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日記

2016-08-24

マーム・イン・京都(4)くりかえされる

 
 『カタチノチガウ』という作品は、2014年秋のボスニアイタリアツアー中に書かれ始めた作品で、2015年1月、原宿・VACANTで初演を迎えた。その翌月に横浜美術館、そして再びVACANTで上演されたのち、2015年9月には北京でも上演された。2016年4月にはLUMINE0のこけら落としとして上演されており、今回は3ヶ月ぶりの上演ということになる。

 元・立誠小学校で上演された『カタチノチガウ』は、4月の上演からテキストは一字一句変更されていない。しかし、その印象はずいぶん違っていた。これは『カタチノチガウ』が変化したというよりも、『A-S』と『0-1-2』という作品を観たあとに『カタチノチガウ』を観たから印象が変わったのだろう。

 『A-S』と『0-1-2』は、これまでのマームとジプシーの作品に比べて少し異質な作品だと思う。マームとジプシーは記憶というモチーフを繰り返し描いてきたけれど、『A-S』や『0-1-2』における記憶の描写はこれまでとは微妙に違っている。「マーム・イン・京都(1)」でも指摘したように、これまでのマームであれば「昨日の晩」と言っていたであろう台詞は、「いつだかの晩」に書き換えられている。藤田さんの中で、記憶というものの描き方が変わってきているのではないだろうか?

 「過去とか現在とか未来っていうものを、昔はもうちょっと分けてたと思うんですよね」。僕の質問に、藤田さんはそう答えてくれた。「記憶っていうのはあたかも過去なんだけど、その記憶っていうものがもしかしたら未来の話なのかもしれないっていう曖昧さを持ってきたなっていうのはあるんです。僕自身、記憶だったはずのことが今起こっているような感じがしたり、未来に起こることかもしれないって感覚になることが生きていてあるんですよ。

 たとえば『cocoon』をやっていたときは記憶=過去=戦争っていうことになってたんだけど、記憶ってほんとに記憶なのか、過去ってほんとに過去なのかってことがグチャグチャになってきてて。『1』を書いているときは記憶っていうSFを書いているような感覚があったり、『A-S』に出てくる街も、これはいつの街なのかわからないなって感覚があったりしたんです。『A-S』ではいなくなった人の話をしてるんだけど、その人がいついなくなったのかはわからなくて、あたかも過去っぽくはあるんだけどこれからの話にも見えるような仕掛けを言葉の中でやっていきたいんだと思います」

 記憶や過去というモチーフについて、『A-S』の中に印象的なシーンがある。それは陶芸教室の先生と生徒が言葉を交わすシーンだ。

 「先生、言ってたじゃないですか。焼き物はかつて土だったって」
 「土?」
 「そう、土。だからそれでいうと、壊れた焼き物は、ただ土に返っていくだけなんじゃないですか?」
 「それは違うよ、いっちゃん。それじゃあ、縄文土器は何で発掘されるの。一度焼いた土は、土じゃなくなっちゃうの。土には返らないの」


 これまでマームとジプシーの作品で記憶や過去というモチーフが扱われるとき、何かしらのエモーショナルさを伴っていたように思う。この先生の答えもなかなかにエモーショナルではあるのだが、そのエモさはどこか新しく感じる。

 「あの佐藤先生ってキャラクターは僕もかなりお気に入りで。焼き物とか陶芸とかっていうのは、何千年みたいなところと向き合わなきゃいけないってことが面白いなと思うんですよね。ZAZEN BOYSの曲に『破裂音の朝』って曲の中に『それは10年前の それは100年前の/1万年前の 俺たち』って歌詞がありますよね。そこで『1万年前』ってとこまで行くのは、最初に聴いたときはちょっと嘘くさいなと思ったんだけど、何回か聴いているうちに『そういえば陶芸とか土器とかってレベルでは「何万年前」みたいな話を聞かされてたな』と思ったんです。うちの地元に貝塚があったから、そう思うのかもしれないですけど。土を焼いて器を作るってことは、未来に発掘されるかもしれないってことがあるけど、その一方で僕がやってる芸術の残らなさみたいなものがある。その対比みたいなことは今回偶然描けたんだけど、マームでも掘り下げられる内容だと思ってるんです」

 そうした時間感覚の変化は、他のモチーフにも影響を与えている。マームとジプシーの作品では、死ということも繰り返し描かれてきた。自ら命を絶ってしまった誰かや、この街からいなくなってしまった誰かは繰り返し描かれてきた。

 『A-S』という作品にも、そうした誰かは登場する。劇中ではあやか(A)とさやか(S)という二人の女の子のことが語られるのだが、あやかという女の子は14歳のときに行方不明になってしまった。駐車場の防犯カメラに映った姿を最後に、彼女は姿を消した。あやかと同級生のある女性は、今でも夏になるとビラを配って彼女を探しているが、街のほとんどの人の記憶からあやかの記憶は消えつつある。もう一人、さやかという女の子は、ある日自ら命を経ってしまう。街の人はまだ、さやかのことをおぼえているのだけれど、彼女が存在していたという痕跡はどこにもない。

 いなくなってしまった誰かの存在に、生きている私たちは引きずられてしまう――そうした構図は、マーム作品で繰り返し描かれてきたものだ。しかし、今回の『A-S』では、もう少し違った形の喪失も描かれている。『A-S』の出演者の中には、81歳の中田貞代さんという女性がいる。現在24歳の川崎ゆり子さんと中田貞代さんは、こんな会話を交わす。

「なあ、ずっといつまでも、いい友達でいよな」
「ずっと、いつまでも?」
「ずっといつまでも、いい友達でいよな」
「そんなことって、ありえるのだろうか。ずっととか、いつまでもとか、そんなことってありえるのだろうか。私は、彼女? 彼女は、私?」


 人間の命というのは有限であり、やがて死が訪れる。そうである以上、「ずっととか、いつまでもとか」ということはありえず、皆いずれ死を迎えてしまう。その意味において、ここで川崎ゆり子さんが「私は、彼女? 彼女は、私?」と重ね合わせているのは印象的だ。あるいは、『0123』の『2』――『ずっとまえの家』というタイトルがつけられている――は、童話『ヘンゼルとグレーテル』を取り込んだ作品なのだが、親に捨てられてしまったふたりのこどもはこんなことを口にする。

 「このまんまだと死んでしまう私たちは、自然と死んでゆくのだとして、でも、一人じゃなくって二人なわけだから、そこには順番があるのだろう。つまり、どっちかが、どっちかを、みとることになるだろう。それはもしかすると、死ぬよりも、もっと残酷なことかもしれないのに、そのことを、あの母親は、父親は、想像したのだろうか。まったく、勝手なやつらだ」

 この二つの作品においては、自ら選ぶ死ということ以上に、やがて訪れる死ということにフォーカスが合わせられているように感じる。滅んでゆく身体というイメージが『A-S』にも『2』にも登場する。これは、マームとジプシーとしても新境地であるように思える。

 「前は死ぬってことが悲しかったし、今ももちろん悲しいんだけど、『でも、ほんとに死ぬよね』みたいなことに進んじゃったのかもしれないです」と藤田さんは言う。「当たり前の話ですけど、人間は死を待つしかないわけですよね。どんな生き物も死を待っているわけなんだけど、大きなことを動かしている人たちによって“死を待っている時間”ってことが軽んじられている気がするんです。たとえば『ヘンゼルとグレーテル』を改めて読み返してみると、”親”のことを”神様”と形容したくなったんですよ。”親”が”神様”なんだとして、その神様たちはふたりのこどもを一気に捨てるわけだけど、神様たちはどれぐらい細かく考えてるのかなって思うんですよね。二人同時に死ぬなんてことがあるわけないのに、二人同時に死ぬかのように焚き火のところに捨てていくわけだから。

 あと、僕が納得いかなかったのは、最後には『お父さんとまた一緒に暮らしました』ってことになるけど、捨てたやつと暮らせるの?っていう疑問はある。そこに対しては怒りに近い感情があるから、『2』は古い家を燃やすって話にしたんです。これは『cocoon』のときも話したかもしれないけど、人って人のことを俯瞰し始めると、ひとりひとりにフォーカスを当てなくなっていきますよね。1万人が死んだら『1万人が死んだ』ってことだけで片付けて、その中に細かいことがあるってことを考えなくなる。政治の細かいことはわからないけど、数字っていう相対化されたもので動かしているから変なことになっちゃうとしか思えなくて、すごく生きづらいなって思ってるんですよね。その感覚はこの1年でもだいぶ変わった気がします」

 『cocoon』と『A-S』、二つの作品を比較したときに印象的なことがある。『cocoon』は20人が出演する舞台であり、『A-S』は19人が出演する舞台だ。いずれの作品でも、作品世界に登場する大勢のキャラクターたちがどんな人物なのか、ひとりずつ描かれていく。『cocoon』であればまず、“戦争”が激しくなる前の楽しい教室の風景が描かれ、登場人物ひとりひとりがどんな人だったのかが観客に提示される。その「ひとりひとりがどんな人だったのか」を知らされるがゆえに、舞台の後半で“戦争”が激しくなり、ひとり、またひとりと死んでいく姿に観客は胸をつまらせることになる。

 『A-S』も基本的にはひとりひとりのキャラクターが提示されていくのだが、謎の人物がひとり登場する。それは「高田君」というキャラクターだ。高田君だけ、他のキャラクターとは存在する位相が違っているように見える。その高田君について、ある二人がこんな言葉を交わす。

 「高田って知ってる? 鉛筆の芯よく食ってたあの高田なんだけど」
 「ああ、あの、皆よく知ってる高田やろ?」
 「そうそう。あいつ不思議だよね。皆の同級生みたいで」
 「ああ、わかる。高田みたいなやつって、どこにでもいそうやんね。いや、もしくは、どこにでもいそうで、いなさそう」


 『A-S』という作品の中で、高田君はまさしく「皆の同級生」みたいな存在として登場し、「どこにでもいそう」でありながらも「どこにもいなさそう」なキャラクターとして漂っている。つまり、「ひとりひとり」という存在として描かれるというよりも、どこか普遍的な存在として舞台に立っている。その存在感はなかなかに異質だ。

 「そこは『演劇的に理屈が通ってない』ってことである方面から怒られるかもしれないけど、その言葉で言うならば、高田に関しては理屈を通さなくていいって思っちゃってるのかもしれないです。たしかに、高田だけ理屈が通ってないんですよね。それ以外のキャラクターの人物相関図はできてるんだけど、高田だけは今ティーンであろう子にも『高田』って呼ばれてたり、今30代ぐらいの人も高田に鉛筆の芯をあげてたり、皆が時系列をまったく無視して高田君に接してるのが僕は結構好きなんですよね」

 『A-S』という作品に、「皆の同級生」として普遍的に存在する高田君というキャラクターが登場することは、『0123』が童話をモチーフとして取り込んでいることと通底しているように思える。『3』の『カタチノチガウ』はシンデレラが、『2』にはヘンゼルとグレーテルが、『1』には赤ずきんが取り入れられている(『0』には湖の水を飲んで鹿に変身するエピソードが登場するが、それは兄と妹という童話だろうか。それから、廊下の壁にはラプンツェルに登場する言葉が書かれてもいる)。

 童話というのは普遍的な物語だ。たとえば『ヘンゼルとグレーテル』であれば、ドイツで大飢饉が続いたとき、こどもを捨てて口減しをしたという歴史が元になったとされている。しかし、童話として描かれるのは個別の物語ではなく、普遍的な物語として描かれる。今回、『0123』という作品に普遍的な物語を――童話を――取り入れようと思ったきっかけは何だったのだろうか?

 「『カタチノチガウ』でシンデレラをやったっていうことがあって、そこから着想を得た企画だったっていうのはあるんだけど、『カタチノチガウ』って作品をこの2年繰り返し上演してきたわけじゃないですか。今回、自分の作品を眺めながら思ったのは、聡子が出演する『1』の中でも話してることだけど、童話ってやっぱ教訓なんですよね。『女の子は夜道を歩いちゃダメだよ』とか、日本の昔話だと『お腹を出して寝ると、カミナリさまにおへそを持って行かれるよ』とか。別におへそを持って行かれてもどうってことないのに、大人たちはそういうことでこどもに教訓を伝えるわけじゃないですか。聡子の台詞として『そんな教訓めいたことなんて』ってことを言うわけだけど、誰もがわかってる童話って物語を投入して、そこに対して疑っていくっていう作業をしたかったんだと思います。

 今までは、漠然としたところを疑ってたと思うんです。たとえば『てんとてん』って作品とかだと、僕がパーソナルに持っているフィールドや、僕の記憶の物語がベースだったんだけど、皆は僕が生まれた伊達って街のことを知らないわけですよね。今回の『0123』の中では、『赤ずきん』って言葉も『ヘンゼルとグレーテル』って言葉も出さないけど、まあそれはお客さんにも伝わりますよね。そういう誰もが知っている作り物を投入したときに、その作り物を僕なりに解釈するとすれば、どういうふうに疑えるのか。そういう作業をすることで、『カタチノチガウ』に良い影響を与えられるなって思ったんです。再演をやるってことに対してはあいかわらず疑いがあるんだけど、その一方でひと作品では語れないことも結構あると思っていて、そのひと作品で語れないことをどう強化するのかって作業を、童話を通じてやりたかったっていうのが『0123』だったんだと思う」

 ところで、童話というものは親に与えられるものだ。読み聞かせられるにせよ、絵本を買い与えられるにせよ、そこには親が介在する。

 親(主に母親)というテーマも、藤田さんにとって大きなテーマの一つだと言える。また、昨年12月に藤田さんの演出で上演された『書を捨てよ町へ出よう』の原作者である寺山修司にとっても、母というのは大きなテーマだ。映画『書を捨てよ、町へ出よう』に登場する家族には、母だけが不在だ(その不在は、かえって母という存在の大きさを際立たせている)。また、この映画には夜という時間はわずか3分しか登場しないのだが、それは母の不在とリンクしている。なぜなら、寺山にとって夜は母の支配する時間だからだ。

 立ちのぼる味噌汁の湯気、一日の疲れを癒すための会話、そうしたものが「家庭」を一段と強化し、幸福の擬似性を演出していたことは言うまでもない。
 少なくとも、外食をきらい、「わが家の食卓」のなかにだけ安らぎをおぼえていた私たちと同時代の子どもは、おふくろ専制の、家族帝国主義を信奉していたのである。
 夕焼けのころになると、おふくろの、
 「ごはんですよ
 という声が魔女のサイレーンのように、子どもたちを呼びよせる。
 戸外で遊んでいた子どもたちは、あっという間にその声に吸いよせられたように、いなくなる。
(「おふくろの味を踏みこえて」『寺山修司の状況論集 時代のキーワード』所収)


 『ヘンゼルとグレーテル』のこどもたちも、『2』に登場するこどもたちも、親に支配されている。母が「この子たちを捨てるんだ」と言い出したことで、ヘンゼルとグレーテルは森の深いところに置き去りにされる。あるいは、『2』に登場するこどもは、「神様がいるのだとしたら、やっぱりそれは、母親、父親、なのかもしれない。神様がすべて決める」「私たちは、二人の神様によって、そう、消されようとしている、消されようとしているのだ」と口にする。親に支配されていること以外にもう一つ共通するのは、彼らが夜の暗闇に置かれていることだ。最初に『0-1-2』の夜公演を観たときには教室の暗さにゾッとしたし、京都で買い求めた絵本『ヘンゼルとグレーテル』も、森のなかが真っ暗に描写されていてゾッとした(お菓子の家が出てくることしか覚えてなくて、親に捨てられる話だということは全然記憶していなかった)。

 「何だろうね、これは。夜を描きたいなと思いながら、夜のテイストも変わってきてる感じがあるんですよね。『ヘンゼルとグレーテル』について言うと、実はすごく美しい話だなと思っていて。自分が帰るために撒いた小石が光ってるだとか、その明るさを希望的に描いている反面、真っ暗闇に置き去りにされるわけですよね。その明るさと暗さのバランスは美しいなって思って。

 ちょっと話はずれるけど、『A-S』は結構一生懸命稽古をして、朝の10時から夜の10時まで稽古してたんです。朝早くに稽古場に入って、気づけば夜で、夜は飲むわけじゃないですか。今回は結構夜の街を歩いたんだけど、その中でできた作品でありたかったんです。夜って何かを見出す時間だと思うんだけど、それは家で本を読む時間でもいいし、酒を飲む時間でもいいんだけど、暗闇の光の関係図を再確認できた感じがする。

 あと、この元・立誠小学校も学校だった場所だけど、『A-S』の稽古をしてた京都芸術センターってとこも学校だった場所なんです。北海道にはセミがいないから、セミの声が響く感覚って北海道出身としては正直わからないんです。でも、セミの鳴き声がいつのタイミングですごい音量になるのかとかも稽古場にいながらにして定点観測できて、街が夜になっていく感じは東京にいるときよりも感じたんです」

 公演が始まってからも、藤田さんはよく皆と一緒に鴨川を歩いていた。あれはたしか7月31日、『A-S』が千秋楽を迎えた日だったと思う。出町柳のそば、二つの流れが合流するデルタ地帯で飲んでいたとき、藤田さんはある音楽を流した。それはbloodthirsty butchersの「7月/July」だ。

 「2010年のフジロックに行ったとき、ブッチャーズを観たのも7月31日だったんだけど、そのときに『7月も終わるね』って言って始めたのが『7月』で。それをすごい思い出したんですよね。そういえばあの曲は川の話だったなって」

 『7月/July』の歌詞には、こんな一節がある。

照りつける陽の下で
流れる水につかり君をわすれ 暑さをしのんでいる
かげろうがじゃまする ぼくの視界をじゃまする
去年は君と泳いでいたのに 暑い夏の陽よどうしてのりきれば
このままではすべて流れて行きそうで
ぼくを呼んだ様な気がして セミの声はひびく


 『A-S』という作品の終盤で、川崎ゆり子さんはこんな台詞を口にする。「世界の、ありとあらゆる喪失を。暗闇の中。私は。私たちは」――その作品が千秋楽を迎えたあとの時間に、鴨川沿いに佇んで「7月/July」を聴くというのは、少し似合い過ぎているくらいだ。

 それにしても、この7月というのはくらくらするような1ヶ月だった。7月1日、バングラデシュで立てこもり事件が起こり、22人が殺された。7月3日、バクダッドでトラックが爆発し、このテロで200人以上が亡くなった。アメリカでは警官が黒人男性を射殺する事件が相次ぎ、デモを警備していた警察官5人が射殺される事件も起きた。参議院選挙があった。フランスで花火を見物していた人々の列にトラックがつっこむ事件があり、80人以上が殺された。トルコクーデターが起きた。ドイツアフガニスタン難民の少年が「神は偉大なり」と斧を振り回す事件があった。ドイツで銃撃事件が起こり、9人が殺された。相模原障害者施設に男が押入り、19人もの人が殺された。ほんとうに、何という1ヶ月だろう。

 中でも印象的だった事件がいくつかある。バングラデシュの事件で殺害された中には7人の日本人が含まれていた。「日本人だって無関係ではないのだ」と頭ではわかっていたけれど、いよいよ他人事ではなくなってしまった。相模原の事件は、その事件自体にも衝撃を受けたけれど、その第一報にも衝撃を受けた。あの日、僕は4時過ぎに目が覚めてしまって、早朝のニュース番組を眺めながらまどろんでいた。そこに速報が入り、相模原障害者施設で10名以上が死傷とテロップが出て、一気に目が覚めた。あるいは、トルコクーデター。その日、僕は京都のホテルに泊まっていたのだが、朝起きてテレビをつけるとクーデターが起きたと報じられていた。

 朝目を覚ますとクーデターが起きている世界を、わたしたちは生きている。当たり前だったはずのことが、足り前ではなくなりつつある世界を生きている。マームとジプシーの作品は、ひとつひとつの記憶に、ありとあらゆる喪失に思いを馳せているけれど、当たり前だったはずのことが当たり前ではなくなりつつある時代にそれを表現することには困難がつきまとうのではないか?

 「やっぱり、書いたことがどんどん当てはまっていっちゃうことが自分の作品の怖さだと思うんです。たとえば、『cocoon』だとか、『あ、ストレンジャー』だとかって作品も、書いたことが何かに当てはまってしまうところがあるんだけど、それは意図してなかったんです。でも、最近の僕の作品は意図的になってきたというか、どの時間を描いているのかってことを曖昧にしているぶん、どの時間のことも言えるようになってきてしまっていて。今年の7月を過ごしてみたときに、芸術をやるって結構しんどいことだなと思いました。

 マームの作品は、現実じゃないことをやっているようで、現実につながりやすいことをやっていると思うんです。いろんなことに対して、他人事じゃないなって思っていて。他人事であるからこそ他人事じゃないと思いたいし、一方では他人事であるっていう距離は相変わらずどうにも埋まらないなってことも含めて、年がら年中手を伸ばそうとしてるんです。だからこそ(作家として)止まってしまったら辛くなりそうだなって思ったし、作ってなくちゃ辛い1ヶ月だったなってことはすごくありましたね」

 『カタチノチガウ』、『2』、そして『A-S』という作品には共通することがある。それは、「戦争」という言葉がごろりと登場することだ。マームとジプシーあるいは藤田さんは、直接的に政治的な意見を表明することはないし、政治的な意見や立場を表明するために作品を作っているのではない(と思う)。しかし彼らは、今の時代をどう生きるかということを、作品を通じて描いているように感じる。

 「これは年取ったからとかでは絶対ないと思うんだけど、戦争って言葉が不思議と言いやすくなってるんです。戦争って言葉と、現実的に日本に暮らしている僕らってもっとかけ離れてたと思うんです。2011年のときだって、震災って言葉とか原発って言葉はあったにしても、戦争って言葉はやっぱりほど遠かったと思うんだけど、今は違和感がないんですよね。こんなに戦争の報道がされてる時代のことは想像してなかったんだけど、こういうふうに言葉が通ってきちゃうんだなって思うんです。それをすんなり書いている自分がいて、役者との手続きも簡単になってきてる感じがある。

 役者さんに台詞を言ってもらうっていうのは、僕が演出を施すみたいな偉そうなことじゃなくて、手続きだと思うんです。その手続きの段階で、昔はもっと話し合ってた気がするんですよね。橋本さんが書いてくれた『まえのひを再訪する』を読んでも、『まえのひ』ツアーのときに僕らは丁寧に“まえのひ”って言葉と向き合ったし、それぞれの土地で“まえのひ”って言葉がどういう響きになるかってことを拾ってツアーをしてたと思うんです。でも今、“戦争”って言葉を出すときは、それは別にぶっきらぼうになったとかではなく、『普通に戦争って言葉を言うよね?』って感じがある」

 以前のマームとジプシーであれば、その言葉がどういうイメージを含んでいるのかというところまで、藤田さんが“演出”を加えていたように思う。逆にいえば、その言葉のイメージを役者の中だけで膨らまされることに対してポジティブではなかった。でも、特に『0123』の『2』を観たときに、その作品に出演する青葉市子さんと青柳いづみさんの二人にかなり委ねている印象を受けた。もちろんテキストを書いたのは藤田さんであり、演出も施してはいるのだろうけれど、青葉市子さんと青柳いづみさんがこれまで培ってきた世界が基礎にあるように見えた。役者に委ねるということがアリになってきたのは、ここ最近のことなのだろうか?

 「不安さがなくなってきたというのはあるんです。自分が書いたものをどうやって言うのかってことに対して昔は不安があったんだけど、『2』はちょっと不思議で、出来上がったときに不安がなかったんですよね。これはとても必然的にできたと思ったんです。“みあん”(青葉市子さんと青柳いづみさんによる音楽ユニット)としてのことはまったく知らないけど、『cocoon』のときに二人は“サン”と“えっちゃん”っていう幼馴染の役だったわけですよね。それで、市子には『cocoon』でツアーしている最中にオファーしたんですけど、そのときに思い描いていたことが現実になってくれてすごく嬉しかったんです。童話で校舎を埋めたいっていうコンセプトにもすごく合ってたし、無意識のうちに戦争って時代に突入されて、それに巻き込まれるんだけど、それでも生きていくしかないから『生きなくちゃ』ってことをラストで言う――それがとても自然な流れでできた気がするんです。だから、出来上がってからはほんとに何も言ってないですね」

 『2』という作品には、『ヘンゼルとグレーテル』がモチーフとして取り込まれていると書いた。『2』の冒頭で、姉妹の姉(青柳いづみ)は「私は、私の家をもう忘れてしまった」と語りだす。ずっと前に、姉と妹は、湖のほとりで焚き火をしてきたのだ、と。このシチュエーションは『ヘンゼルとグレーテル』からもたらされたものだろう。しかし、物語の展開は大きく異なる。『ヘンゼルとグレーテル』は、両親の暮らす家に戻ろうとするのだけれど、この姉妹はこんな言葉を交わす。

 「あかりをたよりに、わたしたち、おうちをみつけにいかなくちゃ!」
 「あかりをたよりに?」
 「そう。あかりをたよりに、あたらしいおうちをみつけなくちゃ!」


 そうしてあたらしいおうちを探して森の中をさすらっているうちに、見覚えがある風景にたどり着く。遠くに見えるあかりは、ずっとまえのおうちのあかりかもしれない――そこで姉はギョッとする言葉を発する。「わたしたちが探しているのは、あたらしいおうち。ずっとまえのおうちじゃなくて。だから、だから、火を放とう、ずっとまえのおうちに」。こうして二人はいよいよ帰る場所を喪失して、あたらしいおうちを探して歩き続けることになる。

 白い衣装も相まって、二人の姿は信徒のようでもある。その姿を見て浮かんできたのは、ディアスポラという言葉だ。帰るべき場所を失って離散して、1000年、2000年というレベルで“あたらしいおうち”を探して歩いている人たちがいる。もちろんディアスポラほど大きな例を持ち出さなくたって、帰るべき場所を失って、ヒカリを探して歩き続けている人たちは大勢いる。そんなことを、二人の姿から連想した。

 「それでいうと、今回の京都滞在で一生懸命読んでたのは『漂流教室』と『14歳』で、こどもたちが宇宙空間みたいなところを彷徨っちゃうんですよね。『カタチノチガウ』の中でも、『未来にのこされるこどもたち』ってことを言うわけだけど、『0-1-2』があることでその響きが全然変わったと思うんです。ただ、『カタチノチガウ』をやった1日目はすごく感動したんだけど、昨日は気持ち悪くなっちゃって。っていうのも、昨日はお昼に『カタチノチガウ』をやって、そのあと夜に『0-1-2』って順番だったけど、これは絶望しかないなって思ったんです。

 『カタチノチガウ』のラストで、青柳さんが『未来にのこされる、こどもたち。カタチノチガウ、こどもたち。わたしや、わたしたちが見ることのできなかったヒカリを、ヒカリを、ヒカリを、ヒカリを、あなたたちは、あなたたちは』ってことを言って、そのあとで飛び降りるところで終わるわけですよね。それで終わっていいはずなのに、そのあとに『0-1-2』を観ていると、のこされたこどもたちの顛末を見せられているような気がしていて。そのこどもたちは、目が見えなくなっているわ、取り残されて変な商売をさせられてるわ、しかも市子っていうこどもとゆりりってこどもは実はアウトしちゃってるわけじゃないですか。そこは絶望しかないなと思ったんだけど、あのしつこさは新しいなと思った。

 それこそ『破裂音の朝』じゃないですけど、何万年のことをやっているような感じがしたんです。青柳さんから生まれたこどもが大きくなって、その時代は戦争で、そこで捨てられたり、商売させられたりしていたこどもが大人になって、またこどもを産む――そういうすごい長い時間を見せられてる感じがあったんです。曼荼羅じゃないけど、すごく大きな設計図がボンと置かれている感じがアツかった。これはまたどこかに到達するための途中段階なんだろうなってことは、すごい考えてますけど」

 藤田さんから曼荼羅という言葉が出てきたのは少し意外にも感じたし、必然であるようにも感じた。大きな時間を想定しつつ、人が生きて死んでゆくということのイメージを膨らませれば膨らませるほど、それはどこか宗教に近づいてくる。宗教と言って言葉が悪ければ、死生観や倫理には立ち入らざるをえなくなる。実際、『カタチノチガウ』という作品が初演されたとき、藤田さんは「作品を作るってことは、ある意味では、僕の考えっていう意味での宗教だ」ということと、「そこで倫理観みたいなところに踏み込むにはバランスが必要だと思う」ということを口にしていた。そのバランスについては、今どう考えているのだろう?

 「それがなんかね、自分自身まだわかってないんだけど、うまくなってきてるんですよね。それが怖いんだけど、昔はもうちょっと衝突がありながらある言葉を捻出してたと思うんです。でも今は、その場で思い浮かんだ言葉とかじゃなくて、ずっと考えてきた言葉を書いてたりもするんです。自分が考えてきた言葉が反映されてるから、疑いがなくなってるのかもしれなくて。ただ、さっきも言ったように、『これはこうだから』っていうことを説明することで、自分の言葉を言ってもらう人たちに洗脳をしたくなくなってきてはいるんです。ただ、僕のオファーを断ってないってことはたぶんそうだろうって思うことはあるんですよ。たとえば青柳さんが政治に対してどう思っているのかわからないけど、でも『この台詞をいうんだったら、自民党には入れてないだろう』とか、そういうことはある。そういう意味では、昔ほど言葉で確認しなくていいゾーンが増えてきたっていうこともあるんですよね。

 これは寺山さんや野田秀樹さんのテキストを上演したり、川上未映子さんのテキストで上演をしたってことが大きいと思うんだけど、気持ちのいい演劇が何かってことを考えると、僕のことをすごいと思わせないことだと思うんですよね。今、僕は僕自身を消したくて、たしかに僕の作品ではあるんだけど、作品を作った人ってことで偉くなりたくないんです。僕は作品の一部でしかなくて、これを作った人が男子なのか女子なのかわからないまま帰っていく人がいてもいいと思ってるし、どんどん裏方にまわっていきたいなって気持ちがあるんです。数年前の僕だったら、たとえば市子の音楽のBPMを上げるように演出を施したり、僕の小気味いい感じを入れようとしてたかもしれないんだけど、今回は市子と青柳さんの自然発生的な間合いでいいと思ったんです」

 話を聞いていたところに「スイカ割り、やります」と声がかかり、そこでインタビューを切り上げることになった。講堂と校舎のあいだの場所に、スイカが置かれている。目隠しをしてスイカを割ることになったのは、『A-S』という作品に出演していた今井菜江さんだ。なんて夏らしい風景なのだろう。今井さんに「もうちょっと右!」「もっと前!」と支持を出している皆の姿を眺めながら、さきほどの藤田さんの「どんどん裏方にまわっていきたい」という言葉を思い出していた。この中に、まだ話を聞けていない人が二人いる。その二人というのは、青葉市子さんと青柳いづみさんだ。

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2016-08-18

マーム・イン・京都(3)あたらしいひび


 外はよく晴れていて、蝉の声が教室にまで響いてくる。午前だというのに34度を超えているけれど、元・立誠小学校の1階にあるカフェはよく冷房が効いていて快適だ。8月2日、僕はこの店でマームとジプシーの制作・林香菜さんと待ち合わせをして、アイスカフェオレを飲んでいた。

 数日前、林さんは「この夏はめっちゃタクシーを使っちゃってます」と言っていた。京都は狭い街だとよく言われるが、実際に移動していると――しかもこの暑さの中を移動していると――それなりの規模だということを実感させられる。元・立誠小学校と春秋座は5キロほど離れており、バスで移動すると30分近くかかる。『A-S』と『0123』、2つの作品が同時に制作されている中で、この時間のロスは痛いし、自転車で移動するには京都の夏は暑過ぎる。

 今年の夏は大変ですね――そう話を向けると、林さんは「去年のほうが大変でした」と笑う。

 「今思うと、去年の夏に『cocoon』をやったときはまだ、自分の立ち振る舞いとか、プロジェクトの中での自分のポジショニングみたいなものがまったくわかってなかったんです。でも、ツアーの中で、『あなたはこの作品に関わってくれている人たちに対して『ありがとう』って感謝を伝えていく立場なんだから、それをおざなりにしてはいけない』ってことを藤田に言われて。『もちろんそれだけじゃないけど、あなたがきちんと「ありがとう」って伝えたり、「ごめんなさい」って謝ることで解決することがいっぱいあるんだ』って。それまで、自分がそういう立場だと思ってなかったんですよ。自分の言葉で関わってくれる人の何かが変わるなんて事も全く思ってなかったし、それは藤田に言ってもらう事であって、自分が伝えるポジションだと本当に全く思ってなかった。だから、精神的には去年のほうが大変で、劇場サイドとの付き合いにしても、どこまで頼っていいのかわからなかったり、関係性の取り方だったり、関わる人がどんな制作的な言葉を求めているのか、とにかくそれを対応するだけでいっぱいいっぱいだったけど、今はそういう立ち回りが自分の中で徐々に解決してきたんです。まだまだですけど……」

 ここ数年、マームとジプシーの創作スピードは上がり続けている。2014年春に全国7都市をめぐった『まえのひ』ツアーは、バン1台で日本を横断する過密スケジュールの旅だった。しかも、『まえのひ』ツアーが行われていた時期には『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、 そこ、きっと──────』という作品の稽古も始まっており、ツアー先と稽古場を藤田さんは何度か往復していた。

 あるいは、2014年秋には『小指の思い出』という作品が上演された。その公演が楽日を迎える前に藤田さんは劇場を離れ、『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』のツアーに向かわなければならなくなった。2つの作品が並行して上演され、自分の作品が上演される現場に藤田さんが立ち会えなくなったのは、このときが初めてのことだ。

 今年の夏は、さらにスピードが増している。『A-S』と『0123』、2つの作品を並行して立ち上げたのである。どんどんクリエイションの速度が加速しているが、マームとジプシーの制作として、林さんはどう対応しているのだろう。

 「私のことだけを言うと、現場に入ってからはみんなに任せるしかない部分が多いし、今回もとにかく優秀なチームを作る事が出来たので、とても楽しいです。藤田はもちろん、俳優さん、スタッフチームには大変な思いをさせてしまってると思うし、みんな『一つの作品に集中してくれたら、もっとよい作品になるのではないか』とか『これでいいのかな』と当たり前に思ってると思う。でも、藤田がいないときこそ、時間をかけて培った、それぞれのマームとジプシー的な美意識できちんと作品を守ってくれる人たちなんだと再確認しました。だから、今回のプロジェクト2つは、私が対応しているというよりも、それぞれがそれぞれの立場で踏ん張ってくれているという感じです。

 今回の京都に関して言うと、そうなる予定だったし、しょうがない事なのですが、立誠の『0-1-2』が初日を迎えたら藤田が『A-S』にほとんどの時間を費やすことになってしまいました。だから『0123』に関しては、もちろん藤田の言葉やディレクションがあってこその作品だし、藤田の作品なんですけど、今まで以上に作品を豊かにしたのはスタッフであり役者さんだなって思っています。もちろん全ての決定権は藤田にあるのだけれど、藤田がいない状態でも、細かな部分で皆の美意識で作品が豊かなっていく感触があって、その作業を見ていて、私としてはすごく充実感があったんです。作品が藤田の物だけではなくなる感覚というか。それは『A-S』にも言えることで、この場所での創作をとても理解して、ゆりりともりっち(舞台監督 森山香緒梨)で踏ん張ってくれた。皆はそれぞれの立場でほんっとに大変だったと思うんですけど、それだけ強靭なチーム力が備わっているんだなってことが感動的でした。

 これまでも、0を1にするのも、1を100にするのも藤田だって大前提でやってきたんです。今でも藤田が1を100にする前提は変わらないんだけど、これからの藤田とそれぞれとの作業も、少し変わって来るのかもと思いました。俳優陣やテクニカルチームは『藤田の作品に関わる』ってことで集まってきているんだけど、皆もマームとジプシーという場で自分の表現をしている。そういう場になってきたなっていう気がするんです。私がこれから先出来ることは、予算やスケジュールでの対応力とかってことじゃなくて、このそれぞれの特別な力をもっと存分に発揮出来るような場を整えていくことだと思ってます」

 マームとジプシーにかかわるメンバーの多くは、大学時代に出会った人たちだ。その彼らも今、全員が30代になろうとしている。こうして話を聞いている林さんもまた、この翌日が誕生日で30歳になる(その日の飲み会では皆でお祝いをした)。強靭なチーム力を培ったのは、一つにはかかわってきた時間の長さがある。彼らは20代を駆け抜けてきたけれど、30代という曲がり角を迎えた今――しかもいよいよ速度が上がり、活動の規模も大きくなりつつある今――林さんは制作としてどんな環境を整えようとしているのだろう?

 「正直、ここまでは無理せず、自然に来れたなっていう感じがあるんです。でも、いつか痛い目に遭うんじゃないか、いつか続けていけなくなるんじゃないかって怯えながらここまでやってきました。予算規模もどんどん上がってはいるんだけど、制作的にはいきなり新しい境地に踏み入れた感じは全くないんですよ。これからも、たとえばびっくりするぐらい大きな予算の仕事をやることになったとしても、いきなり無理することにはならないんじゃないかな。

 私にできるのは、力になりたいと思ってくれている人たちが手を伸ばしてもらえる環境にしていくっていうことで。今回の京都でも、『これから先も、この人たちに手を貸してもらいたいな』と思っている人たちはほとんど、京都まで観にきてくれたりして。マームとジプシーに自分が関わっていなくても、作品や活動をいつも気にしてくれている。そういう人が本当にいっぱいいるので、その人たちに助けてもらえる、巻き込まれてもらえるような環境にしていくことが大事だなって思っています」

 制作という立場にある林さんに話を聞いているからこそ思うのだが、どうやって活動の規模を大きくして、より多くの人に届くようにするのかという問題は、いろんな人が頭を悩ませてきた問題だろう。どうやって活動の規模を大きくするかを考えたときに、テレビや映画で活躍する俳優を起用することで集客を増やし、大きな劇場で上演するという選択肢もある。それとは反対に、テレビの世界に進出するという選択肢もある。しかしマームとジプシーは、演劇という場を維持しながら、これまでのメンバーで大きな規模に挑もうとしているのだろう。

 それは別に、「テレビや映画で活躍する俳優とは一緒に作品を作らない」ということではないはずだ。実際、藤田さんが演出した『小指の思い出』や『書を捨てよ町を出よう』には、テレビや映画、舞台で活躍してきた俳優がキャスティングされていた。そこで問題となるのは、これまでのマームとジプシーの制作方法を維持できるかどうかだ。演出家は演出のことだけ、俳優は演技のことだけ、照明家は照明のことだけ、音響家は音響のことだけ考えるのではない現場といえる――それを全員と共有できるかどうかにかかっている。

 『小指の思い出』の稽古が始まったとき、僕は何度か稽古場を見学させてもらったことがある。あのときは、そのスタイルを共有するという段階で少し苦労があったように思う。だからこそ、『書を捨てよ町へ出よう』で村上虹郎さんや又吉直樹さんという人とあらたに出会って作品を作るときに、一緒に時間を過ごして何かを共有するということにエネルギーを費やしていたし、これまでマームとジプシーがどんなふうにクリエイションを行ってきたのかを丁寧に言葉で説明してもいた。つまるところ、その制作方法を共有できる人を増やしていこうとしているのが、マームとジプシーの現在と言えるのではないか(その意味では、『小指の思い出』以来となる東京芸術劇場・プレイハウスでの公演が楽しみでもある)。

 「『小指の思い出』の頃はまだ、自分がマームとジプシーの人だと思ってなかったんです」と林さんは言う。「思ってないっていうのは違うんだけど、皆にとってはマームとジプシー=藤田で、それがすべてだと思ってたんです。でも、それこそ『小指』のときに、自分の立ち回りとしてもっとできることがあったんじゃないかってことを思ったんです。あの時期、大人計画の長坂まき子さんに食事に誘っていただいて、話をする機会があって。そこで長坂さんが言ってくれたのは、『思ったことがあるなら言ってあげなさいよ、作品を一緒に作るために、そんなの当たり前だよ』ってことで。元気ないなと思ったら『ごはん行きましょうよ』と誘うとか、この人はなにか納得してないなと思えば飲みに誘うとか、自分自身がひっかかる事があるなら、実行に移せばいいのよ、と言ってくれたんです。

 それまで私、自分がそんなこと言っても何も変わらないと思ってたんです。さっきの話ともつながるんですけど、それを言うのは藤田じゃないとダメだと思ってたんですけど、長坂さんの言葉で『ああ、そうなんだ!』って思えたんですよね。たとえば藤田が『あのシーン好きだな』と言っていたとしたら、そのことを伝えるだけでも変わってくることだってありますよね。それだけじゃなくて、私がこの作品についてどう思っているかとか、関わっている人に伝えていくこともとても大切な事なんだと気づかせてもらいました。劇場の方に対しても、『藤田が楽しかったと言ってました、また一緒にやりましょう』とちゃんと伝えることで変わってくることもあると思います。当たり前にみんな作品のために集まってきてる訳だし、最初からネガティブな思いで関わる人なんて本当に一人もいない。それはどんな立場の人もそうで、それぞれの美意識とかタイミングが違って、それがうまく噛み合ってないだけのことってたくさんあるから、ちょっとした一言と話の仕方や考え方で変わったり、うまく噛み合ったりすることってあると思うので、そういうのを大事にしたいなって思ってます」

 マームとジプシーの制作環境を考える上で、今年は大きな変化がある。それは、新しいプロジェクト「ひび」が始動したことだ。今年の春、メンバー募集の呼びかけが始まったとき、こんなふうに説明がなされていた。

 この度、マームとジプシーは2016年6月より新しいプロジェクト「ひび」を始動致します。このプロジェクトは私たちの「活動」に共感し、興味があるひとが、マームとジプシーの活動に関わりながら、約1年後に予定されている藤田貴大との作品発表を目指します。つきましては、「ひび」のメンバーを募集します。

 現在までにオーディションとして出演者募集は実施してきたものの、このようなカタチでの試みは初めてです。「ひび」のメンバーのなかには、もちろんこれからマームとジプシーの舞台に立ちたいひとがいてもいいですし、演劇を目指すひとじゃなくてもいいです。服をつくりたいひとがいてもいい、音楽をしたいひとがいてもいい。これからお店をしたいひとがいてもいい。「ひび」という場所、「ひび」での時間が、これからのマームとジプシーや藤田貴大の活動を支えていく大切な出会いの場になるように願っています。沢山のご応募お待ちしております。奮ってご応募ください。


 オーディションを経て、6月3日に「ひび」のメンバー22人の名前が発表された。しかし、この新プロジェクトが一体何を目指しているのか、外側から観ているとよくわからないところがある。一体なぜ、この新プロジェクトを始動させたのだろう?

 「これまで関わってきてくれた人たちっていうのは、利害関係がお金ではないなか、藤田の作品を作るために集まって来た人たちが、関係としてもそのままお仕事に繫がってきました。だから、マームとジプシーの考え方とか立ち振る舞いが自然にできているんです。色んなジャンルを巻き込む事を楽しめる人達だし、とにかく面倒くさがらずとことん付き合ってくれる。例えば、俳優さんは舞台に上がるだけの存在じゃなくて、作家が自身を削って産み出した、そして、沢山の人で立ち上げた”作品”の最終的な”出口”という責任感とか、マームとジプシー的な俳優としての興味の持ち方みたいなものが潜在意識として共有出来てるんだと思います。世の中には役者として舞台に上がることにだけ興味があるって俳優もたくさんいると思うけど、それだけじゃないマームとジプシー的な俳優の素質がある人たちっていうのも結構いると思っていて、そういう人たちにも出会いたいなと思いました。

 それはもちろん、俳優だけじゃなくて、各ジャンルにいると思うんです。そういう素質がある人たちに、作品にかかわるスタンスを1年かけて身につけてほしいというか、確認して欲しいと思ったんですよね。その中からマームとジプシーに関わり続ける人と出会えるかもしれないし、舞台美術をしてもらう人が出てくるかもしれないし、もしかしたら藤田が誰かの才能を認めて、その誰かの言葉を藤田が演出することだってありえるかもしれない。今まで、内側を固めるチームは外部を寄せ付けない潔癖を貫いてきたので、出会おうと思う機会って本当になかったけど、そういう人達に出会いたいっていうのが大きかったんです」

 その理念はわかるけれど、一つ気にかかることがある。それは、「ひび」の最初の活動がダイレクトメールづくりだったということだ。

 もちろん、マームとジプシーにおいてDMをつくる作業だって重要だということはよくわかる。彼らのDMや当日パンフレットは常に凝ったものを用意しているけれど、それだって彼らの作品の一部であり、役者も一緒に制作作業を行ってはいる。ただ、「ひび」としての最初の活動がその作業となると、「体よく使ってるんじゃないか」と言われかねないのではないか。

 「そうですね。そう見られる可能性は大いにあると思います。まず、正直、本当に人手が足りなくなってきてるので、手を増やしたいっていうのもあるんです。自分たちが思い通りに成立させようとしたときに、時間もかかるし人手も足りなくて、限られたメンバーでやるしかないっていう状況があったんですよ。それには一人一人の負担が大きくて。それで、『ひび』のメンバーは、そういう事も含めて、私達の活動に関わってもらう事が大前提で、みんなDMとか当パンに関しても共感してくれている人達だと思うので、メンバーの中にはたぶん体よく使われているという感覚はないと思います。

 『ひび』のメンバーって、本当にいろんな人がいるんです。服飾をやりたいっていう人もいるんですけど、その中でも服飾デザイナーになりたい人もいれば、パタンナーになりたい人もいるし、舞台衣装をやりたいって人もいる。グラフィックをやりたい人もいれば、大学生もいるし販売員もいるし、俳優もいる。ほんとに色々で、ていよく使ってると言われてば使うことになっちゃってるんですけど、関わり方については絶対に強要しないで、経験値をあげる現場を提供して、彼女たちも彼女たちなりにかかわって、現場を見つめて、自分の生活に戻っていく。1年間はそれでもいいけど、それを経てどうなっていくのかってことは、もうちょっと考えなくちゃいけないとは思っています」

 マームとジプシーは、これまでもいろんな人を巻き込んで活動してきたけれど、巻き込む人をさらに増やしていこうとしているのだろう。その上で、どう巻き込むかは大きな課題になってくるはずだ。少しでもバランスが崩れると、人というのは「何でこんなにしんどい思いをしなくちゃいけないんだ」、「何でこんなことまでやらなきゃいけないんだ」と思ってしまう。そのバランスを保っていくのは大変なことだ。それを伝えると、「自分は喪主だと持ってるんです」と林さんは言った。

 「喪主っていうとわかりづらいかもしれないですけど、マームとジプシーとプロジェクトとの折り合いの付け方とか、作品の終わり方とか、関わる人と作品との折り合いの付け方とかをきちんと考えていきたいなと思っています。自分で折り合いをつけられる人は藤田との作業の中で見つけていけると思うのだけれど、自分自身では確信に変えられない人とか、そういう事が出来ない時期とかもあると思うので、ただツライ時間なだけだった、みたいな事は避けたいなといつも思っています。そういう折り合いがつかないと作品は最終的に昇華されない気がしていて、作品にとっても、それって本当に不幸な事なので……。

 最初にそれを思ったのは、『カタチノチガウ』の初演のとき、青柳が声を枯らしたときです。公演中止になった対応などをした時に、これってなんか喪主っぽいと思いました。このまま終わらせちゃうと、青柳にとっても作品にとっても何もプラスにならないし、どう考えても折り合いをつける事が出来ないと思ったんです。VACANTの大神さんがもう一回公演してもよいよと言ってくれて、それで作品自体がやっと作品として昇華した実感がありました。この時、初めて、作品の“終わり方”ってとても重要だなと思いました。関わってくれる人たちに『良い作品だった』って思わせるのは藤田がやってくれることだし、それだけで折り合いがつく事はほとんどですが、それ以外の部分で、作品をきちんとした形で終わらせるために、私が出来る事はしていきたいと考えるようになりました。そういう意味で作品にとっての喪主的な役割なんだと思っています。昔はそんなこと思ってなかったんですけどね」

 窓の外には裏庭のような場所がある。かつてプールだったその場所は埋め立てられており、向こうに講堂が見える。講堂へと続く道を、石井亮介さん、それに『A-S』の出演者であり、「ひび」のメンバーでもある辻本達也さんが機材を運んでいるのが見えた。あの講堂で、今日の夜から『0123』の『3』が――『カタチノチガウ』が――上演される。これで、この夏に京都で上演されるマームとジプシーの作品がすべて揃うことになる。

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2016-08-12

8月6日

 8時、京都のホテルで目を覚ます。いそいそとテレビをつけるが、このホテルのテレビはなぜか2局くらいしか映らず、広島の式典の中継を観ることはできなかった。代わりにオリンピックの開会式を眺めていると、日本からの移民をあらわす人々が登場する。アナウンサーが「広島原爆が投下された時刻に合わせた演出だ」という旨を語っている。しばらくぼんやり眺めていた。ホテルをチェックアウトする前に、聡子さんからメールが届く。チェックしてもらっていた原稿が返ってきたので、さっそくアップする。「マーム・イン・京都(1)」には、少しだけ原爆の話を書いた。日付なんて日付でしかないけれど、それをアップした今日は8月6日だ。11時にチェックアウトして、新幹線で東京に戻る。この夏は何度も京都を訪れたけれど、これでしばらく打ち止めだろう。7月はいつも押し寿司を買っていたけれど、今日はもう気分が変わっているので、近江牛弁当を食べた。


8月7日

 夏だというのに知人は風邪を引いている。昼、僕はマルちゃん生麺(醤油)のニラのせを、知人にはうどんを作って食べさせる。午後、川崎ゆり子さんに少しだけ話を聞いたテープを文字に起こして、原稿にまとめ、チェックしてもらうようにメールで送信する。それが終わると、藤田さんに話を聞いたテープの文字起こしに取りかかる。いつのまにか日が暮れていた。


8月8日

 こういう日は何を食べたものだろう。しばらく迷ったけれど、うなぎを食べることに決めた。スーパーでうなぎ蒲焼きを買ってきて、ごはんにのっけて食べる。奮発して国産にしようかとも思ったけれど、あえて中国産を選んだ。なんだかそわそわして、ずっとテレビの前に座っていた。15時、天皇が「お気持ち」を表明するビデオが一斉に放送される。甲子園中継のETV以外は全局が報じていた。「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」という言葉の重みを、どう受け止めればいいのだろう。その存在が象徴であるとして、国民のひとりである私の、何を象徴しているのだろう。

 夕方、銀座へ。17時半、おでんの「やす幸」にて『S!』誌収録。ゲストの方のお話は刺激的だ。1時間半ほどで収録が終わり、河岸を変えることになる。僕もご一緒したかったけれど、用事があるのでそこで別れる。時間がないのでタクシーを拾って、江東区の北砂へ。今日は贅沢貧乏という劇団による公開会議「劇場外で作品をつくること/滞在制作について」が行なわれている。5分遅れで到着して、アパートの1室に入る。贅沢貧乏は「家プロジェクト」と題し、一軒家やアパートを借りて、そこで半分生活しながら作品を発表するという試みを続けてきた。今日のアパートも、つい最近まで作品が発表されていた部屋だ。そうした活動を振り返る公開会議であり、ゲストは藤原ちからさんだ。

 2時間ほどの会議が終わると、駅前の焼きとん屋で打ち上げが行われた。観客は僕だけだったので、すごすごついてきてよかったのだろうかという気持ちにもなったが、いまさら悩んでも仕方ないのでホッピーを呷るように飲んだ。しばらく経ったところで感想を求められたので、今日の公開会議を聞いていて思ったことを率直に話す。公開会議においては、劇場と家とが対極にあるものとして語られていた。アパートの一室でやっていると、お客さんが座る場所によっても違ってくるし、外の天気によっても違ってくるし、毎回違うものになる、と。一方で、たとえば商業演劇だとただ繰り返すことになるという話も出ていたけれど、実際にはそんなことはないはずだ。たしかに劇場の観客は「観客」というひとかたまりに見えるけれど、それだってひとりひとりである。それに、観客は劇場まで街を移動してやってくるわけだから、その日の天気だって影響しているはずだし、その日のニュースにだって影響されることはある。

 あるいは、こんな話も出た。劇場で演劇を観るときは、隣に座っているのはまったく知らない誰かだということが前提としてあるけれど、贅沢貧乏の場合はまず駅に集合し、スタッフに先導されて皆で歩いて“家”まで移動することになる。そうやって歩くことで、「まったく知らない誰か」とは違う距離感を観客同士が持つのではないか、と。そこで先導役のスタッフが振り返る回数によっても距離感が違ってくるのだという話もあった。あるいは、こんな話も出た。普通に客席がある設計ではないぶん、贅沢貧乏の公演を観たことのある“プロ観客”のような人がいるかどうかで、お客さん全体の雰囲気が違ってくる、と。これらはポジティブなこととして語られていたけれど、この点に関して言えば、僕は劇場で芝居を観ること以上にコードを強いられているように感じられた。先導役のスタッフが振り返れば振り返るほど、僕はどこか息苦しい気持ちになった。この点に関しては、ひとりひとりでいられる劇場の公演のほうが僕は気楽だ。

 こうした話を伝えたのは、別に彼らの「家プロジェクト」という試みを否定したいからでは当然ない。彼らの作品を僕は2つしか知らないけれど、それはたしかにあの町で生まれた作品だと思うし、アパートの1室で作品を観るというのは印象深いものであった。しかし、彼らが家という空間で見出した公演の一回性のようなものは、解像度を上げていけば、劇場という空間でも実は起きていることだ(作品があるところに到達してしまったあとに、公演を繰り返すモチベーションはどこにあるのかという話もあったけれど、その話もここにつながると思う)。そこで思い出したのは、『ユリイカ』(2015年3月号)で飴屋さんと郁子さんに話を聞かせてもらったときのことだ。あのとき、飴屋さんはこんな話をしていた。

飴屋 ライブハウスというのは、音楽をやるために計算された場所だという前提がありますよね。楽器というものも、音を出すのに都合がいいように作られているという前提がある。そういったことに対抗する考えとしては、たとえば楽器を使わずにノイズ・ミュージックをやるということがあるし、定型のメロディを使わずに、即興でやることによってもう少し音を自由にしていくという考え方があると思うんですよ。でも、普通にメロディのある音楽であっても、その場所とどう関わるかということで音の響き方は変わってくる。その作業をすごく丁寧にやると、すごくやりがいがあるというか……。それは別に、ノイズのほうが自由であるとか、即興のほうが幅があるということでは全然ないと思うんだよね。

 もう一つ、場所ということで言うと、僕は稽古場に行ったり劇場に入ったりしたときに、いつも最初に音を鳴らすんですよ。音を鳴らして、普段の僕の言い方で言うと“場所と仲良くなる”というか、その場所とやりとりができるようになるために、ひたすら大きい音を流してるんですね。それは別に、自分が持っているCDをかけるだけなんだけど、その作業には結構時間がかかる。端から見るときっと、音を鳴らし始めたときも三十分後も一時間後も、その曲を流してるだけにしか見えないと思うんだけど、この場所と付き合えるようになってきたなっていう感触が訪れるんですよ。


 あるいは、僕が「繰り返す」ということについて質問したときのこと。演劇も、2時間なら2時間の作品を繰り返すし、音楽のライブでも同じ歌をいろんな土地で繰り返し歌う。その「繰り返す」ということは、お二人の中でどういう作業ですかと質問すると、二人はこう答えたのだった。

原田 うーん、でも、同じことを繰り返すとは思っていない気がします。たとえば、「はなれ ばなれ」って曲を二日続けてやったとしても、それを同じと思ってないかも。飴屋さんは、繰り返すっていう感覚はありますか。

飴屋 たぶん、ないほうだとは思うけどね。ただ、一方では、人間が日々やっていることは繰り返しじゃないですか。その中でわかりやすく自分が気にしていることは――朝起きて、初めて会って「おはよう」と挨拶をする、その瞬間のことで。毎日同じ言葉で同じ人に向かって言っているんだけど、でも、同じじゃないわけですよ。そこで自分はどういうふうに「おはよう」と言えるかみたいなことは考えるかな。下手をすると簡単に麻痺してしまったり、雑になったりすると思うんですよ。当たり前だよね、雑にやれてしまうことでもあるんだから。でも、それを雑にやらないというのは自分の問題だし、その難しさということでは、普段の生活だろうと演劇だろうと変わらない気がする。


繰り返しになるけれど、彼らの「家プロジェクト」は意義あるものだったと思う。だからこそ、次に彼らが作品を発表する場所が劇場であるということは大きな意味を持つのではないか。よく目を凝らしてみると、繰り返すことも、観客との関係も、「家プロジェクト」で得たものを活かしながら作品を発表できるはずだ(と僕が書かなくたってそうなるだろう)。

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8月9日

 昼、久しぶりで新宿Y社に出かける。今日は『CB』誌の取材である。新宿駅を出て歩いていると、あまりの暑さにふらつくほどだ。13時、Sのお二人に取材。先日ライブを観ていたこともあり(だから依頼があったのだが)、スムーズに話を聞けた。取材が終わったあとで、編集者のM田さんが「あれ? 橋本君と取材するの初めてだっけ?」と言う。初めてですよと答える。もう10年近い知り合いだが、こうして仕事をするのは初めてだ。「そっかそっか。っていうか取材、めちゃくちゃうまいね」と言われて、すっかり気を良くする。

 昔、「インタビューが下手だ」と編集者に言われたことがある。それ以来、ずっと苦手意識がある。でも、もし多少なりともうまくなったのだとすれば、マームのおかげだろう。僕はときどき、マームの誰かに話を聞く。でも、それは定点観測のように話を聞いているわけではなく、ここぞというタイミングをつかまえて聞いているつもりだ。そうでなければ、わざわざ時間を割いてもらう意味がないだろう。しかも、時間を割いてもらっておきながら、核心をつかない質問をしていれば「この程度か」と思われて終わってしまう。そうやって緊張感を持って接しているおかげで、鍛えられたものはある。

 「らんぶる」でさっそくテープ起こしをしたのち、原宿「VACANT」へ。飴屋法水,本谷有希子,Sebastian Breu,くるみの4名によるタイトルのない作品が上演されていて、今日はその千秋楽だ。とても引っかかったシーンがある。それは飴屋法水本谷有希子を追い詰めていくシーンだ。この日記を書いているのは8月下旬なので、細かい台詞は忘れてしまったが、「こどもを産んで、初めてこの世界に自分以外の誰かが存在した」というようなことを本谷有希子が語るシーンがある。

 それから少し経って、飴屋法水本谷有希子はマイクを手に向かい合って、飴屋法水本谷有希子を追い詰め始める。「もとやさーん! もとやさーん! 僕もセバもくるみも、ここにいる人たちも、ずーっと存在してましたよー!」「そんなことに、僕とか! セバとか! くるみを! つきあわせないでください!」と(この台詞も、ぼんやりした記憶で再現しているので不正確)。そう追い詰められているあいだ、本谷有希子はさめざめ泣いていた。涙を流しているということは、その言葉は何も響いていないのではないかという気持ちになった。当日パンフレットには、テキストは本谷有希子のものだとある。どういう経緯であのシーンが生まれたのかはわからないけれど、セラピーを見学したような気持ちで「VACANT」をあとにする。


8月10日

 昼は昨日インタビューした『CB』誌の構成をしていた。夜、ふらりと渋谷に出て、LOFT9にて「磯部涼九龍ジョーの難局酒場(仮)」というトークイベントを聞く。3時間半の長丁場でつい飲み過ぎてしまい、会計にギョッとする。トークの中では「ダメでいいんだ」という話が何度か出た。「音楽を守れ」というとき、多くの人は「素晴らしい音楽だから守るべきだ」と思っているけれど、評価とは関係なく守られるべきだ、と。これは生存する権利とも結びついてくる話だ。しかし、それとはまったく別の問題として、二人の話を聞いていると「自分はライターとしてまだまだダメだな」と思ってしまう。コンビニでスーパードライのロング缶を買って、渋谷駅まで歩く。なぜか人で溢れかえっている。一体どうしたことかと思っていたが、そういえば明日は祝日なのだった。


8月11日

 朝からテープ起こしに取り掛かる。今月4日に開催された「緊急ミーティング 政治、いや芸術の話をしよう(関東編)」というトークイベント(?)だ。興味はあったものの、参加できそうになかったので、「よかったら構成しましょうか・・?」と願い出ることでその内容を知ろうという魂胆で、モデレーターのひとりである藤原ちからさんに申し出ていたのだ。起こし終えると、さっそく構成にとりかかる。

 夕方、缶ビールを飲みつつ高円寺へ。今日はU.F.O CLUBで前野健太と青葉市子によるツーマンが開催されるのだ。予約受付が始まってすぐに電話をかけ、5番という整理番号をゲットしていたのだが、整理番号順の入場ではなく先着順での入場であった。それでもバーカウンターのそばに数席だけ置かれた椅子に座ることができた。青葉市子、前野健太、そしてラストに二人で一緒に歌っていた。一番後ろのほうには赤ん坊を連れた人がいたのだけれども、最後の最後にその子が泣き始める。そうすると、最前列のほうにいた観客が「外に連れ出せよ」と怒鳴った。市子さんはその瞬間に自分も泣き声を出していたけれど、こういう軋轢を目にする機会が増えたような気がする。

 僕はライブのあいだ何杯もおかわりをしたこともあり、ライブが終わる頃にはすっかり出来上がっていた。よろよろと階段を上がり、駅に向かって歩いていると、電話が鳴る。しかし、今日はもうへろへろなので電話には出ず、よろよろ歩き続ける。3度目に電話が鳴ったとき、後ろから肩をつかまれ、「ダメだよ、電話に出なきゃ」と言われてしまう。誘ってもらって、打ち上げに混じる。ここで飲み食いしたものはおぼえていないけれど、前野さんとタクシーに乗ってもう1軒ハシゴしたことはおぼえている。前野さんがギターを積もうとトランクを開けてもらうと、トランク中に新グロモントが積まれていたのはおぼえている。それから、新宿のバーでスイカのカクテルを作ってもらって、それがとても美味しかったこともおぼえている。


8月12日

 昨日に引き続き、「緊急ミーティング」の構成を進める。完成したところで、藤原ちからさんに送信。夜は石神井公園「クラクラ」に出かけ、王舟と井手健介によるツーマンを。ワンドリンク制のところを、無理を言ってボトルで注文させてもらったのだが、ライブが終わる前には空になっていた。

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2016-07-31

マーム・イン・京都(2)ごどめのであい


 「いろんなインタビューでも答えてることなんですけど、家を出るっていうこと自体がすごく難しい時代になってきてると僕は思っていて。でも、舞台っていうのは家を出てこないと観れないわけだし、こうやって人が集まらないと作れないものを僕は作っていると思っているので。暑い中、いろんな年齢の人たちが僕のいる場所に毎日きてくれて、ありがとうございます」

 藤田貴大さんが語る言葉を、皆じっと聞き入っていた。ここは京都芸術劇場春秋座の「楽屋2」という部屋だ。『A-S』の公演が終わったあと、部屋で打ち上げが始まっていた。部屋の中には『A-S』に携わった出演者とプロジェクトメンバーがずらりと並んでいる。

 『A-S』という作品は、京都芸術劇場が実施する一般参加型企画の第3弾として制作されたものだ。5月にオーディションが開催され、6月にはワークショップを重ね、7月に入ってから本格的な稽古が始まった。いわゆる「滞在制作」ということになるが、藤田さんが滞在制作を行うのはこれが5度目だ。

 2012年01月 いわき『ハロースクール、バイバイ』
 2012年11月 北九州『LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望』
 2015年09月 イタリア『IL MIO TEMPO』
 2016年03月 福島『タイムライン

 これらの作品は少しずつ制作過程が異なっており、すべてを一括りに「滞在制作」と呼んでいいのかはわからないけれど、その土地に出かけ、出会った人たちと作品をつくってきたという点では共通している。

 2015年の夏、マームとジプシーは京都に滞在して作品を発表する――それを知ったとき、僕はあることを思い出していた。あれはたしか2014年の秋、『てんとてん、をむすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』という作品を上演するためにボスニアを訪れていたときのことだ。皆でお昼ごはんを食べに出かけた帰り道、サラエボを流れる大きな川のほとりを歩いていたとき、藤田さんは「いつか京都で滞在制作したいんですよね」と語っていたのだ。

 「たしかに、言ってましたね」。『A-S』が千秋楽を迎えたあとの楽屋で、藤田さんはそう話してくれた。「京都は大学の頃からよく来てた街で、創作がしやすい場所だなと思ってたんです。コンパクトな街の感じとか、物がすぐ手に入る場所にある感じとか。滞在してみると、思っていた以上にコンパクトだなって思いました。『A-S』で使った映像も京都で撮ったものだし、京都で買ったものも配置してるんですけど、全部を把握できるように作品をつくるってことが結構納得いく形でできたんじゃないかと思ってますね」

 この企画が発表されたとき、参加者を募るチラシには「藤田貴大と演劇を一緒につくる方、募集」と書かれていた。そこには藤田さんのこんなコメントも掲載されている。

 思いついていることが、今後のマームとジプシーの作品に、おおきな影響を及ぼすことなので、京都でつくる『A-S』という作品、とても楽しみだ。出演者オーディションもするが、プロジェクトチームとして、ぼくといっしょに作品をかんがえるひとたちも集めたい。そこに集まるひとは、いわゆる演劇を目指すひとじゃなくていい。服をつくりたいひとがいてもいい。お店をしているひとがいてもいい。とにかく、ものをつくることをしていきたいひとたちが集まってくれたら、と。現在って時間のなかに、ぽかんと場所をつくるとき、いろんな角度でその作品を見つめなくちゃいけない時代がいよいよ本当にやってきたような気がする。そのことをこの夏、京都にて、出会ったひとたちとかんがえていきたい。


 ここに書かれているように、今回の企画は出演者を募集するだけでなく、「プロジェクトチーム」も募集されている。出演者オーディションはこれまでにも行われてきたが、これはマームとジプシーとしても新たな試みである。どんな経緯で、こうした募集をかけることになったのだろう。

 「この企画が決まったとき、林さん(マームとジプシー制作)は『南さんとかトミーさんとか角田を連れていく』っていうことを言ってたんだけど、ちょっと待てよって感じに僕がなってしまって、『あっちの人たちと全部つくるっていうんじゃダメなの?』って言ったのが発端なんです。それでラフに募集をかけてみたら思っていたよりたくさんの人が応募してくれて。プロジェクトチームのメンバーとして関わりたいってことで応募してくれた人はほぼ全員採りましたね」

 藤田さんが名前を挙げた南香織さん、トミーさんこと富山貴之さんの二人は照明家であり、角田里枝さんは音響家だ。いずれも長く藤田さんの作品に携わってきたスタッフであり、一緒に旅公演も経験してきたスタッフだ。彼らと関わりをやめるというわけではないのに――実際、この夏に京都で発表されているもう一つの作品『0123』には南さんや角田さんが携わっている――どうして『A-S』という作品では新しい人たちと出会おうとしたのだろう?

 「“この類の企画”っていう言い方を最近僕はするんだけど、こういう形で作品をつくるときの演出家に対するオーダーっていうのは『俳優とコミュニケーションをとってください』ってことになりがちなんですよね。でも、それはいつもマームとジプシーがやっていることとは違うんじゃないかなって思ったんです。たとえば南さんだと、照明のことだけ気にしてる人じゃなくて、作品のことを考えるってことをやってくれてる人ですよね。本当はそれがプロってことだと思うんだけど、そういう人たちとマームとジプシーはやっていて。僕が知っているスタッフを連れてきてやるっていうのは効率的でいいことなんだけど、この街に滞在して、ここの人たちと作品をつくるってことを考えたときに、全部をフラットにして考えないとってことを思ったんです。

 演出家っていうのはあたかも役者とだけ仕事をする作業だと思われてるかもしれないけど、それは違うと思ってるんですよね。こないだの『タイムライン』もそうだし、『LAND→SCAPE』もそうだし、『IL MIO TEMPO』もそうだけど、そこは反省点でもあったんです。僕の演劇論を伝えていくわけだから、僕のやりかたを押し付けていくってことにはある程度なるんだけど、もうちょっと面倒くさいことをやりたかったんです。募集をかけてみたら、音響をやれる子が誰も応募してこなかったから、『A-S』で使ったスピーカーは僕のスピーカー2個だけだったり、僕がCDJで音を出すことになって本番を観れなかったり、そういうリスクはあったんですよ。でも、それは全然補っていくよって思うんですよね。

 今回の作品は、演劇に興味があって関わってくれた人はもちろんいるんだけど、マームに興味があるってことで関わってくれた人もいるんです。そういう人が地方にもいてくれて、『何ができるかわかんないけどかかわりたい』ってことで参加してきてくれた人たちとやってみると、相当独特なものになったと思うんです。あと、7月8日に京都でやったトークイベントも、プロジェクトメンバーとして参加してくれた谷田あや子さんって人が発案してくれて。これまではそんなことってありえなかったけど、そういう関わりをここに集った人とやれたから、それは成功だったなって思います」

 そのトークイベントの中で、藤田さんは「滞在制作は大きな仕事の一つだと思っている」と語っていた。以前からきっと、藤田さんの中でそれは大きな仕事だったのだろうけれど、ここにきてその大きさの意味が変わってきたのではないか。

 「これは昨日くらいに考えてたことなんですけど、この滞在制作ってスキルが上がっていけば、マームとジプシーの作品でツアーをするのとは違う速度でツアーができるんじゃないかなって企んでるんです。その土地で誰かと出会って、その生活に僕が編集を加えて、演劇って角度を加えて作品にする。それを2週間くらいでできるようになっていくと、だいぶヤバいことになると思うんですよね。マームとジプシーの“ジプシー”っていうのが“旅”ってことだとすると、そこには“人と出会う”ってニュアンスもあるじゃないですか。もし人と出会って作品をつくるってことを含めた旅ができたら、演劇ってものの地盤が変わると思うんです。

 演劇の世界だと、自分の劇団の作品主義っていう考え方が強いと思うんですよね。もちろんマームとジプシーでも自分たちの作品をつくるってことはやっていくだろうけど、出会った人たちとつくるシステムができて、しかもその作品が面白いものになるのであれば、作品主義っていう考え方が変わっていく。それは10年後ぐらいのためにもすごく必要な気がしているんですよね。

 取材を受けるときに、『北海道にいた頃は富良野塾と劇団四季しか観れなかった』ってことをネタみたいに話すことが多いんだけど、地方にいると旅公演に来てくれた人たちを観ることしかできなかったんですよね。それを観て『すげえ!』と思わせることも大事だとは思うけど、その関わりは本当に一時的なものなんです。でも、近所に住んでるおばちゃんが出てる作品が、バカみたいな言葉で言うと『めちゃくちゃモードだ!』ってことになると、まず地方の劇団が揺らぐと思うし、ツアーっていう概念が変わると思っているんです。だから、脚本を書くとかってことの重要性は僕の中で早々に終わっていて、こうやって人と出会って作品をつくるセンスを磨きたいんですよね。それは『こうすればプラモデルをつくるみたいに作品ができる』って説明書を作りたいってことではなくて、誰かと関わってつくるスキルを磨きたいっていうのはある。それを大きい仕事だって言いたいんだと思います」

 その「大きい仕事」に、どう挑むか。それを考える上で大きいのは、誰と一緒に旅に出るかということだ。

 今回の『A-S』は5度目の滞在制作だと冒頭で書いた。ただ、そこで挙げた1作目となる『ハロースクール、バイバイ』は、ゼロからのクリエイションではなく、マームとジプシーがかつて上演した作品を高校生たちと作り直すという作業であった。その土地に滞在して、そこで出会った人たちとゼロから作品を立ち上げる――その意味での滞在制作は、北九州での『LAND→SCAPE』が1作目と言える。この滞在には、マームとジプシーの作品によく出演する尾野島伸太朗さん、成田亜佑美さん、吉田聡子さんが出演した。これまでずっと作品を作ってきたメンバーと、初めて携わるメンバーが混在した状態で作品を作る。その難しさがあったという話は何度か聞いたことがある。

 今回の『A-S』は、出演者もスタッフも基本的にはこの街で出会った人たちだ。しかし、出演者の中には、ひとりだけマームとジプシーの作品に出演してきた人物が含まれている。それは川崎ゆり子さん(通称・ゆりり)だ。誰かひとりを連れていくというときに、今回彼女を選んだ理由は何だろう?

 「去年の直感として、『ゆりりと関わっていかなくちゃいけないな』っていうふうに思ったんです。20代の頃からワークショップはずっと続けてきて、そこではあっちゃん成田さん)とか(召田)実子とか伊野(香織)とか、まあ青柳さんもそうなんだけど、そういう人を巻き込んでやってきたんですよね。でも、それとは違うやりかたをゆりりはできるんじゃないかって漠然と思ったんです。それが確信に変わったのは、去年の『書を捨てよ町へ出よう』だったんですよね。

 あのとき、ゆりりがお客さんをアテンドしていくっていうやり方を見出したわけですよね。それは寺山さんの作品世界をアテンドしていくってことだったわけですけど、滞在制作で作品をつくるときに、ゆりりが街をアテンドしていくっていうやりかたはかなり有効だなって思ったんですよね。それに、あっちゃんとか聡子とか青柳さんとかと作品をつくるときみたいに“エモーショナルなところで持っていく”ていうことではなくて、もっと別の時間のつくりかたができるんじゃないかと思って。それが他の誰とやるよりもシャープだったし、格好いいものだったんです」

 話を聞いていると、藤田さんが今挑もうとしていることは一つの“運動”だなということを思った。たとえば、短歌の世界では様々な運動が起こり、全国に様々な結社が生まれ、短歌を詠むという楽しみが広がっていった。あるいは、僕は仙台で開催されていた「ちいさな出版がっこう」という講座に少しだけ関わったことがある。「自分で本を作ってみる」ということを経験することで、参加者の皆の中に、自分の生活に対するあらたな眼差しが生まれていたように思う。藤田さんがやろうとしていることもそれに近いことで、一つの“運動”なのだろう。

 ところで、こうして藤田さんに話を聞いているあいだ、隣では川崎ゆり子さんが作業をしていた。公演パンフレットを折り、CDケースを作る。劇中で使用した楽曲をCD-Rに焼いてケースに入れ、『A-S』という作品に携わった皆にプレゼントするらしかった。インタビューが終わり、藤田さんが立ち去ったあとで、川崎ゆり子さんにも話を聞いた。彼女が滞在制作に携わるのはイタリアでの『IL MIO TEMPO』に続いて2度目だが、そのときは普段マームに出演するメンバーが4人もいた。今回は一人だけだという状況にプレッシャーはあったのだろうか?

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 「北九州のときの話は聞いていたから、『どうやって関わっていけばいいんだろう?』ってことは私なりに気にしていて。マームのメンバーだと、普段から一緒にやっているからこその希薄さもあるし、厳しさもあるし、ある種の冷ややかさもあると思うんですよね。そこに初めて入っていくときのズレって、お互いにどうしたってあると思うんですけど。そういう意味では私も新参者だった時間が結構あるんです」

 川崎ゆり子さんが初めてマームに出演したのは2011年、『Kと真夜中のほとりで』という作品だ。マームとジプシーのメンバーは大学時代からの仲間が多いが、彼女はマームとジプシーが立ち上がったあとで関わるようになった。それに、たとえば藤田さんは1985年生まれだが、彼女は1991年生まれだ。年齢も少し離れていて、出演者の中で最年少だということも多々ある。

 「だから、マームとの関係はいつだって皆より遅れてるんですよね。だから、初めて関わる人の気持ちは結構わかる部分があるのかなっていうのがあって。あと、私は演劇自体も長くやってきたわけじゃないんですよね。そういう意味では、やれることはあるかもって思ってたかもしれないです。マームで作ってるときって、『リフレインって何だろう?』とかって話あったりしないじゃないですか。でも、『A-S』の稽古をやってるときにそれを聞かれたら私に言える範囲で説明してみたり、声の出し方ってどうすればいいのかって聞かれればマームの発声のニュアンスを伝えてみる。今回は自主稽古の時間が結構あったんですけど、そういうときは私主導で自主稽古をしなくちゃいけなくて。どこまで私が言っていいのかなっていう不安はあったんだけど、『藤田さんが前に、こういう言葉で説明してたな』っていうことを思い出しながら、伝える努力をしてみようと思ってました」

 『A-S』の中で川崎ゆり子さんが演じるキャラクターは、街の中を漂っているように見える。いろんな場所に彼女は存在して、他の登場人物たちの話に耳を傾ける。たとえば、ある女の子とはこんなふうに言葉を交わす。

 「この街の夏って、お祭りがあるからか騒がしくて」
 「ほう」
 「人ごみって苦手なんだけど、でも」
 「うんうん」
 「お祭りのあと、人がいなくなったあとの遅い時間、街を歩いたことある?」

 ここで相槌を打っているのが川崎ゆり子さんだ。また別のシーンでは、「やっぱり見つめていることしかできない」という台詞をモノローグとして語る。また、出演者の中でも、川崎ゆり子と他の18人とのあいだは「/」で区切られている。彼女は、18人のあいだを縫うように漂って、その言葉に耳を傾けている。

 僕は『A-S』という作品がどんなふうにして創作されたものなのかまったく知らないけれど、オーディションで選ばれた18人の出演者が舞台上で語る言葉の多くは、稽古の段階で彼らが実際に披露したエピソードだろう。イタリアでの滞在制作のときにも、いくつかのお題に対して出演者がエピソードを語り、それに編集を加えて『IL MIO TEMPO』という作品が立ち上がっていった。今回の『A-S』も、そんなふうにして作られた作品なのだと思う。作品の中でも、稽古のときにも、川崎ゆり子さんは“この街”の人たちの話に耳を傾けていたということになる。

 「人を見つめるっていうことでは、普段からやっていることでもあるんです」と彼女は言う。「ひとりひとりを見ていくことが、もともと好きなんだと思うんです。高校生のとき、ホームルームにきてる皆の顔を見たときに、『この人たち全員の朝があるんだ』と思ったことがあって。家で親とケンカしてきてる子もいるだろうし、月並みな話ですけど私が見てないところでも生きてきたんだなっていうことに気づいて、全員が愛おしくなったんです。そのあたりから、人を見てそこまでになにがあったのかってことに興味がつきなくて。そういう意味では、今回に限らずいつも見つめてはいるんですけど、今回このメンバーだったし、年齢も色々だったし、短期間に凝縮されてすごい密度で皆に出会えて、本当に面白かったです」

 話を藤田さんへのインタビューに戻す。

 『LAND→SCAPE』と今回の『A-S』という作品を比べてみると、彼らの滞在制作のスタンスが変容したことがよくわかる。北九州で滞在制作された『LAND→SCAPE』はとても好きな作品だし、それが悪かったということではないけれど、今振り返ってみると、北九州で出会った人たちにマームとジプシーのやりかたを当てはめていたところがあるように思う。

 そうした変化を考える上で大きいのは、昨年イタリアで制作した『IL MIO TEMPO』だ。この作品に出演したのは、これまでにもマームとジプシーの作品に出演してきた荻原綾さん、川崎ゆり子さん、成田亜佑美さん、波佐谷聡さんと、イタリアで出会ったアンドレア、カミッラ、サラ、ジャコモだ。イタリアの4人は、その前年に藤田さんのワークショップに参加してくれた面々だとはいえ、しっかりとクリエイションをするは初めてだった。にもかかわらず、『IL MIO TEMPO』のために与えられた時間はわずか2週間だった。

 その滞在制作で細心の注意が払われていたのは、「イタリアの皆と一緒に時間を過ごす」ということだ。彼らと一緒に街を歩き、一緒に料理をして一緒に食事をして、音楽を聞きながらお酒を飲んで、毎日を過ごした。短期間で作品を立ち上げるためには、日本から連れてきた“役者”というモーターを起動させれば、藤田さんの作品世界を立ち上げることは可能だっただろう。でも、その方法は選ばずに、丁寧に関わるということにこだわり、イタリアの皆の話を聞くということにかなりの体力と時間を割いていた。

 藤田さんはこれまでも、「参加者のエピソードを聞く」ということにエネルギーを注いできた。ワークショップを開催したときには、参加者の朝のエピソードを聞き、それを繋ぎ合わせて小さな作品にするという作業は続けてきた。ただ、今回の『A-S』を観ていると、出会った人たちの言葉を採用する感覚が変わってきたように思える。

 「やっぱり、『小指の思い出』、『書を捨てよ町へ出よう』とやってきたことで、違う人の言葉に慣れてきてるのはあるんだと思うんです。その言葉を解体して、僕なりの連想としての編集を加えてつなげるってことがすごく好きになってきてるんですよ。今の『言葉を採用する』って言葉は面白いなと思うけど、昔は人の言葉を採用する気がなかったと思うんですよね。でも、そうやって言葉を採用することの面白さに気づいてきてるんだと思います」

 『LAND→SCAPE』という作品と比較したときに、もう一つ印象的なことがある。それは、『A-S』という作品が、思ったほど京都テイストの作品にならなかったということだ。

 『A-S』で語られるのは、この街には川が流れていて、北に行けば海があり、夏には祭りがあるということだ。川は鴨川であり、北に行けばたしかに海があり、7月はずっと祇園祭だ。しかし、川があり、北に海が、夏に祭りがある街なんてどこにだってある。出演者が関西弁をしゃべっているということはあるけれど、どの街にでもあてはまる物語に仕上がったということが印象的だった。

 「そういうことでは肩透かしだって感じた人もいたかもしれないけど、それは僕が言わなくても、観にきた人の中にプリセットされてると思うんですよね。ここに住んでいる人からしてみれば、今更寺社仏閣のことを言われても『お前より知ってるよ』って言われて終わると思うんです。そこは諦めつつも、とはいえ、京都のことを調べてはきたんです。京都はやっぱり、都以外のところは畑だから、すごい田舎なんですよね」

 今回の京都滞在で印象的だったのは、海まで行ってみた日に目にした風景だと藤田さんは語る。

 「その日は夕立がすごくて帰ってこれなくなっちゃって、まわり道をして帰ってきたんだけど、そのときに見えた風景が真っ暗闇だったんですよね。そこで誰かが死んでも、地下室に隠しておいて『うちの長男、部屋から出てこないのよ』って言っておけばバレないだろうって思うくらいの真っ暗闇で。僕なんて北海道出身だから、暗闇とか田園とかって北海道にもあるんだけど、その風景は全然違ったんです。

 作品を描いていると、僕はどうしても北海道に行っちゃうんですよ。海っていうイメージも、北海道とかいわきとか沖縄とかになっちゃうんだけど、それをここの海にしようとしたってことが今回の滞在制作だったなと思っていて。僕らが行ったのは伊根湾ってところなんですけど、湖みたいな海だったんです。その湾には青島っていう島がぽつんとあって、その島があるから波が止まって静かなんです。今までだったら、たとえば高田と辻本っていう二人が海に辿り着くシーンでSEを流してたと思うんですよね。でも、そこがまったく停止したような時間だった。そこが楽しかったっていうか、街を描くときに変に京都に寄り添わないんだけど、自分の記憶に引っ張られる部分を京都仕様にしていく。その感じをちゃんと出すってことで葛藤できたのは楽しかったですね」

 これまで藤田さんが描いてきたのは、記憶の中にある街だった。滞在制作をすることで、記憶の街から離れ、どこかの街になっていく――その作業を重ねていったときに、藤田さん自身が描く世界も変わってくるのではないか。

 「いつだか橋本さんに言われた気がするけど、どんどん自分の生活がなくなっていく感覚はあるんですよね。自分の感覚がなくなっていく感じになってきて、『自分って、ほんとうに何なんだろうな』って思ってきちゃうんです。最近30代になったっていうことも大きいんだけど、たとえば今回出演してくれた高田は今18歳なんだけど、佐藤さんは40代なんですよね。そこらへんの幅みたいなことに興味がある。

 それってやっぱり、マームとジプシーで『あっこのはなし』をやったとしても、まだ甘いところかなと思っていて。それこそ台詞にもあったけど、偶然出会った人たちに切なさを見出していく作業に救われているところはあるんです。今、自分がどの街にいるのかとかもわからなくなってきてるんですよ。もちろん頭ではわかってるんですけど、体感としては自分がどこに位置付けられてるのかはわからなくて、物理的な実態としての自分っていうのは酒を飲みでもしない限り実感できないっていう(笑)。それは20代とはニュアンスが違って、そのキツさがあるんですよ」

 『A-S』の中で、登場人物はよくお酒を飲んでいる。これまでのマームとジプシーの作品でも酒を飲むシーンは登場していたが、それとも少しニュアンスが違っているように感じた。これまでの飲酒はどこかエモーショナルだったが、今回はやるせなさをかみしめるようにして酒を飲んでいる。

 7月31日、『A-S』が千秋楽を迎えた日、楽屋での1次会、店での2次会を終えると、皆で鴨川に出かけた。鴨川の川べりにたどり着くと、酒を飲んだり花火をしたりしながら夜を過ごしていた。僕はその風景をやや遠巻きに眺めながら、この作品に携わった皆の記憶が鴨川に洗い流されて、この作品のことを思い出さなくなる瞬間のことを考えていた。

 参加者の募集をかけたとき、藤田さんは「とにかく、ものをつくることをしていきたいひとたちが集まってくれたら」と書き記していた。僕なんかが言うまでもないことだとは思うけれど、次の「ものをつくること」に向かって走り始めた瞬間に、今は過去になる。この作品に携わったすべての人たちが、次の時間を生きることを想像する。こうして何か記録を残そうとする僕は過去にとらわれてしまうけれど、彼らは次の時間を、未来を生きることができる。

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2016-07-25

マーム・イン・京都(1)いつだかのなつ


 毎週のように京都を訪れている。今日で3度目だ。7月の京都は祇園祭が開催されており、街を歩けば提灯や囃子で溢れている。何かのついでに祇園祭を見物したことはあるが、今年ほどどっしり見物したことはなかった。くじ取り式が行われたというニュースも京都の酒場に設置されたテレビで観ていたし、宵山で賑わう街を散策したし、昨日は一日山鉾の巡行を見物した。ただ、祇園祭を見物するために京都を訪れているわけでは当然なく、目的は別にある。

 高瀬川が流れる京都木屋町に、古い建物がある。「元・立誠小学校」と呼ばれるその建物が完成したのは1927年のことであり、京都市内に現存するものとしては最古の鉄筋コンクリート造の校舎だという。児童が減ってしまったことで1993年に閉校となったが、建物は残り、イベントや上映会などに利用されている。7月23日から8月4日までの約2週間、この元・立誠小学校ではマームとジプシーによる『0123』という作品が上演される。

 この2週間のあいだに目撃したことを、何度かに分けて書き残しておこうと思う。

 『0123』というのは、一つの作品というよりも、『0』、『1』、『2』、『3』という四つの作品で構成されている。上演スケジュールも変則的で、たとえば7月23日と24日は『0』と『1』のみが上演される。休演日をはさんで、26日からは『0』と『1』と『2』が上演され、再び休演日を挟んだ8月2日からは『0』と『1』と『2』と『3』が上演される。ただ、すべてをひと続きで観ることはできず、『0-1-2』と『3』は別の公演として上演される。つまり、別々に予約する必要があり、『0123』をすべて観るためには最低でも2度、元・立誠小学校を訪れる必要があるというわけだ。

 7月23日、僕は初日に上演される『0-1』を観るべく元・立誠小学校に足を運んだ。階段を上がって受付を済ませると、当初のアナウンスでは15分前の開場を予定していたが、演出の都合上開演直前まで入場できなくなった旨を伝えられる。開場を待ちながら、ぼんやり階段に吊るされた電球を眺めていると、どこか懐かしい気持ちになった。それは古い校舎を眺めていることでセンチメンタルな気持ちになったというのではなく、もっと具体的な懐かしさだ。

 元・立誠小学校でマームとジプシーの作品を観るのは、これが初めてではなかった。2012年の春には梶井基次郎の『檸檬』などを原案とする『LEM-on/RE:mum-ON!!』が上演され、2014年の春には川上未映子さんの詩を青柳いづみさんの一人芝居で上演する『まえのひ』がこの元・立誠小学校で上演されている。『まえのひ』が上演されたのは音楽室だったが、『LEM-on』は回遊型の作品であり、様々な教室でパフォーマンスが行われていた。

 上演時間になると、まずは資料室に案内される。ここで上演されるのは『0』――0人の演劇である。「水面にたゆたう」と名づけられたこの作品は、映像と音声、それに高橋涼子さんによるインスタレーションによって構成されている。10分弱で『0』の上演が終わると、観客は隣にある図書室へと誘導される。そこには既に、『1』――1人の演劇――に出演する吉田聡子さんが椅子に座ってスタンバイしている。彼女がいわゆる一人芝居に挑むのはこれが初めてだという。

 「一人芝居って、やりたい人多いんですかね?」。休演日に話を聞かせてもらったとき、聡子さんはそう語っていた。「短い作品でもすごい疲れるし、こんなことやらなくてもって思います。やるのが嫌だということはないですけど、『何でやるんだろう?』って思うんですよね。窓が開いているから外の音は聴こえてくるし、曲もかかるけど、声は自分の声ばかり聴こえてくるから、それも退屈な気がしてならないんですよね」

 元・立誠小学校というのは、当然劇場ではなく学校であり、外の音が聴こえてくる。雨が降ればその音だって聴こえてくる。劇場であれば外の世界とは断絶されているが、ここでは上演される時間帯によって光の加減も違ってくる。観客としては劇場で観るのとはまた違う印象を受けることになるのだが、舞台に立つ役者としてはどうなのだろう?

 「いや、結構違いますね。劇場っていうのは生活する場所というより、ちょっと特別な場所じゃないですか。そこではいろんな作品が上演されてるから、劇場は劇場で独特の漂っているものがあると思うんですけど、小学校っていうのは日々の営みの中にある場所ですよね。そうすると、ここに通っていた人のこととか、思うじゃないですか。あと、今が夏だっていうこともあって、私個人としては去年のことも思い出すし。この場所に今残っている人たちと、もうここにはいない人たちみたいなことは、劇場より感じるなっていうことはあります」

 『0』が上演されるのはかつて資料室だった場所だが、『1』が上演されるのは図書室だった場所だ。教室の端には本棚があり、本が並べられている。それは今回の作品のために配置されたものではなく、かつてここが小学校だった頃から置かれたままになっている本だ。あそこに当時の本が並んでいるのも印象的ですよね――僕がそう話すと、「本の後ろに予約カードが残ってて、『何月何日に借りました』って名前が書いてあるんです」と教えてくれる。そして「あれ、絶対髪の毛とかも挟まってるだろうし、手垢もついてるし、なんかギョッとしますよね」と聡子さんは付け加えた。

 この「なんかギョッとしますよね」という言葉は、とても聡子さんらしいものであるように感じる。そこに残された誰かの営みに思いを馳せてほっこりするのではなく、どこか自分を重ね合わせて感傷的になるのでもなく、ギョッとする。聡子さんの目というは独特だし、それはマームとジプシーの作品における聡子さんの役割にも繋がっているように思う。

 以前、『cocoon』という作品を上演するのに先立って、皆で沖縄に出かけたことがある。『cocoon』というのは今日マチ子さんが原作の漫画で、沖縄戦のひめゆり学徒隊に想を得た作品だ。沖縄滞在中には様々な戦跡を巡り、ひめゆり学徒隊が働いていたガマ(自然の洞窟)や壕にも足を運んだのだが、そのときの聡子さんの佇まいも独特だった。

 「ガマとかに入っても、私はほんとうに何も感じないんですよ」と聡子さんは言う。「前知識があれば私なりに想像することはできますけど、そこで繊細な感じになることには違和感があって。他人がそうなるのはまったく構わないんですけど、自分に対しては違和感があるんです。高校生のときに修学旅行広島に行ったんですけど、号泣する子とかもいるわけですよ。それは私にはわからない感覚で、私はそういうふうには感じないんです。というか、そういうふうに感じたくないというのが正しいかもしれない。沖縄のときも、たとえば自然にできたガマなのであれば『地球ってすごいな』と思っちゃうんですよね、思いたいんです。」

 その感覚は、僕にもよくわかる。広島出身の僕は、小さい頃から原爆に関する話を何度となく聞いて育ったけれど、涙を流すということはなかった。大人になった今では、涙を流すわけにはいかないとさえ思う。そこにいた人たちを「可哀想な人たち」としてくくり、もし自分だったらと重ね合わせたり、涙を流したりするわけにはいかないと思う。僕にできるのはただ、現在から過去を振り返り、そこにいた人たちを見ることだけだ。

 聡子さんが演じるキャラクターは、現在というポイントに立ち、何かに視線を注いでいるということが多いように思う。2015年に再演された『cocoon』で、聡子さんはこんな台詞を口にする。

 「過去にとって未来はさあ、現在なわけなんだけれど、現在って未来を過去の人たちは想像していたのだろうか、こんな現在を未来ってことで想像していたのだろうか」

 2015年の『cocoon』では、舞台の終盤、最後に生き残ったサンと繭が走り続ける。“さとこ”は舞台の奥に立ち、二人に視線を注ぎ続ける。あるいは、『書を捨てよ町へ出よう』(2015)と『ヒダリメノヒダ』という作品には目の解剖をするシーンがあるのだが、そこで「目」「見る」ということの仕組みについて語るのはいずれも“さとこ”だ。『カタチノチガウ』に登場する“さとこ”も、「このお屋敷で死にたい」と言って戻ってきた姉の姿や、父を殺してしまって階段を上ってゆく妹の姿を見た上で、ひとりだけ嘘みたいな現在に放り出されることになる。

 あるいは、2013年から毎年海外で上演されている『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』という作品があるが、そのラストは“さとこ”のモノローグで終わりを迎える。この作品は、2001年と、それから10年が経った2011年の世界が主に描かれているのだが、ラストのモノローグで“さとこ”だけが現在にやってくる。2014年であれば「目を、開けると。2014年だ」と彼女は語り、2015年であれば「目を、開けると。2015年だ」と語る。他の登場人物たちは過去の世界にしか立っていないのに対し、彼女だけが現在の時間を口にする。

 今回上演されている『1』――タイトルは『あのひのひかり』だ――でも、“さとこ”というキャラクターは何かを見ている。だが、その視線はこれまでと微妙に違っている。そのことを説明するためには、少しまわり道が必要だ。

 さきほども述べたように、マームとジプシーが初めて元・立誠小学校で作品を発表したのは2012年3月のことだ。2012年の3月といえば、第56回岸田國士戯曲賞の選考結果が発表され、ノゾエ征爾、矢内原美邦、それに藤田貴大の3氏の受賞が発表された月でもある。

 「マームとしてはそれまでもありましたけど、『LEM-on』をやるまで、私は関東圏から離れてやることがほとんどなかったんですよ。しかも岸田を獲った直後だったから、今振り返ってみるとなんとなく落ち着かないで、キャピキャピしてた気がします。皆も旅慣れしてなくて、そんなに長い期間いるわけでもないのに大きいキャリーバッグを持ってきちゃったりして」

 『LEM-on』の中で繰り返されていた台詞に、「そうだ、出て行こう!」というものがある。その言葉通り、この作品を皮切りに、マームは外に出て行くことになる。『マームと誰かさん』というシリーズ企画では様々なジャンルの作家たちとコラボレートして作品を作り、北九州や福島で滞在制作を行い、野田秀樹寺山修司の作品を舞台化し、『てんとてん』という作品は海外の様々な土地で上演されてきた。四年のあいだに、彼らは旅を重ねてきた。その旅を通じてずいぶん旅にも慣れたし、彼ら自身も変容してきたように思う。それは作品にも反映されている。

 たとえば、『LEM-on』の5ヶ月前に上演された作品に『Kと真夜中のほとりで』がある。この作品は、今年の2月、“夜三作”として四年半ぶりに上演されたのだが、その印象は初演とは異なるものだった。

 「たしかに、『K』って全然変わりましたよね」と聡子さんは言う。「これまでやってきたこととか、言ってきたことがあるから、2011年の初演のときとは違いましたよね。2011年のときだと、『真っ暗闇を行こう』とは言わなかったと思うんです。『言え』と言われたって、それは言うだろうけど、言えてはなかっただろうなって思うんです。『夜』ってことの意味合いがもっと大きくなったというか、そういうことを全体として考えることで自然にできるようになった気がします」

 こうした変化は、2013年の『cocoon』と2015年の『cocoon』を比較するとより鮮明に浮かび上がってくる。二つを比べると、初演のときはやはり具体的な戦争の記憶に――一九四五年の夏に――寄り添っていたように思える。もちろん再演の『cocoon』だって七十年前の夏に想を得た作品ではあるのだが、もっと普遍的な何かを描こうとしているように思えたのだ。

 その点で印象的なのが、2015年の『cocoon』で主人公・サン(青柳いづみ)の幼馴染である“えっちゃん”を演じた青葉市子さんの存在だ。市子さんは『0123』の『2』にも出演することになっているのだが、稽古が始まった頃、市子さんは「いつだかの夏がシンクロしてぐらぐらする」と記している。いつだかの夏。去年の夏でも、71年前の夏でもなく、いつだかの夏である。「自分が どこにいて それがいつの時代なのか わからなくなっていた」という言葉は、とても印象的だ。

 「私はどうしてここにいるのだろう。そう思ってしまうこの連続に、終わりはあるのだろうか?」――『あのひのひかり』に登場するその台詞は、「いつだかの夏」という言葉の感触にどこか似ている。

 劇中で聡子さんは、「あのひ、私は、窓の外を眺めていた」と語る。窓の外に広がっていたのは、いつも通りの景色だった。だが、突然凄まじい轟音とともに世界は一変し、さっきまで眺めていた風景がなくなってしまう。「“あのひのひかり”から先のひかりを、わたしはみていない。私の目は。私の目は。あのひのひかりから、わ、た、し、は」

 この“あのひのひかり”を、たとえば原子爆弾が炸裂する瞬間を目撃してしまった女の子として観ることは可能だ。原子爆弾が一瞬にして風景を一変させたということは、繰り返しになるが、僕は何度も教えられてきた。しかし、それを暗示することが――具体的に一つの出来事を指し示すことが――この作品の目的であるとは思えない。それは、『あのひのひかり』という作品に「赤ずきん」の要素が取り入れられているからだ。

 劇中の“さとこ”は、女の子が一人で佇んでいる姿を目撃する。女の子は狼に食べられてしまうかもしれないし、間違って狩人に撃たれてしまうかもしれない――そう心配した“さとこ”は、「そんなところにいちゃ危ないよ、はやくおうちに帰りなさい」と叫びかける。「赤ずきん」という寓話が伝えるのは、年端もいかない女の子は危機に晒されているということだ。しかしもっと言えば、生きている限り私たちは、決定的な出来事に遭遇してしまう状態に置かれている。川上未映子さんの「まえのひ」という詩を思い出す。

 今日は
 まえのひなのかもしれない
 すべての人は、まえのひにいるのかもしれない


 『あのひのひかり』で“さとこ”が目撃している女の子もまた、“まえのひ”にいる。マームとジプシーの作品には、“まえのひ”を通過して決定的な出来事を迎えてしまった人が登場する。誰かがいなくなってしまう「喪失」と、いなくなった誰かの記憶に引きずられ続ける「私」。こうしたモチーフは、藤田作品で繰り返し描かれてきた。記憶という過去と、現在という時間から振り返る「私」の関係は、そこでは安定している。藤田作品における「私」は、どんなに過去に引きずられようよも、現在という点に立っていた。

 しかし、『あのひのひかり』における現在と過去の関係は混濁している。“さとこ”は、女の子に向かって「そんなところにいちゃ危ないよ」と語りかけるのだが、はたと気づく。「あの女の子は、そっか、私だ」と。“まえのひ”に立たされている自分自身を観ている“さとこ”は、一体どの地点に立っているのだろう。「私はどうしてここにいるのだろう」と語る彼女は、“あのひ”以降の世界にいることは間違いないのだけれども、「現在」というほど確固たる時間を生きているようには思えない。『あのひのひかり』において「私」が立たされている時間は、これまでのマームとは異なる、不思議な場所だ。

 「『いつだかの晩、わたしはテレビを観ていた』っていう台詞があるじゃないですか」と聡子さんは言う。「あの台詞、最初は『昨日の晩、私はテレビを観ていた』だったんですよ。でも、稽古の途中で藤田さんが『ここ、「いつだかの晩」に変えて』って言ったんです。だから本当に、自分の記憶の中でも曖昧になっていくみたいなことなのかもしれないです」

 聡子さんと話していて、印象的だったことがある。それは、この元・立誠小学校という会場に関することだ。

 「この『元・立誠小学校』っていう名前も、『じゃあ今って何なの?』って思うんです。元って?じゃあここはどこなんだっていう。自分が通ってた学校だったら気にならなかったことかもしれないけど、ここにいた人を思ったときに、じゃあその人たちはどこに通ってたんだろうって」

 聡子さんに話を聞いたのは7月25日のことだ。その時点ではまだ『0-1』しか上演されておらず、『2』がどんな作品になるのか、僕は知らないでいる。これから僕は一旦東京に戻り、また週末に京都を訪れる。ただ、『0-1-2』を観るより先に、別の作品を観る予定だ。それは京都芸術劇場春秋座で上演される『A-S』という作品である。

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