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中国語は絶対、勉強するな!

中国語習得のためにしていることや考えたことを記録していきます。
目標は中国語の文章を読めるようになること。中国語の話を聴き取れるようになること。中国語で自分の文章を書けるようになること。ただ、それだけです。

2011-12-08

レッスンという名の舞台

今は週に一回、skypeで発音を見ていただくレッスンをお願いしています。

中国語関係について、読んだり聞いたり見たりといろいろなことをやっているかのようなことを書いていますが、常に自分にとって一番の中心なのは、レッスンの準備と復習と、そのレッスンです。

発音レッスンの準備と復習は何かというと、自分が音読をしたり、お手本を聞いては、そのお手本を真似して発音したりすることが中心でした。

さらに課題の中国語を咀嚼するように読むことと、レッスンを録音して、それを聞き返すことも効果があります。

「効果があります」などと自分で書くと、「おいおい」と、老師からツッこまれているような気もして少し恐いのですが、当社比では135%くらいの効果を感じられます。。。たぶん。


先月から、ひたすら「匆匆」の音読をしているのですが、そもそもわたしには難しい用語がある上に、ぴんと来ない描写がいくつかあったのですが、およそ一か月読み続けると、ようやく文章の意味がわかるようになってきた気がします。

音読をする前に自分で翻訳をしたのですが、ここでは辞書をひきひき訳していたに過ぎず、ただ中国語という言語を日本語という語彙に置き換えてみましたァの水準でした。

同じ文章を何度も何度も音読をして、発音をみていただいていると、それなりに、間違いも直ったり直らなかったりを繰り返しながら、少しずつ発音が修正されているようなのですが、またその発音以外にも、文章の理解度が深まります。

発音を意識しながら、読むことに精いっぱい状態は続いているのですが、ようやくこのテキストの音と意味が繋がってきた段階です。

そして、一か月前にこの文章を読み始めた頃は、作者である朱自清が、自分の一生の短さを嘆いているような印象だけでした。それが、読み始めて一か月たった今は、自分の目の前から「逃げていく」ものを捉えるようとして、決して捉えられない様々な描写に目がいきます。この文章の全てが、この自分から逃げ去るものへの描写とも言えます。

ただ、決して言語の置き換えだけでは、伝わらないことだとも思いますし、また決して文学性などという問題ではなく、この伝わらなさが言語の違いなのではないかと思います。と同時に、それでも拙い翻訳であっても、基の文章自体に含まれている物たちの純度が高ければ高いほど、それなりの翻訳でも何かしら作者が記そうとした小さな断片たちが、心に届くこともあるのだと思います。


最初の頃のわたしの音読は、もちろん和訳をして意味を捉えていたつもりのはずなのに、老師の聞くところで読んでいると、だとだとしく四声つきのピンインという言語を読み通しているだけだったのが、わたし固有であるらしい過ちを何度も何度も修正を繰り返して、間違いではない音に近づくにつれて、ようやく自分の口から出てくる音に意味がついてきたような気がします。

そのSkypeでのレッスンという決められた時間をすごすためには、相当な準備を繰り返しているのですが、自分で黙々と繰り返していると、はたしてこの音が正しいのか、わからなくなってきます。

そこでレッスンの録音音声を何度も聞いているのですが、ひとつには、まさしくレッスンを何度も繰り返すという、奇妙な面白さがあります。老師がダメを出されて、指摘された箇所を発音している自分の声と一緒にまた、わたしも音を出します。そこでまた、その音に対して指摘された説明が、まさしく今、自分の出した音へのコメントにもなっています。また何度も繰り返しているうちに、自分で口や舌の動かし方について、気づいたことを話している自分の言い分についても、頷いたり、それは違うだろうと思ったり。。を何度も何度も繰り返して、ようやく、わたしにとっての試験会場でもあり、観客が一人だけの舞台のような場所で本番を迎えることになります。


それだけ練習をしても、わたしの発音の進歩は蝸牛のような速度で、いまいち冴えない場所から、ゆっくりとどこかへ動いているだけのような気もするのですが、発音の練習とレッスンで得られるものは、決して口や舌の動きだけでな無いと思います。

それには、老師が選んでいただいた課題文の内容による要素も大きいとは思うのですが、何度も朗読を繰り返すことで自然と覚えてしまう言葉たちは、ビジネス用語ではないし、日常口語でもなく、すぐ使える言葉とは違うのですが、何度も何度も音に出すにつれて、とても純度が高い鉱石が現れてくるような感覚が味わえます。

わたしにとって中国語の発音練習は、永遠にたどり着けない天竺のような場所を目指しているような感覚になることもあるのですが、それでも、決して点数や時間では測りたくもない場所への道程だと思います。


わたしは、今まで決して多くは無い老師たちから、中国語を教わって来たのですが、その最初から、今の老師まで、ずっとひとつの流れに繋がっていて、同じような「何か」を教わり続けている気がします。

その「何か」は、決して中国語という言語のことではないのですが、その「何か」のために、これからも、できるだけ長く中国語はつきあいたいと考えています。そして、近くに中国語を話す人がいなくても、自分で中国語という音を出してこそ、中国語とはつきあえるのではないかと考えるようになりました。


では、スペースが余ったので、Adele の Chasing Pavements を聴きながら繁体字を。


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2011-10-26

老舍 《养花》 全訳

わざわざ全訳と書くほど長くない文章なのですが、これも「もとい」さんとの中文和訳競作になります。実は去年、大学生の第2外国語用教科書で若干編集されたこの文章を暗唱していたので、今までの和訳競作シリーズと比べると、とても簡単に進みました。とはいえ、教科書に省略されていた箇所や、日本語にし辛い箇所が何か所かありましたし、さらに自覚出来ずに誤訳してしまっている箇所もあるかもしれません。


昨年この文章を暗唱して、近所の老師の前で読んだのですが、自分の記憶では、同じテキストの他の文章の暗唱と比べて、「出来た」ような記憶もあったのですが、ちょうど去年の今頃の記録を読んでみると、ぼろぼろだったようです。

去年の「心に残る中国語」という教科書を暗唱していた記録を読んでみると、結局毎回、暗唱は途絶え途絶えだったように書いてあります。毎日の時間がたつのはとても早く感じるのですが、この毎週テキストの一課を暗唱していた時のことは、とても昔のような気がします。

また、この時の老師は中国文学を専門的に学ばれてはいましたが、決して外国人へ中国語を教えることを習ってはいないようでした。しかし、逆にそのような老師だったからこそ、文法的なことや、練習問題をやるようには言われず、小説や文章についての話ばかり教えていただき、それがわたしにはとても合っていました。

おそらく中国語の触れ初めが別の手段だとしたら、中国語熱も一時的な物で終わっていたような気がします。まだまだ中国語習得について何も言える資格はありませんが、間違いなく実感していることは、「好きなことを見つけて長く続けること」だけでいいのではないでしょうか。ただただ続けさえすれば、どうにかなるような気もするのですが、たとえどうにもならなくとも、例え見当違いな道に迷っていても、好きなことをしているからいいんですウ、という境地に達しています。



去年この文章を何度も音読をすると、最後の畳み掛ける美しさに自分でも読んでいて酔いしれらされました。

また、この文章は老舎の趣味でもある「花を育てる」ことだけを書いているようですが、勿論それだけではない「养花」です。


老舍 《养花》


我爱花,所以也爱养花。我可还没成为养花专家,因为没有工夫去作研究与试验。我只把养花当作生活中的一种乐趣,花开得大小好坏都不计较,只要开花,我就高兴。在我的小院中,到夏天,满是花草,小猫儿们只好上房去玩耍,地上没有它们的运动场。


わたしは花が好きなので、花を育てるのも好きです。しかし研究や試験をする暇はないので、花を育てる専門家にはなりませんでした。

わたしには花を育てることはただの楽しみでしかありません。花が開く大きさや良し悪しには、こだわらないし、ただ花が開きさえすれば、嬉しいのです。庭にいると、夏になると草花で満ち、猫たちは、地面には彼らの遊び場が無くなってしまったので、家にあがって遊ばざるをえなくなります。


  花虽多,但无奇花异草。珍贵的花草不易养活,看着一棵好花生病欲死是件难过的事。我不愿时时落泪。北京的气候,对养花来说,不算很好。冬天冷,春天多风,夏天不是干旱就是大雨倾盆;秋天最好,可是忽然会闹霜冻。在这种气候里,想把南方的好花养活,我还没有那么大的本事。因此,我只养些好种易活、自己会奋斗的花草。


育てている花は多くても、不思議な花や珍しい草はありません。珍奇な草花を育てるのは易しくありません。立派な花が病気になって枯れてしまうのを見ているのは辛いことです。わたしはいつでも涙を落としたくありません。北京の天気は、花を育てるにはいいとは言えません。冬は寒く、春は風が強く、夏は乾燥せずに大雨になります。秋の天気は最もいいのですが、突然霜害になります。この天気では、南方の花を育てたくなっても、わたしはまだそれだけの技術がありません。そのため、わたしはただ育て易い、自分で頑張れる草花を育てているだけです。


  不过,尽管花草自己会奋斗,我若置之不理,任其自生自灭,它们多数还是会死了的。我得天天照管它们,象好朋友似的关切它们。一来二去,我摸着一些门道:有的喜阴,就别放在太阳地里,有的喜干,就别多浇水。这是个乐趣,摸住门道,花草养活了,而且三年五载老活着、开花,多么有意思呀!不是乱吹,这就是知识呀!多得些知识,一定不是坏事。


しかし、草花は自分達で頑張れても、わたしが構わずに放っておいて、勝手に自然に任せておけば、花たちはやはり殆ど枯れてしまいます。わたしは毎日花たちの面倒を見なければなりません。まるでいい友達のように彼らの世話をします。そのうちに、わたしは手探りでコツをつかみます。日影が好きであれば決して日の当たる場所に置かないし、乾燥が好きであれば水をやりすぎないようにします。こういうことが面白いのです。コツを探しながら草花を育て、4,5年ずっと育ってきて花が咲く。なんて面白いのでしょう。でたらめを言っているのではありません。これこそ知識です。たくさん知識を得ることは、絶対に間違ったことではありません。


  我不是有腿病吗,不但不利于行,也不利于久坐。我不知道花草们受我的照顾,感谢我不感谢;我可得感谢它们。在我工作的时候,我总是写了几十个字,就到院中去看看,浇浇这棵,搬搬那盆,然后回到屋中再写一点,然后再出去,如此循环,把脑力劳动与体力劳动结合到一起,有益身心,胜于吃药。要是上狂风暴雨或天气突变哪,就得全家动员,抢救花草,十分紧张。几百盆花,都要很快地抢到屋里去,使人腰酸腿疼,热汗直流。第二天,天气好转,又得把花儿都搬出去,就又一次腰酸腿疼,热汗直流。可是,这多么有意思呀!不劳动,连棵花儿也养不活,这难道不是真理么?


知ってのとおり、わたしは足の病気があるので、歩き辛いだけでなく、長く座るのも辛いです。草花たちがわたしの世話を受けて感謝しているかどうかは分かりませんが、わたしは草花たちに感謝しています。わたしが仕事をしている時は、いつも数十文字を書いては庭に出て彼らを眺め、水をかけてやり、鉢を運び、その後にまた部屋に戻って少し書いて、その後にまた庭に出ます。このような繰り返しは、脳と体の運動を一緒に結びつけ、薬を飲むよりも心身には有益です。もしも折悪く暴風雨や天候の突然変化にあったら、すぐに全員総動員で草花への緊急措置をとることになり、とても緊張します。数百の盆栽は素早く部屋の中に運び、これでみんなの足腰は痛くなり、大汗が流れます。次の日、天気が良くなると、また花たちを外へ運び出さなければならず、またもや足腰が痛くなって、大汗を流すことになります。しかし、これがまたとても面白いのです!労力を惜しむと、花すら育てられません。これこそ真理でしょう。


  牛奶的同志,进门就夸“好香”!这使我们全家都感到骄傲。到昙花开放的时候,约几位朋友来看看,更有秉烛夜游的神气——昙花总在夜里放蕊。花儿分根了,一棵分为数棵,就赠给朋友们一些;看着友人拿走自己的劳动果实,心里自然特别喜欢。

  当然,也有伤心的时候,今年夏天就有这么一回。三百株菊秧还在地上(没到移入盆中的时候),下了暴雨。邻家的墙倒了下来,菊秧被砸死者约三十多种,一百多棵!全家都几天没有笑容!

  有喜有忧,有笑有泪,有花有实,有香有色,既须劳动,又长见识,这就是养花的乐趣。


牛乳配達の方がわたしの家に入ってきた途端に「いいにおい!」と言ってくれることは、わたしたち家族全員の誇りです。「月下美人」が咲くときになって、友人数人を花見に招待し、いっそう蜀を持った夜遊び(時節に合った楽しみ)の面持ちが増すのは、「月下美人」が夜咲く花でもあるからです。花は数株に分けられ、一本の花は数株にもなります。その何株かを友達にあげます。その友人が、わたしが一生懸命育てた花の成果を持って行くのを見るのは、自然と格別な喜びに溢れます。

もちろん、悲しい時もあります。今年の夏は、こんなことがありました。三百株の菊の苗が地面に置かれ(鉢の中に移し終わっていなかったのです)大雨に見舞われました。隣家の塀も倒れ、菊の苗は30あまりの種類、百あまりの花が下敷きになってしまいました!家族全員から数日間笑いが消えてしまいました!

花を育てることは、喜びも心配もあり、笑いも涙もあり、花も実もあり、香りも色もあります。働かなければなりませんが、またその分知識をもたらしてくれます。これこそ花を育てる楽しみなのです。

もといもとい 2011/10/26 15:39 競作ですか?! いや、私のは習作で・・・読ませていただきましたが、やはり「です、ます」でなさいましたのね。教材選びにわがままを申しましてすみませんでした。次はhanyuさんので頑張りますからね。

hanyu07hanyu07 2011/10/26 21:33 なんだか、自分の日本語を読み返すと、趣の全くない文章ですね。いやあ、老舎に申し訳なさすぎ!!
では、次こそ、何かのドラマではどうでしょうか?

もといもとい 2011/10/26 22:41 難しくないの選んでくださいね。hanyuさんの勢いには付いていけない高齢者だってこと、お忘れなく。ドラマは会話の練習になるかも、って前向きにはなっておりますよ。

2011-10-01

荷塘月色 朱自清

わたしの唯一の同学、もといさんと同じ文章の和訳をすることになって、3,4回目の「荷塘月色」全文和訳です。この作品は、去年暗唱をした「心に残る中国語」に一部が掲載されていたのですが、どうしてもこの文章だけが難しくて暗唱を諦めていました。

そして、このテキストに掲載されていなかった個所は確かに難しい、、というか特に後半の詩の個所は和訳できそうもありません。そもそもテキストに載っていた箇所も未だに難語と感じる単語が多いです。よく一年前にこれを暗唱しようとしたものです。。一年たって、自分が進歩しているのか、わからなくなってきましたが、一年前よりも丁寧に辞書を引いたので、ここにその単語解説までつけてみました。


荷塘月色  朱自清


  这几天心里颇不宁静。今晚在院子里坐着乘凉,忽然想起日日走过的荷塘,在这满月的光里,总该另有一 番样子吧。月亮渐渐地升高了,墙外马路上孩子们的欢笑,已经听不见了;妻在屋里拍着闰儿,迷迷糊糊地哼着眠歌。我悄悄地披了大衫,带上门出去。

  沿着荷塘,是一条曲折的小煤屑路。这是一条幽僻的路;白天也少人走,夜晚更加寂寞。荷塘四周,长着许多树,蓊蓊郁郁的。路的一旁,是些杨柳,和一些不知道名字的树。没有月光的晚上,这路上阴森森的,有些怕人。今晚却很好,虽然月光也还是淡淡的。


颇pō:〔副詞〕すこぶる.甚だ.

【参考】古い用例では「少し」「やや」の意味で用いられることもある.「すこぶる」も本来は「少し」の意味.

宁静níngjìng:(環境が)静かである;(心が)安らかである

带上门:通ったあとついでにドアをしめる.

幽:奥深い;ひっそりした;ほの暗い;かすかな.

僻pì :辺鄙である.

蓊wěng :草木が茂るさま.

郁yù :(草木が)茂る.

阴森森yīnsēnsēn:かげり暗いさま.薄暗くて不気味なさま.陽光なく薄暗くひんやりとするさま.


ここ何日も気持ちが少したいへん落ち着かない。今晩、庭で夕涼みをしていると、急に毎日通って来ている蓮池のことを思い出した。蓮は満月の光を浴び、きっと少し違った様子のはずだ。月はだんだんと高くなり、壁越しに外の道からした子供たちの笑い声は、既に聞こえなくなっていた。妻は部屋の中で息子の潤を軽くたたき、子守唄を口ずさみながら自分でもうとうととしていた。わたしはそっと上着を羽織り、ドアをしめて外に出た。

蓮池にそって、曲がりくねった石炭屑の道があった。ひっそりと鄙びた道であり、昼の人通りは少ないが、夜はさらに寂しい道である。蓮池の周りは、多くの樹が植えられ、鬱蒼と茂っている。道の傍らには柳や名も知らない樹が植えられている。月が出ていなかった夜は、薄暗くて不気味で恐かった。今晩は素晴らしいしかし、淡い月の光ではあるけれど。。、今の蓮池はとても素晴らしい。

  路上只我一个人,背着手踱着。这一片天地好像是我的;我也像超出了平常的自己,到了另一个世界里。我爱热闹,也爱宁静;爱群居,也爱独处。像今晚上,一个人在这苍茫的月下,什么都可以想,什么都可以不想,便觉是个自由的人。白天里一定要做的事,一定要说的话,现在都可不理。这是独处的妙处,我且受用这无边的荷香月色好了。


踱duó :そぞろ歩きをする.漫歩する.

天地 tiāndì: 天と地.(2)〈喩〉境地.世界.天地.

苍茫 cāngmáng: 蒼茫たる.見渡す限り青々としている.広々として果てしない.

妙处 miàochù:(1)よい場所.(2)すぐれたところ.妙味.

受用 shòu•yòng: 利益を受ける.役に立つ。楽である.心地よい

无边wúbiān: 際限がない.

且qiě :〔副詞〕しばらく.ひとまず.長時間(…する).長期の使用に耐える.〈書〉まさに…せんとす.


道ではわたし一人だけが、手を背にして漫歩する。この世界はわたしのもののようだ。わたしは普段の自分を越えて、別の世界へ行けるようなるような気がした。わたしは賑やかなのも、また静かなのも好きだ。大勢でいるのも、一人でいるのも好きだ。今晩のように、一人で蒼茫たる月の下で何を考えてもいいし、何も考えなくてもいい。このようにわたしは、自由人であるかのように思う。昼にやらなければならないこと、話さなければならないことも、今は全て気にかけない。これは一人である妙味であるが、わたしはこの無限に広がる蓮の香りと月の光を暫く楽しめば、それでいいのだ。


  曲曲折折的荷塘上面,弥望的是田田的叶子。叶子出水很高,像亭亭的舞女的裙。层层的叶子中间,零星地点缀着些白花,有袅娜地开着的,有羞涩地打着朵儿的;正如一粒粒的明珠,又如碧天里的星星,又如刚出浴的美人。微风过处,送来缕缕清香,仿佛远处高楼上渺茫的歌声似的。这时候叶子与花也有一丝的颤动,像闪电般,霎时传过荷塘的那边去了。叶子本是肩并肩密密地挨着,这便宛然有了一道凝碧的波痕。叶子底下是脉脉的流水,遮住了,不能见一些颜色;而叶子却更见风致了。


弥望míwàng:見渡す限り

田田:形容荷叶相连的样子。

亭亭tíngtíng: (樹木などが)まっすぐに伸びているさま.(女性が)しとやかでしなやかなさま.

层层céngcéng:幾重(いくえ)にも.とえはたえに.

零星líng:xīng:はしたの.こまごました.まばらの。

缀•綴zhuì:(糸と針で)つづり合わせる.つなぎ合わせる.飾る。

袅娜niǎonuó〔袅婷〕:なよなよとしなやかなさま.

羞涩xiūsè:たおやか。はにかんでもじもじしている.恥ずかしがって固くなる.きまりが悪い.

朵儿 duǒr:花.【補足】花の数や大きさについていう.つぼみ.

碧bì :碧玉(へき ぎょく).青色の美しい石.青緑色.

缕缕 lǚlǚ:ひと筋ひと筋と続いて絶えないさま.

清香qīngxiāng:かぐわしい香り.芳香.

渺茫miǎománg:水面(海面)が果てしなく広々としている.渺茫としている(夢や望みが)果てしない.かすかである.ぼんやりとしてはっきりしない.

颤动 chàndòng: 小刻みに揺れ動く.震える.

闪电 shǎndiàn: 稲妻(が走る).

霎时(间)shàshí(jiān):=〔煞时〕ちょっとの間(に)。一瞬の間に

肩并肩jiānbìngjiān:肩を並べる.肩を並べて一緒になってする

挨āi :触れる;寄りかかる;隣りあう;並ぶ.そばに寄る;すれすれに近づく

宛然wǎnrán:仿佛。

凝níng:凝る.凝結する.

脉脉mòmò:这里形容水没有声音,好像饱含深情的样子。

风致fēngzhì: (1)美しい顔立ちと立ち居振る舞い.(2)趣.味わい.ユーモア.


曲がりくねった蓮池の水面には、見渡す限り蓮の葉が連なっている。葉は水面より高く、しなやかな踊り子のスカートのようだ。幾重にも重なった葉の間でまばらに散らばって咲いている白い花は、たおやかに咲いている花もあれば、恥じらいで蕾のままのもある。まさしく一粒の真珠のようでも、青天の星のようでも、湯からあがったばかりの美人のようでもある。微かな風が通る所に、一筋の芳香が残り、遠く高き楼からかすかに聞こえてくる歌声のようだ。そのとき、蓮の葉と花はわずかに揺れ、稲妻が走ったように、一瞬にして蓮池の向こう側まで揺れが伝わった。肩を並べるようにして繋がっていた蓮の葉に、濃い青緑色の波痕が一本できたようだった。葉の下には音もせずに水が流れ、葉に遮られて水の色を見ることが出来ないが、葉の方は却って趣がある。


  月光如流水一般,静静地泻在这一片叶子和花上。薄薄的青雾浮起在荷塘里。叶子和花仿佛在牛乳中洗过一样;又像笼着轻纱的梦。虽然是满月,天上却有一层淡淡的云,所以不能朗照;但我以为这恰是到了好处——酣眠固不可少,小睡也别有风味的。月光是隔了树照过来的,高处丛生的灌木,落下参差的斑驳的遽董峭楞楞如鬼一般;弯弯的杨柳的稀疏的倩影,却又像是画在荷叶上。塘中的月色并不均諭但光与影有着和谐的旋律,如梵阿玲上奏着的名曲。


泻(瀉)xiè :速く流れる.

笼(籠)lóng かご.

笼(籠)lǒng :覆う.包む.立ちこめる.

轻纱 qīngshā: 細い綿糸.細い紗(しゃ).

酣眠 hānmián: 熟睡(する).

固gù :もとより.もともと.

小睡 xiǎoshuì:短い睡眠をとる.短時間仮眠する.

丛生cóngshēng:(草木が)群がりはえる.群がり生ずる.同時に発生する.

参差cēncī: (長短・高低・大小が)まちまちである,不ぞろいである.

斑驳bānbó:色彩の入り交じった.まだら模様の

峭qiào:山の険しくそびえるさま.険しい.巌格である.厳しい.

棱 =〔楞〕物体のかど.物体の上に盛り上がった筋.

稀疏xīshū:(物や音が)まばらで薄いさま.

倩影qiànyǐng:麗しき面影.

均jūn:yún:平均.均等.

梵婀(ē)玲:英语“violin”的音译,即小提琴。


月の光は流水のようであり、静かに一本の葉と花に光が流れ注ぐ。薄く青い霧が蓮池に立ち込めている。葉と花は牛乳の中に入れて洗ったようであり、細い綿糸で覆われた夢のようだ。満月ではあるのだが、空には薄い雲がかかり、月が明るく照らすことはできない。しかし、わたしはこれがちょうどいいと思う。熟睡するのはもともと欠かせないが、まどろぐのもまた、趣がある。月の光は樹木を隔てて照らしているので、高い所で群がってはえている灌木が葉に不揃いでまだら模様を落とし、くっきりと盛り上がって見える幽霊のようだ。曲がった柳のまばらな美しい姿は、蓮の上に書かれた絵のようだ。池の中の光は均等というわけではない。しかし、光と影がもたらす調和がとれたメロディは、バイオリンが奏でる名曲のようだ。


  荷塘的四面,远远近近,高高低低都是树,而杨柳最多。这些树将一片荷塘重重围住;只在小路一旁,漏着几段空隙,像是特为月光留下的。树色一例是阴阴的,乍看像一团烟雾;但杨柳的丰姿,便在烟雾里也辨得出。树梢上隐隐约约的是一带远山,只有些大意罢了。树缝里也漏着一两点路灯光,没精打采的,是渴睡人的眼。这时候最热闹的,要数树上的蝉声与水里的蛙声;但热闹是它们的,我什么也没有。


漏lòu :(入れ物に穴があいて液体や光などが)漏る,漏れる,しみ出る.(秘密などを)漏らす.漏洩(ろう えい)する.抜け落ちる;抜かす.

段duàn :〔量詞〕[a]長い物の区切りを数える.[b]一定の距離や時間を表す.[c]事物の段落・段階を数える.

特为tèwèi:特に.わざわざ.

一例:一概,一律。

乍zhà:……したばかり.……しはじめ.

烟雾yānwù:煙や霧.

丰姿:风度,仪态,一般指美好的姿态。也写作“风姿”

辨得出biàn•dechū:見分けがつく.

隐约yǐnyuē:はっきりしない.ぼんやりとしている.

大意dàyì:大意:だいたいの意味.

瞌睡kēshuì:=〔渴 kě 睡〕居眠り.眠い.


蓮池の周りは、遠くも近くも高いも低いも、全て樹であり、特に柳が最も多い。この樹たちは蓮池を何重にも取り囲んでいる。ただ小路の傍らに、隙間から光が漏れ、まるで月の光のためにわざわざ残しておいたかのようだ。樹の色は一律に陰鬱で、見たばかりだと煙や霧のようである。しかし、柳の姿は煙と霧の中でも見分けがつく。梢の上にかすかに見えるのは遠くの山々であるが、それもぼんやり見えるだけだ。樹の隙間から数点の光が漏れるが、元気が無さそうで、居眠りをしている人の目のようだ。今、最も賑やかなのは樹の上の蝉と水の中の蛙をあげることができる。しかし、賑やかなのは彼らであって、わたしには何もない。


  忽然想起采莲的事情来了。采莲是江南的旧俗,似乎很早就有,而六朝时为盛;从诗歌里可以约略知道。采莲的是少年的女子,她们是荡着小船,唱着艳歌去的。采莲人不用说很多,还有看采莲的人。那是一个热闹的季节,也是一个风流的季节。梁元帝《采莲赋》里说得好:


约略yuēlüè:大略.あらまし.

荡dàng: 揺れる.揺れ動く.さまよう.

艳歌 yàngē:专门描写男女爱情的歌曲。

风流:这里的意思是年轻男女不拘礼法地表露自己的爱情。


突然、蓮を摘み取る場面を思い出した。蓮を摘むのは、江南の古い習慣で、随分前からあったようだが、六朝時代が盛んであったらしい。それは詩歌からおよそ知ることができる。蓮の葉を摘むのは若い女の子たちだ。彼女たちは揺れる小舟に乗り、恋歌を唄いながら進む。蓮を摘む人が多いのは言うまでもなく、蓮を摘むのを見る人もいる。それは賑やかな季節でもあり、また恋の多い季節でもある。梁元帝の「採蓮の賦」には、このように見事に描かれている。


  于是妖童媛女,荡舟心许;鷁首徐回,兼传羽杯;櫂将移而藻挂,船欲动而萍开。尔其纤腰束素,迁延顾步;夏始春余,叶嫩花初,恐沾裳而浅笑,畏倾船而敛裾。

  可见当时嬉游的光景了。这真是有趣的事,可惜我们现在早已无福消受了。

  于是又记起,《西洲曲》里的句子:

  采莲南塘秋,莲花过人头;低头弄莲子,莲子清如水。


・妖童媛yuàn女,荡舟心许:艳丽的少男和美貌的少女,摇着小船互相默默地传情。妖,艳丽。媛女,美女。 许,默认。

・鹢 yì首:古时画鹢于船头,所以把船头叫鹢首。鹢,水鸟。

・櫂 zhào:通“棹”,划船的一种工具,形状和桨类似。

・敛裾liǎnrèn:这里是提着衣襟的意思。裾,衣襟。

・没福消受|幸福の少ないこと.

・《西洲曲》:南朝乐府诗,描写一个青年女子思念意中人的痛苦。


「きれいな少年と美しい少女 彼らは心と心を通じ合わせ揺れる船に乗って蓮を摘みに行く。船が回ると何度も杯を交わして笑いを愛情として伝える。 櫂に浮草がからまっても分けて進む。女の子たちの体は美しく白じゅすのひとえを腰に巻き。愛情が長く続き別れがたくなり 名残惜しく振り返る。春の末と夏のはじめが素晴らしい季節で、葉は柔らかく花はようやく開く。水が跳ねては楽しく笑う 水に服が濡れないようにと身をかわす」

当時の遊び戯れている風景を見ることが出来る。これは本当に趣のあることだが、残念なことに、わたしたちはもうこれを楽しめない。するとまた、「西洲曲」の中の句を思い出した。

「 南塘の秋に蓮を摘む 蓮の花は人の高さになり 蓮の実は低くうなだれる 蓮の実の下に流れる水は美しい   」


  今晚若有采莲人,这儿的莲花也算得“过人头”了;只不见一些流水的影子,是不行的。这令我到底惦着江南了。——这样想着,猛一抬头,不觉已是自己的门前;轻轻地推门进去,什么声息也没有了,妻已睡熟好久了。


过人guòrén: 人よりまさっている.


今晩もし蓮を摘む人がいたら、蓮の花も人の高さより高くなっていることに気づいたろう。ただ、流水の様子が見えないのは、残念だ。わたしは結局江南を懐かしく思ってしまう。

こんな風に考えていて、ふと頭をあげると、いつのまにか自分の家の玄関にいた。そっとドアを押して中に入った。何の音もしなかった。妻はすでにぐっすり寝込んでいた。

もといもとい 2011/10/01 14:15 短時間でよくなさいましたね。私は随分時間がかかりました。難しかった!例によって二日くらい経ったら、hanyuさんのを参考に直させてくださいね。

hanyu07hanyu07 2011/10/01 17:26 こんにちは、もといさん 
時間はかかりましたよ。ただ大部分は昨年テキストを読んでいたので内容はわかっているつもりでしたが、再度丁寧に辞書をひきました。
また、もう一つの「西洲曲」は、この散文の最後の締めと大いに関係していると思うのですが、そこらへんを上手く訳せません。
梁元帝の“采莲赋”についても中国のサイトで、中国語で解説をしていますね。その中国語を読んで、ようやく意味がわかりました。

もといもとい 2011/10/01 18:56 その解説を今ブログにコピペしました。が、それを読むのが大変です。歌の意味が分からないと半減なので努力しましょうっと。
やっと時々は大文字小文字の区別がつくようになりました。アルファベットも読めないのかと息子に馬鹿にされてましたが・・・

whywhy 2011/10/04 00:10 Hanyuさん、こんばんは!とても丁寧に調べましたね。正確に訳されて、前回よりも素晴らしい仕上がりになったと思います。
気になったところを少しずつコメントに書きますね。
>这几天心里颇不宁静
ここの「頗」はやはり「少し」とちょっと違うと思います。
>总该另有一 番样子吧
訳文はそれで構いませんが、ただ、中国語の学習という意味では、原文の構造をもう少し分析したほうがよいかと思います。このセンテンスの主語はなんだと思いますか。
>子守唄を口ずさみながら自分でもうとうととしていた
ここの「うとうと」はぴったりでとてもいい訳ですね。
>今晚却很好,虽然月光也还是淡淡的。
ここも同じく文の構造をもう一度分析したほうがいいですね。主語を見つけることが大切です。
>到了另一个世界里
ここも訳文はそれでぜんぜん問題ありませんが、やはり語学の学習という意味で、念のため書いておきますね。直訳する場合、どんな訳文になるか、一度確かめたほうがよいかと思います。
>我且受用这无边的荷香月色好了
単語メモに載っていませんが、ここの「且」は調べましたか。

whywhy 2011/10/04 07:41 Hanyuさん、おはようございます!
もう少しだけ率直に書きますね。
>細い面で覆われた夢のようだ
この段落はとても素敵な訳文に仕上がっていますが、ここだけちょっと気になりました。
もしかして私の日本語の感覚に問題があるかもしれませんけれど、あまり詩的な表現ではないような気がしました。

hanyu07hanyu07 2011/10/04 09:58 whyさん、おはようございます
こんな時間にどこから書き込んでいるのか、という恥ずかしい問題もありつつ。ひとつだけ、「笼着轻纱的梦」は、とても気に入った表現で、これは「もらった」と思っただけに、日本語を書き間違えて恥ずかしいです。ここはすでに直したように、「綿糸で覆われた」としたかった箇所です。
ここの表現も、畏れ多くも盗んだりしています。

江南紅豆江南紅豆 2011/10/04 11:36 「纱」は薄い絹の布で、ベッドのカーテンなどにも使われると思います。ここは「夜」だし「夢」ともあるので、「綿糸」はどうかなあ? 「軽」とありますが、薄いから確かに軽いでしょうけど、「重さ」を言いたいわけではないですね、形容詞の使いかたって難しいです。「笼」はすっぽり覆う、囲むように覆う、厚さを感じますが、杜牧の「煙籠寒水月籠沙」を思い出すからかな。

江南紅豆江南紅豆 2011/10/04 11:45 >今晚却很好,虽然月光也还是淡淡的。
月のない夜は怖いくらいだ、の後に続くので、原文の順番をひっくり返さないほうがいいと思います。「今夜はいい、月の光はやはり淡いのだが…」、なぜ今夜はその淡い光でも怖いとか寂しいとか感じないのか、がこの文章のテーマではないかと思います。

hanyu07hanyu07 2011/10/04 12:51 whyさん
丁寧なコメントありがとうございます。直せるところは、直してみました。
>这几天心里颇不宁静
あまり考えずに「少し」としてしまいましたが、「たいへん」なニュアンスなのでしょうか。ただ、全文を訳し終えてから読み直すに、「たいへん落ち着かない」が、あまりしっくりこない気も、未だします。

>总该另有一 番样子吧
主語は、蓮だと思い、もう少し主語はここの文にも掛かっているように少し表現を変えたのですが。。もしや、蓮ではない?

>今晚却很好,虽然月光也还是淡淡的。
ここは最初、蓮を主語にした訳文でしたが、どこにも蓮がでていませんでした!「今晩」だと主語として寂しいので「今宵」にしました。

>到了另一个世界里
ここは、どこがおかしいのか、今一つわかっていないのかもしれません。直訳すると「もう一つの世界の中に到着する」という意味で間違えていないでしょうか?

>我且受用这无边的荷香月色好了
ここの「且」は、見落としていました。というか、「且」という意味を、正確には知りませんでした。ありがとうございます。

hanyu07hanyu07 2011/10/04 12:56 江南紅豆 さん
「綿糸」は、まだロマン度が足りないですか!じゃあ「紗」ですか?しかし、紗がどういうものか、また綿糸も、どういうものか、よくわかっていません。。
笼は、「くるむ」では?

hanyu07hanyu07 2011/10/04 13:07 虽然があると、そっちから訳したくなってしまいますが、たしかに原文がわざわざ後ろにしているままの表現をした方がいいですね。

江南紅豆江南紅豆 2011/10/04 19:11 原訳に「覆う」とあったので使いましたが、すっぽりくるむ感じだと思いますよ。「綿糸」にロマンがあったのね! 辞書にその訳語があったのでしょうか。もしかして「錦糸」? 「紗」って、春の黄砂の時期に北方の女性がアタマにまいているような、薄い透けて見える布だと思います。違うかな?

もといもとい 2011/10/04 20:08 hanyuさんが可愛く戸惑っているので、横ですが・・・
薄いベール、と言えばイメージがつかめますか?
江南紅豆 さんも訳すのがお好きなのですね?なんか嬉しいです。

whywhy 2011/10/04 21:28 薄いベール、いいですね。これがほしかった…
お面も綿糸も春月先生がおっしゃったように、重い軽いだけの問題ではありません。透明感がないですね。
池の上に立ち込めた霧、あるような、ないような。ひんやりして、ふんわりして、そして月の光で少しだけ青みがかかって、蓮の花も葉もくっきり見えるのではないですね。靄がかかって、夢の中のような不確かさがあるんです。それが「又像笼着轻纱的梦」というふうに表現されています。

hanyu07hanyu07 2011/10/04 21:40 みなさん、ありがとうございます。
しかし「紗」じゃ、だめですか?「しゃ」じゃだめ?!
まさしく日本語でも「紗がかかったよう」って言う雰囲気とは、違うのでしょうか!

whywhy 2011/10/04 21:58 ああ、紗がかかったよう、素敵ですね。
綿糸にばかり目がいっていたので、ついついうっかりしてしまって、失礼しました。

ところで、最新記事の“你”の使い方、手慣れたものですね。どんどん吸収して、どんどん活用しているHanyuさんから多々刺激を受けました。

hanyu07hanyu07 2011/10/04 22:29 你如此过誉,倒叫我惶恐了。ありがとうございます。你を主語にするのは、日本語にも英語にもありますが、お手軽な感じにもなりますよね。
本当は、「博雅汉语」にあった、史铁生の文体と構成を真似て(パクって)上海の幻想みたいな文章も試みたのですが、ちょっとやりすぎ感が強くてやめました。
あと、村上春樹の翻訳者の林少华の文体真似っていうのも、いつかやってみたいのですが、もう「それが何なの?」ですね。

whywhy 2011/10/05 09:11 文体まね、楽しそうですね。真似しているうちに本当に自分のものになったりして、いい勉強方法ですね。
林少華のまねも面白いですし、そのうち、例えば王朔、孔慶東のまねをしてみても面白いかもしれません。王朔は生粋の北京っ子で、独特な文体で書いています。孔慶東は東北出身で、文章の所々に東北弁を散りばめるのが得意です。彼のものの見方には時々疑問を感じますが、国語の先生ですから、間違った中国語を決して書きません。安心して真似出来ますよ。文章得意なHanyuさんですから、きっとすぐ身につくでしょう。

>それは賑やかな季節でもあり、また恋の多い季節でもある
恋の多い季節、この訳、ステキ!私も盗んじゃおうっと。

>总该另有一 番样子吧
>今晚却很好,虽然月光也还是淡淡的。
>低头弄莲子,莲子清如水
主語を見つけましょうと書きましたが、かえって紛らわしい言い方でしたね。主体、主題というふうにもっと大きく構えて考えたほうが分かりやすいかもしれません。前後の文脈と結びつけて読んで、ここは何について語っているのか、話題の主体はなんなのかを、もう少し掘り下げたほうがよさそうな気がします。
作者はある程度文章の整合性を考えて書いているので、話題の途中で主体を変えたりはしないですよね。そこのロジックを分析すれば、中国語の理解がもっともっと深まると思いますよ。
応援しています。

hanyu07hanyu07 2011/10/05 10:22 whyさん、丁寧に見ていただき、ありがとうございます。
また、知らない中国作家も教えていただきありがとうございます。しかし、現実問題として、やはり原書はまだまだ読めません。といいつつ大量に買ってしまった中国小説なのですが、最後に中学生向けの短編小説と、散文を買いました。
これさえ、今のわたしには、難しいのですが、有名な作家の作品ばかり集められているので、まずこの本で助走をしてから、来年あたりに、原書を読み始めたい。。たい、ものですわ。

2011-08-18

席慕容

昨年の秋は、とにかく早く中国の小説が読みたかったところで、古本屋でみつけた大学2年生用の教科書「心に残る中国語」を発見して、そこで初めて読む中国語の小説的な文章に喜び、何度も何度も読みこみました。挙句には、近所の中国語教師の前で毎週この本の一課を暗唱しました。

その時から暗記が苦手という意識と事実はあったのですが、老師が目を輝かせて喜ぶのが嬉しくて、全ての文章を暗記することに、かなりの情熱をこめていました。この教科書に載っていた作家は、魯迅の名前だけを知っているくらいだったのですが、一年たつと、さすがに有名な作家たちのようで、いろいろなテキストなどで他の作品を見かけるようになりました。

ただ、唯一、席慕容の作品だけは見かけませんでした。この「心に残る中国語」を読んだ時も、一番無国籍で、それでいて個性的な繊細さを感じさせる文章が席慕容でした。とはいえ、老師の説明だと、子供のころに彼女の詩をたくさん読んだという説明だったので、もしかしたら、女性や子供向けの文章なのかもしれません。

その席慕容の短い文章が、「博雅汉语」の第五課に載っていて、とても嬉しくなりました。

そして、今回も、唸るくらい素晴らしい文章であったので、ネットで席慕容のことを語っているブログがないのかしらと調べみたところでは、日本のサイトでは見つけることができませんでした。(実際には慕という字を幕だと思って調べていたわたしがいました)


ここに掲載されている、≪燕子≫のことを説明しているサイトも無かったので、席慕容の文章の素晴らしさを説明するより、原文とついでに、わたしの翻訳(超訳っぽく)を載せます。

席慕容の紹介だけでなく、「博雅汉语」の紹介になるかもしれません。

第五課については、このように単語も文法もとても簡単なのです。わたしが持っている他の中級テキストは、たいて、道徳的な話か、苦労をした話か、あまり内容が無い笑い話が殆どですが、この「博雅汉语」のテキストは、どれも読みごたえがあり、とても気に入っています。

実際のテキストは原文を教材用として、若干文章を変更しているのですが、この下にある文章は原文から引用をし、その翻訳をしてみました。(なので既に著作権は無いのではと勝手に信じ)

また、意訳とか書きつつも、完全に読み間違えている箇所がいくつもあるかと思われます。

間違いを教えていただける奇特な方がおりましたら、ご指摘ください。

この文章の白眉は、やはり最後の段落“在那一刹那”から最後までの文章なのですが、この文書の美しさを日本語にはできませんでした。

ただ、日本の文豪が昔書いていた、「誰がフョードル・ドストエフスキーを訳しても、それはドストエフスキーの文章だ」と、そういうことなのだと思います。

また、この課の課題には、300字程度の作文を二つ書くことになっているので、来週あたりに、わたしなりの、席慕容の文体を真似した中国語の作文を書いてみたいと思います。


≪燕子≫ 席慕容


初中的时候,学会了那一首"送别"的歌,常常爱唱:

  长亭外,古道边,芳草碧连天……

  有一个下午,父亲忽然叫住我,要我从头再唱一遍。很少被父亲这样注意过的我,心里觉得很兴奋,快再从头来好好地唱一次:

  长亭外,古道边……

  刚开了头,就被父亲打断了,他问我:

  "怎么是长亭外,怎么不是长城外呢?我一直以为是长城外啊!"

  我把音乐课本拿出来,想要向父亲证明他的错误。可是父亲并不要看,他只是很懊丧地对我说:

  "好可惜!我一直以为是长城外,以为写的是我们老家,所以第一次听这首歌时就特别地感动,并且一直没有忘记,想不到竟然这么多年是听错了,好可惜!"

  父亲一连说了两个好可惜,然后就走开了,留我一个人站在空空的屋子里,不知道如何是好。


わたしが中学生の時、あの「送別」の歌を習って、よく歌っていた。

「東屋の古道沿いに、香しい緑の草が天のように連なり・・・」

ある午後、そう歌っていると、父が突然わたしを呼び止めた。わたしにもう一度、最初から歌ってくれと言うのだ。父がこんな風にわたしに気を配ってくれることは滅多にないので、ちょっと嬉しくなって、すぐにまた最初から、きちんと歌った。

「東屋(长亭外)の、古道沿いに」

歌い始めた途端、父にすぐに止められた。

父はわたしに訊ねた。「どうして、长亭外なんだ。長城外じゃあないのか。俺はずっと、長城外だと思っていたよ」

わたしは音楽の教科書を取り出して、父の間違いを証明しようとしたのだが、父は決してそれを見ようとはしなかった。父はただとても落胆して、わたしにこう言った。

「ああ、残念だな。俺はずっと长亭外だと思っていたんだ。俺の家のことを書いていると思って、最初にこの歌を聴いたとき、すごく感動した。だから、ずっと忘れなかった。まさか、こんなにずっと聞き間違えていたとは。。ひどく残念だ。」

父は続けて二度残念だと言い、そのあと出て行った。一人残されたわたしは、ひとりぼっちになった部屋で、どうしたらいいのか分からなかった。


  前几年刚搬到石门乡间的时候,我还怀着凯儿,听医生的嘱咐,一个人常常在田野间散步。那个时候,山上还种满了相思树,苍苍翠翠的,走在里面,可以听到各式各样的小鸟的鸣声,田里面也总是绿意盎然,好多小鸟也会很大胆地从我身边飞掠而过。

  我就是那个时候看到那一只孤单的小鸟的,在田边的电线杆上,在细细的电线上,它安静地站在那里,鄂的羽毛,像剪刀一样的双尾。


数年前、石門村に引っ越したばかりのとき、わたしは凯を身籠り、医者の言いつけに従って一人でよく田畑を散歩した。その時は、山中のアカシアの木は濃い緑で生い茂り、緑の中を歩くと、様々な鳥の鳴き声が聞こえていた。田畑の中も、いつも緑で溢れ、鳥達が大胆にもわたしの体をかすめて行った。

わたしはまさしくその時、あの寂しげな一羽の鳥を見つけた。その鳥は田圃沿いの電信柱の細い電線に静かに立ち、羽は黒く割れた尾は鋏のようだった。


  "燕子!"我心中像触电一样地呆住了。

  可不是吗?这不就是燕子吗?这不就是我从来没有见过的燕子吗?这不就是书里说的,外婆歌里唱的那一只燕子吗?

  在南国的温热的阳光里,我心中开始一遍又一遍地唱起外婆爱唱的那一首歌来了:

  燕子啊!燕子啊!你是我温柔可爱的小小燕子啊……

  在以后的好几年里,我都会常常看到这种相同的小鸟,有的时候,我是牵着慈儿,有的时候,我是抱着凯儿,每一次,我都会很兴奋地指给孩子看:

  "快看!宝贝,快看!那就是燕子,那就是妈妈最喜欢的小小燕子啊!"

  怀中的凯儿正咿呀学语,香香软软唇间也随着我说出一些不成腔调的儿语。天好蓝,风好柔,我抱着我的孩子,站在南国的阡陌上,注视着那一只鄂的安静的飞鸟,心中充满了一种朦胧的欢喜和一种朦胧的悲伤。


「ツバメ!」わたしは、電気に触れたように驚いて立ちすくんだ。

本当に?本当にツバメ?これは、わたしが見たことがなかったツバメなのだろうか?これは本の中に書かれた、お婆さんが歌う中に出てきたあのツバメ?

本当に?本当にあのツバメ?今まで見たことがなかったあのツバメ?本に書かれていて、おばあさんの歌の中に出てきたあのツバメ?

南の熱い陽の中、わたしは心の中で何度もお婆さんがよく歌っていたあの歌を唄い始めた。

「ツバメよ!ツバメよ!おまえは、わたしのやさしくてかわいいツバメだ・・・」

それから数年後、わたしはよくこの鳥とそっくりな鳥を見かけた。ある時はの手を引き、あるときは凯を胸に抱き、毎回、わたしは興奮して子供のために指さして、

「ほら、はやく見て!あれがツバメよ、あれがママの一番好きなツバメよ!」

胸に抱いた凯は、柔らかい唇でわたしの後から、言葉にならない赤ちゃん言葉で片言を話し出した。

空は蒼く、風は柔かく、わたしは子供を抱いて南国のテラスあぜ道に立ち、あの黒く静かな鳥をじっと見ながら、心の中はおぼろげな喜びとおぼろげな悲しみに覆われた。


  一直到了去年的夏天,因为内政部的邀请,我和几位画家朋友一起,到南部的国家公园去写生,在一本报道垦丁附近天然资源的画里,我看到了我的燕子。图片上的它有着一样的鄂П毛,一样的剪状的双尾,然而,在图片下的解释和说明里,却写着它的名字是"乌秋"。

  在那个时候,我的周围有着好多的朋友,我却在忽然之间觉得非常的孤单、在我的朋友里,有好多位在这方面很有研究心得的专家,我只要提出我的问题,一定可以马上得到解答,可是,我在那个时候唯一的反应,却只是把那本画静静地合上,然后静静地走了出去。


昨年の夏までずっと、内務省の招待によって、わたしと数人の画家の友人達は一緒に、南部の国立公園へ写生をしに出かけていた。墾丁の天然資源を知らせるカタログの中に、わたしのツバメを見つけた。写真上のそれも、同じような黒い羽で、同じように鋏のように割れた尾をしていた。しかし、その写真の下の解説と説明では、その名前は、「烏秋」となっていた。

その時、周りには大勢の友人がいたのだが、わたしは突然大きな孤独を感じた。友人の中には、鳥について非常に詳しい専門家がいたので、この問題を彼らに聞きさえすれば、きっとすぐに答えをもらえた。しかし、わたしがとった唯一の行動というのは、ただこのカタログを静かに閉じ、それからそっとその場を立ち去るだけだった。


  在那一刹那,我忽然体会出来多年以前的那一个下午,父亲失望的心情了。其实,不必向别人提出问题,我自己心里也已经明白了自己的错误。但是,我想,虽然有的时候,在人生的道路上,我们是应该面对所有的真相,可是,有的时候,我们实在也可以保有一些小小的美丽的错误,与人无害,与世无争,却能带给我们非常深沉的安慰的那一种错误。

  我实在是舍不得我心中那一只小小的燕子啊!


あの瞬間、わたしは突然、何年も前のあの午後に父が失望をした気持ちを理解したのだ。実際に他人に聞く必要は無かった。わたしの心の中ではすでに自分が間違っていることが分かっていた。

しかし、わたしは思うのだ。時には、人生という道の途中で、わたしたちは、あらゆる真実に直面するべきかもしれないが、しかし、時には小さくて美しい誤解を心に抱えてもいいのだ。人に害を与えず、世間とも争わず、それでいてわれわれには非常に深い安らぎを与えてくれる誤解というものを。

わたしは本当に、自分の心に住むあの小さなツバメと別れたくないのだ。

杉村小元神杉村小元神 2011/08/19 17:01 ≪燕子≫は中国でとても有名な文章です。気になってもらってよかったです!
他には、中国の作家は誰かが好きですか?

hanyu07hanyu07 2011/08/19 17:43 杉村さん 谢谢你的留言。
别的中国作者。。。。啊,戴思杰。(他的书在中国卖吗?)当然我看了日语翻译本。我还没看中国长篇小说。老舍、席慕容、冰心、鲁迅和朱自清等等,我去年背诵他们的短篇小说。但是我愿望早日看中国长篇小说的原著吧。

whywhy 2011/08/21 13:59 Hanyuさん、こんにちは!
素敵な訳文ですね。私も席慕容のファンの一人です。伸びやかで繊細で透明感のある文体だからか、中国では特に女性ファンが多いです。彼女と同じルーツを持っていて、同じく古里を遠く離れて暮らす今となって、あらためてこの作品を読むと、胸が痛いほど共感を覚えています。

>我是牵着慈儿
詳しくはわかりませんが、「慈儿」は多分お子さんの名前ではないかと思います。

>阡陌
テラスではないですね。あまり頻繁に使う言葉ではありませんが、文学的表現で、エッセーや散文に使うことが多いですね。

hanyu07hanyu07 2011/08/21 16:20 whyさん、ありがとうございます!
慈は、子供の名前だったのですか。凯でも、悩んだのですが、中国の方にとっては、すぐ子供の名前と分かる個所なのですね。
また、「阡陌」もどうしてテラスとしたのか自分でも不思議です。。「阳台」と似ているから雰囲気で、あててしまったのかもしれません。
中国では女性ファンが多いのですか。わたしが勝手に感じた席慕容っぽい文体を真似して、いつか中国語を書いてみたいです。

杉村小元神杉村小元神 2011/08/22 19:05 戴思杰の本は中国で買えません。だから、あまり人に知りません。老舍、席慕容、冰心、鲁迅、朱自清などは、ここでとても有名です。教科書に載っている、小学校から高校まで、暗記しなければならないから、若い人がよく好きではまりません。でも、彼らの文章はとてもきれいだということは、みんな認めっています。
hanyu07さん、頑張ってくださいね、長編小説が読みたい時、私は好きな小説を勧めます。

hanyu07hanyu07 2011/08/22 19:43 杉村小元神 さん、谢谢!
わたしは今年中に一冊、来年には50冊くらいは、若い人の長編小説を読みますよ。
そのときは、ぜひぜひ杉村小元神さんの好きな小説を教えてください。

もといもとい 2011/08/22 23:39 こんにちは。恐る恐るやって参りました。
私も燕にチャレンジしましたが、いや、大変でしたね。こういった情緒的なのは初めてのような・・・私のは一、二日は編集せずにのせておきますが、その後はhanyuさんの訳をヒントに手直しさせてくださいね。

whywhy 2011/08/23 11:11 >可不是吗?这不就是燕子吗?这不就是我从来没有见过的燕子吗?这不就是书里说的,外婆歌里唱的那一只燕子吗?
Hanyuさん、おはようございます!
ここのニュアンスにもう少し注目してほしいですね。「不就是」を3回繰り返した手法は「排比」と言いますが、この手法を使った理由を考えてみたら、理解がもっと深まると思います。

hanyu07hanyu07 2011/08/23 20:21 ・もといさん おそるおそるのコメントありがとうございます。あちらに掲載されている文章から、さらに推敲されるのですか?
わたしは、ホントにいろいろな面を見習わないといけません!

whyさん、度々ありがとうございます。「排比」という言葉を初めて知りました。「まさに」ということを強調することと、もう少しリズムを持たせる文章にするのでしょうか?その部分のわたしの日本語は、あまり流れるようにはなっていませんねエ。。

hanyu07hanyu07 2011/08/23 20:31 whyさん
もといさんの訳文を横目でチラチラしつつ、一か所だけ青字にして修正してみました。

kawakamikawakami 2019/01/10 16:05 Hanyu07さん
はじめまして、川上と申します。
ネットで偶然にこのサイトに出会いました。勝手に挿し込み口をし、失礼いたします。
先ず、文中にありました“凱児”と“慈児”は、子供の名前です。前者が男の子で、後者は女の子です。
また、“阡陌”とは、田畑の南北方向(阡)と東西方向(陌)の農道のこと。古代陶淵明の「桃花源記」にあった“阡陌交通 雞犬相聞”との一句は、とても有名です。
以上 どうぞご参考ください。

kawakamikawakami 2019/01/10 16:05 Hanyu07さん
はじめまして、川上と申します。
ネットで偶然にこのサイトに出会いました。勝手に挿し込み口をし、失礼いたします。
先ず、文中にありました“凱児”と“慈児”は、子供の名前です。前者が男の子で、後者は女の子です。
また、“阡陌”とは、田畑の南北方向(阡)と東西方向(陌)の農道のこと。古代陶淵明の「桃花源記」にあった“阡陌交通 雞犬相聞”との一句は、とても有名です。
以上 どうぞご参考ください。

2011-01-05

暗記を諦める「荷塘月色」

英語と中国語の特集というので、生まれて初めて「週刊ダイヤモンド」なる雑誌を買いました。

と、全く予想していた通りに、特段おどろくような事はなかったのですが、ただ、ここで特集されている人たちの、「相当」ぶりに、ああ、わたしもまだまだ、「相当」ではないのね。という安心と、さらに、もう自分の年齢についての言い訳はしまい。と、いまは、「しまい」と思いました。

他にもいろいろ考えたことがあった気もするのですが。。英語力チェックみたいな項目があって、やってみたのですが、あれあれ。と、これまた自分の出来無さぶりに驚く。

答えを見れば、なあんだと解説がなくても、すぐ正解の理由を気づくのですが、やはりわたしも英語をやり直すとしたら、中学英語から出直さなければならないかもしれません。

と、そんな気もないわけではないのですが、もうしばらくは中国語の方に専念すべきかしらん。とか思ったり。


中国語の老師から年賀状をもらっていたので、今年初めての授業は、ビシッと決めたい。と、「心に残る中国語」の最後の課、朱自清の「荷塘月色」を暗記してみようと思い、ようやく文章を読みました。

しかし、老師が何度も言っていた、「名文」ぶりをここからは感じることができませんでした。あれえ。と調べると、やはり、魯迅以上に、原文を削除されていています。もともと短い文章なので、それを半分程度削除されているので、これは辛い。

と、自習としてネットから全文を読み、老師の授業では、テキストの音読とさせていただこうと思います。

ついでに、朱自清の有名な作品であるらしい、「背影」もサラッと読みました。ここでもミカンでわたしを泣かせようとします。正確には自力でサラッと読んだのでなはなく、日本語訳があったので、読んだ気になっただけなのかもしれませんが、少しこの話題を話すと、老師も喜んでくれるかもしれません。と、レッスンは老師に喜んでもらうための時間のような気もしてきましたが、意外にレッスンとか授業とはそういうものなのかもしれません。

さらに最近は「中級口語教程」を使いはじめると、単語、課文、練習問題とわたしの音読を確認する場となり、老師がテキストの説明をすることも殆どなくなってきました。

また、このテキスト「心に残る中国語」のおかげで中国語の暗唱が面白いと感じることが出来ました。暗唱をしようと試みることで、はじめて中国語の細かな点が見えてくることがわかったので、音源があって、一生ものになるような、欲をいえば作者が生きているくらいの現代性のある中国語文章を暗記したい欲が芽生えてきました。


別冊聴く中国語の「楽しく学ぶ小学4・5年生の教科書」は、さらに読み進めると、さらにさらに難しいです。小学生5年生用の教科書の内容は、わたしにとっては、魯迅や朱自清や村上春樹の翻訳者林少华の文章より、遙かに知らない言葉のパレードになります。それは、四文字熟語の多さなのかもしれません。もう、これでもか、まだなのか?というくらい、風景の美しさを現す文章が成語と四文字熟語の祭りになっています。この文章を聴き取れたら、もう完全な中級の仲間入りってやつなのではないでしょうか。

テキストには丁寧に一頁毎に練習問題までつけられているので、丁寧に全ての練習問題をやっています。さらに、このテキストは音読や、听写をして、使いこみたくなりました。

わたしが、感じた日中テキストの難易度は、こんな感じです。

中国の小学5年生用科書>日本の大学生向け中級テキスト>中国の中級テキスト>市販の1年間程度中国語を学習した人向けテキスト>中国の初級テキスト>日本の大学1年生向けテキスト>中国の入門テキスト


わたしの今の中国語水準は、初級の提高遍あたりだと思います。

週刊ダイヤモンドの英語を習得した誰かが書いていましたが、自分の水準より難しいことにしばらく挑戦して、また自分の水準の戻ると、そこが今まで以上にやさしく感じる。というようなことを書いていましたが、まさしく、わたしが中国語の小説を読んだり、「家有儿女」を使ったのも、そうそう。そういうことなのでは?と無理に感じたりする、1月にしては走っても寒くなかった朝でした。

江南紅豆江南紅豆 2011/01/06 17:11 こんにちわ。今年もよろしく♪

中国で体系的に編纂されたテキスト、手頃なのは北京大の「博雅漢語」シリーズ、ボリュームに耐えられるなら語言大の本科生用、を最初からさらってみて、きつくなったらストップしてゆっくり、やってみたら如何でしょう? HSKでのレベルや語彙数が明記してあって、目安になります。

hanyu07hanyu07 2011/01/06 23:54 こんにちは&ことよろ。
ところで、語言大の本科生用とは、具体的に何というテキストなのでしょうか?お土産でもらって全く開けてもいない「成功之路」というテキストを2冊持っているのですが、これも調べるとかなりの種類があるようですが、こういうテキストなのでしょうか?
あるいは、もっと分厚くて、何分冊もなっているテキストがあるのでしょうか?「博雅漢語」は、中国語の輸入書店ではよく見かけますが、語言の「漢語口語速成」や北大の「漢語口語」とは、全く違うのでしょうか?

江南紅豆江南紅豆 2011/01/07 08:03 本科用は、本科1年とか本科2年とか書いてあって、それぞれ口語やら総合や聴力やら色々あります。中国語を専門に4年間勉強する学生用なので、すごくボリュームがあります。

語言で一年程度中国語をやって中国語以外の専門を勉強する留学生のほうが多いので、「速成」篇や「精選」シリーズがあります。精選シリーズのラインナップは、301句→話漢語→橋梁。橋梁はまだカセットしかないかも知れません。

北京大の「博雅漢語」は、それぞれのレベルで必要なことに応じてテキストの作り方がどんどん変わっていくので、メインをこれにして、サブとして口語や読解を他のテキストで補うと、いい指南役になると思います。ただ教室で使うテキストとして作られていますから、最初から独学でこれをやるのはきついと思います。

hanyu07hanyu07 2011/01/07 11:40 いろいろ、お教えいただきありがとうです。と、本科用のテキストっていうと、やはり一般の中国語書籍を扱っているネットの輸入書店では難しいかもしれませんね。
あの中国映画のVCDと対訳本も届きました。心にどこかには、脱テキスト。というのもあったり。ううんん。

hanyu07hanyu07 2011/01/08 08:21 使っているテキストの表紙をよく見ると、「本科教材」とは書いてありますね。たとえば、「汉语初级口语教程」「汉语教程」は、本科の教材となっています。「教程」とつくテキストは、本科生用なのかも?