2009-06-24
■[日常]門脇邦弘 「鍬を手にして夢見る人」

門脇邦弘さんが、四月に亡くなられていたことを、今頃知った。ずっと、透析などの闘病生活が続いており、最近では車椅子に乗って仕事を続けてらしたのは知っていたのだが、けれども、なんとなく、またお目にかかる日が来るような気がしていた。
戒名は「大夢鍬邦居士」だそうだ。リリエンソールの「鍬を手にして夢見る人」から二字が入っている。
門脇邦弘さんをなんと呼べばいいのだろう。
「生き生き村」の「村長」と呼ぶのがいちばんいいのだろうが、私にとっては、いまだに「あしのこ学校」の「おとうちゃん」なのかもしれない。
昭和57年に「組織蘇生センター」を立ち上げ、企業向けの「NL研」や講演活動と、子供や若い人向けの「生き生き村」の活動をなさっていた。でも、そんなことでは門脇邦弘さんのなにも説明できない。
私が門脇さんに初めて出会ったのは、中学三年生の夏休みで、岡山で開催された「あしのこ学校」だった。小学生から高校生までの子どもがグループ毎に、テントで数日過ごしたわけだから、キャンプといえなくもないけれど、飯盒炊さんとか、キャンプファイアーとか、そういうこととは無縁のキャンプだった。
高校一年生の夏も、大井川の近くで、門脇さんと幾日かを過ごした。
もし、今の私に、少しでも、誰が見ていないところでも正しくあろうとする心や、努力する力や、あきらめない気持ちがあるとすれば、それは、この中学三年生と高校一年生の夏に得たものが残っているのだと思う。
でも、それは門脇さんが教えてくれたものじゃない。教えてもらったものなら、すぐに忘れてしまっただろう。
何十年たっても残っているのは、門脇さんが、私自身に考えさせてくれたからだ。
あの時の体験がなければ、今よりもっと卑怯で考える力のないクズみたいな大人になっていたはずだ。
最後にお目にかかったのは、広島の倉橋島で開催された「生き生き村」に娘を参加させたときだった。
あの時、呉へ向かう電車の中で「最近の大人は子どもに寛容でなさすぎる」という話をしたのだった。甘やかしてはいけないところで甘やかすくせに、寛容になるべきときに寛容でない。それがどれほど子どもの生きる力を奪っているか。そんな話だった。
子どもだった私が、門脇さんと子どもの話をしているのだなあ、と不思議な気がした。
よく晴れた日で、海も空も明るい色をしていた。
長年「生き生き村」で「村長」を助け続けた、テカ、しんご、J。
3人の青年の、飾りのない追悼文に涙した。
ふと『あしのこ学校』を思い出し
門脇父ちゃんはどうしているのかな、とググっていて
こちらに巡り会いました。
まだ、あしのこ学校だった頃に参加し、
サービスセンターも2度ほどやりました。
亡くなったとは知りませんでした。
はじめまして。
サービスセンター、二度もなさったのですね。私は一度だけですが、いくつになってもあの経験や、身についたことは忘れることがありません。
コメントいただけて、とてもうれしくなりました。ありがとうございます。
私の人生において大変勉強になった『あしのこ学校』の仲間でも見つからないかと
探していたら、懐かしい名前(門脇邦弘様)がヒットしたのでご挨拶させて
いただきます。
私も中島様や木間様同様『あしのこ学校』OBであり、サービスセンターの経験も
3回、その3回すべてが門脇父ちゃんであり、学んだ事は沢山ありました。
なので、亡くなられた事は大変残念に思いますが、同じサービスセンターの
経験を持つ、沢山のスタッフには、青春の良い思い出として残っているのではない
でしょうか。
中島様はどちらの場所での『あしのこ学校』参加だったのでしょうか?
私は22回の蓼科もんがく平から始まり、ヴィラ浅間、館山ポピーランド、
高萩大心苑で一般参加し、遠刈田、くろばねスプリングス、館山ポピーランドで
サービスセンターをやりました。
どこかで、共通のメンバーでも居れば昔話が出来そうですね。
すみません、せっかくいただいたコメントに気づいていませんでした。サービスセンター三回もなさったんですね。たぶん、シュート様のほうがかなりお若いのだろうと思います。私が参加したのは、1970年代です。そういえば、先日奥様とお電話でお話ししました。といっても、歩行ラリーのお知らせを送っていただくための住所確認なんですけど。お元気そうでほっとしました。歩行ラリーは今もまだ続いています。8年前くらいに一度参加しましたが、もう全然だめでした(笑 いろいろなお話しができるとよいのですけど。
サービスセンターで高校大学時代ずっとお世話になっていました。
浅間 館山 遠刈田 西湖 静岡大井川・・・・今の仕事も全て
あしのこがあったから、シュートはわたしのことを覚えてくれているでしょうか。
コメントありがとうございます。シュートさんとお知り合いですか? ここにあしのこ学校や生き生き村を知っている方がコメント残してくださるのがとてもうれしいです。私にとっても本当に大切な思い出ですが、門脇さんがお元気なうちに、娘を生き生き村に何度か参加させることができたのも貴重な体験でした。
シュートさんが、またここを見てくださって、エツコさんに気づかれるとよいのですけど。
子育てに忙しくバタバタしていたのから、少し余裕ができ、急に懐かしくなりました。
全国に多くのあしのこ仲間がいるのがうれしくなりました。
シュートとは2回ほどサービスセンターをしたでしょうか。
子育てに忙しくバタバタしていたのから、少し余裕ができ、急に懐かしくなりました。
全国に多くのあしのこ仲間がいるのがうれしくなりました。
シュートとは2回ほどサービスセンターをしたでしょうか。
子育てが一段落された頃なのでしょうか。ほんと、皆さんで集まったら、いろいろな思い出話が聞けるでしょうね。そういえば、私も大井川には行きました。近くに長い吊り橋があったのを覚えています。
シュートさん、また見にきてくださるといいのに!
中島様、この場をお借りして本当にありがとうございます。
エツコさんと連絡取れたんですね! よかった! あしのこ学校のことや門脇さんのこと、ここに書いてよかった、と心から思いました。コメントくださってありがとうございます。
いくつになっても、あしのこ学校で学んだことが私を支えてくれているのを感じます。
心からご冥福をお祈りします。昭和44年から48年にあしのこ学校に三回参加し
大変お世話になりました。今は奥様が村長として後を次いでおられるのですか。
孫のことで悩んでいますが、良い体験学習を教えてください。
私は、昭和50年、51年と参加しました。今も、年一回の歩行ラリーは続いていると思うのですが、子供たちの「生き生き村」は開催されていないのではないかと思います。あらためて、メールさしあげます。
教えていただいたアドレスにメールを送りましたところ、返ってまいりました。お手数ですが、再度、Eメールアドレスを教えていただければと思います。といっても、お伝えできるのは、生き生き村の住所くらいなのですが。
メールアドレスが間違っていてすみませんでした。門脇栄美子村長にはFAXしました
ところ早速、お電話いただき、又「おやじおふくろ新聞」の最終号も送っていただきました。子供たちの「生き生き村」は今は開催されてないそうですね。
コメントありがとうございます。「赤いTシャツの父ちゃん」でしたね。私もいまだに支えられています。自分には考える力があるのだということを気づかせてもらったのだと思っています。こうやって、このコメント欄にいろいろな方からメッセージをいただくたびに、ああ、みんなで門脇さんのことや、あしのこ学校のこと話せたらいいなと思います。