伊達にて

 札幌と函館を結ぶ特急スーパー北斗8号の指定席は完売していて、自由席もぎゅうぎゅうに混み合っていた。この電車に乗るのは3年振りで、たしかそのときもデッキに立っていた記憶が残っている。3年前と同じ、伊達紋別という駅で電車を降りる。あのときは冬だったから、今と景色がずいぶん違っている。そのせいか、本当に自分がこの駅を訪れたことがあるのかどうかもおぼつかない。

 駅構内には「だて おもしろMAP」というのが貼り出してある。温泉やゴルフ場、ホースランドなど、観光客向けのスポットが書き込まれている。駅前には小さく「飲食店街」「グルメ街道」も描いてある、メロン街道なんてのもある。教会が少し多いかもしれない。街を結ぶ鉄道は、海に沿って走っている。

 この街を訪れたのは、マームとジプシー「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと--------」伊達公演を観るためだ。

 冒頭、舞台の下手から吉田聡子と成田亜佑美の二人が登場する。後ろに吊るされたシルクスクリーンには、BRIOの木製レールウェイが映し出されている。吉田聡子が模型の中にある汽車のスイッチを入れて走らせる、観ているこちらはそれがライブカメラの映像であることに気づかされる。

「汽車は、海に沿って、走って、いく。わたしんち。わたしんちが見える。トンネルを抜けると、牧場が見えてくる。駅。駅から先に、何があるかは、わからない。」

 舞台の手前には、六角形の回転装置がある。舞台用語では「盆」というらしい。出演者達はステージに登場すると盆の上に乗り、それを男優が人力で回転させ、またハケてゆく。後ろに映し出されている鉄道模型のように、レールを交差して行き交ってゆく。その風景は街そのものである。

 「SCENE #1 STATION FRONT」という文字がモニターに映し出される。盆の上に、2人の女性が傘をさしたまま腰掛けている。“ゆり”と“かな”、二人は姉妹だ。

「遅いねー。え、着く時間って連絡してたんだよね?」

「してたって、だから。何回聞くの。してたから待ってんでしょ、今。バカなの?」

「最近毎日雨だね」

「そりゃそうでしょ、そういう季節だから。初夏だよ、初夏。季節には敏感になったほうがいいよ」

「ゆりちゃんのそういう感じって嫌いだからね」

「はあ? どういう感じのこと言ってんの」

 二人の不機嫌な会話の後ろでシンプルなビートが刻まれている、二人の後ろを行き交う人たちの姿とあいまって、グルーヴの胎動のようなものを感じさせる。“ゆり”と“かな”が佇んでいるのは現在の駅前だが、後ろを行き交う人たちの姿というのは、過去に駅前を行き交った人々の亡霊のような存在だ。昨日、駅前で待ち合わせていた“かえで”と“としろう”。いつだか駅前でつまづいてしまった“ふみ”。駅員に放置自転車を注意される“すいれん”。20年前にこの街を出て行った日の“りり”。過去の亡霊は少しずつ歪んでもいる。“すいれん”を注意する駅員は、シーンが繰り返されるたびに違う男優が演じている。

 「SCENE #2 LIVING ROOM -MORNING-」になると、いよいよビートは会話と相まってグルーヴを生み始める。役者の会話によって生まれるグルーヴだ。以前、『サイゾー』誌上で行ったインタビューに、藤田貴大はこう答えている。

「僕はナンバーガールを聴いて育った世代なんですけど、最近はずっとZAZEN BOYSを聴いてるんですよ。ZAZENの音楽って、音としては繰り返されるリフがあって、その上に向井(秀徳)さんが言葉をフロウさせることでグルーヴが生まれてるんですよね。そういうことが演劇でも可能なんじゃないかと思うんです。しかもそれを、役者と役者の会話でグルーヴを作れないかな、って」

 まさにそうしたグルーヴを目指した会話が、SCENE #2で繰り広げられているわけだ。会話だけではない、生活音であるとか、役者の動きもグルーヴを増す役割を果たしている。短い場面と場面のあいだで、役者達はバタバタと前転したり側転したりしてシーンを繋いでいるし、伊東茄那と川崎ゆり子の二人が、黒子のようにして小道具を差し出すドタバタ感もまた良い効果を果たしている。彼女達は、綿棒を、新聞を、青竹踏みを、孫の手を、コロコロを、ハエたたきを、トレーニング用のチューブを、漬け物を、カンカン三線を、仏壇のチーンと鳴らすやつを、役者達に差し出している。また、あるときは壁と化してカレンダーを持っていたり、盆が回転するときには電話機を持ってぐるぐるまわったりもする。

 こうしたドタバタ感は、当然意図的に演出されたものだ。それは「ハリボテ感」を出すためだと、6月15日のアフタートークで藤田貴大は語っていた。

「僕は家族モノってことに対してすごく思うところがあって。家族モノと呼ばれるものは家族じゃない人たちが演じるわけだから、ハリボテなわけですよね。今回一番やりたかったのはそのハリボテ感みたいなところがあって、別に小道具をそんなにしゃかりきに運んでこなくたっていいわけですよ。僕は、今日役者をしてた皆さんの家庭のことは全然知らないし、『僕の家族はこういう家族なんだよ』ってことを僕がどんだけ紹介しても、皆は僕の家族ではないから、それは伝わらないじゃないですか。だから、家族モノって究極的には不可能なんじゃないかってことをすごく考えていて」

 ハリボテであることに対する違和感は、コミカルな演出として舞台にあらわれている。他人の家で無心にコロコロでカーペットを掃除し続けているご近所さんであるとか、近所の畑の手入れをしている人であるといった典型的なキャラクターをあえて登場させているのも、そういった要因があるのかもしれない。あるいは「洗濯バサミを外に干しっぱなしにすると割れる」だとか、「テレビに話しかけてしまう」だとか、「靴下を丸めたまま洗ってしまう」だとか、あるあるネタが盛り込まれてもいる。そうしたハリボテ感は、何かこう、キュートさを生み出してもいる。

 そのキュートさを強く感じるのは食事のシーンだ。

 お昼ごはんのそうめんが運ばれてくると――このシーンでは本物のそうめんが運ばれてきて、役者達は実際にそうめんをすすり始めるのだが――真っ先に“ゆり”が箸を手に取る。それに気づいた“さとこ”が声を張り上げて言う。

「はあ? ちょっと待って、その箸、私のなんだけど」

「いや、ごめん」と謝る“ゆり”。

「このあと使いたくないんだけど。オクラのネバネバとか、洗っても取れてないときあるからね?」

「じゃ、いいよ。私の箸とか、わかんないじゃん。え、この箸ならいいの?」

「いいんじゃない、それは。来客用だから。昨日、暑中見舞い持って来たおじさんが使ってたけどね」

「はあー?」

 二人のギスギスした会話に、「え、この箸はいーい?」と“かな”が無邪気に入ってくる。ご近所さんの“ふみ”が「ごはんもあるからね」と言うと、“さとこ”は敏感に反応する。

「え、ごはん?」「ごはんはないでしょ」

「え、それどういう意味?」と、“さとこ”と折り合いの悪い“ゆり”が返す。

「そのまんまの意味だよ。炭水化物食べて炭水化物食べたら、ただのデブじゃん。デブってモテないからね? 聞きたかったんだけど、告白とかされたことある? 超なさそうなんだけど」

 二人が張り合っていることに気づいた母親の“りり”が「いい加減にしなさい」と諌めるが、“さとこ”は「うっせ、コミュニケーション取ってんだって」と取り合わない(つくづく思うけれど、藤田貴大という演劇作家は、誰かを罵倒したり、不機嫌な人が発する言葉の切れ味がいい)。周りの大人がいくら場を和ませようとしても、“さとこ”は「だとしてもごはんはないでしょ」と納得が行かない様子でいる。それでも“かな”はめげずに、「ごはんあるの? え、バターもある? 私、バターごはんにしたいんだけど」と語るが、そのことが火に油を注ぐ結果を招く。

「バターごはん? え、どういうこと、それ」

「ごはんの真ん中に穴を空けて、バター落として醤油入れるだけなんだけど、おいしいんだよ」

「そうは思えないけど」

「しかもそのバターごはんを海苔で包んで食べたら、さらに美味しいんだよ!」

 嬉しそうに語る“かな”に一瞥をくれることもなく、“さとこ”は「デブだね」と吐き捨てるように言う。その直前までにこにこしていた“かな”が、瞬時にショックを受けた顔になる。その愕然とした表情が、妙に愛くるしくも見える。

 こうしたキュートさ(?)は、今作において随所にあらわれている。

 従姉妹がやってきた直後、少し面白くないのかペランと新聞紙を撫でている“さとこ”。ぐるぐると食卓をまわるとき、いつも一人だけキビキビと手を振って歩く“すいれん”。「SCENE #3 -AFTERNOON-」で、足をぐるぐるさせている“ゆり”。そしてその足から目が離せなくなっている“かな”――そうした人物造形のキュートさは、それを演じている役者自身のパーソナリティとも関係しているのかもしれない。


 
 そんなことを考えているときに思い浮かべるのが、“ごはん会”のことだ。

 この「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと--------」という作品の稽古が始まった頃に、マームとジプシーの稽古場では何度か“ごはん会”が催された。もちろん、打ち上げやら何やらで一緒に食事をする機会はこれまで何度となくあっただろうけれど、皆で餃子を包んで焼いて食べたり、皆で具材を準備して手巻き寿司を食べたり――そうして食卓を囲むということは、飲み会等とはまた違った意味を持つ。

 とりわけ印象深かったのは、役者の皆が、それぞれの食卓で一番なじみのあるメニューを再現したときのごはん会だ。

○しょうが焼き(伊東茄那)
○なすとピーマンのみそ炒め(川崎ゆり子)
豚キムチ(石井亮介)
○煮物(斎藤章子)
○卵入りハンバーグのトマト煮(召田実子)
○サバのみそ煮(荻原綾)
○桜エビと万能ネギの卵焼き(尾野島慎太朗)
○そぼろのたまごとじ、肉豆腐(中島広隆)
○けんちゃん、なすびの唐揚げ、しゅう平汁(成田亜佑美
○チクワ串(波佐谷聡)
○じゃがいもとチーズの重ね焼き(吉田聡子)

 こうして書き出してみると、本当に千差万別だとわかる。もちろん、僕は皆がどんな家庭に育ったのかはわからないけれど、その手触りはどこか感じられるように思う。姉妹を演じている川崎ゆり子と伊東茄那はごはんが進むメニューであるのに対し、「デブだね」と言い放つ吉田聡子が用意したメニューはごはんには合わなそうなメニューだ。とはいえ、他のメニューの大半がごはんに合うメニューであるにも関わらず、吉田聡子は茶碗にひとかけらぐらいしかごはんをよそわなかったのが印象的だ。

 だから劇中でそんなシーンが生まれた――かどうかまではわからないけれど、いずれにしても、藤田貴大は“ごはん会”の様子を眺めながら、劇作のことを考えているようだった。作品で扱われるモチーフやテーマは藤田貴大の頭の中に、記憶の中にあるものであるにしても、作品世界は内側に向かって閉じておらず、外に開かれているのだという印象を抱いた。

 ところで、このごはん会には僕も何度かお呼ばれしたのだけれど、誰かの家の食卓に混ぜてもらっているような緊張感を少し感じていた。この「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと--------」の登場人物で言えば、知らない人の家で一緒に食卓を囲むことになった旅人“あんこ”のような存在だ。

 食卓を囲む数時間前、“あんこ”は道を歩いている。スクリーンには「ROUTE 37」とある、そこは国道37号線だ。

「駅からここまで、私は歩いてきた。それで私は今、コンビニエンスストアの前を通り過ぎようとして、いる。」「コンビニエンスストアを通り過ぎたあたりで、はたしてこれは本当に、このまま行って、海にたどり着けるかどうか、不安になってきたので、すれ違う人に聞いてみた」

 この日、3年振りに伊達を訪れた僕は、ホテルに荷物だけ預けて、“あんこ”と同様、海を目指してみることにした。ただ、さすがに徒歩はつらそうなので、リサイクルショップで折りたたみ式の自転車を中古で購入し(この自転車は伊達を去る日に同じ店に売るつもり)、37号線を東へ向かって走り出した。駅の近くには大型店がいくつか並んでいたけれど、少し走るとのどかな風景が広がっている。北海道と聞いてイメージするような、広々とした田園風景だ。干し草をくるくるまるめたやつも転がっている。そんな風景を横目に、最初のうちは気分良く歩いていたものの、15分走っても30分走っても同じ風景が続くと、感動も次第に薄れてくる。折りたたみ式の自転車は、漕いでも漕いでも前に進まない。旅人の“あんこ”がすれ違う人に「歩きで行きたいんすよ」と訊ねて、「バカにしてんのか」と怒られたシーンのことが頭をよぎる。

「なんで海に行きたいの」

「なんでかな、何かあると思って海に」

「このへんじゃ、海に行きたがる人なんて誰もいないから」

「なんでですか?」

「遊びじゃないから、住んでる人にとっては」

「はい」

「それでも行きたい感じで?」

「はい、行きたいです」

「じゃあそこの貝塚曲って」

貝塚?」

「そう、貝塚

貝塚?」

貝塚を曲って」

「え、貝塚があるんすか」

「はい、ありますよ」

「え、何のために。今でも使ってるんすか」

「そんなわけないじゃないですか、縄文人が使ってた貝塚ですよ」

「縄文。縄文人って今もまだ――」

「いるわけないじゃないですか。馬鹿にしてるんですか」

「してないですよ」

貝塚曲ってすぐですよ」

「じゃあちょっと行ってみます」

「覚悟して行けよ」

 伊達を出て1時間近く経った頃だろうか、もういい加減ウンザリしてきたところで、標識に「北小金貝塚公園」の文字が見えた。マジか、と、本来の目的を忘れて、貝塚公園に入ってみる。そこはなだらかな丘になっていて、青々とした芝生が広がっていた。その頂上あたりに、うっすら白いモノが見えた。近づいてみると、そこにはホタテの貝殻や動物の骨のようなものが散らばっていた。

 マジで貝塚あったわ――繁々と貝塚を眺めていると、後ろから老人が近づいてきた。どうやらこの公園でボランティアスタッフをしているらしい。

「あの、研究者の方ですか?」

「え?――ああいえ、ちょっと旅行で来てて」

「ああ、そうでしたか。この貝塚はね、復元してるだけなんですよ。本当はウニだとか他の貝なんかがよく出てるんですけどね、この辺じゃウニはあまり獲れないから、代わりにホタテを撒いてるんですよ」

「そうなんですね。そうだ、海ってこの近くにあるんですか?」

「ええ、縄文人はね、本当はこうした丘の上に家を建てて、麓のほうに貝塚を作ってたんですよ。貝塚はね、ゴミ捨て場だと思われてるかもしれないけれど、この貝塚はすぐ隣にお墓があって……」

 30分ほど貝塚について学習したのち、公園を出て海を目指すことにした。線路を超えて少し進むと、そこには本当に海が見えた。ただ、少し私有地のようになった場所を抜けなければ海には出られなかった。漁師の家も多かった。「遊びじゃないから、住んでる人にとっては」という台詞が思い浮かんで、結局海に出ることはできなかった。
 
 

 ホテルに一度戻り、18時からカルチャーセンターでゲネプロを観た。池袋にある東京芸術劇場シアターイーストで何度も目にしていたセットが、北海道の伊達という場所に立ち上がっているというのは、不思議な感覚になる。この大ホールは収容人数が最大で千人を超える巨大な場所だが、ここでも相当繊細に音は鳴らされていた。

 今回の作品に関して印象深いことの一つに、音のことがある。

 ここ3年間で僕が観てきたマームとジプシーの作品では、かなりのボリュームで音楽が流されていた。つい最近の「まえのひ」ツアーでも、途中までは時に台詞をかき消すほどのボリュームで音楽が流されていた。

「普段演劇を観ない人でも、あのボリュームで音楽が流れてたらライブみたいに楽しんでくれるんじゃないかと思ってたんですけど、役者が登場して何かを話した時点で『何が語られるんだろう』ということに意識が集中するから、ちょっと会場のグルーヴが下がる瞬間があったんですよね。わかっていたことではあるけど、演劇っていうものは手軽に楽しめるものじゃないんだ、と肌で感じました」

 これも先ほど引用した『サイゾー』インタビューでの発言だが、今回の作品で大きな音が鳴るのは2ヵ所だ。一つは海に出かけたシーンで波の音が鳴り響き、もう一つは家が取り壊されるシーンで、ドリルのような音が相当な音圧で鳴り響く(あるいは家に見立てられた木の枠が倒されるとき、あえてバタンと音と立てて倒されてもいる)。いずれにしても台詞とはほとんどかぶらないタイミングで流れる音だ。これまでは会話との相乗効果でグルーヴを増すように設計されていたのに比べて、今作では違った響き方をさせている。2つの音は、会話を響かせているというよりも、何かこう、作品自体を響かせているように思える。その音によって、シーンはずばりと切断される。その唐突な切断は何かを示唆しているようにも感じられるし、またこの2つの音のあとのシーンの静けさが際立ってもくる。マームとジプシーはずっと「音」についてこだわってきた劇団ではあるけれど、その作業も、一つ次のステージに踏み入れつつあるのかもしれない。

 音に限らず、マームとジプシーは新たなステージを模索しつつあるように思う。かつては自分たちで衣装を用意していたのが、ここ数作はsuzuki takayukiの衣装が舞台で使われている。「cocoon」や「まえのひ」では音担当にzAkを迎えてもいるし、「cocoon」は今日マチ子の原作をもとにした作品であり、「まえのひ」では、マームとジプシーとしては初めて藤田貴大が一文字もテキストを書かずに作品を発表することになった。そうした作業を通じて、マームとジプシーの世界はどんどん芳醇になりつつある。衣装も、音も、テキストも、動きも、当日パンフレットまで繊細に作り込んであるのに比べて、いつも気になるのは映像のことだ。次、ということを見据えるときには、映像をどうしていくのかということが大きな役割を果たすのではないかという気もする。

 ゲネプロを観終えたあと、藤田さんのご両親と3人で焼き鳥屋に出かけた(こうして書いてみると、あらためて不思議な状況だ)。こちらで「焼き鳥」と注文すると、鶏肉ではなく豚肉が出てくる。僕とお母さんはビールを、お父さんは一杯目から日本酒を飲んでいた。僕は自分の親と一緒にお酒を飲んだことがないから、余計に不思議な気分になった。

 店内には知り合いがいたらしく、お父さんが店員にビールを注文し、それを持って「××先生、これどうぞ」とテーブルに運んでいた。あるいは、お母さんがお店のママさんと話し込んだりもしていた。ご両親が「伊達は小さな街だから」と言っていたことを、しみじみと感じる。街には顔なじみがたくさんいるし、店に入れば店員は見知った人たちなのだ。この小さな街で、藤田貴大という演劇作家は10歳の頃から演劇と関わり、演劇で身を立てるという決意を抱いて、街の期待も一身に背負いながら上京したのだろう。僕は藤田さんが「上京してから、ほとんど実家には帰らなかった」と言っているのを今まで不思議に思って聞いていたけれど、ご両親から色々と話を聞いているうちに、その決意というものが少しだけわかったような気がした。

「あの日、私は汽車の中で、もうあの街には帰れないと思った、帰らないと、決めた」

 劇中でそう語るのは“りり”だ。彼女は20年前に街を出た。しかし舞台では、彼女が家に帰ってくるシーンが描かれている(“りり”の帰郷は、喪失と対になっている)。

 劇中、この家族にとっての喪失が二つ描かれる。一つは、“りり”と“かえで”、それに“すいれん”の父の死だ(家族の外にも広げれば、“としろう”の兄の死も描かれる)。

 今回の「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと--------」という作品は、3年前に上演されて岸田國士戯曲賞を受賞した「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」のリニューアル上演という形で演じられたものだ。ただ、初演時には父の死が1年前として描かれていたのに対し、今作では16年前の出来事に変わっている。それから16年経った今、第二の喪失が訪れる。彼らが生まれ育った実家が取り壊されて道路になることになったのだ。

 家が取り壊されるというモチーフは、三部作ではなく、2012年秋に上演された「ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。」という作品で扱われていたものだ。これは半ば本当にあった話で、藤田貴大の生家が取り壊されて道路になることが決まっていて、「家が取り壊されてなくなるって、どういうことだろう?」と考えるための作品でもあった。この作品を発表した時点ではまだ、家は取り壊されていなかったため、その喪失については「想像してみる」ということしかできないでいたけれど、その後家は本当に取り壊されてしまった。

 そのことについて、アフタートークで藤田はこう語っている。

「物理的に道になった風景を見たときに、「ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。」を三鷹でやったときよりも、良い意味ですごく冷静になったんですよね。そのときは道になってしまうこととか壊されてしまうことが怖かったんですけど、壊されてみたらサッパリした気持ちになっている自分もいたんですよ。そうなってくると家族というものが達観して見えてきて――自分の中でもまだ混乱しているところがあるんですけど、家族っていうのは終わらずに続いていくものじゃないですか。でも、それを舞台の中では終わらせなくちゃいけないっていうことに違和感があって」

 このさっぱりした感じ、あるいは続いていくのだという感覚というのは、今作で随所に感じられる。この作品では3つの世代が登場する。死んでしまった父と、残された“りり”と“かえで”と“すいれん”と、その子供である“さとこ”と“ゆり”と“かな”の3つだ。この一番下の世代の存在は、どんなに喪失を経験しても続いていく家族の光を象徴するものである。そうした意味でも、僕は本当に、食卓のシーンがたまらなく好きだ。

「デブだね」

 炭水化物に炭水化物を組み合わせて食べようとする従姉妹にそう言い放ったあとも、“さとこ”は言葉を続ける。“かな”がバターごはんをしようとしたことに強く反発してこう語る。

「ごはんに何か混ぜるのとか、意味わかんないんだけど」「なんかさ、口の中で混ざるのとかも下品じゃない? 要は想像力の問題だと思うんだよね」

 散々な言われ様に、“ゆり”は箸をじゃりじゃりとこすりながらいじけている。

「なんか……食べる気しなくなってきたんですけど」「なんかさ、さとこちゃんの顔見てたらさ、もうさ。ていうか。むかつくんだけど」

「はあ? 何が、何言ってんの? 食べなよ、食べて大きくなればいいじゃん」

「なんか。食べることによって、今ここにいないお母さんに申し訳ないんですけど。なんかもう、嫌なんですけど。馬鹿にされてるとしか思えないんですけど、うちのこと」

 次第にボルテージの上がってゆき、“ゆり”はあたりにあるものを投げ散らかして大暴れする。そして“さとこ”に言い放つ。

「要は、ごはんって最強なんだよ! ごはんに勝るものを私は知らないね! それをさとこちゃんは否定したんだよ! ごはんのことバカにすんなら、ガム食ってろよ、一生ガム食ってろよ!」

 このシーンが本当に僕は好きだ。何度観ても好きだ。「炭水化物に炭水化物はアリか」「ごはんに何かのせるのはアリか」という、冷静になって考えればささいなことでケンカをしているというファニーさも含めて、大好きだ。それは些細な問題ではあるのだけれども、彼女達にとってはアイデンティティの問題でもある。この「食」というものは、家族と、長い年月のあいだで家族が過ごしていく時間や喪失を考える上で、大きな役割を果たしている。

 “さとこ”はごはんの上に何かのせることを「はしたない」と否定するけれど、その親世代にとってそれは普通のことだった。

「昔は俺らもよくしてたよ。たまごかけとか、納豆がけとか」と“かえで”が言う。

「まあね。でも、しなくなったかな、うちは。でも、かなちゃんのうちはするんだね、バターごはんとか、たまごかけとか」

 変わっていくこともあれば、引き継がれてゆくこともある。大ゲンカのあとのシーンで、“ゆり”が語る。

「なすとさ、ピーマンとさ、ししとうのさ、味噌炒めだけどさ。私、ししとう食べれないんだけどさ」

「ああ、あれ。すいれんもやってる?」と“りり”。

「あれ、ほんと定番だったよね」。“かえで”も口を揃える。

「よく出るよ、うち。私、ししとうも食べれる」と“かな”が得意げに言う。

 あるいは、“りり”と“かえで”と“すいれん”の三人が子供だった頃、何かあると親に連れられていつもラーメンを食べに行っていた。そのことも、どうやら引き継がれているらしい。冒頭、不機嫌そうに“ゆり”と“かな”が駅前に佇んでいるとき、こんな会話が登場する。

「前に来たときはさ、あっちのほうにラーメン屋なかった?」

「知らない、覚えてない」

「もういいわ」

「……あ。あったわ。前に帰る前に、お母さんと三人で入ったところでしょ」

 失われていくものと、続いていくもの。その微妙な違いが、この従姉妹にケンカをさせている。はっきりとは語られないけれど、“さとこ”と、“ゆり”と“かな”の姉妹とでは、育っている環境が違うようでもある。また、“ゆり”と“かな”は父親が違うこともさりげなく語られる。冒頭のシーンで姉妹が仲悪く過ごしているのは、ひょっとしたらそのことと何か関係があるのかもしれない。

 “さとこ”と“ゆり”と“かな”の三人は、従姉妹だ。近しい存在であるはずだ。でも、どんなに近しい存在でもわかり合うことができずに、ケンカばかりしている。でも、どんなに言い合っていても、ケンカをしていても、その時間は一緒に食卓を囲んで過ごしているのだ。

 SCENE #11 BEDROOMでは、三人が川の字になって眠ってもいる。しばらく話したところで、“ゆり”が切り出す。

「お昼ごめんね」

「え。何が」

「コップ割っちゃって」

「いや。別に」

「ずっとこの家にあったコップだったんだね。私は知らないことだらけだな」

 こうしてケンカしたり仲直りしたりしながら、彼女たちは大人になっていく。そこに何か、希望のようなものを感じてしまう。新しい光を感じてしまう。舞台の終盤には、3人が一緒に“かえで”が暮らす街を訪れる描写も登場する。あれだけ相性の悪かった3人が連絡を取り合ってこの街を訪れている。しかも、あんなふうにガムのことを言っていた“ゆり”が、「かなちゃん、ガム持ってる、ガム。私、ガム食べたいんだけど」なんて言ってもいるのだ。

 そういえば、今作にはエピローグが2つある。1つは1年後、家が取り壊されているときのこと。もう1つは2年後、家が道路になってしまったあとの話だ。

 EPILOGUE #1では、今まさに取り壊されている家の前に、“りり”と“かえで”、“すいれん”の3人が集まっている。集まってそんなに時間も経っていないのに、“りり”が切り出す。

「じゃ、帰ろっかな」

「え、もう?」

「待ってるからさ、皆」

「来たばっかじゃん」

「こんなとこにいてもさ。作らなきゃ。新しい家を」

 この台詞は、「ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。」にも登場した台詞だ。こうした前を向いた台詞が、今作では随所に登場する。

 取り壊されている家に向かう直前、“すいれん”は同級生とバッタリ再会する。そこで彼女は「終わるのと始まるのって、ほぼ同時なんだと思うんだよね、でも」と語っている。

 これまで、マームとジプシーの舞台では記憶のことを繰り返し描いてきた。喪失のことを繰り返し描いてきた。振り返るということを繰り返し描いてきた。それに比べて、今回の作品は、新しい一歩を踏み出そうとしている胎動が、随所に感じられる。

 だからこそ――東京公演の初日の昼、ゲネプロを見せてもらったときから、僕にはずっとモヤモヤしたものがあった。

 EPIROGUE #2のラスト、“さとこ”はこう語る。

「この道、この道の先に、何があるかはわからない。わからない。新しい何かが、光が、光が。あるのかも、わからない。でも、私たちは。この道を。この道を――やっぱり私たちは、帰ることができないのかな。どうかな」

 ここで、途中まで前を見据えていた“さとこ”が、急に後ろを振り返ることがどうしても気にかかった。この“さとこ”の言葉を受けて、“かえで”が「帰れるから」と繰り返し語り、それに“さとこ”が「うん。うん」という小さな声で返事をして舞台は終わってゆく。このシーンで終わると、途中感じていた未来への胎動が消えてしまって、後ろを振り返って終わってしまう印象が強くなる。


“かえで”の台詞という観点から考えても、ラストの「帰れるから」という強い言葉よりも、その直前に登場する言葉のほうが印象に残る。

 示し合わせてやってきた3人を迎えにきた“かえで”に、3人は「来てやったんだよ」「早くクルマ出せよクソ野郎」とキツい言葉を浴びせる。“かえで”はにこにこしたまま「もうちょっと大人になってると思ったよ、おじさんは」と語る。照れくさいのか、“ゆり”は「うるさいうるさいうるさいうるさい」と言葉を遮ろうとするけれど、“かえで”は「早く皆とお酒でも飲みたいな」と続ける。舞台の最後に語気を強めて「待ってるから!」「帰れるから!」と言わなくても、このシーンがあるだけで、そのことは伝わってくる気がしていたのだ。

 ただ、伊達での公演を観ると、その印象はずいぶん違うものになっていた。それは、EPIROGUE #2が微妙に変更されていたからだ。

 一つには、ラストシーンのこと。このシーンでは、舞台の手前に(もう取り壊されてしまって今は存在しない)食卓が浮かび上がっていて、そこに“かえで”と“さとこ”が向かい合って立っている。その少し後ろに、“ゆり”と“かな”が座っている。そのさらに後方で、もう基礎だけになってしまった家に佇んで俯いている――過去を振り返っている“りり”がいる。

 この構図の中にあって、“さとこ”も下を俯いた状態で舞台が終わっていた。つまり、暗転して舞台が終わり、再び明転したときに、舞台上にいる人が皆俯いている状態だった。ところが、伊達公演では、“さとこ”は前を向いていた。この印象は、案外大きく僕の中に残った。

 それから、過去を振り返っている“りり”の台詞もまた、少し印象が違っていた。台詞自体は東京公演のときと変わっていないのだが、その語気は強くなっていた。会場が大きくなったぶん声を張っているのかとも思っていたけれど、それだけでもないようだった。



「あの日、私は汽車の中で、もうあの街には帰れないと思った、帰らないと、決めた」「もう、帰るっていう感触すら忘れてしまいそう、もう残ってないかもしれないから、あの頃も、食卓も」「懐かしんでちゃダメかな、たまに後ろ振り向いちゃいけないかな」「食卓は、今でも私を待っているかな、待っているのかな、どうかな」

 決然とした言葉でそう語る“りり”の姿を見ていると、彼女は何のために振り返っているのか、伝わってくるように思えた。そう、彼女自身は20年前にこの街を出て行ったのだ。この街を捨てた、と、強い言葉を使ってもいいのかもしれない。それぐらいの決意を持って、彼女は街を出たのだ。彼女にとって、振り返るということは、次の一歩を踏み出すための――「作らなきゃ。新しい家を」と言うための過程でもあるのだ。

 舞台の中盤で旅人の“あんこ”の台詞に、こんな言葉もある。

「ありがとうございました。帰る場所が欲しいなって思いました。帰る場所がないと、旅をしてるってことにもならなじゃないかって。旅に出てるだけじゃ、旅ってだけだから。帰る場所がないと」

 この旅人の言葉は、「まえのひ」で全国ツアーを経験したときの藤田貴大の率直な感覚に近いものだろう。彼は2度目の凱旋公演を果たして、帰る場所の存在を確かめた。劇中とは違って両親はまだ健在だし、この街でお世話になった人たちも、この街で彼を待ってくれている。公演自体も大盛況で、用意していた当日パンフレットが足りなくなったほどだ。

 それを確かめるという行為は、藤田貴大自身にとっても、次の一歩に踏み出すことなのだろう。そう考えると、今回の作品がここ数年の作品の集大成の様相を呈していったことは、感慨深くもある。

 2週間にわたる東京公演のあいだに、初日にはなかったシーンがいくつか追加されていった。それは「Rと無重力のうねりで」や「モモノパノラマ」、あるいは「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」などを思わせる演出や台詞が、随所に追加されていった。

 藤田貴大は、今年の春に29歳になった。来年には30歳を迎える。20代最後の年に、彼が駆け抜けてきた時間を、作品を通じて振り返っているようにも思えた。それは単に懐かしんでいるわけではなく、新たな10年に向けて一歩を踏み出すための作業だったのだろう。この作品を一つの到達点とすることで、彼はまた新たな作品を作り続ける。そうそう、東京公演と伊達公演で違っていた点がもう一つ。東京ではすべての照明が消えて舞台に幕が下ろされていたのに対して、伊達公演では最後に一つだけ、白熱灯がポツンと灯っていた。その光は弱々しくもあるが、たしかにそこで光っていた。この道の先にどんな作品が、光が待っているのか。楽しみでならない。