百日紅

harimaya2016-08-04

夏の暑さに滅法弱い自分だが
通勤途中の百日紅の街路樹は
暑い盛りなのに、元気そのもの、
赤、ピンク、白の色も鮮やかに
その名の如く、百日間の長きに
亘り咲き続けるなんて感嘆する。
それでも朝、百日紅は爽やかで
夕方は疲れを癒やしてくれる。
つるつるした幹はサルの爪も引っかからないというサルスベリの木、洒落た名前に
昔の人の言葉の感覚に感心する。暑い夏を乗り切るために百日紅にあやかりたい。

隠居の独り言(1519)

八月になれば思い出す。自分が生まれて約半年後の1933年12月23日の朝7時、
日本中のサイレンが一斉に鳴り響いた。昭和天皇と良子皇后がご結婚来10年目で
皇位継承権を持つ男児がお生まれになった。現在の天皇陛下であり、日本各地では
慶祝ムード一色に染まった。それまでの天皇一家は4人の内親王(女性)だったので
お喜びもひとしおのものだったろう。戦前生まれのチビッ子ギャングは学校で歌った
「皇室奉祝歌」を今も覚えている。題は「皇太子さまお生まれなった」、北原白秋作詞、
中山晋平作曲とういう名コンビで明るく軽快なメロディも、今はすっかり幻になったが
爆発的なヒットソングだったという。♪日の出だ日の出に、鳴った鳴った、ポーポー
サイレンサイレン、ランランチンゴン、夜明けの鐘まで、天皇陛下およろこび、みんな
みんなかしわ手、うれしいな母さん、皇太子さま、お生まれになった・・・・チビッ子が
小学一年生の時、第一代神武天皇が即位されて2600年目の節目の年ということで
奉祝國民歌「紀元二千六百年」という歌が歌われ、家でも学校でもいつも歌っていた。
♪金鵄(きんし)輝く日本の、榮ある光身にうけて、今こそ祝へこの朝(あした)
紀元は二千六百年 あぁ一億の胸はなる・・・・そして3年後チビッ子が小学三年生になった時、
「日本軍は太平洋上に於いて英米軍と戦闘状態に入れり」との大本営発表が流れた。
♪見よ、東海の空明けて旭日高く輝けば、天地の世紀、溌剌と希望は踊る大八島・・
「敵は幾万」「同期の桜」「麦と兵隊」「父よあなたは強かった」「海ゆかば」等々軍歌を
学校の行き帰り、子供たちはみんな斉唱して、輝く日本の将来を無邪気に信じていた。
残念ながら日本軍の勝ち戦は最初だけ、一年と保たず圧倒的な物量を誇る連合軍に
あれよあれよという間に敗戦を重ね、全国都市空襲、そして原爆で息の根が止まった。
戦後間もなく♪赤いリンゴに唇よせて・・清純無垢な少年は唇よせて、に顔を赤らめた。
歌は世につれ世は歌につれ、というけれど、一般庶民には世間を乗り越えられない。
戦中のチビッ子は骨の髄まで軍国少年に染まっていた。教育勅語も、歴代天皇名も、
軍人勅諭も、開戦勅語も暗誦するほどの熱の入り方だった。それが敗戦の日を機に
全てが千の風になって飛んだ。戦争って何だったのか。少年の熱情は何だったのか。
今でも答えが出ないし、一生答えはないだろう。でも、夢と幻の経験は自分の宝物だ。
「戦争と飢餓と失恋を体験すれば本物の大人だ」名は忘れたが、米国詩人の言葉。