蝉しぐれ

harimaya2011-08-05

今年もようやくセミの鳴き声が喧しくなってきた。
夏芝居も蝉時雨の音曲が入らないと様にならない。
蝉は成人して僅か数日の寿命だが短い生涯の中で
恋をして子孫のために産卵をする。鳴くのは♂で
♂同士が歌の上手さを競い♀に気に入られた♂が
恋の成就ができるが♂にとっては実に涙ぐましい。
それは蝉に限ったことではないがこの世の動物の
殆どが♀をめぐって♂同士が或いは戦い、或いは
傷つき、死に物狂いで自分の子孫を残そうとする。
森羅万象、生物の殆どの♂は戦うために生まれ負ければこの世に生存の価値が無い。
生物(人類も含めて)の進化はこうして厳選されたDNAの改良が続いて今がある。
「恋し恋しと鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」蛍の♂も光の美しさで勝負する。
小さな生き物でさえ一番を狙って懸命に生きているのに人間さまも見習わねば・・

隠居の独り言(968)

1945年の夏、やっと戦争が終わったとき壊された日本の社会は哀れなものだった。
人々は食べるもの、着るもの、住むところも惨めで、ものも言わないで働いていた。
鬼畜米英と叫んでいた戦争中のほうが気概は持てたが拳の落ちどころも無くなって
日々の暮らし以外に考える気力は皆無だった。もとより教育を考えるゆとりも失せ
親にも学校へ行かせる余裕も無かったから子供は早々と親の仕事を手伝って働いた。
当時の義務教育は小学初等科6年、高等科2年だが中学校は小学校初等科を終えて
5年間であり義務教育ではないので月謝が必要で貧しい家の子供は奉公に出された。
終戦後、間もなく教育制度が改定されて6,3制になり中学の3年間が義務になった。
正確な数字は分からないが中学を卒業し高校へ進む子供は50人のクラスとすれば
10人くらい、さらに大学まで進む子供はもっと少なかったから小さな町や村には
大学卒は殆どいなかったといっていい。大学卒は町の名士か、お医者さんに限られ
憧れの的であり、しかしそういう世の中だからこそ子供たちは逆に向学心が盛んで
時間を惜しんで読書などの勉強をして知識という有難さを痛感した。奉公をしても
読み書きそろばんは必須であり農業に携わっても作物と向き合う実体験があった。
その後、世の中が豊かになると高校へ進学するのが当たり前になり、さらに進むと
若者の大半は大学に入り知識層は大幅に増えて日本は高学歴社会に発展していった。
学校で学べば学ぶほどに知識は頭の中に詰め込まれる。中学卒では知識人でないが
大学卒では知識人になる。でも大学卒が向学心を持って学んだということになると
これは別問題だ。たしかに知識は有用であり力であり価値であってもその使い方で
益にも害にもなることは世間を見ても分る。学校は知識を教えても思考を教えない。
思考は様々な体験の中で独りで覚えるものであり人間としての道徳観は知識と違う。
毎年八月になれば大戦を体験した者にとって強烈に体に刻み込まれた記憶が甦るが
あの頃、学校も行けず働きながら本を読み漁っていた旧友はどうしているのだろう。