東京物語、二十四の瞳、荒野の七人、シンドラーのリスト / ベトナム留学生たちと(写真付き)

2011年4月19日火曜日
■近日、NHKBSで見た小津さんの「東京物語」はDVDも持ってるし、今まで4,5回は見てきたが、それに比べて同じくBSで見た「二十四の瞳」は何故か初めてだと思う。さて、NHKの「山田洋次監督が選ぶ100本」とかいう放映シリーズが、BSで始まったのだ。おいおい、いつのまに、山田洋次が日本の映画監督の代表になったんだあ。なぜ、山田洋次が、選ばなくちゃあいけないの。映画の巨匠たちは何処行ったのだい?NHKも安易だぜ、ほかに誰か探せないのか。深作さん、今村昌平さん、大島さん。で、一応、初めてだが日本映画監督協会なる組織のWEB見た。ちょっと前のというか、僕らの「常識な巨匠」を探したら、大抵亡くなっているか、肉体的「よいよい」状態の御仁が多い。嗚呼、本物の映画人たちよ、そういう時代かあ〜。でも大林宣彦がいるし、否否、奴は大学教授風にヘラヘラおしゃべりで良くない。だったら、奥の手だ。前東映伊藤俊也さんでいいじゃあないかあ。断固とした現役だぜい。あるいはジャンルを変えて、映画好きの村上春樹でも良いしさ、村上龍だっていい。呆けていない渡部淳一とか巨匠たちだって、良いんじゃあないのか。選者に不満あり。

で、リマスター版の「東京物語」いいねえ。まず映像がCGの修正で見違えるようにフィルムが蘇っていた。「雨やノイズ、画面のブレ」が消えていた。当時撮影助手で付いていた川又昂名人がアドバイザーとなって修正作業に携わったようだ。おず作品では、個人的好みで言うと「麦秋」「晩春」「秋刀魚の味」が良いね。「お早う」も秀逸。子供たちの明るさや新しい文化住宅の生活は僕らにはまさに身に染みる。「二十四の瞳」は、久しぶりに見た木下恵介監督作品だ。「カルメン故郷に帰る」「喜びも悲しみも幾歳月」なんかをビデオで買って見て以来かも。敗戦時の日本国民に絶賛されたいわば国民的映画だね。洋画で「ローマの休日」を第一等に選んだ人が選ぶ誰でもが賛辞した国民映画がこれだろうね。新しモノ好きで、天才の誉たかい木下恵介監督だが、この作品の後半の亡くなった子供たちの登場してくるシークエンスあたりから、時代の社会主義リアリズムの空気を読んだのか、影響されたのか、僕には「うむむむむ」と言うところも実はある。

さて、「荒野の七人」、「シンドラーのリスト」、成瀬巳喜男「めし」、「第九地区」、「最高の人生の見つけ方」も寝食惜しんで先日見続けた。最近、仕事に没頭していたし、体調ももう一つであったし、東電や保安院の会見を見なければいいのに毎日見てしまい、吐き気してくるしで、全くブログが書けないでいた。ほぼ二週間にわたって、ふつふつと何かが背骨と胃腸あたりに湧いてくる感じであったが、どうにも構想して書くまでには忍耐力がかなわずにいた。
「荒野の七人」は、もう10回は見ただろう。安いDVDをまた買ってしまった。ハノイの教員用(小さな厚生設備)にと思ってさ。ハリウッドの最高作品の中の一つだろう。見事な作品だ。で、このCDには「メイキング」も付帯されていて、これも堪能した。ブリンナーと新鋭マックイーンの見えざる戦いの話は、俳優のプロとしての白眉だね。また、悠然とした”好々爺”になった、ジェイムス・コバーンの述懐は嬉しいね。

シンドラーのリスト」は20年ほど前、劇場でロードショウで見て以来だ。妻晃子とはるひ、一行と家族揃って満開の桜見物に千鳥ヶ淵・フェアモントホテル付近行き、僕の喘息が桜吹雪の中で酷くなり、でも、何故かそのまま「シンドラーのリスト」に行った記憶あり。ぜいぜいしながら見た。覚えているのは、僕は悲しみに耐えきれず泣いたことだ。観客のあちこちでも号泣の人々がおり、後ろにいた西洋人の大男などはまったく何もはばからず泣いていた。僕にはこの映画の様にナチ的なドイツ・オランダ、ポーランドなどの社会風唱の中で大量に殺戮さればならなかったユダヤ人が、現代のパレスチナの人々に対して同様の暴虐を強いていることの不思議さをまったく理解出来ない。秀逸な反戦映画だと思う。

成瀬巳喜男監督の「めし」も2,3回テレビとDVDで見たが、名作と言えるかどうか。加山雄三の親父上原謙は、本当にイヤらしい人物だし、永遠のマドンナ原節子に不貞の兆しを臭わせたりして、良くない。不安の作品で、精神的によくないなあ。20数年前、ナイアガラの滝を僕と家族四人で連れだって行ったときにご老体だが矍鑠(かくしゃく)とした上原謙さんと加山雄三さんご家族とばったり出くわした。水煙のなかで晃子が「あら、上原謙さんよ」と言ったのだった。
「第九地区」は宇宙人の海老マンたちが、地球の大都市に来てスラム街を構築して、平気で共存し始めるSF。薄気味悪が良いできだ。チープに製作した気配だが、決してB級作品ではないインパクトあり。

ジャック・ニコルソンの「最高の人生の見つけ方」。役者はいい。ニコルソンとモーガン・フリーマンだからね。圧倒的さ。演出も彼らに逆割らず上手く「飼い慣らした」感で、良い。でも、シナリオが胡散臭い構造。大金持ちの白人ニコルソンがいてくれて、黒人庶民のモーガンも死ぬ前に現世を楽しむという寸法。ちょっとねえ〜。コンテンツが分裂した作品で、役者の良さが半減。プロデューサーが無能ということだね。

ベトナムの優秀青年たちは明るく元気だ。東工大3名、東大工学部1名、横浜国大1名が16日都内で集まった。いずれも大学院生だ。採録した詳細は著作に記述しますが、ここでは概括だけ、ちょっと話そう。で、昨日19日は彼らの先輩(東工大卒が多い)である1995年に日本渡航グループに、ホーチミン市で個別取材として聞いた。彼ら先輩の方はみんな35才前後。バシバシっとビジネスを展開しているベトナムのビジネス社会の中核を担っている最優秀の青年たちだ。彼らの特徴は、ホーチミン人文社会科学大学出身者の1名を除けば、まったく日本語がゼロの状態で日本に渡航して、東工大とか電通大に入学して、ソニーとかパナソニックなど先端企業で仕事をした後、母国に帰ってきて、ベンチャー企業を起業して成功を収めていると言うことだ。前記の大学院生5名も大体同様の軌跡を歩むであろう。

共通した環境は彼らは、ベトナムの大学1年生の時に日本の文科省奨学金の受給の資格に合格していることだ。彼らは大学入学試験で、全学で5位以内、さらに奨学金申請試験で、全学10位以内とか言う、僕などは驚くばかりの秀才たちなのだ。日本の文科省ベトナム人枠は、毎年50名程度と聞いている。もちろん、交換留学生もこの中に居るし、働きながら頑張ってきた私費の留学生もいる。みんなが極めて優れているのは、勉学の点だけで申し上げているのではない。日本人の僕たち年長者との付き合いとか、会議とか、段取りとかまさに日本の「社会人基礎力」と言われているものの体現者だから凄いのさ。シンプルに換言すると、日本人以上に日本のルールや慣習を体得していると言うことなのさ。

日文研国際日本文化研究センター:京都)の研究員であるTAM先生の特筆すべき原稿がある。「日本語教育における”社会人基礎力”養成事業の展望」というものだ。いままで僕ら当校が6年に渡って実行してきた「企業内コミュニケーション授業」「生活環境授業」「技術者教育」を日本の経産省主導の「社会人基礎力」というカテゴリーを使って提示させた論文で、僕らがベトナムでして来たことに間違いがなかったと改めて確信をもった。従って、今春から、順次授業の名称も「社会人基礎力育成」授業、「企業人基礎力育成」授業と変更しつつ在る。

その彼らの3月11日以降の日本について、聞いてみた。「世界中が日本人の行動に感銘を受けた」「日本人しかない価値観を示してくれた」と熱く語ってくれた。本当にありがとう。そのような思いに日本人の一人として応えたい。しかし、僕の東電や保安院原子力安全委員会、政府への違和感と疑念は消えることなくむしろ増大している。ベトナム人たちの健全な認識に日本人としてどのように答を見いだすのか。実にやっかいで、期待に応えられない不安が着実に膨張している。
  *でも、何か文章に力入らず、平板な印象となった。さあ、今晩、ハノイだ。がんばるそ〜〜〜。じゃあ。阿部  
こちらもご高覧ください→  http://vciat.blogspot.com/