘り出し物発見。日本画家の上村松園の豪華画集が200円!重いけれども勿論購入。上村松園の描く和服の女性は線が美しく色っぽいので男性かと思っていたら女性なのだ。しかも明治時代には珍しい未婚の子持ちの女。あと別冊太陽を何冊が購入。思いもよらぬ幸福に出会う休日。



 某日

 働いてたら嫌なことなんていくらでもある。見なくていいものまで見て知らなくてもいいものまで知ってしまう。それと引き換えに賃金を貰っているのだから仕方が無いけれども、それでも時折うんざりしながら帰路につく。最寄の駅で降りていつものスーパーに立ち寄る。筋子の醤油漬けと、だしまきが半額だったので購入。家に葱がたくさんあるので、帰ってからしめじと葱の味噌汁を作って七味をかけて食べよう。ご飯は朝弁当を作った残りが冷蔵庫にあるはずだ。半額の食料品ばかりで幸せになれるなんて安い女だ。でも安い女でよかったよ。簡単に幸せになれるから。

 スーパーの一角に小さな花屋がある。今日は会社で少し嫌なことがあったので綺麗なものをじっくり見たいから花を買ってみようかと思うけれども、どの花がいいかとか選べない。欲しいという衝動にかられるものが無いのなら、今は買うべきではない、買わなくてもいいということだ。花は給料が出たお祝いに、後日の楽しみへととっておくことにする。
 花や綺麗なものを飾りたいならその舞台となる場所も綺麗にしないといけないと思うので、部屋の掃除をする良い動機になる。好きな器を持つと、その好きな器に相応しい美味しい料理を作ろうと思うのと同じで。

 

 うんざりしたり壁にぶつかったり目の前が見えなくなったりした時には歩け歩け歩け。とにかく外に出よう。外の世界を歩けば何かそこに美しいものや美味しいものや好きになれるものがあるのは間違いない。
 だから歩く私は歩く。歩く歩く歩く。世界はこんなにも美しいもので満ちている。