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BASC理事長 原耕造のブログ

2015-01-28

近代の超克

14:52

太平洋戦争が開戦された翌年の1942年に近代の超克という13名の評論家によるシンポジウムが行われた。明治時代以降の日本文化に多大な影響を与えてきた西洋文化の総括と超克を標榜していた。近代の超克とは政治においては民主主義の超克であり、経済においては資本主義の超克であり、思想においては自由主義の超克である。明治維新政府が目指した近代国家とは、国民の代表機関である議会制度や統一的に組織された行政制度、合理的法体系に基づく司法制度、国民的基盤に立つ常備軍制度等が整備され,中央集権的統治機構をもつ国家であった。その結果、民主主義の超克として大日本帝国憲法が制定され代議制民主主義が実現し、資本主義の超克として西洋技術の導入による産業革命が起こり、欧州の世界支配の超克として大東亜共栄圏が実現した。

戦後の日本も民主主義の超克として日本国憲法が制定され、普通選挙による代議制民主主義が行われ、資本主義の超克として経済成長が実現し、太平洋戦争の超克として憲法9条が実現した。

しかしこの2つの超克において欠けているものがあった。それは国の統治機構を整備するだけでは近代国家へ衣替えすることはできなかったことを意味する。

近代国民国家の国民意識の超克として、明治維新政府が意図した国家神道はキリスト教の役割を果たせなかった。それは敗戦後に天皇の人間宣言や神道指令が出されても日本では暴動が起きなかったことで証明される。戦後においても国民意識の超克として政教分離の下に国民の意識から宗教と哲学を排除してしまった。それは戦後70年間、自由と平和と民主主義の名の下で「経済成長」という「神話」だけを信じてきたことを意味する。その結果、経済成長が止まると国民は神話を喪失し、本来の「生きる哲学」を考えることが出来ずに露頭に迷っている。

前後レジームからの脱却でもなく戦後70年の総括でもなく、もう一度、明治維新以降の日本が目指してきたことの総括をしなければならない時期に来ている。現在、地球を席捲している西洋の近代国家の枠組みや価値感が総て正しい訳ではない。現在の日本の民主主義の枠組みが本当に日本人の育んできた社会の価値感に適合するのかどうか。沖縄県民は普天間基地の辺野古移設について反対し、先日の選挙でもその意思表示を明確にした。その結果、小選挙区では移設反対の候補者が全員当選した。しかし政府は沖縄県民の意志表示にも関わらず、移設のための調査を強行している。これは民主主義なのだろうか。国民の声を反映しない代議制民主主義は日本の機構と風土に適合しているのだろうか。原発問題も集団的自衛権問題も特定秘密問題も国民の意志とは違う方向に動いている。今回も経済成長神話に慣らされている国民はアベノミクスという神話もどきに欺かれて、本当に自分たちが求めているものは何かを見失っている。本当の生きる哲学とは何かが分からない国民になってしまったようだ。

2015-01-20

1992年と最後の審判

14:51

農業と環境のドッキングの仕事をして10年以上になるが、その間、どうしても分からないことがあった。それは1992年のEUのCAP改革、特に環境直接支払い政策への転換と同年にリオデジャネイロでスタートした第1回地球環境会議の背景であった。この2つは世界の農業政策と環境政策を大きく転換させ、私はこの2つの間には何らかの仕掛け人がいると思っていた。しかし、いくら調べてもそのような人間はおらず、自然発生的に大転換がスタートしたのであるが、その原因がどうしても分からなかった。

1992年のCAP改革はガットウルグァイラウンド交渉の決着点であり、当時のEC財政からすれば転換せざるを得ない状況であった。そこで国際的価格競争からの転換政策として直接支払いをスタートさせたのであるが、環境負荷を軽減させる農業に対して環境直接支払いも同時にスタートした。EC農業が目指してきた、生産性を向上して国際競争力を高める農業政策から、地域の環境政策と農業政策をドッキングさせ、その行為に対して国民の税金を投入するという、これまでのEC共通農業政策には無かったものであった。

1992年の地球環境会議はこれまでの環境政策を地球規模で行う合意を取り付けた会議であり、背景としては地球温暖化問題や絶滅危惧種の増加問題という状況があった。そこで気候変動枠組み条約と生物多様性条約という2つの国際条約が決議された。これらは国連が主催しているが基本的にはEUが世界をリードしている。

この2つの背景となるヨーロッパ市民の意識転換は何時どのようになされたのか、私は1980年代の様々な出来事を分析した。そのなかで意識転換を促した最大の出来事は1986年のチェルノブイリ原発事故ではないかというのが私の結論であった。更に1986年にはスイスのバーゼルで化学薬品の工場が爆発してライン川を汚染し北海まで汚染されたことも環境問題への大きな変化を促した。その後、EU統合に向けての1987年の欧州統一議定書がCAP改革の始まりとなり、狂牛病問題等が農業政策の方向性を大きく変えたと思っていた。私の昨年のブログでもEU市民の意識というタイトルで説明している。そこではヨーロッパ人と日本人の「自然」に対する概念が全く異なることも原因の一つとして分析している。人間は自然を管理するために神に似せて造られ、自然の管理人としての責任が創造主から問われた結果、環境への意識転換がなされたという論理である。しかしこの理論は当時、西ドイツに住んでいた私としては、何故か自分の理論に納得していなかった。

昨年の11月に明治神宮で「いのちの感謝収穫祭」というタイトルで新嘗祭を行った。その際に様々な人に会い、様々な文書を調べていくうちに宗教と哲学の問題に突き当たった。何度も訪れているバチカンの教会には何故「哲学の間」があり、アリストテレスとプラトンが描かれているのか、ソクラテスの死とキリストの死はヨーロッパ人にどのように捉えられているのか、キリスト教神学とは一体何か、学校の教科書で通り一遍のことしか勉強していない私にとっては全く分からない世界であった。しかし様々な文献を調べていくうちに「最後の審判」という課題に直面した。ミケランジェロの描いた最後の審判はシスティナ礼拝堂で何度も見ているが、立派な体格をしたキリストが人間の行き先を天国と地獄に分けているフレスコ画である。そこにはグレーゾーンは無く、天国か地獄であり、人間であれば誰も地獄行きの裁きを受けたいとは思わない。ここでやっと私の疑問が解けた。

自然の管理人として神に創造された人間が、自然科学の発達により神が創造した自然を破壊してしまった。その破壊も産業革命当時の森林破壊ではなく、チェルノブイリのように自然を修復不可能にする状況にまでしてしまった。自然の管理を神から任された人間としては、創造主に対する管理責任を果たしておらず、神に対する裏切り行為であることは間違いない。その結果、現在の人間は最後の審判で地獄に落とされることはシスティナ礼拝堂の壁画のとおりである。私は殆どがキリスト教徒であるヨーロッパ人が、1980年代に起きた様々な環境破壊が自然の創造主に対する冒涜であり、その結果、自分たちは最後の審判で地獄に落とされることを自覚したのだと思う。キリスト教徒てあればカソリックもプロテスタントイギリス国教会も最後の審判に対する畏怖は同じである。地獄に落とされたくないキリスト教徒はこれまでの自然科学優先志向から転換をし、キリスト教の理性として地球環境を破壊しない哲学を持ったというのが私の推論である。

こう考えれば1992年の謎は解け、それ以降の地球環境問題でヨーロッパが世界をリードしている理由、ドイツが福島原発以降に原発政策の大転換をした理由も理解できる。日本人は自然に対する考え方もヨーロッパ人とは異なり、人間は自然と一体となり、そこには自然に対する管理責任という発想は無い。更に、日本の八百万の神は自然神であり、人格神として最後の審判はしない。それではどうしたら良いのかということについては別項目で論じてみたい。

2015-01-18

全中改革と農協改革

12:49

佐賀県知事選の結果を受けて、農協改革の方向性について様々な意見が噴出している。私はここでもう一度、今回の改革は全中改革が主眼であって、抜本的農協改革では無いということを認識してもらいたいと思っている。殆どの人は全中改革と地域農協改革の違いが分からないし、改革案を策定している当事者も分かっていないのでは無いかと思う。

私はここで単に地域農協と全中の法人格の違いを言っているわけではない。この違いは地域政策の視点から論じないと本質が見えてこない。JAグループの全国連組織は全中を始め、全農、農林中金全共連等があり、それぞれ経済、信用、共済という機能を分担している。それぞれの事業機能を遂行するために全国連に求められる機能があり、今回の農協改革では全農の株式会社化が議論されている。全農の株式会社化については今回の農協改革議論ではあまり問題となっていない。実は、そこが問題の本質であって、地域農協は全農が株式会社になっても反対運動はしないし、当の全農職員も問題視はしていない。それは全農が地域農協の地域活動に対して、殆どコミットしていないということを意味している。地域農協は系統利用という縛りのなかで全農利用を優先してきたが、全農が株式会社化すればその系統利用という「くびき」から解放される。これまでは一種の後ろめたさを感じながら系統外利用をしてきたが、今回を契機に地域農協は堂々と全農を利用しなくても良いという「お墨付き」を得ることになるのだ。全農は農産物や資材という商品だけを通じた地域農協とのつながりであり、地域農協は系統意識を持っているがゆえに全農を経済原則だけで位置づけなかった。しかし全農は大手町の感覚だけで事業をしているので、地域農協の背後にある系統利用という協同組合意識に気づかず、今回の株式会社化を歓迎している。

全中は指導事業を通じて地域農協とつながっているが、そこの関係性は全農とは異なり単純に割り切れない。問題となっている営農指導事業であるが、この評価は非常に難しい。農作物の栽培に関する営農指導は、地域の試験場や農業改良普及センターが地域農協と一緒に実施しており、そこに全中が直接参加することはない。全中は農水省が策定した地域農業政策に則り、それぞれの地域農協における地域農業政策を指導することが主眼で、そこに全中独自の指導はあまり見られない。それは無理のないことで、全中は地域活動に直接係ることは殆ど無く、地域政策の指導は出来ないからだ。

今回の改革の主眼は地域農業政策の実行主体の変更問題であり、地域農協の主体性をどのように育てるかの視点で議論しなければならない。地域の選挙に対するパワーを誇示するだけでは何の解決にもならない。

2014-12-11

いのちの感謝収穫祭

14:15

11月に「いのちの感謝収穫祭」を明治神宮で行った。行った理由は、勤労感謝の日が戦前は「新嘗祭」という新穀の収穫を神様に感謝する行事が行われていたことを殆どの国民は忘れてしまったからだ。GHQは昭和20年の神道指令により、政教分離政策の一つとして国家神道と関連する祝日の名称を変更し、新嘗祭も「勤労感謝の日」という名称になった。

更に戦後の米の増産政策と食の洋風化政策による需要の減少により米の需給は100%を達成し、その結果、昭和45年に減反政策が始まり未だに継続している。このような状況が45年も続いたので日本国民は豊作を喜ぶという当たり前の感情を失ってしまった。更に高度成長経済を経験するなかで、農業も一つの産業として見る考え方が当たり前となり、生産性や安全性や品質という消費者の視点だけで論じられるようになってしまった。このことは現在の日本人が「安くて安全であれば輸入米で構わない」と思い、米価が低迷して稲作農家が田んぼを耕さなくなっても何の痛みも感じない国民になってしまったことを意味する。耕さなくなった田んぼに生きものがいなくなることなどは、国民は全く意に介さない。このままではTPPで輸入米が急増しても、米の値段が安くなるといって日本の消費者は歓迎することが予想される。消費者はその結果、「国敗れて山河あり、城春にして草木深し」となることを想定していない。

今回の企画は、「豊葦原の瑞穂の国」が滅びようとしていることを、国民が認識することを目的とした。消費者として米を考えるのではなく、豊葦原瑞穂の国の民として米を考える機会が今回の新嘗祭。明治神宮で行うことにより一部には右翼的活動ではないかと勘違いする人がいるが全くそのようなことはない。

講演会では憲法・皇室法研究科の田尾さんに「稲作神事と日本人」の話をしてもらい、私の仲間の宇根さんには「神とタマシイと情愛の世界を求めて」というタイトルで話してもらった。ともに「現在の日本人が忘れてしまったものは何か」、「日本人が大切にしなければならないものは何か」という話であった。

参加した稲作農家は、新嘗祭が天皇の宮中祭祀であり、全国の稲作農家とともに収穫を喜ぶ儀式であることを知り、大変喜ぶとともに自分たちの稲作に誇りを持った。参加した神社関係者は、田んぼの生きもの調査が「八百万の神様」を認識する活動であり、経済成長や科学技術優先の現在の日本に警鐘を鳴らすものであることを認識した。

講演会終了後は一般的なパーティではなく、全国の8ヶ所の稲作農家の新米を温かいご飯で食べる企画とした。新米は生きもの調査を実施している農家や有機栽培をしている農家から提供してもらった。新鮮な玉子と海苔や醤油を揃えて「卵がけご飯」を味わってもらい、漁師が採った海の幸を使った佃煮やフリ大根等も提供した。更に4ヶ所の酒蔵から日本酒を提供してもらい、出展している農家や神社関係の方、様々な取り組みをしている市民たちの話が盛り上がった。従来の生産者と消費者の交流会とは異なり、様々な人たちが集まり、日本国民としていのちと収穫に感謝する集いとなった。

今後はいのちの感謝収穫祭を全国各地の神社と地域で展開することを考えている。地域の生きもの調査の結果と生きもの語りを「絵馬」として地域の神社に奉納し、それを地域の風土記として後世に残す取り組みとしたいと思っている。そうすれば豊葦原の瑞穂の国の民として、経済成長や科学技術を優先しない価値観を持った社会が実現し、その社会を後世の民に引き継ぐことができる。

2014-10-29

タテ社会ヨコ社会

14:50

1967年に出版された中根千枝の著書『タテ社会の人間関係』を読んだ時には私はまだ18歳の学生であった。文化人類学という言葉とともに何となく分かったような気になっていたが、50年以上経過した今、初めて理解できたことがある。それは日本人が西欧近代社会以上のタテ社会になってしまったということだ。私のタテヨコの言葉遣いは中根さんとは異なるが、国民の課題解決方法が戦前までの日本社会から大きく変化したというのが私の認識なのだ。最近では「近代の超克」という言葉が使われているが、現代の日本人は西欧人以上に個人主義が発達してしまい、そのことを現代日本人が認識をしていないところに危機が存在するという考え方なのだ。

現代日本の抱える様々な課題、人口減少と年金負担、原発再稼働と自然エネルギー、デフレ脱却と経済成長、集団的自衛権と尖閣竹島、介護と福祉、防犯と防災等、これらは総て政治的課題であり国民は国の政策と予算抜きには解決できないと思っている。国民は国の政策に対する選択はデモや反対運動等の要請行動と政党の公約に対する選挙しか方法が無いと思っている。国民は納税の対価として行政による公共サービスを受ける権利があると思っていたが、その予算は充分ではなく、消費税率のアップ受け入れも致し方ないと思っている。

しかし本当にそうだろうか。これは現代の日本人がタテ型社会の構造にドップリ浸かり、解決方法を見失ってしまったからではないだろうか。これがタテ社会とヨコ社会の私の問題意識である。

そこでもう一度、西欧哲学の歴史を勉強している時に、ハイデッガーの実存主義と和辻哲郎の実存主義の違いを書いた文章に出会った。ハイデッガーは「時間」に着目した実存主義者であるが、和辻は「時間」だけでなく「空間」も重視する実存主義者であった。つまりハイデッガーは「人間とは何か」の問いに対し、人間を「その人だけの生涯という時間」で意義付けようとし、きわめて個人主義的な思想家であった。和辻はそれに対し、社会という「個人を包む空間」を視野に入れ、人間が持つ「個人」と「社会の一員」という二面性を見出した。そして「存在」という言葉そのものが、そうした人間の二面性を示しているということを「風土」という著書で言っている。「存」という語は「何かがあることを人が自覚する」という意味であり、そこには時間の意味が含まれている。「在」という語は「どこかの場所にある」という意味であり、そこは「社会のどこか」であり、「人間が社会と関係している、同じ社会に暮らす他人とつながりを持ちながら生きている」ということを示している。

和辻にとって人間の自律とは、周囲に流されない「自分は自分だ」というしっかりした自覚を持ち、そのうえで、「自分だけにこだわる気持ちは捨てて社会の一員としての自分を作る」ということだった。将にタテ社会を象徴する典型的個人主義とヨコ社会を象徴する日本型ムラ社会意識があって初めて、日本人が存在するのだ。日本の伝統文化に美を見出す和辻は「天皇を頂点としてまとまる日本社会」が「在」であり、「天皇崇拝国家」の信奉者というレッテルを戦後にはられた。しかし、それは占領政策としての国家神道の否定の影響を受けただけで、戦前までの日本社会の特質と西欧哲学との違いを明確にしている。戦後の日本人はハイデッガーの背景にある西欧型個人主義に基づく実存主義に染まってしまい、戦前の日本人が持っていた「社会の一員としての人間」である「在」という語を忘れてしまった。

この「在」という語は「神」の問題と直結しており、西欧哲学の基本は「絶対神」が自然を創造したので「在」の前提が日本人と異なる。古事記にもイザナギとイザナミという国生みの神はいるが「絶対神」では無い。和辻の風土ではないが、日本人の「在」は「豊葦原瑞穂国」であり、昭和の40年代後半までは米は増産され、豊作を日本人全体が喜んでいた。しかし減反政策以降は、豊作を喜ぶ日本人が減少し、豊葦原瑞穂国という言葉も聞かれなくなってしまった。それは「新嘗祭」という神事の日が「勤労感謝の日」という訳の分からない祝日になってしまい、そのことを学校でも教えない。その結果、2000年以上かけて営々と築き上げてきた日本の水田は耕作放棄地となり、TPPによって更に耕作放棄地が加速されようとしている。それは豊葦原瑞穂国の国土が消滅してゆくことを意味していることを現在の日本人は意識していない。和辻が言う「存在」という日本人の原点から「在」という国土がなくなり、「存」という自分だけの生涯のなかで考える西欧型個人主義に日本人が転換してしまったことを意味している。西欧では個人主義に基づく思想は継続しているものの、社会政策としては「在」に注目した地域環境政策に大きく転換している。しかし現代の日本人はそのことに気づいていない。

現代日本社会が抱える様々な課題はタテ社会の政治では解決できない。もう一度、「在」に対する意識を新たにし、地域から社会を変える取り組みに転換してゆかないと、豊葦原瑞穂の国はいずれ消滅の危機をむかえるであろう。