半坪ビオトープの日記

2011-07-03 当麻寺、中之坊、香藕園

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中之坊の庭園「香藕園(こうぐうえん)」は、古くから大和三名園(竹林院、慈光院と)と賞される池泉回遊式兼鑑賞式庭園で、史跡、名勝の指定を受けている。鎌倉時代に起源を持ち、桃山時代に完成し、江戸初期に改修された。心字池に亀島などの出島が配されている。

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天平の三重塔(東塔)が借景として映え、心字池にその影を落とす。

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江戸初期に後西天皇を迎えた中之坊書院は、こけら葺きの情緒豊かな建築で、隣り合わせの茶室とともに重文に指定されている。

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客殿の前にも牡丹が咲いている。客殿の絵天井は、昭和初期から平成に亘る多くの画家が奉納した名画で飾られている。この絵天井の間では中将姫の表した仏の姿を描き写す「写仏」を体験できる。 

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庭の片隅に歌人釈迦空の歌碑がある。「ねりくやう すぎてしずまる 寺のには はたとせまへを かくしつゝゐし」釈迦

釈迦空こと折口信夫は、中学校を卒業する明治38年頃に中之坊に滞在していたそうで、二十年後にそのときを回想してこの歌を詠んだという。

中将姫伝説をもとに折口信夫が「死者の書」を書いたのは、その後十年ほど後のことになるが、構想はかなり前からあったはずである。

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最後に霊宝館にて収蔵されている宝物を見る。古い経巻や仏画のほか、日本最古という中将姫剃髪剃刀や毛髪による刺繍、画像など中将姫関連のものも多く展示されている。霊宝館前の黄色の牡丹を最後に、先のGWに見て回った、吉野から長谷、室生など飛鳥の廻りを訪ねる旅を終えた。

2011-07-01 当麻寺、中之坊

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当麻寺には平安時代に四十余房、江戸時代にも三十一房の僧坊があったと記録されるが、中之坊は筆頭寺院として最も古い由緒と高い寺格を持つ。

右に本堂があり、こけら葺きの書院の向こうには、東塔が見える。書院と塔のあいだに庭園がある。

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当麻寺が開創された際、役行者は熊野権現を勧請し、出現した場所に道場を開いた。奈良時代には中院、その後中院御坊、中之坊となった。

弘仁時代に弘法大師が中之坊実弁を弟子として真言密教を伝え、以後真言宗の道場となった。庭園、書院、霊宝館などの寺宝を残すほか、中将姫ゆかりの品々も多い。

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本堂は奈良時代に中将姫が剃髪した授戒堂で、剃髪堂とも呼ばれ、桃山時代の再建である。平安時代に中将姫の守り本尊である十一面観音を刻み本尊とした。

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一番奥にある十一面観音は、中将姫を手引きした「導き観音」と呼ばれて親しまれ、進学、就職、結婚など人生の節目に祈願に訪れる人が多い。女人の守り本尊としても信仰されている。

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本堂の裏にはこの茶筌塚や髪塚などがある。

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中将姫誓いの石は、一心に仏道を志す中将姫の強い信念により不思議にも石に足跡が付いたもので、それ以後女人禁制が解かれたという。

2011-06-30 当麻寺、西南院

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当麻寺の塔頭・西南院は、当麻真人国見が麻呂子親王によって草創された万法蔵院を、白鳳12年、百済の僧正恵潅を導師に迎え当麻寺として遷造した時、坤(裏鬼門)の守り寺院として創建されたのが始まりである。その後、弘仁14年に弘法大師が留錫した時より真言宗となった。

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関西花の寺第二十一番として、境内に入るとたくさんの牡丹の花が満開であった。本堂には本尊の十一面観音などが安置されている。

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撮影禁止なのでパンフの切り抜きを載せるが、弘仁時代の作である本尊の十一面観音菩薩は、一言の観音ともいう。端正な目鼻立ちと均整のとれた体付きは慈悲そのものを表すとされる。右の聖観音菩薩も弘仁時代の作で、肢体は豊満で腰をわずかにひねって悠然と立つ。左の千手観音菩薩は藤原時代の作で、全体に均整がとれていて優美である。三つとも重文に指定されている。

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江戸時代初期に造られた西南院の池泉回遊式庭園は、山裾に樹木を植え込み、心字池に亀島、鶴島の石組みを配し、西塔を借景にして変化に富む名園である。

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心字池の両端には水琴窟があり、妙なる音色を出している。水琴窟は、江戸の庭師によって文化文政の頃考案されたという。つくばいより流れ落ちた水が、土の中に隠された素焼きの壺の中の水面に落ち、その音が反響して琴に似た音色を出すものである。2ヶ所も設けられているのは珍しいが、近年に復元されたものという。

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奈良時代最末期から平安時代初頭に建てられた西塔は、東塔とは違い、三層ともすべて3間である。高い所に上れば東西両塔を眺める場所もあるそうで、紅葉の季節には写真マニアがたくさん集まるという。

2011-06-29 当麻寺、金堂

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当麻寺の山号は二上山、法号は禅林寺という。現在信仰の中心になっているのは本堂の当麻曼荼羅だが、創建時の本尊は金堂の弥勒仏である。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっている。

入母屋造、本瓦葺きの金堂は、鎌倉時代の再建で重文に指定されている。

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金堂の本尊である塑像弥勒菩薩座像は、当麻寺草創期の天武朝(681)の造像と推定されている。寺の本尊像を塑像とするのは比較的珍しく、現存する日本の塑像としては最古級の一つであり、国宝に指定されている。撮影禁止なのでパンフの切り抜きを載せる。

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金堂の内部は土間で、須弥壇の四隅を護る四天王像の作例としては法隆寺金堂像に次いで2番目に古く、白鳳時代の乾漆像としても日本で最古に属する。

多聞天像が鎌倉時代の木造となるなど、ほかのものも補修のあとがあるが、ともに重文に指定されている。切り抜きで見るように、この持国天像が比較的当初の部分を多く残しているそうで、後世の四天王像が一般に激しい動きと威嚇的ポーズを取るのに対し、穏やかな表情が印象的である。

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本堂から金堂を眺めると裏の方に東塔が見える。初重は通常通り3間だが、二重、三重を2間(柱が3本立ち、柱間が2つで、日本ではきわめて異例)とする特異な塔である。仁王門から見ると右にある講堂、左にある金堂の間の奥に本堂がある伽藍配置は珍しく、金堂の左(南)に縦に東塔、西塔の配置があるのも珍しい。近世以前の東西両塔が現存する日本唯一の例としてきわめて貴重とされる。

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金堂のすぐ裏にはかなり風化している古い石灯籠がある。白鳳時代の創建当初のもので、現存する石灯籠ではほぼ全形を残す最古の石灯籠とされ、重文に指定されている。

2011-06-27 当麻寺、本堂、講堂

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最後に訪れたのは、当麻寺(當麻寺、たいまでら)である。当麻寺といえば、当麻曼荼羅を織り上げた中将姫の物語、折口信夫の「死者の書」を思い出す。二上山に夕日が沈むときに見た大津皇子の幻のために、藤原南家の娘、中将姫は一心不乱に曼荼羅を織り上げていく、折口の代表的な幻想小説である。  

西方浄土の象徴といわれる二上山の麓にある、当麻寺の創建についての詳細は不明で諸説ある。一説には、豪族当麻氏の氏寺として飛鳥時代に建立されたものという。

また、当麻寺縁起によれば、推古天皇20年(612)聖徳太子の異母弟・麻呂古王が創建した寺院を後に移設したとされる。

山門(仁王門)をくぐると、梵鐘と中之坊などの堂宇が立ち並ぶ様子が見える。

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梵鐘は無銘ながら作風等から創建当時の遺物と推定され、太宰府観世音寺京都妙心寺の鐘と並んで、日本最古級の梵鐘として国宝に指定されている。

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当麻寺には中之坊のほか多くの僧坊がある。中之坊の裏には東塔が立っている。奈良時代末期の建立と推定されている国宝で、塔上の宝輪の上の水煙が魚の骨のような風変わりなデザインである。

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中之坊の向かいには宗胤院と千佛院という僧坊が並んでいる。千佛院には石庭付回遊式庭園があり、牡丹園と日本さくらそうの寺と銘打っている。

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右にある講堂、左にある金堂の間を抜けて、本堂で拝観の受付をする。曼陀羅堂とも呼ばれる本堂は、天平時代建立の国宝で、中将姫が蓮糸で一夜で織り上げたという伝説の当麻曼荼羅(古曼荼羅)を文亀年間に転写した文亀曼荼羅(重文、室町時代の絵)を安置している。国宝の古曼荼羅は絹織物で、傷みが激しいが秘蔵されている。

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鎌倉時代末期の乾元2年(1303)の再建である講堂は、寄棟造り本瓦葺きで、本尊阿弥陀如来座像(重文、藤原時代)など多くの仏像を安置している。