スキルアップセミナー@Intel本社

ちょっと時間がたちましたが、3/29〜4/1にかけて行われた今年のISEFファイナリストの研修会について、適当に書きますよ。業務時間中に。

まずは、研修会の中身の変化。やることは、アメリカの文化やコミュニケーション全般に関してのことを減らしたそうです。プレゼンテーションや、パネルの製作にシフトしてるみたいね。自分の年は英語の聞き取りテストみたいなのもやったなぁ。あれが生かされたと感じるシーンはなかったけど。
あと、今年は最後に簡単なパーティーがありました。あれはなかなかよかった。プレゼンテーションの練習も終わって、まったりと食べながらまったりと話す。エイプリルフールネタで、なぜか俺が小柴先生に変装することになったり。事前に言われていれば、もっと面白いセリフを考えてきたんだけど、ちょっとウケが微妙だった(´・ω・`)

あとは、この研修の教える側(NSS)はボランティアでやっていることの、負の側面が見えた。大体において、ファイナリストと和気あいあいという雰囲気なスキルアップセミナーだけど、教える側がファイナリストの個性を拾いきれないとき、とても簡単に破綻する。うちの会社の代表も言っていたけど、ボランティアには責任がない。責任がないから、見放すことはとっても簡単。恥ずかしながら、俺も最初は見放してしまった。しかし、セミナーの途中でふと考えた。それでいいんだろうか。

それでいいんだろうか。個性を拾いきれないときに、教える側が見放していいんだろうか。時代を先取りしすぎて、コミュニケーションが苦手な過去の科学者たちは、周りが個性を拾いきれずに不当に扱われてきた。もしかしたら、自分たちが今ファイナリストを見放すことは、こういった歴史の汚点を増やしていることかもしれない。それでいいんだろうか。NSSこそが、そういった人たちに手を貸さなければいけないんじゃないだろうか。

「所詮ボランティア」

いまの状態ではこういわれてしまっても何も文句は言えないと思う。

俺は、そんなのは絶対に嫌だ。