花房観音  「歌餓鬼抄」 このページをアンテナに追加

2007-03-03 傘がない

 傘がない

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 小雨だから大丈夫と、傘を持たずに家を出た。一瞬、どうしようか迷ったのだけれども、そのまま靴を履き外に出る。

 思いのほか雨は止まずに肩を濡らす。ああ、やっぱり傘を持ってくるべきだったのか。どうして、私の選択は、いつも間違ってしまうんだろう。



 彼女が、かっての私と似たような状況に陥って苦しんでいると知った時に、一瞬過去のいろんな苦くて痛い場面が早送りされた映画のように私の脳裏に映し出されて、目眩がした。

 彼女は「人間の不良品」「女の不良品」「生まれてくるべきじゃなかった」私とは正反対の、誰からも愛されて祝福されて、私から見れば何一つ欠落の無い花のような女の子に見えていたのに。

 劣等感と自意識の塊だった私は、初めて自分を理解し必要としてくれた男が困っているのを見かねて、いや、本当は、その男と離れたくなくて、その男に言われるままサラ金でお金を借りて渡し続けていた。

 彼女は、サラ金には手を出してはいないし、彼氏とは「相思相愛の恋人同士」であるという点だけが私とは異なるとは言え、それ以外は同じ状況で苦しんでいた。


 かっての私のように、ほとんど同情で、とは言え、好きな男が困っている姿を見て助けずにはいられなくて、彼女は自分の身を削って彼の為に痛々しいぐらい働き続けている。

 純粋で女の子らしくて花のような彼女は、全く私とは正反対の「幸せになるべき」人だと思っていたのに。「優しい人」だけれども、金にだらしなく現実認識の甘い男の為に彼女は身体がボロボロになってまでも彼の為に働き続けている。そして彼女の年齢の時は、ちょうど私も同じように「困っていて、もう死にそうなんだ」と懇願してくる男の為に昼も夜も働いて金を渡し続けていたのだ。


「私が助けないと、彼は死んじゃう。」

 

 と、彼女は言った。

 そこには、かっての私が居た。


 彼の事を話すと、他の友達は「別れろ」って言うけれども、私は別れる気は無い。だけど、そう言ってくれる友達の意見の方が多分正しいと思う。お金にだらしなく理想は高いけれども現実認識は甘い彼との将来の事を考えると暗い気持ちにはなるけれど別れる気はない、と、彼女は言う。


 私は彼女に「別れろ」とは言えない。別れられないことがわかっているから。ただ、彼女はかっての私とは違って、彼氏と真剣に向き合って自分達の将来の為に何をすべきかということも突きつけていて、彼氏に依存してはいないのが救いだ。相手の弱さも甘さも彼女はわかっていて、その事から目を逸らさずに、それでも彼と生きていこうとしている強さが救いだ。


 それでも彼女が貯金を凄い勢いで切り崩していく姿や、働き過ぎで身体を壊していく様子が痛くて痛くて目の前が真っ暗になる時がある。「彼が好きだから」「彼を死なせたくないから」彼女が、自分の身体を蝕んでいろんなものを失っていく姿が痛い。


 人から見たら、「馬鹿な女」なのだろう。私も彼女も。「純粋」なんて言葉で綺麗事にされたくない。私も彼女も上手に生きられない愚か者なのは間違いないからだ。

 彼女を見ているとかっての自分を見せ付けられているようで、その先の見えなさ、どうしようも無さがわかるから尚更痛い。


 どうして、どうして、あんないい娘が、普通に幸せになれる娘が、こんな目に合うんだろうと何度も私は痛々しい彼女の姿を見て怒りに震えた。若くて、可愛らしくて、皆に愛される彼女が、どうしてそこまで一人の男の為にボロボロになるのだ、と。


クリスマスや、誕生日とかに、彼氏とどこか行ったり、何か貰ったりとか、、友達がそういうことをしているの見たら、私は一生そういう目には合わないんだろうな、、とか思う。」


 私もそう思っていたよ。私の男はキスはしたら怒るし、セックスもしてくれなかったから、私は、このまま一生キスもせず、セックスもせず、誰かから愛されることもなく、外でデートしたり、一緒に楽しく時間を過ごすとか、そういう事は経験できぬまま、ただひたすら欲しいものも買えず働いて働いて金の事で苦しみ続けたまま死ぬんだろうなぁ、早く死にたいなぁって、何年間も思ってた。今思うと、他の男のところに行けばよかったのに、私はずっとそれが出来なかった。例え愛されてなくても、一生その人を助けて、添い遂げようと思っていたから。だから、あなたの気持ちも私は、嫌なぐらいわかってしまう。

 ただ、私と彼女が違うのは、私は男に愛されていなかったし好かれてもいなかった、憎まれているとすら思っていたから、時間はかかったけれども逃れることが出来たが、彼女は「とても優しく」「自分を好きでいてくれる」相思相愛の彼氏だからこそ、離れられ難いだろう。


 身体をボロボロにして苦しみながらも彼と生きていこうとする彼女と、「優しくて、いい人」だけれども現実認識の甘い彼氏を見ていると、自分の無力さが歯がゆくてたまらない。

 いつも、いつも、思う。私が男なら、彼氏から彼女を奪ってみせるのに。彼女にそんな想いをさせずに、彼女を守ってやるのに、って。けれども私は、女で、「友達」だから、何もできない。彼女の話を聞いて、ただ、見守り続けることしか出来ない。


 そうして彼女の事で、自分が胸を痛めて初めてわかったのだ。かって、私が「好きな男を助ける為に」借金を重ねて働きまくって、それでも金は残らなくて貧しい生活を続けて居た時に、どんな想いを自分の友達にさせていたか。


 それは「恥ずかしいこと」だったから、二人の友達にしか話してはいなかった。彼女達にさんざん「頼むから目を覚まして別れてくれ」「あんたは自分の友達がそんな目にあったらどう思う?」「いい加減にしろ」と言われても、私は全く耳を貸さなかったのだ。誰に何を言われても、好きな男が「死ぬ」と言っている姿を突き放すわけにはいかなくて、私は友達の言葉を聞き流していた。時間が経てば友達の言うことが全て正しかったのがわかる。男は本当は「死ぬ」気など全くなかったのだから。ただ自分の弱さを正当化して私に甘えていただけだった。


 それでも、私は、ずっと本当のところはわかっていなかったのだ。私の友達が、どんな想いをして私の事を見守っていてくれたのかということを。男しか見えていない私に、何も出来ずにただ早く目を覚ますことだけを願って側に居てくれた、その痛みが、私はずっとわかっていなかったのだ。その事を考えると、私は友達に対する申し訳無さと、自分の愚かさに押しつぶされそうになる。


 人は、自分がその立場になってみないと、人の気持ちなんてわからない。私は、今度は自分がその立場になって「友達」でしかないことの「無力感」に苛まれて、初めて自分の愚かさと、人の痛みが、多分、実感としてわかったのだ。



 彼女だけじゃない。どうして?と言うぐらい、世の中には「自分を苦しめる男」と付き合っている女が居る。男に暴力をふるわれてる女、働かない男を養う女、金にだらしなく女にもだらしない男と別れられない女。明らかに好き好んで「自分を苦しめる男」の方へ行く女もいるけれども、それでも恋愛は、苦しむためにするものじゃないはずなのに、幸せになる為にするものなのに、最初は誰でもそうだったはずなのに、どうしていつのまにか苦行になってしまうのか。


 それは弱いから。男も女も弱いから、好きな人を傷つけたり苦しめたり泣かせてしまったり。

 でも幸せになることもできるよ。お互いが弱い自分から逃げず、お互いを信じて行けば、苦しみながらでも、何か目の前に道は出きるよ。


 そう信じてはいるけれども、それでも人は弱くて愚かで同じ過ちを繰り返す生き物で、だから彼女は、どしゃぶりの雨の中で自分を守る傘を忘れてびしょ濡れになって立ちすくんでいる。彼女の頬を濡らすのが雨だけじゃないことを私は知っているけれども、多分彼女の彼氏はそれに気付いてはいない。いや、気付いてはいても目を逸らしている。


 私は彼女に差しかける傘が無い。どしゃぶりの雨の中で濡れて凍えそうに震えている彼女に差しかける傘が無い。例え、私が傘を差しかけようとしても、彼女に必要なのは私の傘ではないから、彼女はきっと「ありがとう、でも、ごめんね」と言って、濡れたままでいるだろう。


 私には彼女に差しかける傘が無い。雨に濡れて唇を紫にしてうつむいて凍える彼女を見ているのが辛い。


 差しかける傘は無いけれども、それなら私も傘を捨て、少し離れたところに立って、彼女の姿を見ながら、私も雨に濡れていよう。どしゃぶりの雨の中、濡れていよう。


 今は、そうすることしかできない。自分の愚かさと、自分が人に与えた苦しみの楔を心に打ち込むことしか。痛みという雨に濡れながら、彼女の姿を見続けていることしか、今の私にはできない。

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