妻の鑑とは、こういうことだ
元の時代、房山地方に李仲義の妻で、劉翠哥というものがいた。
至正20年(1360年)に県が大飢饉に見舞われた。
この時、平章劉哈刺不花の兵隊の食糧が不足しているので、仲儀も捕われて、煮炊きして食べられようとした。
弟の馬児は驚いて、兄嫁のところに駆け付け、この不幸なニュースを知らせた。
劉翠哥は急遽、救援に駆け付け、兵士達に泣きながら許しを願った。
「主人を許して下さい。我が家に醤ひとカメ、米一斗五升を地下に埋めてあるので、これと取り替えて下さい」
と再三願ったが、兵士達は頑として聞こうとしなかった。
「主人は痩せ細くて小さいので、食べてもおいしくはない。
太って色の黒い女の肉の方がおいしく、上肉だと聞いています。
私は太って色も黒い。お願いですから、主人の身代わりに煮て食べて下さい」
兵士達は、夫の仲儀を放して、劉翠哥を煮て喰った。
(『元史』列女伝)