『グーグーだって猫である』

グーグーだって猫である1 (角川文庫 お 25-1)

グーグーだって猫である1 (角川文庫 お 25-1)

大島弓子は僕の大好きなマンガ家だった。「だった」と言うと今は違うみたいなので、「だ」と言ってもいいのだが、最近ほとんど読んでいなかったので、「だった」と書いた。
たしか予備校時代だったと思うが、朝日新聞に『さよなら女たち』について書かれた記事が載っていて、試しに買って読んだらハマった。以降、大島弓子のコミックは全て買い揃え、古マンガ店(貸しマンガ屋だったかも)を回って大島作品が載った古マンガ雑誌を探したりもした。
綿の国星』の5巻くらいまではそんな具合に入れあげていたのだが、例えていえば、荒井由美松任谷由実になって作品の雰囲気が変わった(と、僕は勝手に思っている)ように、『綿の国星』はポップでオシャレな作品だけど、それまでの大島作品とは違ったものになってしまった気がして、それからぷっつり大島弓子から遠ざかっていた。
そして、久しぶりに大島弓子を買った。この『グーグーだって猫である』が何かの賞を取ったのは知っていたが、読む気はなかった。ただ、最近活字を読む気分にならないので、マンガでも読もうと思っただけである。
で、読んだ感想だが、なかなか面白かった。僕が犬とか猫とかに弱い(かわいくてしょうがない、という意味)ということもあるが、エッセイとして軽く読める。おそらく、僕が大島弓子から離れていった理由は作品が軽くなったからだと思うけれど、エッセイとして読む分にはこれくらいの軽さがいい。でも、重くて濃い新作が出ることを願っている(ありえないけど)。