隠居の独り言 115

今年の秋はいつもより日々温度差が激しく冬の備えに忙しい。服装も厚めに切り替える寒がり屋はそれでも体に頼りがない。これも歳のせいなのか。昔を思えば子供の頃は冬になっても着物一枚に半纏で足に履物も無く裸足で下駄を履いていた。当時は今より冬の平均気温が低かったというのに冬の寒さがこれほどに感じなかったのはやはり若さの溌剌のせいだろう。昭和23年の春に兵庫から上京して丁稚小僧の身になったが、小僧というのは商店や町工場に住み込み親方の指導の下で物の作り方、商売の規則、生活の仕方、諸々を教えてもらう。住み込みだから衣食住の心配はないが、報酬は月に一度の休日の朝に親方から小遣いの金一封を貰うのが習慣だった。ともかく上京した日に作業服の一式と下着等を支給されたが困惑なのはパンツで恥ずかしながら履いたこと今までにない。それまでは越中褌だった。越中というのは手拭位の大きさの布の端に付いた紐を腰に巻き布を後ろから前に回して穿く。初めてのパンツはスースーの感じで何となく落ち着かない。これは男にしか分からない感覚だが、上京して何もかもが初見聞、初体験の田舎っぺには下着の一つも珍しかった。下着や靴下もスフという合成繊維で破れやすく針で繕った。ちなみに女性のブラジャー、パンティーも戦後の新製品で隣家の婦人下着製造工場では一日中、製造に追われて、それは戦後の物不足は製造業には絶調期を迎えていた。50坪程の作業場の暖房器具は練炭一つだけで、しかも朝に火を起こせば夕方に消えた。小僧は人よりも早く起き炭を焚き練炭に火を点け部屋を暖めた。練炭で沸かしたお茶を呑むのは至福の一杯だったが、みんなの朝飯の後片付けの、特に冬の朝の水の冷たさは今も忘れない。戦前・戦中・戦後の変り目の時期を体験した者にとって今は夢を見ている気分で、思えば世間は贅沢になった。冬に向かう昨今は文明の有難味を身をもって知る。