半坪ビオトープの日記

蚕影山神社、拝殿


そば「ゐ田」の前のつくば道をもう少し下り、案内板に従い、左(東)に曲がった突き当たり、神郡集落の館地区に蚕影山神社がある。昔は入口付近に土産物屋や茶屋がたくさんあったそうだ。

標高200mの蚕影山の山麓に鎮座しているため、最初から最後まで次から次と七つにも分かれた石段の参道が続いている。参道脇の蚕影神社の由緒書きには、万葉集の歌が記されている。
筑波嶺の新桑繭(にひぐはまよ)の衣はあれど 君が御衣(みけし)しあやに着欲しも(巻十四/3350東歌)
土地の古老曰く 常陸なるたてと立野に織る糸は 筑波の山の錦なりけり

鬱蒼とした森の中を三つほど鳥居をくぐって、古びた石段を上って行く。総計205段もあるという。

鳥居の左脇に、石碑があるが詳細は分からない。

最後の石段の手前はすこし広い平地になっていて、両側に石碑がいくつか立っている。

数年前にはこの辺りに茶屋跡の廃屋があったそうだが今は何もない。右手の大きな石碑も何が書かれているのか判読できない。

左手の3枚の板碑も残念ながら読み取れず、由来は分からない。

最後の石段を上り詰めるとようやく古びた拝殿の前に出る。
蚕影山神社は、蚕影神社とも蚕影大神とも称され、古くより養蚕の神として、関東甲信並びに静岡などに分霊された蚕影社などがあり、各地の養蚕農家の信仰を集めている。
9月に訪れた松本市兎川寺や沙田神社にも分社があり、11月に訪れた埼玉県神川町の金鑽(かなさな)神社にもあった。

創建は不詳だが、古い伝承によると、崇神天皇時代に祀られたとか、成務天皇時代に筑波国造が赴任されると同時に養蚕や農業の発展に力が注がれ、豊浦に稚産霊命が祀られ、同時期に蚕影山の麓に蚕影山桑林寺が建立されたという。あるいは延長4年(926)創建との説もあるという。蚕影山桑林寺は、明治の廃仏毀釈により廃寺となって神社だけ残った。
祭神は、中心に養蚕の神でもある稚産霊命(わかむすびのかみ)、左右に土の神である埴山姫命(はにやまひめのみこと)、富士山の神である木花開耶姫命(このはなやさくやひめ)を祀っている。古事記では、伊邪那美命(いざなみ)が火の神・迦具土神(かぐつち)を生んで火傷し、病に伏せる。その尿(ゆまり)から和久産巣日神(わくむすび)が生まれたとある。日本書紀第二の一書では、伊邪那美命が火の神・迦具土神を生んで死ぬ間際に、土の神・埴山姫神を生む。そこで迦具土神埴山姫神を娶り、そして稚産霊神が生まれ、その頭から蚕と桑、へそから五穀が生じたとある。つまり、この蚕影山神社の祭神は、日本書紀に依ると考えられる。
拝殿に架かる扁額には「日本一社 蚕影山」と彫られている。