Hatena::ブログ(Diary)

日記

2016-09-06

8/13(土)

 朝9時に起きる。午前中は『CB』誌の原稿を仕上げて送信する。午後、質問リストを作成。16時、池袋「伯爵」に入り、窓際の席を確保。アイスコーヒーにしようかと思ったけれど、ノンアルコールだとうまく話せない気がする。酒が入らなければ話が聞けないということではなく、ノンアルコールではいかにも取材然としてしまう。それではどこか緊張感が生まれて、いい結果にならない気がする。

 そんなふうに考えて、ビールを飲みながら待っていると、ほどなくして青葉市子さんがやってくる。1時間半ほど話を聞かせてもらった。市子さんに話を聞くのは初めてだ。京都滞在中から、何度か市子さんに話を聞こうとしていたけれど、なかなかタイミングが合わずにいた。市子さんに話を聞くにはタイミングが重要というのか、波長が合わなければうまくいかないだろうと思っていたので、しっかり話を聞くことができてホッとする。

 市子さんと別れ、町屋へ。初めて訪れる街だ。ムーブ町屋のハイビジョンルームという会場で、天ぷら銀河という劇団の『僕の目にスジャータ!』を観る。劇団の方から「ご招待します」と連絡をいただいていたけれど、縁があるわけでもないのに招待で観るというのも性に合わず、普通に予約して観劇。かくれキリシタンのかくし子である主人公は、上京してひきこもり生活を送っていたが、ある日YouTuberになることを決意する――というコミカルな作品で、会場からは笑いが絶えなかった。ただ、僕はほとんど笑えなかった。かくれキリシタンという設定もあるが、同性愛のネタが放り込まれたり、「死んだら処女とやれるんだ」的な台詞が放り込まれたりする。2016年という時代に、どうしてそんなに無邪気にそれらのネタを扱うのだろう。それをネタにしてはならないとはまったく思わないけれど、それを笑いに昇華させるにはかなりの技量が必要なはずだ。

 もう一つ不思議に思ったことがある。その劇団は皆、20代前半くらいであろうと思われるのだが、テレビのネタがいくつも放り込まれていたことだ。「勝俣は短パンだったの?」だとか、猪木の「ダー!」であるとか、そうしたテレビ・芸能的なあるあるがそこかしこに散りばめられている。それらは彼らの世代リアリティではなく、20年くらい前から続いているものだ。そうしたあるあるネタを、古くさいものをあえて取り入れたというふうでもなく、ごく素朴に取り入れているのが気になった。若者のテレビ離れが語られているが、そこであえてテレビネタを扱うというのは(しかも素朴に扱うというのは)、作者はきっとテレビが好きなのだろう。であるならば、自分が好きなテレビというメディアが終焉を迎えつつあることを、周りの同世代との熱量の差を取り入れたほうが、より批評的になるのではないか。そんなことを考えながら、都電に揺られていた。家に帰ってみると、SMAPが解散するとサイゾーが報じて騒ぎになっていた。



8月14日

 朝起きると、テレビでもSMAP解散が報じられている。お昼のニュースでもトップで扱われていた。本当はいわきまで芝居を観に行くつもりでいたけれど、特急のチケットがかなり予約で埋まっており、これはもしかしてと帰りの特急を調べてみるとすべて満席になっていた。宿泊するほど余裕はないので、いわき行きは諦めることにする。昼はテープ起こしを進めて、夜は「馬場バル」で赤ワインを1杯。


8月15日

 朝からお昼ごはんのことを考える。8日はうなぎを選んだけれど、今日は何がいいだろう。迷った挙句、カレーライスに決めた。中村屋レトルトカレーを買ってきて、戦没者追悼式の中継を眺めながら食す。赤星を一本だけ飲んだ。天皇皇后両陛下が退席されるときに万歳が聞こえた。今年もまた聞こえた。ほんとうにくだらない連中だ。6月23日、8月6日、8月9日、8月15日は「お慎みの日」とし、黙祷を捧げて犠牲者のことを考えられている日だ。そンな日に万歳をするだなんて、一体どういう神経をしているのだろう。

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 外が案外涼しげなので、午後は散歩に出た。ポケモンを捕まえながら、神田川沿いを歩く。途中で神田川と別れ、神楽坂を抜けて飯田橋を通過して歩いていくと、街頭に警察官の姿が増えてくる。ほどなくして靖国神社にたどり着く。境内は思ったより静かだ。若い人まで鳥居に深々とおじぎをしている。しばらく境内を散策して、馬と鳩と犬の像に手を合わせ、休憩処で生ビールを飲んだ。小さいこどもを連れた若い夫婦が、コスプレ姿の男性に何か声をかけている。一体どうしたのだろうと思って眺めていると、こどもと一緒に記念撮影をしてもらっていて驚く。その夫婦は、撮影を終えると休憩処のほうにやってきた。会話を聞く限り、特に思想があるわけでもなさそうだったので、余計に驚く。

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 ビールを飲み干したところで席を立ち、九段坂を下る。境内を出たすぐのところで、何やら騒がしい声が聞こえてくる。向こうから日の丸の旗が無数に歩いてくる。街頭に立つ人たちは拍手で迎えている。敵の敵は味方ということだろう、中国共産党による弾圧に抗議する人々も多く見かける。セブンイレブンの前あたりで、拡声器で何やら叫んでいる声も聞こえてくる。僕はずんずん坂を下る。

 高速道路の高架を超えたあたりで、今度は道路を歩くデモ隊が見えてきた。それは天皇制廃止を訴えて練り歩く集団だった。「天皇の政治発言許すな」と書かれたプラカードが見える。相当数の警察が動員されており、街道は警官で埋め尽くされている。しばらく眺めているうちに、僕が佇んでいた場所はすべての方向が鉄柵で封じられていることに気づく。威勢のいい人たちが鉄柵を蹴りつけ、「市民様の自由を妨害してんじゃねえよ!」などと喚いている。どうしてよりによって今日の日がこんなにも騒々しくなるのだろう。僕は静かな気持ちでその風景を眺めていた。

 ようやく封鎖が解除されたところで、地下鉄に乗って上野に出る。18時、上野動物園の前で知人と待ち合わせ。仕事で瀬戸内海にある犬島に行っていた知人と会うのは1週間ぶりだ。今、上野動物園ではナイトズーが開催されているので、去年に続けて遊びにくることにしたのだ。つい見入ってしまうのはシロクマペンギン、猿山だ。これらの動物を見るときは、どこか人間を重ね合わせてしまっている。トラは格好いいので見入ってしまう。あと、どういうわけだかフラミンゴは見入ってしまう。夜に見ると特に美しく感じるのだが、知人はそうでもないようで、早くビールを飲みたそうにしている。

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 ひとしきり見物したところで、テラスでビールを飲んだ。目の前には不忍池があり、蓮の花も咲いている。2杯ほど飲んだところで動物園をあとにして、根津の「バー長谷川」へ。お盆で営業していないかと思ったけれど、ちゃんと営業している。お店はにぎわっていた。たまごサンドをツマミにハイボールを3杯飲んで、店をあとにする。楽しい夜だった。


8月16日

 朝、市子さんに聞かせてもらった話を構成する。昼にはまとめを終えて、市子さんに送信。すぐに返信があり、橋本さんに正直にはなせてよかったと言っていただく。よかった。午後はPR誌『s』のテープ起こしに取りかかる。音源は講演会なのだが、音声がほとんど聞き取れず、相談のメールを送信。台風が近づいており、通気口がゴオゴオ鳴っている。こんな日はいつも新宿に出かけてしまう。

 タワレコで数枚購入したのち、新宿3丁目「F」へ。まだお盆休みかと思っていたけれど、お盆も変わらず営業しているという。「こういう日になると飲みに行きたくなるって人が、昔はもっと多かったんだけど」とママのHさん。1時間ほど飲んだところで、新宿5丁目「N」にハシゴする。他にお客さんがおらず、ゆったり飲んでいると、店の電話が鳴った。どうやらTさんだったらしく、「お客さんは来てるか」と様子を伺っているらしかった。他にお客さんは来なかった。5年前の3月のことを思い出す。あの日も僕は新宿に出て、「F」と「N」をハシゴしたのだった。

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8月17日

 日中はテープ起こしを進めていた。18時、都内某所へ。ここ数日、捩子ぴじんさんは自宅に人を招き、怪談を披露するということを行っている。先日開催された政治と芸術をめぐるミーティングで、捩子さんは演劇が上演される場所について話をしていた。たとえばヴィーガンの人たちは、自分の食がよりよく在るために、田舎に引っ越す場合もある。そのように、政治というものを“よりよく生きるための手段”として捉えた場合、芸術にはもっと可能性があるのではないか。演劇というものが、劇場や助成金というシステムの外側に置かれた場合、どのような可能性があるのか。そんな話をしていたように思う。

 今日の怪談が、その話と直接つながっているかどうかはわからないけれど、公演として開かれたものではなく、知り合いのみが参加可能なプライヴェートなものだった。今日の参加者は、僕と、あともうひとりだけ。庭先でビールをいただきながら、いくつか怪談を聞いた。僕はプライヴェートな場所で何かが開催される場合(それが多少なりともパフォーマンス的な要素を含んでいる場合)、妙に身構えてしまうのだけれども、今日はとてもリラックスした気持ちで過ごした。不思議な時間だった。捩子さんが「公演」ならぬ「私演」を重ねていったとき、そこにどんなダンスが生まれるのか。それはきっと、とても新しいものになるのではないかという予感があった。最後にはスイカまで頂いて帰途についた。とても夏らしい時間だった。

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8月18日

 朝10時、彩の国さいたま芸術劇場に出かけ、Fさんに小一時間ほど取材をする。今日は個人的な取材ではなく、雑誌の取材。昼前にはアパートに戻り、夜の取材で何を聞くか考える。過去に行ったインタビューもすべて読み返して、質問リストを作成する。19時、東京芸術劇場前で青柳いづみさんと待ち合わせ、芸劇裏にあるイタリアンの店へ。生牡蠣を食べながら、4時間ほど話を聞く。白ワインを3本飲んだ。


8月19日

 昨日の取材で、今年の夏のマームとジプシーにまつわる取材はすべて終わったことになる。そう考えると、急に秋に放り出されたような心地がして、少し寂しくなってくる。テレビでは吉田沙保里の姿を繰り返し流している。まだ半分夢の中にいるのに、知人は「さおりーー」と涙声でつぶやいている。昼は構成仕事を進める。夕方、武藤良子さんの個展「続・沼日」を観る。京都で開催された個展「沼日」の作品を、雑司ヶ谷にある古い民家に展示したものだ。新しく描かれた作品もあるとはいえ、まったく印象が異なるのが不思議だ。この家に潜んでいる何かが表出しているかのようだ。目に留まる絵も、京都とは違っている。武藤さんにも言われたが、この会場で最初に観ていたら、『まえのひを再訪する』の表紙にあの絵を選ばなかっただろう。僕が最後のお客さんだったらしく、展示を観たあとで飲みに出かけた。しばらく飲んでいると、『まえのひを再訪する』の話になった。知り合いの本を褒めるなんて絶対嫌だけど、ほんとにあの本はすごく良かったとムトーさんが言ってくれて嬉しくなる。明日から帰省するので、僕はホッピーを飲んだ。ホッピー東京の酒だ。

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2016-09-02

バターケーキ


 「橋本さんね、自分が食べてるものをまじまじ見てるときがあるんだよ?」。Aさんにそう言われたのは、いつのことだったか。たしかあまり美味しくないヨーグルトを食べたあとのことだったと思う。ヨーグルトなんて一日に何個も食べるものではないのに、どうしてこれを選んでしまったのかと憤りを覚えていたときに、そう言われたのだ。言われてみれば、美味しいものを食べたときでも、まずいものを食べたときでも、食べ物のことをまじまじと見ているような気がする。

 大抵の質問には言葉を濁してしまうけれど、一つだけはっきり答えられることがある。それは「死ぬ前に何が食べたいか?」ということだ。そう訊かれたら、迷わず三つの店を挙げる。どれも寿司屋だ。具合が悪いのにその店に出かけ、途中で倒れてしまい緊急入院となったこともある。あやうく本当に最後の晩餐になるところだった。

 この「死ぬ前に何が食べたいか?」という話は、何度もしたことがある。今振り返ってみると、誰に聞かれたわけでもないのに勝手に話しているような気がして恥ずかしくなる。というのも、周りの誰かが「自分だったらこれが食べたい」と話してくれた記憶がほとんど残っていないからだ。いつも酔っ払ってしまって覚えていないだけかもしれないが、唯一覚えている人がいる。その人というのもAさんだ。公演の楽屋を訊ねたとき、ケータリングに置かれたケーキを指して、「私が死ぬ前に食べたいのは、このケーキです」とAさんは言ったのだ。

 そのケーキはバターケーキだった。フルーツが山盛りになったケーキでも、見るからに高級なケーキでもなく、ごく普通のバターケーキだった。そのケーキを見たときに、やっぱりこの人にはかなわないなと思った。僕が死ぬ前に食べたいと思っているのは、どれも旅先で食べたものだ。さほど高い店というわけでもなく(一軒は立ち食い寿司屋だ)、東京でもっとうまい店もあるのだろうけれど、旅の記憶も相俟って強く印象に残っているのだろう。でも、そのバターケーキはもっと日常の味がした。彼女はそれを死ぬ前に食べたいという。

 この夏、里帰りしたときに思い出したのはそのバターケーキのことだ。Aさんの親戚は中国地方に住んでおり、そのバターケーキも中国地方の店で売っているものだと聞いていたのを思い出したのだ。さっそくAさんに連絡を取り、お店を教えてもらう。その店は何店舗も展開しており、実家から車で10分ほどの場所にも店を構えていた。里帰りの最終日、僕はこっそりその店に出かけ、家族ぶんのケーキを買っておいた。そのケーキは、夕食のあとで食べるつもりでいた。

 夕食を終えて風呂から上がると、母と祖母が何やら話をしていた。祖母は「お腹が空いたんじゃけど、ごはんはまだかね?」と言っていた。母は少し動揺した様子で、「何を言うとるんね、はあ食べたじゃろう」と言って聞かせている。今年で八十九歳になる祖母は、少し前から同じ話を繰り返すようになっていたけれど、「ごはんはまだかね?」と言われたのはこの日が初めてらしかった。そこで僕はケーキを買ってあることを伝えて、一緒に食べようと話を切り出した。祖母はあっという間にケーキを平らげて、まだケーキを食べている僕を見て「昔は小さかったのにからねえ」と繰り返し言った。僕は小さい頃、祖母に連れられて保育所に通っていた。

 翌朝になって実家を出た。倉敷に立ち寄り、高松に泊まり、小豆島ビールを飲んで、神戸でライブを観た。ホテルに戻ったところで、ふと思い出す。あのケーキ屋、神戸には出店していないのだろうか?

 調べてみると、その店は神戸から電車で30分ほどの場所にも出店しているらしかった。少し迷ったけれど、神戸から東京に戻る朝にそのケーキ屋に出かけ、バターケーキを買い求めた。そこから僕は新幹線に乗って東京まで引き返し、ある劇場に直行した。その日、僕は芝居を観る予定があった。その演劇作品には、Aさんがアシスタントとして関わっていた。演劇の差し入れとして、ホールケーキなんて扱いづらいだろうなとは思ったけれど、それでも差し入れてしまった。

 その日観た作品に出演する人の大半は若い役者だった。しかし、その中に数人、白髪の人が混じっていた。舞台の終盤に、ある登場人物たちの幼少期が再現されるシーンがある。おそらく夕方なのだろう、あるこどもは「まだ遊んでよう」と言い、あるこどもは「怒られるから早く帰ろう」と反論する。二人が言い合っていると、あるこどもは「お腹空いたから早く帰ろう」と言い出す。そのことにムッとした子は、「そういう人ってさ、モテないと思う」と言ってしまう。「そんな女子好きになる男子なんかいないよ」と。

 そう言われた女の子は「そこまで言うことないじゃん!」「お腹空いちゃダメなの!」と泣き出してしまう。しまいには「もうごはん食べない」とまで言い出す――と、この一連を演じていたのは若い三人の役者だ。そのシーンが終わると、再び同じシーンが繰り返される。ただし一人だけ出演者が変わっており、「お腹空いたから早く帰ろう」と言い出す女の子は、白髪の女性が演じている。そのことで、同じシーンであるにもかかわらず、まったく違う場面に見えてくる。

 思い出したのは、やはり祖母のことだった。勢いよくケーキを頬張っていた姿を、舞台を観ながら思い出していた。今度里帰りしたときには、祖母に何か食べたいものはあるか聞いてみようと思う。

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2016-08-31

マーム・イン・京都(5)ふたりのこども


 青葉市子さんに話を聞いたのは、東京に戻ってきてからのことだ。

 市子さんの出演する『2』が千秋楽を迎えた翌日、少し話を聞かせてもらえないかと相談したのだけれども、「まだ作品のしっぽがくっついてしまっていて」と市子さんは言った。たしかに、公演が終わったあともまだ、市子さんにはしっぽがくっついているように見えた。それで、東京に帰ったあとの8月13日、池袋駅東口にある喫茶店で話を聞くことになったのである。

 少し早く着いてしまったので、僕はビールを注文して、3冊の絵本を眺めていた。その3冊というのは、『ヘンゼルとグレーテル』、『ラプンツェル』、それに『ねないこ だれだ』で、いずれも京都滞在中に買い求めたものだ。少し遅れてやってきた市子さんは、『ねないこ だれだ』に目を留めると、「これ、世の中で一番怖い本だと思います」と口にした。

 「私、この本のせいで夢を見るようになっちゃったんじゃないかと思うんです。もっとも怖い簡単な言葉の羅列じゃないですか。この『あれ あれ あれれ・・・』とかも、めっちゃ怖いですよね。これはもう、15歳以上とかにして、すべての親が自作の物語を聞かせてあげればいいのにって思います」

 ほどなくして飲み物が運ばれてきた。それでもいきなりインタビューを始める気にはなれなくて、しばらくポツポツと言葉を交わしていた。すると、市子さんは『ヘンゼルとグレーテル』を手に取り、「『ヘンゼルとグレーテル』を読んでいても、あんまり実感がわかないんですよね」と言った。「このお話のエッセンスが『2』に入っていたって実感がなくて、もっと全然違うことのほうが重要だった気がするんです」

         *         *         *

 夏の京都の記憶は、7月1日から始まっている。あの日、京都精華大学にあるギャラリーフロールで「Fashioning Identity」展が始まった。出展作家の中には、イナ・ジャン、森栄喜+工藤司、YANTORと並んでマームとジプシーの名前があり、青柳いづみによるオープニングパフォーマンスが行われた。そのオープニングパフォーマンスを観るべく、僕は京都を訪れていた。その時点では「この夏、京都を訪れるのはあと一度くらいだろう」と思っていた。

 これまでにも書いてきたように、今年の夏、マームとジプシーは京都に滞在し、いくつかの作品を発表した。それをまとめると以下のようになる。

7月1日@京都精華大学
「Fashioning Identity」展
オープニングパフォーマンス
出演:青柳いづみ

7月8日@京都精華大学
アセンブリーアワー講演会
「言い足りなさの中で、もがいている」
講師:藤田貴大 聞き手:蘆田裕史

7月15日@D&DEPERTMENT KYOTO
トークイベント
「“演劇”という場の作り方」
講師:藤田貴大 聞き手:松倉早星

7月23-24日@元・立誠小学校
マームとジプシー『0-1』
出演:吉田聡

7月26-31日@元・立誠小学校
マームとジプシー『0-1-2』
出演:吉田聡子/青葉市子 青柳いづみ

7月30-31日@京都造形芸術大学春秋
藤田貴大演出作品『A-S』

8月2-4日@元・立誠小学校
マームとジプシー『0123』
出演:青柳いづみ 青葉市子 川崎ゆり子 吉田聡

8月5日@京都精華大学
「Fashioning Identity」展
クロージングパフォーマンス
出演:青柳いづみ


 この夏の彼らの作品をすべて観るだけであれば、7月1日のパフォーマンスを観たあとは、7月31日に再び京都に出かければコンプリートできることになる。そのつもりで予定を組んでいたのだけれども、僕は4度も東京京都を往復することになる。

 今振り返ってみると、7月1日に青柳いづみさんによるパフォーマンスを観た時点で、少し心は動いていたような気がする。そのパフォーマンスに、ひっかかりを覚えた。パフォーマンスが終わると、レセプションが始まったのだけれども、僕は中庭のような場所に座り、ひっかかりを反芻していた。しばらく経ったところで、ある女性声をかけられた。僕が東京から来たのだと告げると、その女性は「今度東京でイベントがあるのでぜひ」とフライヤーを差し出した。それは『すいめん vol.1』というイベントのフライヤーで、出演者には青葉市子さんの名前があった。

 7月11日、僕は渋谷7thFLOORで開催された『すいめん vol.1』に足を運んだ。その日、最初にステージに立ったのは青葉市子さんだった。真っ黒な服を着た市子さんは、客席のあいだを通ってステージに上がり、何かしゃべることもなくギターをつま弾き始めた。1曲目に演奏されたのは、七尾旅人さんの「兵士Aくんの歌」だ。終演後、市子さんはツイッターにこう記している。

 自分が どこにいて それがいつの時代なのか わからなくなっていた あの時と同じ、cocoonの砂の上にいた時と同じ感覚だった


 客席で聴いていた僕も、同じような感覚にとらわれていた。彼女は今も「いつだかの夏」を走り続けているのだと思った。そうであるならば、今年の夏に京都で起こることをちゃんと見届けなければならない――そんな衝動に駆られて、16日間も京都に滞在することになったのである。

         *         *         *

 あの日、どうして市子さんは「兵士Aくんの歌」を歌ったのだろう。

 「決まった理由はないんですけど、サウンドチェックのとき、自分の曲を弾きたくないと思ったんです。それで、ずっと同じフレーズをまわしていて、これってなんだっけと思ってたら、『1人目の』って出たから、ああ、これ『兵士Aくんの歌』だと思って。ちゃんと歌詞を見たことはなかったんですけど、サウンドクラウドに旅人さんが上げているのを思い出して、本番までの20分くらいで歌詞を聴き取って、それで歌ったんです。自分ではそこまで意識してないとは思うんですけど、あの頃は選挙があったりとかで、世の中がざわざわしてたじゃないですか。そういう中でライブするって、スイッチを一個起こさないといけないっていうのがあったことも、無意識のうちで作用してたんじゃないかなとは思うんですけど」

 市子さんがツイートしていた「自分が どこにいて それがいつの時代なのか わからなくなっていた」という感覚は、聴衆である僕も感じていたことだ。あるいは、昨年の夏、『cocoon』を観ていて感じたことでもある。そのわからなさは、市子さんの中ではどんなものなのだろう?

 「今はたしかに夏だってことだけがわかっていて、大事な人がいたり、そばにいる人がいたりするんだけど、それは本当に私の大事な人なんだろうかっていう感覚になるんです。これは常に考えていることで、季節に限らずなんですけど。これは本当に自分が見ているものなのか、本当に自分が感じているものなのか、本当に自分に起こっていることなのか、いつも曖昧なんです。それでいうと、夏っていうことも曖昧で、京都は猛暑だったし、暑いっていうのはわかりますけど、今は絶対に夏で、その中を生きているんだっていうことはいつもわからないです。だんだん夏の日に溶けていくだけで」

 こうして話を聞いているのは窓際の席で、ゆらゆら人が歩いているのが見えた。夏になると、自分とまわりが溶けていくような感覚がある。街を歩く人も、他の季節に比べてのっそり動いているような気がする。そんなことを言うと、市子さんは「アスファルトをちゃんと歩けているかどうか、わからなくなります」と言った。「なめくじみたいに溶けてるんじゃないかと思って」。そういうと、ガチャガチャのカプセルを取り出した。「これにつまかっちゃって、遅れちゃったんです」――そういいながらカプセルを開けると、そこにはなめくじのフィギュアが入っていて、市子さんはそれを『ヘンゼルとグレーテル』の上に這わせた。

 2015年の『cocoon』を観てから、僕はちょこちょこ市子さんのライブに足を運ぶようになった。印象的だったのは、今年の4月10日、吉祥寺・キチムでタムくん原田郁子さんと市子さんの3人で行われたライブだ。その日、郁子さんと市子さんは「青い闇」と「波間にて」を続けて歌った。その2つの曲は、2015年の『cocoon』でも使用された曲だ。その曲を聴いた瞬間、『cocoon』の舞台がフラッシュバックした。歌というのは記憶と結びついていて、その歌を聴いた瞬間に引き戻されてしまうところがある。歌っている市子さんに、歌はどう作用しているのだろう?

 「歌というものが曲という一つの形を持っているとしたら、それぞれが小さなタイムカプセルみたいになっているんですよね。『かみさまのたくらみ』を歌えば、その言葉と、そこについている音っていうのがあらかじめあるわけで、言ってみれば小さな演劇みたいなことですよね。そこで絶対にやってくる体感とか風みたいなものがあるんです。それはかかわる人や調子で毎回ちょっとずつ変わるけど、だいたい同じところに持って行かれるんですね。そのタイムカプセルが曲としていくつも自分の周りに存在しているって感じです」

 実は、4月10日のキチムでのライブのときにも、市子さんに同じようなことを質問したことがある。そのとき、市子さんは「ひどいやけどを負った感じ」と表現した。「かさぶたになっても、下からまた膿が出てくる」と。そうだとするならば、『cocoon』で経験したものは、タイムカプセルとも少し異なるものなのではないか。

 「そうですね。『cocoon』を経て、傷とか癌に近い感じで記憶が刻まれているんです。そこで“いつだかの”っていう感覚が備わっちゃったというか、たぶん一生付き合っていくんだろうなと思います。それは今まであまりなかった感覚かもしれなくて、こっちが望んでいないとしても、過去に起こったこととか体験したことって、どうしたって残っていくじゃないですか。『cocoon』で感じたことっていうのは、自分の中に植えつけられている感じなのかもしれないです。その傷みたいなものは、治らないと思っているし、治ってほしくないとも思ってるんですよね。だから、かさぶたになっても自分ではがしてしまう。忘れようと思えば、いとも簡単に忘れられてしまうと思うんです。でも、それをしたくないのは、同じ世界にまだ皆が確実に生きているからで。あの夏とまったく同じことは絶対にもうできないわけですよね。簡単に言うと、それを特別に思っているんだと思います」

 市子さんが最初にマームとジプシーの作品にかかわったのは、2014年秋の『小指の思い出』のときだ。そのときはミュージシャンとしての参加であり、ピアノKan Sanoさん、ドラムの山本達久さんと一緒に舞台上で演奏を行っていた。しかし、2015年の『cocoon』は役者としての出演であり、しかもオーディションを受けての出演である。なぜ市子さんはオーディションを受けようと思ったのだろう?

 「後づけで意味を持たせることはできるけど、受けたときはあんまり考えてなかったんです。藤田君と会ううちに『オーディション受けてみなよ』っていう会話が2、3回あって、『じゃあ』っていうことで受けてみたんですよね。でも、『cocoon』っていうのは私にとって大きな作品で、2013年の初演を3回くらい観てるんです。あのときは稽古場にも行って、私が音楽を担当して、青柳さんが映像で出演した『5windows mountain mouth』という瀬田なつき監督の作品を皆と観たんですよね。そのとき私は桃を差し入れに持って行って、それを切って皆で食べたんですけど、それがマームとの最初の大きな接触だったんです。全部の出会いがそこに集結していて、だから『cocoon』という作品にはとても思い入れがあって。そこからマームとのかかわりが始まって、作品も観ていたから、マーム=『cocoon』ということに最初はなっているわけですよね。それはとてもとても強くて、そこからマームのことを理解したいっていう気持ちに変わっていったときに、役者としてここにかかわってみるとわかるのかもしれないと思ったんです」

 市子さんはオーディションに合格し、『cocoon』に出演することになった。しかもキャスティングされた役というのは、青柳いづみさん演じる主人公・サンの幼馴染、えっちゃんだ。そのキャスティングが、青柳さんと市子さんのその後を大きく規定したように思える。『cocoon』での二人の関係があるからこそ、藤田さんは今回『2』という作品に二人をキャスティングしたのだろう。

 前回の「マーム・イン・京都(4)」でも記したように、藤田さんは『2』という作品について、自分が演出を施したというよりも、「今回は市子と青柳さんの自然発生的な間合いでいいと思ったんです」と語っていた。元・立誠小学校に小屋入りしてから、二人はどんなふうに『2』という作品を作りあげたのだろう。

 「毎日、『たじふ(藤田)いねえな』とかって言って、『じゃあやるか』みたいな感じでした。どうしたって最後はものすごく苦しく、エモくなってしまうわけで、だから最初のうちの20分間くらいにどれだけふざけるかってことの相談をしていて、ちょっとコントを考えるのと近かったんです。藤田君の今回のテキストは、劇中で歌っている曲をそのまま会話や物語に書き換えたようなところがあって、アウトプットが違うだけでまったく同じことをやっていたと思っていて。そこに一滴、『ヘンゼルとグレーテル』が入ったぐらいだったので、彼の書いたテキストを間違えずに言うことが私の頑張ることで、どこも違和感がなかったですね。毎日ごはんを食べたりお風呂に入ったりするみたいに公演が続いていったので、すごく自然なことでした。今回、京都滞在中に藤田君と何度か話したときに、最終的には『自然現象的に』ってところに二人とも落ち着いていたんです。やりたいことっていうのは、自然現象としてそこにどれだけ入っていけるかっていうことで、無理やりねじ開けて入っていくよりは、自分がそこにいることも含めて自然現象になる。その中で作品ができていくと一番いいよねってことを、なんとなく話してました」

 たしかに、『2』という作品は、自然現象のように感じられた。だとすれば、市子さんが「作品のしっぽがくっついてしまってい」ると感じたものは一体何だったのだろう?

 「今は『2』を終えて、『2』のしっぽがくっついているわけですけど、それはつまり青柳さんとの時間というものがくっついてきているわけで。あれから彼女と全然一緒に過ごしてないんです。一回だけ飴屋さんの演劇を一緒に観に行きましたけど、それ以来連絡も取ってないし、どっちがメールを送ったのが最後だったかもおぼえてないぐらいで。でも、自分の肉体が動いて、自分の手が視界に入ってきたときに、その手がどっちの手なのか、ちょっとわからなくなるときがあるんです。手のここにホクロがないから、これは青柳さんの手じゃないよねってわかるんだけど、ちょっとバグが起こるんですよね」

 青柳さんと市子さんとの関係はどこか不思議だ。作品でかかわることでしっぽがくっついてしまうのだとすれば、そのしっぽを取ろうとするのではなく、むしろ巨大化させているようにも思える。『小指の思い出』、『cocoon』、『2』と作品上でかかわるだけでなく、二人は“みあん”という音楽ユニットを組んで活動もしている。そうした活動は、さきほどのかさぶたのたとえにあるように、その傷を治さずに増幅させているようにも見える。

 「そうかもしれない。彼女のことは彼女に聞かないとわからないけど、そういう状態が私も青柳さんも好きなんじゃないですかね。でも、意味とかをお互いそんなに考えてない気がするんですよね。一緒にいるときも、そこまで考えてなくて。というのは、誰かと一緒にいるっていう感覚がもはやないからだと思うんです。自分とまったく違う個体だと思ってなくて、半分透けてるのが重なっていて。それで言うと、『小指の思い出』のときも私が歌っている上で青柳さんはしゃべってるし、演出上でも最初から重なってますよね。今となっては驚かなくなったけど、会うと爪の色が一緒だったり、服が似ていたり、同じものを買ってたりとか、そういうことがあり過ぎて。それがもう当たり前になっているので、わざわざ特別な感じにとらえてないんだと思います」

 二人がどこか重なりつつあることは、はたから見ていてもわかっていた。だからこそ意外だったのは、8月2日に皆で飲みに出かけたとき、市子さんが青柳さんの近くに座ろうとしなかったことだ。話を聞いてみると、それには理由があったのだという。

 「京都にきてからはどこに行っても、打ち上げでも必ず一緒にいたんですよね。それが8月1日の休演日、青柳さんは『カタチノチガウ』の稽古をしてて、私はその日会場には行ってなかったんですけど、『食事においで』って古閑ちゃん(制作の古閑詩織さん)から誘われたんです。いつものように、当たり前に青柳さんのほうに歩いて行ったら、ちょっといつもと違ったんです。『あっち座れば』みたいな感じで、その日はほぼ目も合わなくて。同じように顔を出していても、隣にいる藤田君とか“ひび”の子のほうに向かってしゃべっていて、壁がある感じがして。これは何だろうなと不思議に思ったんですよね」

 『2』という作品のことを改めて思い出してみる。あの作品の中では、こんな台詞が語られる。

 「このまんまだと死んでしまう私たちは、自然と死んでゆくのだとして、一人じゃなくって二人なわけだから、そこには順番があるのだろう。つまり、どっちかが、どっちかを、みとることになるだろう。それはもしかすると、死ぬよりも、もっと残酷なことかもしれないのに、あの母親は、父親は、想像したのだろうか。まったく、勝手なやつらだ」

 どんなに重なっているように思えても、一人ではなく二人である。重なれば重なるほど、そのことを意識させられるし、台詞としてもそれを語る。近づけば近づくほど、離れようとする力も同様に働く。そういう感覚は、青柳さんの中だけにではなく、市子さんの中にも生まれているのではないだろうか?

 「そうなんですよね。すごく近づいてしまう面と、すごく遠ざけてしまう面があるんです。こんなふうに何日間も同じ土地で、朝から晩まで一緒ってことがなかったんですよね。しかも今回はふたりきりで。近づいて見てより明確になったことではあるんですけど、たとえばすごく小さなことで言うと、買い物にふたりで行くわけです。『サンリオショップ行くけど、行く?』みたいな話になって、お弁当箱を買おうってことになると、『私はこれにする』『じゃあ私はこっち』とかじゃなくて、ふたりで同じものを持とうとする。まあ趣味が一緒といえばそれまでなんですけど、そこで小さな束縛みたいなものが始まっていくんですよね。最後のほうになると、どこかでごはんを食べるとき、『私はこれにする』って言ったあと、青柳さんがこっちをふっと見て『市子もこれだよね?』って感じになってくるんです。それじゃなくてもいいんだけど、それも食べたいと思ってたから『じゃあそれにする』って答える。お互いにそういうことが起きていて、ちょっと血が濃くなっている感じがして、そこにおえってなってました」

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2016年7月23日撮影

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2015年夏、座間味島にてコロスケさん撮影

 青葉市子さんに話を聞いた5日後。

 青柳いづみさんと待ち合わせたのは、駅を挟んだ反対側にある東京芸術劇場の前だった。目の前に広がる西口公園では、大勢の人が立ち尽くしてポケモンGOに興じている。どこで話を聞こうか相談したとき、青柳さんが唯一指定した条件は「牡蠣の食べられる店」ということで、公演期間中に皆で訪れたことのあるイタリアンの店に入ることになった。

 「こないだの京都のとき、市子もものすごく牡蠣好きになってたんです」と青柳さんは言う。「去年のツアーのときは、私が牡蠣牡蠣言っててもそんなにって感じで、むしろ苦手ぐらいの感じだったのに、京都では市子のほうが牡蠣牡蠣言っていて、適当な店に入ったんです。そこはB'zが流れちゃうような店だったんですけど、そこの牡蠣がほんとにまずくて食べれなくて。その時点で私はもう、京都牡蠣はやめようと思ってたんですけど、市子の執着心がすごくて、もう一回リベンジしたんですよね。そのとき市子はおいしそうに食べてました」

 牡蠣が苦手だった市子さんが牡蠣好きになったというのは、印象的なエピソードだ。それは、市子さんが「血が濃くなってくる」と言っていたことと近いことであるように感じられる。二人の距離が近づいて、重なっている部分が増えたことで、市子さんまで牡蛎が好きだと感じるようになってしまったのではないか。そう伝えると、「京都では市子が牡蛎牡蛎言ってたけど、それを言っていたのは私かもしれない」と青柳さんは言った。だとしたらそれは去年のツアーの影響です、と。そもそも、市子が牡蠣を食べられるようになったのも、去年ツアーで訪れた沖縄だったそうだ。

京都にいたときも、市子は『おとぼけ観光だね』って言ってました」

 おとぼけ観光というのは、一部で“おとぼけ”と呼ばれる青柳さんがガイド役を務める旅だ。2013年、2015年に『cocoon』を上演するのに先立って、出演者の皆で沖縄を旅したことがあるのだが、その旅が“おとぼけ観光”と呼ばれていたのである。2015年に『cocoon』を上演したときは全国6都市を巡ったのだが、ツアーで沖縄を訪れた際にも“おとぼけ観光”が始まり、何人かで座間味島に出かけたのだという。

 「座間味に行ったとき、有無を言わさず自転車を借りて、皆でお参りに行ったんです。平和之塔があって、集団自決の碑があって、そこからもっと上にあがると下り坂になるんです。そこは一人で行ったことがあったんですけど、市子とコロスケさんに見せたいから、『坂だけどもうちょっとだけ頑張ってくれ』って言って、そこからピューッと坂を下ったんです。結局島を一周したから、二人はほんとに大変だったと思う。今回の京都でも暑いなか自転車移動だったから、市子は『おとぼけ観光だね』って言ったのかもしれないです」

 “おとぼけ観光”に限らず、公演期間中の青柳さんはモードが違っているように見える。本番が終わると、翌日も公演があったとしても、いつも皆で食事に行こうとする。それは少し病的に見えるほどだ。

 「私は“皆でどっかに行こう病”にかかってるんです。市子が私について話してたことのニュアンスは、それもあると思います。稽古のときは二人で行動してたんですけど、公演が始まると『皆でどっかに行こう』になっちゃうんですよね。それはよく藤田君にも怒られます。『まえのひ』ツアーのときも、沖縄あたりで『そろそろ皆でとか言うのはやめよう?』って言われました」

 青柳さんの“皆でどっかに行こう病”については、昔から不思議に感じていた。それと同様に不思議なのは、舞台を降りた瞬間から青柳さんはケロリとしていることだ。絞首台に立ってラストを迎える舞台を終えた直後でも、崖から飛び降りてラストを迎える舞台を終えた直後でも、青柳さんはケロッと雑談をしているのだ。

 「それも市子に言われたんです。終演後に話をしていたら、何でそんなにしゃべれるのかって。私はいろんなことをしゃべっちゃうし、しかもよく考えずにしゃべっちゃうから、市子は心配してくれてるんだと思う。でも、私は自分そのものには何の価値もないと思っているからこそ、私自身は何だっていいということ?」

 その話を聞いていて、音楽と演劇の違いということに思いを巡らせる。音楽のライブを観ていると、僕はそこで鳴らされている音に共鳴しているような心地になることがある。その場に響いている音を、その場にいる皆が共有する。音というものを媒介にして、音楽家と聴衆とが繋がっているような感覚になる。しかし、演劇の場合にそうした「共鳴」が起こることはなく、あくまで観客席にいる私は作品を見届けている。

 「そうですね。音楽によって共鳴し合うっていうことは、言葉としてもすごくつながると思うんですよ。でも、演劇をやっていると、共鳴なんてものはないんだと思ってしまう。演劇をやっている人間同士が共鳴することなんて、そもそもないだろうなって思うんです」――ここで青柳さんが「共鳴なんてものはないんだ」と語ったことに、この2年の時間の流れというものを感じていた。

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 マームとジプシーが元・立誠小学校で作品を発表するのは2年ぶりのことだ。2年経った今とでは、青柳いづみという女優は大きく変化している。そのきっかけとなったのは、2015年1月に初演を迎えた『カタチノチガウ』だ。原宿・VACANTでの公演中、青柳さんの声が出なくなり、公演が中止となってしまった。その1ヶ月後に話を聞いたとき、青柳さんはこんなふうに語っていた。

 「ほんとうに、自分の内側には何も通ってないと思ってたんです。肉も、骨も、血も、何もないものだと思ってたんでしょうね。声が出なくなったときに、私は今まで何にもないと思い過ぎてたんだと思いました。 前にも話した気がするけど、私は自分が筒みたいなイメージをすごく強く持っていたんです。『筒みたい』っていうのは朝吹真理子さんに言われた言葉なんですけど、公演が中止になった数日後に、朝吹さんからメールがきたんです。『チューブみたいだと思ってたおとぼけも、ちゃんと肉の詰まった人間なんだと思ってホッとした』って。そう言われて、『そうだ、私、人間だった』と気づいたんです。それまでは人間だと思ってなかったというか、舞台に出てないときの自分は存在してないも同然だし、舞台に立ってるときは『自分は筒だ』と思ってるから、人間だと思ってる時間がなかったですよね」


 自分は人間だと気づいたことが、舞台にどう影響するのか――それを考える好い例が『cocoon』である。『cocoon』は2013年と2015年にそれぞれ異なるメンバーで上演されているが、青柳さんはいずれも主人公のサンを演じている。ただ、2013年の『cocoon』における青柳いづみは筒であり、2015年の『cocoon』では人間であった。その違いについて、青柳さんは以前こう語っていた。

青柳 2年前の私は、舞台上にあるものすべて――他の役者も、舞台装置も、美術も、すべてが私みたいに思ってたんですよ。自分の実体がないから。

――自分ってものの境界がなくて溶け出してるから、舞台上のすべてと繋がってたわけですね?

青柳 そう思ってたから、全部が私で、客席も含めて全部私がコントロールできると思ってたんです。なんか、ヤバいやつだったんですよ。イカれたやつだったんです。共演者も全部自分だと思ってたから、その人個人に対する何か、みたいなことはなかったんです。でも、今年の『cocoon』では変わったと思ったんです。

――すごく変わりましたよね。人間でしたね。

青柳 そうなんです。人間として――それが最大の変化かもしれないですね。人間になった。


 「他の役者も、舞台装置も、美術も、すべてが私みたいに思ってた」頃の青柳さんならきっと、「共鳴なんてものはない」とは言わなかっただろうし、そもそも市子さんも自分の一部であると感じていたはずだ。

 「そうですね。行き過ぎるってこともできなかったってことですよね。それは、他者がいるからってことですね。自分がコントロールできない領域にいる存在があって、しかもそれが演劇以外の何かであるってことが今回は大きかったんだと思います」

 人間になった変化は、舞台を降りた時間にだけでなく、作品にも影響を与えている。だとすれば、だ。今回青柳さんの出演した『2』という作品について、藤田さんは「自然発生的」と語り、市子さんが「自然現象」と表現していた。人間になったことで、どこかアンバランスを抱えたまま自然発生的に作品を作るということは、とても消耗する作業だったのではないのだろうか?

 「でも、私は『2』という作品のことを自然現象だとは思ってないんですよね。あれは確実に藤田君が作って演出した作品だと思えている。『1』の初日があけた次の日とその次の日、その2日間のお昼時にようやく稽古をしたんです。その2日間も藤田君は『A-S』の稽古があるから短い時間でしたけど、本当にその時間で作ったんですよ。言葉と配置だけではやっぱりできない部分がある。そこは藤田君の存在が大きい。藤田君の目があって耳があって生まれた作品だから、だからあれは自然発生とは思えないです」

 もちろん、どんなに自然発生と言おうとも、『2』は藤田さんの作品である。そのことは確かだし、藤田さんがまったく不在であれば作品として成立しなかっただろう。しかし、それでも僕は、『2』という作品には自然発生的と呼びたくなる要素があったように感じられる。

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 『カタチノチガウ』という作品は、マームとジプシーの新境地と呼ぶべき作品だったように思う。

 藤田貴大という演劇作家が繰り返し描いてきたモチーフに「水」がある。彼が描く街には海があり、あるいは湖があり、あるいは川が流れていたけれど、『カタチノチガウ』で描かれるのは海も湖も川もない枯れきった世界であった。その世界に生きる、青柳さんが演じる長女もまた、いつか枯れてしまう身体について、やがて訪れる死について言及する。「私たちは、生きることが、果たして本来なのだろうか?」と。その作品で、青柳さんの声が出なくなってしまうというのは、出来過ぎた話であるようにも思えてくる。

 自分も人間だったという気づきから1年が経ち、「舞台上にあるものはすべて私」だと思えていたところから感覚が変わり、アンバランスな部分を抱えている。そうした現状の中で『2』という作品があり、そこで「二人一緒に死ねない」という台詞が登場する――この流れを見ていると、作品で描かれている世界と、青柳いづみという女優の現在とが、どこか影響し合っているように思えてくる。どちらが卵であり、どちらが鶏であるのか、わからなくなるときがある。そういう意味では、『2』という作品が生まれたのは、とても自然発生的であるように思える。

 「たしかに、いつもそうですね。いつも崖の上に立たされる。そういう意味では、自然発生というのか、お互いがお互いを崖に引っ張っていくみたいなところはあるのかもしれないです。他にそういう人がいないのが問題ですね。だから私が崖に立たされるんだって思いますけど。でも、他に崖に立たされる人がいたら終わります。この世に女優は一人でいいから、私はいらなくなる」

 その「お互いがお互いを崖に引っ張っていく」感覚は、ここ最近さらに増しているように感じる。これは以前から感じていたことでもあるけれど、特に今回の『2』という作品では、舞台上にいる青柳さん(らしき誰か)が殉教者のように見えるところがある。実際、作品の中ではこんな台詞も口にする。

 「神様がいるのだとしたら、やっぱりそれは、母親、父親、なのかもしれない。神様がすべて決める。この世界のすべて。私が殺さなくても、きっと彼女は死ぬだろう。私も、私もまもなく死ぬだろう。私たちは、二人の神様によって、消されようとしている、消されようとしているのだ」

 それに続けて、長女を演じる青柳いづみは「消されゆく私たちは、消されることにあらがってもいけない、消されゆくこの時間を、受け入れなくてはいけない」とも語る。真っ白な衣装や、髪につけた糸のような飾りも相まって、何か信仰を抱えた人の姿のように見えてくる――そんな話をすると、「あの糸は『1』で聡子もつけてたし、縛られている感じはするよね」と青柳さんは言った。お互いが崖に向かって引っ張りあって、先鋭化すれば先鋭化するほど、世俗の世界から遠ざかってしまうおそれがある。

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 ところで、「この世に女優は私一人でいい」というのはとても誤解されやすい言葉だ。ごく素朴に読めば傲慢な言葉であるように思えるし、とても我の強い女優を連想する。しかし、舞台上に存在している青柳いづみ(らしき誰か)を観ていて連想するのは、むしろその逆のイメージだ。

 たとえば、昨年末に上演された『書を捨てよ町へ出よう』という作品がある。この作品にも、「この世に女優は私一人でいい」というフレーズが登場する。青柳さんへの取材をもとにして、穂村弘さんが「この世に女優は私一人でいいんだよ」というフレーズを含む詩を書き、舞台のラストで青柳さんがそれを語るのである。その詩は、こんなふうに終わりを迎える。

  どれだけ空を見たら
  大空が見えるの
  どれだけきいたら
  つらいなげきがきこえるの
  どれだけひとが死んだら
  平和な日がくるの

  ニホンノミナサン サヨーナラ

  誰もわたしの名前を知らない

  神様、あたしを、終わらせて
  パチン

 
 この詩を語っているあいだ、青柳さんは涙を流していた。そうして「パチン」という呪文とともに舞台は暗転し、しばらく暗闇が続いたのち、舞台に再び灯りがともされる。印象的だったのは、暗転する直前と、再び灯りがついたあとではまったく別人のように見えたことだ。それは別に、「役になりきっていた」というようなことではなく、舞台上にいるのは“誰でもない誰か”であるように見えた。世界のどこかに存在するであろう――もしくは存在していたであろう――誰かであるように見えたのだ。青柳さんらしき誰かは、いつも“誰でもない誰か”として崖の上に立たされている。そうして先端に立たされながら、いつも生と死を見つめている。あるいは、『カタチノチガウ』のラストでは、青柳さんは「未来にのこされる、コドモたち。カタチノチガウ、コドモたち。わたしや、わたしたちが、見ることのできなかった、ヒカリを、ヒカリを、ヒカリを、ヒカリを。あなたたちは、あなたたちは」という台詞を語る。その台詞を語る青柳さんは預言者のようでもある。

 青柳さんに話を聞いていていつも考えさせられるのは、舞台に立つ役者とは一体何であるのかということだ。

 僕は昔、役者というのは演じる役になりきって、ある台詞を語る人だとしか思っていなかった。もちろんそれも役者である。しかし、青柳さんが「この世に女優は私一人でいい」というとき、その“女優”という言葉の意味するものは大きく異なっている。舞台上にいる青柳さんらしき誰かが、“誰でもない誰か”として存在しているということは、祈りのように見えることもがある。演じるということは日常生活からすると奇妙なことだけれども、どうしてそこまでエネルギーを注ぐのだろう?

 「私も思いますよ。普通の男の人と普通の女の人のあいだに生まれて、どうして演じるなんてことをやっているのか? でも、ずーっと昔から、演じることを勝手にやってた。ひとりでいるときは、観客なんていない状態で私はずっと演じてました。小学校のとき、私はもう、ずっと不幸な少女を演じてたんです。不幸な少女ってたぶん鍵っ子だと思って、そこらへんで買った鍵を紐にくくりつけてたんですよね。家の鍵は常に開いてたのに、家とは全然関係ない鍵を持って過ごしてました。あと、常に片足をびっこにして歩いたり、階段を見つけてはのぼってビルの屋上に行く。そうするとビルで働いている人が上がってきて止められるっていうことを繰り返してました。屋上は、ただ高いところに上りたかっただけなんだけど。それが私の遊びでした。みんなでいるときは、『明るくて元気で優しくて可愛い少女』になっていたのかな。あとはホームレスごっことか」

 ホームレスごっこという言葉を聞いたとき、農村に生まれ育った僕は「何て都会的なのだろう」と思った。田舎でホームレスというのは成立しづらいところがある。この文章を書いている今、僕は里帰りをしているところだけれど、ここでは多くの人が顔見知りだ。田舎であれば、村八分ということはあり得るかもしれないが、ホームレスというのは街に出るまで見たことがなかった。それを伝えると、「言っていることはわかります」と青柳さんは言った。「久しぶりに東京駅に降り立ったときに、市子と二人で話したんです。この誰でもない誰かみたいな感じが東京だよねって。それがすごく居心地がいいってことを、二人で話しました」

         *         *         *

 牡蠣を食べた10日後、僕は再び青柳さんに話を聞くことになった。「あのときに話したことの大半は、ただの性格の話だって気がする」と青柳さんが言うので、改めて話を聞くことになったのだ。過去に話を聞いたときも、青柳さんは言葉にするのが難しそうだったけれど、今回はいつにも増して難しそうに話していた。

 「こんなにもまとまらないのは、まだ終わってないからだと思うんです。それは別に、『私のなかではまだ作品が続いてる』とかって話ではなくて、何かが起きるまでの途中のものって感じがするんです。そういう気持ちが強いから、この夏京都で何があったのかって話をするときに、しょうもないことしか答えられないのかもしれないです」

改めて、京都で僕が目にしたことを思い出す。そこでふと思い出したのは、市子さんに言われた言葉だ。話を聞き終えたあとで市子さんは、「私が話したことよりも、橋本さんが観ていたことが本当だと思います」と言った。僕が観ていたことで、まだ話していないことがある。それは、7月1日、青柳いづみさんによるオープニングパフォーマンスを観たときに感じた“ひっかかり”のことだ。その日、青柳さんが行ったパフォーマンスというのは、川上未映子さんの「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」と「冬の扉」、2篇の詩を青柳さんが上演するという内容だった。

「私が今考えていることも、未映子さんのこと。京都での打ち上げのときに『やぎは300歳まで生きて』って言われたんです。『私も頑張って100歳までは生きるから、300歳まで生きて、私たちに観続けさせて』って。35歳でさえ想像するだけでも無理かもしれないと思うんですけど、未映子さんが言うなら300歳まで生きたいと思いました。そうすると200年のあいだ、私は孤独に耐えなければいけないんですけどね」

 川上未映子さんの詩を、藤田貴大さんが演出し、青柳さんの一人芝居として上演する――『まえのひ』と名付けられたこのツアーが全国7都市を巡ったのは2014年春のことだ。約2年ぶりに上演された作品を観ていて、ぼくがひっかかりをおぼえたのは、2年という時の流れを感じさせられたからである。パフォーマンスに使用される音楽は録音物であり、2年前と同じ音を鳴らしているぶん、青柳さんが2年前とは違っているということが際立っていた。

 2014年の公演で印象的だったのは、その“叫び”である。ツアーに先立って収録された対談で、川上未映子さんはこう語っている。

彼の作品を観ていると、「過去・現在・未来」というものにものすごく拘泥しているんですよね。「時間が過ぎ去っていくことに対してまったく僕は了承しないし、当然だなんて思わない。徹底して抗います」という気持ちをすごく感じます。そこが私と彼に共通するところなのかなと思っているし、彼の作品を観たいのもそのせいだと思う。彼は、人生が1回しかなくて、すべてが過ぎ去っていくことが許せないんですよ。私も許せない。つまり、いつか全員が消えてしまって、この世のすべてが終わってしまうということが本当に理解できない。


 青柳さんがまくしたてるように言葉を発し、舞台に設置された蛍光灯は白いヒカリを放ち、音楽も大ボリュームでかき鳴らされる。それはまさに叫びのようなものだった。僕はその叫びに圧倒されたのをおぼえている。しかし、2年経った今、僕が凝視してしまうシーンはそこではなく、むしろ音楽がやみ、ヒカリが消えたあと、訥々とつぶやくように語るシーンだ。その背後にはどこか寂しさのようなものが漂っていた。

 2年前に『先端』という詩を読み上げている青柳さんは、まさしく筒であるように見えていた。筒である青柳さんと『先端』という詩は響き合っているように見えた。しかし、人間になった青柳さんは――舞台上に存在する“誰でもない誰か”は――新しい言葉を欲しているように見えた。

 「打ち上げで飲んでいるときに、『やぎ自身のことを書けるのは、私しかいないのかもしれない』ってことを未映子さんが言ってくれたんです。舞台上にいるのは誰でもない誰かであるんだけど、でも、やっぱりそこには一人のひとがいる。名前のある誰かが、そこに生きている。その姿が見えたから、その人のことを書きたいって言ってくれて。『まえのひ』をやったときから、また一緒に作品を作りたいって話をしてたんですけど、オープニングパフォーマンスを観て『やっぱり私が書く以外ないのかも』って言ってくれたんです」

 青柳さんは以前、「舞台に立っているときだけ生きていて、あとの時間は死んでいるも同然だ」と語っていた。しかし、人間になったことで、その舞台と日常との境目が揺らぎつつあるように見える(だからこそ、京都滞在中に市子さんとの距離感がアンバランスになったのではないか)。それと同時に、「このままだと普通になってしまうのではないか」「このままだとすごいものを観客に見せられなくなってしまうのではないか」という危惧を、ここ最近の青柳さんは抱いていた。

 「こないだ、郁子さんともその話をしたんです。フィッシュマンズのライブを観に行ったときに久しぶりに郁子さんに会ったんですけど、郁子さんが地面に立っている感じに見えたんです。『カタチノチガウ』で声が出なくなったとき、その声が出るようにしてくれた先生は郁子さんが紹介してくれた先生で、声のことについては郁子さんと一番話してるんですけど、そのライブのときに郁子さんの声が変わったように感じたんです。それを伝えたら、郁子さんも『自分でも最近変わったと思うんだよ』と言っていて。そこで、私がなんとなく疑問に思っていたことをぶつけたんです。そういうときに、このまま行くとつまらなくなるんじゃないかって思いませんかって。そのときに郁子さんが『おとぼけに読んでほしい漫画がある』と紹介されたのが『夏子の酒』って漫画だったんです」

 『夏子の酒』というのは、尾瀬あきらが1988年から1991年にかけて『モーニング』に連載した漫画だ。主人公の夏子は、東京の広告代理店でコピーライターとして働いていた。彼女の実家は酒蔵であり、兄の康男は幻の酒米「龍錦」を使った日本一の酒を造ろうと奮闘していたが、病に倒れ、帰らぬ人となる。夏子は会社を辞め、兄の遺志を継いで日本一の酒を造るべく奮闘する――そんな漫画だ。

 日本一の酒造りだけを見据えて奮闘するなかで、「あたしきっと松尾様につかえる巫女よ」とまで口にするようになる。松尾様というの酒の神だ。しかし、その一方で、巫女として奮闘すれば奮闘するほど、何かを犠牲にしてしまうことに夏子は気づかされる。そこで夏子は、酒造技術者である上田先生にこんな言葉を漏らす。

 「先生……あたしは兄の遺志を継いで龍錦を育て酒を造るために東京から戻ってきました/そのためにあたしは松尾様に身も心も捧げる巫女になろうと思いました/でも……/神に近づくということは……人間から離れていくことなんですね/人間らしい感情を捨てることなんですね/目的のためには人を傷つけることも……/愛を捨てることもできる人間になることなんですね」

 その数日後、夏子は改めて先生に問う。「先生はあたしを普通の娘だとおっしゃいました/あたしでは……人間から離れて松尾様の巫女になれませんか……?」と。その問いに対する答えこそが、郁子さんが思い出した言葉だろう。そこで先生が語るのはこんな言葉だ。

 「あんたは なぜそう分けて考える? それでは厳しさは味わえても造る喜びは味わえんぞ/がんばれ専務! 人間味あふれる巫女になれ!!」

 ところで、夏子が目指しているのは「日本一の酒」だ。酒造りに奮闘するなかで、夏子は、兄・康男が残してくれた吟醸酒吟醸N」の存在を知る。「吟醸N」は夏子に強烈な印象を残した。「それを口にして以来あたしの舌はいつものその酒の片鱗を求めその味を基準に味わうようになってしまいました」。そんなふうに夏子は語る。

 日本酒であれば、味というものが基準となる。女優の場合、基準となるものは一体何なのだろう。そういえば以前、青柳さんはこんなふうに語っていたことがある。

 「稽古のときに藤田君が『出口になる人はほんとに選ばれた人たちだし、その人たちに作ってもらったり、しゃべってもらえることはどんなに幸福なことか』って話してるのを聞いて、私の役割は、人の言葉を発語すること、それだけだと思ったんです。それだけだけど、それをしていい人としてはいけない人は明確に分かれている。俳優と呼ばれる人たちを観ても別に、彼らが選ばれているなんてことは思わないんですよ。でも、名久井さんの仕事を見ていると、ほんとに果てしないなと思うし、名久井さんはきちんと出口に立っている。私もこうでありたいと思ったんです」

 人の言葉を発語するときに、それをしていい人としてはいけない人が明確に分かれている。そうであるとするならば、それを隔てるものは一体何だろう?

 「たとえば天皇陛下を前にすると、絶対に敬語を使いますよね。私は会ったことがないからわからないけど、絶対に皆そうなると思うんです。それと同じように、誰が観てもこれはきれいだってこととか、誰がどう考えてもこれは悪いことだっていうことはあると思うんです」

 ここで青柳さんが天皇陛下に言及したのは、僕が先に天皇陛下の話を出していたからだ。僕がこの夏に京都に滞在しているあいだ、思いを巡らしていたことの一つは天皇陛下のことだった。それは、ここまで書いてきたことと無関係ではなく、僕の中ではつながっている。

         *         *         *

 小さい頃の記憶はいくつか残っているけれど、社会的な出来事として最初に記憶しているのは、昭和天皇が崩御したときのことだ。といっても、昭和天皇に関する記憶はなく、テレビ番組の放送内容がいつもと違ったことなどはまったく記憶に残っておらず、おぼえているのは「平成」という元号が発表されたときのことだ。つまり、僕の記憶は今の天皇陛下が即位してから始まっているとも言える。

 だからといって別に、「俺は天皇陛下に心酔しているのだ!」などと言いたいわけでは当然ない。しかし、その天皇陛下が生前退位の意向を周囲に伝え、“お気持ち”を表明すると知ったときは少し心がざわついた。そのビデオが放送される日は、昼頃から落ち着かない気持ちでそわそわ過ごしていた。そうしてビールを飲みながら放送を観た。「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」。その語り出しに、途方もない重みを感じた。

 そのメッセージでも「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません」と語られていたように、天皇には政治に関する発言ということは許されていない。その天皇陛下が語る“お気持ち”とは一体何であろうか。象徴とは一体何であろうか。天皇という存在によって象徴されているものは何であろうか。ビデオメッセージで、天皇陛下は「私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」と語り出したけれど、天皇というのが象徴であるとすれば、それは特定の個人ではありえず、普遍的な存在で―― “誰でもない誰か”で――あるのではないか。

 「私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」

 天皇陛下は慰霊の旅を続けてきた。この世界から喪失されたものを追悼し続けてきた。そうして追悼することもまた、宮中祭祀と同様に神事であるように思われる。これは天皇陛下の祭祀や慰霊に限らず、神事というものは演劇的な側面を持つ(神事から演劇が生まれたと記したほうが正確なのかもしれないが)。神事に携わり、祈りを捧げる人の姿を、ときに私たちは目にする。その姿に、私たちは何を思えばいいのだろう。そんなことを、この夏を通じてぼんやり考えていた。

         *         *         *

 誰が観てもこれはきれいだってこととか、誰がどう考えてもこれは悪いことだっていうことはあると思う。青柳さんのその言葉を反芻する。誰が観ても。誰がどう考えても。それは、言い換えれば普遍的であるということだ。

 何度も書いてきたように、京都で上演された『0123』という作品が童話を取り込んでいる作品だった。童話というのはある種普遍的な物語だ。あるいは、今年の年末に藤田さんが演出し、青柳さんも出演する『ロミオとジュリエット』という戯曲もまた、誰もが知る物語だ。観たことがない人だって、それがどんな物語か知っているだろう。それらが普遍的な物語たりえるのは、そこには人間の持つさまざまな心理が描かれているからだ。

 「童話ってさ、『そういう人間の心理ってあるよね』ということが描かれているけど、『そんな人間の心理、ある?』って描写もあるじゃないですか。小さい頃はただただ恐ろしいものの象徴だった気がするんですよね。『ヘンゼルとグレーテル』だって、まず何でこどもを捨てるのって話だし、灰かぶりだって、ガラスの靴に足を入れるためにかかとを切り落とさせるわけですよね。『そんなこと、ある?』って思いません?」

 しかし、そんなことっていうのは起きてしまうのだ。『ヘンゼルとグレーテル』は、ドイツで大飢饉が起きたときに子を捨てて口減らしをする親が現れたことで生まれた物語である。今日本という国の中で繰り返されている事件だって、「どうしてそんなことになってしまうのか」という連続でもある。どうして、そんなことが起きるのかに思いを巡らせる――その意味においても童話というのは普遍的な物語であり、人間の本質が描かれている作品でもある。

 「そうですね。『0123』で童話を扱ったのは、人間の本質が描かれている何かについて考えるということだったんだと思います。それはきっと、このあとに『ロミオとジュリエット』があるからだろうと思いますし、『ロミオとジュリエット』をやることでこのあとの作品も大きく変わってくるんだと思います」

         *         *         *

 青柳さんに話を聞いた日は満月だった。神事というものは、新月の日と満月の日に執り行われるものが多かったのだと何かで読んだ。人は満月に何を祈ってきたのだろう。そんな漠然とした疑問を酔っ払った頭で考えながら、月を探した。でも、この日は曇っていて、どこにも満月を見つけることはできなかった。漠然とした疑問に答えを見つけられるはずもなく、坂を下っているうちに神田川に出た。しばらく川の流れを眺めた。京都で歩いた川とはずいぶん違っているけれど、ここにも川が流れていて、どこかにつながっている。その水面を眺めながら、今年の夏はもう終わったのだと思った。

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2016-08-25

西条プラザが閉店する


 お盆を少し過ぎたあたりで里帰りをした。こういう仕事をしているので、別にお盆に合わせることもないのだけれど、今年は8月のうちに里帰りをしようと決めていた。隣町にあるショッピングセンターが8月一杯で閉店してしまうと聞いていたからだ。

 僕が生まれ育ったのは盆地に広がるのどかな町で、町というよりも農村といったほうがピンとくる。今でこそ町内にショッピングセンターやコンビニが増えたけれど、小さい頃はちょっとした買い物でも隣町に出かけていたように思う。そういうとき決まって出かけたのが西条プラザというショッピングセンターだ。

 小さい頃はあれだけ利用していたショッピングセンターなのに、大人になってからはほとんど足を運ばなくなっていた。僕の生まれた町と隣町のあいだにバイパスが開通し、バイパス沿いにシネコンの入ったショッピングモールが誕生するとそちらを利用するようになり、足が遠のいていた。駅から西条プラザに続く道は、かつてはメインストリートであったのだけれども、ここにも迂回路が作られ、アクセスしづらい場所になってしまっていた。

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 久しぶりに西条プラザに出かけ、地下駐車場に車を停める。たしか熱帯魚を売る店があったはずだけれども、既に撤退している。車を降りるとフライドポテトの匂いがして不思議だ。不思議というのは、現在の西条プラザにはフライドポテトを売る店など存在しないからだ。僕が小さい頃は、フードコートというほどの規模ではないけれど、フライドポテトたこ焼き、ソフトクリーム、それにジュースを売る店が、吹き抜けになった場所に出店していた。その店は何年も前に姿を消し、マクドナルドに取って代わられた。そのマクドナルドも既に閉店しているけれど、フライドポテトの匂いだけが残っているのが不思議だ。

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 店内を歩いてみると、既に営業を終えた店が目につく。まだ営業している店は売り尽くしセールの真っ最中だ。婦人服の店や和菓子の店は昔と同じだが、僕が小さい頃とはずいぶん様子が違っている。それなのに、歩いていると記憶が蘇ってくる。そこには本屋があって、よく立ち読みをした。この屋上は遊園地のようになっていた。ここにはゲーム屋さんが入っていて、店頭にはスーパーファミコンが置かれていた。スーパーマリオは買ってもらわなかったから、ここでだけ遊んだ。そこにはプラモデルを売る店があった。広場のようになった場所には何台もテレビが並んでおり、親が買い物をしているあいだはそこで待たされていた。今はテレビも撤去されてしまって、おばあさんがぼんやりベンチに佇んでいるだけだ。都会の人が百貨店の思い出を語るのを聞くたびに羨ましく感じていたけれど、僕にも思い出の店はあるのだと気づかされる。

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 回遊しているとインド人らしき親子連れをよく見かけた。小学生の頃にブラジル人の同級生が学年に2人くらいいたけれど、インド人というのはいなかった。こんな田舎町でも最近は国際化が進んでいるらしく、国道沿いには中国の食材店も見かけた。この町にインド人が増えたのは、あの店の影響だろうか。

 西条プラザには「グルメストリート」と名づけられた一角がある。ストリートというほどの規模ではないけれど、食堂街があるのだ。この西条プラザの上には僕が通っていた学習塾もあるので、ときどき一人で食事をしたこともある。よくちからうどんを食べたうどん屋も、本棚に置かれた『名探偵コナン』を読みながら生姜焼き定食を食べた鉄板焼き屋も、既に営業をやめてしまっている。ただ、どうしても再訪しておきたかったインド料理店「タンドール」は今も営業していた。営業していたどころか、閉店セールでカレーとナンで540円というサービスをしているせいで、行列ができるほど賑わっている。

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 この店がオープンしたのは24年前のことだという。僕が小学4年生のときだ。オープン直後かどうかはわからないけれど、中学校に上がる前には来たことがあるはずだ。厨房には窓があり、タンドールでナンを焼く外人さんの姿を眺めていたのを覚えている。そこにはタンドールに関する説明書きもある。ナンという食べ物の存在を、僕はこの店で初めて知ったし、インドカレーを初めて食べたのもこの店だ。

 数年ぶりで「タンドール」に入る。今日は母も一緒だ。どうしてこの店に来るようになったのかは覚えていないけれど、僕と兄が来たがったのだと母は言う。インド料理というものがまだ物珍しかったこともあり、「ダルシムの国だ!」くらいの感覚で行きたがっていたのだろう。当時の「タンドール」は薄暗かった印象がある。店内には象の置き物やインド風のポスターもあり、どこか神秘的だった。そのぶん田舎町では敬遠されていた覚えがあるのだけれど、今はすっかり雰囲気が変わっている。店内は明るく、都内でもよく見かけるインド料理店といった印象だ。親子連れから老人客まで、幅広いお客さんで賑わっていることに時間の流れを感じる。

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 せっかくなので、小さい頃によく食べていたセットを注文する。カレー4種とサフランライス、ナン、それにタンドリーチキンがついた豪華なセットだ。4種のカレーに、順番にナンをつけて食べる。チキンカレー、チーズカレー、エビ入りのカレーを食べたあとに、さっぱりしたヨーグルトみたいなカレーにナンをつける。何巡かしたところで、ふと気づく。ヨーグルトみたいなカレーの脇に、小さなスプーンがついている。

 小さい頃からずっと、「本場にはヨーグルト味のカレーがあるのだ」と思い込んで、いつもナンをつけて食べていた。おそるおそるメニューを確認してみると、僕が注文したセットの内容には「3種のカレー」と書かれており、メニューの中に「ヨーグルト」という文字が見えた。僕はずっとヨーグルト風のカレーだと思ってナンにつけて食べていたけれど、これはただのヨーグルトだったのか。24年間ずっと勘違いをしていたのか。そう思うと恥ずかしくなったけれど、今更スプーンで食べ始めるわけにもいかず、最後までナンをつけて平らげた。

2016-08-24

マーム・イン・京都(4)くりかえされる

 
 『カタチノチガウ』という作品は、2014年秋のボスニアイタリアツアー中に書かれ始めた作品で、2015年1月、原宿・VACANTで初演を迎えた。その翌月に横浜美術館、そして再びVACANTで上演されたのち、2015年9月には北京でも上演された。2016年4月にはLUMINE0のこけら落としとして上演されており、今回は3ヶ月ぶりの上演ということになる。

 元・立誠小学校で上演された『カタチノチガウ』は、4月の上演からテキストは一字一句変更されていない。しかし、その印象はずいぶん違っていた。これは『カタチノチガウ』が変化したというよりも、『A-S』と『0-1-2』という作品を観たあとに『カタチノチガウ』を観たから印象が変わったのだろう。

 『A-S』と『0-1-2』は、これまでのマームとジプシーの作品に比べて少し異質な作品だと思う。マームとジプシーは記憶というモチーフを繰り返し描いてきたけれど、『A-S』や『0-1-2』における記憶の描写はこれまでとは微妙に違っている。「マーム・イン・京都(1)」でも指摘したように、これまでのマームであれば「昨日の晩」と言っていたであろう台詞は、「いつだかの晩」に書き換えられている。藤田さんの中で、記憶というものの描き方が変わってきているのではないだろうか?

 「過去とか現在とか未来っていうものを、昔はもうちょっと分けてたと思うんですよね」。僕の質問に、藤田さんはそう答えてくれた。「記憶っていうのはあたかも過去なんだけど、その記憶っていうものがもしかしたら未来の話なのかもしれないっていう曖昧さを持ってきたなっていうのはあるんです。僕自身、記憶だったはずのことが今起こっているような感じがしたり、未来に起こることかもしれないって感覚になることが生きていてあるんですよ。

 たとえば『cocoon』をやっていたときは記憶=過去=戦争っていうことになってたんだけど、記憶ってほんとに記憶なのか、過去ってほんとに過去なのかってことがグチャグチャになってきてて。『1』を書いているときは記憶っていうSFを書いているような感覚があったり、『A-S』に出てくる街も、これはいつの街なのかわからないなって感覚があったりしたんです。『A-S』ではいなくなった人の話をしてるんだけど、その人がいついなくなったのかはわからなくて、あたかも過去っぽくはあるんだけどこれからの話にも見えるような仕掛けを言葉の中でやっていきたいんだと思います」

 記憶や過去というモチーフについて、『A-S』の中に印象的なシーンがある。それは陶芸教室の先生と生徒が言葉を交わすシーンだ。

 「先生、言ってたじゃないですか。焼き物はかつて土だったって」
 「土?」
 「そう、土。だからそれでいうと、壊れた焼き物は、ただ土に返っていくだけなんじゃないですか?」
 「それは違うよ、いっちゃん。それじゃあ、縄文土器は何で発掘されるの。一度焼いた土は、土じゃなくなっちゃうの。土には返らないの」


 これまでマームとジプシーの作品で記憶や過去というモチーフが扱われるとき、何かしらのエモーショナルさを伴っていたように思う。この先生の答えもなかなかにエモーショナルではあるのだが、そのエモさはどこか新しく感じる。

 「あの佐藤先生ってキャラクターは僕もかなりお気に入りで。焼き物とか陶芸とかっていうのは、何千年みたいなところと向き合わなきゃいけないってことが面白いなと思うんですよね。ZAZEN BOYSの曲に『破裂音の朝』って曲の中に『それは10年前の それは100年前の/1万年前の 俺たち』って歌詞がありますよね。そこで『1万年前』ってとこまで行くのは、最初に聴いたときはちょっと嘘くさいなと思ったんだけど、何回か聴いているうちに『そういえば陶芸とか土器とかってレベルでは「何万年前」みたいな話を聞かされてたな』と思ったんです。うちの地元に貝塚があったから、そう思うのかもしれないですけど。土を焼いて器を作るってことは、未来に発掘されるかもしれないってことがあるけど、その一方で僕がやってる芸術の残らなさみたいなものがある。その対比みたいなことは今回偶然描けたんだけど、マームでも掘り下げられる内容だと思ってるんです」

 そうした時間感覚の変化は、他のモチーフにも影響を与えている。マームとジプシーの作品では、死ということも繰り返し描かれてきた。自ら命を絶ってしまった誰かや、この街からいなくなってしまった誰かは繰り返し描かれてきた。

 『A-S』という作品にも、そうした誰かは登場する。劇中ではあやか(A)とさやか(S)という二人の女の子のことが語られるのだが、あやかという女の子は14歳のときに行方不明になってしまった。駐車場の防犯カメラに映った姿を最後に、彼女は姿を消した。あやかと同級生のある女性は、今でも夏になるとビラを配って彼女を探しているが、街のほとんどの人の記憶からあやかの記憶は消えつつある。もう一人、さやかという女の子は、ある日自ら命を経ってしまう。街の人はまだ、さやかのことをおぼえているのだけれど、彼女が存在していたという痕跡はどこにもない。

 いなくなってしまった誰かの存在に、生きている私たちは引きずられてしまう――そうした構図は、マーム作品で繰り返し描かれてきたものだ。しかし、今回の『A-S』では、もう少し違った形の喪失も描かれている。『A-S』の出演者の中には、81歳の中田貞代さんという女性がいる。現在24歳の川崎ゆり子さんと中田貞代さんは、こんな会話を交わす。

「なあ、ずっといつまでも、いい友達でいよな」
「ずっと、いつまでも?」
「ずっといつまでも、いい友達でいよな」
「そんなことって、ありえるのだろうか。ずっととか、いつまでもとか、そんなことってありえるのだろうか。私は、彼女? 彼女は、私?」


 人間の命というのは有限であり、やがて死が訪れる。そうである以上、「ずっととか、いつまでもとか」ということはありえず、皆いずれ死を迎えてしまう。その意味において、ここで川崎ゆり子さんが「私は、彼女? 彼女は、私?」と重ね合わせているのは印象的だ。あるいは、『0123』の『2』――『ずっとまえの家』というタイトルがつけられている――は、童話『ヘンゼルとグレーテル』を取り込んだ作品なのだが、親に捨てられてしまったふたりのこどもはこんなことを口にする。

 「このまんまだと死んでしまう私たちは、自然と死んでゆくのだとして、でも、一人じゃなくって二人なわけだから、そこには順番があるのだろう。つまり、どっちかが、どっちかを、みとることになるだろう。それはもしかすると、死ぬよりも、もっと残酷なことかもしれないのに、そのことを、あの母親は、父親は、想像したのだろうか。まったく、勝手なやつらだ」

 この二つの作品においては、自ら選ぶ死ということ以上に、やがて訪れる死ということにフォーカスが合わせられているように感じる。滅んでゆく身体というイメージが『A-S』にも『2』にも登場する。これは、マームとジプシーとしても新境地であるように思える。

 「前は死ぬってことが悲しかったし、今ももちろん悲しいんだけど、『でも、ほんとに死ぬよね』みたいなことに進んじゃったのかもしれないです」と藤田さんは言う。「当たり前の話ですけど、人間は死を待つしかないわけですよね。どんな生き物も死を待っているわけなんだけど、大きなことを動かしている人たちによって“死を待っている時間”ってことが軽んじられている気がするんです。たとえば『ヘンゼルとグレーテル』を改めて読み返してみると、”親”のことを”神様”と形容したくなったんですよ。”親”が”神様”なんだとして、その神様たちはふたりのこどもを一気に捨てるわけだけど、神様たちはどれぐらい細かく考えてるのかなって思うんですよね。二人同時に死ぬなんてことがあるわけないのに、二人同時に死ぬかのように焚き火のところに捨てていくわけだから。

 あと、僕が納得いかなかったのは、最後には『お父さんとまた一緒に暮らしました』ってことになるけど、捨てたやつと暮らせるの?っていう疑問はある。そこに対しては怒りに近い感情があるから、『2』は古い家を燃やすって話にしたんです。これは『cocoon』のときも話したかもしれないけど、人って人のことを俯瞰し始めると、ひとりひとりにフォーカスを当てなくなっていきますよね。1万人が死んだら『1万人が死んだ』ってことだけで片付けて、その中に細かいことがあるってことを考えなくなる。政治の細かいことはわからないけど、数字っていう相対化されたもので動かしているから変なことになっちゃうとしか思えなくて、すごく生きづらいなって思ってるんですよね。その感覚はこの1年でもだいぶ変わった気がします」

 『cocoon』と『A-S』、二つの作品を比較したときに印象的なことがある。『cocoon』は20人が出演する舞台であり、『A-S』は19人が出演する舞台だ。いずれの作品でも、作品世界に登場する大勢のキャラクターたちがどんな人物なのか、ひとりずつ描かれていく。『cocoon』であればまず、“戦争”が激しくなる前の楽しい教室の風景が描かれ、登場人物ひとりひとりがどんな人だったのかが観客に提示される。その「ひとりひとりがどんな人だったのか」を知らされるがゆえに、舞台の後半で“戦争”が激しくなり、ひとり、またひとりと死んでいく姿に観客は胸をつまらせることになる。

 『A-S』も基本的にはひとりひとりのキャラクターが提示されていくのだが、謎の人物がひとり登場する。それは「高田君」というキャラクターだ。高田君だけ、他のキャラクターとは存在する位相が違っているように見える。その高田君について、ある二人がこんな言葉を交わす。

 「高田って知ってる? 鉛筆の芯よく食ってたあの高田なんだけど」
 「ああ、あの、皆よく知ってる高田やろ?」
 「そうそう。あいつ不思議だよね。皆の同級生みたいで」
 「ああ、わかる。高田みたいなやつって、どこにでもいそうやんね。いや、もしくは、どこにでもいそうで、いなさそう」


 『A-S』という作品の中で、高田君はまさしく「皆の同級生」みたいな存在として登場し、「どこにでもいそう」でありながらも「どこにもいなさそう」なキャラクターとして漂っている。つまり、「ひとりひとり」という存在として描かれるというよりも、どこか普遍的な存在として舞台に立っている。その存在感はなかなかに異質だ。

 「そこは『演劇的に理屈が通ってない』ってことである方面から怒られるかもしれないけど、その言葉で言うならば、高田に関しては理屈を通さなくていいって思っちゃってるのかもしれないです。たしかに、高田だけ理屈が通ってないんですよね。それ以外のキャラクターの人物相関図はできてるんだけど、高田だけは今ティーンであろう子にも『高田』って呼ばれてたり、今30代ぐらいの人も高田に鉛筆の芯をあげてたり、皆が時系列をまったく無視して高田君に接してるのが僕は結構好きなんですよね」

 『A-S』という作品に、「皆の同級生」として普遍的に存在する高田君というキャラクターが登場することは、『0123』が童話をモチーフとして取り込んでいることと通底しているように思える。『3』の『カタチノチガウ』はシンデレラが、『2』にはヘンゼルとグレーテルが、『1』には赤ずきんが取り入れられている(『0』には湖の水を飲んで鹿に変身するエピソードが登場するが、それは兄と妹という童話だろうか。それから、廊下の壁にはラプンツェルに登場する言葉が書かれてもいる)。

 童話というのは普遍的な物語だ。たとえば『ヘンゼルとグレーテル』であれば、ドイツで大飢饉が続いたとき、こどもを捨てて口減しをしたという歴史が元になったとされている。しかし、童話として描かれるのは個別の物語ではなく、普遍的な物語として描かれる。今回、『0123』という作品に普遍的な物語を――童話を――取り入れようと思ったきっかけは何だったのだろうか?

 「『カタチノチガウ』でシンデレラをやったっていうことがあって、そこから着想を得た企画だったっていうのはあるんだけど、『カタチノチガウ』って作品をこの2年繰り返し上演してきたわけじゃないですか。今回、自分の作品を眺めながら思ったのは、聡子が出演する『1』の中でも話してることだけど、童話ってやっぱ教訓なんですよね。『女の子は夜道を歩いちゃダメだよ』とか、日本の昔話だと『お腹を出して寝ると、カミナリさまにおへそを持って行かれるよ』とか。別におへそを持って行かれてもどうってことないのに、大人たちはそういうことでこどもに教訓を伝えるわけじゃないですか。聡子の台詞として『そんな教訓めいたことなんて』ってことを言うわけだけど、誰もがわかってる童話って物語を投入して、そこに対して疑っていくっていう作業をしたかったんだと思います。

 今までは、漠然としたところを疑ってたと思うんです。たとえば『てんとてん』って作品とかだと、僕がパーソナルに持っているフィールドや、僕の記憶の物語がベースだったんだけど、皆は僕が生まれた伊達って街のことを知らないわけですよね。今回の『0123』の中では、『赤ずきん』って言葉も『ヘンゼルとグレーテル』って言葉も出さないけど、まあそれはお客さんにも伝わりますよね。そういう誰もが知っている作り物を投入したときに、その作り物を僕なりに解釈するとすれば、どういうふうに疑えるのか。そういう作業をすることで、『カタチノチガウ』に良い影響を与えられるなって思ったんです。再演をやるってことに対してはあいかわらず疑いがあるんだけど、その一方でひと作品では語れないことも結構あると思っていて、そのひと作品で語れないことをどう強化するのかって作業を、童話を通じてやりたかったっていうのが『0123』だったんだと思う」

 ところで、童話というものは親に与えられるものだ。読み聞かせられるにせよ、絵本を買い与えられるにせよ、そこには親が介在する。

 親(主に母親)というテーマも、藤田さんにとって大きなテーマの一つだと言える。また、昨年12月に藤田さんの演出で上演された『書を捨てよ町へ出よう』の原作者である寺山修司にとっても、母というのは大きなテーマだ。映画『書を捨てよ、町へ出よう』に登場する家族には、母だけが不在だ(その不在は、かえって母という存在の大きさを際立たせている)。また、この映画には夜という時間はわずか3分しか登場しないのだが、それは母の不在とリンクしている。なぜなら、寺山にとって夜は母の支配する時間だからだ。

 立ちのぼる味噌汁の湯気、一日の疲れを癒すための会話、そうしたものが「家庭」を一段と強化し、幸福の擬似性を演出していたことは言うまでもない。
 少なくとも、外食をきらい、「わが家の食卓」のなかにだけ安らぎをおぼえていた私たちと同時代の子どもは、おふくろ専制の、家族帝国主義を信奉していたのである。
 夕焼けのころになると、おふくろの、
 「ごはんですよ
 という声が魔女のサイレーンのように、子どもたちを呼びよせる。
 戸外で遊んでいた子どもたちは、あっという間にその声に吸いよせられたように、いなくなる。
(「おふくろの味を踏みこえて」『寺山修司の状況論集 時代のキーワード』所収)


 『ヘンゼルとグレーテル』のこどもたちも、『2』に登場するこどもたちも、親に支配されている。母が「この子たちを捨てるんだ」と言い出したことで、ヘンゼルとグレーテルは森の深いところに置き去りにされる。あるいは、『2』に登場するこどもは、「神様がいるのだとしたら、やっぱりそれは、母親、父親、なのかもしれない。神様がすべて決める」「私たちは、二人の神様によって、そう、消されようとしている、消されようとしているのだ」と口にする。親に支配されていること以外にもう一つ共通するのは、彼らが夜の暗闇に置かれていることだ。最初に『0-1-2』の夜公演を観たときには教室の暗さにゾッとしたし、京都で買い求めた絵本『ヘンゼルとグレーテル』も、森のなかが真っ暗に描写されていてゾッとした(お菓子の家が出てくることしか覚えてなくて、親に捨てられる話だということは全然記憶していなかった)。

 「何だろうね、これは。夜を描きたいなと思いながら、夜のテイストも変わってきてる感じがあるんですよね。『ヘンゼルとグレーテル』について言うと、実はすごく美しい話だなと思っていて。自分が帰るために撒いた小石が光ってるだとか、その明るさを希望的に描いている反面、真っ暗闇に置き去りにされるわけですよね。その明るさと暗さのバランスは美しいなって思って。

 ちょっと話はずれるけど、『A-S』は結構一生懸命稽古をして、朝の10時から夜の10時まで稽古してたんです。朝早くに稽古場に入って、気づけば夜で、夜は飲むわけじゃないですか。今回は結構夜の街を歩いたんだけど、その中でできた作品でありたかったんです。夜って何かを見出す時間だと思うんだけど、それは家で本を読む時間でもいいし、酒を飲む時間でもいいんだけど、暗闇の光の関係図を再確認できた感じがする。

 あと、この元・立誠小学校も学校だった場所だけど、『A-S』の稽古をしてた京都芸術センターってとこも学校だった場所なんです。北海道にはセミがいないから、セミの声が響く感覚って北海道出身としては正直わからないんです。でも、セミの鳴き声がいつのタイミングですごい音量になるのかとかも稽古場にいながらにして定点観測できて、街が夜になっていく感じは東京にいるときよりも感じたんです」

 公演が始まってからも、藤田さんはよく皆と一緒に鴨川を歩いていた。あれはたしか7月31日、『A-S』が千秋楽を迎えた日だったと思う。出町柳のそば、二つの流れが合流するデルタ地帯で飲んでいたとき、藤田さんはある音楽を流した。それはbloodthirsty butchersの「7月/July」だ。

 「2010年のフジロックに行ったとき、ブッチャーズを観たのも7月31日だったんだけど、そのときに『7月も終わるね』って言って始めたのが『7月』で。それをすごい思い出したんですよね。そういえばあの曲は川の話だったなって」

 『7月/July』の歌詞には、こんな一節がある。

照りつける陽の下で
流れる水につかり君をわすれ 暑さをしのんでいる
かげろうがじゃまする ぼくの視界をじゃまする
去年は君と泳いでいたのに 暑い夏の陽よどうしてのりきれば
このままではすべて流れて行きそうで
ぼくを呼んだ様な気がして セミの声はひびく


 『A-S』という作品の終盤で、川崎ゆり子さんはこんな台詞を口にする。「世界の、ありとあらゆる喪失を。暗闇の中。私は。私たちは」――その作品が千秋楽を迎えたあとの時間に、鴨川沿いに佇んで「7月/July」を聴くというのは、少し似合い過ぎているくらいだ。

 それにしても、この7月というのはくらくらするような1ヶ月だった。7月1日、バングラデシュで立てこもり事件が起こり、22人が殺された。7月3日、バクダッドでトラックが爆発し、このテロで200人以上が亡くなった。アメリカでは警官が黒人男性を射殺する事件が相次ぎ、デモを警備していた警察官5人が射殺される事件も起きた。参議院選挙があった。フランスで花火を見物していた人々の列にトラックがつっこむ事件があり、80人以上が殺された。トルコクーデターが起きた。ドイツアフガニスタン難民の少年が「神は偉大なり」と斧を振り回す事件があった。ドイツで銃撃事件が起こり、9人が殺された。相模原障害者施設に男が押入り、19人もの人が殺された。ほんとうに、何という1ヶ月だろう。

 中でも印象的だった事件がいくつかある。バングラデシュの事件で殺害された中には7人の日本人が含まれていた。「日本人だって無関係ではないのだ」と頭ではわかっていたけれど、いよいよ他人事ではなくなってしまった。相模原の事件は、その事件自体にも衝撃を受けたけれど、その第一報にも衝撃を受けた。あの日、僕は4時過ぎに目が覚めてしまって、早朝のニュース番組を眺めながらまどろんでいた。そこに速報が入り、相模原障害者施設で10名以上が死傷とテロップが出て、一気に目が覚めた。あるいは、トルコクーデター。その日、僕は京都のホテルに泊まっていたのだが、朝起きてテレビをつけるとクーデターが起きたと報じられていた。

 朝目を覚ますとクーデターが起きている世界を、わたしたちは生きている。当たり前だったはずのことが、足り前ではなくなりつつある世界を生きている。マームとジプシーの作品は、ひとつひとつの記憶に、ありとあらゆる喪失に思いを馳せているけれど、当たり前だったはずのことが当たり前ではなくなりつつある時代にそれを表現することには困難がつきまとうのではないか?

 「やっぱり、書いたことがどんどん当てはまっていっちゃうことが自分の作品の怖さだと思うんです。たとえば、『cocoon』だとか、『あ、ストレンジャー』だとかって作品も、書いたことが何かに当てはまってしまうところがあるんだけど、それは意図してなかったんです。でも、最近の僕の作品は意図的になってきたというか、どの時間を描いているのかってことを曖昧にしているぶん、どの時間のことも言えるようになってきてしまっていて。今年の7月を過ごしてみたときに、芸術をやるって結構しんどいことだなと思いました。

 マームの作品は、現実じゃないことをやっているようで、現実につながりやすいことをやっていると思うんです。いろんなことに対して、他人事じゃないなって思っていて。他人事であるからこそ他人事じゃないと思いたいし、一方では他人事であるっていう距離は相変わらずどうにも埋まらないなってことも含めて、年がら年中手を伸ばそうとしてるんです。だからこそ(作家として)止まってしまったら辛くなりそうだなって思ったし、作ってなくちゃ辛い1ヶ月だったなってことはすごくありましたね」

 『カタチノチガウ』、『2』、そして『A-S』という作品には共通することがある。それは、「戦争」という言葉がごろりと登場することだ。マームとジプシーあるいは藤田さんは、直接的に政治的な意見を表明することはないし、政治的な意見や立場を表明するために作品を作っているのではない(と思う)。しかし彼らは、今の時代をどう生きるかということを、作品を通じて描いているように感じる。

 「これは年取ったからとかでは絶対ないと思うんだけど、戦争って言葉が不思議と言いやすくなってるんです。戦争って言葉と、現実的に日本に暮らしている僕らってもっとかけ離れてたと思うんです。2011年のときだって、震災って言葉とか原発って言葉はあったにしても、戦争って言葉はやっぱりほど遠かったと思うんだけど、今は違和感がないんですよね。こんなに戦争の報道がされてる時代のことは想像してなかったんだけど、こういうふうに言葉が通ってきちゃうんだなって思うんです。それをすんなり書いている自分がいて、役者との手続きも簡単になってきてる感じがある。

 役者さんに台詞を言ってもらうっていうのは、僕が演出を施すみたいな偉そうなことじゃなくて、手続きだと思うんです。その手続きの段階で、昔はもっと話し合ってた気がするんですよね。橋本さんが書いてくれた『まえのひを再訪する』を読んでも、『まえのひ』ツアーのときに僕らは丁寧に“まえのひ”って言葉と向き合ったし、それぞれの土地で“まえのひ”って言葉がどういう響きになるかってことを拾ってツアーをしてたと思うんです。でも今、“戦争”って言葉を出すときは、それは別にぶっきらぼうになったとかではなく、『普通に戦争って言葉を言うよね?』って感じがある」

 以前のマームとジプシーであれば、その言葉がどういうイメージを含んでいるのかというところまで、藤田さんが“演出”を加えていたように思う。逆にいえば、その言葉のイメージを役者の中だけで膨らまされることに対してポジティブではなかった。でも、特に『0123』の『2』を観たときに、その作品に出演する青葉市子さんと青柳いづみさんの二人にかなり委ねている印象を受けた。もちろんテキストを書いたのは藤田さんであり、演出も施してはいるのだろうけれど、青葉市子さんと青柳いづみさんがこれまで培ってきた世界が基礎にあるように見えた。役者に委ねるということがアリになってきたのは、ここ最近のことなのだろうか?

 「不安さがなくなってきたというのはあるんです。自分が書いたものをどうやって言うのかってことに対して昔は不安があったんだけど、『2』はちょっと不思議で、出来上がったときに不安がなかったんですよね。これはとても必然的にできたと思ったんです。“みあん”(青葉市子さんと青柳いづみさんによる音楽ユニット)としてのことはまったく知らないけど、『cocoon』のときに二人は“サン”と“えっちゃん”っていう幼馴染の役だったわけですよね。それで、市子には『cocoon』でツアーしている最中にオファーしたんですけど、そのときに思い描いていたことが現実になってくれてすごく嬉しかったんです。童話で校舎を埋めたいっていうコンセプトにもすごく合ってたし、無意識のうちに戦争って時代に突入されて、それに巻き込まれるんだけど、それでも生きていくしかないから『生きなくちゃ』ってことをラストで言う――それがとても自然な流れでできた気がするんです。だから、出来上がってからはほんとに何も言ってないですね」

 『2』という作品には、『ヘンゼルとグレーテル』がモチーフとして取り込まれていると書いた。『2』の冒頭で、姉妹の姉(青柳いづみ)は「私は、私の家をもう忘れてしまった」と語りだす。ずっと前に、姉と妹は、湖のほとりで焚き火をしてきたのだ、と。このシチュエーションは『ヘンゼルとグレーテル』からもたらされたものだろう。しかし、物語の展開は大きく異なる。『ヘンゼルとグレーテル』は、両親の暮らす家に戻ろうとするのだけれど、この姉妹はこんな言葉を交わす。

 「あかりをたよりに、わたしたち、おうちをみつけにいかなくちゃ!」
 「あかりをたよりに?」
 「そう。あかりをたよりに、あたらしいおうちをみつけなくちゃ!」


 そうしてあたらしいおうちを探して森の中をさすらっているうちに、見覚えがある風景にたどり着く。遠くに見えるあかりは、ずっとまえのおうちのあかりかもしれない――そこで姉はギョッとする言葉を発する。「わたしたちが探しているのは、あたらしいおうち。ずっとまえのおうちじゃなくて。だから、だから、火を放とう、ずっとまえのおうちに」。こうして二人はいよいよ帰る場所を喪失して、あたらしいおうちを探して歩き続けることになる。

 白い衣装も相まって、二人の姿は信徒のようでもある。その姿を見て浮かんできたのは、ディアスポラという言葉だ。帰るべき場所を失って離散して、1000年、2000年というレベルで“あたらしいおうち”を探して歩いている人たちがいる。もちろんディアスポラほど大きな例を持ち出さなくたって、帰るべき場所を失って、ヒカリを探して歩き続けている人たちは大勢いる。そんなことを、二人の姿から連想した。

 「それでいうと、今回の京都滞在で一生懸命読んでたのは『漂流教室』と『14歳』で、こどもたちが宇宙空間みたいなところを彷徨っちゃうんですよね。『カタチノチガウ』の中でも、『未来にのこされるこどもたち』ってことを言うわけだけど、『0-1-2』があることでその響きが全然変わったと思うんです。ただ、『カタチノチガウ』をやった1日目はすごく感動したんだけど、昨日は気持ち悪くなっちゃって。っていうのも、昨日はお昼に『カタチノチガウ』をやって、そのあと夜に『0-1-2』って順番だったけど、これは絶望しかないなって思ったんです。

 『カタチノチガウ』のラストで、青柳さんが『未来にのこされる、こどもたち。カタチノチガウ、こどもたち。わたしや、わたしたちが見ることのできなかったヒカリを、ヒカリを、ヒカリを、ヒカリを、あなたたちは、あなたたちは』ってことを言って、そのあとで飛び降りるところで終わるわけですよね。それで終わっていいはずなのに、そのあとに『0-1-2』を観ていると、のこされたこどもたちの顛末を見せられているような気がしていて。そのこどもたちは、目が見えなくなっているわ、取り残されて変な商売をさせられてるわ、しかも市子っていうこどもとゆりりってこどもは実はアウトしちゃってるわけじゃないですか。そこは絶望しかないなと思ったんだけど、あのしつこさは新しいなと思った。

 それこそ『破裂音の朝』じゃないですけど、何万年のことをやっているような感じがしたんです。青柳さんから生まれたこどもが大きくなって、その時代は戦争で、そこで捨てられたり、商売させられたりしていたこどもが大人になって、またこどもを産む――そういうすごい長い時間を見せられてる感じがあったんです。曼荼羅じゃないけど、すごく大きな設計図がボンと置かれている感じがアツかった。これはまたどこかに到達するための途中段階なんだろうなってことは、すごい考えてますけど」

 藤田さんから曼荼羅という言葉が出てきたのは少し意外にも感じたし、必然であるようにも感じた。大きな時間を想定しつつ、人が生きて死んでゆくということのイメージを膨らませれば膨らませるほど、それはどこか宗教に近づいてくる。宗教と言って言葉が悪ければ、死生観や倫理には立ち入らざるをえなくなる。実際、『カタチノチガウ』という作品が初演されたとき、藤田さんは「作品を作るってことは、ある意味では、僕の考えっていう意味での宗教だ」ということと、「そこで倫理観みたいなところに踏み込むにはバランスが必要だと思う」ということを口にしていた。そのバランスについては、今どう考えているのだろう?

 「それがなんかね、自分自身まだわかってないんだけど、うまくなってきてるんですよね。それが怖いんだけど、昔はもうちょっと衝突がありながらある言葉を捻出してたと思うんです。でも今は、その場で思い浮かんだ言葉とかじゃなくて、ずっと考えてきた言葉を書いてたりもするんです。自分が考えてきた言葉が反映されてるから、疑いがなくなってるのかもしれなくて。ただ、さっきも言ったように、『これはこうだから』っていうことを説明することで、自分の言葉を言ってもらう人たちに洗脳をしたくなくなってきてはいるんです。ただ、僕のオファーを断ってないってことはたぶんそうだろうって思うことはあるんですよ。たとえば青柳さんが政治に対してどう思っているのかわからないけど、でも『この台詞をいうんだったら、自民党には入れてないだろう』とか、そういうことはある。そういう意味では、昔ほど言葉で確認しなくていいゾーンが増えてきたっていうこともあるんですよね。

 これは寺山さんや野田秀樹さんのテキストを上演したり、川上未映子さんのテキストで上演をしたってことが大きいと思うんだけど、気持ちのいい演劇が何かってことを考えると、僕のことをすごいと思わせないことだと思うんですよね。今、僕は僕自身を消したくて、たしかに僕の作品ではあるんだけど、作品を作った人ってことで偉くなりたくないんです。僕は作品の一部でしかなくて、これを作った人が男子なのか女子なのかわからないまま帰っていく人がいてもいいと思ってるし、どんどん裏方にまわっていきたいなって気持ちがあるんです。数年前の僕だったら、たとえば市子の音楽のBPMを上げるように演出を施したり、僕の小気味いい感じを入れようとしてたかもしれないんだけど、今回は市子と青柳さんの自然発生的な間合いでいいと思ったんです」

 話を聞いていたところに「スイカ割り、やります」と声がかかり、そこでインタビューを切り上げることになった。講堂と校舎のあいだの場所に、スイカが置かれている。目隠しをしてスイカを割ることになったのは、『A-S』という作品に出演していた今井菜江さんだ。なんて夏らしい風景なのだろう。今井さんに「もうちょっと右!」「もっと前!」と支持を出している皆の姿を眺めながら、さきほどの藤田さんの「どんどん裏方にまわっていきたい」という言葉を思い出していた。この中に、まだ話を聞けていない人が二人いる。その二人というのは、青葉市子さんと青柳いづみさんだ。

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