Hatena::ブログ(Diary)

日記

2016-07-14

 都営新宿線西大島駅に到着したのは午後3時50分頃だった。目当ては贅沢貧乏の『みやけのFUSUMA』という作品を観ることだ。贅沢貧乏という演劇カンパニーは、2014年の春から“家プロジェクト”という試みを続けている。「生活するように演劇をする」ことを目標に掲げ、劇場で演劇を発表するのではなく、家を借り、そこで演劇を発表するのである。集合場所はアパートではなく、地下鉄の出口だ。観客が揃ったところでアパートに移動して、作品を観るのだ。

 西大島駅A4出口の階段を上がってゆく。「今年もツバメの季節になりました」「ツバメの落し物にご注意ください」と書かれた貼り紙を見て、少し懐かしい気持ちになる。前にこの階段を歩いたのは今から1ヶ月前のことだ。ただ、あのときはまだ巣にツバメがいたのに、今日はもうその姿を見かけることはなかった。集合場所に集まっている人も、前回は5人くらいだったが倍近い数だ(前回は演出の都合上、客席がかなり限られていた)。全員揃ったところで、アパートを目指して歩き始める。雨がぱらつく中を、列を作って進んでゆく。僕はまたしんがりを選んで歩く。雨は降ったりやんだりだが、傘をさすタイミングは人それぞれだ。

 アパートが近づいてきたところで、工事関係の車両が出入りするので少し足止めを食らう。「ご協力ありがとうございます」と頭を下げる警備員の前を通過すると、いつのまにか一人増えている。あ、と一瞬固まりそうになる。増えていた一人は、前作『ハワイユー』に登場した田井さん(役名)だ。一行がアパートの前にたどり着き、上演中の注意事項について説明を受けているあいだ、彼女は郵便受けをがさごそやってチラシを取り出し、アパートの中へと消えてゆく。注意事項もろくに聞かず、彼女の姿ばかり目で追ってしまう。

 『ハワイユー』という作品は衝撃的だった。この作品に登場するのは、江東区・北砂にある架空のスーパー銭湯「ハワイ湯」で働く二人の女性だ。そのうちの一人が田井さんであり、このアパートの201号室は彼女の部屋である。その部屋に、同僚の小泉さんが訊ねてくる。同じ職場で働いているが、二人の性格は対照的だ。ハワイ湯に勤めていながらもハワイに行ったこともなく――というよりも行こうとさえ思わず――木造の2Kのアパートに慎ましやかに暮らす田井さんと、今の状況をどうにか抜け出したいと考えている小泉さんである。

 観客である私たちは、二人のやりとりを同じ部屋の中で聞く。舞台の冒頭、田井さんがマリネ(だったか記憶が薄くなっているが)を作り出すと酢の匂いが漂ってくるし、銭湯から帰ってくるシーンではシャンプーの匂いが漂ってくる。本当にすぐ目の前に役者がいて、ふと腕の産毛を見つめてしまう。透明人間になったような心地だ。舞台が終わると、「すごいものを観た」と反芻しながら北砂の商店街をしばらくぶらついた。どこか気まずさもあった。「ここには本当に、こんな暮らしがあるのではないか」と思わせる圧倒的なリアリティがあるのだが、いやあるからこそ、それを盗み見た自分は彼らの姿を消費してしまっているのではないかとさえ思った。作った人たちがではなく、観ている私が、である。

 東京に何かを思い描いて上京する人が住むのは、東京の左半分であることのほうが多いと思う。僕もその一人だ。贅沢貧乏オフィシャルサイトに掲載された対談で、主催の山田由梨はこう語っている。

山田: お客さんって普段ここ来ないし、西大島って降りたこともない人が多いじゃないですか。
宮永: 俺も初めて降りたもん。
山田: 私もそうなんですよね。ここにいることが地方公演ぽい、みたいな。「西大島公演」みたいな。なので、こういう感覚で、地方とかでも作っていけたらと。


 贅沢貧乏の公演を観るまで、僕は西大島を訪れたことはなかった。その街の存在すら知らなかった。自分が今まで観ることの、観ようとすることのなかった世界がそこに描かれている。なかなか目を向けられることのない、平凡といってしまえば平凡な生活――それはこの7月に上演された『みやけのFUSUMA』という作品にも共通する。もう一つ共通するのは、登場する二人の人物の対比だ。今回の主要な登場人物は、アパートの202号室に暮らす弟と、そのアパートに転がり込んでくる姉である。姉は一発逆転してこの生活を抜け出すことを夢見ているが、弟は未来に過剰な期待することを避け、日々アルバイトをして暮している。

 ただ、この『みやけのFUSUMA』には少し違和感をおぼえる。前作は本当に、そこに暮している人を目撃してしまったかのような圧倒的なリアリティがあった(気まずさをおぼえるほどに)。でも、今回は「演劇を観ている」という感覚だ。もちろん、どちらも演劇ではある。『ハワイユー』だって、アパートの中に観客が居座っているのに、それは存在しないものとして進行する。それは一つの「嘘」なのだから、つまりフィクションだ。何度か窓を開け閉めする動作があるのだが、そのとき役者は観客を避けて動く。でも、それでも前作には圧倒的なリアリティを感じたのだ。役者を観ているということを忘れて、その人自身を観ているような感覚に陥ったのだ。

 反対にいえば、今回の『みやけのFUSUMA』はとても演劇的だった。それはいろんなシーンで感じたのだが、たとえば第一幕(?)のラストのあたり――と話し始める前に、この作品がどうやって始まるのかについて触れておく必要がある。案内されてアパートの中に入ると、(あとで弟だとわかる)役者はすでに横たわっている。舞台が始まると、弟は首吊り自殺に失敗して、そこに倒れていたのだということが判明する。弟が自殺しようとしていたことを知った姉は、その心配をする。ふすまを挟んで姉弟が座り、どうして死のうとしたのかと話を聞く場面が、第一幕(?)のラストあたりに登場する。

 弟がぽつぽつしゃべっている途中で、姉のケータイにメールが届く。表情がほころぶ。それはどうやら彼氏からの誘いのメールであるようだ。姉は慣れた手つきで棚から鏡を取り出し、メイクを始める。その場面で、弟に励ましの言葉をかけるのだが、あまりにもしっかりした語り口なのである。自殺を試みた弟よりも、誘いのメールのほうに心が動いてしまったキャラクターが、あんなにしっかりと会話をするものだろうか。環境がアパートの一室という日常的な――と書くが、もちろんそれは作り上げられたものであり、僕にとっては見知らぬ場所なのだから非日常的な空間であるのだが、それを言い出すと話がこんがらがるので仮に「日常的」とする――空間であるぶん、余計にその言葉が台詞っぽいことが気になってしまう。そういうことを、何度か感じてしまった。

 もちろん、さっきも書いた通り『ハワイユー』だって演劇でありフィクショナルだった。それに、『みやけのFUSUMA』は、「圧倒的なリアリティ」とは違うものを目指していたようにも感じる。この作品は、弟は自殺に失敗して倒れているところから始まると書いた。部屋に横たわる弟の隣には、同じ格好をした何かが横たわっている。舞台が始まると、それは人形だとわかる。自殺に失敗した弟が意識を取り戻すと、どういうわけだか自分の隣に同じ格好をした人形が横たわっていたのだ。舞台の冒頭からして、リアリティとは少し違った方向に向かっているとも言える。ただ、実在のアパートという空間がもたらす印象とフィクションとが、僕の中ではうまく一致しなかった。

 僕の想像力が足りないのだろうか。ぐるぐる考えてしまう。そういえば、弟はやや神経質そうに見えるのに、アパートが少し散らかっていることも気になった。でも、そんなふうに考えてしまう僕のほうがリアリティがないのかもしれない。「几帳面そうなキャラクター」としてしか弟を見ていなかったのかもしれない。もう一つ、観終わってからしばらく考えてしまったのは、『ハワイユー』の小泉さんはハワイ湯のお偉いさん(どういう役職だか忘れてしまった)と交際することで現状を抜け出す糸口を見出そうとしているような印象を受けるし、『みやけのFUSUMA』のお姉さんも彼氏に現状打破の糸口を見出そうとしていることだ。それは、たしかに一つのリアリティだろう。リアリティであるからこそ、ぐるぐる考えてしまう。

2016-07-04

6月28日

 朝8時、コンビニに出かけてサンドウィッチとアイスコーヒー、それに新聞を買ってくる。食事を終えると部屋の掃除をする。ソファの下に溜まっていたホコリも全部掃き出して、雑巾掛けをする。ホッと一息ついているとチャイムが鳴る。赤帽だ。「午後納品」ということだったが、思いのほか早く届いた。2年前からずっと「早く書かなければ」と思い続けてきた『まえのひを再訪する』、ようやく完成だ。15冊が一包みになっており、それが49個運び込まれる。ソファの下に滑り込ませたり、本棚の前や玄関にある洗濯機の前に積み上げたり。部屋が包みでいっぱいになるのもすっかり慣れてしまった。

 窓の外を見てみる。まだ雨が降っているようだが、小雨のようだ。昨日のうちに買っておいたクロネコヤマトの小型段ボールを4個組み立てて、本を詰める。明日の天気予報を調べて、2箱はビニル袋で包んでから箱に詰めることにする。納品書とちんすこうをのせて、ちんすこうが粉々にならないよう新聞紙をクッション代わりに詰めて、コンビニに出しに行く。4568円也。アパートに戻り、今度は通販と献本ぶんをクッション封筒に詰めて、ゆうメールで発送する。3900円也。

 お昼ごはんを済ませると12時だ。ここからは納品の旅だ。まずは自転車に乗って池袋往来座」、早稲田の「丸三文庫」と「古書現世」をめぐり、一旦アパートに戻る。今度はキャリーバッグとリュックに本を詰めて出発し、新宿の「紀伊國屋書店」。注文をしてくれたのはOさんだったが、「今日はOは休みです」と言われてしまって、しまった、アポイントを取っておけばよかったと反省する。そういうところに気が回らない。それでも納品を受けてもらえたのでホッとする。そこから小田急線下北沢に出て、「古書ビビビ」を目指すがシャッターが降りている。そういえば今日は火曜日で、火曜日は定休日なのだった。やはり間が抜けている。

 「B&B」に納品したのち、井の頭線吉祥寺。メールを送っておいたお店を「取り扱っていただけませんか」と訪ねるつもりでいたのだが、こちらも閉まっている。だめだ、根本的に準備不足だ。今度は営業していることを確かめてから荻窪に出て、「Title」に納品する。喉が渇いたので、奥の喫茶エリアでハートランドを注文し、一休みさせてもらう。ビールがたいそううまかった。飲み干したところで棚を眺めていると、店主のTさんから「何でこんなドキュメントを書こうと思ったんですか」と尋ねられる。答えていると、「内容も面白そうだし、表紙もいいし、売れると思います」と言ってくれて、当初の予定の倍の数を扱っていただけることになる。うれしい。

 納品書を書き直していると、さきほどまで奥の喫茶エリアでコーヒーを飲んでいた女性に「もしかして橋本さんですか?」と声をかけられる。これまで出してきた本も買ってくださっていたらしく、『まえのひを再訪する』はどこで買えるんだろうと気になっていたところだと言って、目の前で1冊購入してくれた。嬉しくてしばらくぼんやりする。中央線で中野に出て、「タコシェ」に納品を終える頃には17時になろうとしていた。18時から取材に同席する約束があるのだ。

 取材が終わったのは19時半だ。歩いて雑司が谷に出て、絵を装画に使わせてくれたムトーさんと待ち合わせ。「升三」に入ってビールで乾杯し、「ありがとうございました」と本を3冊渡す。ほどなくしてセトさんも合流して、トマトハイをたらふく飲んだ。


6月29日

 午前中は『S!』誌の構成に取り掛かる。午後、キャリーバッグにリュックを背負って納品の旅に出る。まずは日暮里に行き、「古書信天翁」に納品する。ボエーズのボーカルであるムトーさんが装画を描き、ギター・セトさんの「古書往来座」、ベース・羊三さんの「丸三文庫」、ドラム・ザキ先輩の「古書信天翁」で扱ってもらう本を、ボエーズを眺める役である僕が書いたということになる。パッと売れそうな本でなくて申し訳ないけれど、どうしても扱ってもらいたかった。

 千代田線新御茶ノ水に出て、神保町の書店へ。「扱ってもらえませんか」と話しかけるつもりでいたけれど、誰に話しかけることもできず、都営新宿線小田急線を乗り継いで下北沢に移動して、「古書ビビビ」に納品する。これならキャリーバッグを引いてこなくてもよかったなと思いつつ、アパートに帰り、『S!』誌の構成を進める。

 夜、末広町へ。今日はアーツ千代田3331東葛スポーツ『東葛沈没』を観るのだ。時間ギリギリまで表で構成仕事をして、なんとか送信する。缶ビールを3本買って(何度でも書くが東葛ビール飲みながら観れるのが素晴らしい、おしっこのことを気にしなくていい上演時間であるのも最高だ、何より缶ビールが300円というのは良心的過ぎる)蓋を開けておき、開演を待った。

 『東葛沈没』には、尾野島慎太朗が東葛スポーツの作品に初めて出演している。その尾野島さんによるラップと演技も良かったが、印象的だったのは何かこう、普遍的なテーマが含まれ始めているということ。それが『日本沈没』からのサンプリングであるにせよ、生命の誕生(であり、向井秀徳のいうところの「繰り返される諸行無常 よみがえる性的衝動」)というイメージがそこにある。今回のメインテーマはそこではなかったけれど、これを東葛流に描くとどうなるのだろうかと夢想する。ビールがうまかった。

 電車を乗り継いで新宿に出て、思い出横丁「T」へ。ホッピーセットを注文して、焼き鳥を何本かツマんだ。昨年の12月から通うようになった店で、店の壁には何枚かポスターが貼られている。今回の『まえのひを再訪する』は、はがきサイズのフライヤーも作ってみた。「これを貼ってもらえませんか」とお願いしようかとも思ったのだが、まだ通って半年の人間がそんなことをお願いするのも気が引けて、言い出せずじまいで店を出た。

 言い出せなかったけれど、今日は良い気分だ。最近は糖質を気にして控えていたけれど、久しぶりで「博多天神」に入ってラーメンを食らう。ここのラーメンは最高だ。この気軽さがいいし、しあわせな気持ちになる。「すいません、13名って入れますか」と言って断られているサラリーマンの団体に「そんな人数でくる店じゃねえだろ」と毒づきつつ、ラーメンを平らげた。ふらふらと靖国通りを西に歩き、新宿3丁目「F」に入る。選挙の話を少しだけした気がする。最後に『まえのひを再訪する』とフライヤーを何部か渡して帰路につく。


6月30日

 ぐずぐずしているうちに午後になってしまった。14時過ぎ、スターバックスでグランデサイズのアイスコーヒーを買って、品川から新幹線に乗車する。いつもは自由席だが、今日は仕事をしなければならないので指定席を取ったのだが、ぼんやりしていたのでのぞみではなくひかりの切符を買ってしまっていた。まあでも、急いでいるわけではないので、仕事が捗ってよかったのだが。京都に着くとまず、銀閣寺方面のバスに乗車する。幸運にも座れたのでよかったが、途中から宿を目指す修学旅行生が大量に乗車してきて、車内はえらいことになっていた。

 浄土寺でバスを降り、「ホホホ座」へ。納品を終えて店内を物色していると、明日から京都精華大学で開催される『Fashioning Identity』展のチラシを見かける。実物を観るのはこれが初めてだ。「この展示の中に、この本で書いているマームとジプシー『まえのひ』に関する展示もあって、明日はオープニングイベントとしてパフォーマンスもあるんです」と店員のUさんにお伝えする。数冊(と数個)購入して河原町まで引き返し、ホテルにチェックイン。

 朝から作業を進めてきた『S』誌(『S!』誌ではない)の構成を送信したのは18時頃だった。さて、飲みに出かけるか。シャワーを浴びて、「赤垣屋」に出かけてみると、幸運にも1席だけ空いており、そこに収まる。おでんをツマミに冷や酒を飲んだ。両隣とも選挙の話をしているが、京都はやはり“革新”側が強い地域だ。何杯おかわりをしたのか数えられなくなったあたりで店を出る。さて、あとは「木屋町サンボア」で1杯飲んで帰るかと信号を待っていると、「橋本さん!」と声がする。

 その声はたしかに聞こえたのだけれども、京都で僕に声をかける人なんていないだろう。そう思って無視していると、何度も「橋本さん!」と声がする。そちらに目を向けると、白いハイエースが停まっている。助手席から顔を出しているのは青柳さんだ。中にはマームの皆と、それに新プロジェクト「ひび」のメンバーだという何人かが乗っている。僕が信号待ちをしているのを、運転していた石井さんが気づいたのだという。これから焼肉屋に行くのだという皆と一緒に運ばれていたはずなのだが、どこで皆と別れたのか、気づけば京都の路上に立ち尽くしている。


7月1日

 昨晩は酔っ払い過ぎてしまって、記憶がおぼろげだ。クレジットカードとアイフォーンケース、それに飲み始める前にロフトで買ったものがなくなっている。アイフォーン自体は枕元にある。「これを僕の分のお会計にしてください」という気持ちで、焼肉屋にそっと残して帰ってしまったのだろうか。まあ、それはあとで考えることにして、『まえのひを再訪する』という本に関する日記を書いてアップする。奥付的には今日が発売日だ。

 13時、四条大橋のところにある「東華菜館」へ。エビチリと水餃子、それに瓶ビールを注文する。隣の老夫婦が「麺料理はないんやて、立派やなあ」としきりに感心している(それとも嫌味で言っているのだろうか)。エビチリを食べ終えたところで8個入りの水餃子が運ばれてくる。それを2個食べたところで満腹になり、「エビチリだけにしておけばよかった」と後悔する。食後はロフトに出かけ、昨日と同じ便箋を購入する。それを持って「イノダコーヒ」(三条支店)に入り、添状を書き上げ、郵便局から本と一緒に送る。

 16時、京都精華大学へ。2階からリハーサルの音が響いてくる中、『Fashioning Identity』展を見学する。外のベンチで開場を待つ。16時50分、はやしさんが「橋本さん、開場したよ」と教えてくれたので、2階に上がる。こじんまりしたスペースだということもあって席はあっという間に埋まり、立ち見のお客さんも大勢いた。ふっと香水の匂いがしたかと思うと、青柳いづみが舞台(というより展示会場の隅に用意されたマイクの前)に姿を現す。「今日は、まえのひ」と語ってから、「冬の扉」のパフォーマンスが始まる。

 この日披露されたのは「冬の扉」と「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」の2篇だ。2篇とも、2年前の『まえのひ』ツアーで上演された作品であり、そのときと同じ楽曲も使用されている。楽曲というのは録音されたものであり、その音は2年前と変わらないものだ。もちろん、響かせる空間によって違いはあるし音量も違っているのだが、とにかく同じ音だ。だからこそ、その楽曲と一緒に空間に響いている青柳いづみの声が2年前とまったく違っているということが際立っていて驚く。

 特に印象的だったのは「先端〜」のほうだ。2年前に観たとき、この詩を読み上げる青柳いづみの姿は強烈な閃光のようだった。特に中盤と終盤に登場する、爆音とともに言葉がまくし立てられる箇所は圧巻だった。しかし、語られる言葉のBPMは2年前に比べて緩やかになっている。何より驚いたのは、何度か言葉に詰まったことだ。

 彼女は以前、「自分は筒のようなもの」だと語っていたことがある。俳優である私は、人の言葉が入っている筒である、と。だからこそ、あれだけ驚異的な速度で台詞をインプットすることができたのだろう。あれだけ閃光のように舞台に立っていたのも、筒であればこそだと思う。しかし、ここ最近の青柳いづみは「人間になったんです」と語るようになった。そうした変化は、2014年に上演され、そこから2年が経ったという時間の流れも含めてまとめた『まえのひを再訪する』の中でも取り上げている。

 人間になってしまったことで、以前はするすると語れていた言葉の通りが悪くなり、言葉に詰まるという事態にまで至ってしまった。では、俳優としてつまらなくなったのかといえばそうではない。さきほども書いたように、2年前に上演されたときに印象的だったのは「中盤と終盤に登場する、爆音とともに言葉がまくし立てられる箇所」なのだが、今回はその間に登場するとても静かな箇所が強く響いてくる。街を歩いているときに、ふとした路地の暗がりと目があったような存在感があって、目が離せなくなった。あの暗闇は、人間であるがゆえの暗闇だろう。その変化をふまえて書かれた言葉を彼女が発する姿が観てみたいという気持ちになる。

 パフォーマンスが終わったあとで、しばらく展示を眺めていた。ツアーのときに僕が撮った写真も展示してくれてある。しげしげ観ていると、藤田さんと青柳さんに声をかけられる。「全然違ってびっくりしました」と感想を伝えると、二人もそれに近いことを言っていた。「ちょっと、いきなりできる作品じゃなかったね」とも。マームとジプシーの展示は、写真と、「まえのひ」のテキストと、青柳さんが「まえのひ」を朗読する映像だ。今回のために改めて撮影したのだという。すっかりひと気のなくなったギャラリーで、僕はその映像を眺めていた。映像の中の青柳さんは、もう死んでしまった人みたいに見えた。

 18時からはレセプションがあるというので、僕も混ぜてもらった。会場には川上未映子さんの姿もあり、ようやく『まえのひを再訪する』を手渡すことができた。サインを求められたので、小さく名前を書く。1時間ほど歓談したのち、飲みに出かけることになる。店の名前は覚えていないが、鳥料理と海鮮料理を出す店だ。今日は半夏生と言ってたこを食べる日だと未映子さんに教わり、皆でたこを食べたのをおぼえている。

 僕は京都の「松本」という酒を飲んでいた。最初はグラスで提供されていたのだが、何度もおかわりするものだから店員さんが気を利かせて徳利で提供してくれるようになった。僕が座っているのはお誕生日席のような場所で、酒を飲んで言葉を交わす皆の姿が見渡せる席だった。ああ、今死んでも不満はないなと思ったが、ここで死なれても皆のほうは迷惑だろう。よほど楽しかったのか、「ええのう」とツイッターでつぶやいているが、つぶやいた記憶は残っていなかった。この晩もまた、どうやって帰ったのか、まったく記憶に残っていない。


7月2日

 10時、ホテルをチェックアウトする。大きな荷物を預け、まずはホテルの1階にあるスターバックスコーヒーへ。今日は土曜日だから混んでいるかと思ったが、思いのほか空いている。高田馬場の喫茶店は土日になるといつも満席なのでうらやましくなる。『S』誌の構成に修正を加えて、11時50分に送信する。これできっと大丈夫だろう。12時、開店直後の新京極「スタンド」に入り、一番奥の席に座って瓶ビールを注文する。店員さん同士の会話がよく聞こえて愉快だ。

 途中からたる酒に切り替えて、テレビを眺める。バングラデシュの事件に動きがあったと報じられている。画面には高温に注意を呼びかける表示がずっと出ている。京都では夕方まで35度以上が続く可能性があるという。天気予報を見ると沖縄よりも高温だ。ほどなくして『とと姉ちゃん』が始まる。先月下旬の沖縄旅行で見そびれてしまって、それ以来録画はしてあるが観なくなっていた。いつのまにか登場人物たちはよれよれの服装になっており、玉音放送を聴いているところだ。会計を済ませて表に出ると、真夏のような陽射しでくらくらする。

 とある書店に出かけ、見本として1冊差し上げる。「ご興味を持っていただければぜひお取り扱いをお願いします」と言づけをしておく。さて、これから何をしようか。今日は日テレで「THE MUSIC DAY」が放送されている。昼から晩までずっと生放送で、ジャニーズもたくさん出演する。そのせいか「今日も京都に泊まればいいのに」「終電くらいに帰ってきたら」と知人に言われていたが、財布の中身が薄くなってきたので、もう東京に戻ることにする。新幹線の中では白ワインを飲みながらバングラデシュの事件に関する報道を読んでいた。「コーランを暗唱させて、暗唱できなかった人を刺した」との情報もある。おそろしいことだ。日本語訳の『コーラン』を持ち歩いているくらいでは許してもらえないだろうか。

 19時過ぎにアパートに到着して、お土産の柿の葉寿司をツマミにして、知人と一緒に「THE MUSIC DAY」を観る。途中で渡辺直美が出てきた。唐突な登場に最初は面白がって観ていたけれど、あまりにも“コント顔”を作るのでシラケてしまう。全力でアーティスト然とした顔のほうが突き抜けていて笑えるのに、どうしてこんな注釈をつけてしまうのだろう。終盤にはTHE YELLOW MONKEYも出てきて「バラ色の日々」を歌っていた。最後の「ARE YOU A BELIEVER?」というフレーズにハッとする。ダッカの事件を思い出す。そんなことを連想する日がくるなんて、あの頃は予想すらしていなかった。


7月3日

 昼、スーパーで買い物。エビと青梗菜の炒め物、それにマルちゃん正麺にひき肉とニラをのせたものを作り、知人と一緒に食す。午後は自転車で目白に出かけ、「ブックギャラリー・ポポタム」に納品する。お店が休みだったり、僕が京都に出かけたりが重なって納品が遅くなってしまった。今度は電車で学芸大学駅に行き、「SUNNY BOY BOOKS」に納品する。これで現時点で連絡をもらっているお店にはすべて並んだことになる。

 夜、久しぶりで高円寺コクテイル」へ。曜日の感覚がないので忘れていたが、今日は「斎藤バル」として営業している日だ。おつまみカレーを注文して、ちびちび食べながらトリスハイを3杯飲んだ。休日出勤中の知人に連絡を入れてみると、そろそろ帰ろうかなというので高田馬場にある沖縄料理屋で待ち合わせ、にんじんしりしりをツマミに泡盛を飲んだ。どうすれば本が売れるだろうかと話しているうちにケンカになる。


7月4日

 午後、取り扱ってもらえる店を増やせないか、あれこれ考えをめぐらせる。都内の店は、現時点で取り扱ってもらえてない店となると、何か方策を考えないと難しいだろう。『まえのひ』ツアーで訪れた街では買えるようにしたいところだけれども、リトルプレスを扱っている店となると限られてくる。あれこれ調べているうちに日が暮れていた。

 夜、渋谷へ。今日は「LOFT9」にて向井秀徳アコースティック&エレクトリックのライブがある。20時開場、20時半開演と遅めのスタートだ。以前『FAKE』を観たとき、1階にあったカフェが何やら工事をしているなと気になっていたのだが、そこにオープンしたのが「LOFT9」なのだった。僕が向井秀徳弾き語りを観るのは3ヶ月振りだ。3月21日、那覇の「output」でライブを観たときに「あのときのことを書いておかなければ」と思い立ち、そこから『まえのひを再訪する』を書き始めたのだったと改めて思い出す。『まえのひを再訪する』はマームとジプシーのツアーに関するドキュメントで、向井秀徳の歌と直接的なつながりはないのだけれども、「記憶」ということが大きなテーマであるということで、僕の中では繋がっている。「omoide in my head」を聴きながら、そんなことを考えていた。

 圧倒されたのは岩見継吾と服部正嗣をゲストに迎えた第2部だ。『ディストラクション・ベイビーズ』の楽曲はこの3人で演奏されているが、MCで向井さんが二人と出会ったきっかけを語っていたのが印象的だった。曰く、酔っ払って下北沢を歩いてたら、地下の店から音が聴こえてきた、と。そこはジャズ飲み屋で、セッションをしている人の中に岩見継吾と服部正嗣がおり、その場で「一緒にやりましょう」と誘ったのだという。それで、『ディストラクション・ベイビーズ』は街を歩いて喧嘩を吹っかける映画だけど、「私も街で彼らと出会って、吹っかけたんですね」と。

 そうして出会った二人とのセッションに度肝を抜かれた。向井秀徳の加わったセッションを何度か観たことがあるけれど、持ち技という言い方で正しいのか、それを挟み込むという印象のほうが強かった。「繰り返される諸行無常」というフレーズであるとか、チャルメラを弾いてみるだとか。でも、昨日のセッションはまったくと言っていいほど違っていた。向井秀徳の頭の中にある混沌とした音が丸ごと放出されたようなセッション。一体どうしたことだろう。ZAZENのライブの開場中によく流れていたマイルスの音源を思い出す。今後のライブがますます愉しみになるセッションで、僕は何杯もハイボールをおかわりした。

2016-07-01 まえのひを再訪する

 マームとジプシーに関するドキュメントを出すのはこれで6冊目だ。今振り返ってみると、「ドキュメントを書いて欲しい」と依頼されて同行したことはなかったのではないか。もちろん、スケジュールを教えてもらっているからこそ同行できているのだけれど、あくまで僕が勝手に同行しているだけだ。だからこそ、前回と違う関わり方ができなければ意味がないと思っていたし、「新しいドキュメントを書かなければ」と思ってきた。

 狭いアパートで一緒に暮らす知人は、僕の行動にいつも怪訝な顔を浮かべていた。自分からツアーに同行して自分で本にまとめるというのは、知人からすれば気が狂っているように思えるのだろう。でも、僕は「誰かが記録しておかなければ」という思いに駆られていた。演劇というのは上演が終わると消えてしまうし、どんな旅をしているのかも記録する人がいなければ伝わらない。マームとジプシーが今、どんな旅をしているのか。それを後から振り返るのではなく、他でもない“今”の視点で書き記しておく必要がある。そう思って彼らに同行していたし、だからこそ本にまとめてきたのだ。でも、今回の『まえのひを再訪する』については、それでは説明がつかなかった。

 川上未映子さんの詩を、マームとジプシーが上演する。藤田貴大さんが演出し、青柳いづみさんの一人芝居として披露された『まえのひ』は、2014年の春に、全国7都市で上演された。僕はこのツアーに同行していた。ツアーの前にはソウルで行われたチェルフィッチュの公演『地面と床』にも足を運んで、現地で話を聞かせてもらったりもした。それはもちろん、ドキュメントとして書き記すために同行していたのだが、ツアーが終わっても言葉として書き記すことができなかった。

 あっという間に一年が経った。同じ季節がやってきたことで、あらためて「『まえのひ』のことを書いておかなければ」という気持ちになった。そこで僕は、『まえのひ』のツアーで出かけた土地を再訪してみることにした。そのことを告げると、知人はいつにも増して怪訝な表情を浮かべて「理解しがたい」と言った。

 今考えると、自分でも理解しがたいと思う。ツアーに同行する――これはいくらでも説明がつくことだ。しかし、1年前にツアーで訪れた場所をひとりで再訪して、誰かと会って話を聞き、同じ店で同じ食事をして、記憶をたどる。日本国内だけでなく、ソウルも再訪したし、鹿児島から沖縄まで移動する際には、1年前と同じようにフェリーに乗って25時間かけて移動した。その行為は、どうやっても説明がつかなかった。知人は「この人は頭がおかしいんだなと思った」と言っていたけれど、そう言われてもしかたのないことだ。でも、僕は「そうしなければ」と思っていた。

 何かを観ると、どうしたってとらわれてしまう。一度観た舞台のことを、ずっと思い返してしまう。面白いと思ったテレビ番組は、ドラマでもバラエティでも、何度も繰り返し観てしまう。音楽でも、一度気になった曲は何度も聴いてしまうし、好きなバンドのライブは何度も観に行ってしまう。それと同じように、同じ場所を辿り、過去のことを思い返してしまうのだ。

 皆で出かけた海を、自由が丘の焼肉屋を、いわきのバーを、江戸川橋中華料理屋を、松本の川べりを、京都にあるかつて小学校だった場所を、大阪にあるかつてキャバレーだった場所を、川上未映子さんに案内してもらった母校を、実家のある広島を、熊本にある倉庫を、鹿児島沖縄を結ぶフェリーを、沖縄の映画館を、僕はひとりで再訪した。1年前そこにあった風景を振り返り、あのとき舞台で表現されていたものは、いやそもそもあの旅は何だったのか、思いをめぐらせた。

 季節は巡り、あっという間に1年が経った。気づけば今年の春もまた、『まえのひ』で旅した場所を再訪していた。そのことに気づいて、「今年こそ書かなければ」と思い立って書いたのがこの本である。だからこれは、2014年に上演された『まえのひ』という作品をめぐるドキュメントであり、『まえのひ』を観た観客が当時を振り返ったドキュメントでもある。

 『まえのひ』という詩は、東日本大震災を経て書かれたものだ。ただ、「まえのひ」というのは震災のことだけを指すものではなく、地球上にはありとあらゆる「まえのひ」が存在し、私たちは常に「まえのひ」に置かれている――そう訴えかけてくる詩である。

 演劇を観終えると、観客である“私”は翌日に放り出される。『まえのひ』という作品を観終えると、『まえのひ』以降の世界に――いわば翌日の世界に――放り出されることになる。僕はこの2年、翌日の世界から「まえのひ」のことを考え続けてきた。今年もまた『まえのひ』という作品が披露されると聞いたのは、ちょうど『まえのひを再訪する』を書き上げた頃だった。翌日の世界から「まえのひ」について考え続けていたはずが、それがまた新たな「まえのひ」に繋がっている。自分が生きている世界というのはそういうものなのだろう。

 「まえのひ」という作品に関する展示は、今日から京都精華大学で開催される。展覧会の名前は「Fashioning Identity」で、マームとジプシーだけでなく、4組のアーティストによる展示がある。そのオープニングイベントが今日開催されることになっていて、そこで青柳いづみさんによるパフォーマンスも上演されることになっている。『まえのひを再訪する』の発売日は、この展覧会にあわせて7月1日とした。展覧会の会場でも販売してもらうことになっている。今は京都のホテルにいて、これから会場に向かう。どんな展示になっているのか、どんなパフォーマンスなのか、わくわくしている。

                 ・

                 ・

                 ・
 
f:id:hashimototomofumi:20160625144219j:image

『まえのひを再訪する』
著・橋本倫史 発行・HB編集部
四六判 210頁 2016年7月1日発行
お取り扱い店一覧、通販の予約はこちら→http://hb-books.net/items/576342da41f8e86bbc007f26

2016-06-23 沖縄滞在6日目

 5時半に目をさます。のそのそと起き出して、みーばるビーチに出かける。ビーチの端にはテントがあった。そばには白人の中年夫婦が立っていて、黙々とバナナを食べているところだ。おそらくここに宿泊したのだろう。30分ほど散策して宿に戻り、シャワーを浴びて荷物をまとめ、「お世話になりました」と書き置きをして宿を出る。百名バスターミナルまで20分かけて歩いているだけで、もう腕からは汗が噴き出している。朝からくたびれるが、海の方を振り返るとびっくりするくらい綺麗な風景が広がっているので、なんとか時間までにバス停にたどり着くことができた。

f:id:hashimototomofumi:20160623055032j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623060305j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623055210j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623070430j:image

 7時15分、53番のバス(船越経由百名線)に乗車する。ぼんやり景色を眺めていると、変わった形の黒いクルマが見えた。あれはもしかしてと思っていると、少し進んだ場所に黒いネクタイをした男性が立っており、「出棺 六月二十三日 〇八:〇〇」と看板が出ていた。最近の霊柩車は、派手な装飾のないものも増えているようだ。しばらくするとバスは奥武島を経由する。知人と一緒に、あそこで天ぷらを食べたなあ。数日前のことなのに、既に懐かしんでいる。

 まだ7時台だというのに、ちびっこたちが遊びに出かけてゆくのが見える。今日は6月23日だ。この日は沖縄戦における集団的な戦闘が集結した日であり、沖縄では「慰霊の日」として休日となっている。それでちびっこたちは遊びに出かけているのだろうが、バスに乗ってくる人たちを見ても、町の雰囲気も、普通に出勤している感じがする(もちろん、すべての仕事が休みになるのであれば、こうしてバスに乗ることだってできないのだけれども)。

 県庁から無料のシャトルバスが出ていると聞いたので、バス停に行ってみる。が、県庁北口のバス停にはそれらしき表示が出ていなかった。バス停の表記をまじまじ見つめていると、おじいさんがニコニコ近づいてくる。「どこに行くの? 美ら海水族館?」――たぶんこのおじいさんはタクシー運転手だろう。「いや、慰霊祭に行きたいんです。ここからバスが無料のシャトルバスが出てるって聞いたんですけど、ご存知ですか?」。そのおじいさんは、近くにいた別の男性にも聞いてみてくれたが、知らないらしかった。近くの店で聞いてみても知っている人がおらず、ネットで検索してみると、県庁北口のバス停からではなく、県庁舎の東側から出ているらしかった。

 9時、「11号車」と書かれたバスに乗って、平和祈念公園を目指す。僕の隣の席と前のふた席には、祖母、母、それに息子の家族連れが座っていた。母親はふとカバンから荷物を取り出し、前に座るふたりにそれを渡す。それは折り紙で、三人は鶴を折っていた。窓の外を眺める。信号に「真栄里」という地名が見える。昨日、白梅の塔で見た地名だ。解散命令後、白梅学徒の多くは真栄里に撤退し、そこで最期を迎えたのだと記されていた。

 バスがスピードを落とし始めたのはそのあたりだった。ひめゆりの塔の前や公園が近づいた場所で渋滞するならわかるけど、一体なぜこの場所で渋滞しているのだろう。何台か先にのろのろと進む大型バスが見えた。「救護車」と表示が出ている。歩道にはゼッケンをつけた人たちが歩いている。糸満市役所から平和祈念公園までの約8キロを歩く「平和行進」というのをやっているらしかった。沖縄県遺族会が主管のこの行進は、今年で55回を数えるという。僕が乗っているバスは、渋滞を避けるべく急遽ルートを変更した。

f:id:hashimototomofumi:20160623160611j:image

 9時50分、バスは平和祈念公園に到着した。今日はここで沖縄全戦没者追悼式が開催される。いわゆる慰霊祭だ。僕が初めて慰霊祭に足を運んだのは2013年のことだ。その翌年もまた、6月23日にこの場所にいた。去年は参加できなかったけれど、今年もまたここにいる。過去2回は当日に沖縄入りするスケジュールだったので、式典が始まる直前になって公園に到着していたけれど、今年はゆったり過ごせそうだ。式典が始まるのは11時50分だから、あと2時間もある。

f:id:hashimototomofumi:20160623160621j:image

 朝ごはんを食べていなかったので、まずは売店でお弁当を購入する。いつもはアイスやぜんざいがメインの店だが、今日はたくさんお弁当が並んでいる。ジューシーのおにぎりなんかも売っている。僕は豚肉の炒め物、ゴーヤチャンプルナポリタン、それに春巻きの入ったお弁当を選んだ。400円とお手頃価格だ。木陰を探して、さっそく食べる。木陰にはもうたくさんの人がいる。腰掛けられる場所は人気のようで、僕のすぐ隣にも若いカップルがやってくる。会場のスピーカーからは「さとうきび畑」がながれていて、女の子も一緒に鼻歌で歌っている。

 式典の会場入口には検査場があり、長い列ができている。ライター、刃物等持ち込み禁止と書かれており、金属探知機でチェックしているようだ。僕は別に、会場の外側から見守るだけでいいと思っていたのだが、中に入らないと冊子がもらえないので列に並んだ。その冊子には式次第の他、式典で読み上げられる予定の沖縄県議会議長の式辞や、沖縄県知事による平和宣言も掲載されている。それ以上に楽しみにしているのが、「児童・生徒の平和メッセージ」というコンクールの優秀作が掲載されているのだ。表紙には図画部門(高校生の部)最優秀賞が掲載されており、冊子の中には作文部門の最優秀賞と詩部門の最優秀賞も掲載されている。詩部門の最優秀賞は朗読されることになっており、こどもたちが予行演習を行っているところだ。

f:id:hashimototomofumi:20160623160604j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160556j:image

 冊子だけ受け取って外に出て、公園内を散策する。平和の礎の前にはもう、たくさんの人の姿がある。平和の礎というのは、沖縄戦で亡くなったすべての人の名前が刻まれた碑だ。20万を超す人々の名前がそこにある。礎の前にはピクニックシートが広げられたり、アウトドアチェアが置かれたりして、おじいさんやおばあさんがそこで時間を過ごしている。お弁当を広げて、いくつかコップを並べて、お茶を注ぐ。同じように過ごしている家族連れも多く見かける。亡くなった方に思いを馳せ、ピクニックのように時間を過ごす風景を慰霊祭のたびに見かける。広島に生まれ育った僕は、8月6日には親に連れられて原爆ドームを訪れていたが、広島沖縄では弔い方が違っていることが印象的だ。

f:id:hashimototomofumi:20160623160553j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160546j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160539j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160526j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160230j:image

 当たり前だが報道陣の姿もよく見かける。若い記者たちがおじいさんやおばあさんに話を聞き、汗を流しながら熱心にメモをしている。平和の礎には英語で書かれたものもあり、その前には軍服を着た白人の姿があった。ここに刻まれているのは日本人だけでなく、沖縄戦で亡くなった外国人の名前もあるのだ。歩いていると、腰の曲がったおばあさんを見かけた。娘とおぼしき女性に支えられながら、そこに刻まれた名前を一つ一つさすっている。おばあさんは涙を流していた。彼女の中では、全然過去の出来事になっていたのだとハッとさせられる。公園の入り口にある売店まで引き返し、オリオンビールを買って飲んだ。僕より日陰をしている人はいるだろうと思って、ひなたでビールを飲んでいた。

f:id:hashimototomofumi:20160623160525j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160513j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160511j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160456j:image

 園内にアナウンスが流れると、平和行進の一団が公園に到着する。ほどなくして来賓も会場に姿をあらわす。安倍総理大臣が姿をあらわすと、会場の一部から拍手が起こった。その拍手に、なんだろう、かなしみをおぼえる。この総理大臣沖縄に対する思いなんてさほど持っていないだろう。それでも総理大臣として、式典に毎年出席している。それは「沖縄に寄り添う」という姿勢を示すためだ。

 僕は別に、総理大臣を批判したいわけではない。政治家にとって大事なのは姿勢を示すことであり、内心は重要ではないのだ。たとえば、式典には民進党の枝野幹事長も出席しており、「沖縄の民意を受け止め、それを踏まえて外交や安全保障の問題を解決していくべきだが、都合が先になっている」と首相を批判するコメントを出している。しかし、現政権のトップであり、与党のトップである安倍晋三が来ているのに対して、それを批判する民進党はといえば式典に参列しているのは党のトップではない。この差は大きいだろう。だからこそ、毎年足を運ぶ総理大臣に拍手が起きたのではないかと感じる。そこにかなしみをおぼえる。

f:id:hashimototomofumi:20160623160455j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160452j:image

 ほどなくして式典が始まった。翁長知事が平和宣言を読み上げる。「私たちは、万国津梁の鐘に刻まれているように、かつて、アジアや日本との交易で活躍した先人たちの精神を受け継ぎ、アジア太平洋地域と日本の架け橋となり、人的、文化的、経済的交流を積極的に行うよう、今後とも一層努めてまいります」――そう語っているときに、60代くらいの男性が「もっと受け継げ!」と野次を飛ばした。園内には背広姿の警察官が多数配備されており、その男性の近くにいた警察官がすぐに駆けつけ、静かにするよう注意している。

f:id:hashimototomofumi:20160623160446j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160447j:image

 平和宣言の次は、「平和の詩」の朗読だ。2013年、最初に慰霊祭を訪れたときに印象的だったのはこの「平和の詩」の朗読だ。その年に詩を朗読したのは与那国町立久部良小学校1年生の男の子だった。彼の「へいわってすてきだね」という詩の中には、「ちょうめいそうがたくさんはえ/よなぐにうまが、ヒヒーンとなく/みなとには、フェリーがとまっていて/うみには、かめやかじきがおよいでいる」という一節があり、行ったこともなければ見たこともない与那国ののどかな風景が浮かんでくるようだった。

 今年の詩は、金武町立金武小学校6年生の女の子による「平和ぬ世界どぅ大切」だ。

 「ミーンミーン」
 今年も蝉の鳴く季節が来た
 夏の鳴き声は
 戦没者たちの魂のように
 悲しみを訴えているということを
 耳にしたような気がする
 戦争で帰らぬ人となった人の魂が
 蝉にやどりついているのだろうか
 「ミーンミーン」
 今年も鳴き続けるだろう


 こう始まる詩に、少し違和感をおぼえる。沖縄にもミンミンゼミの鳴き声を聞かないではないけれど、「ミーンミーン」とは鳴かないセミの声のほうをよく聴く。それをいえば2013年の「へいわってすてきだね」にも共通するのだが、この「平和の詩」は擬音や鳴き声を含めるというルールでもあるのかと思ってしまう。詩の後半になると、それは「戦没者の悲しみを鳴き叫ぶ蝉の声ではな」く、「平和を願い続けている蝉の声だ」と語られる。ある意味では小学校6年生らしいともいえるが、あまりにも教科書的ではないかと思ってしまう。

f:id:hashimototomofumi:20160623160255j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160252j:image

 そんなことを考えているうちに安倍総理大臣による挨拶が始まる。「同時に、私たちは、戦後70年以上を経た今もなお、沖縄が大きな基地の負担を背負っている事実を、重く受け止めなければなりません」。そう語ったところで、会場の外から「本当にそう思ってるか!」という声があがった。野次を飛ばしたのはさきほどと同じ男性で、すぐにまた警察官が集まる。

 男性を囲んでいる警察官は3人で、男性をなだめる係の男性はへらへらした表情だ。「へらへら」と書くとネガティブかもしれないが、あえてそうした表情を浮かべることで場の緊張感をほぐし、男性を刺激してこれ以上騒ぎにならないようにしているのがわかる。彼が意図的にそうした表情を作っている一方で、一緒にその男性を囲む残りの2人は無表情で、男性の動向をじっと見据えている。へらへらした警官は「ちょっと向こうで話しましょうね」と、男性を公園の外のほうに誘導していく。「おとうさん、お酒飲んでるでしょう」なんて言っている。たしかに、男性は少し酔っているだった。

 安倍首相の挨拶は続いている。「そうした中で、今般、米軍の関係者による卑劣極まりない凶悪な事件が発生したことに、非常に強い憤りを覚えています」。そう語ったところでまた野次が上がる。「お前がやったんだろう」という謎の野次だ。僕に聞こえた範囲では、式典中の野次はこの3つだけで、多くの人は静かに式典を見守っていた。式典が終わったところで、また平和の礎を見に行こうと移動していると、途中で足止めされる。来賓たちのクルマが通るので、しばらく道の横断ができなくなっているのだ。近くにいたおばさんが「今年は記者会見の場所が変わったんだねえ」なんて話している。安倍首相を一目見ようとこの場所で待っていた人もいるようだ。ほどなくして9台の白バイに先導されて、総理大臣の乗ったクルマが通過していった。

f:id:hashimototomofumi:20160623160236j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160238j:image

 平和の礎の前では、三線を引いて歌をうたっている人の姿があった。「多良間ションカネ」という歌だという。木陰でギターをつま弾く人の姿もある。さて、この花をどうしよう。公園の入り口には喧嘩販売所があり、僕はそこで花を買っていたのだが、どこに献花したものかと迷っていた。ほとんどの人は、自分の親族や知り合いの名前の前に献花しているが、僕には沖縄戦で亡くなった知り合いがいないのだ。花は結局、平和の礎について説明が書かれた石碑の前に捧げた(そこにもいくつか花束や千羽鶴が置かれていた)。シャトルバスの列が短くなるまで、芝生に寝転んでオリオンビールを飲んだ。

f:id:hashimototomofumi:20160623160229j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160225j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160222j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160221j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160219j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160211j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623160210j:image

 バスを降りるとホテルにチェックインする。テレビでは沖縄戦に関する特集が組まれている。座間味島集団自決を目撃した男性は、火をつけた小屋にこどもを投げ入れ、大人はそうもいかないから棒で叩いていたのだと当時のことを語る。「僕というのは人ではなかったかなと思った」という言葉。シュガーローフの戦いの激戦の様子。ひめゆり学徒隊の女性の、「生きてしまった」という言葉。

f:id:hashimototomofumi:20160623185748j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623191932j:image

f:id:hashimototomofumi:20160623210605j:image

 シャワーを浴びて飲みに出かけた。3軒目に選んだのは安里のおでん屋「東大」だ。数日前のボトルがまだ半分近く残っているから、それを飲み干しにきたのだ。今日は1人だからカウンターに座らせてくれた。ボトルには僕の名前が書かれている。自分で書いたのではなく、店員さんが書いてくれたのだが、「橋」の字が“きへん”ではなく“のぎへん”になっている。数日前に領収書を書いてもらったときも同じように“のぎへん”になっていたけれど、これはなぜだろう?

f:id:hashimototomofumi:20160623214014j:image:h600

 焼きてびちを待ちながら葉野菜のおでんをツマんでいると、店の方に「また日に焼けたね」と言われる。そうですね、と答えていると、隣で飲んでいた常連客とおぼしき男性に「海に行ってきた?」と声をかけられた。いや、海じゃないんです。今日は慰霊祭に行ってきて、ずっと外にいたからまた焼けちゃったんです。そう答えると、男性は「それは――ありがとうね」と言った。

 「ありがとう」と言われるのは今回の沖縄滞在で二度目だった。でも、僕は「ありがとう」と言われるたびに複雑な気持ちになる。僕はただその場所にいたというだけだ。何度も沖縄を訪れているけれど、僕はただそこにいるだけだ。沖縄のことがわかったつもりにはなれないし、沖縄に寄り添っているという気持ちにもなれない。沖縄の人の気持ちがわかるなんてことは言えない。いや、そんなことを言えばそもそも誰かのことを「わかる」なんてことがあえりえないのだ。あなたのことだって、僕はわからない。それはあなたが沖縄の人だからではなく、当たり前に私とあなたは別の人で、別の人生を歩んできて、別の考えを持っている。それを「わかる」なんて言えるはずがないのだ。ただ、わからなくたって、一緒にいることはできる。わからないということがわかるからこそ、一緒にいることができる。そんなふうに考えているから、僕はただこうやって足を運んでいるのかもしれない。

 そんなふうに僕が話しているあいだ、男性はただ黙って聞いていてくれた。そして肩に手をおいて、「やっぱり、ありがとうって言わなきゃだね」と言ってくれた。「内地の人で、一緒に『基地反対』って言ってくれる人はいるけど、そこまで考えてくれてる人は初めて会ったよ」。話しているあいだ、僕は「こんなふうに話したら怒られるかもな」と思っていたけれど、そう言われて妙にホッとした。そのせいか、「東大」からの帰り道でアイフォーンを落としてしまって、画面がひび割れてしまった。沖縄にくるたび、アイフォーンをなくすか壊すかしている。

 しかし、「ありがとう」と言ってもらえたことをこうして日記に書いている僕は一体何だろう。そのことで自分の言葉を、ふるまいを、正当化しているだけではないか。わからない。わからないけれど、いやわからないからこそ、僕はきっとまた沖縄を再訪する。

2016-06-22 沖縄滞在5日目

 朝7時に起きて、入稿したデータの修正作業を行う。10時にホテルをチェックアウトして、那覇行きのバスに乗車する。県庁前でバスを降りて、県庁に沿って歩き、ハーパービュー通りに出る。上泉から出る40番大里線のバスに乗って、目指すは南風原文化センターだ。ここは南風原の人々の暮らしや沖縄戦に関する資料が展示されており、すぐ近くには沖縄陸軍病院壕が残っている。ひめゆり学徒隊が最初に動員された場所だ。

 沖縄陸軍病院が組織されたのは1944年5月のことだ。しかし、その年の10月10日にいわゆる「十十空襲」があり、病院は南風原の学校校舎に移転する。戦局の悪化を見越して、軍は南風原の丘に約30個の壕を掘る。3月下旬、いよいよ米軍の艦砲射撃が始まると、陸軍病院は壕の中に移る。ひめゆり学徒隊と引率教師240名が沖縄陸軍病院に動員されてきたのは3月23日のことだから、まさに壕に入る頃のことだ。

f:id:hashimototomofumi:20130624120148j:image
この写真は今回撮影したものではなく、2013年、初めて見学したときのもの。

 4月1日に米軍が上陸すると、次々と負傷兵が運び込まれてくる。狭い壕には両脇に二段ベッドが置かれ、壕の中で手術も行われた。壕はすぐに一杯になり、ひめゆりの子たちは立ったまま眠ることもあったという。また、食事や水の確保も彼女たちの仕事なのだが、病院壕のそばで米を炊くと、煙で場所がばれてしまう。そこで彼女たちは銃弾の飛び交う「めしあげの道」を通って近くの集落まで行き、そこから食事を運んでいた。

f:id:hashimototomofumi:20160622125643j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622125924j:image

 さきほども書いた通り、病院壕があるのは南風原の丘だ。平和の鐘や石碑がある場所には芝生が生えているのだが、いつきてもよく手入れされている。ちょうどお昼休みの時間なのか、芝刈り機が丘の端に残されている。赤とんぼがたくさん飛んでいる。セミがたくさん鳴いている。リュウキュウアブラゼミの鳴き声だ。このセミの声を聴くたびに、『cocoon』のことを思い出してしまう。あの舞台で、開演前の会場で流れていたのは、このセミの声だ。

 12時半に南風原文化センターを出ると、歩いて糸数アブチラガマを目指す。今日は一日、ひめゆり学徒隊にまつわる場所を歩いて辿ってみようと決めている。別に歩いたところで何がどうなるわけでもないことはわかっているが、とにかく一度歩いてみようと決めていた。炎天下を歩いているとさっそくくじけそうになるが、1時間半ほどかかってようやく、糸数アブチラガマが見えてくる。ガマの入り口には黄色いヘルメットをかぶった修学旅行生がいて、見学に先立って説明を受けているところだ。

f:id:hashimototomofumi:20160622140615j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622140650j:image

 糸数アブチラガマは全長270メートルにも及ぶ自然洞穴(=ガマ)だ。このガマは日本軍の陣地として整備されていたが、米軍の攻撃が始まると糸数地区の住民の避難場所としても使用された。このガマに沖縄陸軍病院糸数分室が設けられることになり、ひめゆりの子たち14名が教師に引率されてやってきたのは5月1日のことだ。戦況は悪化し、次々重傷の患者が運び込まれてくる。患者の傷は悪化し、膿と蛆だらけになり、破傷風や脳症を発症する患者も少なくなかったという。

 沖縄戦米軍が侵攻した地図を見ると、米軍はスピーディーに北進し、上陸から1ヶ月以内にはやんばるを制圧している。南部についても途中まではすんなり進軍しているが、司令部のある首里の手前で日本軍の激しい抵抗に遭う。40日間にわたって、わずか4キロの範囲で激しい戦闘が繰り広げられるが、次第に米軍は中部戦線を制圧していく。熾烈を極めたシュガーローフの戦いに日本軍が敗れたのは5月18日のことだ。シュガーローフ、つまり安里高地を突破されたということは、那覇市街を米軍に制圧されたということになる。つまり、首里にある司令部は米軍に包囲されることになってしまう。

 シュガーローフの戦いに敗れたあと、今後の動向については3つの案が提出されたという。そのうちの2つは南部への撤退という案であり、1つは首里に残って徹底抗戦するというものだ。島田沖縄県知事は「住民を道連れにするのは愚策である」として南部撤退に反対していたというが、軍が最終的に選択したのは南部撤退であり、5月25日、南風原陸軍病院や糸数アブチラガマにも南部撤退命令が下されることになる。

f:id:hashimototomofumi:20160622141023j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622141358j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622142745j:image

 僕も南部を目指して歩く。南部といっても、ここはすでに南部であり、アブチラガマから数分歩くと海が見えてくる。あれはたぶん、奥武島のあたりだろう。彼女たちが目指したのはあの海ではなかったのだなと思う。おそらくあの海には米軍の艦隊が並んでいて、そこから艦砲射撃が行われていたはずだ。飛行機の音が聞こえる。よく晴れているが機影は見えない。陽射しは強いが風が吹いていて心地いいくらいだ。選挙カーが通りかかり、ウグイス嬢が手を振る。肥料の匂いが漂ってくる。サトウキビ畑が両側に広がっている。30分ほど歩いたところで、三線と太鼓の音が聴こえてくる。音のするほうに近づいていくと、獅子舞が披露されているのが見えた。そこは「おきなわワールド」だ。

f:id:hashimototomofumi:20160622144439j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622144504j:image

 おきなわワールドといえば、かつてハブマングースのショーが開催されていたテーマパークだ。せっかくなので入園して、少しだけエイサーを見物する。今日は平日だが、園内は観光客で賑わっている。修学旅行生が大勢いる。家族連れや団体客もいる。中国人や白人の姿もある。結構なことだと感じる。70年も経てば、これだけ風景は変わるのだ。問題はそのときをどう凌ぐかだ。

 おきなわワールドのすぐ隣にはガンガラーの谷がある。亜熱帯の森が広がるこの場所は、約1万8000年前に生きていた港川人の居住区である可能性もあり、発掘調査も進められている。予約をしておけば1時間ほどのネイチャーツアーも可能で、2013年にはこのツアーに参加したことがある。谷の入り口には大きな鍾乳洞があり、普段はカフェになっている。2013年の秋にはここでクラムボンのライブを観たことがあるし、2015年の夏にはリーディングライブ「cocoon no koe cocoon no oto」を観たこともある。

f:id:hashimototomofumi:20160622150936j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622150959j:image

 これだけの森が広がっているにもかかわらず、戦争中にここに避難していた人はいなかったと聞く。これだけ身をひそめられそうな場所があるのに、ここに隠れる人はいなかったのだ。ひめゆりの子たちがどんなルートで移動したのか、僕は知らないけれど、彼女たちもまたここに避難することはなかった。南部撤退命令が出たあと、沖縄陸軍病院が移転したのはひめゆりの塔のある、糸満市伊原のあたりだった。軍の司令部が移転する摩文仁の丘から4キロほど西にある場所だ。

 あらためて、昨日名護博物館で観た展示を思い出す。あの展示では、沖縄陸軍病院が南部撤退を始めた5月25日の記述として、「大本営、沖縄作戦に見切りをつける」と書かれていた。この「見切りをつける」というのが何を指すのかはわからない。しかし、陸軍病院に撤退命令が出された日付と「沖縄戦に見切りをつける」日付が同じ日であることに、どうしても考えてしまう。ただ大本営内部の判断として「見切りをつける」のではなく、「これ以上沖縄で戦闘を続けても無駄だ」という判断を届けていれば、沖縄戦はここまで悲惨なものにはなっていなかっただろう。

 戦争が終わったあとに日本が復興するためには、当然人の力が必要だ。でも、3万人の日本兵と10万人の住民が南部の狭いエリアに押し込められ、多くの命が失われてしまった。戦争が終わったあとのことまで、未来のことまで考えている人がいなかったのは本当に悲劇だ。もし5月下旬の段階でひめゆり学徒隊に解散命令が出ていれば、このガンガラーの谷に身を潜めてやり過ごせた人もいるかもしれない。かもしれない、ということを考えたって仕方がないのだけれど、涼しい風の吹き抜ける鍾乳洞の下でアイスコーヒーを飲んでいると、どうしてもそんなことを考えてしまう。

f:id:hashimototomofumi:20160622154954j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622155232j:image

 ガンガラーの谷を出て、伊原方面を目指して歩く。それにしても、このあたりは見晴らしが良過ぎる。ところどころに丘はあるけれど、基本的には平原だ。そこを歩けば、移動しているのがすぐに見つかってしまう。最短ルートではなく、丘を抜けるルートを選んで進んでゆく。途中から舗装された道ではなく、轍が続く山道になる。平地は平地で“鉄の暴風”が吹き荒れていたのだろうけれど、山の中を歩けば敵と遭遇するかもしれず、恐ろしかっただろう。

 一つ山を越えると、また山だ。足はすでにパンパンだ。本当に歩ききれるだろうかと不安になりながら、うつむきがちに坂をあがると、少し開けた場所に出た。そこは八重瀬公園といって、「白梅の塔」という看板が出ている。ひめゆり学徒隊は沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師と生徒によって構成されていたが、学徒隊はこの一つだけでは当然なく、沖縄県立第二高等学校の教師と生徒は「白梅学徒隊」として動員され、この場所で看護活動にあたっていた。

f:id:hashimototomofumi:20160622160608j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622161606j:image

 公園の中には自動販売機があった。そこでペプシコーラを飲んで、また山道を歩く。重そうな雲が空を覆い始める。影ができると、少しは歩くのが楽になる。しばらく進むと飼料と糞の匂いが漂ってくる。家畜小屋が見えるが、中には何の動物がいるのだろう。ただ、立ち止まって眺める余裕もなく、そのまま歩く。しばらく経って、後ろから「モオー!」という鳴き声が2度聴こえてくる。あれは牛舎だったのだな。レーダーのような装置が向こうに見える。ただ、あたりの風景はただただのどかで、畑が続く。ラジオの音があちこちで聴こえる。人影は見えなくても、ラジオの声だけは聴こえている。

f:id:hashimototomofumi:20160622162318j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622162606j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622164759j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622164900j:image

 2つめの山を越えると、右手にはゴルフ場、左には自衛隊の基地が広がる道になる。正面にまた海が見えてきた。水平線がずいぶん高い場所に見えて不思議だ。このあたりになるともう、頭に言葉は浮かんでこなくなって、ただひたすら歩く。金髪の前髪をたなびかせた馬がいた。思わず立ち止まって眺めていると、一歩だけこちらに近づいてきて、僕のほうをじっと眺めていた。白梅の塔からおよそ1時間歩いたところで集落に出た。真栄平という地区だ。真栄平ストアーという店で久しぶりに自動販売機を見つけて、さんぴん茶を買って飲んだ。500ミリを一気に飲み干してしまう。

f:id:hashimototomofumi:20160622170320j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622170741j:image

 足の裏にマメができたのか、ずっと痛んでいる。このあたりからはまた風景が変わってきて平原が広がっている。しばらく歩くとまた小さな山が正面に見えてくる。勘弁してくれよもう。ヒーコラ峠を越えると、こどもたちの声が聴こえてくる。そこは米須団地という場所で、中学生くらいのこどもたちが野球をして遊んでいた。こんな狭い公園で野球なんて。そう思ってよく見ると、公園の隣に広がる駐車場を外野に見立てているらしく、駐車場には野手が3人立っている。オコエ瑠偉を彷彿とさせるすらっとした男の子がヒットを放った。

f:id:hashimototomofumi:20160622175400j:image

 この団地を抜けると、ひめゆりの塔に出た。ひめゆり平和祈念資料館はもう閉館してしまっており、見学客の姿は見かけないが、そのかわりに作業員の人たちがいる。ひめゆりの塔の前にはテントが張られ、パイプ椅子が並べられているところだ。明日の慰霊の日には、ここでも式典が開催されるのだろう。ここにあった伊原第三外科壕に撤退してきたひめゆり学徒隊は、6月18日の夜、解散命令を下される。「今日からは自らの判断で行動するように」と言い渡されたのである。

 動揺する生徒たちに、教師は「安全な場所を探して、ひとりでも多く生き延びなさい」と伝える。しかし、安全な場所と言われても、壕の外は砲弾が飛び交っている。なかなか外に出ることができずにいるうちに朝となり、第三外科壕が米軍の攻撃を受ける。その結果、壕にいた96名のうち86名がここで亡くなってしまう。他の壕にいた人たちも、突然の解散命令に戸惑っていたという。ひめゆり平和祈念資料館の図録には、伊原第一外科壕にいた上原当美子さんの証言が収録されている。数日前にひめゆり平和祈念資料館を見学したときの日記に、「当美ちゃん、脚がないよ」と言ってなくなった方のことが印象に残ったと書いた。この上原当美子さんこそ、その女性が語りかけていた相手だ。

 軍の解散は皆がしーんとしてから先生が伝えました。信じられず、ぼーっとしていました。今までは先生も友達も一緒だし、それに軍とも一緒ですから、まだ心強かったのです。解散といきなり言われ、力の抜けたこと。理由を聞く人もいません。皆ただ丸くしゃがみこんで、声にこそ出しませんでしたが、涙をぼろぼろ流していました。

 「これからは個別で、また小さなグループで行動し安全な所を探して行きなさい」と言っていますが、いまさらすぐ出て行けと言われても、壕は的に囲まれているのです。一刻を争う非常に危険な状態になっています。

 結局、南の方以外に行くところはありませんでした。蜘蛛の子を散らすように壕を脱出し、みんな山城方向に向かって走りました。


f:id:hashimototomofumi:20160622180010j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622180106j:image

 時刻はもう18時になろうとしていた。このあと宿に移動するバスの時間が迫っていることもあり、走って海を目指す。ここまで5時間近く歩いてきたのに、まだ走る体力があったことに自分でも驚く。ひめゆりの塔を越えると再び風景が変わり、サトウキビ畑が広がる。空をパラグライダーが飛んでいる。途中で電球に囲まれた畑が見えた。真夜中に喜屋武岬を目指したとき、何度となく目にした電球だ。あの電球の灯りで何を育てているのか、今まではクルマで通り過ぎていたからわからなかったが、ちょうど農家の男性がいたので聞くことができた。そこで育てられているのは菊だった。夜に電球で照らすことで、開花時期を調整するのだという。

f:id:hashimototomofumi:20160622180523j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622182528j:image

 ダンプ出入り口と書かれた場所に入り、草原に出る。そこを走り抜けると、荒崎海岸の入り口の前に出た。荒崎海岸はゴツゴツした岩で覆われている。波の音が絶え間なく聴こえている。岩の突端を感じながらよろよろ歩くと、ひめゆり学徒隊散華の跡が見えてきた。病院壕を出発して6時間、ようやくたどり着く。碑の前には杖をついた壮年の男性がひとり、手を合わせていた。金と銀の紙で折られた千羽鶴が捧げられているが、これはこの男性が置いたものではなく、もう少し前に置かれたものだろう。

f:id:hashimototomofumi:20160622183234j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622183351j:image

 敵はアダン林を火炎放射器で焼き、隠れた人たちをいぶり出していました。私たちは平良松四郎先生にとりすがって海岸を逃げ回っていました。グループはもう12名になっていました。敵艦はすぐ近くまで寄って来て、マイクで「米軍が保護する。早く船に乗りなさい。泳げない者は昼間のうちに港川の方向に歩きなさい。夜は歩くな」と言っていました。顔も見えるんです。恐怖で震えました。火炎放射の火は迫るし、生きた心地もしません。

 それから後は喜屋武岬の海岸を潮が引いたら歩き、満ちたら蟹のように岸壁にへばりついて逃げていたんです。岸壁の下はすごい波しぶきでした。怖かったですよ。精も根もつき果てた私たちは、もう皆で自決しようと話し合っていました。特に3年生は、「平良先生、今のうちに死にましょう」と苛立っていました。「早くやりましょう。先生」と先生を追い詰めているんですね。


 ひめゆり平和祈念資料館の図録に収録されたこの証言は、第32軍司令部経理部に勤務していた宮城喜久子さんのものだ。手榴弾を手に歩く彼女たちは、「もう最期だから、歌を歌おうよ」といって、海に向かって「ふるさと」を歌ったのだという。そうして6月21日を迎える。その朝は砲撃がぱったり途絶えていたが、米軍の艦船は海に並んでおり、不気味な静かさに包まれていたという。宮城さんを含む12名は岩穴に隠れていたが、宮城さんと比嘉初枝さん、それに平良先生は入りきれず、岩にもたれかかって休んでいた。

 その時です。突然私の所に血だらけの兵隊が転がり込んできたんです。米兵に手榴弾を投げつけたため、逆にやられてこちらに逃げ込んできたのです。「敵だ」と言う叫び声が起こると同時に、平良先生が反射的に9名いる穴の方へ飛び込んでしまったんですよ。私と比嘉初枝さん2人は、すぐ隣の穴に倒れるように逃げ込んだのです。与那嶺松助先生のグループがそこにいました。ほとんど同時でした。


 米兵が駆け込んできたことを知った瞬間に、穴で休んでいた9名は手榴弾のピンを抜いていた。平良先生はそこへ飛び込み、9名と一緒に亡くなってしまった。反射的に反対方向へ飛んだ宮城さんと比嘉さんの二人は生き延びた。そうして10名が自決したのが、このひめゆり学徒隊散華の跡の碑が立つ場所だ。

f:id:hashimototomofumi:20160622183839j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622183528j:image

 歩き始める前からわかっていたことだけれども、歩いたところで何がわかるというわけでもなかった。別に彼女たちとまったく同じルートを歩いたわけでもなければ、同じルートであってもまったく状況は違っている。想像することはできるのだけれども、それはすべて想像に過ぎない。ただ、一つだけわかったことがある。伊原の壕から荒崎海岸までは、歩いても30分ほどの距離だ。こんなにも狭い範囲で、大勢の人が逃げ惑い、命を落としたのだ。3月23日に動員されてから解散命令を受けるまでのあいだに亡くなったひめゆり学徒隊は19名だが、解散命令後のわずか数日で100名を超す人が亡くなっている。波の音と、パラグライダーのプロペラの音を聴きながら、しばらく海を眺めていた。

f:id:hashimototomofumi:20160622190531j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622190910j:image

 ひめゆりの塔の近くまで引き返して玉泉洞糸満線のバスに乗り、向陽高校前で下車する。ここでバスを乗り換えだ。しばらく時間があるので、すぐ近くにあるファミリーマートでオリオンビールを買って2本飲んだ。コンビニを見かけるのはずいぶん久しぶりだ。ここから東風平経由百名線に乗って、終点の百名バスターミナルに到着する頃にはとっぷりと日が暮れている。バスターミナルといっても、ちょっとした営業所があるだけだ。街灯がないわけではないけれど、道路はかなり暗くなっている。ここから宿まで、20分歩かなければならなかった。

f:id:hashimototomofumi:20160622204508j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622204708j:image

 クルマも通らず、ずいぶん心細い気持ちになるが、歩かなければいつまで経っても宿にはたどり着けない。おそるおそる歩いて行くと、新原の集落が見えてくる。みーばるビーチのすぐそばにある小さな集落だ。家の中には灯りがついているが、何も音は聴こえてこない。窓は網戸になっており、家の中の様子がうかがえるのだが、テレビをつけるでもなく、椅子に座ってただ佇んでいる人の姿が見えた。この集落の端に、僕が今晩宿泊するペンションがある。先に料金の支払いを済ませて、部屋に案内してもらう。今日は僕以外に宿泊客はいないという。

 シャワーを浴びて、自動販売機で買ったビールを手にビーチに出てみる。時刻はもう22時を過ぎており、ビーチには誰の姿も見えなかった。夜にこのビーチを訪れるのは3度目だ。最初に訪れたときはひとりではなかったから、そこまで怖いと感じることはなかった。しかし、今年の3月に一人で再訪したときは、新月だったということもあって真っ暗で、おそろしく、すぐにクルマに戻ってビーチをあとにしたのを覚えている。今日は新月ではないけれど、それでも暗く感じる。ただ、不思議と恐怖を感じることはなかった。歩いてここまでやってきたからだろうか。小さなボリュームで音楽を流しながら、30分ほど海を眺めていた。

f:id:hashimototomofumi:20160622223305j:image

f:id:hashimototomofumi:20160622221651j:image


                 ・

                 ・

                 ・
 
f:id:hashimototomofumi:20160625144219j:image

『まえのひを再訪する』
著・橋本倫史 発行・HB編集部
四六判 210頁 2016年7月1日発行
通販の予約はこちら→http://hb-books.net/items/576342da41f8e86bbc007f26