半坪ビオトープの日記

2018-01-12 パンテオン、トレヴィの泉

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聖イグナツィオ教会前を西に進むと、ロトンダ広場とミネルヴァ広場に挟まれたパンテオンに至る。このミネルヴァ広場に面してサンタ・マリア・ソープラ・ミネルヴァ教会が建っている。この聖堂は、古代ローマのイシス神殿の跡地に建てられたが、近くに建っていたエトルリア神話の女神のミネルヴァの神殿と取り違えられて「ミネルヴァ神殿の上に建てられたサンタ・マリア聖堂」という名称になったといわれる。ローマで唯一のゴシック様式の教会とされるが、ファサードは16世紀末にカルロ・マデルノによりバロック建築に、19世紀に現在の新中世様式に改修された。内部の尖塔アーチで覆われた13世紀の身廊は極めてゴシック的だが、16世紀にバロック的要素が加味され、ステンドグラスの多くは19世紀のものである。主祭壇の左には、ミケランジェロ作の「贖いの主(十字架を運ぶ)イエス・キリスト」という大理石像が立っている。また、ルネサンス前期の画家フラアンジェリコ、パウルス4世、メディチ家のレオ10世、クレメンス7世の墓がある。

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ミネルヴァ広場に立つミネルヴァ・オベリスクは、高さが5.47m、台座を含めても12.69mと小さい。元来はナイルデルタのサイスに、第3中間期第26王朝のウアフイブラー王(アプリエス)により建てられたもので、1655年に近くのドミニコ会の修道院の庭から発見され、1667年にローマ教皇アレッサンドロ7世により再建された。オベリスクは象の彫像の上に載せられているが、この象はナヴォーナ広場のアゴナリス・オベリスクの四大河の噴水の彫像を作ったジャン・ロレンツォ・ベルニーニの作品である。愛称は「ミネルヴァのひよこ」という。

後ろに見える丸屋根の建物はパンテオンである。

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パンテオンはローマのすべての神を奉る万神殿であり、最初は紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパにより建造されたが、のちに火事で焼失した。2代目のパンテオンは118年から128年にかけて、ローマ皇帝ハドリアヌスにより再建され現在に至っている。正面の破風には聖堂のレリーフが飾られていたが、ウルパヌス8世法王により剥がされた。その後、内部聖堂の梁とともにサン・ピエトロ教会の中央祭壇を飾る大天蓋へ、ベルニーニが再利用している。破風の下部には、「M.AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT(ルキウスの息子マルクスアグリッパが3度目のコンスルの時建造)」とラテン語で彫り込まれている。

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ミケランジェロが「天使の設計」と賞賛した建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリートの上に、直径43.2mの円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは下部で6m、ドーム上部は凝灰岩と軽石を用い1.5mに抑えている。床からドーム頂部までの高さは43.2mで、頂上部にはオクルス(ラテン語で目)と呼ばれる採光のための直径9mの開口部がある。ここから明るい青空が見えるのは感動的だが、雨が降ればもちろん雨が落ちてくる。床の中央には緩やかな傾斜があり、雨水が中心に集まるように仕組まれている。

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「パンテオンを見ずしてローマを去る者は愚者なり」との言葉があるように、この建物は見逃せない。万神殿として建てられたが、7世紀ごろにはキリスト教の教会となった。ここが中央突き当たりの主祭壇である。

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主祭壇の左手にルネッサンスの三大巨匠の一人であるラファエロの墓がある。ラファエロは、法王ユリウス2世に気に入られローマで活躍していたが、37歳という若さでなくなり、このパンテオンに葬られた。

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ヴィットリオ・エマニエル2世の墓は主祭壇の右手にあるが、こちらはその子・ウンベルト1世の墓で、ラファエロの墓の左隣りにある。

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パンテオンの前には小さなロトンダ広場があり、中心には噴水があってその中央にオベリスクが立っている。このオベリスクエジプトのラムセス2世(在位:紀元前13世紀)がヘリオポリスの太陽神殿に建てたもので、カリギュラ帝(在位:37〜41)がローマで建てたイシス神殿に運んできた。1711年、教皇クレメンス11世がここに移動させ、噴水の上に建てさせた。イルカと蛇の彫刻はヴィンチェンツォ・フェリーチの作である。

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パンテオンから少し北に歩くとモンテチトーリオ宮殿の前に出る。この宮殿は1694年に完成し、当初は教皇裁判所として使用され、1871年からはイタリア代議院(下院)の議事堂として使われている。この建物は、バチカンのサン・ピエトロ広場を建設し、先ほどのミネルヴァ・オベリスクの台座の彫像も作ったジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計による。ベルニーニはバロック芸術の巨匠で、「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのために作られた」と賞賛されている。ここに立つオベリスクは、エジプト古王国時代のプサメテク2世(在位:紀元前6世紀初め)により創建されたもので、本体の台座は高さ21.79m、台座と頂上球体を含めると高さ33.97m、重量230トンの赤色花崗岩でできている。ユリウス・カエサルはエジプト遠征の折、秀でた天文学を見聞して太陰暦から太陽暦のユリウス暦へと変更した。カエサル没後、皇帝アウグストゥスはエジプトから運んだオベリスクを指針とした巨大な日時計を前10年、マルスの野に設置した。その日時計の指針に用いられたのが、このモンテチトーリオのオベリスクである。

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モンテチトーリオ宮殿のすぐ右隣りにコロンナ広場があり、そこにマルクス・アウレリウスの記念柱が建っている。ドーリア式の円柱に螺旋状のレリーフが施されたもので、トラヤヌスの記念柱にならって皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの栄誉を称えて建設された。今も元の場所に建っていて、首相官邸であるキージ宮殿の前にある。円柱本体の高さは29.6mで、高さ10mの土台に乗っている。円柱は27-28個のカッラーラ産大理石のブロックで構成され、それぞれ直径3.7mで内側は螺旋階段が掘られており、階段は全部で190-200段ある。螺旋状のレリーフは、166年からマルクス・アウレリウス帝の死の直前まで行われたマルコマンニ戦争の物語を描いたものである。

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コロンナ広場の東に、ローマでも有数の観光名所として賑わうトレヴィの泉がある。ポーリ宮殿の壁と一体となったデザインで、中央に水を司るネプトゥーヌス(ポセイドン)が立ち、左に豊饒の女神ケレース(デーメーテール)、右に健康の女神サルース(ヒュギエイア)が配置されている。これら池の全体の造作はニコラ・サルヴィの原案でピエトロ・ブラッチが制作した。

バロック式のポーリ宮殿の建設は、1573年に建築家ロンギに委託され、18世紀前半まで、建物の隅々が改築や増築された。元々はチェーリ宮殿と呼ばれていたが、1678年にポーリ家が建物を買い取り拡大していった。ロココ調の建物で、日中でも夜でも白い色が映え、街の一角を明るくしている。現在はイタリア政府が管理し、別称は国立銅板印刷研究所といい、19万点もの貴重な銅板の写真や絵が収められている。随時、展示会も催されている。

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トレヴィの泉は、元々は古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスが作らせたもので、ヴィルゴ水道の終端施設としての人口の泉が場所を替えた後、今の位置になった。その後、泉は教皇クレメンス12世の命によりニコラ・サルヴィの設計で改造、彼の没後の1762年に完成した。

後ろ向きにコインを投げ入れると願いが叶うという言い伝えがあり、投げるコインの枚数により願いが異なるとされる。コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができると言われる。3枚の願いはキリスト教が離婚を禁止していたという歴史の名残である。このコインは半分がカトリック系チャリティ団体に寄付されるそうだ。

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トレヴィの泉の東の片隅にサンティ・ヴィチェンツォ・アナスタシオ教会がある。1600年代に建てられたバロック式の教会であり、堂内に入るとトレヴィの泉の喧騒と打って変わって物静かとなる。

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