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日記

2018-12-05

 赤坂BLITZにてZAZEN BOYSを観た。ギラつきを感じた。一つには夏よりもMIYAのベースに獰猛さが増していたこともあるけれど、それだけが理由ではないだろう。本編のラストに演奏されたのは「Sugar Man」で、この曲が収録されているのは12年前にリリースされた『ZAZEN BOYS 3』だけれども、あのアルバムに漂うギラつきを思い出す(このアルバムに収録されている曲で昨日演奏された曲は2曲だけだったにもかかわらず)。ただ、「天狗」の歌詞ではないけれど、あれから12年経って、「君には見えない何かが 見えてきたような 気がする」という境地に向井秀徳がいよいよ到達しつつあるように思える。

 ライブの中盤あたりから、このモードであればアンコールで演奏する曲は何になるのだろうと頭の片隅で考えていた。「自問自答」や「kimochi」ではないだろう。「Asobi」はどうだろう、と思っていると本編の終盤で演奏された。他にアンコールで演奏される可能性がある曲は――たとえば『ZAZEN BOYS 3』には「Water front」がある。でも、それでは決してないだろう。そこに12年の移ろいがあるように思える。以前、『HB』というミニコミを創刊したとき、向井さんに原稿依頼をした。そこで書いてもらったのは、上京したばかりの頃のことだ。その書き出しはこうだ。

 1997年、俺は福岡ティー繁華街を、そのきらきらをノロいながらうろついていた。街のKAGAYAKIが俺を照らす。心のなかに闇があったのだろうよ。闇が光に照らされ、浮かび上がってくる度に「ああ…」とためいきをついたりして。


 都市のきらきらに照らされ、感傷に浸る。それと同時に、そんな自分を客観的に観ている自分もいる。自分に酔い、そんな自分を傍観者のように眺めながら酒に酔い、都市をさまよう。そうして曲を作っているうちに東京レコード会社から契約の話があり、東京でライブをすることになった。車で15時間かけて移動しているうちに緊張にまみれ、「街に埋没し、俺の存在が消えてしまうのではないか」と恐怖し、「東京と対決するような心持ちでライブを行った」。ほどなくして上京し、「孤独をさまよう場所として東京があるのだ、と思った」向井さんは、「街のなかで俺はよく酔えた」。

 『HB』創刊号を刊行したのは2007年の夏だ。向井さんが上京しておよそ10年が経過した頃のことである。そのテキストを、向井さんはこう締めくくる。

 現在、俺は東京ティー繁華街を、そのきらきらを歩いている。心の闇はいまだ、ある。
 ただ、どれだけ強いKAGAYAKIで心の闇が照らされようが、ためいきはつかない。
 きらめきを闇に突き刺し、そこから漏れ出す無数の光を束にして、ミラーボールに改造し、俺は俺をきらきらさせるのだ。


 この言葉にもぎらつきを感じる。『ZAZEN BOYS 3』がリリースされたのは2006年のことだ。向井さんの歌う「冷凍都市」は必ずしも東京ではないけれど、今『ZAZEN BOYS 3』を聴き返すと、東京に住み始めて10年近くが経ち、その都市にある「きらめきを闇に突き刺し、そこから漏れ出す無数の光を束にして、ミラーボールに改造し」ようとした歌が多いように感じる。そこには「街に埋没してしまうのではないか」という恐れよりも、東京の街で酩酊し続けた男が、東京をつぶさに眺めたはてに生まれた曲たちだという感じがする。だからこそ「ウォーターフロント」であり、そこで歌われる時間は「深夜2.5時」であり、路地に佇む野良猫に自身を重ねることもあった。酩酊しながらも、その目はとても鋭く明瞭で、醒めている。

 それから10年近い歳月が流れて、向井秀徳はまた別の境地にたどり着きつつある。昨日のアンコールで演奏されたの「amayadori」だ。この曲が発表されたのも今から10年前ではあるけれど、あまりライブで演奏されてこなかった曲だ。この曲には「降り続く雨、青、イメージの色、実際は黄色、他人から見れば明らかにねずみ色」「野良犬、か、野良猫、か、どっちかの生物、どっちかだった気がする」といったフレーズが登場する。他人から客観的に判断すると、意識がほとんど混濁しているようにさえ思える。野良猫を歌ってきた人が、「野良犬、か、野良猫、か、どっちかの生物、どっちかだった気がする」である(それにしても、どうして10年前にこんな歌詞が書けていたのだろう?)。「他人から見れば明らかにねずみ色」であるのに、「青」「実際は黄色」と語る男の意識もまた、他人からすればほとんど混濁している。同じように雨をテーマとする「感覚的にNG」における主体はもっと明瞭な意識を持っている。地下にあるスタジオで、雨の気配を感じ取り、そこから地上を想像するうちに、感覚的にNGな気分に陥っていく。いかに妄想が膨らもうとも、「俺」という主体は確固たるものとしてそこにある。でも、同じ雨をテーマにしていながらも、「降り続く雨、青、イメージの色、実際は黄色、他人から見れば明らかにねずみ色」と語る男の主体は溶け出している。そこがどこであるのか、今が何時であるのかはもはや不明であり、自己客観なんてものももはやなく、ただ何かを嗅ぎ、何かを幻視する。その嗅覚や視覚は、一般的に言えば「不明瞭」と言われてしまうものかもしれないけれど、かつてのそれよりはるかに強烈で、鋭い。

 昨晩のライブで何より印象に残ったのは「暗黒屋」だ。その曲中、向井秀徳はふいに「わっかるかなあ、わっかんねえだろうなあ」と口にした。おお、と思った。数日前に僕は向井さんに浅草に呼ばれ、酒を飲んだ。どうして浅草に。そう尋ねると、木馬亭松鶴家千とせ師匠を観てきたのだと教えてくれた。「わっかるかなあ、わっかんねえだろうなあ」――そのフレーズにすごくブルースを感じたし、自分がやっていることも「わっかるかなあ、わっかんねえだろうなあ」という言葉に近いように思う、と向井さんは語っていた。その場で肯定すると、ただ話を合わせているようになってしまう気がして、僕は黙って話を聞いていた。でも、昨日のライブを観ていると、向井さんの言っていたことがとてもよくわかったような気がした。そして、今のZAZEN BOYSがアルバムを作れば、これまでとはまったく異なるテイストになるのではないかと妄想し、勝手に期待を膨らませている。

2018-09-18

 6時過ぎに起きる。7時過ぎ、第一牧志公設市場へ。いち早く仕事をされている果物店のお父さんにご挨拶。前にも少しお話を聞かせてもらっているのだが、もう僕のことをおぼえてないだろう。どうやって話しかけようかと迷って、まずは600円のシークヮーサージュース(濃縮)を購入する。買い物しなければ会話もできない私。これ、泡盛に入れるとおいしいですかねなんて雑談したのち、今度お話を聞かせていただけないかとお願いする。何度か「孫のほうがいいんじゃないの?」とおっしゃっていたが、いや、ぜひお父さんにとお願いした。公設市場の中に入り、以前ちらりと話を聞かせてもらった山羊肉のお店のお母さんに追加でお話を聞く。小さい頃の話を伺っていると、お母さんはそっとハンカチを取り出す。

 昼、食堂「ミルク」でちゃんぽんを食す。沖縄ちゃんぽんは、ごはんの上に野菜炒めがのっけてある。テレビで沖縄県知事選挙の様子が報じられる。それを眺めていた三人組のお客さんが、「こっちは基地の話しかしないし、年寄りしか(応援に)ついてない」と語っている。沖縄入りするまでは、さすがに後継者に指名された候補が優勢だろうと感じていたけれど、一体どうなるだろう。もう一方の候補のほうがフレッシュなイメージを打ち出せている感じがする。

 市場に戻り、ぶらつく。あまり徘徊しているとまた不審者として認識されてしまうので、「掲示板を熟読している人」として佇む。掲示板には、プロのカメラマンを招いて、今のマチグヮーの風景を残してもらうプロジェクトが9月20日から3日間開催されるという貼り紙がある。この町に暮らす人たちが依頼して、そういうプロジェクトが展開されるのであれば、僕が何をやれるだろう。そして、「一口千円から支援を受け付けてます」とあり、身銭を切り続けている身として、心がぎゅうっとなる。だが、身銭を切って、こうして4ヶ月連続で市場に滞在して、日々の風景を眺めている自分だからこそできる仕事があるはずだと心を持ち直す。

 16時、「道頓堀」で取材。こちらは事前に手紙をお送りしていた。ホテルに戻ってシャワーを浴びて、18時過ぎ、市場近くの居酒屋「信」へ。お久しぶりですとご挨拶して、生ビールをいただく。こっちはまだまだ暑いでしょう、沖縄旧暦だからね、旧暦だとまだ8月だから、もうしばらくは暑いよとお父さんが言う。ローカルニュースでは安室さんの最後の二日間に関連した特集が放送されている。3杯ほど飲んだところで店を出て、牧志公設市場の二階へ。20時、「コーヒースタンド小嶺」の方にお話を伺う。移転に向けた会議を抜けてまで時間をとっていただいて、感謝するほかない。

 21時過ぎ、安里まで歩く。おでんの「東大」、今日は二番目だ。開店を待っていると、僕の前に並んでいた人の元に、遅れて数人やってくる。そのなかに宇田さんの姿もあったが、何かの集まりなのだろうから、急に馴れ馴れしく声をかけても迷惑だろうと、俯いたまま音楽を聴き続ける。しばらくして宇田さんもこちらに気づき、周りの方に「知り合いでした」と話しているのが聴こえたので、会釈だけする。ほどなくしてお店が開く。「最初から島酒にする?」と聞かれたので、残波(白)をボトルで注文。ミミガー&まめ刺しをツマミに泡盛を飲んで、おでんの盛り合わせを食す。23時過ぎには宿にたどり着く。

2018-09-17

 4時過ぎに目覚める。つけっぱなしになっていたテレビでは、安室さんのラストライブの映像が流れている。セットリストは最近の曲と、誰かとコラボした曲に限られている。ツアーファイナルで「いち音楽ファンとして皆さんの素晴らしい毎日の中に、素晴らしい音楽が常にあふれているよう、常に心からそう願っています。これからもすてきな音楽にたくさん、たくさんぜひ出会ってください」と語っていたが、まさにその言葉通りの構成だ。後ろを振り返るのではなく最新の曲で、しかも「こんなにも素敵なアーティストたちがいる」とコラボする。そこに明確な意思を感じる。

 7時半に布団から這い出して、荷造りを済ませ、昨日のうちに買っておいたオレンジピールパンで朝食をとる。『スッキリ!』ではハリセンボンの春菜が宜野湾の海から中継している。今からここに行くのだなあ。10時半にアパートを出て、スカイライナー成田空港へ。第三ターミナルまで延々歩いていると、安室さんのツアーTシャツを着た二人組とすれ違う。ああ、観に行ってたんですねえ。荷物を預け、リンガーハットちゃんぽんを食したのち、12時25分発のジェットスター便に搭乗する。

 一ヶ月ぶりに訪れた那覇空港は静まり返っていた。こんなに静かだっただろうか。ロビーの至るところにTシャツを身にまとったファンの姿がある。引退した翌日の沖縄だ。タクシーに乗ってゲストハウスに向かい、チェックインを済ませて第一牧志公設市場へ。顔見知りになったお店にご挨拶。ほどなくして日が暮れて、せんべろをやっている「足立屋」というお店へ。お店の壁に「商標登録 足立屋 千ベロ」とあり、千ベロが商標登録されているのかと思って尋ねてみると「いやいや、商標登録してあるのは『足立屋』です。『千ベロ』は、さすがに、らもさんのものですから」と店員さんが言う。とてもまっとうな店だ。そして、やはりここが沖縄にせんべろをもたらした店であるらしかった。

 4杯で切り上げて、夜の道を歩き、栄町市場にある「うりずん」。有名店であり、観光のお客さんのほうが多いが、思い出の店でもあり、カウンターの中で働かれている店員さんの動きが素敵だ。いつも淡々と飲んでいるおかげでおぼえてくださっていて、前におすすめしてもらった泡盛を今日も注文する。からからを飲み干したところで店を出て、桜坂にあるバーまで引き返し、Nさんと待ち合わせ。Nさんは昨日まで展覧会が開催されていた場所で働かれている。その賑わいを聞かせてもらって、自分も展覧会に出かけたような気分になりつつ、23時過ぎまでビールを飲んだ。

2018-09-16

 7時過ぎに起きる。「ベーカリーミウラ 」でコーンチーズパンを買ってきて、コーヒーを淹れて朝食をとり、『不忍界隈』の原稿を書く。昼、ソース焼きそば。ついソースをかけ過ぎてべちょっとさせてしまうので、今日は塩をがりっと加える。百歳まで生きるはずなのに、これでは塩分過多で死んでしまうのではないか。原稿はかどらず、15時、再びパン屋さんに出かけ、ビールをいただく。花屋さんとも少しお話。店内に飾られている写真たち、一体どこの風景だろうと思っていたが、その半分はイタリアで驚く。イタリアには何度か出かけたことがあるけれど、そのとき目にしたのとまったく表情が違って見える。

 ビールを3杯ほど飲んでいるうちに神輿がやってくる。今日はもう、原稿に戻れそうにない。明日からしばらくこの町を離れるのだからと、久しぶりで根津バー「H」でハイボールを飲んで、「越後屋本店」でビールをいただき、「砺波」で中華そばを食し、再び「越後屋本店」に引き返す。引き返したのは、客席にパン屋さんが座っていたからだ。お知り合いの方と話していたので会釈だけで済ましたけれど、こういう偶然のタイミングでこそ話してみたいと思ったのだが、まだお話されていたので、諦めてビールをもう1杯だけ飲んで帰った。

2018-09-15

 『不忍界隈』の原稿を考えて過ごす。今となっておぼえているのは、根津神社のお祭りに出かけたことくらいだ。初めて出かけて驚いたのは、出店がどれも古風なこと。ケバケバしい屋台はなく、いかにもレトロ風なわけでもなく、ほんとうに昔ながらの屋台だ。射的が多いのも印象に残る。小さい頃に眺めていたお祭りというのはこういう風景だった気がする(もっと規模は小さかったけれど)。しかし、これまで見かけたことがなかったけれど、この屋台は他にどんな地域に出店しているのだろう?