「技術というバトン」

社内SNSに「技術というバトン」というタイトルで記事を書いた。

北京オリンピックで、見事銅メダルに輝いた男子400mリレーの活躍に胸を躍らせた方は多いと思います。その立役者であり、同競技をもって引退された朝原さんは勝因について、「最高のタイミングでバトンを渡すことができた」と語っています。

それは長年におよぶたゆまぬ研鑽とチームワークの賜であったと思うのですが、タイミングが重要なのは何もバトンに限らず、たとえば技術開発でも同じことが言えると思います。企業における技術開発は、それが事業に利することを狙って行われますが、あまり身近で既に実用に近い内容では差異化になりませんし、反対に先を行きすぎていても(というほど先を行くことは難しいのですが)、かえって事業に結びつけにくいことがあるでしょう。また、技術開発は、先が見えないから行うわけですから、やってみた結果途中であきらめてしまうものもあるわけです。

そう考えると、企業における技術開発成果を本来の目的である事業に活かすのは、まさにバトンを渡すのに近い難しさがあるように思います。バトンは渡す人と受け取る人があって、両者のタイミングが合って初めてうまく渡すことができます。

リレー選手が現役で活動できる期間が長くないように、技術開発においてもランナーとして走ることができる期間は限られています。自分が用意してきたTOMOYO Linuxというバトンが、うまく渡せると良いと思っています。

家に帰ってから、スクラップしていた新聞記事を探してみた。2009年6月12日の読売新聞、「言葉のアルバム」で「心通わせ銅の快挙」という記事があり、上のSNS記事はこれを思い出しながら書いたものだ。

「極限状態で通じ合えた。リレーで最も大切な『つながり』を感じ、迷いが消えた。銅メダル獲得という快挙はこうして産まれた。

北京五輪は(朝原氏にとって)9度目の世界高いでのリレー。何人もの選手とバトンの受け渡しをしたが、思い返せば失敗の方が多い。1996年アトランタ五輪では、うまく受け取れず予選で失格した。最後の五輪でのバトンパスは完璧と言っていい。それは「たくさんの仲間と重ねた経験が、僕の体に息づいていた」からだ。「みんなの努力がつながって、その延長線上にメダルがあった」と心から感じた。

バトンを渡すという動作は難しいものではない。しかし、それを五輪というやり直しのきかない舞台で、最高のタイミングで行うということはどれほど難しいことだろうと思う。スポーツをやらない自分にも、それがただ肉体的な動作ではなく、精神的な要素が含まれることは想像がつく。それが朝原氏の言う「つながり」だろう。

会社で行った技術開発は、幸いなことに五輪におけるバトンパスほど難しくはない。しかし、これがなかなかできない。時々どうして難しいのか考えるのだけれど、それもやはり(リレー競技ほどではなくても)信頼やつながりの問題じゃないかと思ったりする。もう少し信頼してくれても良いんじゃないかな、なんてね(笑)。