半坪ビオトープの日記

2012-07-17 二荒山神社中宮祠

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社殿の右側に男体山山頂奥宮への登拝門がある。毎年、開山祭り(5/5)から閉山祭り(10/25)まで開くそうだ。右手に二荒山上奥宮登拝口の標石があり、左手には本殿脇に良縁の松が見える。

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鳥居をよく見ると、二荒山神社の扁額の廻りに、三つ巴の神紋が四つあるが、向きが反時計回りの右三つ巴になっている。三つ巴には、細い尾から頭への向きで時計回りの左三つ巴と、逆回りの右三つ巴の2種類あり、多くは左三つ巴であり、この二荒山神社中宮祠の拝殿や賽銭箱、唐門の軒丸瓦の神紋も、日光山内の二荒山神社本宮の神紋もすべて左三つ巴なので、この鳥居の神紋は間違いと思われる。この登拝門の賽銭箱の神紋も、左三つ巴になっている。

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登拝門をくぐると杉木立の中を急な石段が続いている。これが男体山山頂奥宮への登拝道である。ほぼ一直線に約1200mの標高差を3時間半ほどかけて登るそうだ。今年の開山祭りには、300人ほどが山頂を目指したという。ちなみに昨年の登拝者は、約25000人だったそうだ。一合目の遥拝所までだと往復10分と書かれている。

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引き返すと、社殿の左に登拝受付所が見える。登拝する場合、入山料500円はここで払う。右の拝殿の向かい側、つまりここから見て左にさざれ石がある。

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学名は「石灰質礫岩」といい、岐阜県伊吹山が主要産地だが、これは群馬県産である。俗に「子持ち石」と呼ばれ、子授け・子孫繁栄の縁起の良い石という。

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さざれ石の手前に「扇の的弓道発祥の地」の扇形の石碑がある。文治元年(1185)屋島の合戦で那須与一が平家の扇を撃ち落とすとき、二荒山大神に願かけた故事にならい、弓道大会がここ中宮祠で開かれて50年ほど続いているという。拝殿の後ろに本殿の屋根だけ見える。

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拝殿の後ろ、登拝口の左にある本殿は工事中でよく見えない。3間社流造銅瓦葺漆塗りの本殿は、元禄14年(1701)の造営という。中門・掖門・透塀とともに重文に指定されている。

2012-07-16 二荒山神社中宮祠

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中禅寺湖の北岸、男体山山麓の景勝地に二荒山神社中宮祠がある。日光を代表する湖である中禅寺湖は、水面の海抜高度1269mを誇る。発見されたのは天応2年(782)日光開山の祖・勝道上人が男体山の登頂に成功した時、山の上から湖を見つけたという。

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中禅寺温泉から東表参道にある二の鳥居をくぐると、二荒山神社中宮祠の手前に、牛石が横たわっている。昔、馬返しより先は牛馬禁制の結界であり、この禁を破った牛が石にされたという。

明治時代以降存在が不明になっていたのを、平成21年に復元したという。ほかに女人禁制を破って石にされた巫女石が、赤い大鳥居の近くにあるという。

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延暦3年(784)男体山頂では参拝が困難なことから、ここ麓に二荒権現を祀る社殿を建てた。以後、山頂にある奥宮の遥拝所として発展し、日光山内にある本社との中間にあるので中宮祠と呼ばれている。

境内から中禅寺湖側に神門がある。見下ろすと浜鳥居があり、湖畔から石段の参道を上がったところに神門があることになる。神門から唐門が見える。

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中禅寺湖に向かって建つ唐門の右手前には手水舎がある。唐門の左右には透塀が付いていて社殿を囲っている。後ろに男体山が聳えている。天気がよければ山頂まで見えるはずであるが、残念ながら曇っていて一部しか見えない。

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唐門の先には拝殿が見える。右に見える入口は、男体山へ登る登山口に通じている。

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元禄14年(1701)造営の拝殿は、本殿と同じく総弁柄塗りで、入母屋、反り屋根造りである。祭神は、二荒山神社本宮と同じく、二荒山大神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命)である。唐門から拝殿まで、珍しいことに雨除けの屋根がかけられている。

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拝殿の左手には山霊宮(やまのみや)があり、その裏手に栃木県天然記念物で、推定樹齢1100年というイチイの神木がある。イチイは一位と書いて最高を表し、神職の持つ笏の材料にも使われる縁起の良い木でもある。山霊宮は、霊峰男体山を中心に日光連山八峰に篤い信仰を捧げた、徳行のあった人々の御霊を祀っているという。

2012-07-15 日光山輪王寺

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輪王寺大猷院から輪王寺へ戻る下新道の右手に東照宮宝物館がある。征夷大将軍宣旨や家康着用の南蛮胴具足など家康の遺愛品が展示されている。

日光山輪王寺は、下野国出身の勝道上人により開創されたと伝承されているが史書にその記録はない。境内の入口には大きな勝道上人像が立っている。昭和30年に日光市政発足記念に造られたもので、台座には推定32トンの巨大な自然石が使われている。

輪王寺の寺伝によれば、勝道上人は天平神護2年(766)神橋対岸に紫雲立寺(後の四本龍寺)を建てた。平安時代には嵯峨天皇から満願寺の寺号が下賜され、輪王寺の寺号が下賜されたのは、大猷院霊廟が建てられた後の明暦元年(1655)後水尾上皇の院宣による。後水尾天皇の第3皇子・守澄法親王が入寺し、以後、輪王寺の住持は法親王が務めることとなり、関東に常時在住の皇族として「輪王寺門跡」あるいは「輪王寺宮」と称された。寛永寺門跡と天台座主を兼務したため「三山管領宮」ともいう。比叡山日光上野のすべてを管轄して強大な権威をもっていた。戊辰戦争の後に明治政府により輪王寺の称号を没収されて旧称の満願寺に戻されたあと、明治15年にようやく輪王寺の寺号を許された。

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日光山内で最大の規模を誇る三仏堂は、嘉祥元年(848)に来山した慈覚大師により創建されたとされるが、現在の建物は正保2年(1645)家光が建替えたもので、現在10年がかりの大修理中である。数少ない天台密教形式の建物で、間口33.8m、奥行き21.2mあり、東日本で最大の木造建築物といわれる。屋根は銅瓦葺、堂は総朱塗り、柱は漆塗りのケヤキという。

三仏堂の内陣には、日光三社権現本地仏である、阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音が祀られている。金色本彫像の仏像は、台座から光背の先まで約8mある。江戸時代初期の作で、日本屈指の木彫大座像仏という。ほかにも東照三社権現本地仏である、薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来という掛仏の2組の三尊仏が祀られている。

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三仏堂の裏手にある大護摩堂では、随時、写経会が催されている。平成10年に完成した護摩祈祷所で、内陣には30体の神仏が祀られているが、コンクリートでできている。

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三仏堂の斜め裏手にある、青銅製の細長い塔は、相輪橖(そうりんとう)という。高さは13.2mある。寛永20年(1643)家光の発願によって天海大僧正がたてたもの。比叡山延暦寺にある天台宗宗祖最澄が初めて建てた宝塔を模して造られた。東照宮の魔除けであり、内部には1000部にもおよぶ経典が納められている。

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大護摩堂の右隣には護法天堂が建っている。本尊は毘沙門天、大黒天、弁財天という開運の三天である。三仏堂の本尊である阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音が、庶民がご利益をお願いやすいよう身近な姿に変わった天部の仏様である。日光山の重要な護摩祈願所だったが、今は大護摩堂がその坐を継いでいる。

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大護摩堂の左隣にある小さな神社は、光明院稲荷社という。鎌倉中期当山24世弁覚僧正が新たに光明院を建立し、日光山の本坊とした。その守護神として稲荷社を勧請、光明院稲荷社と称した。古くから日光山の五大稲荷として学業成就、家業繁栄の祈願に信仰されているという。

2012-07-14 輪王寺大猷院、唐門、拝殿

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夜叉門をくぐり拝殿の前、大猷院の中心に位置するのが唐門である。

承応2年(1653)に建てられた唐門は、1間1戸、高さ3mと大猷院内で最小の門である。

扉は両戒棧唐戸で上部には鳳凰、下部には唐草などの透かし彫りが施されている。門全体は金を基調に極彩色で彩られている。両側の袖塀の羽目には多くの鳩が彫られ、百間百態の群鳩とされている。

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屋根は唐破風、前面は丸柱、背後は角柱で、破風内部には雌雄の双鶴、欄間には白竜、木鼻には獅子が彫り込まれている。

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大猷院の中心伽藍は、拝殿・相の間・本殿から構成され、合わせて1棟が国宝となっている。建物全体に金箔が多用されていることから「金閣殿」とも呼ばれている。

拝殿は、桁行8間、梁間3間、入母屋造で、正面に大きな千鳥破風、向拝は軒唐破風になっている。建物全体が黒漆塗りの上に金箔を貼付けられ、彫刻を極彩色、高欄部を朱塗り、開口部を黒に塗るなど色分けし、本殿に比べると若干色調を押さえている。

拝殿内部も悉く金箔を置いた金殿玉楼で、広さは64畳敷である。中央に懸かる天涯は家光の妹(前田利常夫人)、大羽目前の蓮華の花瓶1対は紀州公、鶴亀の燭台は尾張公、釣燈籠はオランダ国王の献上によるもので、左右大羽目の唐獅子狛犬は、狩野探幽と永真安信の描いたものである。拝殿内部折上格天井には格子毎に140匹の竜が描かれている。

拝殿と本殿を結ぶ相の間の内部も拝殿同様結構の極みで、中央にある香炉等の三具足は前田利常の献上になる逸品であり、本殿との境には曻龍・降龍が描かれている。

特別公開で、お江の方の位牌ともども豪華な内部が拝観できてよかったが残念ながら撮影禁止だった。パンフの「日光大観」を買い求めておくしかない。

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本殿は桁行5間、梁間5間、2層入母屋造銅瓦葺で、建物全体が黒漆塗りの上に金箔を貼付けられ、彫刻を極彩色、垂木・高欄部を朱塗り、花頭窓周囲を黒に塗るなど色分けして格式と調和を図っている。本殿の最奥部の厨子(御宮殿)の中には家光座像と霊牌が、その前後には家光の本地「釈迦如来」が奉安され、さらに奥壁の裏に釈迦三尊画像がかけられているという。金彩を施された唐戸には、内外に唐獅子の高彫が嵌められている。

東照宮が「権現造り」を中心とした神仏習合形式であるのに対し、大猷院廟は「仏殿造り」の純仏教形式となっている。つまり、拝殿・相の間・本殿は権現造りの形式をとる神社建築だが、基壇の上に腰組で持ち上げた裳階付の本殿は、禅宗様の本格的な仏殿形式であり、日光東照宮本殿が千木を持つ純粋な神社建築であるのと大きく異なっている。

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本殿の左手裏、透塀の奥にも建物があるが詳細は分からなかった。

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本殿の右手透塀を挟む形で建つこの門は皇嘉門という。中国・明朝の建築様式で造られ、白漆喰の壁が竜宮城を連想させるので「竜宮門」の別名をもつ。門の天井には天女の画像が描かれている。この門の奥が家光の墓所である奥の院になっているが非公開である。

2012-07-13 輪王寺大猷院、夜叉門

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二天門よりも豪華と思われる夜叉門も、二天門と同じく承応2年(1653)に建てられた八脚門で、切妻造銅瓦葺、正面には唐破風が付いている。

朱色を基調として組物と金物が金、彫刻が極彩色で彩られ、牡丹唐草牡丹の彫刻が多用されていることから牡丹門の別称がある。

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夜叉門の内部には東西南北を表している色違いの毘陀羅像、阿跋摩羅像、烏摩勒伽像、健陀羅像が安置され、夜叉門が大猷院の中で霊廟の鎮護に当たっていることが分かる。

正面右側の緑色の肌の夜叉は、阿跋摩羅(あばつまら)という。

正面左側の赤色の肌の夜叉は、毘陀羅(びだら)という。壁面には牡丹唐草の透かし彫りが施されている。

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背面右側の白っぽい肌の夜叉が、健陀羅(けんだら)という。

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背面左側の青色の肌の夜叉は、烏摩勒伽(うろまきゃ)という。右手に持つ矢の長さをとって、毎年買い替えなくてもよい金属製の龍神破魔矢として大猷院内各所で売っている。

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夜叉門に向かって右手には、大きな鐘楼がある。桁行2.5間、梁間2.1間、入母屋銅瓦葺きで、下層部には袴腰、上層部には高欄が廻されている。全体的に黒を基調とし、金物を金泊、組物・彫刻を極彩色に彩っている。

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向かって左手には、大きな鼓楼がある。造りは鐘楼と同じである。鐘楼・鼓楼の周辺には33対66基の燈籠がある。燈籠は唐銅(からかね)製で、10万石以上の諸大名から奉納されたものである。