半坪ビオトープの日記

2018-08-20 国東半島、富貴寺

[][]国東半島、富貴寺 23:39

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三日目は大分県国東半島に向かった。熊野磨崖仏などがある国東半島は、神仏習合の信仰形態をもつ宇佐八幡宇佐神宮)と関係の深い土地であり、古くから仏教文化が栄えていた。石段の参道入口の両側にはいくつもの石造物が並んでいる。石段左側の石灯籠に似た六地蔵石幢は高さ215cmで、江戸時代の作という。富貴寺境内は国の史跡に指定されている。

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左側の石幢の奥と、石段右手奥には一対の十王石殿がある。大きな入母屋屋根の下の軸部には正面に3体、側面に2体の道服を着た石仏が、左右合わせて十体、つまり十王が彫られている。室町時代の民間信仰の遺品とされ、県指定有形文化財である。

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石段を上りながら右側の石殿を見ると、一番右に石殿、その左に不動明王石仏地蔵石仏)、一つ置いて庚申塔が並んでいる。

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石段を上りきると、木立の中に石造の仁王像が守る堂々たる四脚門の山門が建っている。富貴寺は国東半島の他の多くの寺と同様、養老2年(718)、仁聞の開創と伝える。伝説的な仁聞は、国東半島の6つの郷に28の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造ったといわれる。国東半島一帯にある仁聞関連寺院を総称して「六郷山」または「六郷満山」という。六郷山の寺院は、平安時代後期には天台宗となり、比叡山延暦寺の末寺となった。山門の扁額「安養閣」とは、大堂の別称である。

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山門をくぐると大きな栢ノ木と公孫樹の奥に宝形造りの富貴寺大堂(おおどう)が見える。富貴寺には、久安3年(1147)の銘のある鬼神面があり、宇佐神宮大宮司・到津(いとうづ)家に伝わる貞応2年(1223)作成の古文書の中に「蕗浦阿弥陀寺(富貴寺のこと)は当家歴代の祈願所である」旨の記載があるので、富貴寺は12世紀前半から中頃に、宇佐八幡大宮司家により創建されたと推定されている。現存する大堂は、その頃の建築と思われ、天台宗寺院にしては浄土教色の強い建物である。富貴寺を含め六郷山の寺院では神仏習合の信仰が行われ、富貴寺にも宇佐神宮の6体の祭神を祀る六所権現社が建てられていた。天正年間(1573-92)、キリシタン大名大友宗麟の時代に、多くの仏教寺院が破壊されたが、富貴寺大堂は難を免れ、近畿地方以外に所在する数少ない平安期の建物の姿を今に伝えている。九州現存最古の木造建築物で、国宝に指定されている。榧の総素木造り、正面三間、側面四間の建物で、周囲に廻縁がある。屋根は単層宝形造り、「行基葺き」と呼ばれる特殊な瓦葺きである。

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堂内は板敷で、四天柱で内陣が区切られ、国の重文である木造阿弥陀如来坐像が安置されている。高さ85cmの榧材寄木造り。螺髪で二重円光を背負っている。蓮華座の上に結跏趺坐し、上品上生の印を結ぶ。藤原時代末期の作と推定されている。平安三壁画の一つに数えられる貴重な壁画も重文に指定されている。内陣後壁には浄土変相図、四壁には五十仏、四天柱には胎蔵界曼荼羅の中心部尊像が描かれている。小組格天井も端正な造りである。参観はできるが撮影禁止なので、パンフの切り抜きを載せる。ちなみに、宇佐風土記の丘にある大分県立歴史博物館には、創建当時の富貴寺大堂内部の阿弥陀像と極彩色の壁画が再現されている。

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大堂は南に向いて建っているが、西側には石造物がいくつも並んでいる。仁治2年(1241)銘を最古とする笠塔婆は、県の指定有形文化財である。

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笠塔婆の奥、一番右の大きな石造宝塔がいわゆる「国東塔」である。国東塔(くにさきとう)は、国東半島に約9割が集中している特異な宝塔で、総数は約500基。一般の宝塔が台座を有さないのに対し、基礎と塔身の間に反花または蓮華座、ものによっては双方からなる台座を有するのが外観上の最大の特徴である。鎌倉時代後期から江戸時代までのものが知られる。この国東塔は室町時代のものであり、右の小さい国東塔と合わせてこの2基が「国東塔」命名の元になったものである。

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これらの石造物群のさらに西側に、白山社(六所権現社)に上がる石段がある。拝殿奥の本殿は宝暦11年(1761)建立である。

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富貴寺大堂の右後方の石段を上がったところには、石造の薬師像が安置されていて、薬師岩屋(奥の院)と呼ばれる。

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大堂の右手前に本堂が建っている。桁行18.22m、梁間9.15mの入母屋造、桟瓦葺き。現在の本堂は正徳5年(1715)の建立と伝えられている。富貴寺の山号は蓮花山と称する。

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本堂安置の阿弥陀三尊像は、県の有形文化財に指定されている。

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同じく本堂建立時に作られたとされる満山最古の木造の仮面も県の有形文化財に指定されている。榧の菩薩面1面、樟の追儺面2面。二段目左側の追儺面は男女の面で、修正鬼会の鈴鬼の原型ともいわれる。面の裏には久安3年(1147)作の銘が墨書されている。

2018-08-12 高千穂峡、阿蘇神社、湯布院

[][][][][][]高千穂峡阿蘇神社湯布院 22:06

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翌朝は早く出かけて高千穂峡のボート遊覧を楽しむ。五ヶ瀬川にかかる高千穂峡は、国の名勝、天然記念物に指定されていて、五箇瀬川峡谷とも呼ばれる。阿蘇カルデラをつくった約12万年前と約9万年前の火山活動による火砕流堆積物が五ヶ瀬川の峡谷にも流れ下り、冷却固結し溶結凝灰岩となり柱状節理を生じた。五ヶ瀬川の侵食で再びV字峡谷となり、高さ100mにも達する断崖が約7km続き、総称して高千穂峡と呼ぶ。崖上から流れ落ちる滝は、真名井の滝と呼ばれる。

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崖上は峡谷に沿って遊歩道が整備され、真名井の滝や仙人の屏風岩、槍飛橋などを見ながら散策できる。

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ここは高千穂峡の三段橋。手前から神橋(昭和22年竣工、橋長31mのコンクリートアーチ橋)、高千穂大橋(S30、96mの上路式鋼2ヒンジアーチ桁橋)、神都高千穂大橋(H15、300mのPC連続箱桁橋+RC逆ランガーアーチ橋)となっている。

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高千穂峡の後は阿蘇山に上って草千里ヶ浜を見て、阿蘇神社側に下るつもりだったが、まだ熊本地震後一年で、縦断道路が完全復旧していなかったので、阿蘇カルデラを東から北、さらに西へと大回りして、阿蘇大橋に近い西麓にある日本料理店「さか本」で熊本郷土料理を食した。馬刺・馬佃煮・辛子蓮根・高菜飯・だご汁などのセットで、郷土料理を楽しく味わうことができた。ちなみに阿蘇大橋は、2020年度の竣工予定と、2017年4月に発表された。

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2016年4月16日の地震で、国の重文である嘉永3年(1850)建立の大きな楼門が倒壊(全壊)するなど大きな被害が出た阿蘇神社は、完全復旧までに10年はかかるといわれている。拝殿や翼廊も倒壊して復旧工事というかシートで覆うなどの応急措置がされている。「一の神殿(天保1年-1840建立)」や「二の神殿(天保13年建立)」はゆがんだため部分解体修理の予定といわれるが、見た目にはなんとか難を逃れたようである。

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阿蘇神社からやまなみハイウェイを通って湯布院へ向かう。城山展望所からは、阿蘇の広大なカルデラの田園風景と雄大阿蘇五山が眺められる。阿蘇は典型的な二重式火山で、外輪山は南北25km、東西18km、周囲128kmあり、面積380k屬カルデラを持つ世界最大級の火山である。30万年以上前に外輪山を形成した火山活動の後、27万年前から9万年前までに大規模な噴火が4回あってカルデラを形成し、その後の火山活動で阿蘇五岳が揃ったといわれる。左から山頂がギザギザの根子岳(1433m)、最も高く見える高岳(1592m)、そこから右の山並みに中岳(1506m)、烏帽子岳(1337m)、杵島岳(1326m)と続く。

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10日ほど前の大分県中部の大雨による水害で、道路の多くが通行止になっていたが、危うく難を逃れたやまなみハイウェイ湯布院に向かって北上した。湯布院のどこからでも見えるという由布岳(1584m)は、東峰と西峰の2つのピークを持つ活火山で、独特の山容から豊後富士とも称される。古来より信仰の対象として崇められ、『古事記』や『豊後国風土記』にもその名が記されている。

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湯布院町は温泉がある街で有名だったが、2005年に合併して由布市となった。町名とインターチェンジは「湯布院」であるが、駅名と温泉名は「由布院」でありややこしい。そのため「ゆふいん麦酒館」などひらがな表記も多い。「ゆふいんビール」は、平成6年に九州で第一号となる地ビール会社の製品で、緑の山並みから集まる豊かな水を生かした生ビールだけで出発したが、今では瓶ビールも販売されるようになった。駅から湯の坪街道を散策する醍醐味が人気の街歩きの道中でも、生ビールは一番人気である。

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湯布院の名所・金鱗湖に着く手前にある「角打屋」は、湯布院地酒由布美人」を試飲した後、敷地内の角打場でグイッと飲めるので評判だ。おまけに好きな漬物も選べる。もちろん地ビールもOKなので、ついつい飲みすぎ、金鱗湖を見に行く時間がなくなった。

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泊まった宿には「ゆふいん麦酒館」が併設されていて、数々の地ビールや資料、道具類も展示されていた。朝食時と昼食時にビュッフェで利用できるというが、時間が合わなかった。

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翌朝、玄関脇で大きなクワガタを見つけた。頭部の冠状の耳状突起と体表の細かい金褐色毛により、ミヤマクワガタ(Lucanus maculifemoratus)とわかる。日本全国の深山に分布するが、子供時代以来久しぶりの雄姿にワクワクした。もちろん触って力強さを確かめてみた。

2018-08-03

[][][]天岩戸神社高千穂神楽 23:03

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去年の7月中旬の連休に、知人の退職記念旅行を企画・引率し、大人数で高千穂峡国東半島を訪ねた。熊本空港から高千穂へ向かう途中、阿蘇の外輪山の山麓で昼食となった。1年前の熊本地震の影響でまだ復旧の遅れているところが何箇所か残っていたが、その前年にも眺めた阿蘇山は変わらず雄大な姿を保っていた。

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阿蘇の名物、赤牛のランチのメインは、赤牛のクリミ(赤身肉)のポワレで、オリジナルのソースがかけられ、大変美味しかった。

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阿蘇外輪山の高森峠を超えて宮崎県高千穂に至り、早速、天岩戸神社に向かう。岩戸川を挟んで東本宮と西本宮があり、天の岩戸と呼ばれる岩窟手前にある西本宮を多くの観光客が訪れるが、ともに皇祖神天照大御神を祀るとはいえ、創祀以来皇室や朝廷からではなく、在地住民からの信仰を主としている。この西本宮は天岩戸の遥拝所とされてきたが、本殿を持たず、昭和61年造営の拝殿の背後の対岸にある天岩戸は、社務所に申し込まなければその崩れた跡も拝むことができない。しかし天岩戸説話は天上界の出来事であり、ここが天岩戸だと称する場所は国内に十数箇所もある。

左奥に見える建物は神楽殿で、右の建物は拝殿左手の御旅所であり、その前の巨木は細長い実が特徴の珍しい古代銀杏という。

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観光客の多くは天岩戸神社の参拝後、岩戸川に沿って10分ほど歩き、天安河原に向かう。天岩戸説話で天照大神が岩戸に隠れた際、天地暗黒となり八百万の神が河原に集まり神議したと伝えられる大洞窟で、別名、仰慕ヶ窟(いわや)とも呼ばれている。

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以前は小さな社のみだったが、いつの間にか祈願者たちがあちらこちらに石を積むようになったという。

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天安河原の前を流れる渓流は岩戸川で、右に下って行くと高千穂峡から流れてくる五ヶ瀬川と合流して延岡市から日向灘に注ぐ。

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岩戸川沿いの散策路は湿っていて、岩壁にはイワタバコ(Conandron ramondioidas)が着生して薄紫色の花を咲かせている。本州以南に自生する多年草で、若葉は食用にできる。

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高千穂町の中心部のすぐ東に天真名井がある。天孫降臨神話で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨のとき、この地に水がなく、天村雲命が再び高天原に上がり、天真名井の水種を移したと伝えられる。推定樹齢1300年の欅の老木の根元から今も天然水が湧き出している。

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高千穂神社では夜神楽が催されている。高千穂神楽は観光協会が昭和47年から年中無休で実施している観光神楽として知られている。これは手力雄(たぢからお)の舞。天照大神が天岩戸に隠れた際、手力雄命が天岩戸を探し出す様子を表現する。

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二番目は鈿女(うずめ)の舞。天岩戸の前で天鈿女が面白可笑しく舞って、天照大神を誘い出そうとする。天岩戸隠れの神話に登場する天鈿女命の舞が、日本最古の踊りとされる。

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三番目は戸取の舞。手力雄命が力強く岩戸を開いて、天照大神を迎え出す舞。

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四番目は御神体の舞。別名、国生みの舞といい、イザナギ・イザナミの二神が酒を作って仲良く飲み、抱擁し合って夫婦円満を象徴する。最後は客席に入り込んでサービスする。こうして、夜神楽三十三番より代表的な四番を味わうことができる。

2018-07-25 裏見の滝、赤堀花菖蒲園

[][][]裏見の滝、赤堀花菖蒲園 23:38

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湯檜曾から東へ宝川温泉に向かい、藤原湖からさらに東に林道を進むと、武尊山(2158m)の登山口がある武尊神社の手前に裏見の滝駐車場がある。そこから谷を10分ほど下ると、裏見の滝観瀑台がある。落差50mの大瀑布で、別名、宝来の滝とも呼ばれる。落石の恐れがあるので現在は裏側から滝を見ることはできない。

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武尊山の山麓には30を超える武尊神社があるが、その中で代表的なのがここ藤原の宝台樹にある武尊神社である。由緒によれば、貞観(865年)の頃より「保宝鷹(ほほうたか)神社」と称され、あるいは「保高神社」と呼ばれ、古くから「ホタカ」の神が祀られてきたという。この裏見の滝には、日本武尊が東征の際に立ち寄って、水垢離を行なったという伝説があるように、武尊山の名は日本武尊命に由来するといわれる。しかし、日本武尊伝説が武尊山の山岳修験に影響を及ぼす中で、江戸から明治にかけて、それまでの「ホタカ」に「武尊」の字を宛て、山名および神社名にしたのが真相だとされる。

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大露天風呂で有名な宝川温泉で日帰り温泉を楽しんだ後、関越トンネルを抜けて越後湯沢湯沢高原アルプの里を訪ねた。高山植物が200種以上あるというが、ロックガーデンには外国産の植物が多く混じり、寄せ集めの感じがした。日本のレンゲツツジやキレンゲツツジは満開で見応えがする。

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こちらは今では珍しいクマガイソウ(Cypripedium japonicum)。日本全国の低山に自生する多年草で、日本の野生ランの中で最大の花であるが、レッドリストの絶滅危惧II類の指定を受けていて、野生の花は滅多に見られなくなった。

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開湯が古く、江戸時代には目の温泉として知られた貝掛温泉に泊まった翌朝、三国街道宿場であった二居宿に寄った。この富沢家は慶長14年(1609)以来、二居宿の庄屋・問屋・本陣役を勤めた。現在の建物は、慶応4年(1868)の戊辰戦争の戦火で焼失後、翌年に以前のままの形式で再建されたものである。

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三国峠の谷間に一軒宿の法師温泉がある。弘法大師巡錫の折の発見と伝えられ、宿の開業は明治8年だが、現存最古の建物は明治28年(1895)建築の鹿鳴館様式の本館である。混浴で知られる法師の湯の浴槽の底には玉石が敷きつめられ、その隙間から温泉が自然湧出している。本館と別館は、国の登録有形文化財になっている。

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本館から渡り廊下の下を潜って右に折れると、大般若坂への登り口がある。約1km先の大般若坂では、慶応4年(1868)に戊辰戦争で会津藩と官軍の激戦で多くの兵士が戦死した。そこには供養塔が建っているという。時間があれば、三国峠・上信越自然歩道で歩くことができる。

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帰りがけに伊勢崎市赤堀花菖蒲園に立ち寄った。この花菖蒲園は、国の指定史跡「女堀」の中に25,000株の花菖蒲が咲き乱れる、伊勢崎市の花の名所である。「女堀」とは、前橋市上泉町から伊勢崎市国定町までの東西12km、幅20mにわたって築かれた溝である。平安時代後期に作られた未完成の用水路跡と推定されている。

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初夏には白や紫などの花菖蒲が約500mにわたり一斉に咲き揃い、幻想的な世界を作り出す。例年6月中旬に赤堀花菖蒲園祭りが開かれるが、今年は開花が早まり、6月上旬に満開になっていた。

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一般に花菖蒲は江戸系、肥後系、伊勢系などの系統に別れるが、この花菖蒲園では系統別に分けてもいないし、そもそも名札が付けられていない。図鑑を見ながらあてずっぽうで言うと、左は江戸系の「玉鉾」、右は肥後系の「花武者」であろうか。

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これは図鑑で見ても当てはまるものがない。花菖蒲の品種は5,000種を超えるといわれるが、この図鑑は100種ほどしか取り上げていないので、当てはまらないのは致し方ない。

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これも基本的な色形と思うが、残念ながら同定は難しい。

2018-07-18 谷川岳の花

[]谷川岳の花 22:16

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イワカガミ属にはイワカガミ(Schizocodon soldanelloides)とオオイワカガミ(S. s. var. magnus)、コイワカガミ(P. s. form. alpinus)などがあるが、コイワカガミは主に中部地方高山に咲き、花数が1〜5個なので、ここには咲いていないと思われる。イワカガミとオオイワカガミは非常によく似ていて、後者の葉が少し大きいというけれども比較できない。主に日本海側の山地に咲くのがオオイワカガミとされるが、葉の縁の鋸状はそれほど鋭くないので、この花は日本全国に自生するイワカガミであろう。

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オモトに似た広い葉の間から花茎を伸ばし、白く小さな花を咲かせているのは、ツバメオモト(Clintonia udensis)である。北海道近畿地方以北の本州の深山に生える多年草で、花後、花茎を伸ばし、濃い藍色の液果をつける。

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初夏の山道を歩くと白い花の低木がいろいろある。これはスイカズラ科のムシカリ(Viburnum furcatum)、別名オオカメノキ。日本全国の山地に生え、高さは2〜5mになる落葉低木。右下に見えるように葉は卵円形で、散房花序に小さな両性花をつけ、ふちに白い5裂の装飾花が取り巻く。

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こちらの紅紫色の鮮やかな花を咲かせているのは、ムラサキヤシオ(Rhododendron albrechtii)。北海道および本州中部地方以北の主に日本海側の山地に自生する落葉低木で、葉と同時か先に開花し、枝先の花芽に1〜4個の鮮紅紫色の花をつける。

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イワカガミの花色は基本、淡紅色だが濃淡もかなりあり、これは最も淡い花色である。白花種も別にあるが、それはやや緑色を帯びる。

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こちらの色鮮やかなドウダンツツジは、ベニサラサドウダン(Enkianthus campanulatus var. palibinii)で、サラサドウダンの地域変種である。中部地方北部から東北地方南部の山地に生える落葉低木で、花は釣鐘状で下を向き、紅色の花弁に濃い紅色の筋が入る。

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やがて前方の視界が開けて、谷川岳残雪を抱いた勇姿が垣間見えた。天神尾根の急登が始まるまでもう少し歩くことにする。

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足元にはイワナシ(Epigaea asitica)の小さな淡紅色の花が咲いている。北海道と本州の主に日本海側の山地に自生する常緑小低木で、卵状長楕円形の革質の葉が互生する。枝先の総状花序に数個の鐘型の花をつけ、秋に熟す小さな果実はナシのような味があって食べられる。

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こちらは日本全国のやや湿った草地に自生するショウジョウバカマ(Heloniopusis orientalis)。常緑の多年草で、ロゼッタ状の細長い葉の中心から伸び出る花茎の先にやや下向きに淡紅紫色の花を咲かす。花色は変化に富む。花の色と根生葉の重なりが袴に似ることにより名づけられた。

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こちらの薄紅色の花は、イワウメ科のイワウチワ(Shortia uniflora)という。本州の山地に広く自生する常緑の多年草で、日本固有種である。円形の葉脇から出た花茎に、直径3cmの花を一輪ずつつける。

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このイワカガミが今日見た中で最も紅色が濃いと思われる。左下のヤブコウジに似た赤い実は、イワカガミの葉に隠れて全体が見えないため何の実かわからない。

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緩やかな道も終わったあたりで、ようやく熊穴沢避難小屋に着いた。谷川岳山頂まで距離は半分だが、コースタイムはまだ2時間以上必要だ。ここから見上げるような急登が始まる。この上に進めば高山植物がたくさん現れるのだが、体力と膝に不安があるのでここで引き返す。

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この淡紅色のシャクナゲは、本州中部地方から東北地方中部までの山地に自生するアズマシャクナゲ(Rhododendron metternnichii var. pentamerum)である。花冠は漏斗状鐘型で、ツクシシャクナゲホンシャクナゲの7裂に対し、5裂する。

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帰りがけにまた、シラネアオイ(Glaucidium palmatum)を見つけた。シラネアオイ属の多年草だが、1属1種の日本固有種である。日光白根山に多いことから名づけられたが、清楚な感じでたいへん美しい。