読書記録

2012-02-15

[] 山田詠美ジェントルマン』

ジェントルマン

ジェントルマン

 価値を認めないからこそうまく片づけるできる、侮っているからこそ完璧に済ませることができる、それが他人から見ればスマートに映ることはあるだろう。演じているのではどれだけうまくとも限界はある、露見は破綻に直結する。そこでも動じぬのであれば器の問題ではない。はじめから価値観は壊れている。

 すべて幻想現実に芽吹く。

 少年少女では測れない。男であれば気付かない。女であればわかってしまう。はざまにいるからこそ幻想を生きる。生きられてしまう。幸福ではあったのだろう。理解を超越したものを置くことによってみずからの位置を特定する。動かぬ写真の、神は便利だ。

 鮮やかな筆致、おそるべき吸引力。美しい小説の行き詰まる破滅は、血の色をしている。

2012-02-14

[] 高野和明『ジェノサイド』

ジェノサイド

ジェノサイド

 群像劇小説もっとも特化した物語形態だ。

 線は交わる。彼と彼女を結び、過去現在をつなぎ、あるべき一点へと収斂する。あまりにもダイナミックな手法は、あまりにもマジェスティックな物語を得て、あまりにも面白い小説を生み出した。

 作者には脱帽する他ない。

2012-02-12

[] 菜の花忌

 16年前の今日司馬遼太郎が死んだ。

 著作を読みはじめたのは高校時代から、亡くなってからずいぶんあとになる。あの年頃に司馬遼太郎の小説群に出会っていなかったら、これほど読書日常に密着することはなかったかもしれない。そうなるとほとんど唯一の趣味を与えてもらったに等しい。十代の後半のほとんどの自由時間をその周辺に落としてきたのだから、大げさでなく人生を変えた小説家だった。

 今でも、著作は本棚のいちばんいい場所に並べてある。年に一度はなにかの作品をあらためて読む。そのたびに、まだちゃんと感動する。社会にとってはもちろん、個人にとってもあまりに大きな人だった。

 今日は『21世紀に生きる君たちへ』をゆっくりと読み返してから寝ようと思う。

[] 三上延『ビブリア古書店堂の事件手帳2』

 丁寧につくられた本には、愛嬌が宿る。読み筋ははっきりしていて、我々が思い描く作中におけるリアリティをまったく逸脱しない。読書日常の、スパイスではなくささやかな楽しみであるとするのであれば、これほど好感度の高い本はなかなかない。

 登場人物達はそうではないところが、すこし皮肉ではある。

2012-02-11

[] 絲山秋子末裔

末裔

末裔

 ロードムービーのような小説といえば、絲山秋子にはすでに『逃亡くそたわけ』がある。あの逃亡が実に攻撃的だったことに対し、この旅は回帰のためのものだ。家族とは帰るべき場所であり足の踏み場である

 こんなに想像力の豊かな作家はなかなかいないのではないかと思う。誰も見たことのない世界を描きだすのではなく、誰もがすぐ隣に持ちつつどうしても視界の及ばないところを鮮やかに描き出す。突飛な発想には決して頼らない。この小説家物語は、どこかに生きているかもしれない人生を圧倒的にリアルに思い描くイマジネーションに支えられて屹立している。

 思い描かれた人間の、優しさや哀れさは十全に描かれている。ただ彼に未来がなかっただけの話だ。結局その血は弟が守っていくのだろうという皮肉な結末をもって幕は下りる。筆力には疑いがないけれども、この題材は絲山秋子にしか書けない話では決してないし、もっと言えば絲山秋子が書くべきような話でもない。

 帰るべきひとではなく、守るべきひとでもなく、戦うべきひとだと思っている。次の作品に期待している。

2012-02-10

[] 葉室麟『蜩ノ記』

蜩ノ記

蜩ノ記

 武士は身分ではなく生き様であると再発見されたのは、すこしいかがわしいくらい美しく仕立てたと思われる時代小説によってだったのではないか。清濁あわせのめぬ愚直な男の生きざまを武士とし、むしろそちらの方が一般的だったのではないかと思われる権謀術数に頼る官吏のことを武士らしくないという。

 男子に求められる生き様と言ってしまえば、かなり乱暴になるか。

 そうして生きる人間や彼に巻き込まれる周りの者が幸せであったはずはないのだけど、そこをなるべく偽らずに書き通そうとする姿勢が一歩深い感動を呼んでいるのは疑いようがない。生きるとはひとりでの所業ではない。同時に死ぬこともまた、ひとりの所業ではない。

 誰かのために、何かのために生きるという言葉は、決して重いものではない。とどのつまり、そうすることでしかひとは生きていけないのだ。それは自分勝手で見苦しく、だからこそすこしだけ美しい。