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阿部正行の「ベトナム私信B」

2011-04-24

ハノイの最新ソフトパーク起工

2011年4月24日日曜日

ハノイSOFTWARE TECHNOLOGY PARK

ハノイソフトウエアテクノロジーパークは、ハノイ市の中心からレッドリバーをわたり、車で20分程度の市内だがいわば郊外のつまり、東京なら練馬区のような所に立地しており、住宅地や研究所、大学の用地としては最高の立地である。元々この土地はハノイ市の所有であり、開発会社ハネル社の会長も元ハノイ市長と聞いており、その意味ではハノイ市だけでなく、ベトナム政府にとってもまさに期待のハイテクパークだ。とくに、開発の基本プランは日本の設計チームが行っているので、その期待度は非常に大きい。日本サイドとしては、まさに3月11日以降、技術先進国の名前が汚れつつあり、ぜひ、日本贔屓(ひいき)がおおいベトナムで、そのハイレベルな建築技術、マーケティング力などを見せて欲しいモノである。

現在、ベトナムの産業構造は大きな問題を抱えている。概略をいえば、日本で言う「裾野産業」が未発達なのだ。日本にはトヨタパナソニック日立三菱ソニーホンダキャノンなど誰でも知っている約1000の超大企業を頂点として、裾野にはもの作りの企業だけで約60万社が有機的に存在し、その富士山の様な構造を支えているのである。物流や流通、コンテンツ分野、サービス分野なども加えれば、その数は250万社となる。この支え合うもの作りのヒエラルヒー構造が良くも悪くも日本の特徴・伝統でありこの力なくして世界に打ち勝つ日本の超大企業も存在できないのだ。トヨタ自動車はよく30000個の部品から出来ているといわれている(電気自動車は10000個に)。その30000個の一部を支えてきたのが、まさに震災に遭遇してしまった東北の関係子会社群なのであった。東北には自動車関連部品の工場だけで約1000社あり、年間売利上げ約1兆円の規模であった。

話を戻す。情報革命による情報ハイテクの波はとどまるところを知らない。僕は専門外なのでよくわからないが、特にその中の通信分野は更に肥大化していくことでしょう。それは、人間の持つ基本的な欲求の「知りたい」「伝えたい」ための有効な武器であるからだろう。それだけではない、主たる作業は高度知識をパソコン上で駆使すれば開発も解決もつくというインフラ不要の産業であるからだ。半導体のような数千億円というようなインフラもいらず、また自動車産業の様にラインもセルも、数千人の若いワーカーも不要なのだ。その意味では頭脳と直結し媒介するものはソフトウエアだけであり、生産に必須な工具も機械もロボットも使わずに重要な製品を次々と生み出せる100年前には想像上の夢でしかなかった産業なわけだ。ただ、問題は成果物が情報と知識に過ぎず、リアルな物の生産ではないと言うことだ。

だから、ベトナムでは、アメリカや日本の東工大東大工学部など最高の大学やマスターに行き、母国ベトナムオフショア開発ベンチャー企業起業する例は多い。VINASA(ベトナムのソフトの業界団体)加盟は現在何社だろうか。3年前でも250社ぐらいあったと記憶する。そのうちハノイには「日本企業をお客様とする」ソフト開発企業企業(オフショア開発)は、僕の「目勘定」だが40社はあろうか。留学生たちの帰還後に少ない財力で起業する分野としては、この情報通信系ソフト開発が、現実的なわけだが、問題は機械系や電気系、化学系などの優秀な若者たちなどの起業はほとんど閉ざされているのが現状なのだ。IT系以外の起業は資金的にほとんど不可能に近い。

今回地鎮祭で感じたことは、この夢のような立派なソフトウエアハイテクパークにハイテク企業のそれもインキュベーションが必要な新進の企業が入居したり、活用するのだろうかという疑問である。インターネットの最大の武器は空間を超越することが出来ると言うことだ。つまり、この時代にソフト企業の企業間同士の物理的な集合性は本当に必要なのだろうか。僕は1990年代終わりに日経ビジネス社のコンベンション部門と協同でWEB上の「ハイテクパーク」の構想を練り、準備したことがあった(現実のコンベンションは1週間程度で終わるがWEB上で1ヶ月継続するマッチングのパーク)。情報革命の前線を担い、突出した開発を驀進する若いソフト企業にとって重要な事は、「物理的に近所に大学や研究所またはパートナー企業がある」ことでは無いだろう。大事なことは資金の支援であり、「経営と技術の分業」の調整である。

僕は1980年代に川崎のKSP(神奈川サイエンスパーク)のプロモーションに少し携わった。これは完全にインキュベーションに特化していた。つまり、家賃が格安で、かつ法務金融、経営の支援を神奈川県川崎市から「ほぼ無料」で得られる。KSPは各社に一部資本参加して、5年後、10年後の上場利益を想定していたと思う。でも、公的機関にベンチャー企業を見る「目利き」がいるわけでもなく、KSP自体の経営は事実上無視しているからこそ可能で在ったはずだ(すこし、最近の状況を調べておきます)。その80年時代の日本にとっては、有意義で的を得た公的な事業であったと思う。その後、僕は早稲田大学にて1990年代の中葉に学生ベンチャーのインキュベーション事業に携わったこともあり、入居もさせていただいていた。

1980年代のKSPと一緒に議論は出来ないが、短期的売り上げを重視するアメリカと似た経営体質のベトナムにて、このパークは経営が可能なのだろうか。開発に十分な費用と時間をあたえられるシステムになるのだろうか。再度言う。情報の革命家(企業)には物理的な企業間の集合は不要であり、似合わない。むしろ、ソフトウエア分野ではなく、僕がいう機械や電気、化学、加工業などの中小企業を雨後の竹の子のように生起させるために、インキュベーション施設で開発、モデリング、実験、生産ラインを支援するもの作り現場をパーク内に構想すべきなのではないだろうか。ベトナムには高度な溶接の学校さえ満足にないのだ(ホイアンには、日本が支援の学校有り)。残念ながら旋盤、プレスでも、現況のベトナム職業学校施設だけではレベルの高い「技能者」が生まれてこないのが誰でも知っている現実だ(金型企業はHCMCはじめ各地で育ち始めていると聞く)。いま、ベトナムで大事なことは、ベトナムに工業的な基礎部分の中小企業を無数に育成することだと言い切って良い。そう言う産業の下部構造的な分野を育成していかなければならないのである。同時に人材の技能や技術もである。ソフトウエアーは、ほっておいてもどんどん生起し成長できる。

ベトナムはこのままだと、「不動産」と「金融」と「IT」だけの砂上の楼閣の産業構造となる。つまり、いつでもバブルに陥りやすい経済構造となってしまう。いわば実体経済や実態産業に与していない分野だけが肥大化しかねないということさ。全く不幸なことだ。これではタイ国に追いつき、シンガポール台湾を目指すところか、フィリピンどまりだぜ(フィリピンの方すみません!*フィリピンには日本人2〜3名の阿部ブログ読者いる)。ハノイ工科大学の周りにある数百軒のインターネットカフェー・ゲーム屋は、今日も朝から満員のはずだ。

僕はこのパークの日本の大学誘致の仕事を仰せつかっている。それはそれで努力してみたいが、写真にあるような夢のお城のような超現代的なプランだけでは日本の大学の経営者の心を捉えることは難しいだろうと思っている。もう、こういうきらびやかな構想の時代はおわっていたはずじゃあなかったのかしら。もっと画期的な構想が必要だろうと思う。僕は1996年頃、やはりハノイ市の用地の計画を頼まれたことがあった。僕の構想は「平和」であった。建築のプランはなく構想だけの10ページぐらいの概要企画書だ。

現代社会で声高に平和を叫べるのは日本とベトナムパレスチナユダヤイスラエル)だと当時考えていた僕は国連世界平和研究所」(所長カーター元大統領)をパークのコアにして、全世界の優秀大学の学生を居住させ、研究だけでなくアクションをおこすことの重要性を教育のコアーとして、大学生PKO(部隊)を数万人で構成し、ボランティアで社会訓練も兼ねて「紛争地に赴く」システムの構想である。更に世界的なベンチャー企業トップと技術者サミットの常設施設をつくる構想であった。がハノイ市の担当者は賛同してくれた気配もない中で、霧消してしまった。もちろん、今考えると青っぽい観念的なしろものだけれどね。

で、会場で偉い方々と名刺交換させていただいたが、何だか晴れない気持ちで地鎮祭をあとにした。

http://vciat.blogspot.com/ こっちもご高覧を。

昨日、地鎮祭ハノイ市長や日本大使の列席の下華やかに挙行された。僕も「日本側パートナー」として招待された。

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