花房観音  「歌餓鬼抄」 このページをアンテナに追加

2007-03-21 優しい暗闇

 優しい暗闇

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 大学を中退して、とりあえず職を探さねばと思い職安に行った。そこで見つけた職場が、ある小さな映画会社が経営している映画館での仕事だった。職安の職員の女性は、「映画、たくさん見られるといいですね。」と、言った。


 面接では「映画は好きですか?」と聞かれ「好きです。」と答えた。大嘘だった。それまで10本も見たことが無かった。興味が無かった。高校を卒業するまで住んでいた田舎には車で30分の場所に小さな映画館が一軒あるだけだった。その古い映画館は未だに冬はストーブで暖をとるという噂だ。

 大学生の時も映画には全く興味が無かった。それなのに何故映画館で働こうとしたのか。その時に好きだった人が映画が好きだったから。ただ、それだけ。それに大学を留年を繰り返して中退してしまっていたし、就職ぐらいはしないと格好がつかなかったから、どこでも良かった。なんとなく、おもしろそうだなという期待はあったけど。


 映画館で働き始めた。映画館の仕事というのは忙しい時と暇な時の差が激しい。暇な時は同僚と喋ったり送られてくる映画雑誌や情報誌を読んでいた。映画館で働いていると当時は近辺の映画館を自由に見られるフリーパスのようなものがあった。その頃は借金をしてはいたけれども、まだ初期段階で時間に余裕があったので、休日は朝から晩まで映画館のハシゴをした。仕事が早く終わる日も映画を見に行った。なんたってタダだもの。タダの娯楽は金の無い私にとって何より有難かった。そのうち半額の日などを狙ってレンタルビデオ屋にも頻繁に通うようになった。一ヶ月に30本前後映画を見ていた。自分が特に映画好きだとかいう自覚は無かった。タダの娯楽を享受していただけだった。借金が嵩んでどうにもならなくて副業を始めるまでは、そんな日々が少しだけ存在していた。



 映画館の暗闇は私に優しい。嫌な事だらけの現実から逃避できる孤独な空間に私は身を浸していた。映画を見に行く時は基本的にいつも一人だった。孤独になりたかった。孤独だけが私の事を唯一理解して愛してくれる友だった。


 映画館で働き、休日には一日中映画を見る生活は、今思うと自分の暗黒のような二十代の中での唯一の光明が射していた日々だったかもしれない。映画に関わる人達の中には、それまで私の周りに居なかったような「世間の価値観」より「自分の理性」で物事を判断できるような人が少なからずいたし、当時片っ端からジャンル問わず見た映画のおかげで世界の広さを知った。

 世界は確かに無限に広がっている。そして世界が無限であるということは人間の可能性も無限であるということだ。

 しかし次第に借金が嵩み貧窮し、一人の男との扉の無い小さな箱のような世界に閉じこもっていた私には、それは自分とは無関係な非現実的なおとぎばなしの世界でしかなかった。


 私が入社する前に、その映画館で働いていたという私より一歳下の腰の低い男が東京から遊びにやってきた。その時に、彼を含め数人で飲みにいった。ほとんど話しはしなかったけれども名刺を貰った。ふざけた名前だった。彼は数年後本名で映画監督としてデビューし作品が評判を呼び海外でも彼の作品は上映された。世界は無限に広がり、人は無限の可能性を秘めていると思った。だけどそれは私とは全く関係の無い世界の話だった。


 映画館が閉鎖し転職せざるを得なくなると、映画館に足を運ぶことも無くなった。


 映画好きな恋人はホテルでセックスを終えた後に必ず大きなテレビ画面で映画を見た。裸のままで手を繋いで映画を見た。映画を見るためにホテルに来てるのか、セックスするためなのか、どっちなの?と聞いたら、笑って答えなかった。私は彼の部屋には入らせて貰えなかった。彼は友人と同居していたので会うのはいつもラブホテルだった。まるで愛人のようだと思った。私は未だに男が居住する部屋に足を踏み入れたことはないし、男の為に料理を作った事も皆無に等しい。男の日常から拒否される自分が何か禍々しい存在のような気がすることもある。


 実家に戻ってから、映画館ではなく小さなホールのような場所で映画が特別上映される機会があった。そこで本当に久しぶりにスクリーンに映される映画を見た。孤独な暗闇が懐かしかった。

 

 昨夜、映画館に行った。「映画館」という場所に行ったのは本当に久しぶりだった。最後に「映画館」で映画を見てから5年以上は経っている。数日前に何だか急に思い立って金券ショップで安いチケットを買っていたのだ。


 仕事が終わって、以前から予約しておいた本が来たと書店から連絡があったので急ぎ足で本を取りに行ったあとに映画館へ行った。チケットを引き換えてエレベーターで劇場のある階へあがった。売店にはお決まりのポップコーンと紙コップに入ったジュースとパンフレットが売っていた。昔は、私も売る側だったのだ。館内に入った。場内はそんなにお客さんは入ってはいなかった。照明が消え暗闇が空間を一瞬支配した後で、映画の予告編が始まった。


 映画館の暗闇の孤独は相変わらず私に優しい。そしてこの空間の匂いが懐かしく、あの映画だけが娯楽だった日々の事を思い出していた。嫌な事や哀しい事がうんざりするほとあった日々だったはずなのに、ただ映画館で一日のほとんどを過ごしていた安らかな記憶だけが、紗のかかったモノクロ映画のように蘇った。


 どうして私は、この場所を避けていたのだろうか。どうして数年、映画館から遠のいていたのか。逃げていたのかも知れない。あの混沌としていた時代、そして無限の可能性が広がるスクリーンに映し出された世界を絶望を抱えながら見ていた、あの時代。あの時代の記憶が蘇るのが怖かったのかもしれない。

 

 映画館の暗闇の孤独は優し過ぎて、その優しさがずっと怖かった。今も怖いままだけれども、それでもその優しさに頭を撫でられて一瞬だけでも甘えていたい。優しさに溺れるのではなく、少しだけ身を託して頭を撫でられて。そうやって優しさに甘える一瞬を喜びとすることが出来たなら、先の見えない明日を歩いていける。

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