半坪ビオトープの日記

2017-10-27 肉骨茶(バクテー)

[]肉骨茶(バクテー) 22:08

マレーシアシンガポールで作られる、スペアリブの鍋料理である肉骨茶(バクテー)を試してみた(4人前)。

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 スペアリブ(骨付き豚肉)は、700gから800gほど用意する。

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大根1/2本を2cm幅に切り、さらに半月型に切る。ニンニク1個を各片に分け、包丁でつぶす。生姜1片は薄切りにし、クコの実を30粒ほど用意する。

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 さらに八角スターアニス)4個、シナモン小1、クローブ小1、カルダモン小1/2、陳皮2切れ、塩小1、砂糖小1/2、醤油1/2カップ、黒胡椒大2、粗挽き胡椒小2を用意する。

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圧力鍋に1.6リットルの水を入れ、スペアリブ大根、すべての調味料を入れ、アク取りシートを被せて、火にかけ15分、圧をかける。

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ァ^気抜けたらアクや油を取り、塩胡椒で味を調整する。別鍋で、青菜(小松菜)を茹でておく。

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* 器に分けて、青菜を添えれば出来上がり。ニンニクは肉叩きで潰し、陳皮がなかったので五香紛を少々加えた。

2017-10-20 揚げない鶏ささみのマヨチーズカツ

[]揚げない鶏ささみのマヨチーズカツ 22:29

油で揚げるのではなく、オーブンで焼いて、鶏ささみのマヨチーズカツを作った(3人前)。

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ささみ6本は、筋を取り、切れ目を入れて少し開く。

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マヨネーズ大3、ニンニクすりおろし小2を用意し、混ぜておく。

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ささみに塩胡椒をして、△マヨネーズを塗りつける。

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天板にオーブンシートを敷き、パン粉を敷いて、のささみを裏返してのせ、反対側にも△マヨネーズを塗る。

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ピザ用細切りチーズをのせ、その上にパン粉と乾燥バジルを散らす。

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オーブンを200度に熱し、20分焼いて出来上がり。

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* ささみカツなので、付け合せはキャベツがよい。

2017-10-13 伊吹山

[][]伊吹山 23:33

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いよいよ一週間を超える旅も最終日を迎えた。長浜から東京まで約430kmを一気に帰るのだが、途中、琵琶湖の東にそびえる伊吹山に立ち寄った。琵琶湖東岸を南下すると左手に絶えず伊吹山地が見えるが、その主峰が伊吹山であり高さは1,377mある。古くから神が宿る霊峰とされ、その神は古事記では「牛のような大きな白猪」、日本書紀では「大蛇」とされていた。山の名は古事記では「伊服阜能山」、日本書紀では「五十葺山」あるいは「膽吹山」などと記され、読み方は、国土地理院や山麓に近い地方では「いぶきやま」、美濃尾張や遠い地方では「いぶきさん」と呼ばれる。

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伊吹山の神は古くから伊吹大明神とも呼ばれ、古事記にはヤマトタケルが伊吹大明神と戦って敗れる物語がある。伊吹山の神に苦しめられて敗れたヤマトタケルは病に冒されて山を下り、居醒の泉で少し回復したものの、のちに悪化して亡くなったとする伝説が伝えられている。山頂部には日本武尊の石像と、伊吹山の神の白猪の像が設置されている。山麓の長浜市山階町の伊吹山神社は、伊吹神を祭神としている。

伊吹山の9合目まで観光有料道路伊吹山ドライブウェイ)で上ることができ、山頂近くになると琵琶湖が見下ろせる。目を凝らせば、竹生島もかすかに認められる。

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標高1,260mの山頂スカイテラス駐車場から、3本の登山道コースがあるが、最も一般的な西コースを少しだけ登ってみた。駐車場脇にコオニユリ(Lilium leichtlinii f. pseudotigrinum)が咲いていた。北海道から九州までの山地に自生する多年草で高さは約1mになる。

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足元には黄色いキンミズヒキ(Agrimonia pilosa var. japonica)の花が咲いていた。北海道から九州の草地に生える多年草で、高さは30-80cmになる。

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駐車場の一角には芭蕉の句碑がある。「そのままよ 月もたのまし 伊吹山

芭蕉は元禄2年(1689)秋、『奥の細道』むすびの地、大垣に到着した。東京深川を旅立ち、仙台松島岩手平泉出羽三山秋田象潟金沢敦賀を巡り大垣に至る5ヶ月間、476里余に及ぶ長旅の疲れを癒した二週間あまりの大垣滞在中にこの句を詠んだ。

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登山道前方右手に琵琶湖がわずかに見渡せる。山腹にはサラシナショウマの白い花穂が無数に立ち上がり、サラシナショウマ群落を形成している。

伊吹山は約3億年前に噴火した海底火山であったとされ、ウミユリやフズリナ化石が発見されるように、約2億5千年前の古生代にサンゴ礁の石灰質層が堆積し、広く石灰岩が分布している。地層形成年代が古く、高山的な気象条件もあるため、日本で分布の西南限となる種が多く、伊吹山固有種も多い。伊吹山は古くから「伊吹百草」の名があるように薬草・高山植物の宝庫として知られ、草花の種類は約1,200種といわれ、薬草は135種を数える。琵琶湖国定公園に指定されているほか、山頂お花畑は国の天然記念物に指定されている。

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お花畑には5月上旬から10月下旬までいろいろな花が群落ごとに咲いていくが、こちらの赤い花はシモツケソウ(Filipendula multijuga)である。関東地方から九州の山地に咲く多年草で、花期は6〜8月。すでに盛りを過ぎていて、咲き残りがわずかに散見できた程度。

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こちらの瑠璃色の総状花序が美しい花は、ルリトラノオ(Pseudolysimachion subsessile)である。イブキアザミやイブキレイジンソウなどのように「イブキ」の名はつかないが伊吹山の固有種であり、総個体数が約3,000とされ、環境省のレッドリストの絶滅危惧II類(VU)に指定されている。なお、伊吹山の固有種の数は、8種あるいは9種とするものが多い。

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ここにも群生しているサラシナショウマ(Cimicifuga simplex)は、北海道から九州までの山地に自生する多年草で、高さは約1mになる。

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こちらのセリ科の白い花は、ミヤマトウキ(Angelica acutiloba)である。北海道南部から本州中部地方以北及び伊吹山の亜高山帯から高山帯に自生する日本固有種。花期は7〜8月。

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こちらの紫色の総状花序の花は、日本の本州に広く分布するクガイソウ(Veronicastrum japonicum)と見えるが、伊吹山には一回り小さい固有種のイブキクガイソウ(V. j. var. humile)が自生するので、後者であろう。

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こちらの淡紫色の花は、クサボタン(Clematis stans)である。釣鐘状の花弁に見えるのは萼片で、花弁はない。本州の山野に分布する高さ1mになる半低木であり、全草が有毒である。

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映りが悪いが、これが草原のあちこちに咲いていたイブキトリカブト(Aconitum japonicum var. ibukiensu)である。トリカブトの仲間は地域変異が多く、亜種・変種が多数あって分類・同定に苦労するが、ここが伊吹山なので間違いないであろう。近畿地方中部地方太平洋側・関東地方西部に分布し、高さは1〜1.5mになる。イブキトラノオやイブキジャコウソウのように最初に伊吹山で発見されたことから和名に「イブキ」を冠する植物は多く、ここ伊吹山には20種以上のイブキを冠する種の植物が自生している。

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太めの穂状花序に黄白色の花を咲かせているのは、フジテンニンソウ(Leucosceptrum japonicum form. barvinerve)である。テンニンソウの一品種で、葉裏の中脈上に開出毛があるという違いがある。本州に広く分布するが、富士山周辺や伊吹山群落が見られる。

2017-10-06 竹生島、宝厳寺

[][]竹生島宝厳寺 21:51

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唐門の前から右手に近道の石段があるのでそこを上がっていくと、右手に西国三十三ヶ所観世音奉安殿が建っている。

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この奉安殿には、西国三十三ヶ所霊場の観世音菩薩をまとめて安置してあるので、ここを参拝することで西国巡礼を経たのと同じ霊験を得られるといわれている。

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奉安殿の先の左手に行尋坊天狗堂が建っている。宝厳寺を開基する前、竹生島には天狗が多く住んでいたのを行基が説き伏せて手伝わせたという伝承がある。その時島の守護を誓う証とした天狗の爪が宝物館に保管されているという。

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天狗堂の先で祈りの石段と合流するところに五重石塔が立っている。地水火風空の五大をかたどった仏塔で、高さは247cm。初層軸部の四面には、顕教四仏を半肉彫りしてある。比叡山中の小松石という花崗岩により、鎌倉時代中期に作られたもので、国の重文に指定されている。重文の五重石塔は全国で7基しかなく、これはその一つである。

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五重石塔の向かい、境内の左脇に小さな妙音天堂が建っている。弁財天大日経では妙音天と呼ばれるという。

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いよいよ境内中央の宝厳寺(ほうごんじ)本堂の正面に至る。宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724)、行基が竹生島を訪れ、弁財天を祀ったのが起源とされるが、承平元年(931)成立の『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりといい、天平勝宝5年(753)、近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)が千手観音を安置したとある。当初は本業寺、のちに竹生島大神宮寺と称し、東大寺の支配下にあった。平安前期に比叡山延暦寺の傘下に入り天台寺院となった。平安末期からは観音と弁財天信仰の島として栄えた。

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先ほどの竹生島神社本殿が、古来より宝厳寺の本堂として本尊の弁財天を安置していたが、明治元年に発布された「神仏分離令」により大津県庁より、当山を廃寺とし、神社に改めよという命令が下った。しかし全国の信者の強い要望により廃寺は免れ、本堂の建物のみを神社に引き渡すこととなった。本堂のないまま仮安置の大弁財天だったが、昭和17年(1942)にようやく現在のこの本堂が平安時代様式で再建された。本尊の弁財天像は秘仏のため、原則的に60年に一度しか公開されない。

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本堂の左手に三龍堂が建っている。徳澤惟馨善神・潤徳護法善神・福壽白如善神を祀っている。

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本堂の手前右手に三重塔が建っている。元の三重塔は、1484年に建立されたが、江戸時代初期に落雷で焼失。平成12年(2000)、約350年ぶりに古来の工法に基づき復元された。四本柱に32体の天部の神々を描き、四方の壁には真言宗の8人の高祖を配している。各柱や長押には繧繝彩色(うんげんさいしき)や牡丹唐草模様が描かれている。

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三重塔の向かいには、樹齢約400年とされる「もちの木」が植えられている。慶長8年(1603)、豊臣秀頼の命を受け、普請奉行・片桐且元(かつもと)が伏見城から観音堂や唐門等の移築をした際に自ら手植えしたとされる。

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三重塔の右手後ろに雨宝堂が建っている。ここに祀られている雨宝童子とは、神仏習合の両部神道における神で、天照大神が日向に下生した時の姿、あるいは大日如来の化現した姿ともいう。

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本堂の左手前に不動明王像と並んで「竹生島流棒術発祥之地」の石碑が建っている。「竹生島棒術」とは、平安時代末期に難波平治光閑が竹生島弁財天に参拝し、夢想会得したという。この石碑は、流祖800年祭を記念して平成9年(1997)に建立された。

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本堂から祈りの石段と呼ばれる165段の急な石段を下っていくと、左手に護摩堂が建っている。護摩堂の本尊であった不動明王像は、天台智証大師円珍による11世紀前半の作と伝えられるが、今は宝物殿に安置されている。

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護摩堂の向かいの角に鐘楼が建っている。この鐘楼も祈りの石段の脇にあるので祈りの鐘楼とも呼ばれる。

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石段の脇に瑞祥水がある。昭和62年頃より川鵜の異常繁殖により緑樹は枯れ崖が崩れ、全島に亘り大きな被害を受けた。加えて山からの湧水も枯れ果ててしまった。そんな折、「ここに井戸を掘れ」との弁財天のお告げがあった。困難な工事の末、深さ230m(湖底下約130m)より、託宣通り清浄水が出たという。