母の日に

harimaya2012-05-13

母が92歳で亡くなって10年が経つが
母の生きた日々の面影は今も偲ばれる。
自分は15歳で家を出たので暮らした
歳月は少なくても母への思いは重層だ。
今思えば母の人生は厳しい連続だった。
父と知り合った頃の昭和初期の時代は
愚かにも日本は世界の嫌われ者になり
庶民の暮らしも生活の質が落ちていく。
母の実家は大阪の一等地にあったが折からの御堂筋の拡幅工事で立ち退きを迫られ
商いの質屋も閉鎖を余儀なくされた。何もかも狂いだした奈落の歯車は止まらない。
やがて父は兵隊に取られ子供を抱えた苦労は母がかつてお嬢さん育ちだっただけに
生活と心の落差は並大抵のものでなかったろう。そのうえ晩年はスモン病に侵され
何十年間ものベッド生活を強いられた悲しい人生への神が仕掛けた恨みは尽きない。
母の日に思うのは、いつか自分も冥途で以前のように母と暮らしたいと願っている。

隠居の独り言(1053)

上野の国立科学博物館に同好の友人と「インカ帝国展」を観覧した。インカ帝国
南アメリカの今のペルー、ボリビアエクアドル辺りに13世紀頃から300年近く
栄えた文化文明豊かな国家だが古代アンデス地方の遺物には目を瞠るものばかりだ。
巨大な石の建築と精密な加工や金銀細工などの職人の技術、土器、織物などの遺物は
今でも使用できそうな高度な技術に驚かされる。「インカ展」は謎の多いインカ帝国
文明に焦点を当て考古学、人類学、歴史学などの研究とともに考古遺物を紹介している。
特に目を引いたのは最近発見された眼球まで残る少女のミイラで今でも辺りの様子を
見つめているようで生々しさと形相はいつまでも脳裏に焼き付いた印象は強烈すぎる。
其の他栄華を極めた頃の各種の製品、有名なマチュピチュジオラマは見応え満点だ。
これほど栄えたインカ帝国は惜しくも16世紀にヨーロッパから渡ってきたスペインに
滅ぼされてしまうが征服者達は大量の金銀財宝を手に入れ、そのうえボリビアにある
巨大な銀鉱を発見し莫大な量の銀を産出し、その富がスペイン帝国の繁栄をもたらす。
かたや征服されたインカの人たちは悲惨を極めた。スペインはインカの町々を政略し
殺人、強姦、強奪を繰り返しながら土地や鉱山を奪いインカの男女に労働者の供出を
義務付ける法律まで作り、その苛酷な重労働は約一世紀で南米の人口が半減したという。
人間の歴史は残虐性に満ちているが南北アメリカのヨーロッパ人の侵略は典型だろう。
余談だが人類がアメリカ大陸に渡ったのは今から約1万5000年前といわれているが
当時はベーリング海峡が陸続きだったからでアラスカの西岸から南下し食料を求めて
北米に住みつき、その中から中米を経て南米大陸に達した経過は2000から3000年の
歳月が掛かったと云われる。類人猿がアフリカのどこかで発生し人口が増えるにつけ
北に向かったグループ、東に向かったグループに分かれていったのが約5万年前とも
云われるが、驚くべきはベーリング海峡を渡り南北アメリカ大陸に渡ったグループと
ユーラシア大陸のグループとは何の連絡も無くて同じような年月で文明が育ったのは
実に不思議としか言いようがない。そんな意味でも「インカ帝国展」は見応えがある。