江戸の敵を長崎で…

いかなる意見を言おうとも、言論の自由は確保されるべきである。
医療者に対する批判は甘んじて受けねばならない。一切の批判を交えず、ひたすら聴くべきである。そこから新たな発見があったり、改善点が見いだされたりするものである。

ある病院に転勤してきたばかりのこと、難病で入退院を繰り返す患者さんを受け持った。はじめてその方の息子さんたちに病状説明した時のこと。そもそも自分が何も医療行為をしていないし、まずいこともしていないのに、ご家族は喧嘩腰なのである。息子さんの言い分では、「半年前に救急外来にかかった時、内科の他の医者が、こんなんで病院に連れてくるな、と言った。この病院はなっとらん。」以後、30分ほど不平不満を並べ立てる。
しばらくはじっと聴いていた。しかし、ご家族の剣幕は一向に衰えず、むしろ言葉を発する度に激高していくようである。
どうやら言動に若干問題のある某上の先生のことを指摘されたらしい。小生は直接非難されるいわれがないので、個人的にはあまりどうとも思わなかったが、やはりこれはひどいと思ったので「その件は自分とは何ら関係なく、今までご不快な思いをされたのはお気の毒だが、これからはそういうことのないようにしたい」どお話ししてその日は終わりとなった。時間はかなり遅くなっており、少しばかり疲労を感じたのは言うまでもない。


さて、最近医師がいろいろブログで発信する時代となった。多くは過酷な労働状況と理不尽な扱いを嘆く内容で、誠に真に迫っている。多くの医療とは直接関連ない方々に現実を知らせ、医療崩壊時代を乗り切ることを模索している。
多くのコメントは医療者に同情的ではあるが、中には「こんなとんでもない医者もいましたよ」といいたい御仁も出てくるだろう。
その方々が医療者に対しやりきれない感情を持たれたのは事実だろう。ただ、それを当事者でなく、全く関係のない医師のブログに書き込むのはいかがな物だろう。事態を少しでも改善させるのだろうか。
そのコメントを読んで若い医師が産科を目指すだろうか。
数は力である。数があれば何とかなる。そも人手不足では、いくら精鋭ぞろいでも取りこぼしが出てくるかもしれない。戦線は確実に破綻しつつある。どうしてそれが見えないのか。


カリスマ的ブログ医師にすべての人が賛意を示す必要などないのだけれど、直接関係のない黒い感情をコメント欄に塗り付けることが、事態をよくするとは思えない。

ただ、そういう方はどこの病院にいっても同じ風だろうから、世界をある方向に動かす力にはなっているのだろう。

静かな気持ちでいたいものだ。