2012-02-19
■[研究]共同研究など
昨日の朝はうちの回りでも雪が積もった。今年は全国的に雪が多いようだが、関西は今のところそんなに降らない。ぼくが住んでいるあたりは、ちょうど内陸の雪が多い場所と大阪側の雪が少ないところの境界で、北側の山の方で雪が降っているのが見えるのだが、こちらでは降らないことが多い(降るときは、北の方から雪がやってくるのが見える)。
今週末は共同研究をしている九大のほうから、大学院の学生さんがデータ解析を習いに来た。主にamosという塩基配列データのアセンブルプログラムを使って非ゲノム生物のESTデータからSNPsを特定する、といった作業について、一緒に考えながら作業をする。なかなか「聞き上手」な人だったので、こちらの理解も進んだ気がする。やはり何かを理解するためには、人に話すことは有効だ。ちょっとしたスクリプトを作るにも、自分だけが使うのと、人に使ってもらうのでは作り方が全然違う。
ともあれ、結果が出るのが楽しみ。
今日からは、別の共同研究で改訂中の論文を再び直し始める。こちらも改訂期限が迫っていて、なかなか忙しい。
shimotsuki
2012/02/20 09:51
AMOS使われているんですね。珍しい。私はコマンドラインオプションがやたらと不統一なのに苦労させられています。Bankの指定に-bが必要だったり要らなかったり。でもSNP探索の機能ってありました? アセンブル後はスクリプトでやるんでしょうか。
hashiyuki
2012/02/21 18:04
AMOSのSNP探索機能、というか(エラーも含めて)多型サイトをとにかく特定する機能は"amosvalidate"に付いてます。そのあと、基準を決めてSNPsを「探索する」ところはスクリプトでやってます。現在は、複数の個体をプールしたEST配列(イルミナシーケンサーで読んだもの)を対象に、その中からSNPsを探しているんですが.. まだまだ手探り状態です。
shimotsuki
2012/02/23 14:33
なるほど、amosvalidateにそんな使い方があったんですね。どうもありがとうございます。
2012-02-08
■[雑記]ぼくらは、日本語で考えている
最近、英語の社内公用語化とか、小学校での英語教育の義務化など、英語を身につけることの重要性が強く言われるようになっている。大学でもTOEIC受験を義務化したり、講義自体を英語でしよう、という動きも出てきている。でも、個人的には今の日本における英語偏重の流れには非常に違和感を感じる。
英語が必要だ、英語を身につけないと世界で生きていけないぞ、と主張する人たちは、英語を含む「言語」を、単に「他人とコミュニケーションをとるための道具」としか考えていないように思える。
もちろんそれは間違いではないのだけれど、言語にはもう一つ「自分が思考するための道具」という役割もあり、そちらの方はどうやらあまり世間では重視されてないようだ。あるいは、意識されてないのかもしれない。
でも、言語の機能としては後者は前者と同じくらい、いやそれ以上に大切なのではないだろうか。
当然ながら、ぼくらが何かを考えるときには、言語を使って考える。論理的に複雑なことや、高度に抽象的なことを考えるためには、それだけ高度な言語能力が必要になる。それは、長期にわたる高度な訓練によって身につけられる「能力」である。
そして、(自分を含む)日本で生まれ育ったほとんどの日本人が、ものを考えるときに使う言語は「日本語」である。
日本は素晴らしい国で、大学などの高等教育も「日本語で」受けることができる。自然科学や哲学など、高度に抽象的な「難しい」分野に対しても十分使用に耐えるだけの(語彙など)性能を、日本語は持っている。
もし日本で英語を社内公用語にし、大学の講義を英語にした場合、日本人は日本語で考えるのを止めて、英語で「日本語でやっていたときと同じように」思考することが出来るだろうか?
そこで何が起こるのかは明らかに思われる。
要するに、英語がある程度使えるようになることと引き換えの「知的水準の低下」である。
ぼくらは、高等教育や仕事の現場で、母語としての日本語を使えることにもっと感謝する必要がある。これまで日本人が科学技術で国際的な競争力を持ち得てきた要因の一つは、おそらく「思考のときに使う言語」としての日本語の性能の高さ、にも起因しているのだ。
もちろん、だからといって英語を学ばなくてもいい、とは思わない。国際的な分野で仕事をするためには英語は必要だし、何かを学ぶさいにも英語の文献を読む必要性は高い。だから英語は「必要な人には」必要である。
ただ、日本人としてのぼくらは「思考のツール」としての「日本語」をもっと大事にするべきだし、英語に対しては、その部分を侵害される可能性を常に警戒しておくべきだと思う。
夏草薫
本当にその通りだと思う。義務教育の段階ではもっと日本語の能力を高めるようなカリキュラムにすべき。考えるツールと一部の人にとってのみ必要とあるコミュニケーションのツールとどちらが大切か考えるまでもないはずなのですがね。
夏草
それからもう一点。英会話能力に重きを置く傾向があるのも問題だと思う。英語で表現されるより高度な内容に触れるためにはやはり会話よりも文章の方だと思う。植民地での教育は基本的に会話のみであったらしい。文章を読む能力は被支配者側には不要だとの判断があったのだと思う。日本全体が会話の方に英語学習の力点を置くのであればちょっと滑稽さを感じる。全く笑えないが。
hashiyuki
なるほど。支配者側の言語について、文章の読み書き能力はむしろ「不都合」だったのかもしれないね。
ついでに最近思うのは、英会話ができる、という能力は何となく「ピアノが弾ける」というのと似てる気がする。どちらも、一部の人にしか必要ない能力、という意味では。数学や理科、そして国語の知識は誰にでも必要だけど(英語も、読むことに関してはそう思う)。お金持ちの親がやたら習わせそう、という意味でも。
2012-02-05
■[生活]自宅にて
インフルエンザになってしまった。木曜日の朝から、なんだかノドが痛いなと思っていたら、午後過ぎてからちょっと寒くなってきて、(まあ、今日は寒いからなあ)とか思っていたのだが、その日は妙にPerlのスクリプト書きがはかどったので夜まで仕事。家に帰って体温を測ったら38.8度、これは寒気もするはずだ、というわけで、翌日近所の病院に行ったところ、A型インフルエンザ、しかも2009年の新型、との診断。
38度以上の熱が出るなんて10年ぶりくらいである。というわけで、金曜日から今日まで、自宅でおとなしく過ごしている。
とはいえ、今日はすでに熱も下がっていて体調も悪くないので、自宅でMacに向かってちょっと仕事を、と思ったがあまり出来ることも無く(大学にはしばらく行けないし..)、漠然とネットを見たりしている。
意味もなくGoogleで検索とかしていると、ついついAmazonで本を買ったり、iTune storeで音楽を買ったりしてしまい、何だか家にひきこもっていてもお金を無駄遣いできる世の中、というのもちょっと怖くなってきた。こんなことでは駄目だ、この時間に積ん読している本を読もう、と思うのだが、なかなかそういう気分にもなれない。難しいものだ。
2012-01-15
■[生活]持っていないことがステータスになる?
最近iphoneを買って、面白いのでいろいろ遊んでいるのだが、電車の中などで他人が使っている携帯やスマートフォンを注意して見ていると、今の時点でiphoneを持っている人はかなり多い、ということに気付いた。
ところでiphoneはともかく、携帯電話を持っていない人、というのは2012年の現在ほとんどいない。今は小学生はもちろん。犬や猫でも携帯を持っている時代である。そうなると、今この時点で、「携帯もiphoneも持っていない」というのはひとつのステータスになるのではないだろうか? たとえば、秘書が3人いて運転手付きの車を使える社長とか、別に携帯を持っていなくても良い気がするし、その人にしか出来ない技術を持った職人とか、連絡を取りたいと思っている人が何百人もいるような偉い人物とか、世界的なお金持ちとか陛下とかゴルゴ13とか、そういう立場の人々には、たぶん携帯は必要ないだろう。
実際、将棋の羽生名人は携帯を持っていないらしい。
今の時代でこれはかなりカッコいい、と言わざるを得ない。おそらく、本当に重要な人物は携帯電話とか持っていない。これから先は、持たないことがステータスシンボルの時代が来るのは間違いない(といって、自分が携帯を捨てる勇気はさすがにない。実際、ほとんど使ってないんだけどね)。
