ものがたり百科

 

2017-05-15

[]その後の、暮らしとしごととわたし

タイトルは、下記の本から。とても素敵な本なので、気になった方はぜひ。

しごととわたし

しごととわたし

最近少し、自分を責めていた。

大学院は楽しい。ずっとこれまで家で考えていたことを、ものすごく近い距離で先生たちに接しながら、話すこと、きくことができる。また、最新の知見も教えていただけるなんて、夢みたい。これからもこれまでも書きたいこと、学びたい事、山のようにある。そうしていま学び始めた金脈は、もともと大学にいこうと思った17,8の頃に学びたかった疑問とまっすぐつながっているのだ。ずっと大学院、いきたかったんだもの、、、。保育園の環境も申し分ない。家庭的で、年齢差があり、木のゆったりとした家具に囲まれた、てづくりだらけの環境。きめ細かくも自立した態度の保育士の先生方のことを本当に尊敬している。保育というものから、人間を深くとらえ、ゆったり成長して行こうという人たち。

でも。楽しさの裏側で、少し罪悪感のようなものがあった。楽しかったはずの家事育児を手放して、育児を保育園に外注して、それはわたしが批判していた「自分の暮らしをひとまかせにする」態度そのものなのではないか? と。友達が言っていた「本当にたいへんなのは2歳児の育児をずっと、家ですること」。幼稚園はまだ、でも、保育園は行かない、そろそろお友達とも遊ばせたい、そのたいへんな時期をおかあさんがぐっと自分の手で育児をしとげる、その大変さはことばにしがたいけれど、でも、それにによって、磨かれる事もあるのだと。そのたいへんなときを、わたしは、すっと責任逃れしてやしないか、と思っていた。主婦とは、とか、専業主婦とは、家事とは、みたいなことを「研究」しようとしたとたん、もうそのものとは距離ができるのは当然なんだけれど。し、今だって、保育園いってる間にさっと帰ってきて、家中を大掃除(これだってずっとやりたかったけれど、数ヶ月できないでいたのだった、、)、本当なら育児しながらでもできてよいのに、と思う。わたしの限界はここなんだと思う。

とまれ、もともと、「純粋な主婦」などというものは存在しないのだ。お向かいの魚屋さんおそばやさんは主婦だけれど、自営業者でもある。大家さんは主婦だけど、お店もあるし、主婦でもあるし。専業主婦だったことのある母だって、思えば、主婦業をしながら、自分とは何か、社会に活かす自分とはなにか、もがきながらこつこつと仕事や家事をしていたのだった。それに、それに……、もし、本当にこの生活がわたしにふさわしくないのなら、そもそも受験すらせず、合格もしてやしないはずなのだ。困ったときの神頼みではないけれど、人生の大きな流れのようなものは、わたし、日々の小さな態度からあらかじめ決まっていて、そこにただ身を任せるだけという気がしている。そしてその流れに、罪悪感はいらない。感謝して、受け取って、先に進むのみなんだ。

そんな浮き沈みの5月。

※追記。そして書いていて気づいたんだけど、院試からこのかた、、ずっと、イベントやら、院試やら、新生活やら〆切やら、に追われていて、一瞬でも気を抜いたら全部予定が狂う!睡眠時間しか差し出せる者がない!みたいな精神状態だったので、なかなか、どうして、休まらなかったのでした。ちょこちょこ休憩はとってたつもりなんだけど(こないだも一人旅に連れだしてもらったし)でも、そうやって気を抜いて行かないと、糸が切れる寸前ぐらいに、なにかがたまっていたんだなと気づいた。涙もろいのに、涙も出なくなっていた。今ようやく自分が自分の手元に戻ってきて、安心している。もう見失わないぞ、っと。

2017-03-17

[]

 近所の仲良しさんと一緒にささやかな催しの準備をしていた。ささやかといっても、当人たちの気合いは相当で、このために数ヶ月準備が費やされ、まだまだこの波は続いて行く。わたしは途中からお手伝いをして、当日はそれなりに準備をして、最後、みんなの飲み会を途中退席した。理由は、娘(と自分)の体力が限界だったから。子育てシフトの時間割は、5時半ごはん、7時までにお風呂で8時にはお布団。8時に外出してるだけで大冒険なのだ。娘をねかしつけて、うちの窓から、にぎやかな空気が伝わってくるのをしみじみと聴いていた。その後、仲間のひとりに会って、密度の高い時間を過ごしたからこその輝きをちらり、見た気がした。

 少し大きめのイベントの制作に携わった。前日も当日も、娘と一緒に過ごせる、大丈夫、と決め込んでいた。こどものための催しということで主催者はじめ参加者は本当に子どもフレンドリーで、娘もなついて、わたしも安心していた。でも、やっぱり過信していた部分があった、娘を頭のはじっこにいれたままで仕事するって、並大抵のことではない。当日は関係者やお客さんからの問い合わせが殺到し、おんぶする予定だった娘をだっこするすきもなかった。見失った娘が帰ってきたのは数時間後だった。楽しそうだったけど、やっぱりちょっと無理していたようで、その後数日少しだけ、落ち着かない日々が続いた。自分の力を過信したことを悔やんだ。イベントまでの準備中も、眠る時間が減ったことでかなり家族には負担をかけてしまったと思う。

 

 年明けから2、3月、こうして、折々に悩んで、ちょっと今日、答えが出た。わたしはいまどこに向かっているのか?ということについて。

 わたしにとって、上記のようなことは、正確にはお金をもらう「仕事」ではない。いわゆる「ビジネス」ーー資本主義的な意味でのお仕事、ではない。もっと生業というか、ボランティア的な何かに基づいていること。お金をもらってしていた前の仕事の精度にはどうしても、いまは到達できない。だって、本業はわたし、おかあさんだから。家事と育児が正直一番やりたいことで、わたしは、おかあさんのプロになりたいから。

 今のわたしには、自分含め家族の健康と笑顔が一番大事で、そのためには、ほかのどんなことも、後回しになる瞬間が、確実にある。仕事はわたしにとって神聖なもので、いまはそれが、「おかあさん」という仕事になっただけ。仕事をするためには、研鑽も必要、先人から学ぶ事も、そして休む、休息することもとても大事。だから、本も読むし(育児書)、情報も集めるし(おかあさんたちにきく)コミュニケーションするし(ご近所さん、友人たちみんな)、歴史も調べるし、そうしてなにより、子育てをやすむ時間も持つ。お茶をやったり、読書したり、ひとりになったりね。人に渡せるようになる(家族にも、育児と家事を一緒にできる環境を整える)こと、も、そして、仕事を失ったとき自分に残るものを用意することもふくめて、わたしの仕事。最後のが、今のわたしにとっては、4月から行く大学院での研究であり、そのなかで資格を取る事でもあり。

 

 妊娠して仕事を辞めたとき、妙な解放感があった。仕事はとても好きで、毎日熱心にしていた。でも、仕事をやめてはじめて、「それ以外の世界が広く、大きく横たわっている」ことを知った。育児の世界は、自然の摂理とつながっている。人間が作っている社会ーーもっといってしまえば現代の資本主義社会がフィクションに見えるほど、妊娠出産、育児の世界はわたしにとって鮮烈で、うつくしく、かがやかしいものと映った。いまでもその輝きは失われていないーーというか、もっともっと強くなる部分、ほのかだけど燃え続けるろうそくの火のような部分がある。わたしにとって、経済的な価値を生むかどうかというのは、仕事/非・仕事 を分ける一要素ではあれ、分水嶺にはならない。もし「食べて行ける」ことだけが仕事の条件なら、舞台上で見事なパフォーマンスをする小劇場の俳優さんたちは? 売り出し中の画家さんは? それと同じで、家事も育児も普通の労働とまったく変わりないから、だから、わたしは、堂々と休むし、さぼるし、でも一生懸命やるし、あたらしいやり方を覚えたり、引継したりもするし。

 

 そうきめた瞬間、目にたまったかなしい気持ちがぱっと乾いた。風が吹いた。

2016-11-13

[]期せずしてミニマリスト、のごとく

 昔から「ちょっといいもの」がわりに好きだ。手作りの工芸品や手縫いのワンピース。小さいとき買い物にいくとまっさきに一番いいものをみて「これ」という子どもだった。値札も見ずに。親泣かせの娘よ。

 そんなわたしが人と暮らす中で一番大変だったのが、生活にまつわるもの選びだった。夫は必要最低限のもので暮らせる一方で、思い入れがあるものは、見た目にこだわらずいつまでも大事にしたい。わたしは全体のトーンをそろえたいし、なんでも長く使えるいいものにしたいし、気に入らないものが目に入るのがだいっきらい、、それでけんかが絶えなかった。ものが調わない家に一日いるのが心理的にしんどくなると、悲鳴をあげて人の家や喫茶店に逃げ込んだ……。(友人ズよ、ありがとう)。

 夏。もののことで大げんかをした。一ヶ月かけて雪解けするまでに、少しずつだけど、考え方が変化してきた。

 お互いのこだわりを整理するまで、しばらくものが買えないことになった。今もそれは続いている。結構不便をすることもあるので、それは個別に相談している。ゴミ袋とかね。でも、なければないで少し我慢していると、代用できることが見つかったり、また、相談してみたらあっけなく買うことになるものもあったりで、そんなに悲劇的なことではないのかも……と。

 

 憧れていたんだよ、ずっと。先輩編集者の、暮らし回りのものがシックに整った生活。ひとつひとつデザインされた家具があって、日々のうつわを見極めて使って。&premiumで特集されちゃいそうな。でも、それを叶えられるようばりばり働こう!とまでは、わたしは思い切れないのだ。だったら、たった一枚の皿を割れるまで使い、愛情込めて育てれば、なんとなく同じように生活が整っていくと気づいた。こどものものでおさがりをもらうことも増えた。ありあわせのごちゃっとしたものであれ、嫌わずに育てようとこちらが思っていれば、わりといい感じで暮らしていける。もちろんそのなかでも、いる、いらないの見極めは慎重にしていくけれど。かわいい雑貨もたいがいのものは作れるし、そのほうが使い勝手がいい。クリーニングに出す衣類も実はうちで手入れした方が長く持つ。

 期せずしてミニマリスト、的精神。いっているのは精神だけで、大正昭和の家なのであいかわらずごちゃごちゃ。手に入るものはわりと限られているし、不便を感じてることもある。でもひとつひとつ階段をのぼりながら丁寧に磨いていって、自分なりの整った暮しをつくる準備ができた。

2016-10-07

[]からだのリズムで生きる

 妊娠中は、どうにも頭先行のリズムで生きられなくて、眠いときは眠いし、疲れるときは疲れるし、すべてがからだ先行だった。出産後も、こどもという大いなるからだの賢者と一緒だから、離乳食が3回になるまでは、ある意味ずっとそうだった。

 いまはちょっと目標があるのと、少しずつ、人間界のリズムを取り戻したいので、工夫して早寝早起きにしたり、三度のご飯の時間を決めたりしながら、調整している。

 今月に入って夫のしごとが忙しくなった。帰りが遅くなった。とたんになぜか夜、ごはんをあたためてまっているのがとてもつらくって、つい友だちと夜に会ったり、やたら家事のことでいらいらとしていた。なぜなんだろうと思っていた。状況はまるでかわらないのに、おだやかな9月とは違って、ちょっとしたことでいらいらすることはなぜ。と。

 そうしたら気づいたこと。そうか、わたし、さみしかったのねえ、と。

 最初は、夫がいないからさみしい、とも思った。それは確かにそう。ごはんを一緒に食べたい。夜おやすみをいいたい。だから結婚したんだし。でも、それだけじゃなさそう。と。

 

 どうやらわたしは、いろんなことが頭の中よりも遅いことに、自分にいらいらしていたみたい。

 例えば、時間までに家事ができないこと。夫に相談するための資料が集められなかったり、考えがまとめられないこと。思ったより勉強がすすまないこと。それについて、自分を責めていた。わたしさえもっと完璧にきちんと速ければ、もっと家のなかもスムーズに、家族も居心地よく、経済的にももっと効率よくまわせるのに、と。

 でも、きっといまがベストなのだ。時々昼寝しちゃったり、思ったより家事がすすまなかったりするけれど、いつも一生懸命やってはいるもの。ちょっとずつちょっとずつ速くはなってるもの。前は1時間かかったごはんづくりがもう30分でできる。洗濯物が割と速くたためるようになった。からだがそうやって追いついてくるまで、待っててあげるのが、わたしの頭のつとめなんだ。だいいち、早寝早起き、ちょっとはできるようになってきたじゃないか。

 

 こどもはからだのリズムで生きている。それだけでは人間界はまわらないから、時計のリズムがある。少しずつ少しずつ、追いついたり、ゆるめたりしながら進んでいく。

2016-08-01

[]理想の東京

徒然草吉田兼好は、「住まいは夏を旨にすべし」と言った。日本は高温多湿の亜熱帯だから。年月はうつり人は生き死に文明は発達し、気候すら昔とは違うけれど、地理的条件が変わるわけじゃない。というわけで、木造平屋建ての長屋に越してきました。エアコンいれるかどうかでひともめしましたが、30℃越えていても風さえあれば、ほとんど扇風機で過ごしています。これは、快適だ、、、。

さてまた知事が変わったわけですが、わたしがひそかに注目しているのは「木造密集市街地をどうするのか」という点です。まさか、全部取り壊してマンションに、というのは粋じゃないと思う。木造ぐらしのいいところは、涼しいだけじゃない。お隣さんの音が聞こえるから、子育て中の孤独とは無縁なこと。なんかあったらすぐお互いに駆け付けられる、文字通り「遠くの親戚より近くの」なんとやら、が実現している。畳はからだが楽なこと。こどもに汚されても気にならないこと。そしてなにより、家が呼吸しているので、外とつながっている安心感があること。

最近勉強を再開して、お雇い外国人が日本を訪れたときの滞在記などを読んでる。代表的なのはこれ。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)

東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)

特に後者はとってもやわらかくって読みやすくて、当時の風俗がよくわかる。あかるく、こどものように無邪気で、ほがらかにしていた庶民の生き方のこと。自然の脅威に力で対応するのではなく、しなやかに、柳のように沿いながら対応していく、村のような東京のこと。災害やら自然の恐怖に、地道に対応していく民の力。

これからの東京の街は、村のようであってほしい。東京の魅力は過剰さと多様性、だから、もんのすっごーい繁華街もあってほしい。超キラキラしてる都会の権化のような場所もいいし、わたしだっておしゃれな場所、ホテルの高層ラウンジも大ッ好きよ。でもね、庶民の暮すふつうの「東京」には、村があるといいと思うのです。木造平屋がだだっと並んで、自然がいっぱいあって、顔見知りで助け合える江戸みたいな街があるといい。木造の家で暮らしをみなが分け合いながら住むことで、手入れされない森林問題も解決したいし、治水も美観もできていく。もちろんね、今も虫やらなんやらに悩まされますし、そうしたら遠慮会釈なくわたしゃ対処しますし、手入れされない自然は善でもなんでもないとおもいますよ。でも、荒ぶる自然の内側に、人が手を入れた自然があり、そこに一緒に都市がある。そういうのが、こどもにもおとしよりにも、老若男女にもやさしいと思うの。

俳句を詠んだりしていると、歳時記にある日常があまりにか細く失われそうなのに驚く。それはたとえば、津波防止のためにどでかい防壁を海岸に建てるようなセンスで都市がつくられていくからだと思う。でもそれって本当にいいと思ってるの?仕方ないで建ててないか?本当は、利便性も美しさも人間の快適さも自然との共生も、全部解決する方法があるはずなのに、他のものを優先させてないか?お金がないって本当か?お金がないから◎◎できない、と言い続けていると、人は要するに自らを経済の犠牲にしていく。人間ってそんなに弱いものじゃない。そんなに一面的なものじゃない。美しさの方をめざそうよ、と思うのです。

そんなわけで、村のような東京をつくりたいと思っています。行政にも頼り、友だちにも頼り、親類縁者にもみんなに頼りながら、頼ることこそかっこいい、村のような、ゆるやかな東京を。