Hatena::ブログ(Diary)

日記

2018-01-06

 朝7時に起きる。コインランドリーで洗濯をするあいだ、朝食会場で朝ごはんを食す。一年に何度もビジネスホテルに泊まるが、安い素泊まりのプランばかり選ぶので、朝食つきは久しぶりだ(無料で朝食券がついてきた)。朝食はバイキング方式で、梅干しを入れたおかゆ大根の煮物、八宝菜卵焼き、それに納豆をいただく。乾燥したばかりの服を身にまとって、9時40分にホテルを出た。敦賀駅青春18きっぷ(5回目)に判を押してもらって、北陸本線に乗りこんだ。敦賀駅が始発だったようで、車内はがらがらだ。先頭車両まで歩いていき、適当な席に座ろうとしたところで、向かいのホームに電車が入線し、そこから人の波が押し寄せてくる。その電車は大阪京都方面からやってきた電車で、青春18きっぷの旅をしている人が大勢いるらしく、我先にと駆け込んできたのでびっくりしてしまった。

 隣のボックス席には家族連れが座っていた。通路側に座る両親は眠ってしまって、小さな姉妹が話しているのが聞こえる。ところどころに雪が積もっている。それを見るたび、ふたりは歓声をあげて「ここで遊びたい」と話している。自分の小さい頃を思い出す。それは今日の朝食会場でも感じたことだった。そこにも小さな男の子を連れた家族連れがおり、小さな男の子は自慢げに大声で昨日目にした風景について語っている。うるせえなと思うのと同時に、それだけではない感覚が生じる。小さい頃の自分自身を目撃しているような気分になる。父親は月に一度は遠出して取材に出かけていたけれど、僕もよく旅に連れて行かれた。あの頃の自分も、こんなふうだったのだろうか。そんなことを考える。

 福井で乗り換えて、12時42分に金沢に到着する。1ヶ月ぶりの金沢は少し雪が積もっていた。まずは駅のレストラン街で昼食をとることにする。おでん寿司の店には行列ができているが、今日のお昼をそんなに豪華にする必要はないのだ。すぐに入れるお蕎麦屋さんを選び、メニューに大きく掲載されている牛肉そばを注文。ピリ辛のつけ汁と、牛肉がのったそば、それに生卵がついてきた。生卵を牛肉そばにかけ、それをつけ汁につけて食べるのだという。すき焼きみたいでちょっとうまい。食事を終えると大野港行きのバスに乗り、「ホホホ座金沢」へ。コーヒーをいただき、『月刊ドライブイン』を扱っていただいている店で『月刊ドライブイン』の原稿を考える。長居してしまったが、途中でお茶と小さなボーロを出してくださり、ありがたい。せっかくだから何かお土産を買おうと、らっきょうを購入する。

 2時間ほどたったところで店を出た。バスで香林坊まで戻り、レンタサイクルを借りる。金沢は街中にサイクルポートがあり、あちこちで借りたり返却したりできて便利だ。友人とメールのやりとりをしていて、新訳『不思議の国のアリス』を読みたい気持ちになっていたので、書店へ。最初に入った店では『不思議の国のアリス』という言葉がまったく通じず、少し驚く。調べてもらったが在庫はなく、大きな店に行かないとダメだと百貨店の中の店に行ってみたが、ここにも在庫はなかった。金沢では『不思議の国のアリス』を読むことができないのか。日が暮れてきたので、本は諦めることにして、事前に調べておいた銭湯へ。すっかりお腹が減っていて、動きが鈍くなってきているが、体を洗って湯につかり、さっぱりした気持ちになる。

 さあ準備は万端だ。時計を見るとちょうど18時で、「鮨 木場谷」へと向かった。12月3日、誕生日に何がしたいかと考えたときに思い浮かんだのは「金沢寿司を食うこと」だった。それで今から1ヶ月前に知人と一緒に金沢旅行に出かけ、『土井善晴の美食探訪』の第1回に出てきたこちらのお店を選んだのだが、これが寿司であるならば今まで食べてきたものは一体何だったというのかというほどに衝撃を受けた。それで「季節に一度はここで寿司を食べられるといいなあ」と思っていたのだが、待ちきれずに食べにきてしまったのである。というのも、金沢までの新幹線は往復で2万5千円ほどかかる。何の用事もないときに出かけるにはハードルが高いので、こうして青春18きっぷで帰省/取材に出ているついでに立ち寄ろうと思ったのだ。この年末年始の移動はほとんど取材のためのものだが、今日だけはただ寿司を食うための移動である。

 まずはプレミアムモルツを注文し、最初の一品が出てくる前に飲み干す。これで少し落ち着いた。獅子の里の超辛口を追加で注文したあたりで、最初の刺身が出てくる。氷見産のカワハギを肝醤油でいただく。うまい。これだけで日本酒を飲み干してしまいそうだがグッとこらえる。続いて出てきた富山湾バイ貝も、柚子の風味を少し加えた煮だこも抜群の味だ。唸りながら食べていると、店内に香ばしい匂いが漂い始める。すると串に刺された大きなエビが運ばれてくる。ガスエビの炭火焼きだ。ただべったりと提供されるのではなく、流れがあって愉しくなってくる。日本酒を追加する。前回圧倒されたあわびが出てくる。6時間煮込んだあわびは本当に絶品だ。あわびなんてあんなゴムみたいなもの、なんで高い金を出して食べようとする人がいるのかと思っていたけれど、自分が間違っていた。しかも、ここのあわびはまったく味付けせず、あわびの味だけを引き出しているのだという。一体何をどうすれば、同じ食材でここまで印象が変わってしまうのだろう。いつまでも頬張っていたかったけれど、飲み込んでしまってさみしくなる。

 そう、こんなにうまいものを食べているとさみしくなってしまう。食べ終えてしまうということが本当に残念だ。これはいつか死んでしまうことが残念だというのと同じことだろう。そのことを事前に体験しているような気持ちになる。そして、もう一つ気づいたことがある。「鮨 木場谷」の寿司はこの日も抜群にうまく、まったく文句のつけようがないのだけれど、「前回のほうが楽しかったな」と思う。それはやはり、隣に知人がいたからだろう。うまいものを食ったときに、その感動を口にしてああだこうだ言い合える相手が隣にいないというのは少し物足りない気持ちになる。知人でなくとも、誰か気のおけない友人がいればもっと楽しいだろうに。隣では僕と同じようにひとり客が静かに日本酒を飲んでおり、よっぽど話しかけようかとも思ったけれど、それは違うだろうなとグッと堪えた。2時間ほどで店を出て、鈍行に揺られて敦賀にたどり着く頃には23時半になっていた。

2018-01-05

 深夜2時に目が覚めてしまう。なんとか眠りにつこうとケータイを眺めていたが目は冴えるばかりで、3時にはベッドを出て構成の仕事を進める。5時から2時間だけ仮眠して、構成を完成させてメールで送信する。間違えて喫煙室を予約していて、窓を開けっ放しで寝ていたので少し熱っぽく、風邪薬を飲んでおく。

 10時にチェックアウトし、ドトールでホットコーヒー(M)を買ってマリンライナーに乗り、今日も児島に向かった。詳細は伏せるが、ついに手がかりにたどり着く。まだ取材できると決まったわけではないが、ようやく光が指してきた。実は昨日の段階で諦めかけており、「今日はもう、別の仕事をして過ごすか」とも思ったのだが、すぐ近くにいるのだから今日も児島に足を運ぼうと思ってやってきたのだ。諦めないでよかった。今後の取材をスムーズに進められるのではないかと、児島図書館で10月3日の山陽新聞(夕刊)を探す。『月刊ドライブイン』を扱ってくださっている「451BOOKS」の根木さんが紙面で紹介してくださっているので、それを複写する。

 児島駅セブンイレブンでタン麺を買って昼食にする。岡山のホテルに預けていた荷物をピックアップして、西へ。同じように青春18きっぷで移動している人が多いのか、大きな荷物を抱えた人で一杯だが、かろうじて座ることができた。相生姫路神戸で乗り換えて、元町で途中下車し、「1003」へ。『月刊ドライブイン』を扱ってくださっているお店で、取り扱ってくださっているお店はどこも足を運んでみたいと思っているので、この「1003」もいつか訪れたいと思っていた。今回は青春18きっぷで移動していることもあり、途中下車して立ち寄ってみたのだ。時間は限られているので、急いで棚を眺める。見たことのなかったリトルプレスもあり、5千円以上散財してしまう。お店の方にご挨拶。しかし、こうして取り扱ってくださっているお店で、その置かれ方を見ると参考になるというか、考えが膨らんでくる。ここはビールも飲めるお店なのに、ビールを飲めなかったことだけが心残りだが、スーツケースを引いて元町駅へと急ぐ。

 京都から湖西線に乗り換え、北に向かう。いつのまにか日が暮れている。このあたりの鉄道は車両も多く、混雑する時間帯だが座ることができたので、原稿を書いていた。いつのまにか窓の外には雪が積もっている。19時過ぎ、今日の目的地である敦賀にたどり着く。駅前は再開発されており綺麗なロータリーだが、ホテルが数軒あるくらいで真っ暗だ。ホテルにチェックインしたのち、駅前にぽつんとある「まごころ」という店に飲みに行く。良い店だ。へしこを注文すると、お店のお母さんが「しょっぱいから、ちょっとずつ食べてな。これがあれば何杯でも飲める」と言う。

f:id:hashimototomofumi:20180105211443j:image

 熱燗を6杯飲んだが、会計は3000円程度で済んだ。ホテルに戻り、日記を書く。12月29日にも1年前の日記を書いたが、今日もまた1年前の日記を書く。2017年1月5日、あの日は知人とKさんの見舞いに出かけたのだった。


2017年1月5日

 11時過ぎに実家を発って倉敷を目指す。13時半、駅で知人と待ち合わせて、せっかくだからとまずは散策することにした。美観地区の入り口にある「浅野屋本店」にて、屋台で出している棒天ぷら地ビールを買い食いする。今日も美観地区は大賑わいだ。缶ビールを飲み干したところで阿智神社に参拝。つい最近もお願いしたばかりですがと手を合わせたのち、知人の“おば立ち写真”を撮っておく。参拝したのとは違う道を下り、「蟲文庫」にお邪魔する。むしさんは知人のことを「河村さん」と本名で呼ぶ希少な存在なので、3人で話していると新鮮な気持ちになる。

f:id:hashimototomofumi:20170403125546j:image

 15時に面会時間が始まるのにあわせて倉敷中央病院に向かった。知人が事前にLINEで連絡を取っていたのだが、Kさんから「来る途中にコンビニとかあったら買い物お願いしたいよいか」とメッセージが届いていた。飲むヨーグルト的なものとバニラかチョコのアイスをご所望とのことで、近くのセブンイレブンに立ち寄る。アイスクリームはバニラとチョコのハーゲンダッツを買って病室に向かう。今日のKさんはベッドに横たわっていて、「ようこそ」と出迎えてくれた。体調は悪くなさそうだ。「OL食、買ってきたで」と知人が袋を差し出す。冷蔵庫はあるが冷凍庫はないとのことで、Kさんがバニラを、僕と知人がチョコを食べることにする。

 忘れないうちにと思って、ハロルド作石「7人のシェイクスピア」の話を切り出す。昨日、Kさんが「『7人のシェイクスピア』連載再開されてたの知らなかったビビった」とつぶやいていたので、スクラップして持ってきていたのだが、Kindleで買って読んだと言うのでそっと鞄にしまう。「しかし、ヤンマガKindleで買うのも屈辱だけど、寄付が集まったから財布の紐が緩くなってしまった」とKさんは笑う。「来週には退院するから、コンビニで立ち読みもできるけど、車椅子で立ち読みにこられても困るだろうから、さすがに買おうかと思ってる」と。

 アイスを食べ終えたところで、「ところで、おめえら今年の抱負とかあるんか」とKさんが唐突に切り出す。僕は「だらだらすることです」と答える。だらだらしようと思っても、数日経つと何か目標を持たなければと思ってしまうし、だらだらテレビを観ているはずがいつのまにか真剣に観て何か読み取ろうとしてしまうけど、なるべくぐうたらしたい、と。「テレビって、そんなに面白い?」とKさん。「こないだ正月に実家へ帰ったときに、昼間のどうしようもない時間帯に眠れもせず、しょうがないから居間でテレビをつけたら沢口靖子のドラマをやってたけど、脚本が存在しないんじゃないかって思った。スコープで検査してるシーンで繋いどるけど、スカスカのサスペンスだった」。Kさんの言葉に、「でも、すげえ人気よ。うちの母ちゃんも大好きだし」と知人が返す。「うちの母ちゃんを見よったらわかるけど、サスペンスはスカスカぐらいのほうがええんよ。途中で絶対寝るんやけど、最後だけ起きて『ああ、やっぱりこいつが犯人やったんや』っていうのでオッケーなんじゃけ」。そういうもんなんかとKさんが不思議そうにしていたことを、1年経った今、鮮明に思い出す。僕はテレビが大好きだけど、テレビが今まさに終わりつつあるのを肌で感じる。*1

 「今年の抱負な。何だろうな。いやー、全然思い浮かばんわ」。そう語る知人に、Kさんは「快快の公演はあるん?」と尋ねた。「あるある。2月じゃけ、もうすぐよ」「どんな内容になるん」「宇宙人がね、人間になりすましてるっていう」「ああ、『ゼイリブ』みたいな感じか。ってことは『ウェルカムチキュージン』のつながりで――後藤さんとか出るん?」「そう、ごっちんは出る」「後藤さんも出てたけど、国分寺大人倶楽部の解散公演は面白かった。ああいうちゃんとした劇団が解散するのは寂しいな。快快とか悪魔のしるしがのさばってるのはおかしくて、ちゃんとリアリズムができる劇団がもうちょっと人気がないとまずいと思う。リアリズムは大事だよ」。

 知人がいることもあり、この日は演劇のことがよく話題に上がった。「こーじ君が一時期、鈴木メソッドをやってみせてくれたりしよった」という知人の言葉に、「ああ、こーじ君がSCOTに出てるところは一生に一遍観てみたい」とKさんがつぶやく。一生に一遍、という言葉に少し戸惑う。沈黙が生じる。そのことを察したのか、Kさんは「俺、鈴木忠志のことは尊敬する」と言葉を継ぐ。「本気っていうのは格好良い。本気のものっていうのは、やっぱりね、胸を打つ。去年利賀村に行ったけど、なかなか面白かった」。そう語る姿を眺めながら、『桜の園』のラストに、全力で壁にぶつかっていた――文字通りの意味で全力で壁にぶつかっていた――Kさんの姿を思い出す。あの姿は今思い返しても本当に格好良かった。

鈴木忠志のことを茶化してた人たちっていうのは、結局のところ、鈴木忠志より生き延びられなかった。まあ基本的に俺も茶化しの文化圏にいて、その文化圏を出ることはないだろうけど、茶化す対象を考えなきゃいけない。自分が尊敬できるものを馬鹿にするんじゃなくて、心の底から『こいつを馬鹿にしなきゃいけない』と思うやつを馬鹿にしなきゃいけない。しかもそれは弱いものいじめじゃ駄目で、俺の愛する世界の敵だと思えるものを茶化しに行きたい。そう思うよ」

 Kさんは「いつもより体調が良い」と言っていた。演劇に限らず、第三の新人深沢七郎野坂昭如保坂和志辻井喬糸井重里、さまざまな名前が話題に上がった。30分ほど経ったところで、「あんまり長居しても悪いか」と言っておいとましようとすると、いや大丈夫、よかったら談話室に行きませんかという話になり、車椅子を押してエレベーターに乗る。「そういえば、制作座談会の記事が出るらしい」とKさんが言う。その座談会に、悪魔のしるしの制作・Tさんも参加したそうだが、「良いこと言おうとしたけど、弁当の話しかできなかった」とこぼしていたそうだ。「いや、Tさんのケータリング力はすごいけんね」と知人は言う。「直島のイベントのときも、西瓜を一口大に切って、そこにちっちゃい旗を一杯立ててて、『あのケータリング力、見習いたい』って皆が言いよったもん。私は唐揚げがあれば満足してしまうから、そこまで考えられんけど」

 知人のざっくりした話にKさんは肩を震わせて笑う。笑いが落ち着いたところで、「やばい、唐揚げ食いたくなってきた」と漏らす。「今の楽しみは、退院したときにジャンキーなものを食べれることでさ。年末に実家に帰ったときも、最初にカレーを食いたいって。普通のハウスのカレーだけど、うまかった」。Kさんは味を思い出すようにしみじみ語る。「胡椒がきいてて、それがうまかったんよ。それはたまたま、具を炒める時に親が胡椒を入れ過ぎたんだけど、病院の味つけはちょっとぼんやりしてるから、香辛料がうまかった。今度退院したらラーメンが食べたい。ほんとはどろっとしたとんこつラーメンが食いたいんだけど、今は体力的に、4、5口でストップになると思う。だから、誰かと一緒にいて、ちょっとだけでもいいから食いたいな」

 Kさんは未来のことをたくさん話していた。「基本的には大いなる仮構の中のアップダウンだから、過度の期待は禁物だけど」と言いながらも、最近は治療の効果が出ているのだと語っていた。退院したら京都に旅行に行きたいし、TPAMも観に行きたい。でも、癌はしょうがないけど、下半身付随は要らんもんをもらったなあ。しょうがないけど、要らんものまでもらってしまった。そう繰り返しながらお手洗いに行った。しばらくすると、慌てた様子で看護師さんが男子トイレに入っていく。しばらくして出てきたKさんは「流すボタンとヘルプボタンを間違えて押してしまった」と気恥ずかしそうだ。

 「悪魔のしるし、倉敷公演はあるん」と知人が尋ねる。

 「そうねえ、Tさんと考えよるんやけど、現実的だとは思う」とKさん。「倉敷でもできなくはない。ただ、倉敷で公演してもどうせお客さんは来ないから、周りの人を皆呼ぶことになりかねない。それはちょっと申し訳ないから、せめて京都でやりたい。それなりのものはできると思うけど、せっかく公演をやるんだったら3桁ぐらい来て欲しい。京都だったらお客さんも多少はくると思うし、出来ることなら横浜でやりたい。それが演劇になるのかどうかって問題はあるけど、やっぱり演劇をつくりたいから」そこまで言ったところで、そして、できればなるべく遺作じゃないようなものをと付け加えて笑う。その感じがいかにもKさんらしいなと思う。

「そうね。三部作ぐらいで」と知人が返す。

「それもいいな。『続』で終わる。ただまあ、身のまわりのことから題材を取るから、どうしてもこの状況を扱うことにはなると思う。実際面白いんよね。病院って面白いもので、患者を生かすための施設でもあるけど、職員を食わせる場所でもある。職場の人としては有能だけど、患者からすると『何この人』っていうのもある。病院って基本的に忙しいから、いろんなタスクが発生するわけよ。それをウェイターみたいにこなす人もいるんだけど、運ばれてるのは料理じゃなくて人間だから、こなされてるのは伝わってくる」

 Kさんは僕や知人に向かって話しながら、言葉をまとめようとしているように見えた。本当は書いておきたいことが山のようにあるのだろう。退院したら湯船に浸かりたい。そんな話から、Kさんは11月のことを思い返し始めた。11月、まだ横浜にいた頃は毎日のように銭湯に通っていたこと。湯船に浸かると痛みが軽減されたこと。どうすれば痛みを散らすことができるものかと、変なポーズで過ごしていたこと。11月のことはもうちょっとちゃんと文章に書いておきたいんだけど。Kさんはそう言っていた。

「11月にはもう病院に通ってたけど、まだ癌だって確定されてなくて、誰にも言えず、家でひとり、なんか痛えなって思いながら生きてたもんな。中旬の頃は痛みがキツくてさ、バファリン買って飲んだりして、まったりした音楽聴いてた。ベックのアルバム、すげえ地味なんだけど、すげえよかった」。そこまで語ったところで、11月下旬のことを思い出したのか、「ああそうだ、もふさんが書いてくれた日記も読んだよ」とKさんは言った。「もふさんの日記とかたまに読むけど、面白い」と言ってくれる。そして『HB』も買っていたと言われて少し意外に思う。『HB』を出していた頃はまだKさんと面識はなかったのだが、どこで知ってくれたのだろう。

 「ありがとうね。ほんとに」。しみじみ語るKさんに、「何、じじいみたいなこと言い出して」と知人は笑う。「いや、自分の身体のことをどこまで把握できとるかはわからんけど、今日・明日に死ぬわけじゃなくて、もうちょい大丈夫だろうっていう感じはある。やっぱり、畳みたいっていうのがあるわけよ。散らかしたまま終わりたくない。だから、じじいみたいなことを言うかもしれんけど、まあ美意識の問題として、畳みたいとは思ってる。多少散らかってたとしてもご愛嬌で、そこは許してもらいたいけど」

 病院を訪れてから1時間半が経とうとしていた。そろそろ病室に戻りましょうかと引き返す。「引き止めてしまって申し訳なかった」とKさんは少し申し訳なさそうだったが、少しでも気晴らしになっていればいいなと思う。知人が「ちょっと写真撮っといてよ」というので、ふたりの写真を撮る。ベッドにもどりながら、「向こうに戻ったら、皆によろしくお伝えください。なんとか無事に生きてると」とKさんは言う。「じゃあ、2月の公演、行けたらいくわ」。じゃあ、また。「またまた」。そう言葉を交わして病室を出た。今思えば、あれが最後に交わした言葉だった。

*12017年の秋頃から、テレビの終わりを感じ始めている。それを強く感じたのは、インターネットで『72時間ホンネテレビ』をやっているときに『めちゃイケ』と『とんねるずのみなさんのおかげでした』の打ち切りが報じられてたときだが、その少し前から感じていたことだ。『とんねるずのみなさんのおかげでした』と言えば、昨年は保毛尾田保毛男が猛烈に批判された。あの時に引っかかったことがある。とんねるずを擁護したいわけでは全くなくて、どうしてこのタイミングでとんねるず批判されるのかということだ。『とんねるずのみなさんのおかげでした』は現代的な正しさとはずっとかけ離れていた。たとえば、コールドストーンでアルバイトを体験する企画のとき、指導をしてくれたマネージャーの女性の容姿を石橋はしつこくいじり続けた。コールドストーンという企業の性質からしても、現代的な正しさからしても、女性の容姿をあのようにいじることはアウトだろう。しかし、それを観ていた人は決して多くなかったのだろう、さほど批判を受けたという印象は受けなかった(実際、同じコールドストーンのマネージャーを起用した第2弾の企画が放送された)。保毛尾田保毛男が登場したのは30周年スペシャルの中で、ビートたけしを招いた回でもあり、反応する人が多かったのだろうけれど、結局のところ普段は誰もバラエティを観ていないからこそ乖離が生じるのだと思う。今年――というのはこの日記を書いている2018年の今――の年末年始の特番でいうと、たとえばベッキーがお尻にタイキックをされて、そのことが「ありえない」と批判されてもいる。もちろん一般社会に置き換えて、それが会社という組織の中で行われていたらハラスメントだし傷害事件だろう。しかし、それをテレビの画面の中に適用させることができるのだろうか。テレビカメラに映っていないところでそのような行為が行われていたら問題外だけれども、バラエティに生きる人たちはフィクションを生きているように思うのは僕だけだろうか。トーク番組などで、タレントや芸人がとっさに答えられず考え込むと「いや、なんでもいいから何か答えろよ!」とツッコミが入る。そこでは本当は何を思っているかなどどうでもよく、ただテレビバラエティという虚構の中を皆で泳いでいるだけだ。もちろんそのフィクションを強制されるべきではなく、そこから抜けたいと思えば抜ける自由は担保されていなければならないが、そうでなければ必ずしも常識で判断できることではないだろう。それを言い出せば、カミナリの漫才だってアウトで、あそこまで叩かないにしてもツッコミで叩く動作だって許されないはずだ。落とし穴にかけるのだって、ドッキリにかけるのだって許されないはずだ。あんなふうに人を騙すことは許されないだろう。でも、僕はドッキリ番組を観ていると笑ってしまう。『水曜日のダウンタウン』のクロちゃんの企画はどれも腹がよじれるほど笑ってしまうけれど、勝手に部屋に上がり込んで隠しカメラを設置したり、勝手に追跡してその様子を配信したり、一般社会では到底許されないものだろう。でも、それに笑ってしまう。もちろん「テレビは嘘なんだから何をやっても許してやろうぜ」と言いたいわけではない。同じ『水曜日のダウンタウン』のドッキリでも、ダイノジ大地が大事にしているスニーカーを知らない男たちが勝手に履いていた企画なんかはさすがに可哀想だろうと思った。そのドッキリには本人ものっかりきれず、ショックを受けている感じが伝わってきたからだ。いずれにしても笑いというのはとても微妙なバランスの上に成立しているものだと思う。そして、万人が笑えるものというのは存在せず、ある範囲において成立するものだろう。もちろん、まずは届ける側が「どういう人がこれを観る可能性があるのか」ということに慎重であるべきではあるけれど、今の批判の広がり方というのは普段からバラエティを好んで観ている層ではないところからも批判がなされているように思える。念のために言っておくと、そんなふうに批判するのは駄目だと言っているわけではない。公に発表されているものであるのだから、批判は当然なされるべきだろう。ただ、テレビを観る人が少なくなればなるほど、バラエティ番組と一般社会の溝は深くなっていく。その溝の深さを感じて、ただただ寂しくなる。なぜこんなふうに長々書いているのかというと、「テレビを批判している人たちが許せない!」と言いたいわけではなく、今はもうバラエティ番組を楽しんでいる層というのはいなくなってしまったのだと感じてしまって、寂しくなるということだ。そこにテレビの終わりを感じてしまう。

2018-01-04

 朝6時に起きる。昨日は22時半には眠りについたので、無事に早起きできた。祖母の暮らす棟に顔を出す。祖母はまだ眠っていたが、声をかけるとすぐに起きた。

 「今日帰るけん、東京に」
 「ありゃま。もう帰るん。何時頃出るん?」
 「あと30分ぐらいよ。あーちゃんも元気でおりんさいね。また夏に帰るけん」
 「夏にね。夏まで元気でおらんといけん。ありがとう。よかったよ、帰ってきてくれて。ありがとうねえ」

 枕元には僕が小さい頃の写真もあれば、最近撮った写真も飾られている。父が撮影して現像してきたものを母が飾ったのだろう。兄夫婦が祖母と一緒に写った写真の日付は昨年5月のものだが、それと比べると愕然としてしまうほど祖母はすっかり年を取ったように見える。昨日の夕方、両親と祖母とでケーキを食べた。祖母はもう体起こすことができず、母に促されて僕がケーキを食べさせた。そこを父が写真に撮ろうとして、自分でもびっくりするぐらい拒絶してしまった。そんな写真は撮られたくなかった。一体何のためにそんな写真を撮っておくというのだろう。そんな証拠写真のようなものは残したくなかった。夜になってひとりで祖母の元を訪ねて、祖母が横たわる姿を写真に収めた。あのときは僕のことを誰だか認識できていないようにも思えたけれど、今は意識がはっきりしている。夏、というのがあるのかどうかはわからない。

f:id:hashimototomofumi:20180103201309j:image

 7時半に実家を出て、山陽本線の鈍行に乗る。比較的空いている。電車の中では構成の仕事をしていた。このお正月は毎日21時頃まで仕事をしていた。こんな正月は初めてだ。10時に岡山に到着し、今夜宿泊するホテルに荷物を預け、駅から少し離れた場所にあるクリーニング屋――そこが岡山駅に一番近い場所にある当日仕上げの店だった――でジャケットとセーターをクリーニングに出す。用事を済ませると山陽本線で少し引き返して倉敷に行く。時間が限られているので、レンタサイクルで「蟲文庫」に向かい、新年のご挨拶。気になった文庫本を購入しようとしたところで、「ちょっと、コーヒーを淹れますね」と言ってくださる。いつもこんなふうにコーヒービールをいただいてしまっているので、実家の近くでつくられている賀茂鶴を差し出す。すると「じゃあ、ちょうど近所で買っていたお酒があるので」と、馬が合うという日本酒を出してくれる。辛口ですっきりしていて、うまい。午前中から日本酒を飲んでいると、ああ、正月だという気分をようやく感じることができた。

 ぽつぽつ話をしていると、どうしてもKさんの話になる。ちょうどその話を始めたところで、ふと、むしさんが「あ、Kさん」と言う。えっ。驚いて振り返ると、Kさんのお父さんが入っていらっしゃる。「昨年は色々ありがとうございました」と挨拶するお父さんに、むしさんが僕のことを紹介してくださる。一度スイスでもちらりとお会いしたんです。「ジャコメッティ? お恥ずかしい。いや、去年はお騒がせしました。本年もよろしくお願いいたします。また寄ってくださいね」。そう挨拶すると、お父さんは深々とお辞儀をして去ってゆく。あまりのタイミングに、少し呆然とする。むしさんはお酒のおかわりをついでくれようとしたけれど、2杯飲んでしまうと「取材はもういいか……」という気持ちになってしまいそうだったので、1杯だけでおいとまする。

f:id:hashimototomofumi:20180104122321j:image

 レンタサイクルを返却し、「ふるいち」で肉ぶっかけ(と瓶ビール)を食したのち、児島へ。今日はドライブインの取材だ。ただし今も営業している店ではなく、もう20年前に閉店してしまった店である。これまで4度も児島に足を運んできたが、いまだに何の手がかりも得られていない。いろいろ資料を探したり、近くの店に聞き込みをしたり、地元の新聞社や出版社に尋ねてみたりしたが、ほとんど情報を得られていなかった。今回こそはと意気込んでいたのだが、詳細は省くが、空振りに終わる。日が暮れかけたところで、前回訪れた際に立ち寄ったタコ料理の店へ。名刺入れを忘れてしまっていたのだが、「また1ヶ月後にお邪魔するので、預かっておいていただけませんか」とお願いしていたのだ。軽くツマんで熱燗をいただき、店をあとにする。

 18時過ぎ、岡山駅まで帰ってくる。クリーニングを受け取り、岡山駅近くにある焼き鳥屋へ。歴史のある店らしく、大賑わいだ。カウンター席に座り、熱燗を注文する。ひとりのお客さんというのはほとんどいなかった。今日からの営業だったのか、店員さんと常連さんが新年の挨拶を交わしていたり、そのまま話し込んだりしていて注文できず、あまり楽しめる予感がしなかったので熱燗2杯だけで店を出た。倉敷なら行きたくなる店がいくつかあるけれど、岡山ではいまだに見つけられずにいる。カレーうどんを啜り、21時になるまえに眠ってしまった。

2017-12-29

 朝6時に起きる。また缶ビールをお供えにしてしまった。酔っ払うと最後に1杯ビールが飲みたくなって開封するのだが、そこで力尽きて眠ってしまって、枕元にぬるくなったビールが備えられている。そんなことばかり繰り返している。だから自宅の冷蔵庫には200ミリの缶ビールが常備されている。シャワーを浴びて、荷物をまとめ、朝7時にホテルをチェックアウト。繁華街ということもあり、街にはゴミが散乱している。昨日で仕事納めの職場もきっと多く、忘年会で飲み散らかした人たちの残骸だろう。朝早くから店の窓やシャッターを拭いている人たちをよく見かけた。

 天文館から高速バスに乗車する。予約をしていなかった乗客は「満席です」と断られていた。ただ、予約しても乗車しなかったお客さんがいたのか、僕の隣はずっと空席だった。移動しているあいだはずっと日記を書いていた。10時40分、バスは熊本に到着する。まずは荷物を預けようとホテルに歩いていると、懐かしい壁画に再会する。2014年、「まえのひ」ツアーで熊本を訪れたときに遭遇した壁画があった。橋桁に描かれたその絵はとても印象的なものだったのだが、酔っ払っていたのでそれがどこにあるのかおぼえておらず、熊本を再訪するたびに「どこだったっけ」と気にしていたのだが一度も再会できていなかった。それは辛島町の近く、博愛会病院の前にいた。橋桁にはいくつも絵が描かれていて、それらは熊本市立藤園中学校による「私たちの美しいふるさと 私たちの明るい未来」というタイトルだと初めて知る。

f:id:hashimototomofumi:20171229105244j:image

 昼は来年の旅に向けた下調べをしたり、日記を書いたりした。日記というのは、今からちょうど1年前の今日の日記である。いつかこの日の日記を書こうと詳細なメモを残しておきながら、まとめられないまま1年が経ってしまった。途中で、熊本を訪れるたびに足を運ぶ洋服屋さん「Re;li」に行ってみたのだが、年内の営業は昨日までだったらしく、伺えず残念。18時、大学時代の友人夫婦と待ち合わせ、地元の人で賑わう酒場で乾杯。芋焼酎をしこたま飲んだ。友人が「カラオケに行こう」と言うので、ずいぶん久しぶりでカラオケ店に入る。時期が時期だけにぼったくりのような値段が表示されているが、友人が交渉して1000円引きになる。友人夫婦が一緒に歌う姿を眺めながら、学生時代はよくこうしてカラオケに行ったことを思い出す。旅をしていると、こうして誰かと一緒に飲んだり話したりする機会が生まれるのが何より嬉しく感じる。そういえば、1年前の今日も旅に出て、言葉を交わしていた。


2016年12月29日

 9時過ぎに大阪を出て、西に移動する。姫路相生岡山と乗り換えて、12時過ぎに倉敷にたどり着く。まずは例によって「ふるいち」でぶっかけうどんを食す。昼食を終えたらすぐにお見舞いに出かけるつもりでいたけれど、「そういえばお見舞いってどうすればいいんだっけ?」と不安になり、病院のホームページを確認すると、面会時間は制限されていることを知る。入院したことはあるけれど、誰かを見舞ったことがないので知らなかった。面会は15時からだったので、街を散策することにする。

 阿智神社に立ち寄る。前にも一度境内を散策したことがあるけれど、あの時はなぜ神社に足を踏み入れようと思ったのか、思い出すことができない。前回はただ境内を散策しただけだったが、今回はちゃんとお賽銭を入れて参拝する。「こんなときだけ神頼みですみません、あそこの病院に入院しているKという者がおります、その病気を治してくれとは言いませんので、穏やかな年末年始を過ごせるように、よろしくお願いします」と念じる。登ってきたのとは違う階段を下り、「蟲文庫」へ。中上健次の本を買って、ビールをいただく。いつも遊びにくるたびに「コーヒービールだと、どっちがいいですか」と言ってくださり、いつも甘えてしまう。

 ぽつぽつ話していると、そうだ、お見舞いに行くなら渡してもらいたいものがあるんですとむしさんが言う。つい昨日、Kさんが「ぼんやり亀を眺めていたい」とつぶやいていたので、『亀のひみつ』を包み紙に入れて差し出される。「今日はKさんのお見舞いに行こう」と思って倉敷までやってきたのだが、特に連絡はしていなかった。本人もすでに書いているように、「この時間に行こうと思うんですけど、都合はいかがですか」と連絡をするというのは、酒場を予約するわけでもないのだからよくないだろうという思いもある。それに、すでにそのような連絡が山のように本人に届いていて、それにいちいち返信するだけでも体力が削られてしまうだろう。

 Kさんとは何度か倉敷でお茶をしたことがある。だが、そのいずれも事前に約束をしていたわけではなかった。僕は実家のある広島まで帰省するとき、行きか帰りにたいてい倉敷に立ち寄る。2010年に初めて「蟲文庫」を訪れてからというもの、せっかくだから再訪しようと途中下車するようになったのだ。その翌年から演劇を観るようになるのだが、そのきっかけとなる飲み会にもKさんは参加していて、そこで知り合った。それからというもの、僕が倉敷を訪れたときにKさんも倉敷にいて時間がある場合、「ちょっとお茶でも」と連絡するようになった。連絡するようになったというか、僕が倉敷の写真をツイッターなんかにのせているのを見て、「あんた、倉敷にきとるんなら連絡ぐらいしんさいね」とメッセージが届き、「じゃあお茶でも」とお茶をしたりしていたのである。

 そんなふうに過ごしてきたのに、お見舞いのときだけ連絡するのもどうかと思って、連絡せずにやってきた。しかし、むしさんから本を預かったおかげで、病院を訪れる口実ができた――そんなふうに思いながら、病院を訪れる。一歩踏み入れて、その巨大さに驚く。それに、病院というのは暗かったり、重苦しかったりという印象しかなかったけれど、明るい日差しが差し込んでいて、大学のキャンパスのようだ。しかも、館内図を見ると図書室や理容室もある。エレベーターでKさんの病室があるフロアまで上がり、受付で名前を書いて、病室に向かう。外からそっと呼びかけてみるが応答はなく、おそるおそるドアを開けてみるとベッドにその姿はなかった。

 もしかしたら治療を受けているタイミングにやってきてしまったのだろうか。やはり連絡しておくべきだっただろうかと病室を出ると、「ああ、もふさん」という声がする。そちらの方向に目を向けると、Kさんが車椅子でこちらにやってくるところだ。僕が「蟲文庫」の紙袋を手にしているのを見て、「みほさんとこに行ってきたんですか」とKさん。そうなんです、もしかしたら読むには重いかもしれないですけどって蟲さんは言ってましたけど。「いや、大丈夫です。ありがとうございます。もっと物理的にも内容的にも重い本を持ってきた人もいましたから」とKさんは笑う。せっかくだから談話室に行きましょうか、上の階にあって結構いいんですよ。そう誘われるままに、エレベーターで談話室に向かう。

「ちょっと思ってることを整理がてら話しますけど、基本的に無力なんですよ」。二人きりのエレベーターの中でKさんはそう切り出した。「これはまたブログに書こうと思ってるんですけど、入院した相手への処し方というものを、我々はわかってないんです。自分が入院して始めて気づきました。これは震災のときの問題とも絡むんですけど、病がある程度重いと、病院に任せるしかないんです。でも、それでも何かやりたいという気持ちは皆にある。『そういえばあの人は絵を描くのが好きだった』とか、『本が好きだった』とか。それで送ってきてくれる人もいるんですけど、この状態で難しい本なんか読めないわけですよ。俺はもう、Kindleで『北斗の拳』読んでるんだから。あと、スケッチブックにしたって、俺にも好みがあるってことを察してくれっていう。我々はおろかにも、被災地に古くなった子供服を送りつける、あれを反復してしまってるわけです」

 相槌を打ちながら、あまりにもKさんらしい話しぶりで笑ってしまう。1ヶ月前に会ったときより声が少し細くなっているようにも感じられるけれど、それが病ということなのだろう。先月は、元気だった頃に比べてがくんと弱っていた姿に驚いてしまったけれど、今日は体調が良さそうでほっとする。談話室は大きなガラス張りで、晴れ渡った空が見渡せる。今日東京を出たんですかと尋ねられたので、いや、昨日は大阪に泊まって、フェスティバルホール落語を聴いてきたんですと答える。と、そう答えて思い出したことがあった。少し前に、彼は「途中でうっかり口にした『落語的なるものへの嫌悪』偽らざる私の正直な心」とつぶやいていた。あれは一体どういう意味だったのだろう?

「 あくまで『落語的なるもの』と言ったのは、落語そのものではないんです。アカデミックな小理屈をこねるのに、いざとなったら庶民に逃げ込んで、現代美術をけなす人がいるわけです。こんなもの誰が楽しんだって。そう言い方をするってことは、庶民の中に現代美術を楽しむ人がいないと思い込んでいる。だから、庶民ってことを言いながら、庶民のことを全然見てないんですよ。庶民の中に現代美術が好きなやつがいないとは限らない、むしろそれなりに発達したこの国でいないなんて言えるわけがない。そういうことです。それはでも、左翼的な思考における弱者っていう言葉の使い方とも繋がってると思います」

 ところで、昨日フェスティバルホールでかけられていた演目のひとつは「芝浜」だった。「あと三日ですよ、あと三日の辛抱ですからね、あと三日辛抱すればあとはチャラですから」。立川談春はまくらでそう繰り返していた。僕は12月が大好きだ。せわしない街の様子を見ているだけでたまらない。クリスマスも好きだし、クリスマスが終わったあとの一週間も好きだ。それはやはり、年が終わりゆくことに何か感じるのだろう。ああ、今年はあれをやると決めていたのに。ああ、今年のうちにあれをやっておきたいのに。そういった人の気持ちとはまったく無関係に、ぶつんと年が終わる。そのことにも何か感じ入ってしまうし、新しい年がくればすべてチャラになったような気持ちになる。結局のところ何一つチャラになってなどいないのに、そんな発想を毎年繰り返しているというのは何だろう。

 僕がそんな話をぽつぽつしていると、Kさんはときどきむせるように笑い、「ほんとにチャラにしてくれるんだったら歓迎しますけどね」と言った。何もチャラにならないんだよなあ、と。
 
  「落語っていうのは庶民の知恵でもあって、だから存在の否定は絶対にしないですよね。そういう価値観は生きていく上ですごい大事だと思うんです。ただ、心のどこかで、そんな知恵が吹き飛ぶようなすごいことが――良いことにせよ悪いことにせよすごいことが起こるんじゃないかと思う。これがギリシャ悲劇的な価値観ですよね。生活の知恵として、『それでも生きていくんだ』みたいな地道な価値観が好まれるけど、でもね、心のどこかで、この世界はもっと無慈悲な非対称性に満ちているのではないかという気持ちもあるわけです」

 昨日聴いた落語は、もう一つ、「五貫裁き」もあった。八五郎と徳力屋の諍いに、大岡越前守が名裁きを下す話だ。大岡越前守は諍いごとの事情を察し、八五郎と徳力屋のこともきちんと考えて裁きを下している。そのなりゆきを聴いていると、よかったなあと思う。それと同時に、ふと思う。現実の世界はこのようにはいかないのだよなあと。このようにあってくれたらなあという気持ちが、この噺を聴いて「よかったなあ」と感じる感情の中に含まれている。その「よかったねえ」という気持ちは現実に破れ続ける。Kさんの言うように、現実は圧倒的な非対称性の中に置かれていて、「こうあればいいのになあ」という気持ちは敗北し続けてしまう――そんなことを僕が話すと、Kさんはとても嬉しそうに笑った。「まあでも、それぐらいの感じがいいのかもしれないですね。感動しつつも、負けるって感覚はいちおうキープしておくぐらいの感じが」。

 ふと話が途切れたところで、Kさんが切り出す。「もふさんは定点観測というか、同じものを執着して観に行くじゃないですか。あれはなんでなんですか?」。言われてみればなぜだろう。たぶん、一回観ても「理解できた」とは思えないことが大きいのだろう。それに、これは文章を書く人間としては致命的なことであるのかもしれないけれど、自分が関心を持ち続けられるものというのはせいぜい両手で数えるぐらいしかないこともある。「じゃあ、たとえば演劇を観るときだと、頭の中で仮想的に構築しているのは、作者の志向なのか、それとも作品内の図式なのか」。ううん、どっちでしょうね。あとになって作者の志向を考えることはあるけど、繰り返し観に行くのは作者の志向を知るためではないでしょうね。「そっかそっか、作者の志向だと一元論で回収されるのか」。Kさんは何か腑に落ちた様子でしばらくうなずいていた。

 小一時間経ったところで病室に戻ることにした。Kさんは倉敷が大好きで、年末にはいつも帰省している印象があるけれど、東京で年を越したことはあるのだろうか。「ほとんど帰りますけど、何度かありますよ。よくあるパターンが麻雀ですね。30日ぐらいから集まって打つんですけど、頭がどろどろになるんです。地獄のような年越しを過去に二度やりました」。今年の大晦日には実家に帰り、年末年始を過ごす予定だと言う。病室まで戻ると、「もふさん、広島のどこでしたっけ?」と尋ねられた。東広島ってところですと答えると、今出てる建築雑誌に安芸津の家ってのが出てたんですといって、その雑誌を取り出し、最近の建築の傾向について話してくれた。

 帰りも倉敷に寄り道していこうと思っていて、そのときはあにーさんと一緒に散策するつもりなんで、もし体調がそんなに悪くないようならまた遊びに来ます。そう伝えて病室を出る。Kさんは「お気をつけて」と見送ってくれた。病院から駅まで歩いていると、郵便局の前が少し渋滞していた。郵便局員が道路に立っていて、クルマで年賀状を出しにやってきた人から、ドライブスルーのように受け取っているのだった。年の瀬だなあ。Kさんが正月をおだやかに過ごせるといいなと思いながら、駅で缶ビールを買って、山陽本線に揺られて実家に帰った。

2017-12-27

 朝6時に起きる。枕元にはコンビニで買ったじゃこ天が転がっている。それをかじりながら体を起こす。本当は6時過ぎのフェリーで八幡浜港から別府港に向かうつもりだったが、昨晩「みなと」で八幡浜臼杵航路の存在を知り、その航路であればもう少しゆっくり出発できるとわかったので、のんびり身支度をする。

f:id:hashimototomofumi:20171227092014j:image

 9時にチェックアウトして、八幡浜のフェリーターミナルへ。フェリーのりばというのはどうしてこうも旅情を誘うのだろう。2等のチケットを購入し、乗船。雑魚寝のような客室かと思いきや、リクライニングシートというのがあり、電源まで用意されている。シートの下には救命胴衣がある。この便が沈没すれば、救命胴衣を身につけて船から脱出できたとしても、すぐに凍え死んでしまうだろうなあ。フェリーの中ではパソコンを広げてひたすら仕事をする。揺れる。この潮が美味しい関サバと関アジを育てるのだろう。海を眺めて、美味しくなりますようにとお祈りする。

 12時、臼杵港に着く。今回の旅程は10日前に調べておいたのだが、災害の影響があり、臼杵から佐伯までは鉄道ではなくバスが代行していると表示されていた。バスはどこで乗れるのかと、フェリーターミナルから駅まで歩きながらJR九州のサイトを確認すると、つい1週間ほど前に日豊本線が全線運転再開したと表示されている。臨時に運転していたバスもなくなり、今からだと佐伯で200分待つことになるようだ。

 それなら急ぐこともあるまいと、産直市場のような店に立ち寄ることにする。このあたりの名物はふぐであるらしいのだが、店員さんから手渡されたメニューには、期間限定のものとして太刀魚の定食がある。3日前から始めたのだという。太刀魚天ぷら太刀魚の唐揚げ、中でも気になるのは「太刀南蛮」だ。チキン南蛮太刀魚版である。これは他では食べられないだろうなと思いながらも勇気が出ず、無難に太刀魚天ぷら定食をいただく。ビールがうまく、中瓶を2本飲んだ。

f:id:hashimototomofumi:20171227123216j:image

 日豊本線で佐伯に出て、ここから200分待ちだ。電車でこんなに乗り換え待ちが生じたのは初めてである。今日の夜にホテルで洗濯をするつもりだったが、チェックインできるのは結構深い時間になりそうなので、今のうちに洗濯しておくことにする。貸切状態のコインランドリーを、洗濯しているあいだ事務所のようにして仕事を進める。洗濯が終わると「ジョイフル」に移動し、仕事を続ける。コンセントがあるのでとても助かる。隣では初老の男性が熱燗を飲んでいる。17時に店を出て、コンビニへ。これから6時間も電車で過ごすので、何を買っておくべきか頭を悩ませる。まずはかしわめしのおにぎり2個と唐揚げがセットになったものを手に取る。それから、小腹が減ったときと、お酒――飲みかけのワインボトルがスーツケースに入っている――を飲むときのために、プラカップとちくわ、ビーフジャーキー、さきいかを購入する。これだけあれば十分だろう。

 佐伯では観光めいたことを何もしなかったけれど、とても良い町だと感じる。さっきの臼杵でもそう感じたのだが、こじんまりしている。九州にはこうした町が残っている。その印象は坂出とは対照的だ。何が違うのだろうかと考えていたのだけれど、やはりバブルの時代に空気を入れてしまった町は大変なのだろう。バブルというと語弊があるかもしれないけれど、昭和の終わりに瀬戸大橋が開通した時、坂出は湧いたはずだ。これからは新しい時代がやってくる――そうして規模が大きくなった町には、いつかガタがくる。それに比べると、臼杵や佐伯は特に町おこし計画されるきっかけがないまま今日まで続いてきたのではないか。

 こうした風景がいつまで残るのかわからないけれど、乗り換え駅だというのに駅舎もこじんまりしていて、駅前に小さな饅頭屋があり、古い酒屋の蔵がある。その町並みを眺めながら、もう一度この町を訪れる機会はあるだろうかと考える。僕が旅めいたことをし始めたのは2004年に原付を購入し、バンドを追いかけ始めたときからだ。それから2011年までは、原付で、青春18きっぷで、あちこち出かけてきた。2011年からは原付に乗らなくなってしまったけれど、演劇を観たり、あるいはドライブインを訪れたりするために放浪してきた。今回も、大きなスーツケースを引きながら、関西から四国、そして九州と、転々と旅をしている。単発で取材に出ることはこれからもあるだろうけれど、こんなふうに旅をするのは今回が最後だろう。ふとそんなことを考えて、センチメンタルな気持ちになる。

 佐伯からの電車は空いていた。この乗客数であれば、昼から夕方までの時間帯に電車が運行していないのも頷ける。ただ、延岡で乗り換えるとそれなりの混み具合だ。外はすっかり暗くなっていて、風景を楽しむというわけにもいかず、ビールを飲みたいという気持ちが強くなってくる。次の乗り換えは蓮ヶ池という駅で、調べてみると駅から徒歩7分の場所にセブンイレブンがあるようだ。電車は少し遅れていたこともあり、乗り換え時間は15分だ。蓮ヶ池駅に到着してみるとそこは無人駅で、駅舎もなく、目の前には団地が広がっているが人の気配はなかった。スーツケースを引きずっていてはとても間に合わないので、ホームの隅にリュックと一緒に隠しておいて、コンビニ目指して走る。名前も知らなかった町を、ビールを買うためだけに走っている。そう考えるとおかしかった。街灯も少なく、星がよく見える。ビールを3本買って、無事に駅まで引き返す。

f:id:hashimototomofumi:20171227204225j:image

 蓮ヶ池からの電車は今日の目的地である鹿児島中央行き。あとは3時間近く乗っているだけだ。宮崎でたくさん人が乗ってくる。忘年会帰りの空気が充満する車内で、ちくわをもそもそ食べつつ缶ビールを飲んだ。明日の取材の質問リストを作り終えた頃に鹿児島中央駅に到着し、ホテルにチェックイン。さすがにこの時間から飲みに出る元気もなく、パソコンやモバイルバッテリーを充電器に接続しておいて、ワインを1杯飲みかけたところで眠ってしまった。