「CHANGE」じゃ戦争は無くならない――現代の戦争って何だ?

「CHANGE」じゃ戦争は無くならない――現代の戦争って何だ?

「CHANGE」「核なき世界へ」「ノーベル平和賞」そして「政権交代」。アメリカがオバマ大統領になり、日本が民主党政権になり、これまでより平和で民主的な世界へ向かうのではないかという見方が漠然と広がっています。

ではそのアメリカがなぜアフガニスタンや隣国のパキスタンでは戦争を続けているのでしょうか。なぜ日本はそこにイージス艦を出して給油支援を長年続け、それが批判されたら代案として民間技術者を派遣しようとしているのでしょうか。
オバマ大統領「全力を挙げてテロと戦う」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091007-00000059-scn-int
タリバン攻撃で米兵ら11人死亡 ISAF記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091005-00000503-san-int
パキスタン地上作戦 60人殺害―避難民10万人超える」http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/pakistan/

例え公約どおり核や日米関係が多少見直されたとしても、日米が今も激しい戦争を仕掛け、日々多数の民間人が虐殺されていることには変わりありません。このことを今年の「フェスタ」ではちゃんと問題にしたいと思います。

そもそも2001年にアフガンで戦争を始めたのは米軍です。それなのになぜその国の大統領や首相が核の削減を表明しただけで平和ムードが広がるのでしょうか。1つには自ら運動を起こすよりも政治家に頼りたくなる多くの人々の心情があると思います。しかし政府に人々の監視や抗議が無ければ常に危険な方向へ行きかねません。「フェスタ」では自ら行動していくことの意義――「抵抗の発明」を主張し表現したいと思います。そしてここで書きたい2つ目は、日本社会の「戦争イメージ」が古いからではないかということです。

大国どおしが核でけん制しあっていたのは20世紀の東西冷戦時代です。原爆を経験した日本では「非核=平和」のイメージが今でも強いのかも知れませんが(その実現自体はとても大事なことですが)、今の日本が実際に関るアフガンやイラク戦争、そして今年のパレスチナ攻撃で起きているのは「高性能化した通常兵器による殺りく」です。
例:デモクラシー・ナウ:「ロボット革命と21世紀の戦争」http://www.labornetjp.org/news/2009/1255912439053staff01

アメリカは世界一の軍需産業国、最新兵器が日々開発されています。大規模な戦闘終了後も、戦闘機が超高度からの空爆を日々行ない、多くの民間人を巻き添えにしています。そして使用される兵器も小型爆弾を撒き散らすクラスター爆弾や、毒性を持って全身に激しいヤケドを負わせる白リン焼夷弾など、残虐なものが使われています。

それでも「戦争」だと思われないのは、現代は軍隊の攻撃が警察による取り締まり行動のように行われ、マスコミもそう報じるからではないでしょうか。「テロ対策」「武装組織を追う」等と言いながら。しかしなるべく自軍の死者が少なくなるよう無人戦闘機まで開発しながら、爆弾を落とされる人々の側は逃げ惑うことしかできないのが現実です。イラク帰還兵「冬の兵士」の証言によれば、戦場での米軍は動く対象や人が集まっていそうな場所を攻撃しろと教えられるそうです。つまり戦場では民間人/非民間人の境目が最早なくなっているのです。そして日本のイージス艦がインド洋で重要視されるのは、こうした殺りくを繰り替えす戦闘機が燃料を得て飛び立つために使われているから。それらは現地の人々にどれほどの絶望感を与えているでしょうか? もしそれをやめて民間人を派遣しても死者につながりうるし、もし陸上自衛隊を派兵したらそれこそ正面からの参戦です。

日米関係や「脱官僚」といったドメスティックな政治の話以前に、「人殺しをやめろ」ということこそ問題の本質であり、人が挙げるべき叫びの声ではないでしょうか。私たちがオバマ民主党の報道を眺めている今この瞬間にも日米が殺りくを行っていること、使われる兵器や戦闘機がひどいものであること。それが広く伝わらない日本社会の「壁」をこのフェスタでは乗り越えていき、政府の戦争政策を批判し、反戦をアピールしたいと思っています。