譲れないもの

中国の日本大使館では、頻繁に宮本雄二大使主催のパーティが催されているようです。
このパーティに参加する日本人は少なく、殆どが中国の政府関係者で、その多くが対日工作機関の工作員ではないかと噂されています。
日本大使館といえばそのすぐ隣に大使公邸があり、その道を挟んだ目の前に日中青年交流センターと21世紀飯店というホテルがあります。この施設は中曽根総理時代に、103億円という巨額の経済援助でもって、日本と中国の青年交流の施設として建設されました。しかしつい5年程前には、この21世紀飯店に売春施設があるというので新聞沙汰になり、慌ててその施設が閉鎖になるということがありました。またこの交流センターには宿泊施設があり、その利用者の殆どが韓国人であるということも明らかになり、日本の援助外交が中国に適当に利用されているという批判がありました。

このように日本の外交は、平和外交という美名の下で緊張感を欠き、掛け声と費用だけが大きい、非現実的なものであるということです。

経済力を頼りに平和外交といっても、外交の基本目的は国家・国民の安全と利益である以上、相手国の都合と利益に振り回されていては、徒労でしかありません。

歴史の共同研究においても中国の国内事情とかに配慮し、中途半端なまとめしか出来ないというていたらくです。

中国の日本近海での軍事的デモンストレーションに対しても、形式的な危惧の表明しかできません。

資源も領土も、そして金まで巻き上げられて、さらには歴史まで曲げられてゆく日本の外交に、国民の多くがフラストレーションを感じています。この国民のやるせない感情が、やがて日本を孤立に導かないように、政治は毅然としていなければなりません。

他国間との安全保障であろうと、自主防衛であろうと、自立的な軍事力が背景になければ成り立ちません。その自立的軍事力が、外交において有効な背景の1つであることは明らかです。

国際社会は法治で成り立ってはいません。国際法国際司法裁判所はありますが、現実に強制力を持つのは、軍事力を背景にした政治力ではないでしょうか。それに異議を唱え、抗議し続けることは必要ですが、それに国の運命を全てゆだねることは、実効性が乏しいだけに返って危険です。

イラクダルフールのように、軍事的大国の正義はなにものにも負けることは無いのです。この大国の陰にいれば安全だということは、大国の要求を唯々諾々と受けてゆくことになります。そしてそれは国家というものが、必要のないものだということになります。


私は鯨やマグロは譲歩できても、領土・主権や国民の名誉は譲歩できないと思います。