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日記

2017-04-10

『月刊ドライブイン』(vol.01)編集後記


 春という季節がやってくると、何があるわけでもないのに少し浮かれた気持ちになってしまう。それと同時に、かつて自分がこの季節に感じていたことを思い出すことがある。

 僕が入学した大学にはSという教授がいた。S教授がいたからその大学を選んだのだけれど、入学した翌月には体調不良で講義は休講となり、半年後にS教授は帰らぬ人になってしまった。だから講義を受けたのもほんの数回だけなのだが、鮮明に覚えている話がある。講義の最後に、S教授はこう語った。

「皆さんは、たとえば日本の近代ということについて語りたいと思うかもしれないけれど、それは一つ一つの積み重ねの上にしか語ることはできないんです」。その頃の僕は今より若く、たとえば日本の近代というようなことを――つまりは大掴みなことを――語りたいと思っていたので、その話が余計に記憶に残っているのだろう。あの頃はその言葉を理解できなかったけれど、今の僕には、S教授の言っていたことがよくわかる。

 最初にドライブインを巡る旅に出たのは二〇一一年の夏のことだ。それからもずっとドライブインのことは頭の片隅にあった。それは、ドライブイン一軒一軒に対する関心ももちろんあるけれど、ドライブインについて考えることで、たとえば日本の戦後の姿(のようなもの)が浮かび上がってくるのではないかと思ったのだ。戦後という時間も七〇年以上が経ち、それをひとくくりに語るだけのリアリティを僕は持っていない。でも、街道沿いに残るドライブイン一軒一軒の物語を拾い集めることで浮かび上がってくる風景があるのではないかと思ったのだ。

 だからドライブインについてはいつか一冊にまとめたいと思っていた。思っているうちに六年が過ぎてしまった。その間に閉店してしまったドライブインは何軒もある。これ以上待っていたら、いよいよ記録できなくなるかもしれない。そんな焦りもあって、『月刊ドライブイン』という雑誌を立ち上げることにした。雑誌と言っても、書いているのは僕ひとりで、あまり雑誌的なものではないと思う。これはいつか一冊にまとめるための暫定的な記録であり、表紙も極力シンプルなものにした。雑誌としてスタートさせたからには、少なくとも十号までは続けたいと思っている。

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『月刊ドライブイン』(vol.01)
2017年04月10日発行 44頁 A5判

【価格】500円(税込)
【取扱書店】池袋古書往来座 中野・タコシェ 荻窪・Title
吉祥寺・百年 下北沢古書ビビビ 下北沢B&B 倉敷蟲文庫

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2017-01-21

まさか『ジャニーズ・オールスターズ・アイランド』を観てここまで考えさせられることになるとは思わなかった


 お堀沿いの道を、強風に背中を押され歩く。日比谷界隈はいつ歩いても背筋がピンとなる。東京会館は工事中らしく、ぽっかり空き地になっている。大手町から10分ほど歩いたところで、帝国劇場にたどり着く。大手町から銀座方面に歩くとき、この帝劇前に女性がたむろしている様子を何度も目にし、そのあいだを抜けるように歩いてきた。しかし、今日は僕もこの劇場に用があるのだ。

 帝劇ビルの地下2階は食堂街になっていた。「しなの路」という蕎麦屋に入り、まずは瓶ビールを注文する。昼は基本的に食事しか出していないようだが、簡単なツマミなら出せると言ってもらえたので、板わさを注文した。休日だからだろうか、今日は空いている。知人は鶏天そばを、僕は天せいろを注文し、熱燗を追加で注文する。観劇前にこうしてゆるりと飲めるのは何と贅沢なことだろう。他の劇場にもこんな空間があればいいのにと思ってしまう。段々楽しくなってきて、楽しみだなあと呟く。向かいに座っていた知人は、「楽しむとかじゃないから」と毅然とした口調で言う。「基本的にわけわかんないからね。そのわけのわかんなさを堪能する舞台だから」と。
 
 帝国劇場で上演されているのは、『ジャニーズ・オールスターズ・アイランド』という作品だ。ジャニー喜多川が作・構成・演出を務める舞台である。僕は、一緒に暮らす知人――彼女は関ジャニ∞ファンである――の影響で、少しずつジャニーズの出演するテレビ番組を観る機会が増えた。CDも聴くようになったし、彼らが表紙を飾る雑誌を自分で買ってきてインタビューを読むようにもなった。そうして自分の中で考えを巡らせるにつれて、一つの疑問が浮かんできた。彼らに光を見出したジャニー喜多川という人は今、何を見据えているのだろうかということだ。

 ある晩、酔っ払った僕が知人にそんな疑問をぶつけると、彼女は「それは舞台だよ」と言った。「帝劇でずっとやってる舞台があって、それはもう、完全にジャニーさんの世界だから」と。そこで僕は、ファンクラブに所属している知人にお願いし、帝国劇場で上演される舞台の抽選に申し込んでもらった。チケットは無事当選した。そんなわけで、まだコンサートには行ったこともないとけれど、知人と一緒に『ジャニーズ・オールスターズ・アイランド』という舞台を観にきたというわけである。

 12時、開演時刻ぴったりに舞台の幕は上がった。舞台上に無数のジャニーズJr.が登場する。そこで繰り広げられる物語を見つめながら、知人の「基本的に、わけわかんないからね」という言葉を反芻していた。というのは、そこで描かれる世界は「わけわかんない」どころか、痛いほどに伝わってくるものがあったからだ。そこにははっきりとしたメッセージが込められていたのである。

 舞台の序盤は、たしかにわけのわからなさもあった。舞台の背景にあるスクリーンには古代ギリシャの神殿ふうの建物が映し出され、舞台上には巨大なモニュメントが二体置かれている。一つは掌に地球を置く女性の像であり、一つは首の上に地球を抱えた男性の像だ。二体の像は舞台上を何度か移動するのだが、舞台上の出演者がその像と接触してしまい、像は舞台上で崩れ落ちてしまう。理想の世界に裂け目が生まれてしまったのだ。こんな悲しみしかない世界で生きていかなければならないのかと問いただす出演者に、プロデューサー(役の男性)は「ショウ・マスト・ゴー・オン」と告げる。そこから物語は展開を見せてゆく。

 理想の世界が破綻してしまった舞台上には、さきほどの古代ギリシャの世界とは打って変わり、現代ふうのビル街が映し出されている。そのビル街が崩れる中を、出演者が駆け抜けてゆく。現代の風景が崩れ去ると、出演者の「もっと歴史を知りたい」という台詞をきっかけに、舞台上に過去の日本が立ち現れることになる。

「この国は、昔から災害に悩まされてきた。そんな島国なのに、争いが繰り返されてきた」。その最大の悲劇として語られるのが第二次世界大戦だ。僕は『ジャニーズ・オールスターズ・アイランド』という舞台において戦争に触れられることがあるとは予想していなかったので、この展開に驚く。印象的だったのはその歴史認識だ(といって、「この歴史認識は間違っている!」などと言いたいのではないので、しばらく読み進めて欲しい)。「1日で100万人もの人が死んだ」と舞台上の誰かが語る。僕がこの展開に動揺して聞き間違えてしまっただけかもしれないけれど、そう言ったような気がする。太平洋戦争において100万人もの人が亡くなった日というのはあっただろうか。東京大空襲の死者は10万人だが、被災者は100万人だから、僕が「100万人もの人が被害を受けた」と言ったのを聞き間違えたのかもしれない(第二部はノートとペンを手に観ていたのだが、第一部からその体勢で観るべきだった)。

 不思議な点は他にもある。たとえば、日本兵とおぼしき集団の掛け声はなぜか英語である。あるいは、空襲で倒れた男性に、女の子が「お兄ちゃん!」と駆け寄る場面がある。そこで兄は妹に「たくさんの人が死ぬ、これが戦争だ」と語りかける。空襲というものをもちろん経験したことのない僕には知るべくもないことだけれども、実際の空襲の最中にこんな言葉を語る人がいただろうかと考えてしまう。しかし、ここで重要なのはそんなことではなく、この舞台がジャニー喜多川によって――和歌山で空襲を経験したジャニー喜多川によって――書かれたものだということだ。和歌山大空襲のとき、今で言えば中学2年生だったはずだ。軍国少年として生きるほど幼くはなかった彼にとって、「たくさんの人が死ぬ、これが戦争だ」というのは偽らざる気持ちであるのだろう。何より、あれから70年以上経った今、ジャニーズJr.を中心とする舞台を観にきた人たちに向けて伝えたい言葉はそれ以外にないのかもしれない。

 もう一つ、歴史認識ということで驚いたのは、そのダイナミックさだ。「この国は昔から災害に悩まされてきた」と切り出したあと、その具体例として語られるのは雲仙・普賢岳噴火と阪神大震災だ。それに続けて、出演者は「そんな島国なのに、争いが繰り返されてきた」と語る。そこで名前があげられるのは源平の合戦や応仁の乱であり、一気に歴史の時間軸を遡ることになる。このダイナミックな展開を観ているあいだ、僕はジャニー喜多川ロサンゼルスで生まれた移民二世であるということを思い出していた。そして、舞台の後半は「移民」を一つのキーワードとして観ることができる。

 65分ほどで第一部が終了し、休憩時間となった。ロビーには舞台写真が貼り出されており、それを買い求める人たちの行列はあっという間に膨らんでいく。女子トイレにも長い列が出来ていた。休憩時間はたっぷり30分用意されているので、僕は喫茶室に入ることにした。劇場内に喫茶室があるなんて何て素晴らしいのだろう。他に売店やコーヒースタンドもある。僕は赤ワインを飲みながら、第一部のことを反芻して、ノートにメモした。そのストーリーはある程度把握しながら観ていたつもりでいたけれど、第一部の最後に登場する「宇宙へ行ってらっしゃい」という台詞で、僕の頭はすっかり混乱していた。そう、『ジャニーズ・オールスターズ・アイランド』は、歴史の光と影、その両面に触れながら、出演者たちが宇宙を目指す物語だったのである。

 この“宇宙”にはいくつかのものが重ねられているように感じられる。一つは多くの日本人が目指したアメリカという国だ。

 ある惑星にたどり着いた彼らは、プロデューサーの父に出会う。彼もまた、何年も前に宇宙を目指して地球を飛び出したのである。そこで彼は「あの頃は宇宙に未来があると信じていた」と語る。大勢の人たちが未来を探して宇宙へ飛び出したが、見つけることはできず、ここには悲劇の過去が眠っているだけだと。「あの氷の壁をのぞいてみなさい」――そうして指し示した先には、まるで氷に閉じ込められたかのようにして人が吊るされている。そこに眠っていたのはタイタニック号だ。しかし、ここで焦点が当てられるのは豪華客船の一等船室で過ごす人たちではなく、三頭船室で過ごしているのであろう若者たちだ。彼らは「ニューヨークに着いたら俺たちの暮らしだって変わる」「絶対に掴んでやろうな、アメリカンドリームってやつを」と語り合っている。

 日本人もまた、アメリカンドリームを抱いてアメリカを目指した。その歴史は古く、明治2年には会津藩若者たちアメリカへと渡っている。船でアメリカを目指した彼らがたどり着いたのは当然西海岸であり、サンフランシスコに暮らしたのだという。サンフランシスコロサンゼルスには日本人街が形成されてゆくことになるのだが、ジャニー喜多川が生まれたのもロサンゼルスだ。あるいは、国や企業の斡旋でハワイへと移住した日本人も大勢いる。戦争によって状況は一変し、終戦後も日本人の海外渡航は制限されることになる。1961年にはサントリーが「トリスを飲んで、ハワイへ行こう!!」というキャンペーンを行なっているけれど、当選者はすぐにハワイに行けるわけではなかった。景品はあくまでハワイ旅行の積立預金証書であり、海外旅行が自由化されたのは東京オリンピックの1964年のことだ。

 日本人にとって“遠いアメリカ”はあこがれの的だったはずだ。常盤新平の『遠いアメリカ』に描かれるのは昭和30年代の姿だが、主人公の重吉は、アメリカのミステリー小説に登場する「ハンバーガー」という言葉がわからなかった。ハンバーグならわかるけれど、ハンバーガーとは一体何かわからないというのだ。日本にマクドナルド1号店がオープンするのは1971年のことであり、重吉が疑問を抱いてから10年以上あとのことだ。海外旅行が自由化されてからも、海外旅行はまだ高嶺の花であり、アメリカ文化を紹介する『ポパイ』という雑誌が創刊直後に持っていた輝きも、アメリカが遠かったからこそだろう。それが今や気軽に海外に出かけられる時代となり、情報もすぐに手に入れることができるようになった。その一方で「ニューヨークに行きたいか!」という言葉に若者が興奮した時代は遠いものになりつつある。

 本場を目指す障壁はなくなった。しかし、あこがれの地に立ってみると、そこにも日本と変わらぬ現実があるだけだ。戦前であれば特に、ハワイ移民は過酷な労働に悩まされ、西海岸に移民した人々も日本人排斥の動きに悩まされることになる(太平洋戦争においてジャニー喜多川は強制収容所に入れられ、日本に送還されているはずだ)。こうした歴史は、舞台に登場するひとりの老人の姿に重ねることができる。日系移民や戦後日本の歩みを考えると、「大勢の人たちが未来を探して宇宙へ飛び出したが、見つけることはできなかった」という言葉には重みがある。

 宇宙には何もない――それに気づいた若者たちは、老人の「さあ行け、地球へ」という言葉に背中を押されて再び地球に還ることになる。この展開もまた、ジャニー喜多川の歩みと重ねることができる。

 舞台の終盤、活気溢れるショウビジネスの世界において、その中心はアメリカだと塚田君が語り始める。そうしてジャニーズ事務所の人々と海外のトップスターとの関わりが語られてゆくのだが、その締めくくりとして紹介されるチャールズ・ストラウスの言葉が象徴的だ。チャールズ・ストラウスの言葉というのは、「君たちが輝く場所はアメリカではない、それは東京だ」というものだ。アメリカという本場のエンターテイメントに触れたジャニー喜多川は、アメリカ(宇宙)でエンターテイメントに携わることではなく、東京地球)に帰還して日本のエンターテイメントを切り拓いてゆく道を選んだ。その意味では、『ジャニーズ・オールスターズ・アイランド』という作品が地球に帰還して幕を閉じるという展開はとても腑に落ちる。あるいは、「私はここで死を待とう。お前たちは未来を生きろ」と語って退場していく老人の言葉は、ある種の遺言であるようにも受け取れる。

 だが、この「宇宙」というものに別のものを重ねると、この展開にどうしても不満が残る。舞台の中で、老人が「宇宙は不思議なところだ。ありもしないものが目の前に現れることがある」と語る場面がある。その意味において、ここで「宇宙」という言葉には舞台というフィクションの世界そのもの(あるいはファンタジーというもの)が重ねられているようにも読み取れる。

 「さあ行け、地球へ」。老人のその言葉に誰より食い下がり、「俺をこの世界に導いてくれたのはあなただ、教えてくれ、この先どうすればいいのかを」と語るのは佐藤勝利だ。周りの仲間たちは「それは自分自身で考えなきゃいけないことだろ」と声をかけ、慰めようとするが、「じゃあお前ら、俺の苦しみがわかんのかよ!」と勝利は反発する。「こんなところで負けるわけにはいかないんだ、勝利って名前をつけてくれた父さんのためにも負けるわけにはいかないんだよ」と。彼にその名前をつけてくれた父親は、亡くなってしまったのだという。これは舞台上の設定ではなく、彼は本当に昨年父を亡くしたそうだ。この展開は、舞台上でフィクションの世界が破れて、現実だけが残ってしまったようにも感じられた。観客としては、もっと“宇宙”の旅を見続けていたいという気持ちになる。なぜなら、この舞台にはファンタジーの持つ力が込められていると感じたからだ。

 印象的な場面がある。それは日本の歴史を模した場面だ。登場人物たちが日本の伝統に触れてゆく場面で、彼らは一列に並んで太鼓を叩く。それに続く、日本が戦争に突入した時代を描いた場面では、銃のようなものを手にした若者たちが列をなしてキビキビ歩いていく。太鼓の場面も戦争の場面も、いずれにしても若者たちは直線的に動く。このスクエアな動きを観たとき、ジャニーズのグループがローラースケートで自由自在に動き回ったり、重力を超えて――それこそ宇宙にいるかのように――空中を飛び回ったりする理由がわかったような気がした。若者たちの身体は規律に押し込められるべきものではなく、もっと自由に飛び回るためにあるはずだというジャニー喜多川の願いのようなものをそこに感じたのだ。その意味では、この『ジャニーズ・オールスターズ・アイランド』という舞台には、ジャニーズの存在理由が込められているとも言える。

 舞台のラストに、塚田君(だったか記憶が定かではない)がこんなことを口にする。「この地球のどこかで毎日、戦争やテロが起こり、尊い多くの命が奪われています。我々と年の変わらない子供が、争いに巻き込まれています」。ここで唐突にこの語りが挿入されることにもまた、ジャニー喜多川の願いを感じる。子供たちが怯えて暮らし、時に死の危険にも晒される世界ではなく、楽しくはしゃいでいる姿を眺めていられる世界であるべきだ――その願いには、ジャニー喜多川少年自身が空襲の恐怖に晒されながら生きていたのだということも含められているのだろう。

 ここまで、やたらと筋にばかり注目して書き連ねてきてしまったけれど、ジャニーズJr.の子たちが歌って踊るのを愛でるシーンも多々ある。それはまさに平和であることの象徴であり、「少年たちを危険に晒すのではなく、こうして愛でていたい」という気持ちは、平和を支えるものであるのかもしれないとさえ思った。この舞台では何度か東京オリンピックにも触れられるけれど、その意味において、ジャニー喜多川こそが東京オリンピックの開幕式にふさわしいのではないか。少なくともこの舞台において立ち現れているのは戦後日本が築いた平和の一つの形だ。(もちろんジャニーズJr.だって相当鍛えられているのはわかるけれども)スポ根的に過剰に訓練された身体として舞台にあるのではなく、まるで放課後の風景を眺めているかのようなあの世界は、かけがえのない風景だと僕は思った。

 終演後に酒場まで歩きながら、僕は知人にそんなことを話し続けた。「途中に出てくるヒンデンブルグ号とタイタニック号の話は毎回出てくる」と知人が言うのを聞いて、改めてそこに込められたメッセージの強さを感じる。そして、こうして歩いている日比谷界隈というのがまさにGHQの本部が置かれた場所であり、アメリカ文化がいち早く花開いた場所であるということに思いを馳せる。もしかしたら既にどこかでまとめて語られているのかもしれないけれど、ジャニーさんの語る昭和史というものを読んでみたいと思った。ジャニーさんは戦後の日本を、アメリカをどう観ていたのだろう?

2016-12-20

 8時に起きると、トルコではロシア大使が射殺され、オーストリアでは銃撃戦が起こり、ドイツではクリスマスマーケットにトラックが突っ込んだと報じられている。世界がまた大変なことになってしまった。動揺しつつも、洗濯機をまわす。最近洗濯物が多くて、干すのに苦労している。数えてみると、知人は上下の下着にタイツを履き、タンクトップみたいなやつを着て、さらにヒートテックの長袖を重ね、その上にトップスを身にまとっている。どうしてこんなに着込むのか、腹が冷えるなら腹巻を買えばいいじゃないかと伝えると、ネット通販で本当に腹巻を注文していたのだけれども、在庫がないと返事があったらしく、洗濯物は多いままだ。昼、マルちゃん正麺(醤油)を食べたのち、ひたすらテープ起こしをして過ごす。

 20時半、東京芸術劇場へ。1階にあるカフェに入り、ビールをチビチビ飲む。ほどなくしてプレイハウスのある2階から観客が降りてくる。今日は19時からの公演を観ていたAさんと、ゆるやかに待ち合わせをしていたのだ。どうしてもAさんと話しておきたいことがあり、先日、今度会って話せませんかとLINEを送っていたのだ。ただ、LINEを送ったときは酔っ払っていたから思いきれたものの、それを伝えるのがいいことなのか、そもそも時間を割いてもらうほどのことなのかとマゴマゴした気持ちになり、「もし都合がつけばでいいので……」と控えめに連絡し直していた。21時過ぎにAさんから連絡があり、駅の近くで落ち合って「PRONT」へ。Aさんは紅茶とケーキを、僕はビールとポテトサラダを注文する。

 Aさんと話したいと思ったのは、Aさんの出演する『R』という作品を観たからだった(会って話をするのがいいのかどうか迷ったのは、その作品がまだ公演中だからというのもある。今日は休演日とはいえ、公演期間中の人に付き合ってもらうのもやや申し訳なかった)。ただ、どうしても2016年のうちに話して起きたかったのだ。

 『R』という作品を観たときに思い出したのは、彼女が出演する『T』という作品のことだった(固有名詞を伏せる必要はないのだけれど、検索してたどり着いたときにここだけ切り取られると困るし、文脈が通じる人には伏せ字でもすぐにわかるだろうし、もっと言えば固有名詞が重要なわけではないのだ)。僕は『T』という作品を何度となく観ている。何度となく観ているというよりも、上演されたほとんどすべての回を観ていると言ったほうが正しいだろう。だから僕は、『T』という作品に対しては、他の作品を観るのとは違う次元で考えてしまっている。だから『R』を観ているときにも『T』のことを思い浮かべてしまっていた。何か通底するものを感じてしまったのだ。

 『T』という作品には、3つの時間が登場する。一つは彼らが中学生だった2001年であり、一つはそれから10年経った2011年であり、もう一つはその作品が上演される年(2013年の上演では2013年、2014年の上演であれば2014年という時間のことが最後に語られる)。彼らが中学生だった2001年、テレビでは飛行機にビルが突っ込む映像が流れており、また彼らの暮らす小さな町では女の子が殺されて用水路に遺棄されるという事件が起きる。そんな世界にあって、登場人物のひとりは家出をし、森の中にテントを張ってキャンプを始める。そのテントの周りに同級生である6人が全員揃っている場面で『T』という作品は始まる。

 どうでもいい話で言えば、『R』という作品にもテントが登場する。ただ、『T』でキャンプ生活を始めるのはその町に暮らす女の子だが、『R』でテント暮らしを始めるのは町を訪ねてきたヨソモノの青年だ。また、『T』という作品はこれまで様々な土地を旅してきた作品であり、「それぞれの土地を訪れ、その土地と別れて次の土地へ行く」ということに対して意識的に取り組んできた。反対に、『R』という作品は、地図から消えた静かな村に暮らす人々の物語だ(そんな村にやってきた若者に彼らがどう対応するかが、この舞台では描かれてゆく)。その意味でも、この二つの作品は対照的だった。その『R』を観て、ここ数日、改めて『T』という作品のことを思い返していたのだ。

 「今っていうのは春で、そして、朝なんだけど。春といえば、出会いと別れの季節、らしい」。そんな台詞で『T』という作品は始まる。しかし、「今」という台詞で始まりながらも、この作品は過去を振り返り、記憶を巡り続ける構造になっている。その作品と一緒に旅をしていたせいか、僕自身、過去にばかり気をとられていて、「今」という時間への意識が足りていなかったのではないか。そんなふうに思ったのだ。『T』という作品が旅したルートを振り返ってみる。2013年にイタリアを訪れ、2014年にはボスニアからセルビアを通過してイタリアを旅し、2015年にドイツケルンへと至る――このルートに、今になって愕然とする。

 さきほども述べたように、『T』という作品には2011年という時間が登場する。2011年といえば、シリアで騒乱が起きた年だ(そしてそれは震災の4日後、2011年3月15日だ)。内戦が激しさを増したのは2013年のことであり、シリアを離れる人の数が増え始める。シリアからの難民が最初に目指したルートは、エジプトから船に乗り、1週間近くかけて地中海を越えてイタリアを目指すルートだ。それに変化が生じたのは2015年で、メルケル首相が「すべての難民を受け入れる」と表明したことにより、危険な地中海ルートではなく、トルコからギリシャに渡り、そこからセルビアなどを抜けて陸路ドイツを目指すルートに難民が集中するようになる。しかし、2015年の年末にはケルン難民による事件が起こることになる。僕がそれぞれの街を訪れたときには、そこで何かが起こりつつあったのだ。そんなこと、ほとんど考えてこなかった。もちろん演劇作品を観るために、現実世界で起きつつあることをすべて意識しなければならないと言うわけではないし、そうした現実に何か言及しなければならないということでもないけれど、オーストリアで銃撃戦が起き、ドイツのクリスマスマーケットにトラックが突っ込んで、トルコ大使が射殺される、そんなことが一日のうちに起こるような世界で、私たちは何が言えるのだろうかということはどうしたって考えてしまうのだ。

 たとえば、『R』という作品の登場人物は、閉じられた世界に絶望しながら生きている。そんな彼らがもし『T』という作品を観たら何を思うだろう――そんなふうな話をすると、Aさんは「そっか、そんなことを考えていたんだね」と言った。あるいは、少し前に観たドキュメンタリー番組のことを思い出す。その番組ではイスラム教徒のフランス人の若者が、フランス人によるイスラム過激派組織に潜入し、超小型カメラで撮影したものだ。『R』という作品に登場する人たちの希望のなさは、その組織に所属する若者たちとも通底するように思える。フランスに移民してきたイスラム教徒の家に生まれた彼らは、フランス社会に希望を見出すことができず、「テロを起こせば楽園に行ける」と真剣に語り、「長く生きて目的を見失うのが怖いんだ」とも述べる。その背景に過激な信仰があるか否かという違いはあるけれど、日本でも「死刑になりたかった」と言って殺人を犯した人がいるのだ。

 「その考え、すごいやだ」とAさんは言う。Aさんがそう言っているのを耳にすると、妙に安心した気持ちになった。「でもさ、『T』っていうのは怖い作品でもあるよね」とAさんは続ける。純粋に作品だけ観れば子どもが大人になって町に帰ってきて、昔のことを思い返す――話としてはそれだけなんだけど、どこまでもやれちゃいそうな作品でもある、と。そう、物語で語られるのは、ごく小さな話だけなのだ。しかし、その小さな物語には、いろんな世界を重ねることもできる。実際、『T』という作品で初めて海外を訪れたときから、演劇作家のFさんは「この作品で旅をする意味がなくなったら、この作品を終わらせる」と語っていた。だからこそ余計に、この作品が今、こんな時代に何か言えるだろうかということを考えてしまうのだ。他の作品は「これまで出会ってこなかった人に観てもらう」というだけでも旅をする意味があると思うけれど、この作品だけは少し異質だと感じてしまう。

 この僕の意見にはAさんも同意してくれた。そして「やっぱし、緊張するね。橋本さんに観てもらうのは」と言った。Aさんとは『T』という作品の話だけでなく、今年の秋に僕がパリに出かけたときの話もした。僕がパリを訪れたのは、既に日本で上演された或る作品が、パリで上演されるかもしれないという話を聞いたからだった。その作品に対しても僕は思い入れが深く、もしパリで上演されることがあるのなら観に行きたいと思っている。パリという街を一度訪れたことがある――それこそ2014年の『T』という作品のツアーが終わったあと、皆と別れてパリを目指したのだ――けれど、パリで上演されるかもしれないその作品とパリの街はどこか相通じるものがあると僕は感じている。しかし、その何かについて知るにはパリに対する知識が足りず、その下調べも兼ねて今年の秋にパリを訪れてたのだ。

「橋本さんのそういうところって、でも、すごい橋本さんだよね」とAさんは言う。
「やっぱり、観ている以上、こっちはこっちで考えないと」と返す。
「それって何のためなんだろう。自分のためなのかな?」
「自分のためだとは思ってないですけどね」
「でも、誰かのためではないよね」
「誰かのためではないですけど、何なんでしょうね」

 でも、「何のためなんだろう」という疑問は、役者という仕事をする人に常々感じていることだ。どうして役を演じて人前で披露するのかということは、「それをやっていくと決めたから」ということがあるにしても、自分が満足するためではないだろう(そういう役者もいるだろうけれど)。

 ところで、僕にとってAさんは怖い存在だ。2014年に『T』という作品で一緒にイタリアを旅しているうちに、一度怖さを感じなくなったけれど、今はまた怖いと感じるようになった。その怖さが何かと言えば、以前書いたバターケーキの話に尽きる。僕はずっと、「もっと何かがあるんじゃないか」ということを欲し続けて生きている。もっとすごいことがあるんじゃないかと思い続けている(『T』という作品を置い続けているのもその一つかもしれない)。でも、普通の人はちゃんと自分の人生を生きている。僕はそれを投げ打って、もう満腹なのに「もっと美味しいものが食べたい」と駄々をこねている。そんなことを欲し続けたって、いつか死ぬのはわかっているのに。僕は死ぬ直前になってようやく、自分は何一つ地に足が付いていなかったと気づくだろう。でも、Aさんが死ぬ直前に食べたいというバターケーキは、ちゃんと地に足がついている。そこに「かなわない」と感じてしまう。

 そんなことを言うと、「橋本さんが死ぬ前に食べたいってものは高級なだけで、そんなに思いは変わらないんじゃないかな」とAさんは言ってくれる。でも、僕が死ぬ前に食べたいと思っているものは、これまでの人生で格別にうまいと感じた食べ物だ。それは僕の生活の中にある食べ物ではなく、旅先で食したものばかりだ。だからきっと、これからさらにうまいものを食べることがあれば、それを「死ぬ前に食べたいもの」に選ぶだろう。でも、Aさんにとってのバターケーキは彼女の記憶とともにあり、生活の中にある、もっと確かなものだ。それがうらやましくもあるし、かなわないとも思うし、怖くもあるのだ。

 「でも、私と橋本さんはなんか近い気がするって思ってるんだけど。似てるって思ってるんだけど。何に対して似てると思ってるのか、自分でもわからないけど、なんかわかってくれる気がして。ただの勘違いかもしれないけど、わかってくれる気がするんです」。そういって、Aさんは二つのエピソードを話してくれた。その二つのエピソードは、他では誰にも話したことがないものだという。そのエピソードに対してAさんが抱いた気持ちというのは、とてもAさんらしいものだという感触があった。「これをね、頭で理解してくれる人はいると思うんだけど、わかってくれる人って絶対多くなくて。そういう寂しさみたいなところが似てるんじゃないかと思ってる。それを橋本さんはわかってくれる気がするんだけど、どう?」

 わかる、と答えるのには違和感があった。それは、Aさんの語ったエピソードが、感情が、理解できないからではなく、むしろよくわかる感覚だったからだ。その感覚を、「わかる」という言葉で捉えることに違和感があった。それを「わかる」という言葉で答えるのでは、Aさんの言った話を受け止めきれないと言う気がした。それこそ「頭で理解する」ことになってしまうという気がしたのだ。けれど他にふさわしい言葉も見つからず、「わかる」と僕は答えた。Aさんの語った感覚は、僕の中のどこか深い場所に横たわっているものだ。

2016-12-19

 7時過ぎに起きて、録画したNHKアーカイブス『湯を楽しむ 日本人と温泉文化』観る。最初に紹介される1964年放送の「日本の伝統 湯」では、湯が信仰の対象ともなってきたことが紹介される。山形の湯殿山神社には本殿や拝殿はなく、大きな岩とそこに湧き出る湯がご神体となっている。「岩のあいだから湧き出る湯が、何か神秘なものと写り、そして、髪が形をかえたものとして信仰の対象とさえなったのである」のだとナレーションで語られる。同じく山形今神温泉では、入浴するときはまず、湯船の正面に祀られた今熊野三社大権現に神の湯を汚さないことを誓う。そして湯に入ると終始手を合わせて真剣に祈りを捧げる。その姿に驚く。湯というのは信仰の対象であったのか。僕が小さい頃は「風呂の神様に休んでもらう」と言って元日は風呂に入れなくて不満に思っていたことを思い出したが、あれも湯に対する信仰だったのだろうか。

 後半に紹介されるのは「新日本紀行 道中 那須の湯けむり」(1979)という番組だ。那須の農村に暮らすおばあさん二人組が、農作業の疲れを癒すべく湯治に出かける様子に密着しているのだが、こちらで驚いたのは温泉宿で自炊していること。温泉自炊というイメージが、僕の中では結びつかなかった。しかも、このおばあさんたちが本当によくしゃべる。カメラが入っているということを差し引いても、かなりしゃべっているほうだろう。廊下ですれ違った人と「こんばんは」「こんばんは。風呂へ入りましたか」「ええ、とってもいい湯ですよ」「はいはい私も行きますよ」と言葉を交わしてすれ違うと、部屋に入る。「ええお邪魔します」。そこにいたのは知らない人たちだ。「はい、どうぞ」「はいどうも、はいどうも」と挨拶を交わすと、「お姉さんも少し」と酒を注がれ、「はいいただきます」「いや、こんなに」と、無音になると爆発してしまうのかというほどひたすらしゃべりっぱなしなのだ。田舎の人は科目でシャイだというイメージがあるが――他ならぬ田舎の農村出身の僕でさえそういうイメージがある――そんなイメージは嘘っぱちだったのだと思い知らされる。

 も一つ驚いたのは、今も書いたように、見ず知らずの人の部屋にも上がり込んでいること。ある温泉宿で、片方のおばあさんの姿が見えなくなった。もう一人のおばあさんは彼女を探して歩くのだが、他の客間を遠慮なしに開けて探してゆく。すると、ある部屋にその姿を見つける。それは茨城養豚場の男性数人の部屋で、彼らと一緒に豚肉を食べていたのだ。今の日本人とはずいぶん感覚が違っているけれど、これがたった37年前の話だということに驚かされる。温泉や銭湯というのは湯をシェアする場所だけれど、湯にかぎらず、いろんな時間を共に過ごしている。さきほどの「日本の伝統 湯」で紹介されていた、昔の人は自分の家で風呂に入るのでなく、近所で湯を立てた家があるとそこで湯に浸からせてもらいにいくのだという話も印象的だったけれど、この「シェアする」という感覚を取り戻せば、日本はもう少し気楽に過ごせるようになるだろう。しかし、その感覚を巻き戻すのはかなり大変だという感じがする。

 昼、麻婆豆腐丼を食す。コーヒーを飲みつつ年末年始の予定を立て、電車の切符と宿を手配する。テレビでは録画しておいた『THE MANZAI』観る。この番組のCMではビートたけしが「おぬし!」という姿が使われていたけれど、千鳥の「おぬし」ネタ、たしかにこれまでで一番面白かった。夜は門前仲町に出かけた。18時、『S!』誌収録。年内最後の収録だ。最初のうちは他に客もおらず静かだったが、ほどなくして団体客が入ってきて騒がしくなる。どこかの会社の忘年会だろう。女将さんとおぼしき女性が団体客にやたら丁寧に接客する姿に、Tさんは「ここは駄目な店だね」とぽつり。「客を差別する」。たしかに、常連客を手厚くもてなすのが悪いとは言わないけれど、他の客の目の前でやるべき振る舞いではないだろう。店員さんが鍋の支度をし、さらに取り皿に取り分けようとしたところで、Tさんは「自分でやるから大丈夫ですよ。俺たちはしゃべるのが仕事だから、(編集部や僕で)食べて」と言う。そわそわした気持ちで鍋を平らげつつ、いつにもまして前のめりで話を伺った。

 2時間弱で収録は終わる。僕はTさんと一緒に神保町に出て、「S」。ハイボールを何杯か飲んだところで、『SMAP×SMAP』が始まる。来週はほぼ総集編になるというから、通常回としては今日がラストだ。ビストロSMAPのゲストはタモリ。それはわかる。しかし、歌のコーナーのゲストが椎名林檎というのはどういうことだろう。番組では「SMAPに楽曲を提供したことのある椎名林檎さんが初登場」と説明されている。しかし、SMAPに楽曲を提供したアーティストはいくらでもいるだろう。その曲の中で、椎名林檎が提供した「華麗なる逆襲」という曲が、どれだけ浸透しているだろう(しかも少しだけ流れたその曲は、SMAPに向けた曲というより椎名林檎の曲にしか聴こえなかった)。

 しかも、SMAPと一緒に歌う曲は「青春の輝き」だ。「東京事変の解散ライブでもアンコールで歌った思い入れたっぷりの曲です」と言うことだが、それが一体何だというのだ。こんなふうに書き連ねていると、よっぽど椎名林檎のことが嫌いなのだと思われるかもしれないが、僕は椎名林檎のことは好きだ(った)。しかし、オリンピックに向けて活動している椎名林檎のことはどうしても好きになれない。番組のスタッフも、どうして椎名林檎をキャスティングしたのだろう。ここでゲストに呼ぶべきは、Mr.ChildrenスピッツGLAY小室哲哉(が手がけたアーティスト)など、共に90年代を彩った誰かであるべきではないのか。「S」を出てからも、勝手に腹立たしい気持ちになって、数駅ぶん歩いて帰った。

2016-12-18

 11時過ぎ、知人と一緒にアパートを出た。まずは新宿へ行き、高野フルーツパーラーを覗く。びっくりするような値段なのですぐに伊勢丹に移動し、種無しぶどうを買った。これから観に行く公演の差し入れだ。買い物を終えると、「王ろじ」でとん丼でも食べるつもりだったのだが大行列、少し迷って「ライオン」に入る。ビールを中ジョッキで頼んで、 国産鶏のチキン唐揚げとポテトとソーセージのガーリック炒めをツマミに飲んだ。1杯だけお代わりをしたところで店を出て、小走りで副都心線に乗り込み、 KAATの大スタジオへ。昨日から『ルーツ』という舞台が上演されている。松井周が脚本を担当し、杉原邦生が演出と美術を担当した舞台だ。快快のこーじさんも、それにあゆみさんやはせぴも出ているということで、差し入れの名義は知人と僕の連名にしてもらった。

 会場に入ると、レディーガガが流れている。「何でガガ様が流れよん」と訊ねてみると、「くにおチョイスやけやろ」と知人は言う。さっきはジャスティン・ティンバーレイクが流れていたとのこと。14時過ぎ、幕が上がる。この作品のあらすじは、こう説明されている。

 山の中にある、鳴瀬という小さな集落に、一人の男がやってくる。その男は古細菌という微生物の研究者で、鳴瀬鉱山という廃鉱を訪ねに来たという。しかし、鳴瀬の住民たちは彼を素直に歓迎するわけにはいかない。何故なら、鳴瀬鉱山では五十年前に鉱毒事件が発生し、住民たちはそれから「地図にない村」の一員としてひっそりと暮らしてきたからだ。研究者の男は、鳴瀬に滞在することを決める。彼は住民たちと生活を共にしながら、鳴瀬の隠された部分にまで足を踏み入れることになる。


 しかし、舞台を観ていると、突然現れた研究者を名乗る男に対して、鳴瀬の住民たちは案外素直に彼を受け入れている。実際の田舎は――というよりも「地図にない村」は――もっと圧倒的なまでに排他的だろう。何より不思議なのは、「地図にない村」に暮らしている人たちが普通に通勤し通学しているということだ。研究者の男は男で、古細菌が目当てでやってきたわりに(まずは住民に馴染まなければ廃鉱に立ち入ることもできないという問題があるのせよ)研究を進めるために手はずを整えると言った様子もなく、のんびり生活しているのが不思議だ。ただ、そんなことは自分が田舎出身だから引っかかってしまう些細なことであり、それによって作品がつまらないということではまったくなかった。

 研究者の男は村に馴染み、祭りにまで参加する。カッパ祭り(という名前だったかは定かではないが)で優勝し、今年の「カッパ男」にも選ばれる。皆がその泳ぎを褒め称えているところで、ある女性が語り出す。「鳴瀬にはカッパの神と熊の神がいるんですけど、ますます熊の神の立場がなくなります。私は昔みたいに、カッパの神と熊の神に仲良くして欲しいから」。村人たちは、研究者の男が今年のカッパ男になったのだから、(去年のカッパ男だった)斎藤という男には熊男をやってもらえばいいのではないかと言う。すると、話を聞いていた老女は「ダメだ」と怒り出す。「熊の神の使いは女って決まってるんだ。カッパ男に熊女、そのあいだに入るのが人神ちゃま、男でも女でもねえよ」――しばらく黙って話を聴いていた研究者は、人神ちゃまはどこにいるのかと尋ねる。女は胸を抑え、「皆のここに宿っているんです」と答える。この“人神ちゃま」というのが物語の鍵を握る存在だ。

 ところでこの作品には、冒頭から一人だけ謎のキャラクターが存在している。真っ赤な服を着た大きなペットボトルを持って歩く男は、たしかに舞台上に存在しているのだけれども、誰からも認識されることなく過ごしている。いや、正確には、研究者の男だけはその男に気づき、「今、誰かいませんでした?」と問いかけるのだが、村人たちは「いや?」と不思議そうに答えるばかりだ。真っ赤な服を着た男は、こんなことを口にする。ああ、眠い。眠いなあ。これは、僕の心の声。だから、誰にも聴こえないはず。僕は、空気だ。空気にも言葉はある。空気にも心がある」。誰にも気づかれることなく、それこそ空気のように過ごしていた男だが、舞台が中盤にさしかかると、ある女性――彼女は鳴瀬生まれではなく、外から逃げ込んできた――が、突如として真っ赤な男に声をかける。彼女はもうこの村を出ていくと決めていて、最後に君のことを見てもいいかと尋ねる。最初のうちはその姿をうまく捉えることができなかったが、段々見えるようになってくる。ずっと誰からも見られないで生きてきて、寂しくないのかと女は訊ねる。鳴瀬で死んで行った人たちと同じだよ、と男は答える。「鳴瀬で死んでった人たちを忘れないように僕がいる。僕は神ちゃまなんだ。神ちゃまは人間じゃない。鳴瀬の象徴で、過去で、未来なんだ」。つまり、赤い服の男こそが「神ちゃま」だったのである。

 研究者の男も、ふとしたことをきっかけに「神ちゃま」の存在に――いや鳴瀬に伝わる「神ちゃま」という風習の実態に――気づくことになる。ある日、生まれたばかりの赤ん坊が行方不明になる。その子は、行方不明になったのではなく、次の「神ちゃま」として育てるために一度さらわれたのだ。そして、しばらく経つと次期「神ちゃま」として帰ってきて、生みの親の子としてではなく、村の子として育てられることになる(しかも、父親は村の男の誰かの子だというのがまたエグさを増す。夜這いという風習も少し思い出す)。村の男は言う。「人間であって人間でない、だから誰からも見えない。そういうことになってるの」と。そんなのは人権侵害だと研究者は反論するが、「そうかもしれないけど、それが普通だからなあ」と言われてしまう。この村の異様さからは、様々なものが想起される。物語の通りに、閉鎖的な田舎の村の姿としてこれを観ることもできる。生まれてまもない子どもが「人間であって人間でない」神として生きることを強いられるということからは、天皇という存在も思い浮かぶ(天皇もまた御簾の向こうにいる、見ることが許されない存在だった)。あるいは、「そういうことになってるの」という因習からは、イスラム世界のことも思い浮かべることができる。ここに描かれているのは日本の村の姿であり、日本という国の姿でもあり、今の世界が抱える困難でもある。

 この作品には何人ものキャラクターが登場しており、いくつかの流れが存在する。ここまで触れてこなかったが、その一つというのは、はせぴ(長谷川洋子)が演じるキャラクターに関するものだ。彼女はおそらくまだ学生だけれども、鳴瀬からの家出を企てている。ある晩、彼氏とおぼしき男と落ち合って話をする。彼女はもう、今すぐ駆け落ちするほどの心づもりでFILAのバッグ(このあたりのアイテムのチョイスが何とも言えない気持ちにさせる)を抱えているのに、男のほうはそこまでの覚悟はまだ持っておらず、「急ぎすぎだよ」と諌めようとする。しかし彼女は譲らず、「急がないと、いつか鳴瀬に飲み込まれそうなんだもん」と言う。それでも男は煮え切らなかった。また別のシーンで、「俺はそうじゃないって前提で聴いて欲しいんだけど」と男は語り出す。「うちの親は古い人間だから、お前が鳴瀬出身だってことを気にしてるんだ」と。その言葉に、彼女は打ち砕かれてしまう。「ともくんに言われたら、それはもう呪いだよ」と。これは観客として忖度すべき話ではないかもしれないけれど、この台詞を言っているはせぴが福島県出身だということも、どうしても考えてしまう。

 こうした世界を突きつけられた観客としては、一体どうやってこの物語に幕を閉じることができるのだろうかと、途中からはずっとそのことを考えていた。すると、研究者の男は、まだ幼い神ちゃまを奪って逃げ出す。村人たちが追いかけていくと、そこに突然熊があらわれ、村人たちは逃げ出してしまう。しかし、その熊は本物ではなく、(研究者にささやかな好意を寄せていた)女が着ぐるみを着ているのだった。私がこうしているあいだに逃げてと言われ、研究者は逃げていく。女はがおーーー、と雄叫びを挙げ続ける。銃声が響く。誰が撃ったのかはわからないが、村人の誰かが本物の熊と勘違いし、彼女を撃ってしまったのだった――と、物語は終わってゆく。このラストに(雄叫びを挙げる女性の役を演じているのがあゆみさんだということを含めて)かなりびっくりしてしまって、あっけに取られてしばらく席を立つことができなかった。知人がこーじさんに挨拶をしてから帰るというので、終演後はしばらくロビーで過ごした。そこであゆみさんやはせぴとも少し話すことができたけれど、この劇の感想として色々話したいと思っていたことはあるはずなのに、ラストのインパクトから「びっくりしました」としか話すことができなかった。嬉しかったのは、あゆみさんが誕生日プレゼントをくれたこと。包みの中にはビールとナッツが入っていた。大事に飲みます、とお礼を言って劇場を出た。思えばそれが今年もらった唯一の誕生日プレゼントだ。

 外はもう日が暮れていた。KAATで芝居を観たあとは、いつも決まって「山東」で水餃子を食べている。今日も「山東」に入ってみたのだけれども、かなり混み合っているせいで「注文ハ最初ニマトメテ言ッテ、後カラ言ワレテモ出セナイヨ」と言われてしまう。じゃあ何を注文しようかとしばらくメニューを眺めていたけれど、考えているうちに腹が立ってくる。この店が繁盛していて、客が好き勝手に頼んでいたら面倒だというのはよくわかっている。たまにAというメニューを頼もうとしてもBにしろと言われることもある。そのくらいのことはこれまで受け入れてきた。しかし、食事だけの客ならともかく、こっちは酒を飲みにきたのだ。それを「最初にまとめて注文しろ」というのはいくらなんでも酷過ぎるだろう。結局、何も注文せずに席を立ち、帰ることに決めた。それに気づいたベテランの店員さん――注文を取りにきた人ではない――が「どうしました」と慌てて寄ってきたので、「さっき、『最初にまとめて注文しないとダメだ』と言われたんですけど、そんなふうには注文できないので帰ります」と伝える。その店員さんはそんなことないよ、大丈夫ですよと言ってくれたけれど、座り直す気分にはなれなかった。すぐ近くにある、悪魔のしるしの打ち上げできたことがあるという店に入り直す。こちらは空いているし、丁寧に接客してくれる。良い店じゃないか。気分が良くなり、四川麻婆豆腐をはじめとしてじゃんじゃか注文したせいで、会計は1万円を超えてしまった。