半坪ビオトープの日記

金剛輪寺、明寿院庭園


湖東三山の真ん中の寺・金剛輪寺は、西明寺のすぐ南に位置する天台宗の寺院で、山号は松峯山、地名から松尾寺ともいう。駐車場近くの総門(黒門)をくぐると、すぐ右側に拝観受付がある。庭園は200m先だが、本堂は15分ほど参道を上がるという。本堂まで車でも行けるということだが、歩いて行くことにした。

石畳の参道を進むと左手に赤門があるが、庭園入り口はもう少し先のようだ。

左に鍵の手に曲がった左側に、本坊・明寿院の白門がある。

白門をくぐると本坊・明寿院があり、その右手に続く築地塀にある小さな門を通ると庭園となる。明寿院は、昭和52年(1977)の火災で書院、玄関、庫裏が焼失し、現在の建物はその翌年に再建されたものである。

明寿院の庭園は池泉回遊式庭園で、南庭は小池ではあるが出島には橋を架け、奥には立石を主とした滝石組が見られる。池の傍には昭和52年の火災を免れた宝形造の護摩堂がある。護摩堂は正徳元年(1711)の建立であり、堂内には平安時代後期作の木造大黒天半跏像(国重文)が安置されている。大黒天像としては最古の特徴を持ち、一般の穏やかな表情の大黒天と異なり、厳しい顔つきの冠を戴き、甲冑を着け磐座に半跏を組んでいる。

護摩堂の左隣に、寄棟造の茶室・水雲閣が建っている。安政年間(1854~60)の建立で、この建物も火災を免れている。

池泉回遊式庭園といわれているが、川のように細長い池に沿って進むと、庭園は書院の三方を取り囲むように配置されている。南庭は桃山時代、主庭をなす東庭は江戸時代初期、北庭は江戸時代末期と推定されている三庭からなり、書院前のこの東庭には築山の合間に見えにくいが三尊石組が立ち、向かいには五輪塔が立つ。池の中には睡蓮の花が咲いている。

庭園は巧みに老杉蒼松を自然の背景にし、多くの石を巧妙に組み込んだ垂直の滝を力強く設け、周りに配された手入れの行き届いたサツキの玉刈り込みが印象的であり、国の名勝に指定されている。庭園や本堂、三重塔の周りなど境内には紅葉が多く、例年11月上旬から12月上旬にはヤマモミジやトウカエデが色づき境内一面が真紅に染まる。金剛輪寺の本尊は行基が一刀三礼で彫刻したが、ある日、赤い血を流していた。あたかもその血で染めたように鮮やかに紅葉することから「血染めの紅葉」といわれるようになったという。

庭園に面した書院には上がり込むことができる。ここは位牌堂であろうか、正面には仏像が安置されているが、壁面には代々の住職らしき写真が掲げられ、奥には位牌が並んでいる。

庭園を出て参道に戻り石畳を上っていくと、右手に地蔵堂への分岐がある。