Hatena::ブログ(Diary)

BASC理事長 原耕造のブログ

2014-04-10

Hokkaidoというカボチャ

16:50

先日、若い農業者の集まりに参加して面白い体験をした。これから就農する女性と話をしているうちに、彼女が南ドイツで有機農業の研修をしていた話になり、私は20数年前に欧州で契約栽培をしていた話をした。私は当時の西ドイツに駐在し、日本の農産物を輸入する業務を担当していた。もちろん当時であるから日本から欧州への農産物の輸出は殆ど無かった。しかし西ドイツのケルンやフランスのパリで行われた食品展示会に日本の農産物を出品して、希少価値としての人気が出始めた頃であった。私はその市場を開拓するために現地に送り込まれ、全く白紙の状態からビジネスがスタートした。

当時の日本から欧州への輸送には赤道を通らなければならず、生鮮品は賞品劣化が激しかった。しかしその頃から冷蔵のコンテナが開発され、日本から欧州への輸出の道が開かれた。開かれたといっても1ヶ月以上輸送期間を要し、梨やリンゴなどの果実に限定されていた。当然、生鮮野菜はビジネス対象外である。

当時の欧州は防疫上の問題から日本への農産物の輸出ができない状況であった。それは地中海ミバエの問題であり、欧州からの輸出港であるロッテルダムに日本の貿易検査官が来ていたが、なかなか問題をクリアーで来なかった。オランダの農産物輸出を担当する人間がその問題解決を相談するために、私の事務所を尋ねてきた。私は当時日本から日本語ワープロを持参していたので、彼が主張することを丁寧な日本語で打ち出し、その結果、防疫問題が解決した。その後、彼と親しくなり、私が欧州に日本型食生活を広め、日本という国に対する理解を促進したいという希望を伝えた。すると彼はすぐにオランダの篤農家を私に紹介してくれ、日本種野菜の契約栽培が可能となった。可能になったとはいえ、総てを1人で開発しなければならない。まず日本種野菜の種はアムステルダムにあったタキイ種苗を説得して種を輸入し、栽培指導は日本から栽培書籍を取り寄せ、それを翻訳しながら農家に説明した。一番苦労したのが出来上がった商品の集配業務であった。現在のように宅急便などは存在しないので、農家の近隣の市場に出向き、そこで配送をしてくれる仲買人を探しださなければならなかった。オランダ各地で生産された日本種野菜は西ドイツのデュッセルドルフに集め、そこからロンドンやパリなどの欧州の主要都市へ配送した。その配送業務は魚介類の配送をしていた航空会社の関連会社が担当した。

このような苦労をしながらオランダの農家と野菜の栽培に取り組んでいた。具体的には小型ナス、ニラ、大葉、ゴボウ、トマト、キュウリ、春菊、カボチャなどであった。果菜類の栽培で苦労した点は、欧州の野菜は重量取引なのでナスでもキュウリでもそのまま大きく栽培してしまうこと。彼らにしてみれば重量取引が基本なので当然のことであるが、こちらとしては個数取引を希望していた。欧州の市場にある大型のものではなく、小型のナスやキュウリをつくることが目的なのだ。理解してもらうのにかなり時間を要した。葉菜類の栽培で苦労した点は「太陽の力」であった。オランダの緯度は樺太と同じくらいであり、商品の外観はできるが、ナスは色落ちが早く、ニラや大葉や春菊は香りが出ない。太陽の力の凄さを感じた。そのようななかでカボチャはうまくいったほうであった。欧州のカボチャは総てスープ原料となる大型カボチャであり、日本のような小型のカボチャは無かった。そこでエビスカボチャの栽培に取り組み、収穫後は営業倉庫を借りて販売をしていたが、総ての販売は出来ずロスになってしまった。

このように様々な苦労を重ねたが、ビジネスとしてはあまり収益が上がらず、私の後継者はいなかった。日本に帰国後もオランダの担当者は日本市場開拓のために私のところを訪ね、私は様々アドバイスをした。日本にパプリカやチコリのマーケットができたのは彼の努力と私のアドバイスの結果である。その後、私も何度か欧州を訪問したが、一度ミュンヘン近郊のオーガニック店舗でHokkaidoという名前でエビスカボチャが販売されているのを発見し、非常に嬉しかった記憶がある。しかしその後、約20年間、欧州産エビスカボチャとの出会いは無かった。

その20年ぶりの出会いが先日、彼女を通して実現したのである。彼女は農業研修をしていたので、何故、欧州にエビスカボチャがあるのか、その原因を考えていたそうだ。まさかその原因者が自分の目の前にいたことに彼女は大感激をしたのだ。私も20年ぶりの欧州産エビスカボチャの便りを彼女から聞いて非常に喜び、お酒がすすんでしまった。昔の欧州の彼女に会ったような気分であった。(嘘か本当かはご想像にお任せします)

最近では和食のユネスコ登録だとか農産物の海外輸出などが話題にのぼるが、私の若い時代の思いはビジネスが目的では無かった。私が欧州に滞在して欧州の料理を食べ、その背景となる農産物ができる気候と風土が分かり、欧州人の発想法と歴史が理解できたように、日本人が普段から何を食べて何を考えているのか。その背景となる日本の気候と風土を理解してもらうために、日本種野菜つくりを頑張ってきたのだ。

更に、契約栽培をしてきた欧州の農家と付き合って分かったこと。それは農家に国境は無いということだ。農産物を海外に輸出して相手国の農家を困らせようと思っている農家は世界中どこにもいない。グローバリゼーションや市場原理主義というベールに覆われているが、覆われている先の農家を見つめる眼差しを持たなければならない。

2014-02-14

市民が取り組む国土強靭化計画

16:00

現在、国は公共事業として国土強靭化計画が進めているが、それは大災害に備える防災対策として必要だからだ。しかし防災対策は道路や施設の整備だけではない。私たち市民が取り組む防災対策も重要な国土強靭化計画の一つ。市民が取り組む防災対策というと消化訓練と防災グッズが頭に浮かぶ。しかしそれだけで防災対策として充分なのか。

以前、東南海地震の時に救助部隊が到着するまで2週間かかるという発表がされた。しかし私たちの考えている防災対策は2週間という期間を想定しているのか。家庭における防災食料は平均3日。4日目以降10日間の食料はどこに備蓄しているのか。更に大災害では電気、ガス、水道という公共インフラが停止してしまうが、10日間の燃料と水は何処にあるのか。

皆さんの避難場所の食料備蓄はどの程度あるか調べてみる必要がある。更に避難場所には何人の人が避難してくるのか調べてみる。大変なことが分かると思う。私の地域の避難場所の食料備蓄は地域の全員が避難してきた場合、1日で無くなることが分かった。更に、近くの航空自衛隊基地を見学に行き、食料備蓄を調べたら、そこには自衛隊員の食料備蓄しか無かった。3.11の時は遠くの県の基地からヘリコプターで食料が運ばれ、それを被災地にヘリコプターで運んでいたそうだ。

そこでもう一つの問題が浮かび上がった。最近、ニュースでも報道された富士山の噴火。火山弾が遠くまで飛んでくるという被害想定がされているが、問題は火山灰。火山灰が大量に降ったらヘリコプターは飛べない。もちろん周辺の道路は通行不能となる。そうなると最低10日間の食料を確保しておかないと大変なことになることは誰でも想像できる。10日間では餓死しないかもしれないが、老人や子供は大変なことになる。

以前、この欄でスイスの防災について書いたが、スイスでは半年間、国民が飢えない対策を講じている。国土を強靭にするために道路や堤防も整備しなければならないが、防災とは初期、中期、長期で考えるものだ。初期防災は誰もが意識しているが、中期や長期の防災は殆ど意識していない。これを日本人の国民性と言って片付けてしまうのは簡単だが、何時起こるか分からないし、起きた後で考えても後の祭りなのだ。

ここで殆どの人は国や市町村が対策を考えるべきだという議論をする。しかし災害は議論を待ってくれない。スイスと同じく、以前、この欄でシエーナウの想いという文章を書いたが、国の政策を待つのではなく、地域の暮らしと命を守る活動は市民が自ら取り組むことが必要なのだ。

私はこのスイスとドイツの教訓を活かして地域から取り組みを始めている。10年前から始めている地域の交流イベント活動を防災活動に転換する活動である。それは交流活動として展開してきた様々なイベント(餅つき、ソーメン流し、収穫祭等)を防災の視点で組み直すことから始めた。地域防災の基本は食料と燃料と水。その3点を拠点に整備し、地域住民の手で10日以上の炊き出しが可能となる仕組みを作った。水は拠点にホタル用の井戸を作り、更に手押しポンプを整備した。燃料は拠点の敷地内の大量の間伐材を薪にして、乾燥したものからイベントで使用。食料は5kgのお米をランニングストックとして家庭に置く運動を展開する予定。最近の家庭ではお米は何時でも手に入ると思い、殆ど在庫を置いていない。お米は完全栄養食であり、保存食では無いので家庭に置き場所を確保すれば問題はない。更に玄米で仕入れている米屋と災害時に協力してくれる産地を結びつけ、日常的にそこの産地の米を食べるようにしてゆけば、長期防災にも役立つ。拠点周辺の農地はスイスのように食料備蓄基地として位置づけ、農家の協力態勢を取り付ける準備をしている。蛇足であるが、この取組は地域住民が支援する究極の都市農地対策ではないかと思っている。更に、飢餓の究極対策として、拠点周辺にある農地で動物や植物の生きもの調査を子どもたちと一緒にし、食べられるかと食べ方について教えようと思っている。

私の生きている時に大災害は起きないかもしれないが、このような取り組みを日常的にしておれば、戦争が起きた時でも生き残れる持続可能な地域になることは間違いない。これはスイスの国防とシェーナウの市民活動を手本にした、市民による税金を使わない国土強靭化計画ではないだろうか。

都知事選と市民活動

15:50

先般行われた都知事選で細川さんが敗れた。原因について様々言われているが、私は小泉さんが脱原発の取り組み方を間違えた結果ではないかと思っている。小泉さんはドイツに行って脱原発の市民運動とその運動がドイツの政策決定に大きな影響を与えたことを学び、市民活動の大切さを認識したと思っていた。それはドイツから帰国した当時から政治活動とは一線を画し、市民活動を支援するような発言からも感じ取れた。しかし脱原発への安倍首相の説得が失敗に終わると都知事選に細川さんを担ぎ出し、あたかも「細川さんが都知事になれば国が脱原発政策に舵取りを変更する」というシナリオを描いた。

それは小泉さんが市民活動にシフトして脱原発を進めるという私の思い込みとは全く異なる展開であった。これからの日本は政治が国を変えるのではなく、市民が国を変えるという先進国の潮流に沿ったものではなかった。細川さんは政治活動から一度は引退をし、東日本大震災の復興支援活動をするなかで脱原発を市民レベルで唱えていた。そういう意味では 小泉さんと同様、政治活動から市民活動へ転換したはずの人であった。このように市民活動へ意識転換をしたはずの2人が「脱原発」というスローガンを掲げて都知事選という政治の世界に復帰したことに違和感を覚えた人間はかなりの数がいたと思う。所詮、小泉さんも細川さんも政治から引退したとはいえ政治という幻影から逃れられなかったのである。

小泉さんはドイツのシェーナウに行って、市民活動が国を動かして脱原発政策に転換したことを学んだはずである。しかし学んだのは表面的なことであり、本質は学びきれなかったのであろう。

脱原発というスローガンを掲げた一点突破の選挙手法が通用しなかったというのが、一般的なマスコミの評論である。しかしマスコミも本質を理解していない。選挙で訴えなければならなかった事は、「各地域で脱原発に取り組んでいる市民活動を支援する」というスローガンだったのだ。そうすれば例え都知事選で敗れたとしても、全国でエネルギー転換の具体的活動している仲間を勇気づけることができた。シェーナウの市民も最初は様々な抵抗にあったが、仲間を増やすことで克服してきた。脱原発もスローガンを掲げて反対運動だけをしていても変わらない。それは現在の社会構造が、選挙という民主的な手法により選ばれた人間が国の方針を決定する社会ではなく、選挙をしない大会社の社長が国の方針の決定に大きな影響力を持っている社会なのである。世界は選挙で選ばれた政治家が動かしているのではなく、グローバル企業のトップが企業経営の論理で世界を動かしている。このことはローマクラブの40年の総括にも書かれている。

脱原発や遺伝子組換等の問題は選挙で選ばれた政治家では決断できない。シェーナウのように市民が地域から自分たちの活動を実現しながら仲間を増やしていくしか方法はない。我が国では市民活動というと直ぐに反対運動という形をイメージするが、日本でも全国各地で様々な市民による取り組みがされている。このような小さな地域での取り組みはマスコミでは取り上げないし、政治家も票にならないので参加しない。更に、自分たちが普段から地域活動に参加していないから大切さの実感が湧かない。小泉さんも細川さんも政治が変われば国が変わるという民主主義の図式を信じているようだが、自分で市民活動をすることをお勧めする。小泉さんは横須賀でエンタープライズの市民活動を知っているし、細川さんは熊本でチッソ患者認定の市民活動を知っている。まずは自分の住んでいる地域の市民活動に自ら参加して、活動の仲間の輪を広げることから始めて下さい。政治活動という「一鎌起こし」の幻影は捨て、地域の一つ一つの小さな取り組みの活動を自分が死ぬまで続けることが今一番大切なのではないでしょうか。

2013-11-28

自主防災と都市農地

14:25

先日、私の地域活動の一つである落川交流センター運営委員会で、センター周辺の農地と用水を巡る企画を実施した。この企画は私のもう一つの地域活動である、市民による都市農業研究会で検討してきた体験農園を私たちの地域で実現することを目的としている。更に体験農園を地域で実現するだけでなく、地域の防災活動と連携する「自治会防災農園」という新しい体験農園を交流センター周辺の農地で実現することも目的としている。このような活動に至った経過を少し説明する。

私が活動している落川交流センターは、平成16年に開設した日野市の交流センターの一つであるが、以前は千代田区の小学校の林間学校の施設として利用されていた。その後、林間学校が閉鎖されてからは千代田区の遺跡保管倉庫として利用されていた。敷地面積は1haほどあり、鬱蒼とした森が浅川流域にあって幽霊屋敷のような様相を呈していた。地域住民からは敷地の市民への開放を望む声が20年以上前から出始め、平成14年から本格的な市民活動が展開されてきた。この市民活動が母体となって交流センター運営委員会が設立され、センターの自主運営が開始された。この運営委員会は周辺の10自治会と周辺で活動している市民団体、子ども会、商店会、消防団、隣接している療護園などが構成団体となっている。世帯数は約3000世帯、市からの補助金も無く自主経営を基本とし、地域の市民活動団体と連携した広域連合自治会活動という新しいタイプの市民活動を行っている。

これまで運営委員会は地域の人的交流を促進するために、様々なイベントを企画し実践してきた。お正月餅つき大会、ホタル鑑賞会、夏休み流しソーメン大会、ごみゼロ収穫祭などで、参加者は毎回150人前後。ホタル鑑賞会には600人以上の参加者がある。このように人的交流イベントを実施する中で、交流センターでは釜戸セットなどのイベント用備品を整備してきた。その備品を整備する過程で、これらの備品と調理や炊飯の活動は地域の自主的な防災活動につながるのではないかという意見が3.11の大震災以降、多く出てきた。それは災害に対処するためには、防災指定避難場所に避難して救援を待つだけでは充分でないという認識が広ってきたからだ。国が東南海大地震の対応として、本格的な救助が来るまでには2週間程度はかかるという報道も認識に拍車をかけた。

このような情勢認識を受け、運営委員会では今年度の活動方針として、これまでの活動目的を地域交流だけではなく地域防災の視点も導入することにした。災害直後2週間程度は自分の手で自分の家族や隣人を守らなければならないが、そのためには何をしたら良いのか。一つはそれぞれの自治会で行っている防災訓練。これは釜石小学校の奇跡でも分かるように、普段からの訓練が災害時に大切であることを教えてくれる。しかし消火活動や避難行動などはあくまでも初動対策としの防災訓練。電気、ガス、水道という生活インフラが崩壊した時に、避難場所に退避して何をするのかという訓練ではない。

そこで初動対策実施後、本格的救助が開始されるまでの間の「中間的防災訓練」が必要となる。その中間的防災訓練の一つが交流センターで実施しているイベント用の炊事や調理の活動ではないか。交流センターのイベントでは釜戸セットで煮炊きをしているので電気とガスがストップしても大丈夫。燃料の薪についても交流センター敷地内の剪定枝を利用して備蓄を進めている。交流センターにはホタルの里を開設する時に整備した井戸もあり、いつでも使用可能な状態(飲料向け試験はしていない)になっている。私たちの地域の防災指定避難場所は近くの小学校であるが、中間的防災訓練は実施していない。そこで交流センターが指定避難場所の小学校への炊き出し基地として機能すれば、中間的防災機能が付加され、更なる防災対策になると確信している。

今年度、新たに企画した「農地と用水巡り」は、交流センター内の炊き出し訓練活動だけでは中間的防災訓練が完結しないことを知ってもらうことが目的。それは炊き出しをする材料が無ければいくら訓練をしても成果は出ないからだ。炊き出し材料は近隣スーパー等の店頭や在庫では多分数日で無くなってしまう可能性が強い。そこで私たちの地域の特徴を活かした「農地で備蓄」という企画をしてみた。この企画は平成の大冷害の時の米不足を二度と経験しないために、通常は田んぼで鶏用の米を栽培するが緊急時にはそれを人用に転用する試み。この取組が契機となって現在の飼料米に至っている。つまり交流センター周辺の農地で、平時は通常の栽培をするが、緊急時には炊き出し用材料に優先転用してもらう企画である。この方式は既にスイスで実施されている防災施策であり、災害時に作物転換も含めて農地活用がされ、スイス人が生き残るためのエネルギーを確保すること等が法律で定められている。今回の企画のもう一つの特徴は自治会住民参加による多品目栽培にある。平時の農家栽培では単一品目に偏る傾向があるが、自治会住民が参加する体験農園の形式をとると多品目通年栽培が可能となる。更に体験農園参加自治会住民は何処の農地で何を栽培しているかの情報を知っており、炊き出しメニューが豊富になる。私が「自治会防災農園」と呼ぶ理由はここにある。

このように農地と用水巡りを実施する背景と目的を文章で書いて、あるべき姿を自治会で回覧しても多分誰も関心を示さない。私たちは学者ではなく自分で住む地域を真剣に考える住民であり、地域で実現することが最終目標である。そこで理論は別にして、交流センターのイベントとして農地用水巡りを繰り返し実施してゆけば、住民は必ず周辺の農地に関心を持つようになる。それは交流から防災へと地域住民の意識が転換した歴史が証明している。更に今回、巡回する農地は交流センターの構成団体である自治会の会員が耕している。これまでも交流センターでのイベントに協力してくれている農地もある。この取組によって、自治会員である農家は自分の農地を自治会活動の地域防災の視点から見直し、災害時協力農地として貢献をする意味を理解する。これは究極の都市農地対策ではないかと思っている。相続税や固定資産税の問題を農家自治会員だけに任せず、地域全体の問題として解決する方向性を示している。

更に、交流センターの周辺には自治会員の農地だけでなく、地域の共同財産として用水が残っている。農地と用水を巡ることによって、農地の意味だけでなく地域に用水が残っていることの意味も分かるようになる。そして田んぼや用水の生きもの調査を通じて、地域にいる生きものの命が地域の子供や孫の命とつながっていることも分かるようになる。今後の交流センターの活動は地域の人間の交流だけでなく、地域の農地や用水が育んでいる生きものたちとの交流にその活動の輪を広げてゆく予定である。

今後は今回のような農地・用水巡りを継続してゆくとともに、落川交流センター周辺地域の歴史を勉強する会も開催する予定。自分たちの住んでいる場所が昔は何だったのか。程久保川が整備される以前の浅川の氾濫の状況はどのようであったか。地域の周辺に用水が流れているが、何処から取水して、何処へ流れているのか。何処の田んぼが用水を利用しているのか。田んぼや用水にはどんな生きものが棲息しているのか。昔の子供はどんな遊びをしていたのか。自分の住んでいる地域の歴史を知ることが、地域防災上も非常に大切なことを昨今の災害の事例が教えている。更に私たちの住んでいる地域の「神様」はどこに祀られていて、お祭りはどのように行われているのか。このように盛りだくさんの企画を含んだ「落川交流センター地域勉強会」を順次開催して予定でいる。これらの活動のなかから地域防災を含め「持続可能な地域社会」が形作られると思っている。落川交流センター運営委員会はそのお手伝いをしている。

2013-09-03

輪廻転生と成長の限界

17:28

ローマクラブ成長の限界の40年総括の文章を書きながら感じていたことがある。それは時間軸を長くとった場合に自分は必ず死んでいるのに、その時の視点を持って自分は行動できるのかという疑問である。

現在の消費税や社会福祉、更に国家の債務問題、そのどれをとっても未来の子どもたちに負担をかけることは間違いない。しかし私たちの世代は未来の子供のために頑張るという言葉だけで、自分が何をするという決意は聞かれない。

原発の再稼働問題にしても電気料金の値上げには文句を言うが、再稼働をしないための家庭内電力量を設定し、それを実現するための行動をしていない。節電と言いながらクーラーをつけながら冷えたビールを飲んでいる。冷えたビールを飲みながら、未来の子どもたちの不幸を心配している。

消費税が上がり、年金は少しずつ減額され、医療費負担も高くなり、年金生活における可処分所得は減少しているが、自分が死ぬことはないので死に物狂いの行動をしない。

憲法改正問題、集団自衛権問題等、近い将来、徴兵制が導入されるかのような情勢にも関わらず、自分は軍隊に行かないので死に物狂いの行動をしない。

東南海地震等、何時、自分の地域で大震災が起きてもおかしくないのに、防災グッズを買い込むだけで地域の絆に関心を持たず、自治会活動にも参加しない。関心は持っていても自分でどのように行動してよいか分からず、市役所から配布された避難地図だけを眺めている。

私はここで団塊の世代の人間を非難しようとしているのではない。私たちの生きる考え方の基本に何かが欠けているのではないかと思うからここで書いている。それは私たちの年齢になると様々な問題から「逃げきれる」と心の隅で思っているからではないか。子供や可愛い孫がいるから、そんなことは思っていないと反論する人もいると思う。しかし反論する人は、自分の子供や孫の未来に対して、現在、何をしているのか、明確に話せるのだろうか。それはお金や住む家、株券等の財産を残すことではない。子供や孫が震災で困った時に、周囲の人達が自分の家族を助けてくれるような人間関係の絆を作る努力をしているのだろうか。何かトラブルがあると直ぐに市役所にクレームの電話を入れてはいないか聞きたい。自分たちで話し合いをして解決する努力をしているか聞きたい。このような普段からの積み重ねがいざという時に一番役に立つのは、釜石の小学生が証明している。

この「逃げ切り理論」はこれまでの人類には必要が無かったものであるが、ローマクラブが指摘しているように今や人類が意識を改革しない限り、成長の限界を迎えることは間違いないが、私たちは心の片隅でこの逃げ切り理論で安心しようとしているのではないか。しかしこの危機意識に対処する意識改革が逃げ切り理論であっていいはずがない。この逃げ切り理論を克服する方法として私は「輪廻転生」の考え方を提案したい。

一般的に輪廻転生というと宗教理論だといって耳を傾けない人が多いが、これは哲学理論なのだ。宗教と哲学の違いを説明するのは難しいが、私が作った表を見ていただきたい。宗教は宇宙や自然を「現象」としてとらえ、その現象に対する畏怖や死後の世界に対する恐怖に対する神の言葉を預言者が預かり、それを普遍的な言葉に変え、経典にして生活規範等を通じて教団が教える活動である。哲学は宗教と同じく宇宙や自然を現象としてとらえるが、その現象が生ずる理由を「原理」として考え、その原理を言葉や数式に変えて議論を戦わす活動である。宗教は一時期、天動説に固執して自然科学の発達を阻害したが、哲学は自然科学発達の生みの親となり、その後の産業革命へと発展していった。しかしその産業の発展が今日の科学万能主義を生み、福島原発事故を引き起こしてしまった。デカルトの物心2元論によって科学は発達したが、もう一度、物心1元論に戻り、人間としての「心のあり方」を考え、行動する時期に来ているのではないか。それがローマクラブの成長の限界の総括のなかに書いてある意識改革なのだ。

そこでもう一度、哲学の視点で輪廻転生を考えてみたらどうか。自分の物理的な身体は逃げ切り理論によって終末を迎えるが、自分の魂は孫の時代に生まれ変わり新たな身体に入る。更にその魂は転生しながら永遠に終末を迎えないので逃げ切り理論は成立しない。これが哲学としての輪廻転生理論であり、現在の自分の魂が永遠に持続することを認識すれば、自分の魂の将来のために現在死に物狂いになるのは当然である。自分の魂が将来宿るであろう子供が不幸になることは即、自分が不幸になることであって、逃げ切り理論は未来の自分を否定することになる。

ローマクラブが提唱している人類の意識変革とは、宗教ではなく普遍的な哲学として人類が輪廻転生理論を受け入れことではないだろうか。

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2013-07-30

ローマクラブ成長の限界(1972年)、40年後の検証

11:14

インターネットで検索するとこんな文章で始まっている。

40年前に提出されて物議を醸した論文−成長の限界(1972年)−の結論:「世界は破滅へのレールを進んでいる」は、近年の研究でやはり正しかったことが検証された。オーストラリアの物理学者グラハム・ターナーは、振り返ってみると、1970年代において最も偉大で画期的な学問的業績は「成長の限界」であると述べている。

この「成長と限界」という論文はマサチューセッツ工科大学の複数の研究者が、世界的なシンクタンクであるローマクラブのために書いたものであり、日本では大来佐武郎氏が監訳をしている。その中で今のやり方のままのシナリオ、すなわち、もし人類が、自然が与えることができる量以上のものを消費し続けるシナリオで進んでいくとするならば、2030年までに世界的な経済崩壊と人口の急激な減少が起こるかもしれないと予測している。

ターナーは1970年から2000年までの現実のデータと、「成長の限界」の今のやり方のままのシナリオを比較している。そして、現実は「成長の限界」の予言にほぼ沿って進んでいることを見出した。ターナーは次のように言っている。「ここでは警告の半鐘の音が明らかに鳴り響き続けている」、「私たちは持続可能な軌道から外れている」

私は成長と限界という論文の名前は知っていたが実際に読んだことがなかった。そこに書いてある内容は将にターナーが指摘したように、悪夢のシナリオの軌道を現在の地球が突き進んでいることを再確認した。

それは単純なシナリオで、このまま80億人の人口増加が進めば食料が不足する。食料が不足すれば大規模化や遺伝子組み換え等の技術により食料を増産する。食料を増産すれば大量の石油エネルギー等の天然資源を消費する。天然資源を消費すれば地球温暖化等の環境汚染が拡大する。環境汚染が拡大すれば食料増産のための耕作地と収穫量が減少する。収穫量が減少すれば食料不足になり人口は減少する。この持続可能性の崩壊シナリオが成長の限界の構図なのだ。

この論文の最初のページに書いてあることは「人間の視野」である。世界中のすべての人はそれぞれ注意と行動を必要とする一連の関心事と問題を抱えている。あらゆる人間の関心はどれくらいの地理的広がりを持っているか、またどれくらいの時間的な広がりを持っているかに従ってグラフ上のある点に位置づけることができる。殆どの人々の関心はグラフの左下方に集中している。

私たちの視野がどのようになっているかを時間軸と空間軸のなかに落としてみた。選挙の争点になっている殆どの項目が左下方になっていることに気が付く。

皆さんも是非、自分で自分の視野表を作ってみたらどうか。私たちは成長の限界を観念的には理解しているが、実際の行動には移せないでいる。成長の限界を知りながら選挙では目先の経済成長を優先させる。ターナーの言うとおり、私たちは間違いなく持続可能な軌道から外れている。

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