半坪ビオトープの日記

薬研温泉、薬師堂


霊場恐山から北側の外輪山を抜けて、ひっそりとした原生林の中を進み、薬研温泉の古畑旅館にたどり着いた。薬研温泉の開湯は、慶長20年/元和元年(1615)とされる。大坂夏の陣で敗れた豊臣側の落武者・城大内蔵太郎が当地まで落ち延びて来た際に発見したという。温泉名は、温泉の湧き出す湯口の形が漢方薬を作る薬研に似ることに由来する。

古畑温泉のすぐ裏手を流れる大畑川沿いに数件の宿があるが、この辺りは薬研渓流とも呼ばれ、ヤマメ、イワナ、アユなどの格好の釣り場としても知られる。渓流沿いには遊歩道も整備され、新緑から紅葉まで四季折々の散策が楽しめる。

この薬研温泉から大畑川上流約2kmに位置する湯ノ股川沿いに奥薬研温泉があり、「かっぱの湯」と呼ばれる露天風呂がよく知られる。その奥薬研温泉の開湯は、ここ薬研温泉より古く、貞観4年(862)恐山を開山した円仁がこの地で道に迷って大怪我をした際、河童に助けられて「かっぱの湯」に浸からせてもらい怪我を治したという。

古畑旅館の先祖は、城大内蔵太郎とともに湯守として薬研に住み着いた、城大内蔵太郎の家臣・生(はじめ)茂左ヱ門を初代とする。明治になった時、地名の古畑に改称し、現在は18代目である。
ロビーには樹齢約800年というヒバの巨木の一部が展示されている。

古畑旅館には、昭和42年まで漢方薬作りに使っていた薬研も残されているが、付近から出土したと思われる石器の鏃や縄文土器なども乱雑に飾られている。

旅館の夕食は山間のため、地元の山菜を中心に山、川、海の旬の味が楽しめる。

薬研温泉の泉質は、源泉温度47~72℃、無色透明無臭のアルカリ性単純温泉で、石鹸が効いて飲める温泉である。薬研渓流を眺めながら、総ヒバ造りの浴槽でゆったりできた。
今年開湯400年祭を迎える薬研温泉郷だが、その中心であり続けた古畑旅館が、泊まった後2ヶ月余りで、昨年末に破産したことが最近わかった。由緒あるいい旅館だったので残念でならない。

朝早く旅館から散歩に出かけると、すぐ右手に鳥居があり、その奥に薬師堂が建っていた。

薬師堂は古畑家資料によると、元禄11年(1698)、二代目二左ヱ門により再建された後も、宝暦12年(1762)、文政6年(1823)、文久4年(1864)、明治18年(1889)、昭和22年(1957)と古畑家先祖代々が再建している。

城大内蔵太郎は落ち延びる前、豊臣秀頼に別れを告げ、拝領した薬師如来像を捧持して最後の合戦地の越後に向かった。しかし武運拙く大坂城落城の三日前、越後の城が落ち拝領の薬師如来像と共に残った一族が灘一丸で海に逃れ、流れ着いた所が大石(現、大畑町字孫次郎間)であった。現地の住人に保護され、一族の隠れ住む地を求めて大畑川を遡り、河口より約10kmのこの地に落ち延びた。それ以来、薬研温泉の守護神として薬師如来像が祀られているとのことである。

小さな境内には、オクトリカブト(Aconitum japonicum)が毒々しいほど鮮やかな濃い青紫色の花を咲かせていた。花びらのように見えるのは萼である。葉は5中裂し、裂片の淵には粗い鋸葉がある。本州中部地方から北海道の山地の渓流沿いに生育し、花期は8〜9月である。和名の由来は陸奥に多いことからきている。全草にとりわけ根に猛毒があることで知られ、トリカブトの中でも特に毒性が強い。