妻の鑑とは、こういうことだ

hanoyshang2006-01-29



元の時代、房山地方に李仲義の妻で、劉翠哥というものがいた。


至正20年(1360年)に県が大飢饉に見舞われた。


この時、平章劉哈刺不花の兵隊の食糧が不足しているので、仲儀も捕われて、煮炊きして食べられようとした。


弟の馬児は驚いて、兄嫁のところに駆け付け、この不幸なニュースを知らせた。


劉翠哥は急遽、救援に駆け付け、兵士達に泣きながら許しを願った。


「主人を許して下さい。我が家に醤ひとカメ、米一斗五升を地下に埋めてあるので、これと取り替えて下さい」


と再三願ったが、兵士達は頑として聞こうとしなかった。


「主人は痩せ細くて小さいので、食べてもおいしくはない。


太って色の黒い女の肉の方がおいしく、上肉だと聞いています。


私は太って色も黒い。お願いですから、主人の身代わりに煮て食べて下さい」


兵士達は、夫の仲儀を放して、劉翠哥を煮て喰った。


(『元史』列女伝)