半坪ビオトープの日記

大月、岩殿山


8月下旬、朝から快晴だったので簡単な山歩きをしたくなり、大月の岩殿山に向かった。甲信地方に出かける際、中央高速で大月を通過する時、高速沿いの大岩壁が目立つ岩殿山は、かなり昔から気になる存在だった。長い間、いつか登ってみようと思っていたがなかなか機会がなく、何の因果か残暑真っ最中に登ることになってしまった。

大月駅から歩いても約1時間で岩殿山の山頂に立つことができるが、ずんぐりとした山容は独立峰そのもので、山頂からは富士山が望め、山梨百名山、秀麗富嶽十二景にも選定されている。岩殿山大月駅前からも間近に眺められるが、その大月駅は意外と小さくこじんまりしている。

既にお昼の時間になったので、大月駅の真ん前の素敵な洋館、月カフェにてランチとした。

月カフェの名物である月カツは、ミラノ風カツでとても美味しい。

最近テレビでも取り上げられたというビーフシチューは、ランチにしては絶品である。大月に立ち寄る際には、ぜひとも訪れたいお店といえよう。

岩殿山相模川水系桂川葛野川とが合流する地点の西側に位置し、頂上直下の鏡岩と呼ばれる礫岩が露出した約150mの崖が、狭い平坦地を挟んで急角度で桂川まで落ち込んでいる。鏡岩は、駅の東側にある高月橋から真っ正面に眺めることができる。

高月橋を渡って右に山裾沿いに進むとまもなく左手に、岩殿山への登り口がある。岩殿山岩殿山城とも呼ばれる山城でもあって、「岩殿城跡」として山梨県の史跡に指定されている。

登り口から間もなく鳥居状の門構えがあり、岩殿山の案内板がある。岩殿山は9世紀の末、天台宗岩殿山円通寺として開創されたと伝えられる。10世紀初期には三重塔、観音堂、僧坊などが建ち並び岩殿は門前町を形成した。13世紀に円通寺は天台系聖護院末の修験道センターとして栄え、その支配は郡内一円から甲斐国中の山梨、八代の東部一帯、駿河国富士郡付近まで及んだ。

16世紀になると戦国大名領国制が成立する中、武田、小山田両氏の支配を受けた岩殿山は、岩殿城として武蔵、相模に備える戦略上の拠点とされた。天正10年(1582)に両氏が滅亡すると徳川氏に利用されたが、徳川幕府が確立した17世紀始めには廃城となった。現在、東麓には三重塔跡、常楽院並びに大坊跡などが、山頂付近には空堀、本城、亀ヶ池などの遺構が残され、日本修験道史上、城郭史上貴重な資料とされている。
10分もたたずに新しく作られた山門が見え、その中の丸山公園内に中世の城をイメージした「ふれいあいの館」が建っている。

ふれあいの館の1階には白籏史郎写真館があり、大月出身の山岳写真家・白籏史郎の作品が鑑賞(有料)できる。2階は展示・展望室となっていて、岩殿山関連の資料や富士山などの写真が展示され、窓から富士山も眺められる。ふれあいの館の左には階段状の登山道が続いていて、ひたすら登り続けることができる。

岩殿城として眺めると、東西に長い大きな岩山をそのまま城にしており、全方面が急峻で、真正面の南面は西から東までほとんどが絶壁を連ね、北側も急斜面である。東西から接近できるが、それも厳しい隘路を通らなければならない。登山道は左の山裾を登り、左手上に見える鏡岩の上の三の丸にたどり着く。その右手に見える本丸にパラボラアンテナがあり、岩殿山の山頂となる。