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日記

2016-06-21 沖縄滞在4日目

 7時半に起きて、朝食をいただく。ポーク玉子としゃけ。8時半のフェリーで島をあとにして、さてどこに行こう。まずは30分ほどバスに揺られて名護まで引き返す。地図を見ると、オリオンビール工場に「オリオンハッピーパーク」と書かれている。名護バスターミナルに停まっていたタクシーに乗り込んで、運転手に質問する。

 「オリオンハッピーパークって、見学とかできるんですか?」

 「できますよ」

 「ああ、よかった。じゃあそこにお願いします」

 クルマを走らせた運転手は、信号待ちのときにこちらに振り返ると「ビールも飲めるよ」と嬉しそうに言う。そして「お兄さん、美ら海はいかないの?」と尋ねてくる。今回はまだ行っていないけれど、「(前回来た時に)行きました」と答える。運転手さんは「じゃあもう、名護で見るところはないねえ」と笑っている。名護の商店街はシャッターが降りたままの店が多くある。美ら海水族館ができて、北部まで足を伸ばす観光客は増えたのだろうけれど、高速道路で簡単に日帰りできるようになってしまった今、名護はただ通り過ぎるだけという観光客も多いだろう。

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 オリオンハッピーパークは10人ほどで見学することになった。見学の集合場所にはオリオンビールの歴史が展示されている。具志堅宗精が会社を沖縄ビール株式会社を設立したのは1957年のことだ。そこから名前を公募し、「オリオンビール」という名前が決まると、1959年にオリオンビールを発売する。発売当初の瓶を復元したものや、1973年に発売された初代スチール缶入り生ビールも展示されている。「祝オリオンビール誕生」という広告記事の出た1959年5月27日の新聞には、「東京オリンピックいよいよ実現」という見出しが踊っている。帰りが遅い“踊る夜” 琉大パーティーに父兄が苦情」という記事もある。

 二十二日よるの琉大創立九周年祝賀ダンスパーティーで女子学生の帰りがおそく、父兄からパーティー主催者の琉大学生会に抗議する投書が本社によせられている。投書の内容は「女子学生の親は、こんなパーティーのあるたびごとに娘が帰るまで心配で寝られない。那覇市の繁華街ならよる十二時でも問題はないかもしれない。場末の住宅地や糸満その他近くの町村なら娘だけの夜道は、危険である。琉大当局や、学生会は、このことをどうかんがえているか。またパーティーはどう運営されているか、父兄の立場もかんがえてほしい」というもの。


 時代を感じさせる記事だと思うのと同時に、ここではそれが過去だとも言い切れないことを思い出す。そうこうしているうちにビール工場の見学が始まる。最初の過程にはビールの原料となるものが置かれている。ホップの匂いを初めて嗅いだが、思っていたのと全然違って青臭い香りだ。これがビールになるのが不思議だ。原料を粉砕し、麦汁にホップを加えて煮込む部屋の匂いも嗅げたのだが、なかなかパンチの効いた香りだ。これを冷却し、酵母を加えて発酵させることでビールになっていく。

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 発酵させるための貯蔵槽が見えた。「ここでクイズです」とガイドの女性が言う。「350ミリリットルの缶で1日1本ずつ飲んだとして、あの貯蔵槽に入っているビールを飲みきるにはどれくらいかかるでしょう?」と。その答えは1500年だった。1日10本飲んでも飲みきれない量だ。あの貯蔵槽を、どうにか一つもらえないだろうかと思う。展示がさらに進むと、アサヒビールとの業務提携に関する説明があった。少し前に読んだ佐野眞一沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』の一節を思い出す。

 いまや沖縄を代表する有名ブランドになったオリオンビールは、山中抜きには語れない。一九七二(昭和四十七)年五月に沖縄が本土復帰したとき、本土に比べ酒税が二〇パーセント減免される優遇措置が、オリオンビールはじめ沖縄の酒造業界に適用された。
 この復帰特別措置法を実現させたのが、“ミスター税調”の異名をとった山中貞則だった。この減免措置は、撤廃か延長か五年ごとに見直されている。


 2002年に優遇措置の再延長が議論されたとき、自民党の税調や財務省からは「5年後の廃止を」という声が大勢を占めたという。しかし、優遇措置が撤廃されればオリオンビールは本土資本に飲み込まれる――その前に体力をつけさせておこうと考えた山中貞則が働きかけ、2002年、オリオンアサヒと業務提携をすることになった。ガイドの女性の話によると、沖縄に工場を持たないアサヒビールに代わり、沖縄県内で流通するアサヒスーパードライオリオンビールの工場で製造されているのだという。そう言われてみると、沖縄スーパードライ東京スーパードライを飲み比べてみたい気もする。

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 見学を終えるとビールの試飲があった。グラスで2杯飲み干すと、オリオンハッピーパークをあとにして、すぐそばにある名護博物館へ。昨日の新聞に、「戦時の出来事身近に 若者理解へ年表工夫」という記事が出ていた。名護博物館で「名護やんばるの戦争展」が、6月10日からの2週間にわたって開催されているという。しかも、常設展は有料だが、この企画展は見学無料だ。これまで沖縄の戦跡を何度も辿ったことがあるけれど、基本的には激戦地となった南部の戦跡を巡ることが多く、あとは米軍が上陸した中部を少し巡ったくらいで、北部の戦争についてはあまり知らないままだった。せっかく北部にいるのだから、この展示を観ることにする。

 博物館に到着してみると、企画展の入り口からは小学生が溢れている。これから見学するにあたり、先生の話を聞いているらしかった。しばらく時間がかかりそうなので、有料の常設展を見物する。1階はやんばる地方の生活が、2階にはやんばる地方の生き物が展示されているようだ。2階は近くの幼稚園児で賑わっている様子だったので、1階の展示だけ見物することに。うちの地元にもあるような、つまり田舎町によくある展示であり、生活用品などが展示されている。最初のエリアにあるのは農作業具だ。沖縄の稲作はグスク時代(12-15世紀)に始まったが、水と土に恵まれたやんばるはずっと沖縄一の米どころだったのだという。沖縄であまり水田を見かけたことがなかったので不思議に思ったが、それもそのはず、稲作の最盛期は明治後半だったという。「現代、田は埋められさとうきび畑に変わっています」と説明書きがある。

 展示の大半を占めるのは年表で、当時の出来事と現在の中学生の行事予定を併記してある。当時の天気もある。沖縄本島米軍が上陸したのは4月1日のことだ。そこから米軍は南北に分かれて侵攻するのだが、今更ながら「そうか」と思ったのは4月4日に「米軍東海岸に達し、沖縄本島を南北に分断」とあることだ。司令部があるのは南部だから、これで北部に配備された軍は一挙に窮地に立たされたことになる。展示の説明にもこう書かれている。

 北部やんばる)には独立混成第44旅団の第2歩兵隊主力(宇土部隊)1個大隊程度しか配備されていなかった。これに対してアメリカ軍は第6海兵師団を主力として攻撃をかけた。八重岳などの山地帯に拠って日本軍は抵抗したが、4月18日に本部半島突端に達し、22日までに制圧が完了した。


 北部の部隊が制圧されたあとも、やんばるで戦闘が起こった記述が登場する。目立つのは護郷隊による戦闘だ。護郷隊というのはやんばるにおけるゲリラ戦を目的として結成された、10代の少年兵による秘密部隊である。南部を中心に歴史を辿ってきた僕は、北部に展開していたその存在にあまり詳しくなかった。護郷隊は「一人十殺」を命じられ、「十人殺せば死んでもよい」と叩き込まれていた。米軍に利用されないように、生まれ育った地区に火を放つように命じられた人もいる。

 やんばるにおける戦争は、制圧をされたあとのゲリラ戦が中心となっている。ビデオを観終えた小学生たちに、教師は「いいですか、戦争というのはいきなり終われません!」と語気を強めて話している。「6月23日に『集団的な戦闘が終わった』とよく言われますが、『集団的な戦闘』が終わっただけなんです。それ以降も戦ってた人はいるんです。ポツダム宣言を受諾して、調印式が終わっても、すぐには終われないんです」。年表を見ると、たしかに6月23日以降も散発的に戦闘が起こっている。

 もう一つ、展示の中心になっているのは収容所だ。米軍の捕虜となった住民は収容所に送られることになるのだが、収容所が作られたのは早めに制圧が進んだ北側だったのである。今までにも「収容所に送られた」という話は何度となく読んでいたけれど、「この収容所というのは一体どこなのだろう」と思っていた。住民自らが収容所を建設させられる写真もある。辺野古にあった大浦崎収容所の写真に写っているのは茅葺小屋で、想像していた「収容所」とは少し違っている。

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 「やんばる沖縄戦地図」というのを確認すると、昨日宿泊した島も書き込まれている。その島には4月13日に米軍が上陸している。米軍を警戒して島を離れていた住民もいるが、残りの住民は捕虜となった。米軍は島の海岸に簡易飛行場を作ったという。この島めがけて日本軍が砲攻撃を行った記録があるのはそのためだ。

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 1時間かけてじっくり展示を観終える。58号線を歩いて「A&W」に入り、A&Wバーガーとルートビアを平らげる。世冨慶の交差点から再びバスに乗車して、南を目指す。今日は少しずつ南を目指す予定だ。バスは海沿いを走ってゆく。西海岸はリゾート開発が進んでおり、人工ビーチがいくつもある。名護市を抜けるとそこは恩納村である。「安冨祖」というバス停がアナウンスされたところで降車ボタンを押した。

 バス停からほど近い場所にローソンがあった。ビーチサンダルシュノーケルも店頭に並んでいる。僕はさんぴん茶を買って、店員さんに質問する。どういう聞いたものかと迷ったけれど、「こないだの事件があった場所に手を合わせに行きたいんですけど、この近くですか?」と尋ねた。店員さんは「この店の前の信号を1つ目として、3つ目の信号を右に曲がると見えてくると思います」と教えてくれる。影のない道を歩き、言われた通りに信号を曲がると坂になる。車の交通量も少なくなり、道の両側は山になっている。突然バサバサと音が響き、カラスの大群が飛び立ってゆく。

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 20分ほど歩いたところで、坂の上のほうに取材クルーが見えた。おそらくあそこが現場だろう。山の入り口にはまだ黄色い規制線が貼られており、その手前に花束がたくさん手向けられている。プリッツ。チョコパイ。コアラのマーチ。堅あげポテト。コアラのマーチ。蒲焼さん太郎。紅芋タルト。紅芋タルト。ダブルクリームシュー。コアラのマーチポッキー金武町にある「モンクレア」という店の洋菓子も二つ見かけた。ペットボトルも無数に置かれている。花束を包装したビニルが日光を反射して眩しく感じる。「手を合わせる」といって場所を教えてもらったものの、取材クルーの前で手を合わせるのはパフォーマンスになってしまう気がして、帽子をとってただ花束を眺めていた。

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 しばらく立ち尽くしていると、1台のクルマが停まった。ハザードランプをつけると、運転席から男性が降りてくる。花束を供え、蓋の開けたペットボトルをおいて少し手を合わせると、男性はまたクルマに乗り込んで走り去っていった。手向けられているものの中に、灰谷健次郎の『太陽の子』があった。メッセージの書き込まれたぬいぐるみもあった。花束に添えられた手紙には、「怖かったよね 痛かったよね つらいよね 少しでも里奈さんの悲しみが癒えるよう、心よりお祈りします」と書かれている。

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 そうしたメッセージを一つ一つ読んでいると、一つの考えに至る。あの事件は痛ましい事件であり、こんなこどが二度と起こらないように状況を改善しなければならない。でも、「怖かったよね 痛かったよね つらいよね」と手紙に書いた誰かほど、僕は彼女の恐怖を、痛さを、辛さを、想像できていないのではないかという気がしてくる。ある範囲で想像することはできるのだけれども、本当にわかったとは言えないのではないかという気がしてくる。これは別に、「その手紙を書いた人だって理解していないだろう」と非難したいわけでは当然なく、ただそんなことを思った。想像力が欠如しているのだろうか。わからない。山道を歩いて下っていると、同じ場所でまたカラスの大群が飛び出してきた。

 10分ほど待って、再びバスに乗る。恩納村を抜けると今度は読谷村だ。喜名というバス停で下車し、海の方角に向かって進んでいく。歩いていると、道路脇の家の玄関が開いた。出てきたのは白人の男性だった。ガタイがよく、ズボンは迷彩柄だ。彼は米兵なのだろうか。玄関先にゴミ袋を出すと、立ち止まってそちらに視線を向けている僕には一瞥もくれず、うんざりしたような顔で家の中に帰って行った。米軍には今、夜間外出禁止令が敷かれている。

 県民感情を考えれば、外出禁止令は当然の措置だろう。僕もそう思っていたけれど、しかし、兵士として派遣されてくる人の中には、軍隊に入るしかなかった人だっているだろう。事件を起こした軍属の男についても、インタビューに答えた母親が「あの子は10代からドラッグをやっていた」と語っていた。仕方なしに軍隊に入り、遠い異国に配備された兵士がいる。その兵士自身は事件を起こしたわけではないのに、誰かのせいで外出さえ禁じられる。酒を飲むのが大好きな僕は、どこか遠い国に連れて行かれて、「酒を飲むな」と言われてしまったらどうやって鬱憤を晴らすだろう。そう考えると、外出禁止令が正しい方策なのか、わからなくなってくる。そのことがストレスとなり、鬱屈とした感情を抱えさせ、さらなる事件を起こすことはないだろうかと不安になってしまう。

 先日の県民大会で決議されたのは海兵隊の撤退だ。海兵隊に限らず、すべての基地をなくすのが理想だ。それを目指すべきだというのは間違いないことだ。しかし、そのためには自国から基地を撤去すればすむわけではなく、相手国にも「戦争という手段に出る」という考えを捨てさせなければならない。それは100年、200年で解決できることではないだろう。「だから現実的にいって基地は必要だ」と言いたいわけではないが、そのためには途方もない道のりを歩く必要がある。

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 バス停から30分ほど歩いて、ようやく目的地のパン屋「水円」に到着した。が、「水円」は定休日であった。せめてロバのわらに一目会って行こうと店の裏手に行ってみると、この暑さの中だということもあり、わらは小屋の中に隠れている。次の目的地に行くためには、またしばらく歩く必要がある。熱中症で倒れてしまうのではないかと不安になり、タクシーを呼ぶことにした。

 タクシーの中からは、自動販売機の下を覗き込む男の子たちが見えた。空にはいかにも夏という雲が浮かんでいる。タクシーでたどり着いたのは読谷村の渡具知ビーチだ。このビーチこそが、4月1日に米軍が上陸した地点だ。ちょうど潮が引いている時間らしく、こどもたちがちらほらしゃがみこんでいて、海辺の生き物を探して遊んでいる。外国人のこどももいる。

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 しばらく海を眺めて再びタクシーに乗り、渡具知ビーチから5キロほど南にある砂辺という湾岸地区に移動する。北谷町にあるこの海岸もまた、4月1日に米軍が上陸した海である。こちらはダイビングショップも立ち並んでおり、人気のスポットだ。

 まずは「浜屋そば」という店に入る。1年前のリーディングツアー「cocoon no koe cocoon no oto」で沖縄を訪れた際に、皆で食べにきた沖縄そば屋。今日はクルマの運転をする必要がないので、ビールを飲みながらそばを堪能する。テレビでは夕方のニュースが始まるところだ。ローカルニュースのトップは「係争委『判断せず』通知書が県に届く」というものだ。そばを食べ終えると、すぐ近くのビルの3階にあるイタリア料理店に入る。白ワインをボトルで注文して、少しずつ日が暮れてゆくのを眺める。日が沈む直前になって店を出て、潮風に吹かれながら海を眺めた。戦闘機が二度横切る。いろんな国の人が防波堤に腰掛け、夕日を眺めていた。

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 日が沈んだところで、今夜の宿があるコザを目指す。チェックインを済ませて、メインの通りを目指して歩く。十字路で信号を待っていると、信号が青になった瞬間、ウィリーで走りだしたバイクと爆音を撒き散らすバイクとがすれ違った。ここまで旅してきた街とはずいぶん雰囲気が違っているなと心細くなる。英語の看板が出ている店もたくさんあるけれど、その大半がシャッターを下ろしている。営業している店で目につくのはタトゥーショップやアメフトのユニフォームショップ。それから、なぜだか印度洋服店を数軒見かける。シャッターの降りた店の前では、若者たちがぼんやりたむろしていた。

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 営業しているバーを見つけて、入店。他に客はおらず貸切だ。店員さんは若い男性と女性のふたり。注文したビールを注ぎながら、店員さんは「沖縄の方ですか?」と僕に尋ねる。

 「いえ、旅行できてるんです。今回は一週間滞在するので、いろんな場所を移動して泊まってるんです」

 「そうなんですね。昨日はどこに泊まってたんですか?」

 「昨日は××島でした」

 「えっ、××島って人住んでるんですか?!」

 その質問に驚いてしまった。しかし、広島出身の僕だって、瀬戸内海に浮かぶ無数の島のうち、どの島が有人島でどの島が無人島であるのか知らないのだから、彼女の反応はごく当たり前のものだ。この夜、こうしたギャップを何度も感じることになる。男性は本土から沖縄に移住した人で、女性は沖縄中部出身だったのだが、二人とも「東京に旅行に行きたいっす」と口を揃える。実際、ちょこちょこ旅行に出かけているのだという。どのあたりに行くのかと訊ねてみると、これまた二人とも「六本木」と口を揃えた。

 「××さん、今度おすすめの店教えてくださいよ」。女性が男性にそう尋ねる。

 「俺はいつも『つるとんたん』だね」と男性が言う。「あそこは朝までやってるから、クラブ行ったあとにでも行けるし、うどんもうまいしね。あと、お茶もさんぴん茶だから」

 「え、さんぴん茶ってジャスミンティーのことですか?」と女性が聞き返す。「私、ジャスミンティーって苦手なんだけど」。そのやりとりに驚かされたし、面白かった。そのことを伝えると、「僕はもともと観光客ですけど、沖縄料理屋に行かなくなりましたね」と男性が言う。「最初は新鮮でおいしいですけど、慣れてくると普通なんですよね。東京の店のほうが、刺身にしても何にしてもおいしいですよ。てびちとかだって、美味しい店のは美味しいですけど、美味しくない店のは……」

 「私、てびちって食べたことないです」と女性が割って入る。「食べてみようと思ったことはあるんですけど、見た目がちょっと」

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 僕は繰り返し沖縄を訪れているが、どうしたって観光客目線の沖縄だ。コンビニや自動販売機にはさんぴん茶がたくさん並んでいるから、皆がそれを飲んでいるものだと思い込んでいたし、普段は沖縄料理を食べているものだと思い込んでいた。もちろん地元のものが大好きな人だっているだろうけれど、全員が全員そうであるはずがないのである。考えてみれば、沖縄に生まれて沖縄に暮らす同世代の人と話すのはこれが初めてかもしれない。

 男性は県外出身だから別だとしても、沖縄出身である女性も標準語で、沖縄のイントネーションを感じることはなかった。ただ、方言はしゃべれなくても、英語は話せるはずだ。壁には「Aサイン連合会」の紙が貼られている。Aサインというのは、復帰前の沖縄米軍公認の飲食店や風俗店に与えられた営業許可証である。米軍相手に商売をするためには、この許可証が必要であった。店の中にはメッセージの書き込まれた1ドル札がたくさん貼られており、メニューにはドルでの値段も表示されている。

 「今週末にきてもらえたら、もっと楽しんでもらえたと思うんですけどね」と店員さんが言う。

 「え、今週末だと何かイベントがあるんですか?」と、トボけて聞き返す。

 「今はcurfewが出てるから、アメリカ人が基地の外に出れないんです。週末にはそれが解除されるし、週末だけ営業してる店もあるんです。でも――東京の人からすると、全員基地に反対してると思ってるでしょう?」

 そう聞かれると、返答に困ってしまった。僕は全員が反対ではないことを知っているが、一般的にはどうなのだろう。「うーん、どうですかね?」と曖昧に返事をしていると、「辺野古に行くと、反対している人がたくさんいますよ。最近は米軍の車両が通ると、ふらっと車道に出てくる人もいるらしいです」

 「こないだ、県民大会があったじゃないですか。あの日、アウトレット・モールに行こうと思って高速道路に乗ってたら、超一杯いるんですよ。したら妹が『県民大会だからだよ』って教えてくれたんですけど、暑いのに皆大変だなって思いました」

  頭ではわかっていたことだけれども、沖縄にだっていろんな考えの人がいる。それは当たり前のことだ。僕は基地を必要としない時代がくればいいと思う。しかし、基地問題に積極的にコミットしない彼らを非難することはできない。そんなことを考えているのが漏れ伝わってしまったのか、「沖縄の人でも、いろんな人がいると思うんですよね」と男性が言う。「沖縄の文化が大事だって人もいれば、アメリカっぽい文化を面白がる人もいるし、楽しければいいじゃんって人もいますから。僕みたいに移住してきた人間に『お前はやまとんちゅか』って言ってくる人もいますしね」

 「若い人にも言われますか?」

 「いや、若い人には言われないですね。年配の人です」

 「っていうか、年配の人は何しゃべってるかわかんないよね」と女性が言う。「わかんないって言ったら『勉強不足だ』って怒られるから、『勉強不足なんですよ』って答えるようにしてるんですけどね。だって、方言とか、ほんとにわかんないんですよ。でも、そうすると『お前はおばあちゃんと方言でしゃべらないのか』って怒られる。それで『いや、しゃべんないです』って言ったら、『それは親が悪い』って」

 僕は沖縄の文化だって面白いと思うし、アメリカっぽい文化だって面白いと思う。「楽しければいいじゃん」というタイプではないけれど、そういう人がいたっていいと思う。誰に対しても、「そんなのは認めない」ということはできないという気がする。これは単なる相対主義になるのだろうか。わからない。でも、何にしても、こうして話をするのは面白かった。

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 「東京から沖縄にくると、寒いと思うことってたぶんないですよね?」と女性が言う。

 「寒いと思ったことはないです。11月から2月のあいだは来たことがないからかもしれないですけど、その時期でも雪が振るってことはないですもんね」

 「雪は降らないです。2月に東京に行ったとき、昼間は暖かかったけど、夜はすごい寒くて。メインが六本木のクラブに行くことだったから、上はパーカーしか持って行かなかったんですけど、友達が『それだと超寒いよ』ってコートを貸してくれて。でも、靴はサンダルかムートンブーツしかなくて、ムートンでクラブには行けないなと思ったからサンダルで行ったんですけど、凍死するかと思った」

 東京に住んではいるけれど、一度もクラブに行ったことがない僕は、「ムートンブーツでクラブに行くのはナシだ」ということを知らなかったので新鮮だ。しかし、それにしても、沖縄の人が冬の東京に出かけるのは大変だ。沖縄ではまったく必要のないコートを買わなければならないのだ。コートを売っている店は沖縄にあるのか質問してみると、探せばあると思うんですけど、沖縄できることはないですよねと女性は笑う。

 「4月にも東京に行ったんですけど、そのときも寒かったです」

 「それくらいだと、夜はまだ寒いですよね。夜に花見をしてると体が冷えますから」

 「ああ、本土の桜は綺麗ですよね。沖縄の桜は本土と違うんです。1月頃に桜まつりがあるんですけど、本土の桜みたいに風で花びらが散らないんです」

 バーボンソーダを5杯飲んだところで店を出た。会計は驚異的な安さだった。沖縄では1月が花見の季節なのか。沖縄の桜は一体どんな桜なのだろうかと想像しながら、巨大なゴキブリを避けつつホテルに帰った。

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『まえのひを再訪する』
著・橋本倫史 発行・HB編集部
四六判 210頁 2016年7月1日発行
通販の予約はこちら→http://hb-books.net/items/576342da41f8e86bbc007f26

2016-06-20 沖縄滞在3日目

 朝6時に目を覚ますと、すぐに原稿のチェックに取り掛かる。誤字・脱字がないか。レイアウトに乱れはないか。チェックしているうちに知人は身支度を済ませ、東京に帰る。僕はホテルをチェックアウトすると那覇バスターミナルへと向かって、9時57分、名護行きの高速バスに乗り込んだ。バスの中でもずっと原稿のチェックを続ける。

 11時半にバスが名護に到着するあたりで、青柳いづみさんからメールが届く。僕の手違いで、原稿チェックをしてもらいそびれており、ギリギリのスケジュールで確認してもらっていたのだ。名護バスターミナルから備瀬線に乗り換えて、バスに揺られながら赤字をデータに反映させてゆく。12時ぎりぎりになって、ようやくデータが完成し、印刷会社に入稿を終える。バスは目的地である渡久地というバス停に到着する直前だった。

 バスを降りるとジリジリと陽射しに焼かれるが、「入稿できた……」という気持ちでしばらくぼんやりしてしまう。入稿した本のタイトルは『まえのひを再訪する』。2年前の2014年春、川上未映子さんの詩をマームとジプシーが一人芝居で上演するリーディング公演『まえのひ』が全国7都市で上演された。僕はそのツアーに同行して、作品が少しずつ変わっていく様子を眺めていた。

 その翌年、ふと思い立った僕は、ツアーで訪れた各地を再訪する。同じ土地を訪れ、記憶を辿り、誰かと話をして、同じ食事を平らげる――そんな旅の過程で感じたことをいつか書き残しておかなければと思っていたのだが、あっという間に時間が経ってしまった。そして今年も春がきた。2016年の春にもまた、気づけば『まえのひ』で訪れた場所を再訪していた。そのことに気づいたのは、今から3ヶ月前に沖縄を訪れたときのことだった。

 あの『まえのひ』という作品は何だったのか。そのことを書き残しておかなければという気持ちに駆られて原稿を書き始めたのも沖縄だったが、こうして入稿作業を終えたのもこうして沖縄を再訪しているときだということに、少し不思議な感じがする。
 
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『まえのひを再訪する』
著・橋本倫史 発行・HB編集部
四六判 210頁 2016年7月1日発行
通販の予約はこちら→http://hb-books.net/items/576342da41f8e86bbc007f26
 
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 近くに有名な沖縄そば屋があるので、そこで昼食をとることにする。「きしもと食堂」というお店。お店は満席だったので、少し外で待つことにする。僕が並び始めるとすぐにお客さんが増え始めて、長蛇の列ができる。危ないところだった。僕は5分ほどで中に入り、沖縄そば(大)を食べる。鰹節の風味が効いていてウマイ。これは行列ができるわけだ。待っている人も大勢いるので、5分ほどで平らげて店を出る。

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 「きしもと食堂」からほど近い場所に港がある。港からは、この季節であれば1日3便フェリーが出ており、15分ほどで小さな島にたどり着く。マリンスポーツの盛んな島のビーチには、港のすぐそばにビーチがある。もう沖縄はすっかり夏なので、海は大勢の観光客で賑わっており、パラソルがずらりと並んでいる。さっそくシュノーケルと浮き輪を借りて、海に入る。昨日も感じたことだけれども、沖縄といってもほんとうにそれぞれ違っているのが不思議だ。一昨日シュノーケリングをした座間味の海は色が濃く、浅瀬からずっと生きたサンゴが生息しており、魚もカラフルだ。しかし、この島の海はとにかく淡い。白骨化したサンゴの欠片が砂浜や浅瀬を覆っており、そのせいか泳いでいるのも淡い色の小魚ばかりだ。

 しばらく夢中でシュノーケリングを続けていたが、ふと泳いでいるのは僕一人であることに気づく。僕が乗ったのは13時半のフェリーだが、ほとんどの観光客は日帰りで、8時半のフェリーで島にやってきている。朝から海を堪能しているので、今はもうパラソルの影で休んでいるのだ。ただ、ジェットスキーバナナボートで遊ぶ人は何組もいる。こんなに何度も沖縄を訪れているのに、浅瀬でちゃぷちゃぷするばかりで、マリンスポーツを堪能したことは一度もない。どうしてやってみたいと思わないのだろうなと、浮き輪で浮かびながらぼんやり考える。

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 1時間ほど遊んだところで切り上げ、民宿へと向かう。民宿の庭にはテーブルがあるので、そこでぼんやりビールを飲んだ。ただぼんやりする。この島にくるとただぼんやりしてしまう。別に「沖縄だから」ということではないだろう。他のエリアに滞在していると「ここに行って、あとはここも訪れないと」と予定を詰め込んでしまうけれど、この小さな島にいると特にすることもなく、ただぼんやりする。すぐ近くで宿の主人が昼寝をしている。耳慣れない鳥の鳴き声を聴いてビールを数本飲んでいるうちに1時間が経っていた。

 さて、そろそろまた海に行ってみようかと思っていたところで、宿の看板娘でもある女の子が学校から帰ってくる。彼女の通う小学校は、ここから徒歩20秒の場所にある。僕を見るなり、「記者のおじさん?」と彼女は言う。「そうだね、おじさんじゃなくてお兄さんだけどね」と返事をする。この島には、港のすぐそばのビーチだけでなく、穴場のようなプライベートビーチがある。そのプライベートビーチの存在を教えてくれたのも、この女の子だ。

 プライベートビーチに向かって歩く。この道を歩くのが好きだ。歩いていると水槽が置かれている。ふと水槽の中を覗き込むと、カナブンがもがいているのが見えた。どれ、助けてやろう。そんな気持ちになって、草を1本ちぎって差し伸べると、カナブンは必死で草につかまる。そうして掬い上げ道端に戻してやると、カナブンは足を少しだけ動かしながら、ぎゅっと草に抱きついたままの姿勢でいる。はあー、たすかったあ。まじで死ぬかと思った……。そんなふうにしゃべっているように見えてしまう。カナブンに別れを告げて歩いていると、あちこちでバッタが飛び跳ねる。バッタをびっくりさせないように注意を払っていると、交尾をしているバッタが見えた。そのバッタたちは近づいても微動だにしなかった。

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 15分ほど歩くとプライベートビーチに出た。この海には観光客の姿はなく、海の色も青々としている。波も強く打ちつけている。足の届く場所で海に浸かり、しばらくぼんやり波に揺られる。真っ白な鳥がピイ、ピイと鳴きながら飛んでゆく。1年前の春にこの島を訪れたとき、「夏になるとアジサシっていう鳥がやってくるんです」と話を聞いていたが、これがきっとアジサシだろう。その鳴き声を聴きながら、30分ほど海に浸かっていた。帰り道に探してみたけれど、カナブンはもうどこかに飛び立っていた。

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 19時、夕食の時間になる。表にあるテーブルでの食事だ。常連客である方も2組ほど宿泊しているらしく、宿の主人はその常連客たちと一緒に食事をしている。宿には他にもう1組宿泊客がいるのだが、その人たちは生物の研究者らしく、島の生物の鳴き声について話をしている。今日の夕食はヒレナガとうきむるー(カンパチ)の刺身、島だことモーウイ(赤瓜)の和え物、それにステーキだ。那覇で買っておいた残波ホワイトを水割りで飲みながら、チビチビ食べる。

 食事を終えると、泡盛を入れたグラスを手にして海へと向かった。今日は満月である。この島の海で満月を見ることを楽しみにしていた。海には特に灯りがなく、当然人影もない。「怖くて海に佇んでいられないのでは」と思いながら歩いて行ったのだが、いざ海に出てみると恐怖を感じることはなく、ただただ月の明るさに見惚れていた。星もきれいに見える。はあー、これはすげえわ。思わず独り言が出る。アイフォーンではそこまで写らなかったが、少し赤みを帯びた月だ。少し前に読んだ沖縄の民話を思い出す。

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 ある山裾に「アカナー」と呼ばれる少年が猿と一緒に暮らしていた。少年は髪も顔も体も真っ赤であるので、「アカナー」と呼ばれるようになった。心が優しいアカナー少年はよく働き、猿の世話をしていたが、意地悪な猿はなまけてばかりいた。ある日、育てていた桃の実が熟し始めると、桃の実をすべて自分のものにしたいと考えた猿がこう切り出した。

 「アカナーよ、桃の実を街に売りに行こう。早く売れたものは負けたものの首をちょん切ろう」

 そう告げると、猿はするすると木に登り、熟れた桃だけをもぎとって街に売りに出かけた。猿の桃はじきに売り切れたが、アカナーの熟れていない桃を買ってくれる人はおらず、アカナーは途方に暮れてしまった。帰ったら首をちょん切られる。そう思うと怖くて家に帰れず、海岸をとぼとぼ歩き、しまいには泣き出してしまう。すると、「なにが悲しくて泣いているのか」と声がした。しかし、あたりには誰もいない。声の主はお月さまだった。

 アカナーから事情を聞いたお月さまは、「お前は優しい心を持っているから、今晩から月の世界に住めばよい」と言って猿を月に引き上げ、アカナーの首をちょん切る練習をしていた猿の首をちょん切らせた。アカナーは恩に報いるために水汲みをしたり、ごはんを炊いたりして働いた。それで、沖縄の月にはウサギではなく、アカナーが水を汲んだ桶をかつぐ姿が見えるのだ――と。

 その話を思い出しながら宿に引き返す。すると、宿の方と常連客の方に「よかったら一緒に飲みませんか」と誘っていただいて、一緒に泡盛を飲むことになった。

 「お名前は何て言うんですか?」と常連客。

 「橋本です」と僕。

 「橋本さんは、前も来ていただいてますよね?」と宿のお母さんが言う。

 「はい。泊まるのは今日が2回目です。最初にこの島に来たのは去年の春ですけど、この1年で4回来てます」

 「え、そんなに?」と常連客は少し不審がる。「何で急にそんなに来るようになったの?」と。たしかに、マリンスポーツをするわけでもないのに、どうしてこんなに再訪しているのか自分でも不思議だ。最初に訪れたのは2015年の5月上旬のことだ。『cocoon』を再演するのに先立って、原田郁子さん、藤田貴大さん、青柳いづみさんの3人でリーディングツアーを行うことになった。その際にこの島を訪れ、学生たちと一緒にワークショップを行った。「学生たち」と書いたが、この島には小学校と中学校が一緒になった「小中学校」があり、在校生はわずか3人だけだ。それ以来、旅行で沖縄を訪れるたびに島を訪れている。

 しばらく飲んでいるうちに、宿のお父さんが先日の軍属の男による事件の話を切り出した。「あの事件もありえない事件だからね。でも、本土のニュースだと沖縄のことなんか出ないでしょう」

 「いや、出てます、出てます」と常連客が言う。「ただ、他にもいろいろニュースが出ちゃって、沖縄ほどは報じられてないかもしれないです」

 「本土でも出るの? 昔はね、ほんとに放送しなかった。バカにしてるのかって思うぐらい出なかったよ。横須賀、横田、岩国、あのへんで沖縄で起きるぐらいの事件があったら、絶対アウトよ。でも、沖縄はもう、ほんとにバカにされてる。昨日の県民大会だって、本土の人はほとんど知らんでしょう」

 そこまでは聞き役に徹していたけれど、「僕は沖縄県民ではないですけど、昨日は会場に出かけましたよ」と口を挟んだ。するとお父さんは言葉に詰まり、数秒あって「ありがとう」と言った。ありがとうと言われてしまうと、少し申し訳ないような気持ちになる。僕はいつも、ただその場にいるだけだ。「あのね、思いは一緒なのに、何でわかってもらえないのかなってずっと思ってるのよ。俺が言ってるのは一つだけ――平等ってこと。内地も同じようにしてくれと。内地ではダメなことでも、沖縄では許されるんですよ。ありえんでしょう。これがね、本当に悔しくて」

 感極まりそうになると、お父さんは話を変えて「宿題は終わったか」と娘に話を向けた。宿題はまだ一つだけ残っていて、それは国語の教科書の音読だった。山村暮鳥の「風景 純銀もざいく」、黒田三郎の「紙風船」に続いて音読されたのは「枕草子」だった。春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて。それぞれ読み終えると、彼女は「自分流の『枕草子』を作ってみましょう」と言って音読を続ける。教科書にはその「自分流の『枕草子』」の例文が載っているらしく、それも一緒に読んでいる。感想を求められた僕は、「××(その子の名前)流の枕草子が聞きたい」とリクエストすると、即興で朗読をしてくれた。

「夏はとても学校が暑い。クーラーをかけた部屋にいれないときはすごくつらい。帰ってきてもクーラーが壊れてつけられなかった、あの部屋にはもう戻りたくない。だが! 海に行けたらすごく楽しい。海水は冷たく、魚はうまそうで腹が減る。帰ると宿題をするのがだるい。でも、俺は頑張る」

 その朗読は、とても印象的だった。宴はその後も続き、日付が変わる頃まで飲んでいたと思う。僕は泡盛の五合瓶を飲み干してしまって、おすそ分けしてもらった泡盛も飲んだので記憶はおぼろげだが、たしか満月を眺めるべく皆で海に出かけたはずだ。翌朝起きてみると、頭や耳から砂が出てきた。おそらく砂浜で寝そべって海を見たのだろう。ポケットからはジャッキーカルパスがいくつも出てくる。きっと月を眺めながら食べようと思って、ポケットに入れて海に出たのだろう。たしかに自分の行動であるはずなのにまったく記憶になく、他人の行動みたいでおかしかった。

2016-06-19 沖縄滞在2日目

 朝7時半に起きて、ホテルを出発する。久茂地でレンタカーを借りて、クルマを走らせる。「重そうな雲やね」と知人が言う。「重そう?」と聞き返すと、「夏っぽい雲でぎゅっとしちょる」とあほみたいなことを言う。車内にはラジオ放送が流れていたのだが、しばらくトンネルが続き、音が途切れてしまった。僕らが借りたクルマはアイフォーンにケーブルで接続できるので、知人に「何かかけなよ」と伝える。丸山担である知人のことだから、関ジャニ∞の爽快な曲をかけてくれるのだろうと思っていると、流れてきたのはジャニーズWESTの「ジパング・おおきに大作戦」だった。

 お前の関ジャニ愛はそんなもんかよと揉めているうちにみーばるビーチに到着する。まだ少し時間があるので、ヤハラヅカサを見学するべくクルマを走らせる。ヤハラヅカサというのは、アマミキヨがニライカナイから渡来した場所に建てられた碑であり、海の中にある。しかし、梅雨が開けたばかりということもあり、草が生い茂っている。ハブがいたらと心配で、ヤハラヅカサを見るのは諦めることにする(遠目には見ることができたけれど)。時間も近づいてきたところで待ち合わせ場所である駐車場に引き返していると、向こうからトラックが走ってくる。そのトラックはよく見ると馬運車で、扉が開くとヨナグニウマが降りてきた。

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 ヨナグニウマを見るのはこれが初めてだ。知人に「沖縄で何がやりたいか」と話したとき、二つ目に出てきたのが「馬に乗りたい」ということだった。みーばるビーチでは、(予約が必須ではあるが)ヨナグニウマと海馬遊びが堪能できる。馬と一緒に海中散歩ができるのだ。馬は世界で一番高貴な生き物だと語る知人は、馬見たさに競馬場に行くほどである。結構値が張るので一人ぶんだけ申し込んでいたのだが、二人一組で遊ぶものだったらしく、別の女性の到着を待つ。ほどなくしてその女性もやってきて、ライフジャケットと専用の靴を身につけ、海馬遊びが始まる。

 僕は近くで写真を撮るつもりでいたのだが、馬はずんずん沖へと進んでいく。せいぜい膝下あたりの深さで遊ぶものかと思っていたが、腰のあたりまで水につかるほどだ。水着でくればよかったと後悔する。先にもう一人の女性が馬に乗り、知人は馬のしっぽを掴んで海に浮かんでいる。馬といえば気性が荒く、後ろに立つと蹴られるというイメージがあったが、ヨナグニウマはしっぽを掴んでも怒らないのだという。ただ、しっぽを掴んで海を漂っているあいだ、知人は3度ほど糞をされていた(糞は係りの人が網で回収する)。15分ほど経ったところで、今度は知人が馬に乗る番だ。すると、さっきまでは順調に海中を歩いていたヨナグニウマがまっすぐ進まなくなる。馬を先導する係りの男性のシャツをはんだりしている。知人はずっと緊張した様子でまたがっている。

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 60分ほどで海馬遊びは終了した。陸に上がると、ヨナグニウマは砂浜をゴロゴロ転がり始める。海に入ったあとはどの馬も必ずそうするのだという。犬のように毛が長くないので、ぶるぶる体を震わせても水が払えず、砂で水気を切るのだろう。感想を訊ねると、第一声で「ちっちゃかった」と知人は言う。「ちっちゃいんやけど、ぎゅってやってもビクともせん。一頭はパルムちゃんって名前で、優秀やったけんデビューが早かったんやって。で、もう一頭はちょっとわがままやけ、今はまだ修行中って」

 「ああ、だから途中で係の人の服を噛んだりしよったってこと?」

 「違う、あの子がパルムちゃん」

 「え、優秀な子のほうであれだったん?」

 「うん。もう一人の女性は乗馬経験があるらしいから、私の乗り方が下手やったってことだと思う。乗るのは難しかった。ずっと難しかった。体が細いから、バランスとるのが難しくて。でも、かわいかった。途中でちょっと休憩する時間があったんだけど、じっとしちょった。とにかくじっとしちょる。それでね、海の中で寝て、鼻が水につかってぶるぶるってなりよった。ぶちかわいかった」

 ヨナグニウマという名前を初めて耳にしたのは3年前の6月に沖縄を訪れたときのことだ(あの旅がきっかけで、その後何度も沖縄を再訪することになった)。あのとき、小学校1年生の男の子が詩を朗読するのを聞いたのだが、その一節に「よなぐにうまが、ひひーんとなく」という一節があったのである。それで、知人にウマは鳴いたかと尋ねてみたが、「鳴きやせん、何も言わん」とのことだった。

 着替えを終えたところでクルマを走らせ、奥武島へ。みーばるビーチからすぐ近くにある小さな島だ。ここは天ぷらが有名だと話に聞いていたので、少し立ち寄って食べてみることにする。橋を渡ってすぐの場所にある天ぷら屋で、もずく、アーサ、ウインナー、それにぐるくんの天ぷらを購入し、ベンチで食べる。そこには猫がたむろしており、匂いを嗅ぎつけてすぐに近づいてくる。壁には「猫に天ぷらを与えないでください」と注意書きがあるので、近づいてくる猫の首のあたりを手で制御すると、猫はその姿勢で固まる。「ちょっとでいいんで、食べさせてもらえないですかね」と、じっとしたまま訴えてくる。

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 島の対岸には「くんなとぅ」というもずくそばの店があった。ここで昼食をとることにする。テラス席を選んで座り、知人はビール、僕はノンアルコールビールで乾杯をする。海にはこどもたちの姿があった。桟橋には高校生が立ち並んでいて、何やら盛り上がっている様子だ。「いいなあ、あそこで飛び込む人生を送りたかった」と知人が漏らす。「今日の夜はヤリまくるんやろ。生まれ変わったら、ああいう人生を送りたい」と。眺めていると、男の子たちが一人また一人と飛び込んでいく。その姿を眺めていると、あそこにいても、僕は怖くて飛び込めないんじゃないかという気持ちになる。いや、そもそもあのグループには属せず、家でマンガでも読んで休日を過ごしているだろう。

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 次の目的地はひめゆり平和祈念資料館だ。駐車場にクルマを停めて資料館に向かうと、塔の前に制服姿の高校生が並んでいてぎょっとする。生徒会長とおぼしき女の子が何か語っている。資料館の見学を前に、千羽鶴を奉納しているようだ。知人に言われて、女の子たちがほぼ全員同じ髪型であることに気づく。髪の短いごく数名をのぞくと、ほぼ全員が分け髪だ。沖縄県立第一高等女学校の2年生は、ある時期から分け髪にする規則となった。それにあわせて「分け髪で見学するように」と教師が命じているのだろうか。だとしたら最悪のセンスだ。

 高校生たちに囲まれて展示を見る。パネルには「生徒たちは、短期間で日本軍は勝利し、すぐに学校に戻れると思い、戦場にさまざまな学用品を持って行きました。筆箱、下敷、万年筆…、生徒たちは戦場も学校の延長戦場にあるものだと考えていました。動員先でも日記やメモがとれると思っていたのです」と書かれており、洗面用具やがま口、眼鏡やクリーム壜、再訪用具、三角定規、定期入れ、櫛、鏡などが展示されている。その鏡を、ひとりの女の子がのぞきこみ、前髪を整えるそぶりをする。ほんとうに、これくらいの気持ちのまま戦場に駆り出されたのだろう。

 展示の最後には、卒業アルバムのようにしてひめゆり学徒隊の女の子たちの写真が一面に展示されている。いつもこの部屋を一番長い時間見学してしまうが、知人はさらりと見て部屋を出た。クルマに乗ったあとで、「あの部屋はちょっと、『むりむりむり』ってなった」と知人は言う。「写真だけじゃなくて、その人がどういう人だったかっていうパーソナリティーが書かれてるじゃん。その上に、戦争のときにどこに配属されてるかも書かれてるけど、最後が全部『死亡』なわけじゃん。だからもう、途中で見れないなってなった。この子たちは全員死んだんだ、って。これ以上見たら号泣しちゃって、周りの高校生から『ババアが号泣してる』って思われると思って」。

 亡くなったひめゆり学徒隊の中には、ぼんやりとした写真しか残っていない子もいる。プロフィールも簡潔に「物静かでやさしい人だった」とだけ書かれていたりする。その子は6月17日、伊原第一外科壕で被弾した。大腿部をもぎとられ、「当美ちゃん、脚がない」と言って息耐えた。そう書かれている。米兵に「私は皇国少女だ、殺せ」と詰め寄り、眉間を撃たれて亡くなった子もいる。一緒にいた学友たちに「私にかまわず早く行きなさい」と繰り返し言っていて、そのまま消息不明になった子もいる。皆死んでしまった。

 見学を終えると空港を目指した。僕も知人も、今日は飛行機に乗る予定はないのだが、次の目的地を考えると、確実に空きがあるであろう空港に駐車場にクルマを停めて、ゆいレールで移動するほうが得策だと思ったのである。空港までの移動中、知人はウトウト眠っていた。そこからゆいレールに乗り換えたときも、窓の外を眺めながら笑っていた。何で笑っているのかと訊ねると、「わからん。疲れ過ぎて笑顔になる」と知人は言う。奥武山公園ゆいレールを降りる。ここで降りる人がたくさんいた。今日は奥武山公園陸上競技場で県民大会が開かれているのだ。

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 大会の正式な名前は「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」(主催・オール沖縄会議)である。元海兵隊の軍属の男がうるま市に住む女性をレイプし殺害した事件を受けて、今日の14時から開催されている。今回の県民大会では、被害者を追悼すると同時に在沖米海兵隊の撤退などを求める決議案を採択するという。

 6月19日に県民大会が開催される――そのことはニュースで知っていた。しかし、当初の計画では昨日と今日のスケジュールが反対で、今日は朝から夕方まで座間味にいるはずだったから、すっかり忘れてしまっていた。それが今日の朝、レンタカーを借りる際に、受付の男性から注意を受けた。「それから、今日はですね、この奥武山公園で県民大会が開催されますので、周辺の道路が混み合う可能性が高いです」と言って、男性はボールペンで地図に印をつけた。その言葉を聞いた瞬間に、行くつもりはなかったけれど、ちらりとでも県民大会に出かけようと決めていた。

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 知人には何も言わないまま電車を降り、陸上競技場を目指した。かき氷の売店があり、小さい女の子がおいしそうにイチゴ味のかき氷を食べている。すぐに汗が噴き出してくる。僕はあまり汗をかかないほうだけれども、それでも腕の毛穴という毛穴に水滴ができる。「怒りは限界を超えた」と書かれた紙を配っている男性がいるが、それは受け取らなかった。号外を配る人もいたが、一面の言葉が直接的にこの大会のことではなさそうだったので、これも受け取らなかった。人の流れに沿って5分ほど歩くと、陸上競技場が見えてくる。隣の建物からは声援が聞こえる。そこには屋内プールがあり、水泳大会が開催されているようだ。陸上競技場はというと、陸上競技場の外にも多くの人が溢れている。

 どこが入り口なのかわからず、まずはフェンス越しに歩く。陸上競技場の中からは誰かの演説の声が聞こえる。フェンス越しに、食い入るように大会の様子を見守る人もいれば、テントを建てれのんびり過ごしている人もいる。ちびっこの姿もよく見かける。まさしく県民の大会だという感じがする。もちろんこの暑さが大きく影響しているのだとは思うが、どこかのどかだ。もちろん、この暑い中を集まっているのだから、誰もが切実な思いを持って集まっているのはわかる。しかし組織化された動員というのではなく、皆が熱心に何かを主張し訴えているというもではなく、ひとりひとりがひとりひとりの思いで集まり、ひとりひとりの時間を過ごしているというのが他の地域で行われる政治集会とは違っているように感じる。

 歩いていると、また別の人が演説を始めた。若い女性であるらしかった。その女性は涙ながらに語っている。その女性の言葉に、また壁を感じる。彼女が語ったのは、こういう言葉だ。「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の『第二の加害者』は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか。パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。ばかにしないでください」。その言葉を言わせたのは、これまでの歴史であり、今の状況であることはわかる。しかし、その言葉は悲しかった。たしかに、この県民大会のことだって、東京のニュースでは沖縄の何分の一くらいしか報じられないだろう。そんなことがずっとくりかえされたからこそ、その言葉が出てきてしまったのだろう。僕は別に、自分が加害者呼ばわりされたことが悲しかったのではなく、そんなふうに敵を作ってしまうことが、敵を作らずにはおれない状況というものが悲しかった。知人は「重々しかったね」とだけ言った。

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 空港でアイスコーヒーを買って、再びクルマを走らせる。こういう気分のときはいつも向井さんの歌が聴きたくなる。ネットにアップされたブートレグの「6本の狂ったハガネの振動」(昨年のライブ音源)を聴きながら走っていると、知人が「風景に合わんのじゃあ」と嘆く。もっと、サザンとかのほうが風景に合うはずだと知人は主張する。しかし、サザンサザン沖縄とも違う海の歌だろう。そう答えると、知人はSPEEDを流し始めた。

 知人も一緒に歌う「BOSY & SOUL」を聴いているうちに、安室奈美恵が聴きたくなった。何となく「NEVER END」をリクエストして流してもらう。沖縄サミットのテーマソングだった曲だ。なんだかぼんやりした曲だったという印象しかなかったのだが、今聴いてみると素晴らしい曲だ。この沖縄の土地でサミットが開催されるということもしっかり踏まえた歌詞になっているし、なにより普遍的なことが描かれている。運転していて思わず泣きそうになる。エモーショナルな衝動に駆られ、そこから「あかり from HERE」と「青い闇」を流してもらっているうちに、平和祈念公園にたどり着く。

 健児の塔を経由して、海を目指す。階段を降りていると、足元で何かが蠢いているのが見える。普段はあまり人通りがないせいか、そこにはヤドカリたちがたくさん生息していて、人影に驚いて逃げてゆく。申し訳ない気持ちで歩き、浜に出る。今日の朝に出かけたみーばるビーチからは10キロほどしか離れていないが、海の雰囲気は全然違っている。沖縄を訪れるたび、そのことに新鮮に驚いてしまう。この海は波の音が強く、しかも途切れることなくざーーーーーっと音が響いている。

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 戦局が悪化したとき、軍の本部はこの摩文仁の丘に移った。解散命令が出たあとにはこの海で亡くなった人も大勢いるのだということだけ説明して、海を眺めて過ごす。駐車場まで戻ったあとは、売店でブルーシールのアイスクリームを食べた。広場にはもう、4日後に開催される慰霊祭に備えてテントが貼られている。その日には来られないからか、平和の礎の前でピクニックのようにして過ごしている家族も何組か見かけた。4日後には大勢の人がこの場所を訪れ、僕はその風景を眺めることになるのだと思うと不思議な心地がした。
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 18時、レンタカーを返却してホテルに戻る。シャワーを浴びて身支度をしているあいだは「NEVER END」を繰り返し聴いていた。知人がシャワーを浴びているあいだに歌っていたら、「抑揚のない歌声が風呂にまで聴こえてきたけど」と言われて恥ずかしかった。何でそんなずっと聴いているのかと知人は不思議がるが、一度気に入った曲は何度も、何度でも聴いていられる。僕にとって不思議なのはむしろ、音楽というものは繰り返し聴かれることが比較的多いのに比べて、テレビや演劇の場合はそれが一般的ではないということだ。僕はテレビも演劇も、気になったものは何度も観てしまう。訪れた場所もそうで、同じ場所をこうして何度も再訪している。これは一体、どうしてなのだろう?

 19時にはホテルを出て、夕暮れの国際通りを歩く。知人は那覇に泊まるのは初めてだから、国際通りを歩くのも初めてだ。そこから牧志公設市場を軽く冷やかして、路地にある立ち飲み屋に入った。内装もおしゃれで、コンセプチュアルな店だ。知人は泡盛のソーダ割りを、僕は墨廼江を注文した。一番好きな日本酒に、まさか沖縄で出会えるとは思わなかった。メニューには三角揚げやいぶりがっこもある。店主はきっと東北出身だろうと思って訊ねてみると、まさしく宮城出身であった。

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 店には「補助犬受入可」のシールが貼られていた。補助犬を必要とする人は、どうやってこのシールを確認するのだろう――そんなことを考えていると、隣にいた地元のお客さんが「この店はきれいな人が多いねー」と話しているのが聴こえてきた。「褒められとんで」と小声で伝えると、「私じゃねえけど」と知人は言う。

 「そうやね、俺の補助犬やけんね」

 「うん」

 「酔っ払ったときに補助してもらわんといけんけ」

 「補助なんかできんけど」

 「何でよ。道知らんけ、『ホテルはどっちでしたっけ』って二人で路頭に迷うことになる。だいたい、何で沖縄の店で墨廼江なんか置いてんのよ。こんな酒があったら飲み過ぎることになって、後がこええけど」

 その時点で既に墨廼江を2杯飲んでいた。たしかにピッチが早くなっている。今日はこのあと、昨日と同じ安里にある居酒屋を予約している。ガイドブックなんかでもよく紹介されている沖縄料理屋だ。昨日と今日、いわゆる沖縄料理を食べていないが、知人は明日の朝に帰ってしまうので予約しておいたのである。20時半、その沖縄料理屋「うりずん」に入り、ビール泡盛で乾杯する。

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 「で、どうだった?」と訊ねてみる。

 「楽しかったけど、もふがアテンドするだけあって、沖縄のリゾートを満喫するって感じじゃなかった」と知人は言う。「私は完全にリゾートの気持ちできたけど、ときたま無言で重いもんを挟んでくる」

 「それはでも――それはそうなるやろ。別にさ、その重いもんを軸に旅程を組んだわけじゃないけど、ウミガメと泳ごうと思って座間味に行けば、ああそうだ、あの山の中に碑があるんだったなと思うし、海馬遊びをするためにみーばるビーチに行こうとしたら、その途中に平和祈念公園もあるしひめゆりの塔もあるよなって思うやろ。だから、別にそういう場所を選んだとかってことじゃなくて、沖縄が全体的にそうであるって話だよそれは」

 「うりずん」のツマミはどれもうまかった。酒が進んだ。何杯目かの泡盛を飲んだところで、県民大会の話になった。知人は「何の意味があるんやろうと思った」と言った。こんなに暑いのに、あんなにたくさん人が集まってるし、何でそれが開催されることになったのかってこともわかるけど、あの伝え方では東京の人を巻き込めないじゃん、と。知人の感想は率直なものだし、自分の気持ちを誠実に語っているのだろう。だからこそ、今日の大会で「日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の『第二の加害者』は、あなたたちです」という言葉が語られたのだろう。

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 あの県民大会は、東京ではニュースの一つだ。その状況の中で、知人のような感想が生まれるのも当然だろう。一方で、「今回の事件の『第二の加害者』は、あなたたちです」と語っていたあの女性もまた、そこに断絶があることを知っているからこそ、そんな語り方をしたのだろう。その断絶の中で、僕の頭は混乱する。知人の言う通り、今の方法では断絶はなくならないだろう。県民大会は過去にも繰り返し開催されてきた。しかし、状況は改善されることがなく、今回の悲劇がある。これを改善するには、別の伝え方が必要なのは確かだ。でも、でも、どうして沖縄の人ばかりが伝え方を考えなければならないのかと思うと、僕はたた俯くことしかできなくなる。この状況は、沖縄の人が選択したものではないのだ。それに、今回の大会には翁長知事も出席しており、採択された決議を政府に伝えることになっている。国とトップと県のトップがやりとりをして改善されないとすれば、他にどんな道があるだろう?

 伝え方ということについて考える一方で、思い出したのは圧倒的な存在感のことだ。あの場には6万5千もの人が集まっていたのだという。会場に滞在しているあいだ、その存在感に僕は圧倒されていた。壇上では演説が行われ、ときどき拍手や「そうだ!」と声も挙がるが、聴衆はただその場所に集まり、静かに座っている。しかも、組織的に動員されたわけではなく、ほんとうに、それぞれが集まってきたという風景だった。会場で知人に「フェスだね」と伝えると怪訝な顔をされたが、それはそういう意味だった。聴衆は静かに、しかし思いを持って、そこにいる。別に何かを声高に叫ぶわけではなく、ただそこにいる。その言葉のなさ、静けさが印象的だった。その静かな憤りに、僕はハッとされられた。

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 「うん、だからびっくりした」と知人も言う。「年代もまちまちだし、組織としてきてる感じでもなくて、ほんとにただ親子できてるみたいな感じだったから。でも、全員黒かったじゃん。その黒さも、フォーマルな感じで黒ってわけじゃなくて、本人のできる範囲の黒って感じで、『日傘は黒を選びました』とか、『黒いTシャツにしました』とかっていう感じだったじゃん。それで、あんなに暑い中、静かに座ってて……。ああいう感じは、広島ではあるかもしれないけど、山口ではないわけ。なんかのために、あれだけの人が集まるって。そこはほんとうにすごいなと思ったし、びっくりした」

 泡盛を3合飲んだところで「うりずん」を出た。既に腹は膨れているが、駅前にあるスタンドのような沖縄そば屋に入る。座間味でも、それに今日の昼も沖縄そばを食べているが、1杯はよもぎそばで、もう1杯はもずくそばであった。「あれはあれで美味しかったけど、紅生姜がのってるような普通の沖縄そばが食べたい」と知人が言うので、しめに食べることにする。出てきたのはまさしく普通の沖縄そばだ。知人はうまそうに汁まで飲み干した。

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2016-06-18

 朝4時、やっとのことで目を覚ます。昨日は日付が変わるころまで飲んでいたのでよろよろだ。知人と二人で身支度をして、なんとか電車に乗る。今日は6時半の飛行機に乗り、知人と一緒に沖縄に行くのだ。前回沖縄に出かけたのは今年の3月だから、3ヶ月ぶりの沖縄旅行だ。前回の旅から帰ってきてすぐ「6月に再訪しよう」と思い立ち、ずっと計画を練っていた。当初は3週間ほどかけてじっくり旅をするつもりでいた。

 毎日沖縄の地図を眺めて過ごす僕に、知人はうらめしそうにしてる。これは誘った方がいいのか、しかし6月に知人は休みが取れるのだろうか、まあ土日を利用すれば都合がつくだろう、いやつけろよと気分が移り変わり、知人を無理やり誘って沖縄に出かけることになったのである。

 そういうわけで、本来なら3週間滞在するつもりでいたのだが、航空券を抑えた矢先に心臓がばくばくする額の請求書が届いた。これではとても3週間も旅をしていられないと思ったが、それでも6月の沖縄を再訪したくて、規模を縮小して6泊7日の旅をすることに決めた。

 空港を出ると、すぐにタクシーを拾って泊港を目指した。梅雨が明けたばかりの那覇は、いつにも増して湿度が高くむわっとする。しかしそれすら心地よく感じる。渡嘉敷島座間味島のフェリーの出航が近づいており、どちらも結構な列ができておりギョッとする。以前座間味島を訪れたのは夏の終わりだったが、そのときフェリーが混んでいたという印象はなかった。あれは平日だから空いていたのだろう。

 オリオンビールのロング缶と油味噌のおにぎりを購入する。知人はロング缶とからあげくんを買っていた。フェリーに乗り込んでみるともう満席で、床にシートやゴザを敷いて座っている人もいる。僕が「まあでも、外のほうがええやろ。海見れるし」と言ってデッキに向かうと、「でも、座間味島まで2時間もかかるんやろ」と知人は不満そうについてくる。僕は広島出身で、知人は山口出身なのだが、この半年で言葉遣いがおかしくなっている。

 ほどなくしてフェリーは出航した。同じくデッキに座っているおじさんたち――レジャー好きという感じのするおじさんたち――は、乗船チケットをもぎっていた男の子に向かって手を振る。海が青々している。船にぶつかった波はしぶきとなり、そこに小さな虹が見えた。ほら、虹やで。嬉々として知人に教えてみたのだが、知人は興味なさそうに「ああそう」とだけ言って、日焼け止めをたっぷり塗っている。あ、飛行機だ。あ、また虹が出てる。あっちは波がきらきらしちょるね。僕はちびちびビールを飲みながらずっと海を眺めていた。そこにはただ海だけが広がっている。時計を見るとすでに30分経っている。「これなら2時間あっという間やろうね」と言ってみたが、知人は返事をしないでいる。

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 あっという間にビールを飲み干していた知人は、「ちょっと船内見てきていい?」と言ってどこかに行ってしまった。ほどなくして帰ってくると、「反対側のデッキやと、島がたくさん見える!」と嬉しそうにかえってきた。そちら側に移動してみると、たしかに島がたくさん見える。ぼこぼこと変わった形の島だ。島を見ながら知人は満足そうにしている。どうしたのかと聞いてみると、「今、海賊王やけん」と言う。島や岩場がたくさん見える。岩場の群れのまわりには漁船がたくさん停まっている。場所取りで揉めたりしないのだろうかと思って眺めていると、知人は「あの島、うまそうやね」と言う。

 「うまそう?」
 「うん。抹茶みたいでうまそう」

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 12時、座間味島に到着した。座間味島に来るのは2年振りだが、海がとにかくきれいで、夢中でシュノーケリングをした。あまりにも熱中してしまって、背中がやけどのようになってしまい、1週間近く後遺症に苦しんだおぼえがある。でも、それ以外のことはほとんど記憶に残っていなかったのだが、座間味島の港が見えた瞬間にはっきりと記憶が蘇ってくる。

 まずは自転車を借りて、お昼ごはんを食べられそうな店を探す。しばらくぐるぐる移動して、こぎれいな沖縄そば屋を見つけてそこに入る。知人はフーチバーそば(よもぎそば)、僕はゆしどうふそばを注文して、生ビールも2杯ずつ飲んだ。フーチバーそばというのは初めて知った。どんな味かと聞くと、「美人の味がする」と知人は言う。食事を終えると、いよいよ海を目指して自転車を走らせることになる。

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 知人に「沖縄で何をしたいか」と尋ねると、「浅瀬でちゃぷちゃぷ」という答えが返ってきた。沖縄にはいくらでもビーチがある。さて、どこの浅瀬にしたものかと『るるぶ』を眺めていると、知人がウミガメの写真に反応して、「ウミガメと一緒に泳ぐ」と言い出した。そこで思い出したのが座間味島だった。たしか座間味島の近くにはウミガメが生息していたはずだ。それで、何より先に座間味島を訪ねることにしたのである。

 まずはウミガメがやってくるビーチではなく、海の家のある古座間味ビーチを目指す。少し走るとすぐに急な坂があらわれる。早々に漕ぐのを諦め、自転車を押して歩く知人が「中学生のときを思い出すわー」と言う。「中学生の頃もママチャリ漕いで、山を越えて富海の海に行きよった」。のどかな風景の中で自転車をこいでいると、たしかに昔のことを思い出して心が躍る。5分ほどで坂道を登りきると今度は下り坂だ。誰かと一緒に、ほとんど車も通らない田舎道を自転車で下る。まるで青春じゃないか。少し下ったところで、嬉々として後ろを振り返ると、知人はずいぶん離れた場所にいた。片手はこれでもかとブレーキを握り、もう片方の手は帽子のつばを押さえている。坂道からは海が見えているというのに、知人は「これ、帰りは登るってことだよね?」と不満げだ。

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 そんな知人でも、古座間味ビーチの青さを目の前にするとテンションが上がったらしかった。「渡辺直美のかけてるサングラスぐらい青い」と、よくわからないような、よくわかるようなことを言っている。水着に着替えると、浮き輪とシュノーケルを借りて砂浜に出て、さっそく海につかる。シュノーケルを使って海を見ようとしているのだが、知人はなかなかシュノーケルを使いこなせないらしかった。僕にも教えられるほどの知識もないので、慣れるしかないだろう。そう思って、僕は僕でシュノーケリングを楽しむ。浮き輪に乗っていると自然に沖に流されていくのだが、知人を振り返ってもまだ波打ち際にいる。何かあったのかと思って引き返し、「何やってんの?」と訊ねてみると、「何って、浅瀬でちゃぷちゃぷだけど」と知人は言う。

 古座間味ビーチは、波打ち際でもたくさんの魚を観察できる。でも、もう少し沖に出たほうがいろんな種類の魚が見れる。そう思って「もう少し沖まで行こうや」と誘ってみると、知人は足をかき始めるのだが、一向に沖に進みそうにもなかった。海に行きたいと言っていたのに、泳げないのだという。じゃあなんで海に行きたいと行ったのかと訊ねると、「何でって、浅瀬でちゃぷちゃぷするからだけど」と同じ答えが返ってくる。仕方がないので浮き輪を押して沖まで連れていき、ひとしきりシュノーケリングを楽しんだところでまた浮き輪を押して浜辺に戻った。

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 1時間半ほど堪能したところで古座間味ビーチをあとにして、別の道をゆく。「また坂なん」と不満げな知人を引き連れて進むと、入り口が見えてくる。そこに自転車を停めて、茂みに囲まれた階段を上がると、ぱっと開けた場所に出る。そこにあるのは平和之塔だ。僕が説明すると過剰になるだろうから特に何も言わず、碑の説明書きを読む。戦没者の名前が刻まれているが、その多さに何度でも驚いてしまう。知人をみると、無理矢理外に連れ出された室内犬のような顔になっている。本当はこの上にある集団自決の碑のある場所まで行き、さらにその先をしばらく進んだ場所にある、以前おすすめされたことのあるスポットまで行ってみるつもりでいたのだが、これは厳しそうだと諦める。

 坂を下って、もう一つのビーチである阿真ビーチを目指す。こちらはかなり人がまばらだ。ビーチの入り口にはウミガメがいた場合の注意書きがあり、出会えるのではないかと期待が高まる。ただ、ウミガメがいるのは観光化されていないからこそであり、ここには海の家はなく、シュノーケルも当然借りることができない。「どこにウミガメがおるん」と知人は言うが、僕たちはせいぜいウミガメが息継ぎをする瞬間を待つくらいのことしかできなかった。当然、そんな幸運が舞い降りるはずもなく、しばらく待ってもウミガメは見れなかった。知人はがっかりしているかと思いきや、「平泳ぎで泳げるようになった!」と嬉しそうに言って、2メートルほど水中をもがいている。

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 16時、阿真ビーチの近くに小さなパーラーを見つけ、生ビールを注文する。グラスもキンキンに冷えて――むしろもう凍って――おり、最高の状態だ。満足そうな知人に「島、どう?」と聞いてみると、「島やね」との返事。ビールを飲み干したところで港のほうに引き返し、マリリンの像と記念撮影をして自転車を返却し、17時過ぎ、沖縄本島に引き返す。帰りは高速船にしたので、あっという間に到着した。

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 ホテルにチェックインすると、まずはシャワーを浴びて洗濯をする。テレビをつけていると天気予報が始まる。週間天気予報をみると、全国的に曇と雨マークで埋め尽くされているのに、沖縄だけはすべて晴れマークだ。ほどなくして夕方のニュースが終わり、「ニュース7」が始まる。知人は「えっ、ニュース7ってことはもう7時なん? まだ5時くらいだと思ってた」なんて言っている。たしかに、窓の外は明るくて、到底19時とは思えない空だ。

 20時過ぎ、安里に飲みに出かける。路地をぶらつき、さてどこで飲もうか。暑いからか、沖縄の猫はがりがりだ。上裸で座り込んでいるおじいさんもがりがりである。どこの店に入るか吟味して、貝の専門店と看板の出ている「ひいき屋」という店を選んだ。まずは角ハイボールと店主おすすめ5点盛りを注文する。クボ貝、ホッキ貝、タイラギ、ツブ貝、それにあさりのイカスミ漬けが運ばれてくる。他のものは刺身あるいは漬けとして身がごろんと出ているが、クボ貝というのは小さな巻貝であり、爪楊枝で中身を取り出して食べることになる。何個か食べたところで、知人が「何でそんな上手に取れるん」と言う。知人は身を取り出すのがへたくそで、途中でぷつぷつ切れてしまっている。こういうとき、普通なら代わりに取ってあげるのだろうなと思いながらハイボールを飲んだ。どこかの店でお客さんが民謡を歌い出した声が聴こえてきた。

 専門店だけあって貝がたくさん取り揃えてあり、5点盛りに含まれていない貝は山ほどある。2杯目は泡盛のソーダ割りにして、「一番人気」と書かれているホンビノスを注文する。沖縄産の貝ではなく千葉産だ。お互い結構遠い距離を旅してきましたのう。他にもいくつか頼んで、最後に「しったか」という貝を注文する。説明書きには「(とんねるずの)ノリさんの好きな貝」とあり、そういえばテレビでやっていたなと思い出す。これも比較的小さな巻き貝で、自分でほじくって食べる必要がある。この手間も楽しさなのだろう。しかし、こんな小さな貝を採って食べる文化というのも不思議だ。小さな貝をたくさん獲るのは大変だろう。食べづらいのに腹が膨れるわけでもない。それを食べるのは、よほど困窮しているか、よほど贅沢であるか、どちらかだろう。

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 45分ほどで切り上げて、今夜のめあてである店を目指す。21時半から営業するおでん屋「東大」だ。21時15分に着いてみると、もう既に6組も並んでいる。前回沖縄に来たときはその時間であれば2組目くらいだったが、観光シーズンが既に到来しており、しかも今日が土曜日であることを忘れていた。しばらく待っていると、知人と、2組前に並んでいた女性が叫び声をあげる。何事かと思えば、大学時代の友人らしかった。そんな偶然もあるのだなあとぼんやり眺める。21時34分に店のシャッターが上がり、入店。6組目だとずいぶん待つことになるだろうし、今回の滞在中にもう一度来店するつもりでいるから、泡盛(残波の白)をボトルで注文する。おでんは葉野菜、大根、玉子、ちきあげ、昆布手羽先。それにゴーヤーの酢漬けと初物の島らっきょうも頼んだ。

 おでんをちびちび食べながら、たしか演劇の話をしていたと思う。90分ほど待ったところで、待ちに待った焼きてびちが運ばれてくる。「東大」を初めて訪れたのは2013年の秋だ。2013年6月23日、マームとジプシーの『cocoon』の上演に先立って、原作者である今日マチ子さん、マームとジプシー主宰の藤田貴大さん、音楽を担当する原田郁子さん、音を担当するzAkさん、それに出演者の皆と一緒に沖縄を旅した。8月に『cocoon』は無事千秋楽を迎え、その1ヶ月半後、「お礼参り」ということで何人かで沖縄を再訪した。そのときに初めて「東大」を訪れて、名物である焼きてびちを食べた。そのボリュームにも、どこでも食べたことがない食感にも、そのうまさにも衝撃を受けた。これはきっと知人が好きな味だろうと思った。それから何度となく沖縄を再訪し、「東大」にも足を運んでいるが、そのたびに「きっと知人が好きな味だろう」と思っていた。知人はうまそうに肉を食う。「さくさくしてうまい」と嬉しそうに語る姿を眺めながら、泡盛を飲んだ。

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2016-05-22

 朝8時に起きると、少し風邪気味だ。10時ギリギリにチェックアウトをして、まずは坪井川沿いを散策する。熊本大神宮は崩落しているし、城壁も崩れている。その風景を、当たり前のことのように眺めている。それより目につくのは新緑の美しさだ。今まで僕は新緑の季節が苦手だった。その匂いも苦手だし、グングン成長して風景を覆い尽くす緑が恐ろしくもあった。でも、どういうわけだか今日は綺麗だと感じる。

 熊本城は今も立ち入りが大きく制限されており、入れるのは二の丸広場だけだという。行っても何も見れないかもしれない。さほど期待せずにそちらまで回ってみると、祭囃子が聴こえてくる。二の丸広場の入り口には紅白のテントが建っていた。今日はひょっとこ踊りの大会が開催されるそうだ。近くではお土産や特産品も販売されていて活気がある。

 その中にオランダ揚げなる品があった。太刀魚とハモ、玉ねぎを練り込んだ揚げ物だ。なぜオランダなのかはわからないが、とにかく「揚げる」ということがモダンであった時代を感じさせる。それと一緒に地ビール不知火海浪漫麦酒(カルメン)を注文して、近くのベンチで食べた。

 少し歩いたところに二の丸広場はあった。広場という名前にふさわしく、青々とした芝生が広がっている。その中に大きな樹木があり、木陰で家族連れがピクニックをしている。木の上を見上げると、猫が眠っていた。熊本城の様子を眺めに来たのだけれども、その風景が何より印象的だ。お堀沿いにはカメラを提げた観光客が大勢いる。ボランティアのシールを腕に貼った若者たちの姿もある。その風景を眺めていると、皆が好きに過ごせばいいのだという気持ちになる。何をすべきかなんて言い出したってどうにもならないだろう。

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 花畑町からチンチン電車に乗る。終点の健軍町で降りてタクシーに乗り換え、「益城町の役場までお願いします」と伝える。10分ほど走ると、道が渋滞し始める。ラジオでは「柿木珈琲店」という番組が流れていて、リスナーからのメールが読まれている。今日はコーヒーを飲みながら、久しぶりにのんびり過ごしています。なんでもない日々を過ごせることの大切さを噛み締めています、と。ラジオから流れる歌に耳を傾けていると、「こっちにくると、道も相当悪くなっとるですね」と運転手が言う。7キロほどの道のりだが、到着するのに30分近くかかった。

 益城町木山の交差点でタクシーを降りて、南へと歩く。建物は大きく崩れており、電柱は傾いている。車が通るたびに埃が大きく舞い上がる。黒い靴はすぐに真っ白になった。少し歩くと川が見えた。秋津川だ。ちょうどお昼時だということもあり、家族連れのボランティアか、それとも地元の人なのか、川べりでお弁当を食べている。少し離れた木陰では、作業服姿の人たちがブルーシートを広げて昼寝をしていた。

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 近くに「セブンイレブン」(益城総合運動公園前店)があった。今年2月にオープンしたばかりの店は、比較的被害が少なかったのか、通常通り営業しているようだ。酒も販売中なので、飲む人も必要だろうとアサヒスーパードライを買って歩く。住宅街に入ると崩れた家が目立つ。不思議なのは、全壊した家の隣に被害の少ない(ように見える)家があること。この差は一体何だろう。何が運命を左右しているのだろう。

 あまり人とはすれ違わないが、生活の音が聞こえてくる。表で食器を洗っている人がいる。洗濯物を干している家をみると、ああこの家は無事だったのだなと思う。震災で出たゴミが軒先に置かれている。ショベルカーがあちこちで稼働している。あちこちに花が咲いていた。熊本城を見物したときほど素直に緑を愛でる気持ちではなくなっていたが、それでも花が目に留まり、写真に収める。あとで知人に写真を見せると「じじいの写真じゃあ」と言われてしまった。

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 歩いていると書道教室を見つけた。表には生徒の書が張り出してある。そこに書かれたいくつもの「ひかり」という言葉が印象に残る。益城町を2時間ほど散策して、バスに乗って阿蘇くまもと空港へ。日が暮れる頃には高田馬場にたどり着き、まずは撮影したフィルムを現像に出す。早稲田通りは仮装した人で溢れている。一体何事かと思えば、今日は100キロハイクの日だ。あちこちで校歌が歌われており、ただ冷ややかな気持ちになる。愛校心を発揮する集団を冷ややかな気持ちで眺めてしまうのは、自分が愛校心を持ったことがないからか、それとも単に大学生という集団が嫌いだからか。昼には「皆が好きに過ごせばいいのだ」なんて思っていたのに、あっという間に心が狭くなっている。