Hatena::ブログ(Diary)

日記

2016-12-19

 7時過ぎに起きて、録画したNHKアーカイブス『湯を楽しむ 日本人と温泉文化』観る。最初に紹介される1964年放送の「日本の伝統 湯」では、湯が信仰の対象ともなってきたことが紹介される。山形の湯殿山神社には本殿や拝殿はなく、大きな岩とそこに湧き出る湯がご神体となっている。「岩のあいだから湧き出る湯が、何か神秘なものと写り、そして、髪が形をかえたものとして信仰の対象とさえなったのである」のだとナレーションで語られる。同じく山形今神温泉では、入浴するときはまず、湯船の正面に祀られた今熊野三社大権現に神の湯を汚さないことを誓う。そして湯に入ると終始手を合わせて真剣に祈りを捧げる。その姿に驚く。湯というのは信仰の対象であったのか。僕が小さい頃は「風呂の神様に休んでもらう」と言って元日は風呂に入れなくて不満に思っていたことを思い出したが、あれも湯に対する信仰だったのだろうか。

 後半に紹介されるのは「新日本紀行 道中 那須の湯けむり」(1979)という番組だ。那須の農村に暮らすおばあさん二人組が、農作業の疲れを癒すべく湯治に出かける様子に密着しているのだが、こちらで驚いたのは温泉宿で自炊していること。温泉と自炊というイメージが、僕の中では結びつかなかった。しかも、このおばあさんたちが本当によくしゃべる。カメラが入っているということを差し引いても、かなりしゃべっているほうだろう。廊下ですれ違った人と「こんばんは」「こんばんは。風呂へ入りましたか」「ええ、とってもいい湯ですよ」「はいはい私も行きますよ」と言葉を交わしてすれ違うと、部屋に入る。「ええお邪魔します」。そこにいたのは知らない人たちだ。「はい、どうぞ」「はいどうも、はいどうも」と挨拶を交わすと、「お姉さんも少し」と酒を注がれ、「はいいただきます」「いや、こんなに」と、無音になると爆発してしまうのかというほどひたすらしゃべりっぱなしなのだ。田舎の人は科目でシャイだというイメージがあるが――他ならぬ田舎の農村出身の僕でさえそういうイメージがある――そんなイメージは嘘っぱちだったのだと思い知らされる。

 も一つ驚いたのは、今も書いたように、見ず知らずの人の部屋にも上がり込んでいること。ある温泉宿で、片方のおばあさんの姿が見えなくなった。もう一人のおばあさんは彼女を探して歩くのだが、他の客間を遠慮なしに開けて探してゆく。すると、ある部屋にその姿を見つける。それは茨城養豚場の男性数人の部屋で、彼らと一緒に豚肉を食べていたのだ。今の日本人とはずいぶん感覚が違っているけれど、これがたった37年前の話だということに驚かされる。温泉や銭湯というのは湯をシェアする場所だけれど、湯にかぎらず、いろんな時間を共に過ごしている。さきほどの「日本の伝統 湯」で紹介されていた、昔の人は自分の家で風呂に入るのでなく、近所で湯を立てた家があるとそこで湯に浸からせてもらいにいくのだという話も印象的だったけれど、この「シェアする」という感覚を取り戻せば、日本はもう少し気楽に過ごせるようになるだろう。しかし、その感覚を巻き戻すのはかなり大変だという感じがする。

 昼、麻婆豆腐丼を食す。コーヒーを飲みつつ年末年始の予定を立て、電車の切符と宿を手配する。テレビでは録画しておいた『THE MANZAI』観る。この番組のCMではビートたけしが「おぬし!」という姿が使われていたけれど、千鳥の「おぬし」ネタ、たしかにこれまでで一番面白かった。夜は門前仲町に出かけた。18時、『S!』誌収録。年内最後の収録だ。最初のうちは他に客もおらず静かだったが、ほどなくして団体客が入ってきて騒がしくなる。どこかの会社の忘年会だろう。女将さんとおぼしき女性が団体客にやたら丁寧に接客する姿に、Tさんは「ここは駄目な店だね」とぽつり。「客を差別する」。たしかに、常連客を手厚くもてなすのが悪いとは言わないけれど、他の客の目の前でやるべき振る舞いではないだろう。店員さんが鍋の支度をし、さらに取り皿に取り分けようとしたところで、Tさんは「自分でやるから大丈夫ですよ。俺たちはしゃべるのが仕事だから、(編集部や僕で)食べて」と言う。そわそわした気持ちで鍋を平らげつつ、いつにもまして前のめりで話を伺った。

 2時間弱で収録は終わる。僕はTさんと一緒に神保町に出て、「S」。ハイボールを何杯か飲んだところで、『SMAP×SMAP』が始まる。来週はほぼ総集編になるというから、通常回としては今日がラストだ。ビストロSMAPのゲストはタモリ。それはわかる。しかし、歌のコーナーのゲストが椎名林檎というのはどういうことだろう。番組では「SMAPに楽曲を提供したことのある椎名林檎さんが初登場」と説明されている。しかし、SMAPに楽曲を提供したアーティストはいくらでもいるだろう。その曲の中で、椎名林檎が提供した「華麗なる逆襲」という曲が、どれだけ浸透しているだろう(しかも少しだけ流れたその曲は、SMAPに向けた曲というより椎名林檎の曲にしか聴こえなかった)。

 しかも、SMAPと一緒に歌う曲は「青春の輝き」だ。「東京事変の解散ライブでもアンコールで歌った思い入れたっぷりの曲です」と言うことだが、それが一体何だというのだ。こんなふうに書き連ねていると、よっぽど椎名林檎のことが嫌いなのだと思われるかもしれないが、僕は椎名林檎のことは好きだ(った)。しかし、オリンピックに向けて活動している椎名林檎のことはどうしても好きになれない。番組のスタッフも、どうして椎名林檎をキャスティングしたのだろう。ここでゲストに呼ぶべきは、Mr.ChildrenスピッツGLAY小室哲哉(が手がけたアーティスト)など、共に90年代を彩った誰かであるべきではないのか。「S」を出てからも、勝手に腹立たしい気持ちになって、数駅ぶん歩いて帰った。

2016-12-18

 11時過ぎ、知人と一緒にアパートを出た。まずは新宿へ行き、高野フルーツパーラーを覗く。びっくりするような値段なのですぐに伊勢丹に移動し、種無しぶどうを買った。これから観に行く公演の差し入れだ。買い物を終えると、「王ろじ」でとん丼でも食べるつもりだったのだが大行列、少し迷って「ライオン」に入る。ビールを中ジョッキで頼んで、 国産鶏のチキン唐揚げとポテトとソーセージのガーリック炒めをツマミに飲んだ。1杯だけお代わりをしたところで店を出て、小走りで副都心線に乗り込み、 KAATの大スタジオへ。昨日から『ルーツ』という舞台が上演されている。松井周が脚本を担当し、杉原邦生が演出と美術を担当した舞台だ。快快のこーじさんも、それにあゆみさんやはせぴも出ているということで、差し入れの名義は知人と僕の連名にしてもらった。

 会場に入ると、レディーガガが流れている。「何でガガ様が流れよん」と訊ねてみると、「くにおチョイスやけやろ」と知人は言う。さっきはジャスティン・ティンバーレイクが流れていたとのこと。14時過ぎ、幕が上がる。この作品のあらすじは、こう説明されている。

 山の中にある、鳴瀬という小さな集落に、一人の男がやってくる。その男は古細菌という微生物の研究者で、鳴瀬鉱山という廃鉱を訪ねに来たという。しかし、鳴瀬の住民たちは彼を素直に歓迎するわけにはいかない。何故なら、鳴瀬鉱山では五十年前に鉱毒事件が発生し、住民たちはそれから「地図にない村」の一員としてひっそりと暮らしてきたからだ。研究者の男は、鳴瀬に滞在することを決める。彼は住民たちと生活を共にしながら、鳴瀬の隠された部分にまで足を踏み入れることになる。


 しかし、舞台を観ていると、突然現れた研究者を名乗る男に対して、鳴瀬の住民たちは案外素直に彼を受け入れている。実際の田舎は――というよりも「地図にない村」は――もっと圧倒的なまでに排他的だろう。何より不思議なのは、「地図にない村」に暮らしている人たちが普通に通勤し通学しているということだ。研究者の男は男で、古細菌が目当てでやってきたわりに(まずは住民に馴染まなければ廃鉱に立ち入ることもできないという問題があるのせよ)研究を進めるために手はずを整えると言った様子もなく、のんびり生活しているのが不思議だ。ただ、そんなことは自分が田舎出身だから引っかかってしまう些細なことであり、それによって作品がつまらないということではまったくなかった。

 研究者の男は村に馴染み、祭りにまで参加する。カッパ祭り(という名前だったかは定かではないが)で優勝し、今年の「カッパ男」にも選ばれる。皆がその泳ぎを褒め称えているところで、ある女性が語り出す。「鳴瀬にはカッパの神と熊の神がいるんですけど、ますます熊の神の立場がなくなります。私は昔みたいに、カッパの神と熊の神に仲良くして欲しいから」。村人たちは、研究者の男が今年のカッパ男になったのだから、(去年のカッパ男だった)斎藤という男には熊男をやってもらえばいいのではないかと言う。すると、話を聞いていた老女は「ダメだ」と怒り出す。「熊の神の使いは女って決まってるんだ。カッパ男に熊女、そのあいだに入るのが人神ちゃま、男でも女でもねえよ」――しばらく黙って話を聴いていた研究者は、人神ちゃまはどこにいるのかと尋ねる。女は胸を抑え、「皆のここに宿っているんです」と答える。この“人神ちゃま」というのが物語の鍵を握る存在だ。

 ところでこの作品には、冒頭から一人だけ謎のキャラクターが存在している。真っ赤な服を着た大きなペットボトルを持って歩く男は、たしかに舞台上に存在しているのだけれども、誰からも認識されることなく過ごしている。いや、正確には、研究者の男だけはその男に気づき、「今、誰かいませんでした?」と問いかけるのだが、村人たちは「いや?」と不思議そうに答えるばかりだ。真っ赤な服を着た男は、こんなことを口にする。ああ、眠い。眠いなあ。これは、僕の心の声。だから、誰にも聴こえないはず。僕は、空気だ。空気にも言葉はある。空気にも心がある」。誰にも気づかれることなく、それこそ空気のように過ごしていた男だが、舞台が中盤にさしかかると、ある女性――彼女は鳴瀬生まれではなく、外から逃げ込んできた――が、突如として真っ赤な男に声をかける。彼女はもうこの村を出ていくと決めていて、最後に君のことを見てもいいかと尋ねる。最初のうちはその姿をうまく捉えることができなかったが、段々見えるようになってくる。ずっと誰からも見られないで生きてきて、寂しくないのかと女は訊ねる。鳴瀬で死んで行った人たちと同じだよ、と男は答える。「鳴瀬で死んでった人たちを忘れないように僕がいる。僕は神ちゃまなんだ。神ちゃまは人間じゃない。鳴瀬の象徴で、過去で、未来なんだ」。つまり、赤い服の男こそが「神ちゃま」だったのである。

 研究者の男も、ふとしたことをきっかけに「神ちゃま」の存在に――いや鳴瀬に伝わる「神ちゃま」という風習の実態に――気づくことになる。ある日、生まれたばかりの赤ん坊が行方不明になる。その子は、行方不明になったのではなく、次の「神ちゃま」として育てるために一度さらわれたのだ。そして、しばらく経つと次期「神ちゃま」として帰ってきて、生みの親の子としてではなく、村の子として育てられることになる(しかも、父親は村の男の誰かの子だというのがまたエグさを増す。夜這いという風習も少し思い出す)。村の男は言う。「人間であって人間でない、だから誰からも見えない。そういうことになってるの」と。そんなのは人権侵害だと研究者は反論するが、「そうかもしれないけど、それが普通だからなあ」と言われてしまう。この村の異様さからは、様々なものが想起される。物語の通りに、閉鎖的な田舎の村の姿としてこれを観ることもできる。生まれてまもない子どもが「人間であって人間でない」神として生きることを強いられるということからは、天皇という存在も思い浮かぶ(天皇もまた御簾の向こうにいる、見ることが許されない存在だった)。あるいは、「そういうことになってるの」という因習からは、イスラム世界のことも思い浮かべることができる。ここに描かれているのは日本の村の姿であり、日本という国の姿でもあり、今の世界が抱える困難でもある。

 この作品には何人ものキャラクターが登場しており、いくつかの流れが存在する。ここまで触れてこなかったが、その一つというのは、はせぴ(長谷川洋子)が演じるキャラクターに関するものだ。彼女はおそらくまだ学生だけれども、鳴瀬からの家出を企てている。ある晩、彼氏とおぼしき男と落ち合って話をする。彼女はもう、今すぐ駆け落ちするほどの心づもりでFILAのバッグ(このあたりのアイテムのチョイスが何とも言えない気持ちにさせる)を抱えているのに、男のほうはそこまでの覚悟はまだ持っておらず、「急ぎすぎだよ」と諌めようとする。しかし彼女は譲らず、「急がないと、いつか鳴瀬に飲み込まれそうなんだもん」と言う。それでも男は煮え切らなかった。また別のシーンで、「俺はそうじゃないって前提で聴いて欲しいんだけど」と男は語り出す。「うちの親は古い人間だから、お前が鳴瀬出身だってことを気にしてるんだ」と。その言葉に、彼女は打ち砕かれてしまう。「ともくんに言われたら、それはもう呪いだよ」と。これは観客として忖度すべき話ではないかもしれないけれど、この台詞を言っているはせぴが福島県出身だということも、どうしても考えてしまう。

 こうした世界を突きつけられた観客としては、一体どうやってこの物語に幕を閉じることができるのだろうかと、途中からはずっとそのことを考えていた。すると、研究者の男は、まだ幼い神ちゃまを奪って逃げ出す。村人たちが追いかけていくと、そこに突然熊があらわれ、村人たちは逃げ出してしまう。しかし、その熊は本物ではなく、(研究者にささやかな好意を寄せていた)女が着ぐるみを着ているのだった。私がこうしているあいだに逃げてと言われ、研究者は逃げていく。女はがおーーー、と雄叫びを挙げ続ける。銃声が響く。誰が撃ったのかはわからないが、村人の誰かが本物の熊と勘違いし、彼女を撃ってしまったのだった――と、物語は終わってゆく。このラストに(雄叫びを挙げる女性の役を演じているのがあゆみさんだということを含めて)かなりびっくりしてしまって、あっけに取られてしばらく席を立つことができなかった。知人がこーじさんに挨拶をしてから帰るというので、終演後はしばらくロビーで過ごした。そこであゆみさんやはせぴとも少し話すことができたけれど、この劇の感想として色々話したいと思っていたことはあるはずなのに、ラストのインパクトから「びっくりしました」としか話すことができなかった。嬉しかったのは、あゆみさんが誕生日プレゼントをくれたこと。包みの中にはビールとナッツが入っていた。大事に飲みます、とお礼を言って劇場を出た。思えばそれが今年もらった唯一の誕生日プレゼントだ。

 外はもう日が暮れていた。KAATで芝居を観たあとは、いつも決まって「山東」で水餃子を食べている。今日も「山東」に入ってみたのだけれども、かなり混み合っているせいで「注文ハ最初ニマトメテ言ッテ、後カラ言ワレテモ出セナイヨ」と言われてしまう。じゃあ何を注文しようかとしばらくメニューを眺めていたけれど、考えているうちに腹が立ってくる。この店が繁盛していて、客が好き勝手に頼んでいたら面倒だというのはよくわかっている。たまにAというメニューを頼もうとしてもBにしろと言われることもある。そのくらいのことはこれまで受け入れてきた。しかし、食事だけの客ならともかく、こっちは酒を飲みにきたのだ。それを「最初にまとめて注文しろ」というのはいくらなんでも酷過ぎるだろう。結局、何も注文せずに席を立ち、帰ることに決めた。それに気づいたベテランの店員さん――注文を取りにきた人ではない――が「どうしました」と慌てて寄ってきたので、「さっき、『最初にまとめて注文しないとダメだ』と言われたんですけど、そんなふうには注文できないので帰ります」と伝える。その店員さんはそんなことないよ、大丈夫ですよと言ってくれたけれど、座り直す気分にはなれなかった。すぐ近くにある、悪魔のしるしの打ち上げできたことがあるという店に入り直す。こちらは空いているし、丁寧に接客してくれる。良い店じゃないか。気分が良くなり、四川麻婆豆腐をはじめとしてじゃんじゃか注文したせいで、会計は1万円を超えてしまった。

2016-12-17

 7時に起きる。早起きしたおかげで『サワコの朝』(TBS)を観ることができた。ゲストは青木崇高だ。ドラマで観ると大型犬のような存在感だと思っていたけれど、本人も大型犬みたいな人柄だ。知人も珍しく起きて観ている。昨日のQの『毛美子不毛話』に登場する人物の暴力的な物言いが酔っ払ったときの自分い重なる部分もあるので、上演台本を読んで聞かせると、「もふはそんなに合理的じゃないけど」と知人は言う。「納豆かき混ぜるのに器一つ使って、納豆とオクラを一緒に混ぜるのにまた器一つ使って、それを食うのにまた器一つ使って。バカやけど」。

 朝食を食べたのち、録画しておいた『勇者ヨシヒコと導かれし七人』(テレ東)第11話観る。ドラクエあるあるに終始した回だ。それはそれで面白いけれど、どうして無理やり全12話にしたのだろう。

 それを観終えると、ドイツ(Zebra Production/WDR)制作『私はシャルリではない』というドキュメンタリーを観る。パリ郊外にある、イスラム教徒や移民が暮らす地域を取材したドキュメンタリーだ。「La Grande Borne」という団地に、コートジボワール出身のソーシャルワーカー・アカが暮らしている。彼はカトリックの家庭に育ち、20台後半にこのイスラム教徒が暮らす地区に移住してきた。この地区は、ユダヤの少量品店を襲撃した犯人が生まれ育った場所でもあり、アカは小さい頃からその犯人を知っていたのだという。犯人とは1999年に連絡が取れなくなったが、2014年にふらりと戻ってきたそうだ。「彼は頼れる人を探していたんです」とアカは言う。「おそらく、街角のソーシャルワーカーだった頃の私を。でも、久しぶりに会って観ると、何かが違うと感じたんでしょう。昔のお礼で訪ねてきたにしては、彼はやけに冷静でした。自身に満ちていました。その揺るがない感じがどこからきていたのか、後になってようやく理解しました。彼の友人たちは、アメディは以前のアメディじゃないと言いました。何かが彼を飲み込んでしまったんです」。

 パリに移住してきた人々のあいだで、宗教意識は変化しつつある。この団地に暮らす母子がいる。この母親というのがパリに移民してきた世代であり、彼女は宗教に関心を持っていない。しかし、子は宗教について学びたがっており、 「髪を青くしている女の子とは結婚したくない」と語る。それを聞いた母は「そんなことどうでもいいじゃない」と反論し、「ベールをつけた女の子は色っぽくないよね。かわいそうよ」と語る。ヨーロッパに渡った世代は、宗教的関心が薄いからこそ西欧を目指した。しかし、移民二世は宗教に向かう。それは社会から疎外されていると感じているからだろう。郊外の団地に育った若者たちは皆、「ここを出るつもりはない」と口を揃える。小さい頃から共に育った仲間がそこにいるからだ。フランス社会に溶け込もうと思わないのかと質問されると、皆一斉に喚き出す。「フランス社会? そんな社会に溶け込めるわけないだろ! 自由・平等・博愛、たしかにフランス中にそう書かれている。でも、そんなキレイゴトが現実にどこで尊重されている? どこに行ったって、これっぽっちもお目にかかったことないよ」。

 白人の暮らすパリ中心部とイスラム教徒の移民が暮らす郊外とは分断が進んでいる。危うげな若者がいると昔は諭すように語りかけていた警察が、今は何かしらの罪ですぐに手錠をかけようとするのだという。以前であれば徒歩で巡回していたのに、今は車でだけパトロールが行われており、麻薬の取引なども頻繁に行われているそうだ。フランス社会に馴染むことができず、過激なイスラム思想に走る――そんな若者を、宗教的な権威であれば止めることができたのか。答えは否だ。パリ郊外にあるモスク「Mosquée d'Evry-Courcouronnes」の代表を務める男性はモロッコ出身で、外国人労働者としてフランスに渡ってきた。彼曰く、「宗教にもとづく過激な行動はモスクから生まれるわけではありません。最近の若者の多くは、宗教を学ぶにしても両親からではなく、インターネットを通じて学んでいます。ですから、過激派をコントロールすることは、モスクの代表である私には手に余る行為です。私たちにできることは、人々に情報を提供し、イスラム教の真実、その本来の意味を正しく伝えることです」。

 イスラム教徒のコミュニティは今、ユダヤ人コミュニティとの亀裂に悩まされている。過激なイスラム思想にかぶれた若者たちは、ユダヤをターゲットにしているからだ。若者たちが反ユダヤ思想に染まるのは、ネット上にそうした言論が蔓延しているからだという。ユダヤ系の食料品店を襲った犯人が射殺された事件に関しても、ユダヤの陰謀だとする言説を掲載するサイトがあるのだ。ある専門家は、「こうした主張をするのは、三つの勢力がある」と語る。一つはナショナリズムから反ユダヤ的な言説に染まる陰謀論者(極右)、一つは反ユダヤ的なイスラム過激派、一つは「権力はユダヤと結びついている」と考える過激派(左翼)。しかし、何より問題なのは希望のなさだ。若者たちは、「ジハードに参加すれば金と女が手に入り、たとえ死んでも天国に行ける」と信じている。希望を持って生きることができれば、そんな思想に染まることはないのだ。

 12時半、東京芸術劇場プレイハウスへ。バーカウンター白ワインを2杯飲んだのち、『ロミオとジュリエット』観る。今日は二階席から観たが、改めてすごい演出だ。こんなふうに空間を使うのかと圧倒される。人と物と音と光を編集し、空間に配置する力には舌を巻くばかり。しかもプレイハウスという規模がまったく広く感じさせないのがすごいところだ。こうして見下ろすと、舞台上で役者がめまぐるしく動いているのがよくわかる。450キロにも及ぶ巨大な壁は男優陣によってくるくると動き回り、女優たちは壁と連動するように舞台上を動く。『ロミオとジュリエット』は、普通に上演すればどうしたって“お芝居”感が拭えないはずだ。台詞をすべて今風にアレンジすれば現代劇にすることはできるだろう。しかし、今回は(一部の台詞は『ロミオとジュリエット』を翻訳した松岡和子さんによってアレンジされたそうだが)台詞にはほとんど手が加えられていないのだ。

 舞台上の人と物はめまぐるしく動き続ける。ただ動かすというのではなく、様々な角度を与えることによって物語に対する視差が得られる構造にもなっている。そのせいか、1時間40分という上演時間のあいだにダレる時間がなかった。これは案外珍しいことだ。『ロミオとジュリエット』の世界に耽溺したい演劇愛好家には不満が残る可能性もあるけれど、コラボしている作家たち――音楽を担当する石橋英子・須藤俊明・山本達久、衣装を担当する大森瑛せ辧宗修剖縮を持って劇場に足を運んだ観客も、この1時間40分を楽しむことができるだろう(2014年の『小指の思い出』でも、2015年の『書を捨てよ町へ出よう』でも、今作でも、そのことに対して特に意識的であるはずだ)。その意味で、今回の試みは「現代劇として『ロミオとジュリエット』を上演する」ということではなく、「現代と地続きに『ロミオとジュリエット』を配置する」ということだったと言える。

 わかりやすい例を挙げれば、舞台が終盤に差し掛かったところで450キロの壁は舞台の上へと引き上げられていく。すると、舞台の奥に瓦礫が姿をあらわす。この場面で語られるのは、ジュリエットが乳離れした日の話だ。乳母は、11年前の大地震の日に乳離れしたのだとジュリエットに告げる。この「大地震」という箇所に、今回の上演に向けて戯曲を読み直した藤田貴大は目を惹かれたのだろうう。そこで語られているのは原作通りの話であるにもかかわらず、2016年の東京にいる観客は何か思い浮かべてしまう。あるいは、“ひよちゃん”というキャラクターのこと。彼女はもちろん原作には登場しない、オリジナルのキャラクターであり、その役名は役者の名前そのままだ。“ひよちゃん”は、舞台が中盤に差し掛かったところで、こんな台詞を口にする。「ああ、しあわせだ。しあわせな夜。夜だからこれは、みんな夢なんだろうか」――そう語り終えた彼女は、ストンと舞台から飛び降り、そのまま客席の間を歩いて消えてゆく。『ロミオとジュリエット』の世界の外側に存在していたキャラクターが、物語を食い破るようにして穴を開け、消えてゆく。物語の世界を堪能していた観客は、舞台と客席とのあいだの幕が破れたような気持ちになってギョッとすることになる。

 “ひよちゃん”が死んでしまった直後に、別の出演者が――吉田聡子が――語るモノローグも印象的だ。「ひよちゃんは、誰かからいじめられているわけでもない、仲間はずれにされているわけでもない、だけれども、私たちは誰も知らない、ひよちゃんのことを。ひよちゃんが何を考えているのか。ひよちゃんが、何で死んでしまったのかも、私たちはきっと、知らないままだろう」。また別の箇所で、吉田聡子は「隣の誰かが何を思っているかすらわからない、そんな街角だ、ここは」なんて台詞も口にする(それにしても、今回の舞台における吉田聡子の存在は以前にも増して大きいと言っていいはずだ)。ここでは『ロミオとジュリエット』に登場するキャピュレット家とモンタギュー家の争いも示唆されているわけだが、今の日本の状況だって重なるし、世界の状況だって重ねうる。その意味でも、『ロミオとジュリエット』を現代劇として上演したというよりも、現代と地続きに『ロミオとジュリエット』を配置したのだという気がする。そして、その向こうには絶望的な感情が仄見える。藤田貴大という演劇作家の作品には以前から絶望の色が大きく滲んではいたけれど、その色合いがますます濃くなっているように感じる。

 作品の内容とは関係ないことだが、腹立たしかったことが一つ。二階席の最後列に高校生の団体が陣取っていたのだが、上演中にずっとしゃべっていたのだ(高校生は割引があり千円で観れるから、そんな態度になってしまうのだろうか)。もし僕が端っこの席に座っていたら、上演中に立ち上がって文句を言いに言っていただろう。ぶちぎれるのは終演後にしようと気持ちを落ち着かせていたのだが、カーテンコールが終わって席を立つときにはもう奴らの姿はなかった。上演前は引率の大人がいる様子だったのに、情けない話だ。

 観劇後は「ふくろ」に入り、ホッピーを飲んだ。まだ2階の開いていない時間だから、珍しく1階で飲んだ。1階のほうがより常連さんで席が埋まっている。「お母ちゃんを殺しちゃダメだよ」「うん、年金もらえなくなっちゃうからね」なんて冗談を言い合っている姿を目の端で眺めつつ、えんどう豆をつまんだ。日が暮れる頃にはすっかり酔っ払っていた。ふらふらと店を出て、ビックカメラで新しいハードディスクレコーダーを分割で購入する。年末年始に観たい番組をチェックしていると、同じ時間帯に3つか4つ重なっているところがある。今のレコーダーでは2番組までしか録画できないので、新しいレコーダーを買おうと思っていたのだった。

 レコーダーを壊さないように慎重にアパートまで帰ってくると、ホッとしてすぐに眠ってしまう。遅い時間になって目を覚まし、眠れなくなったのでまとめサイトを眺めていると、島木譲二の訃報が出ていた。ふいに思い立って、『熱唱!!STREET FIGHTER II 』を引っ張り出して聴く。スト?のBGMをもとにしたアルバムで、ザンギエフのステージの曲で歌っているのが島木譲二なのだ。このアルバムはCDコンポと一緒に我が家にやってきたアルバムなので、妙にしんみりした気持ちになる。

2016-12-16

 8時に起きて、『ユリイカ』(臨時増刊)のみうらじゅん特集号を熟読する。取材陣は武田砂鉄とおぐらりゅうじという、同世代の書き手だ。皆、以前からずっとみうらじゅんの読者だったのだろうけれど、こうして特集に至るきっかけの一つは『「ない仕事」の作り方』のインパクトでもあるのだろう。その意味では、みうらじゅんインタビューにおける、小学生時代に作っていた『ケロリ新聞』の話が印象に残る。小学生が自分で新聞を作るとなると、普通は自分が書きたがるのに、自分には才能がないとわかっていたから絵のうまいヤツや頭のいいヤツに書かせていたのだという。つまり、自分が楽しければいいのではなく、人に見せることで自分の楽しさが湧き出るのだ、と。そこでインタビュアーから「みんなに見せて喜んでもらっている光景があらかじめ広がっているわけですか」と訊かれたみうらじゅんはこう答える。

みうら ありますね。若い頃から持てなかったのって、自分のタレント性なんですよ。自分、やっぱり自分に飼われたタレントなんで。こいつの話術とか、持っていきようが下手だったら、せっかくいい作戦もおじゃんになる。この仕事を始めた頃、たまにテレビのお誘いがあったんだけど、もう自我が出すぎちゃってうまくしゃべれない。「みうらじゅん」が、「三浦純」の話をしたがるんですよ。その部分いらないし、ネタを面白くしゃべれよって言ってんのに、「ここは僕が」って出てくる。録画した番組を見てみると、俺、こんなことやっているんですって語りたがってて、かなりうざい。以降はもう自分が出ている番組を見なく鳴ったんだけど、そこら辺から「自分なくし」って言い出したのね。もう自分はいらないから、ネタを引き立ててほしい、と。そこが自分のタレント性。(略)ネタだけが目立つ、これはすごく嬉しいよね。


 「修行」と称して様々なテーマを掘り下げ、収集し続ける「一人電通」としてのみうらじゅんにも刺激を受けるけれど、僕は今更そんなふうに生きることができそうにもなく(というよりもその仕事を受け継げる人は他にいるだろう)、それよりも、同世代の友人たちの語る、みうらじゅんのピュアな――特に音楽に関連した――エピソードのほうが印象的だった。

 夜、新宿眼科画廊へ。Qの久しぶりの新作公演『毛美子不毛話』を観る。4日しか公演がないせいもあるだろうけれど、ぎゅうぎゅうの客入りだ。これがびっくりするような公演だった。どんな物語であるのか、ダイジェストで説明することもない不条理な話だ。僕は、不条理な作品には否定的な気持ちになることが多いのだけれども、この作品は「なんだこれは」で片づけるわけにもいかないという、何か迫力のようなものを感じる。アラを探せばいくつもあるだろう、しかし、市川佐都子の描く世界には、この世の中において言語化されることのない唸り声のようなものを感じる。観客である私は、その正体について考えなければならないが、まだ言葉にならないでいる。とりあえず上演台本を購入して劇場を出て、新宿三丁目の「日本再生酒場」でクールダウン。帰りはタクシーを拾った。運転手さんと世間話をしていると、「いや、しかしお客さんはラッキーですよ」と言う。今日は忘年会シーズンの金曜日ということもあり、もう少し遅ければタクシーを拾えなかったのではないかという。世間はもうそんな時期なのかとびっくりした。

2016-12-15

 朝8時に起きる。昨晩の満月はすごかった。テレビではプーチン来日で山口の人たちが浮かれている様子が報じられている。ロシアの調味料を使った焼き鳥を出す店や、ピロシキをメニューに加えた店の主人たちが、「プーチンさんに食べてもらえたら」なんて話している。山口出身の知人は「田舎モンがばれるけ、やめえ」とボヤいている。僕は朝食におでんを食べたのち、久しぶりでジョギングに出た。日陰を走っていると寒くて滅入る。昼は雑誌を読んでいた。若手の俳優や気になるジャニーズが特集されることの多い『+act』や『person』、目に留まるたびに買ってしまうけれど、いつもインタビュアーの距離感が引っかかる。たとえば『+act』における菅田将暉インタビューでのやりとり。

「(略)本当に面白いものをかましていこう! っていう中で、来年は音楽っていうのがひとつ、テーマで。ちゃんとギターもやりたいし、ホントはね、作詞作曲が出来たら一番面白いんですけど…」
――出来そうですけどね。
「勉強中です。それが本当にビジネスになるのか、曲が出来てみないとわからないけど。なんか、そういう世界もあるんだ! っていうのが、少しだけ現実味が出てきたというか」
――菅田君が歌っても、「えっ、歌っちゃうの(どん引き)?」みたいな悪い感じ、イメージが全くないですよね。
「それ、嬉しいですね。なんか、きっと…、僕が好きな音楽って、統一性はないけど、全部『これ、俺の歌やんか!』みたいなのが多いからだと思うんです」
――ははは、なるほど。


 何だろうこの距離感は。こうした雑誌はコアなファンが主なターゲットだから、これくらいカジュアルに話している雰囲気がウケるのかもしれないが、妙に引っかかってしまう。そして、菅田将暉という俳優にはかなり興味を抱いているのだけれども、語られている言葉を読むとやはり幼く感じる。今引用した箇所もそうだけれど、その後で「『これ、俺やん!』ってものを、ちょっと…作ってみたいなっていうのはあります」「何気ない日常の中に溢れてるエモさ(エモーショナル)って、おそらく世の中も気づき始めてるし、そういう今の自分にしか出来ない、言えないことっていうのは、きっとある」という言葉。これを読んだあとにチーフマネージャーのコメントを読むと、「何事も俳優としてちゃんとした“実”が伴っていなければ絶対に長続きしないので、本末転倒にはなってほしくないですね。だからもっと勉強してほしい」と語られており、その冷静な分析に共感してしまう。菅田特集の次に登場するのは『わたしは真悟』に出演する高畑充希。こちらはミュージカル出身だからか、語られている内容がテクニカルな印象を抱く。これは映像中心の仕事をしている俳優と舞台から出てきた俳優の違いでもあるのかもしれない。映像の仕事はどうしても瞬発力勝負だけれども、舞台の仕事は稽古も本番もひたすら繰り返しだ。

 夜、おでんをツマミつつ録画したドキュメンタリーを観る。1本目はBS世界のドキュメンタリーで年始に放送されたノルウェー制作の『密航 地中海を渡ったシリア難民の記録』。アラブ首長国連邦でITの仕事をしていたシリア人男性のラミは、何戦が始まったあとに帰国し、反アサド政権の抗議運動に参加していたところを当局に拘束されて国外退去を命じられる。が、シリアパスポート渡航できる国は限られており、当時としては最善の選択肢に思えたエジプトに避難する。しかし、エジプトでの生活は順調とは言えず、2014年の夏、地中海を越えてイタリアへの密航を企てる。それと同時に防水のカメラを購入し、旅の記録を残すことになる。「世界の人たちに僕らの置かれた状況を理解してほしい。こうして逃げようとするのは、よりよい生活を得ようとしているだけではなく、ただ生きるためだ」。ラミはそう語る。

 密航業者との“商談”もこっそり記録されている。何人ぶんの料金かわからないけれど、「シリア人なら80万だ」と業者は告げる。何人でその金額なのかわからないが、僕は到底払えそうもなく、シリアで暮らしていれば脱出することすらできないだろうなと思う。密航業者は、「船が沈んだら、それが神の思し召しってことだ」と告げる。当初の話では、港からまずボートに乗船し、沖に出たところで大きな船に乗り換えるのだという話だ。密航が見つかれば逮捕されるため、当局の目を避けて荷台に乗り、息を潜めて港を目指す。映像が途切れ、次の場面ではもう沖の上だ。船上の難民たちが港での出来事を振り返る。ボートには店員以上の難民が押し込まれ、そこに高い波がきて転覆したのだという。そのうちの何人かは別のボートに乗り換えて出航できたが、遅れた人たちは警察に捕まってしまった。しかし、出航できたから安心できたというわけにはいかない。「大きい船に乗り換える」と聞かされていたのに、実際には小さな船であり、しかも船長は二十歳そこそこの素人で、海を越えるのは初めてだというのだ。

 カメラが捉える水平線は大きく上下する。地中海は穏やかな海だというイメージを勝手に抱いていたけれど、酷い揺れだ。船上にはマルセルという小さな男の子がいる。密航前には「ぴかぴかのゴーグルもきちんと鞄にしまったんだ」とはしゃぎ、船に乗った直後――転覆したボートから何とか別のボートに乗り換えた直後――も「僕は強いから、海の中でも溺れなかったよ!」と勇ましく語って見せていたけれど、一日、また一日と時間が経過するうちに様子がおかしくなっていく。大丈夫かと声をかけられると、叫ぶように「大丈夫!」と語るが、目の焦点があっていないようにも思える。飲み物も十分に用意されておらず、衛生環境も最悪な船で何日も波に揺られているのだからそれも当たり前だ。

 エジプトを出発した1週間後の真夜中、彼らのボートは大きな船に出くわす。「もしや最悪の事態?」と緊張が走る。「どこへ行くんだ?」難民が尋ねる。 「我々はイタリア沿岸警備隊だ」と返事がある。 「君たちを赤十字に連れていくように言われてきた。この船に乗ってくれ」――この言葉に、難民の一人が答える。「頼むから正直に欲しい。本当にイタリアへ行くのか?」と。その猜疑心に、彼らが置かれてきた状況の影が見える。その船は本当にイタリア沿岸警備隊のもので、彼らは無事に保護されることになる。新しい服を渡され、お揃いの格好になった彼らの表情は晴れやかだ。「僕ら、難民というより旅行者に見えるよね」「ああ、どこへ行こうか。ジェノバ? ヴェネチア?」なんて冗談を言う余裕も出てくる。ジェノヴァに到着し、イタリア北西部の難民収容所に移送された彼らには、安心して眠れる場所と食料が供給された。「見ろよ」と、ある男がヨーグルトをカメラに向ける。そこには「LAND」と書かれている。「陸地だってさ。僕ら、たった3日前までは海の真ん中にいたんだぜ」。そう語ると、嬉しそうにヨーグルトを頬張る。

 当然ながら、彼らを待ち受けていたのは順風満帆とは程遠い新生活だ。言語の問題もあり、手続き上の問題もあり、すぐに就労するというわけにもいかないのだ。そして、同じ船に運命を託した彼らだが、家族でなければまったく別々の場所で生活せざるを得ないのだ。「時々、なんてことない普通の生活が懐かしくなる。そんなときは僕のことをよく知っている昔の知り合いに会いたくなるんだ。長い時間をかけて、僕のことを理解してもらった人たちにね。ある日突然、僕は別の大陸の見知らぬ場所に行くしかなくなった。そして会う人、会う人全員にまた一から自分のことを説明しなければならない。それはまるで、履歴書をおでこに貼りつけて街を歩かなければならないみたいな感じだ。毎日、ストレスが溜まる。いつもとても気が張っている」。カメラの前でそう語るラミの姿。

 この番組を観終えると、続けて『ヨーロッパ難民危機 越境者たちの長い旅路』を観る。こちらもBS世界のドキュメンタリーで年始に放送された、BBC制作のドキュメントだ。先ほどの『密航』が2014年夏の記録であるのに対し、こちらは2015年9月の記録だ。この1年で、難民が目指すルートには大きな変化があった。長い航海が必要で危険性の高い“地中海ルート”(アフリカ大陸からイタリアを目指すルート)ではなく、トルコからバルカン半島に渡りドイツを目指す“バルカンルート”を選ぶ難民が急増したのだ。その背景には、2015年8月にメルケル首相が「ドイツは助けが必要な人を助けます。他人の尊厳に疑問を投げかける人や、法的・人的助けが求められる状況で援助に前向きでない人などを容認しません」と演説したことが影響している。

 BBCの記者は、このルートを辿る難民の旅に同行する。最初に向かった先はギリシャのコス島だ。この島はトルコからわずか6キロほどの場所にあり、対岸にはその灯りが見える。アフリカから地中海を越える旅路に比べると随分短いこともあり、このルートを選ぶ難民が増えているのだろう(とはいえ、密航業者が用意するのは粗末なボートばかりで、難民からは「死の旅」と呼ばれており、浜辺に打ち上げられた姿が世界に衝撃を与えた小さな男の子もこのコス島を目指していたのだ)。コス島に渡った難民はまず、ここで難民申請を行う必要がある。申請には時間がかかるため、そのあいだ彼らは簡易テントで過ごしており、BBCの記者は「リトル・ダマスカス」と形容する。8月だけで10万人以上がこの島に密航したそうだ。この島はバカンスに訪れる人も多く、リトル・ダマスカスを観光客が歩いていく奇妙な姿も見受けられる。

 撮影クルーはここで一人のシリア難民と出会う。男の名前はソブヒ。妹とその子供たちと一緒にこの島にやってきたのだが、難民申請をしてもう8日も経つというのにまだ手続きが終わらないのだという。彼は全員分のパスポートを海に落としてしまって、そのせいで審査に時間がかかっているのだ(このソブヒという男がドキュメンタリーの鍵を握る)。申請が認められた難民はフェリーに乗り、アテネを目指す。手続きを終えた難民はちゃんとその船に乗れるのだけれども、不安からか皆、ゲートが開くと一斉に駆け出す。アテネに到着するとバスに乗り換え、マケドニアとの国境地帯まで運ばれ、最後は線路沿いに歩いていく(ここから先も、政府が用意したとおぼしき交通手段で運んでもらえる区間と自力で歩かなければならない区間が繰り返し登場するのだが、どういう理屈でそういうことになっているのかはわからなかった)。圧倒的に多いのは若者で、「内戦を口実にしてヨーロッパを目指す者もいる」と 記者は語る。たとえばあるシリア人の若者は、13年前からドバイで航空宇宙エンジニアとして働いていたのだが、ドバイから飛行機でトルコに渡り、そこから密航してきたのだと語る。あなたは難民ではないのではないかと質問されると、「シリア人だとどこにいても迫害されるし、居留ビザも発行してもらえないのだ」と彼は語る。

 マケドニアに入国した難民たちは、警察の指示に従って臨時列車に乗り、6時間かけてセルビアに入る。国境を越えるたびに登録手続きが必要であり、混乱が生じ、難民キャンプに収容される。難民が密航を企てる理由は様々だ。日本人からすると隣国のトルコで暮らすわけにはいかないのかと呑気に考えてしまう。実際、シリアからトルコに避難した人は200万人にも及ぶが、トルコでは就労できず、子供に教育を受けさせることも叶わないのだという。取材班が出会ったある夫婦は、アレッポからやってきた。彼らが街を出る決心をしたのは、夫が民兵に逮捕されたこと。その容疑というのは「妻に車を運転させたこと」である。そんな環境では生きて行くことはできないと、彼らは赤いメルセデスベンツを売って街を出た。彼らが目指すのは、大多数の難民とは異なり、イギリスだ。「イギリスに行くのが夢だ」と語る彼らが取り出したのは、10ペンス硬貨だ。女王陛下の肖像が刻印された硬貨を見て、「女性が国家元首になれる国に行きたい」と思ったのだという。

 長い旅を続けているうちに、疲労の色が濃くなってゆく。それは距離の長さだけが原因ではなく、国によっては難民への対応が劣悪だということもある。イギリスを目指していた夫婦は、ハンガリーに入国すると大きな刑務所に連行され、無理やり指紋を取られ、3日間も食事なしで過ごすはめになったのだという。ハンガリーからは再びEU圏内となるが、ここではイスラム教徒は特異な目で見られており、ハンガリー首相は「大勢のイスラム教徒が国内に留まるのは望ましくない」と発言している。また、この時点では国境は開かれていたものの、「ヨーロッパの境界線を守る義務がある」として真新しいフェンスが築かれ、国境を閉鎖する準備が勧められているところだ。ある糖尿病の女性は、オーストリア国境付近まで歩いたところで意識を失ってしまう。引き返して治療を受けるように勧められたが、彼女はハンガリーに留まりたくないのか体にむち打ち歩き続け、オーストリアに入国してからようやく救急車に乗ることを受け入れた。

 その過酷さが際立てば際立つほど、印象的に映るのがさきほど紹介したソブヒという男の姿だ。コス島では、彼は女性や子供たちと一緒だったが、セルビアで取材クルーと再会したとき、彼は一人きりだ。そこで彼は、「妹だと言っていたのはまったくの他人だ」と語る。妹と説明していた相手とはボートで知り合い、その女性が「自分と子供たちだけでは不安だ」というので、兄妹だということにして一緒に旅をしていたのだという。しかし、金の入った鞄を落としてしまったことで喧嘩となり、セルビアに入国するあたりで別れたのだという。それからしばらく経ち、ベオグラードでまた偶然再会を果たしたとき、ソブヒは車椅子の女性と一緒に旅をしていた。ソブヒは英語を話せるために重宝されるのだ。ソブヒはソブヒで、障害のある人を介護していると列の一番前に通してもらえるメリットがあり、ウィンウィンの関係というわけだ。そこからさらに進んだハンガリーで、取材班は再びソブヒの姿を見つける。ソブヒはまた別の人たちと旅をしていて、「僕の新しい子どもだよ」と笑っている。

 「こうなるとわかっていても、旅をしたかな」と記者が質問する。「したと思うよ」とソブヒは答える。「酷い目にもあったけど、地獄よりはましだから」と。彼らにどんな未来が待ち受けているのか、想像もつきません――ナレーターがそう語る。そしてこう付け加える。「しかし、ソブヒはうまくやっていくような気がします」と。ソブヒがあまりにも巧妙に世渡りをしており、最初に他人を「僕の妹だ」なんて言っていたものだから、記者は「あなたは本当にシリア人なのか」と疑う。ヨーロッパを目指す難民のほとんどが「シリア人だ」と名乗るが(そのほうが申請が通りやすいのだ)、あまりシリア人らしく見えない人も混じっている。ソブヒは「シリア人だというのは本当だよ」と答える。あなたのことを本当の難民ではないと言う人もいるのではないか――この記者の質問に対するソブヒの答えがとても印象的だった。それは、こういう内容だった。「そう言われてもね。難民じゃないっていうなら、じゃあ何なんだよ。何十万人か知らないけど、これだけ多くの人間がヨーロッパへ向かってる、向かおうとしてる、その少なくとも8割は難民なんだ。(あなたも?)そう」

 このドキュメンタリーが撮影されてほどなくして、ハンガリーの国境は封鎖された。また、ドイツ難民政策の転換を余儀なくされ、バルカンルートは断たれてしまう。今ではまた、大きな危険を伴う地中海ルートに難民が押しかけているのだという。

 夜、渋谷へ。シアターコクーンにて『シブヤから遠く離れて』観る。昨年12月の『書を捨てよ町へ出よう』で初舞台を踏んだ村上虹郎の2度目の舞台だ。シアターコクーンで芝居を観るのは初めてだが、ロビーのバーカウンターが営業していて嬉しくなる。しかも途中で休憩が挟まれるのでトイレの心配もないのだ。思わず「休憩時間にも営業してますか」と確認してしまったが、「営業してますよ」と言われてさらに嬉しくなる。舞台の感想はそんなにないのだけれど、会場に入ると巨大なセットが目に飛び込んできて「おお……」となる。普段はしっかり舞台セットを組んでいるような芝居を観る機会がなく、開演を知らせるブザーが鳴って暗転し、再び明るくなるとそこら中にすすきが配置されているのにも驚いてしまった。あと、役者たちはマイクをつけているのだが、ちゃんとそこでしゃべっているように聴こえることにも。役者の演技にはあまり見入ることがなかった。もちろん完璧に役をこなしているのだけれども、どこまでも安心したまま客席にいることができた。