半坪ビオトープの日記

2013-12-11 アイヌ文化の森

[][][]アイヌ文化の森 20:30

f:id:hantubojinusi:20130810130957j:image

旭川市北西にある広大な自然公園嵐山」の園内に「アイヌ文化の森・伝承のコタン」がある。駐車場から石狩川の支流、オサラッペ川に架かるチノミシリルイカ橋を渡って公園に入る。チノミシリとは、我ら祈る場つまり聖なる山の意であり、ルイカとは橋の意である。

f:id:hantubojinusi:20130810133831j:image

橋の手前の河川敷には、オオハンゴンソウ(Rudbeckia laciniata)の黄色い花がたくさん咲いていた。北米原産の帰化植物で、日本には明治中期に導入され、1955年には野生化した。今では全国に定着、繁殖しているため、環境省の特定外来生物として駆除が進められているが、繁殖力が強く根絶は難しい。手前の朱色の八重咲きの花はヤブカンゾウ(Hemerocallis fulva var. kwanso)である。中国原産の多年生草本であり、栽培されていたものが全国で野生化している。八重咲きで結実しないが、匍匐茎を出して、主に河川敷で繁殖している。

f:id:hantubojinusi:20130810131058j:image

上川アイヌの人々が聖なる地として崇めてきた嵐山の麓にある、北邦野草園内に旭川市博物館の分館「アイヌ文化の森・伝承のコタン」がある。

嵐山公園センター内にはアイヌ文化資料館が併設されている。

f:id:hantubojinusi:20130810131116j:image

資料館入口にツリガネニンジン属の花が咲いていた。モイワシャジンの変種であるシラトリシャジン(Adenophora pereskiifolia ssp. uryuensis)と思われる。北海道西部、雨竜地方の特産種で、蛇紋岩地帯に生え、高さは30cmほどになる。葉はやや厚く、楕円形で互生する。花冠は先が広がった漏斗形で淡紫色である。

f:id:hantubojinusi:20130810131305j:image

館内に入るといくつか鉢植えがあった。真っ赤な花びらの花は、エンビセンノウ(Lychnis wilfordii)である。北海道日高山脈、本州の埼玉県長野県の山地の草原に稀に生える多年草で、高さは50~80cmになる。茎の先に集散花序を出し、径3cmほどの深紅色の花を開く。5個の花弁の先端がツバメの羽(燕尾)のように4つに裂ける。

f:id:hantubojinusi:20130810131640j:image

おりしも「アイヌの人びとの植物利用」の展示もされていた。これは樹皮で作ったアットゥシ(厚司)というアイヌの着物である。ニレ科のオヒョウの木の樹皮から作った繊維で織る布で、黄色味を帯びている。それにアイヌ紋を背や裾に刺している。

f:id:hantubojinusi:20130810131717j:image

左の二つの袋は、サラニプという編み袋である。その下にあるのは、タラという背負い縄である。これらも樹皮からとる繊維で作る。長い棒はオオウバユリの掘り具である。その右の写真がオオウバユリで、トゥレプの名で食用にされ、アイヌが用いる植物質食品の中では穀物以上に重要視された。その下のドーナツ状のものが、オントゥレプという発酵させたオオウバユリで、こうして保存食にする。

f:id:hantubojinusi:20130810133340j:image

資料館の右手に北邦野草園の入口がある。緑深い野草園には約600種類の植物が生育し、北方系野草の集成群としては国内唯一の野草園とされる。

f:id:hantubojinusi:20130810132712j:image

野草園の右手に、アイヌの人達の住居「チセ」3棟および食料庫(プー)やトイレ(アシンル)を復元展示している。

f:id:hantubojinusi:20130810132755j:image

掘立柱建物であるチセの中央には囲炉裏(アペオイ)が切られ、最深部の壁には神聖な窓(カムイプヤラ)が設けられている。

石狩川をもう少し下ると、アイヌ語で神の住む場所という神居古潭カムイコタン)がある。石狩川の急流を望む景勝地で、春の桜、秋の紅葉が美しく、奇岩や甌穴群に伝説が残るアイヌの聖地なのだが、今回は行きそびれてしまった。

8月上旬に旭川から大雪山の廻りを一周しながら、4回日帰りトレッキングを試みた今回の北海道旅行もこれで終わりとなった。旭岳など登りたい山がまだ残っているので、いつの日かもう一度訪れたいと思う。

2013-12-10 兵村記念館

[][][]兵村記念館 20:51

f:id:hantubojinusi:20130810153500j:image

旭山動物園の手前に、旭川兵村記念館がある。旭川村の屯田兵は、明治25年(1892)に家族とあわせて400戸2,334人が入地している。その旭川の兵村の人々の開拓の熱意と苦労を後世に伝えようと資料を集めて、昭和56年に記念館が建てられた。

f:id:hantubojinusi:20130810145159j:image

旭川兵村の米作りは、厳寒の地での過酷な開拓の中、数々の農機具の発明や稲籾の品種改良など上川稲作のパイオニアとなり、「上川百万石の礎」と呼ぶにふさわしく、後続の道東、道北方面の稲作普及にも貢献した。

f:id:hantubojinusi:20130810145604j:image

館内には屯田兵にまつわる資料の展示室と、当時の住居を復元した屯田兵屋が常設されている。屯田兵屋の中半分は土間で、そこにむしろを敷き、雨の日も夜も農作業をした。居間の囲炉裏には一日中薪を絶やさず煙で虫を防ぎ、家族揃って囲炉裏を囲んで暖をとっていた。

f:id:hantubojinusi:20130810150326j:image

屯田兵とは、明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士とその家族である。明治7年に制度が設けられ翌年から実施、明治37年に廃止された。

明治25年に旭川兵村に入植した屯田兵は、練兵場を開設し、午前中は軍事教練を受け、午後は家族とともに開墾作業や農作業に励んだ。道具類も多数展示されている。

f:id:hantubojinusi:20130810150818j:image

兵村の人々の写真がいくつか掲げられている。これは、わら細工講習会後の1世2世の記念写真。

f:id:hantubojinusi:20130810152125j:image

屯田兵に支給された軍服も展示されている。一番右の黄色のモールの付いている肋骨状の軍服は、明治6年に制定されたフランス式の騎兵の軍服である。

f:id:hantubojinusi:20130810152406j:image

屯田物語原画綴」の著者広沢徳治郎が描いた「屯田絵巻」4巻の複製が展示されている。

f:id:hantubojinusi:20130810152457j:image

森林の木を切り倒して、切り株の間を耕し、種を蒔いている様子が手に取るように分かる。

f:id:hantubojinusi:20130810145149j:image

兵村記念館の右手に旭川神社がある。兵村に屯田兵が入植した翌明治26年に、天照大神と木花開耶姫命を祭神として、早くも本殿を造営している。

f:id:hantubojinusi:20130810153436j:image

旭川神社参道、兵村記念館手前に「神迎える楡」と呼ばれるハルニレの大木がある。幹廻り5.6m、樹高18m、推定樹齢300年以上とされ、全国で11位、道内で4番目に大きいという。アイヌの口承神話のユーカラでは、アイヌの祖神ラックルは雷神とハルニレの女神の子とされている。また、神々がハルニレの樹から火をおこし人間に授けたともされる。

2013-12-09 ジンギスカン、男山酒造

[][][]ジンギスカン、男山酒造 20:18

f:id:hantubojinusi:20130810115936j:image

旭川市内で3回目の昼食は、ジンギスカンにした。最近リニューアルしたという「松尾」の大町店は新しくて清潔な雰囲気が漂う。

f:id:hantubojinusi:20130810112141j:image

初めての方用の「お試しセット」を頼むと、特上ラム肉、ラム肉、焼き野菜大盛りに雪わさびがセットになっている。

f:id:hantubojinusi:20130810113812j:image

野菜を周りで焼きながら、中央でラム肉を焼く。生タレに漬け込んであるので、とてもジューシーで美味しい。脂も少なくクセもないので飽きがこない。肉を追加して、旭川ジンギスカンを満喫した。

f:id:hantubojinusi:20130810141554j:image

レンタカーを返す前なので酒は飲めないが、自分の土産用に旭川地酒を求めて「男山酒造り資料館」を訪れた。男山は、寛文年間(1661~73)に木綿屋山本三右衛門が伊丹醸造を始めたのが始まりとされる。江戸幕府から将軍家御膳酒に指定され、歌舞伎などの文化にも定着し、歌麿の浮世絵にも描かれるようになる。

f:id:hantubojinusi:20130810141839j:image

19世紀初頭には、江戸に下る伊丹の酒として最高量となり、28万樽を記録して、男山の銘柄は日本の美酒の代名詞となった。その後、灘・伏見の酒に人気が移り、明治初期に伊丹の男山は廃業となった。現在の男山(株)の前身の山崎酒蔵は、1899年に旭川で創業した北海道では老舗の酒蔵である。1968年に元祖男山である伊丹の山本家末裔から印鑑が継承され、男山(株)に改称した。

f:id:hantubojinusi:20130810141856j:image

資料館には昔の酒造り道具がたくさん展示されている。槽(ふね)と呼ばれるテコの原理を用いて酒を搾る機具や、キツネ桶、暖気樽など珍名も多い。

f:id:hantubojinusi:20130810142238j:image

男山を愛飲していたという喜多川歌麿の浮世絵「名取酒六家選・若那屋内白露・木綿屋乃男山」には、新吉原の若那屋で筆頭遊女だった白露の左上に、男山の四斗樽が描かれ、「木綿屋乃男山」と記されている。

f:id:hantubojinusi:20130810142201j:image

歌川国芳の浮世絵「誠忠義臣名々鏡」では、吉良上野介を討った赤穂四十七士が男山の樽から祝酒を呑む姿が描かれている。

f:id:hantubojinusi:20130810142116j:image

ほかにも安藤広重の「太平喜餅酒多々買」や、北側月麿の「酒泉日ノ出の入舩」などの浮世絵も展示されていた。

試飲コーナーには無料と有料のものがあり、江戸時代の浮世絵にも描かれた名酒の名を冠した「木綿屋七ツ梅」などの蔵元限定品は有料となっていた。

2013-12-08 旭川市博物館

[][][]旭川市博物館 21:04

f:id:hantubojinusi:20130810104718j:image

北海道最後の日は、旭川の街中を観て回った。旭川市博物館は、旭川市音楽堂、国際会議場とともに大雪クリスタルホールの中に併設されている。

f:id:hantubojinusi:20130810103514j:image

常設展示室の上層階には、先住民のアイヌの人々やそれ以前の古代の人々、または明治以降屯田兵として入植してきた和人達など各時代の住居を復元移築している。併せて当時の生活用品などを展示し、人々の暮らしぶりを伝えている。

下層階では、北国の自然と人間の関わりをテーマに多数の資料を展示している。

アイヌは固有の言語や宗教を持ち、北海道サハリン南部千島列島などに先住してきた人々で、この上川盆地にもペニウンクル(川上の人々)と呼ばれるアイヌが暮らしていた。農耕に従事し、鍛冶によって道具を造り、外洋を往復して広く交易を行い、時には他の人々と争うこともあった。

f:id:hantubojinusi:20130810095422j:image

チセというアイヌの掘立柱住居の奥が主人夫婦の席で、後ろには交易で集められた漆器の宝器や祭器が並べられている。首長夫妻のチセには、これらの「うしろだて」となる宝器や祭器がもっとたくさん積み並べられるという。宝器や祭器にある精霊が背後から見守ってくれるという考えは、セレマク(陰)の思想と呼ばれる。

f:id:hantubojinusi:20130810100049j:image

10世紀以降、北海道アイヌは、サハリンから南下して北海道の北半分を占めていたオホーツク人を排除・同化しながら全道に進出する。さらに11世紀前半にはサハリン南部、13世紀以降は千島へも進出し、15世紀にはカムチャッカ半島まで活動圏を拡大していた。モンゴル帝国(元)は13世紀半ばにはアムール川河口部に東征元帥府を設置していたが、アイヌはサハリンに侵入するだけでなく大陸に渡って村々を襲い、略奪を行って元軍の手を焼かせていた。元軍は時に兵1万人・舟1千艘を派遣してアイヌを攻撃・排除した。1308年にアイヌは毎年毛皮を貢納することを約束し、元に降伏したと、中国の資料「元史」に記録されている。

明王朝は、元が東征元帥府を置いた場所に、奴児干都司(ぬるがんとし)という役所を置いたが、その経緯を記して建立された「勅修奴児干永寧寺記」(1413年)には、アイヌが貢ぎ物を携えやってきたと記されている。

f:id:hantubojinusi:20130810100357j:image

アイヌの古い時代には、樹皮衣・魚皮衣・獣皮衣があったが、木綿が入るようになってからは華やかなルウンペ(木綿衣)がつくられるようになった。右は北海道アイヌのアットゥシ(厚司)という樹皮衣、左はサハリンアイヌのアハルンという樹皮衣である。

f:id:hantubojinusi:20130810100440j:image

女性は儀式の時には鉢巻きを締め、首飾りや耳飾りをつけて正装する。タマサイという首飾りは、中国大陸や和人社会から入手したガラス玉で作られている。黒と青の玉が好まれたという。上の丸い耳飾りは、ニンカリという金属製の環状ピアスで、男性もつけていた。

f:id:hantubojinusi:20130810100502j:image

アイヌは神や先祖にお神酒を捧げる時、イクパスイ(イク[酒を飲む]・パスイ[箸])という独特の儀礼具を使う。通常上面には草花文や縄目の結束文などの抽象的な文様の彫刻が施されている。漆が塗られたものもある。

f:id:hantubojinusi:20130810101256j:image

左下に見える御幣に似た木を削ったイナウは、アイヌの祭具の一つで、カムイや先祖と人間の間を取り持つ神への供物である。

右下の熊の彫物の左にある楽器は、カラフトアイヌが用いていた五弦琴でトンコリという。近年、数少ない伝承者による演奏活動が各地で行われている。

上川アイヌの村は、石狩川や忠別川の氾濫原から一段上がった河岸段丘に集中しているが、多かったサケや、シカ、オオウバユリの鱗茎などを食料源としていた。

f:id:hantubojinusi:20130810101522j:image

ところが、より古い縄文時代の遺跡は河岸段丘にはほとんどなく、湧き水のある場所で、早期・前期・中期・後期と盆地一面に広がっている。つまり、縄文時代にはサケの産卵場に遺跡がなくサケに執着していなかった。擦文時代からアイヌの時代には、サケの産卵場と丸木舟の運航に適した場所が集落立地の場所として選ばれている。その転換の理由は、擦文時代の中頃の10世紀頃から本土との交易が活発になり、毛皮とともにサケも交易品として必要になったのではと考えられている。

f:id:hantubojinusi:20130810101949j:image

オオウバユリの鱗茎は、アイヌではトゥレップの名で食用にされ、穀物以上に重要とされた。

その下にあるペラアイという漁具は川魚を射る弓矢のへら型の矢である。

2013-12-07 日高山脈博物館

[][][][]日高山脈博物館 21:21

f:id:hantubojinusi:20130809102405j:image

帯広駅の近くに、世界で唯一といわれるばんえい競馬場がある。頑丈な馬が重りを載せた鉄ソリを引いて力とスピードを競う。北海道開拓時代の遺産として帯広市が運営している。隣接する「とかちむら」では、産直市場、観光センター、馬の資料館、飲食店などを集めて、帯広観光の拠点を狙っている。

f:id:hantubojinusi:20130809122617j:image

日高峠の道の駅樹海ロード日高」には食事処「手打そば太郎」がある。

f:id:hantubojinusi:20130809123607j:image

日高名物の「やまべ天ざるそば」は、日本一の清流、沙流川で育った山女魚の天ぷらと、こしのある太目の手打ち麺が楽しめる。

f:id:hantubojinusi:20130809125149j:image

樹海ロード日高には、日高山脈の様々な自然を紹介する、町営の日高山脈博物館がある。

f:id:hantubojinusi:20130809125436j:image

日高山脈には、多くの種類の石や鉱物、化石がある。日高山脈ができる前、この辺りは海の中で、白亜紀頃のアンモナイト、イノセラムス、サンゴなどの化石が見つかっている。

f:id:hantubojinusi:20130809130140j:image

北海道中軸部に分布する約1億2000万〜6800万年前の白亜紀の地層は、蝦夷層群と呼ばれ、ロシアサハリンまで続いている。堆積期間は5000万年以上あり、500種類以上のアンモナイトが報告され、世界的に有名なアンモナイト産地となっている。この大きなアンモナイト、小さな六射サンゴ、一番右の笠型巻貝も日高町産出である。

f:id:hantubojinusi:20130809125833j:image

日高山脈の自然と生き物コーナーでは、樹木や高山植物昆虫や蝶、ヒグマなどの動物が展示されている。カムイコザクラ、エゾタカネセンブリなど日高山脈特産の花は興味深い。

f:id:hantubojinusi:20130809125942j:image

最新の氷期シベリアからマンモスとともに渡ってきたエゾナキウサギは、大雪山日高山脈の山岳地帯に生き残り、「生きた化石」といわれている。ヒグマと違って冬眠せずに、秋に蓄えた木やコケを食べて冬を越す。

f:id:hantubojinusi:20130809125703j:image

山脈館屋上の雲海テラスからは、日高地区の周りの山々が見渡せる。あいにくの雨だが、南東方向のこちらには北日高岳(751m)があり、その奥には幌尻岳(2,052m)があるはずである。

f:id:hantubojinusi:20130809125717j:image

こちらの北東方向には、スキー場で有名なトマム山(1,239m)があるはずだが、残念ながらどれかはわからない。

この後、雨の中を上富良野を経て、白金温泉に泊まった。