半坪ビオトープの日記

2015-02-10 東栄町の花祭り

[][]東栄町の花祭り 20:58

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四つ舞は4名で舞うが、時間も長く洗練された技術が必要で、20〜26歳の熟練した青年が扇、やち、剣の3折の舞を担う。

舞は太鼓の調子、笛の旋律と歌ぐらの音曲が三位一体となって成り立つ。舞の場面ごとに歌い分ける60種類もの歌を覚えることも、想像を絶する修練が必要と思われる。

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茂吉鬼は、舞の最後を締めくくるように朝方に登場することが多かったことから朝鬼とも呼ばれる。鉞(まさかり)ではなく槌を持って舞うのが特徴で、花宿の主人の舞とされている。

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祭りの終盤、一番の盛り上がりを見せるのが湯ばやしという軽快な舞である。舞の最後に振りかけられる「生まれ清まりの産湯」といわれる釜の湯を浴びれば、無病息災、健康で過ごすことができると村人に歓迎されている。

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花祭会館では、花祭の様子を20分ほどでビデオ鑑賞できるほか、祭りに使われる鬼の面や小道具などを見学できる。館内中央には衣装をつけた人形が集まる舞庭(まいど)が設けられ、花祭の臨場感が多少とも味わえる。

この河内の役鬼の面は、左から猿田彦命、須佐之男命大国主命二つである。

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こちらは御園(みその)の役鬼の面で、左から榊鬼、山見鬼、朝鬼である。御園の花祭は「大入系」で、舞も一本足で手を大きく広げて鶴のように舞うという。

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これは小林の役鬼の面で、左から榊鬼、山見鬼、茂吉鬼である。「大河内系」唯一の花祭といわれる小林の花祭では、地区最多の47の神事・舞の次第が残されている。

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こちらは中在家の役鬼の面で、左から榊鬼、山見鬼、茂吉鬼である。中在家の花祭は、戸数が少ないため他地区の応援を得て行われている。

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役鬼の面は11の地区により少しずつ異なっていて面白い。ほかに田楽面も陳列されている。  

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ここに集められている面は、古戸(ふっと)の田楽面である。右上にはささらが展示されている。古戸の花祭は神仏混淆の形式を色濃く残し、振草系の中で最も古いとされる。

東栄町にはちょうど花祭の時期に訪れたのだが、残念ながらこの日はどの地区でも開催されていなかった。

2015-02-09 東栄町花祭会館

[][]東栄町花祭会館 20:55

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鳳来峡のある新城市の東北にあたる愛知県北設楽郡は、奥三河の民俗芸能が残る地方として知られる。中でも有名な花祭りの中心地東栄町には、花祭りを保存伝承する花祭会館がある。

入口脇に置かれている鬼の作品は、アメリカのチェンソーアーティストのブライアン・ルース(BRIAN RUTH)による。東栄町には2000年記念イベントで来日以来、東栄町で開催されるチェンソーアート競技大会にゲストとして毎年参加している。

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「テーホヘ テホへ」と夜を徹して繰り広げられる花祭は、鎌倉時代末期から室町時代にかけて、熊野の山伏や加賀白山の聖によってこの地に伝えられたといわれている。「冬至」の前後、太陽の力の復活を願って行われる「霜月神楽」の一種とされる花祭は、天竜川水系に今も伝わる神事芸能で700年以上にわたって継承されている。

花祭の根本思想は「生まれ清まり」であり、そのために浄土へ渡り、大法蓮華の花を手にして、再生した新たな命を「花」と捉えているといわれ、地元ではこの祭りを単に「ハナ」とだけ呼んでいる。

祭りは滝祓い、高嶺祭り、辻固めなど花宿の清めから始まり、神迎え、湯立て、宮人の舞、花の舞、鬼の舞、湯ばやし、神返しまで休むことなく一昼夜かけて行われるが、町内各地区によって神事や舞の種類や順に異同がある。

滝祓いで「御滝の水」を迎え、高嶺祭りで上空から来る諸霊を祀る。天狗祭りともいう。

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神を迎え、悪霊を払い除け、無病息災、五穀豊穣、村中安全を願うこの祭りは、国の重要無形民俗文化財に指定され、毎年11月から3月上旬にかけて、町内11の地区で盛大に開催されている。その花祭は「振草系」「大入系」「大河内系」の3系統に分かれている。

この場面は神入り(宮渡り)という神事で、氏神の御神体の分神を迎えるところである。花祭の神(きるめ・みるめ)と氏神との関係は元はなかったがいつの日か関係付けられたと考えられている。つまり氏神の祭祀は宮司が行うが、花祭は花太夫が行い、神入りという神事を行わない地区もある。原則は男の祭りで女性は見るだけだったが、近年の少子化・過疎化によりほとんどの地区で女性も参加しているそうだ。

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主な神事は、祭場を清めて神々を迎える神勧請、祓い清めた釜でお滝の水を沸かして聖なる湯を献じる湯立て、諸々の願いを奉じる立願の舞、舞の後で神々を天空に返す神返しからなる。この湯立ての神事は、花祭の中でも最も重要なものとされている。

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主な舞は、はばちの舞、御神楽、市の舞、地固めの舞、花の舞、山見鬼、三つ舞、おつるひゃら、巫女、ひのねぎ、四つ舞、翁、湯ばやしの舞、茂吉鬼、獅子と多い。

この花の舞は、稚児舞とも呼ばれ、6〜12歳の少年が花笠をかぶって3〜4人で舞うものである。

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神の出現を意味するものは、山見鬼、榊鬼が中心である。この榊鬼は、花祭の目的である「生まれ清まり」を実現するための呪法である「へんべ」を踏む唯一の鬼で、祭りのシンボルでもある。

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おつるひゃらは、地区によりおちりはりあるいは天の岩戸開きなどと呼ばれ、ひのねぎと巫女の供としておかめとひょっとこが登場し、すりこぎやしゃもじを手に性的な仕草で面白おかしく舞う。

2015-02-07 湯谷温泉

[][]湯谷温泉 21:38

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鳳来寺山パークウェイを下って近くの湯谷(ゆや)温泉に泊まる。湯谷を中心に宇連川(うれがわ)の上流・下流約5kmの渓谷を鳳来峡と呼んでいる。その川沿いに広がる、湯谷温泉の歴史は古く、開湯は1300年前であるとされる。

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開湯伝説によれば、鳳来寺の開祖・利修仙人により発見されたと伝わる。「長篠村史」には「仙人は温泉の優れた効力により心身の調和をとり、修行を極めて悟りを開き(中略)実に308歳の長寿を全うした」との記録が残る。

宇連川の上流の川底は流紋岩流紋岩質凝灰岩が、下流には頁岩層があり、ともに板を敷き詰めたように見えるので、板敷川とも呼ばれている。平らのところが多いのだが、所々に大岩が見かけられる。この宿の前に見える岩は「しんのこ岩」と呼ばれている。その左の深くて流れの緩やかな「ながとろ」辺りは水泳可となっている。

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板敷川の右岸に数件の宿が並び、向かいの森の上にはとび(鳶)が群れ飛んでいる。

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湯谷温泉の泉質は、ナトリウムカルシウム塩化物泉で、皮膚病に効能があるという。源泉温度は35.9℃のため加温している。この宿では無料貸切風呂も含め、すべての風呂から板敷川の清流が眺められてゆっくりくつろげる。

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川端近くの露天風呂せせらぎからは、川の流れの風情を間近に感じ取れる

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料理は奥三河の郷土色豊かな食材や三河湾の魚介を使った料理で、十分満足できる。

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大浴場脇の露天風呂から眺める景色も素晴らしい。

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この宿ではとびの餌付けをしているそうで、時間前には宿の正面の巨木のてっぺん近くに何羽も集まって来る。

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いよいよ餌付けが始まるのか数十羽のとびが群れ飛んで、今か今かと輪を描いている。

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餌付けが始まると数十羽が間近に飛び降りてきて、宿の係りが投げ上げる肉を巧みにくわえていく様子は壮観である。多い時には200羽近く飛来するという。

2015-02-06 鳳来寺

[][]鳳来寺 22:02

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東照宮の石段を下ってさらに先の鳳来寺に向かうとすぐに、元三堂趾という石碑がある。江戸時代後期の三洲鳳来寺絵図や鳳来寺略縁起の景観では、薬師堂(本堂)や三重塔、弘法大師堂、元三大師堂などが描かれているという。

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古めかしい狛犬が道端に祀られている前を通り過ぎると、左下から上がってくる表参道に合流する。

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杉の多い鬱蒼とした参道を進むと、急に開けて広場となり鳳来寺本堂が現れる。寺伝によれば、鳳来寺は山城国生まれの利修仙人が大宝3年(703)に開山したと伝わる。文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名および山名の由来となっている。利修の加持祈祷が功を奏したか、天皇は快癒。その功によって伽藍が下賜されたという。利修仙人作とされる薬師如来を本尊として祀ったのが始まりとされ、ほかにも日光・月光菩薩、十二神将、四天王も彫刻したという。

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鎌倉時代には三河御堂の一つとして栄え、戦国時代からは松平家と関係が深まった。徳川家康が鳳来寺の薬師如来の申し子であるという仏縁によって、江戸幕府の庇護を受け、最盛時には天台宗方12、真言宗方10の合わせて21院坊、寺領1350石の寺勢を誇った。明治初期の神仏分離により鳳来寺と東照宮が分離され、鳳来寺は著しく衰退した。明治末期に真言宗高野山の所属となり規模縮小して存続が図られた。鳳来寺山麓の表参道沿いには、元天台宗の松高院と、真言宗の医王院が今でも残っている。

鳳来寺本堂の裏手には鏡岩と呼ばれる岸壁がある。この鏡岩そのものが信仰の対象であり、その下から古鏡などが多数発見されている。

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鳳来寺山は過去に何度も大火に見舞われ、その度に建て替えられてきた。大正3年(1914)にも本堂を焼失したが、昭和49年(1974)に再建された。開祖とされる利修仙人は伝説の人で、色々な話が伝わっている。仙人は地元で悪さを働いていた三匹の鬼を改心させ、従者として従えていたそうだが、878年に308歳で亡くなる際、この三匹の鬼たちも仙人を慕って供をしたという。その鬼の首は鳳来寺本堂の下に封じられたとされる。その鬼の供養に寺の僧と村人が踊った田楽が今も地元に伝えられている。

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鳳来寺本堂の脇には田楽堂が建っている。毎年1月3日にそこで鳳来寺田楽が演じられる。この鳳来寺田楽は鳳来寺が扶持を与えて田楽衆に奉仕させたので寺田楽と呼ばれ、田遊びの行事のみではなく、修正会や延年、国家鎮護の祈願や最も古い時代の舞の形が所々に残っているといわれる。

標高約450mの本堂前の展望台からは、深い谷底に門谷表参道の家並みがかすかに見下ろせる。彼方に見える尖った山は雁峰山(628m)だろう。

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本堂の左手から奥の院に進むとすぐ右側に苔むした護摩堂が建っている。

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護摩堂の中には、誰かわからないが二つの像が祀られていた。

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さらに右に本堂の裏手に上がると、鎮守三社権現堂が建っている。

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鎮守三社権現堂は東照宮と同じく、山王権現・熊野権現・白山権現を祀っている。本堂が罹災した時には、仮本堂の役割を果たしたという。

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祖師堂下まで戻り、左の奥の院への道を進むと、鏡岩の下に出る。歴代住職の墓であろうか、洞窟の手前にはたくさんの石塔や石仏が立てられている。道の先には、昭和34年に再建された大きい鐘楼が建っている。梵鐘には棟方志功による十二神将が刻まれている。

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奥の院から山頂周遊の道は険しそうなので、無理せずここで引き返すことにした。鳳来寺本堂を過ぎて表参道を下って行くとまもなく、左手に東照宮の鳥居があるので潜って駐車場に戻った。

2015-02-04 鳳来山東照宮

[][]鳳来山東照宮 21:20

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豊田市香嵐渓から東に進み、静岡県との境に近い新城市鳳来寺山に向かう。鳳来寺は表参道の石段が1425段あり、徳川家光により建てられた仁王門を見ながら登るのは時間が足りないので、東南から鳳来寺山パークウェイにて山頂駐車場まで車で上る。標高約360mあり、あたりは紅葉真っ盛りであった。

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蓬莱山東照宮に向かって見晴らしのよい遊歩道を進むと、まもなく正面に鳳来寺山が見えてくる。鳳来寺山は松の緑に覆われているが、道の脇には真っ赤な紅葉が鮮やかに燃えている。

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左手には深い谷底に門谷表参道の家並みが見下ろせる。家並みの手前から右に石段を登って、表参道は鳳来寺に向かっている。

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標高695mの鳳来寺山山頂は、瑠璃山とも呼ばれる。「声の仏法僧(コノハズク)」が生息することで知られ、国の名勝及び天然記念物に指定されている。山頂のすぐ左手に奥の院があり、すぐ右手の大きな岸壁は鏡岩という。鏡岩の少し下に鳳来寺の鐘楼の屋根が小さく見える。

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やがて杉の大木が林立する薄暗い境内が見えてくる。東海自然歩道の案内板があり、大野からの登山道湯谷温泉から湯谷峠を通ってくる登山道も表示されている。

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鳳来山東照宮は、日光久能山と並ぶ三大東照宮の一社を称している。石段の周りには杉の巨木が高く聳えている。

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石段を上ると石鳥居の先に石柵の玉垣(折曲り延長約76.5m、国重文)が巡らされ、その中に拝殿が建っている。東照宮は家康を祀る神社であるが、その関係は家康生前に遡る。「東照社縁起」によれば、家康の父・松平広忠は、天文10年(1541)に正室・於大(伝通院)との間に子が出来ないことを憂い、祈願のために夫妻揃って領内の鳳来寺に参籠したところ、伝通院が東方より現れた老翁に金珠を与えられる夢を見て、間もなく家康を懐妊したという。

慶安元年(1648)日光東照宮へ参拝した折に改めて「東照社縁起」を読み感動した3代将軍家光が、鳳来寺本堂修復と薬師堂の再建を発願、合わせて新たに東照宮の創祠を計画し、造営を進め、後を継いだ4代将軍家綱により慶安4年(1651)に社殿が竣成、江戸城紅葉山御殿に祀られていた「御宮殿(厨子)」と御神体である「御神像」を遷祠したのが始まりである。

拝殿は桁行3間、梁間2間の入母屋造で、正面に1間の向拝を設け、鬼板・烏衾を置く。屋根は桧皮葺、慶安4年の造営で、国の重文に指定されている。

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主祭神はもちろん徳川家康(東照大権現)で、「鎮守3社」と称される山王権現、熊野権現、白山権現を合祀している。

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拝殿の裏手にある本殿は、桁行3間、梁間2間の入母屋造で、1間の向拝を付け、屋根に千木を置く。本殿正面に1間平唐門の中門があり、中門から左右に透塀の瑞牆が本殿を囲んでいる。屋根は桧皮葺、慶安4年の造営で、国の重文に指定されている。

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本殿内陣に納められた宮殿は、入母屋造妻入黒漆塗で、軸部や組物に金物を多く打って壮麗である。柱は円柱、粽を付け、中ほどに葵紋の金物を押す。頭貫、台輪を通し、詰物で組物を置き、二軒、木瓦葺とする。内部は黒漆塗、鏡天井で、浜床を置き帳台を立てる。螺鈿、蒔絵を施した手の込んだもので、中に神像を納める。

本殿内部は見学できないが、外回りだけでも豪華絢爛で、虹梁・木鼻などの彫刻は見応えがある。

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拝殿背面中央には桁行2間、梁間1間、切妻造妻入の幣殿が角屋状に接続している。