世の中複雑で面倒だ

どうして人生こんな面倒な手続きを経なければならないのだ。苦労しても報われるとは限ららない。何が本当かなんかどうせ分からんのだろう。そうならシンプルにいこうよ。いいかいコインを投げて表だったら幸せになれる。裏だったら不幸になる。これでどうだい、とーてもシンプルだろう。じゃ、いくよ。そしてコインは宙に舞った。(完)

社説がつまらないわけ

大人は誰も明解な解答を持ち合わせていないという事ですね。まぁ大企業に勤めているエリートといわれる人たちに。どうしたらいいかわからない。だから予定調和的なありきたりな意見しか言えない。社会の末期症状ですね。やっぱり日本終了。ヤマト発進!

経った時間

あの時そして今。この経った時間は何なのだろう。私はその間目覚めていただろうか。意識障害を起こしたわけでも記憶喪失になったわけでもないのにずっと継続性を認識しているのに荒いざっくりとした感覚しかない。途切れ途切れ想い。それは人生がつまらなかったから、そうかもしれない。大して楽しくもない人生だったな。がっくし、まぁそんなもの。

自動車が今でもある程度のヒット商品であるのはマニュアルが必要ないという事も大きい

新機能満載で分厚いマニュアルを読まなければ使えないというのでは困ってしまう。誰も車にそんな機能を求めていない。ビデオは録画が出来れば良い。携帯は電話が出来ればいい。そこを忘れてはやはりダメ。携帯なんかどんなに機能満載でも一生使わないような機能ばかりあるのも万人向けだから仕方ない面もあるが求める機能が多機能の中で見つけられないという事態にも陥る。

真実はいつだって我々の手の届かない所にある

では手の届かない所にあるものが真実か。そうかも知れない。直接見えないモノを手探りで探ってああだこうだ言い合うのが科学です。ある人はそれを球面と言いある人はそれを立方体という。またある人はそれを球面と立方体の性質を併せ持つ未知なる物体という新機軸を打ち出す。である人は見えないモノは実際分らないのだから我々は何も知る事なんかできないと不可知論に行く。

過ぎ去った者と今行っている者の視点の違い

そりゃ、違うよな。今がどんなに大変か、事件は現場で起こっているんだ回想の中で起こっているんじゃない、というわけで大人が勉強はやっといた方が良い後々後悔するよ何て戯言は聞きたくないのでそれは過ぎ去った過去とならなければそこまでの想いは伝わらない。こうして若者は老人の話を聞かず対立する。超えられない溝が存在する。若者が一旦老人となって人生の残り少なさを感じ取ってまた若者に戻れれば事態は変わるかもしれない。でも戻れると分ったら切迫感はないので本人には知らせないで本当に老人になってもらうしかない。ではその老人は現実とどう違うのか。じゃ今の自分が若者になったらもっとがむしゃらに何かするのか。でもそしたらまた有り余る時間が自分の目の前に横たわるわけだがまだ時間はあるさと高をくくるか。これじゃウサギとカメのレースだな。何回戻っても時間を無駄にするだろう。日常とはそういうものだ。人間の問題か。

仕事と詐欺の違いは何か

テレビ局とは詐欺ではないのか。しかし金が回る所にみんなが集まり雇用を確保している。慈善事業か。仕事はだいたい詐欺的側面がある。効果があるのかないのか。この広告に効果はあるのか。それに何億円という金が回りだす。ビバ資本主義。詐欺もニセ科学も否定できない世の中で我々はどう生きるかという問題。