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一期一会紆余曲折 Twitter

2014-02-15

雪が鳴いてた。

| 22:13 | 雪が鳴いてた。を含むブックマーク

昔はテレビのニュースで天気予報士の木原さんあたりが
「明日は10年ぶりに雪が降ります!積もります!」
とか言いながら、家の中から窓の外を覗き込む、
そんな感じだったのに、今となってはSkype
「明日大雪らしいっすよ」
みたいな感じでその起こりえる事実を淡々と述べられる。
ニュースっていうか、ネタっぽい感じで。

事実、雪はドカドカ降ったし、
愛する京急も最寄り駅の手前で止まりかかったし
ブーツは雪で濡れてしまうし、吹雪いているから雪を食べるし、足下は白いし、
空は灰色だし、埋もれて明かりは目立たないし。
音のない白い世界は、流れに逆らって帰ることすら億劫で、
そのまま風に飛ばされて消えてしまってもいいかなぁ、なんて。
そんなことを思った。

家に帰って
窓に打ち付ける雪は鳴いていて
何かを訴えているような気がした。
普段はただ降るだけで、何も発しないからこそ
強くバチバチと鳴る雪は、もう助けてほしくて仕方ないような、
そんな悲しい鳴き声だった。

2013-12-04

生きること

21:35 | 生きることを含むブックマーク

どうしてこんなに難しいのだろう。
通勤ラッシュの新橋駅はせわしない人でたくさんで、歩くその場から人がどんどん遠ざかってゆく。

なにかを求めながら
なにかを探しながら

私はそのスピードについてゆけそうにない。灯火がどんどん小さくなってる。いつ消えてしまうのだろう。動かない両足と、相談しながら生きている。

2013-11-11

報われたいだけ。

| 01:08 |  報われたいだけ。を含むブックマーク


たったひとつでいい。報われたい。
だが、ひとつ報われたら、もうひとつ報われたくなる。
それは「欲望」。

欲望は果てしない。
欲がつきることはない。
ヒトとして当たり前の感情は、時にとても厄介だ。

報われない。報われない。
報われることなんて何もない。
でも、報われるためにはやるしかない。
そうやって、進んで、進んで、立ち止まって、進む。

報われないことを知りながら。
でも、本当にひとつだけでいい。
報われたい。こんな毎日は、うんざりだ。

2013-07-14

今一度、フジファブリックについて考える。

| 12:44 |  今一度、フジファブリックについて考える。を含むブックマーク


7月10日は、フジファブリック 志村正彦の誕生日でした。
本当ならば、彼は33歳なのに、29歳の志村の姿が私の中にはありました。

朝は高らかに「Laid Back」ではじまりを告げました。
フジフジ富士Qのはじまりでも流れたあの曲です。
梅雨明けの晴れ渡る青空にはピッタリの曲で
自然と身体はリズムを刻みます。

通勤の途中には「陽炎」です。
クーラーが入った涼しい車両から遠くを眺めると、
切れ間切れ間で蜃気楼が揺れています。
そうして、志村の残像が胸を締め付けるのです。

ちょっと一服して喫煙所に行くと、日はすっかり伸びていて
覆い茂る緑の隙間からオレンジ色に染まる空が見えます。
「茜色の夕日」です。
いろんなものをとっぱらって、直接、沈みゆく太陽が見たくなります。
そんなことを思ってしまうのです。

深夜の空気は澄んでいて、まばらに星だって見えるもの。
そういう時は「星降る夜になったら」ですよ。
一日の終わりをゴキゲンな気持ちで終わるのです。

翌日になって気がつきました。
私の中のフジファブリック、それは季節とともに、時間とともにあることを。
一日の経過の中に、季節が巡るたびに、そのときの表情の「フジファブリック」があるからこそ、私はフジファブリックが好きだったのか。ということに。365日、私自身の毎日がフジファブリック色の染まっていって、その時間がかけがえないものであったということを思った。

雨上がりの空には「虹」が。
夏休みの終わりには「若者のすべて」が。
艶かしい気持ちには「Strawberry Shortcakes」
気分が冴えない時には「バウムクーヘン
別れの時には「記念写真」。

過去のフジファブリックを思い返すと毎日の生活に曲が寄り添っていた。
だからこそ、私はフジファブリックが好きだった。
そんなことを思ってしまった。しまった。しまった。

2013-06-02

守られてること、自覚するから。

| 00:26 | 守られてること、自覚するから。を含むブックマーク


複合的にいろんなことが重なっているから、言葉に綴って残すことにする。
日々に積もる言葉の端々、記録することで記憶に残る。

悩むことは私の日常なのですが、それを励ますためなのか、それとも思っていることをただ素直に話してくれるのか、わからないけれど「ハラダはいい」と褒めてくれることが2回あった。
普段仕事に絡まないから、この人は私の何を見てそう評価してくれているのか、皆目検討もつかなくて、それはそれでモヤモヤしていたのだが、いろんな人の気持ちになってみて考えてみることにした。
そうすると何となくわかってきたから、その記録。

ある程度、年を重ねた大人(であろう方々)は、20代の小童の成長というものを見守っている。自分にもそういう時があったであろうことを思い返し、振り返りながらもアドバイスをするのではなく、自分で気づいて行動に持っていくように促していく。わからない時は教えてくれる。でも最終的には自分で「やる」しかない。やらないと始まらないから。

「やる」か「やらない」か。
「思う」か「思わない」か。

「やる」人間、「思う」人間を人は馬鹿にしない。
でも、思いは伝わらないと意味がない。

そういう思考プロセスを磨くには、日々の思いが重要で一朝一夕でできるものではない。
悩みは悩みとして一旦吐きだす。とりあえず吐く。その渦中はわかっていないけれど、ある一定の時期を過ぎたらココロのモヤは晴れていく。そうして変わって、違う自分になってゆく。
その様を大人(であろう方々)はときにおもしろおかしく、見守ってくれているのだと思う。

そう、私はいろいろなモノに守られている。
会社に守られているし、上司たちに守られている。
家族だって守ってくれている。
だから、いいんだ。
いろんなこと、失敗してもいいんだ。
「やっている」事実を見てくれる。「思い続けている」ことを評価する。

ココロの中に、ぶれない軸。
忘れなければ、だいじょうぶ。
笑いながら、悩みながら、掻き回していけばいいんだ。
それが「ハラダ」らしさ。
そういうハラダを、評価してくれている。