花房観音  「歌餓鬼抄」 このページをアンテナに追加

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2007-09-01 恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス ―「らも 中島らもとの35年」―

 恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス ―「らも 中島らもとの35年」 中島美代子・著 ―

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 「中島らもが、死んだ」


 平行線のままのどうしようもなく暗い話の最中、ふいに電話の向こうの男がそう言った。

 電話の相手は、私が19歳の時に出会った私の初めての男。私はその頃、彼に貸す為に借りたサラ金の返済がどうにもならなくなり、全てが親にバレて実家に戻って罪悪感と自分自身の愚かさと未来の見えなさでグチャグチャになっていた。それでも何とか金を少しでも返して貰えないだろうかと知人を通じて彼に交渉していた。直接話すと私は「負けて」しまうから知人に間に入って貰ったのだ。

 知人から連絡が来た彼は逆ギレして私に電話をかけてきた。「返して」「無いものは返せない、それに俺はお前の欲しいものを与えてやってたじゃないか」何十回も繰り返したどうしようもないやりとりにお互いうんざりし疲れてしまい沈黙が訪れた。私は泣き疲れ怒鳴り疲れていた。その沈黙を破り、ふいに彼が中島らもの死を告げたのだ。


 彼は一時期、小説家になる前の中島らもと同業者だった。関西の同じ業界で同じ仕事をしていた時があった。ただ、その仕事のことについて触れられるのを彼は異常に嫌がったから中島らもと直接関わりがあったかどうかは知らない。

 中島らもが酔って階段から転落して意識不明の状態であることは知っていたから、亡くなったと聞いても驚きはしなかった。

 ただ、李白のようだと思った。酔って池に映る月に手を伸ばしてそのまま水面に吸い込まれ死んだ唐の国の詩仙・李白のようだと。


 先週、知人との待ち合わせ場所の本屋で、ふと目についた故・中島らも夫人中島美代子氏の書いた「らも 中島らもとの35年」(集英社という本を手にとった。パラパラとめくって拾い読みをしたところで知人が来たのでその本を書棚に返した。

 翌日会社帰りに改めて本屋で購入して読んだ。

 遺族が書く本というのは感傷的過ぎたり美化したりということが少なからずあるのでなかなか購入までに至らないのだけれども、この本には良い意味で予想を裏切られた。


 ちょっと、これは凄い本です。「中島らも」のファンなら誰でも彼でもにお勧めできる本ではないけれど。おそらく夫人から見た「真実」を受け入れられない人や嫌悪感を抱く人もいるであろうと思います。


 主に現在30代〜40代のある種の関西人における中島らもの位置づけというものは、「血液」のようなものではないか。そら関西人じゃない人でも「血液」になっている人達はいるであろうけれども、それまで「関西」と言えば「ヨシモト」のコテコテのお笑いと泥臭い文化、始めに東京ありきの「大阪」でしかなかったものを、独特のシニカルな視点と極上の美文で、「怒り」「悲しみ」を交えながらオリジナルの「関西の笑い」を文章で表現したのが中島らもではなかったのだろうか。

 それは一つの関西文化の革命であり共感を呼び、多くの人の支持を受けた。その点ではダウンタウンと同じだ。ダウンタウンという存在はやはり「革命」であった。

 

 繊細で傷だらけの心を、笑いと美しい文章の衣で纏い、怒りと悲しみを力にして物語を奏で続け酒に死んだ作家の描かれなかったもう一つの物語を読んで私は怖くなった。いろんなことが怖いと思った。


 母に溺愛され鬱病の父を持ち、高校時代から虚無と絶望の闇にとりつかれ酒と睡眠薬シンナーと音楽と活字に沈溺した18歳のらもは1つ上の大きなお屋敷で自由奔放に育てられた「ミー」に一目惚れして恋をする。恋により初めて未来を信じ生きようとするらも。

 恋人同士になってセックスして2人は「狂ったような熱愛時代」を経て結婚し就職し子供も生まれ家を持つ。

 らも28歳の時会社を辞めて、家に集う友人達と薬と酒とセックスの「バンド・オブ・ザ・ナイト」の時代に突入する。夫の言われるまま夫の友人達に差し出されセックスする妻。夫が他の女とセックスしていて、その女を連れてきた男が寂しそうにしているのを見てほうっておけずセックスを誘う妻。

 様々な人間が入れ替わり立ち代り出入りしラリってセックスする「家」で、子供達は誰が父親なのかわからなくなる。別のカップルとのスワッピング状態の生活。人には親切にしなければいけないし寂しい人はほうってはおけないし優しくされたらお礼のつもりで求められたら与えないといけないから、いろんな男とセックスをする「妻」と、いろんな女とやりたいからセックスしてその免罪符のように自分の友人達に妻を提供する「夫」。そうやって「自由」に名を借りた傷つけ合いをしてセックスという道具でお互いを殺しあう一組の夫婦。

 コピーライターとなり「バンド・オブ・ザ・ナイト」の時代が終焉し夫は鬱病を発症する。それでも仕事はどんどん忙しくなるにつれ夫は家に帰ってこなくなる。

 「バンド・オブ・ザ・ナイト」より少し前、らも26歳の時、1人の女に出会う。当時19歳で短大生の「ふっこ」ことわかぎえふにらもは恋をし、狂う。

 けれどもどんなに好きになっても妻子がいて先に進めない恋に苦しんだ「ふっこ」は短大を卒業し東京へ逃げる。そしてらもが初めて本を出版した34歳の時、東京同棲していた男にフラれた「ふっこ」が大阪に帰ってくる。

 「昔自分が追いかけたせいで東京に行かせてしまった。侘びの気持ちがあるからやりたいことをやらせてあげたい」と彼女に働き口を紹介し、共に劇団を旗揚げするらも。「ふっこ」はらものマネージャーとなり後に自らも文章を書き世に出ようとする。何もしない妻に苛立つ前向きで野心家の「ふっこ」。「ふっこ」に気をつかい苛立ちで妻を怒鳴り暴言を吐く夫。自信を喪失し夫にマインドコントロールされ言われるがままの状態で孤独に苦しむ妻。

 らもがアル中で入院する。退院後は「ふっこ」がらもを自分のアパートに閉じ込める。「らもは人に構われたり行動を制限されるのを何よりも嫌がる人間だから」何もしない「妻」に対して、「家に帰すと酒を飲むから」「ミーさんはだらしないから」甲斐甲斐しくらもの世話をすることにより支配を始める「ふっこ」。


 「言葉のプロ」の夫に言葉で傷をつけられ孤独に苦しみ、鬱病を発症する妻。夫に言葉の暴力を振るわれ、愛人達の過剰な存在の主張攻撃を受け、夫と「ふっこ」の2人が仕事でどんどん世に出ていくのを受け入れて見ているだけの妻。

 最期には芝居のことで「ふっこ」と決別して夫は妻の元に帰ってはくるのだけど大麻取締法違反容疑での逮捕騒動。その騒動の疲労により今度は長男までも鬱病を発症する。

 そして神戸でのライブの後に酔って階段から落ちしばしの昏睡状態の後に作家の人生に幕が降りる。

 

 ネットでこの本の感想を幾つか拾ってみると見事に賛否両論だった。「奥さんにこんなに愛されたらもさんは幸せだ」「これは愛の物語だ、泣ける」「セックス描写にひいた」「奥さんに対して酷すぎる」「奥さんはこれを書くべきじゃなかった」「愛人に対して優越感のこもった同情が不愉快」「愛人と世間に対しての正妻宣言」「中島らもの暗黒面。知りたくなかった」など。

 私は最初に読んだ時、これは「復讐」だと思った。自分を痛めつけ苦しめた夫と愛人に対する正妻の復讐なのだと。私が上記に列挙している話はこの3人の物語のほんの一部分に過ぎなくて実際はもっとえげつない。それについては読んで下さいとしか言いようがない。

 痛めつけられ苦しめる為に「らもの妻」になったとしかいいようがないほどの壮絶な日々。それでも「私はこれからもらもの妻として生きていく。らもに出会えて幸せ」と書く妻。

 夫が自身では書くことがなかった壮絶な暗黒面を曝し、「ふっこ」に対して「もうすっかり関係のない人」と書きながら、「ふっこがどんなにらもを想っても、らもと結婚したいと願っても、私がいる限り妻の座にはつけない。叶わぬ想いを抱えているふっこが気の毒だった」と同情の言葉を随所に示す妻。世の「愛人」という立場の人間が聞いたら身の毛もよだつほど傲慢に聞こえ憤激し憎しみを募らせることもあるであろう「正妻」の棘のある言葉。


 しかしそんな「復讐」「優越感」を見せられても、読後に不愉快にならなかったのは妻が自分を正当化せず美化もせず自分のことを書いているからで、この妻にしてこの夫ありとも思ってしまうし、こういう妻だったから愛人ももどかしくてさぞかし苦しかったのだろうなぁとも思う。

 アル中鬱病の夫を放っておく妻。

 「ミーさんの元に返したらおっちゃんが死んでしまう」とらもを自分の側から放さなくなる愛人。そして更に妻は孤独になる。


 妻も苦しんで、愛人も苦しんで、おそらくどちらにも嫌われたくなくどちらを切ることも出来ず、どちらも必要としていた夫。自分の中に根強く巣食う虚無感と絶望から逃れるように「恋」をして「恋」の至福をこの上なく美しい文章で綴り世の人を泣かせた夫は、その「恋」が「詩」から日常という「散文」に降りて下り、その恋の残骸に板ばさみになり苦しみ酒に逃げる。

 「本当に優しい人だった」と妻が評す夫は、「世界で一番美しい病気」である恋の残骸のような、自分を愛する2人の女の狭間で自らの心を切り刻み罰を受けるかのように女達を痛めつけ苦しめることで自分を追い詰め酒に酔い酩酊し続ける。


 自分を愛する2人の女を苦しめる夫。妻を孤独にし鬱にさせ、愛人の言いなりになることにより「どんなに想っても結婚できない」やるせなさを味あわせ、袋小路に自らを追い詰めていく夫。優しくて弱くてズルくて残酷で酷い男だ。


 この本は怖い本です。

 「世間的にはパートナー」であった愛人に同情することで妻である自分を保ち続け、夫の死後に夫が書かなかった闇を描く妻の想いも怖い。

 だけどおそらく妻と同様に苦しみ続け自分を痛めつけ、緩慢な自殺のように酒を飲み死んでいった夫の絶望も怖い。

 想うようにならない恋を抱え続けながら懸命に尽くしたたけれども最期には訣別し、この本を「書かれてしまった」愛人の想いのやるせなさも怖い。

 この本には書かれていないけれども確か、永きに渡って公私共々「パートナー」だった彼女は追悼ライブに出席を拒否されたと記憶している。

 3人それぞれ立場は違えど壮絶な苦しみを味わっていたことを考えると私は怖い。もの凄く怖い。何が怖いか。

 「愛」が、怖い。


 「愛」とは何か。

 それはわからない。この本が「愛」の物語だと言い切ることは出来ない。この本には憎しみや嫉妬などのマイナスの感情が渦巻いていて「奥さんにこんなに愛されてたらもさんは幸せだ」なんて感想は私には言えない。

 ただ、憎しみも執着も苦しみも全てそこにあるのだけれどもそれでも離れずに3人が繋がり続けたということはそこには残酷なぐらい強固な「縁」というものが存在することだけは確かなのだろう。

 その「縁」が「愛」なのだろうか。

 だとしたら私はやっぱり愛が怖い。人を愛し深く関わるのが怖い。執着も憎しみも幸福もこの世に存在する人の心を揺さぶる感情の全てが自分の身体にどしゃぶりの雨のように降りかかるほどの逃れられない「縁」を結ぶ運命の人間。そういう他者との関わりを「愛」と言うならば、私は愛が怖い。

 誰も愛さず、恋は片思いのままにしておいて1人で生きていく方がどんなに平穏な人生を歩めるだろうと思う。「愛」は怖い。

 自分以外の人間を愛して惹かれ、合わせた唇と性器から他者の存在が血液になり全身の血管を巡り自分の指先にまで浸透していく。

 好きだから愛しているからキスをしたくてセックスをしたくて繋がって交わり自分の中に相手の存在が、深く、深く入り込む。逃れられないぐらい、深く。

 私は、自分が「愛している」と思っている人とセックスをするのが怖い。幸せだけど怖い。相手の存在がどんどんと自分の中に入り込んで自分の一部になるのが怖い。自分の一部にはなるけれども完全に一つになることは勿論できないから、自分という人間の中に思うようにならないけれども大切で喪失を恐れる部分の存在が息吹き始めることがとても怖い。

 人が人と本気で関わることは相当なエネルギーを必要とする。だから人間はそんなにたくさんの人と「友達」でいることは出来ないし、たくさん恋愛をすることも出来ない。恋愛は天国と地獄の両方を齎し人を磨耗し、時には死に至らしめることもある。


 中島らもとと2人の女。この3人の関係はダークでヘヴィで中島らもの書く「恋」の文章のように美しいものでは決してない。恋という至福の感情の成れの果ての死骸が嫉妬や憎しみ傷つけあいという腐臭を発している。恋の骸がこんなにも痛々しいものならば、中島らもが書いていたように「どうせ恋に落ちるなら永遠の片思いに身を置きたい」その方が美しいままでいられるのは確かだ。


 恋の成れの果ての死骸を見ると、私は恐怖に襲われる。こんな苦しみ醜く朽ちるぐらいなら恋などしない方がいいとも思う。

 だけどその骸に羨望する自分もいるのだ。愛して深く関わって心をえぐり傷つけあいボロボロになってしまったけれども、「誰か」と確かに共に生きてきたという証の「傷」が存在する骸に。


 中島らもという強烈な光を放つ1人の男に蔦のように絡みつき焦がれ、想いが発する熱によって生じた火に焼き尽くされた2人の女。2人とも中島らもという「優しく弱く残酷」な男の「被害者」なのかもしれないけれど、幸福な被害者なのだろう。


 だって、傷つけられて苦しめられてはいたけれど、それでも必要としていたのだから。

 他の誰でもない、「中島らも」という1人の男を愛することが。


 この本が書かれることにより、作家「中島らも」という存在の最後のピースがパズルに当てはめられ完成された。

 出来上がったパズルは女達の手により野辺送りをされて作家の弔いの火から煙草の煙のようにゆらゆらと天に向けて「想い」が立ち昇る。

 酔うて愛に死んだ作家の弔いの火の煙が立ち昇る。

 

 愛で人は狂う。

 愛で人は苦しむ。

 愛は人を殺す。

 愛は怖い。

 好きな人とキスしてセックスして言葉を交わして同じ時間を過ごして想いが深くなり「愛してしまう」のが、ものすごく怖い。

 ああ、本当に怖い。


 だけど中島らもは、こう書いている。


「もし誰をも愛していないのだとしたら、結局僕は『いない』のだ。闇の中で『想い』だけが僕の姿を照らしてくれているような気がする。それ以外の時は僕は一個の闇であり、一個の不在でしかない」



 愛は人を殺す。

 だけど、人が闇の中を生きていくには、どうしても「想い」が必要なのだろう。

 たとえ成れの果ての傷だらけの骸が醜く腐臭を発しようとも、人は人を愛してしまう。自分の存在に必要なことだから愛してしまう。

 1人で生きていけるほど、誰も強くはないのだから。

 人間て、本当に愚かで醜くてどうしようもない。

 だからこそこの世で至高の美の光を放つ闇を照らす「想い」が必要で、それを作家・中島らもは描き続けた。


 そして李白のように酒に酔い、夜の闇に映る月の光に手を伸ばそうとしてその美しさに吸い込まれるように水底に消えていった。自分が描き続けた「想い」の光に手を伸ばして。



 月の光に照らされた水面に残るのは、静寂。

 ただ、静寂。

 

 2004年7月26日死去。享年52歳。

 遺骨は妻・中島美代子によって大阪湾散骨された。





らも―中島らもとの三十五年

らも―中島らもとの三十五年

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