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日記

2013-01-27

 8時半に起きる。少し急いで支度を済ませ、知人と二人、池袋東京芸術劇場の向かいのマクドナルドへと急いだ。約束の9時半に少し遅れてしまったけれど、僕たちは二番乗りだった。先に着いていた北川さんのあとに続いて朝マックを購入し、路上で食べているうちに全員集まってくる。今日は快快周辺の7名でいわきまでドライブである。
 
 首都高常磐道もスムーズに流れていた。途中、友部サービスエリアで休憩したところで、僕が助手席に座ることになった。「じゃあ、もふ(僕)がDJで」と言うと、知人が「もふに任せたらフォークばっかになっちゃう」と言った。僕はフォークが好きだという意識はないのでピンとこなかった。
 
 いわき総合高校にはちょうど3時間ほどで到着した。クルマを駐車して受付に向かうと、いしいみちこ先生がいて、快快の女性陣(北川さん、大道寺さん、それに知人)は抱き合って再会を喜んでいる。開演は14時なので待合室が用意されていて、そこには温かい飲み物や毛布が置いてあった。テーブルには地質調査に用いされた土が並んでいる。次第に待合室は混み合ってきたので僕は廊下に出て、北校舎を眺めていた。僕はこの学校にきて、時間を持て余したときはいつも北校舎を眺めている。今は最初に訪れたときと違って、今は立ち入り禁止になったその校舎の1階には、桜の木の絵が描かれていた。あんな絵、前にきたときはあったかなあ。ぼんやり思った。
 
 しばらく経つと、廊下にも人が溢れてきた。僕は仕方なしに校舎の外に出てぶらついた。こうして居場所がなくてぶらつくのも、これが初めてではない。今日の公演は学校のグラウンドで行われるので、寒くなるだろうとニット帽を探しにきたのだが、取り扱いはなかった。行き帰りの道すがらに、ブルーシートの掛かった家があった。そうだ、いわきに来るたび地震の跡を見てハッとさせられているのだった。そうそう、最初にいわきを訪れたときは地震の起こる2ヶ月前のことだったが、その後に訪れたとき、北校舎の向こうにある斜面はブルーシートで覆われていた。そういえば、さっき眺めた斜面はブルーシートに覆われていなかった気がする。
 
 14時、飴屋法水いわき総合高校「ブルーシート」開演。いわき総合高校の芸術・表現系列に所属し、演劇の授業を選択した学生は、2年次に学校でアトリエ公演を、3年次に劇場で卒業公演を行う。この2年次のアトリエ公演は今年で10回目。毎年、演出家を招いて一緒に作品を作る(最低限の条件として、学生を全員を舞台に挙げることというのがあるらしい)。今年の演出家は飴屋法水、去年はマームとジプシーの藤田貴大、一昨年が快快だったのだ。そしてこの2年次のアトリエ公演は、予算の問題から、今回の公演が最後になってしまうそうである。
 
 開場時間より少し遅れて、会場であるグラウンドに向かった。端のほうの席に座ろうかと思ったけれど、客席の最後列の中央に音響ブースがあるのを見て、その隣に座ることに決めた(飴屋さんが音響をする姿も含めて公演を観てみたかったのだ)。配置されたセットと並べられた10脚の椅子、そしてずうっと広がるグラウンドを観ただけでもう胸を打たれてしまう。
 
 開演時間になると、まずは校長先生による挨拶が始まった。あとで知人は「挨拶で校長が今日の線量を発表してたのが驚いた」と言っていた。その校長の挨拶が終わるのを待たずに、出演者のひとりが登場し、ニヤつきながら校長先生の周りをぶらつき始める。そう、挨拶の段階からもう「ブルーシート」という作品は始まっていたのである。
 
 校長先生が挨拶を終えて立ち去ると、その女の子のケータイが鳴り始める。どうやら前に付き合っていたか、告白された男の子からのようで、「もう電話してこないでっつったじゃん」と、この地方のイントネーションで語り始める。「もうケー番もアドレスも消しといて」と。電話しているところに、他の学生たちが登場する。そして点呼を始める。並んでいるのは10人だが、その横に人体模型があり、10番目に立つ、一風変わった男の子が続けざまに「11!」と(その数字を)カウントする。何で余分にカウントするんだと同級生に怒られると、彼はその人体模型のぶんだと弁明する。そしてまた点呼を始めると、ひとり、またひとりと点呼が抜けていく。抜けた人間の数字を詰めることなく、「いち! ……………よん! ご! ……なな! ……きゅう!」といったふうに点呼がされていく。このシーンを観ているだけでもう、感極まりそうになってしまった。
 
 細かい流れを書いていたらとても時間がかかてしまうので、印象に残った場面、場面を抜き出していく。
 
 あるシーン。
 
 男の子は原っぱで、人間だか、動物だか、男なのか女なのか、生きてるのか死んでいるのか、あるいはそれ以前なのかわからない何かと出くわす。声をかけると、それは反応した(このあたりのシーンは「せんだいメディアテーク」での志賀理江子さんの展示を少し思い出した、そういえば飴屋さんは、いわきの高校生たちと作品づくりに入る直前に志賀さんの「螺旋海岸」をもう一度観に行っていた)。横たわっていた、人だと、女の子だと判明したそれは語り出す。セイタカアワダチソウに隠れていると、この世からいなくなったように感じられる、と(大意――というかこの日記はすべておぼろげ)。そして、そこに横たわっていると、校舎の向こうの斜面に掛かったブルーシートが見えた、と。ブルーシートが青色なのは、空や海の色を映したような色だからだと聞いたことがある――そう言われて見上げてみると、真っ青な空が広がっている。
 
 あるシーン。
 
 生徒たちがブルーシートを持って現れ、それをぶわっと広げ、端に土嚢を置いていく。そしてそれを家に見立てて、女の子が語りだす。私はもうここに戻ることはないのだろう、と女の子は言う。ギターを弾いていた女の子は、一瞬にしてブルーシートの青に包まれ、皆の手で包まれていく。もちろん、覚悟を持ってシーンを作っているのはわかるのだが、書いていてもウッとなりそうだ。
 
 あるシーン。
 
 生徒たちが教室に座っている。ある女の子が突然ある男の子の誕生日を祝う。男の子は呆気にとられ、「今日、誕生日じゃないんだけど」と言う。散らかった空気にも負けず、女の子は男の子に告白をする。男の子は断る。だって俺、お前のことよく知らないし、と。じゃあじゃあ、知らないまま付き合ってください、と女の子は再度言う。繰り返しているうちに男の子は「ああもう、腹立ってきた!」と憤る。女の子は引き下がらない。だって自分のことだってよくわからないし、自分が自分のことをよくわからないのと、私が××君のことをよく知らないのは同じくらいじゃない? 私と××君は、よく知らないまま付き合って、よくわからないまま結婚して――と、先にハートのついた棒を男の子に差し出したまま、女の子は上手のほうに――上手というか、グラウンドを抜けて仮設校舎の脇のほうにまで後ずさりしていく。男の子は現在の地点に置いてけぼりされたまま、女の子はどんどん未来のことを考えていく。
 
 あるシーン。
 
 ある女の子は、黒色の犬(猫?)と白色の犬(猫?)を混ぜたら灰色のが生まれると思ったんだけどそうならなかったという話をする。別の子がそんなの当たり前じゃんとツッコミを入れる。が、女の子は反論する。だって、白い肌の人間と黒い肌の人間がこどもを生んだら、混ざり合うじゃん、と。「混ざり合う」。でもでも、と別の子が言う。だとしたら、全然違う趣味(とは言わなかったと思うけど)を持った親同士から生まれたこどもは大変だよね、と。
 
 あるシーン。
 
 冒頭に出てきた女の子がひとりで立っている。そこにまた電話が掛かってくる。「だから、消してって言ったじゃん」と女の子は繰り返す。そして「あんたと混ざり合いたいとは思わないの」と(いうような意味のことを)言う。「ごめん、今のは違った」と、すぐに女の子は言い直す。「私は、混ざり合う自信がないの」と。
 
 さっき告白をしていた女の子と対照的な彼女の言葉に、なんだかもう、僕は突き落とされたような気持ちになる。
 
 このシーンを観ているとき、思い出したことがある。
 
 うちには知人が持ってきた食器がいくつかある。本人には言わないが、それはなかなか良い器なので僕はいつも勝手に使っていたのだが、知人からその器についての話を聞いて以来、なかなか使えなくなってしまった。話、といっても、別に何か謂れがあるとか、その類いの話ではなく、もっと単純な話だ。その器は萩焼だった(知人は山口県出身)。萩焼には、細かいヒビのような模様が入っている。あるとき、そのヒビを眺めていた知人が「良い色になってきた」と言った。どうやら萩焼に入っているそのヒビのような模様には、コーヒーの色や茶渋がしみ込んでいき、模様が濃くなっていくのだという。そんな器を、しかも同居しているとはいえ他人の器を使ってコーヒーを飲むのが急におそろしくなって、ホットミルクや水を飲むときぐらいにしか使わなくなってしまったのだった。
 
 別に、作品が観客に希望をもたらす必要もないのだろうけれど、女の子がケータイで話しているシーンを観ていると、少し俯き加減になってしまう。
 
 あるシーン。
 
 10人の高校生が並び、端から順々にじゃんけんをしていく。上手側に座る子は下手側に座る子に勝つ。買った子がさらに上手側にいる子とじゃんけんをすると、さらに上手側に座っていた子が勝つ。それを一巡繰り返したところで、ある子が「今のじゃんけんで勝った人!」と言うと、全員が手を挙げる。「負けた人!」と言うと、また全員が手を挙げる。質問が「進学したい人!」「就職したい人!」「卒業したらいわきを出たい人!」「ずっといわきにいたい人!」と変わっていくと、学生たちが分断されていく。「微妙なう」と答える学生もいる。「10キロ圏内に住んでた人!」「30キロ圏内に住んでた人!」としばらく質問は続いていく。
 
 あるシーン。
 
 生徒たちは椅子取りゲームをしている。椅子は一つずつ減っていき、押し出された子が笛を吹き、また一つ減らされる。和気藹々とゲームは進み、最後の二人になり、最後の笛が吹かれたところで急に生徒たちはハケていく。二人の男の子が残る。自分がまだ胎内にいた頃に大きな地震があったということは、話としては知っていて、人がたくさん死んだということも話としては知っている。受験の2日前(?)に地震があって、たくさんの人が死に、入学式は延期された――そう語っていた男の子はステップを刻む。もう一人残った男の子は、椅子を集めて積み上げていく。途中で椅子は崩れたが、崩れた上にまた重ねていき、最後に残った椅子に座り、踊る男の子を眺める。そのまなざしは、踊る男の子を応援するふうでもなく、見守るというふうでもなく、見下しているというふうでもなく、それ以前のまなざしでただただ見ている。男の子のステップは激しくなる。そこで何か台詞があったはずだが、細かいところは忘れてしまった。とにかく、最後にその男の子は「逃げて、逃げて、外へ、逃げて」と、叫ぶように何度も何度も繰り返した。走るようにその場でステップを刻みながら、何度も何度も叫んだ。その姿に、何か生命そのものを見せつけられたような感覚になった。いわきにきてよかった、と思った。
 
 最後のシーン。
 
 踊る男の子の向こうに、高校生たちがひとりひとり戻ってきて並び、自分の点呼の番号を言う。全員並ぶと、楽しそうに高校生たちは並んだままグラウンドの向こうへと歩き出す。下校していく高校生の姿。一人残った女の子が語る。「わたしがいなくなったあとの世界のことを想像する」という台詞が印象に残る。最後の台詞を言い終わると、女の子も他の高校生のあとを追いかける。遠くまで歩いていった高校生たちは客席に振り返り、「おーい!」と呼びかける。「お前は鳥か?」と。そしてもう一度「おーい!」と呼びかけ、「お前は人間か?」と問いかける。そしてまた向こうに歩いていく。それを見届けると、音響のブースに座っていた飴屋さんはいそいそと客席の前に出て、深々とおじぎをする。飴屋さんが呼びかけると、高校生たちは走って戻ってくる。最後に飴屋さんが高校生たちの名前を一人ずつ紹介して、「ブルーシート」は終わった。
 
 終演後は待合室に戻った。皆とは少し離れた場所に座り、黙って俯いていた。僕はこの作品について何か言える気がしなくって、ただただ打ちひしがれていた。作品というのはすごいなあ。飴屋さんはこの場所で、この場所の人たちと関わり、作品を作ったのだ。こんなものを作られてしまったら、文章を書きたいと思っている僕に、何が出来るのだろう。
 
 帰り道、助手席に座ったところで困ってしまった。一体何を流せばいいんだろう。迷った挙げ句にケミカルブラザーズを流すと、「これが今のもふの心の中か」と後ろの席から声がした。
 
 皆でステーキを食べたのち、東京へと戻った。クルマでいわきから東京まで戻るのは5回目くらいだ。戻るのはいつも夜だ。夜の常磐道は真っ暗で景色は見えない。今日は日曜日なので走っているクルマもほとんど見かけない。月だけが煌煌と輝いている。友部サービスエリアを過ぎたあたりから、ようやく両サイドに町の灯りがポツポツと見え始める。三郷を過ぎ、首都高速に入るとトンネルの形が変わる。小菅ジャンクションを千住新橋方面に曲ると、左手に東京の街並みがずうっと広がっている。一番手前には荒川があり、道路沿いに等間隔に並んだ街灯のあかりが、点ではなく線で川面に映っている。似たようなビルやマンションの灯りがずうっと向こうまで続いていて、小さく東京タワーが見えている。普段は別に何てことない街だと思って暮らしているけれど、この景色を観るたび、東京が好きだと思う。

 21時半に池袋に到着し、皆と別れ、知人とふたりで「ふくろ」に入ろうとした。が、もうラストオーダーが終わっていたので、近くにある「プロント」でビールを2杯だけ飲んだ。飲みながら、「ブルーシート」を観ながら思い出していた萩焼の話をした。知人は「何でよ。一緒に使えばいいじゃん」とあっけらかんとしていた。そんなもんかと思いながら会計を済ませると、歩いて帰宅した。歩きながら僕は前野健太の歌を口ずさんでいた。アパートに戻っても、お酒を飲みながらまた音楽を聴いた。言われてみれば、こうして流している曲は、ざっくり分けるとフォークばかりだ。
 
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