ここはどうでもいいどぶろぐです。
2008-04-04
■現代社会が理想社会
と考える人は少ないだろう。なぜか。それは理想とは常に現在には達成されなく遠い将来に達成されるものだと思い込んでいるからだ。ここであなたの常識を改めよう。理想とは今現在の事である。理想社会は既に達成されたと仮定してみる。幾重にも変転する政体を経てついに民主主義という理想に辿り着いた。私達は無い知恵を絞って最善の政策を実行できる環境にある。けど世界ではまだ人が殺し合いを続けている。日本だって無差別殺人が起きる。けどこれが理想社会。これ以上良くならないんだ。これが限界なんだ。これが人間が達成した最も高い現実的理想郷。これ以上望むなんて贅沢だぞー。昔の人の苦労を思へ。なんて安穏な暮らしなんだ。前にも書いたっけ。
■頭が良い事は得なのか
この辺は日本の敗戦にも影響がありそうだ。敗戦の原因は技術の差であり戦後日本はまさに技術力を邁進する事で経済大国になる事ができたと見られているからだ。しかしこれは日本の商人の話とは矛盾する。あの話では頭を使って難事を切り抜ける事を最優先課題とする事を戒めている。しかしどうやら技術力とこの商人の話の精神的バックボーンがあって日本は経済発展を成し遂げたらしいのだ。まぁそうするとGoogleの社訓らしい邪悪になるなに結びつくけど日本はとっくにその精神を身に付けて企業活動にいそしんできた事が成功の秘訣だったのかもしれない。じゃあやっぱりバランスだよという平凡な結論になってしまうけどでもやっぱりGoogleは頭の良い人を集めているじゃないか。で世の中の風潮は頭が良い事が大事と草木もなびく。いやでも船頭多くして船進まずでそんなに考える人を社会は要請してない。多すぎればそこに権力争いが生じて指導部の政権争いが勃発する。そこで漁父の利を得る奴も現れると。それでも平均すれば頭が良い方が生き残れ易そうなのでみんな安易な道を選ぶ。そこで大渋滞が起こって受験戦争に巻き込まれるという案配。で社会の競争からはじかれた奴はブログなど書いて社会の隙をついてしてやったりほくそ笑む。そういうことか。
■最近文字が大きくなる傾向
これは本当に効果があるのだろうか。確かに昔の文庫など見ると文字が小さい。昔の人はやはり目が良かったのだろうか。多少は不便でもそれは利用者側が解決する問題という風潮だったともいえるかもしれない。今は利用者の視点でサービスを提供するのが当たり前の世の中となりましたから当然の流れと。しかしこれは本当に利用者の為なのか。文庫版なんだと文字が大きくなってその為に行間が狭くなって非常に見づらい体裁のものもある。老眼鏡をかけなくても読めるというならそれなりに魅力的かもしれないがそこまでしないと新聞も本も読んでくれないご時世という事か。
どうせなら老眼鏡を前提に小さい文字で出版する所があってもいい。総横並びしなくていいじゃないか。本文を眺めたとき絵のように内容が起ち上がって来るような体裁が理想です。
■青少年というくくり
生物学的にどうしようもないのだろうが青少年というのは社会的に特殊な存在なんだよな。ここに女性は含まれていないのだから女性は子供の時から社会的普遍的存在の側に存する。まぁある意味常識なのだろうが男ってある意味かわいそうな動物ですよね。こうやって社会から隔離され大人達から細心の用心をもって遇されるわけで、それが社会存続の為に必要とされるわけだ。
■そろそろワンパターンに気付くべき
これに対する批判が少し盛り上がっているが。彼の言動はいつも同じパターンを踏んでいる。要するに彼は今回の上映禁止は酷いよと主張したいだけなのである。でそこに何の材料を持って来るかは後は連想ゲームの世界である。そういえば前にも似たような事がと頭に浮かび、日教組のホテル集会が中止になった事、ホテルと言えば感動的話があったよな、そうそうルワンダ、ホテルルワンダ。そんな事が0.1秒くらいに思いつき、じゃあこれとそれをああしてこうすればどうだ立派な批判文のできあがりとそうなったに違いない。社会批判製造機としてはこんなの朝飯前なのだ。パッと思いついた事を文にしてみました。こんな0.1秒で思いついた文章を批判しても時間の無駄。要は今回の上映禁止は余りにもだらしないという想いだけを受け取ってあげればいいのであって後は付け足しでどうでもいい事なのである。要は今回の事件に対しての援用でありこじつけなのだから。多分彼はイタズラ好きの少年がそのまま大きくなったような性質を有しているのでこうやってみんなが騒げば騒ぐほど喜ぶのである。それはある意味無差別殺人を起こした少年の心理にも通じる。いやいやこれは彼を批判しているのではなく誰にでもある心理である。人がブログを書く動機なんてみんなそんなもんである。つまり乗せられ過ぎだってと言いたいわけであるがこのエントリーはそのことに対してどういう効果を持つかは疑問だ。
■米兵逮捕
今回クレジットカードを落とすというあり得ない展開だったから逮捕に至ったわけで、このあり得ない偶然はまるでヤラセじゃないかと勘ぐってしまう。
■贅沢な悩み
貧しかった時代の方が、今よりも凶悪犯罪は多かった。確かに。今は数少ない凶悪犯罪が殊更に注目を浴びて少ないからこそかえって目立ってしまう。それは世の中が整備され洗練されるほど目立ってしまうのだ。犯罪は0にならないのだから少しは我慢するしかないのか。当たった人は運が悪かったなご愁傷様。それでも0に近づけるよう努力する?しかし行き過ぎた規制はやがてかえって世の中をおかしくする。そこは冷静に影響と効果を見極めなければならない。成熟社会というのは面倒くさいものだ。
■腐敗を一掃すれば素晴らしい社会が出来上がるという幻想
イラン革命で腐敗した米国の傀儡政権を倒したイラン。街の人は喜びこれで私達が考える腐敗がない公明正大な良い世の中が出来上がると思っていたら、やって来たのはイスラム原理主義の厳格な社会。みんなこんなはずでは無かったと思ったが後の祭り。国内の不満を逸らすため隣国イラクとの戦争が始まり10年に渡る消耗戦が続いた。規律と無駄を無くせば実現すると思っていたより良い社会はこんな結果をもたらした。既存の秩序を破壊し過ぎてもどんな結果が待ち受けているか分からない。日本がそうならないとも限らない。ペルセポリス。
■「非科学的な根拠の薄いテーマを題材にした番組制作」は罪なのか
非科学的な事は個人の自由だけれどテレビのような影響力のある公共的な場では制限される?
そうなのか。今までUFOとかオカルトとか散々見せられてきた身としてはそういう実感はまるでない。しかしそういう所から科学は正義だみたいな風潮になっていないか。これじゃまるで20世紀少年みたいな科学の力で悪を暴き世界から邪悪を追放するのだみたいな少年マンガを見過ぎた中年男を連想するだけだ。あぁ日本はこんな貧困な発想しかできない人間ばかり大量生産されてしまったんじゃあ〜りませんか。これもそれも手塚治虫や石ノ森章太郎のせい?
日本じゃ宗教もダメ、非科学的なものもダメ。で科学的なものだけが大手を振ってテレビで放送できるというのである。これが思想の科学支配と言わず何と言うのだろう。そんな中で私達の思考がどんだけ貧弱になったかわかりはしない。何たって思考に制限をかけられるのだから、そこに豊かな発想なんてできるわけがない。ある意味これだって1984年の世界である。その考えは非科学的ですよといって勝手に思考を修正させられる。つまり現在の義務教育なんてそういう事が行なわれているのである。もちろん70年代にそういう科学一辺倒の風潮が批判されアポロ計画は打ち切りになり、原子力発電に疑問が持ち上げられ様々な計画にブレーキがかかった。そしてビートルズがインドに傾いたりヒッピーブームが起きたりした経緯があるわけだがここにきてコンピュータサイエンスの高まりもあり科学の復権とかあって疑似科学が攻撃されるという図式だろうか。なんかあんまり柔軟性を持った考えとは言えないと思うんだけど気のせいか。これも共通一次テストの受験戦争の成せる技?