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2011-08-11

C80参加情報

日があきましてこんにちは。夏コミ参加情報の告知です。

今回は落選のためサークル参加はしませんが、神慮の機械さんとこの本に寄稿してます。耳慣れない単語ですが、ようするに如星さん所です。橋本しのぶ名義で載せて頂きました。

 

夏コミ新刊「アンリミテッド・テイルズ」@3日目東ポ-30a

http://luxin.blackcats.jp/diary/201108a.html#d08090

 

内容についてはリンク先を確認してください。いつものぼくでした。……色々と言いたいこと(言い訳したいことともいう)はあるのですが、まあよければ是非に。というわけで、冬コミに何作るか考え始めてます。しばらくは短編(一万五千字〜二万字くらい)で訓練を重ねたほうが良いかなーと。人生修行あるのみ。ちなみに、三日目当日は上記スペースで売り子をやっている可能性が高いです。売り子に立っていてもそれはぼくですので誤って声がけしないようにネ☆

 

それでは当日に。

2011-07-27

物語が始まるということは相手の実存を叩き潰すという事。

羽海野チカさんの『3月のライオン』を読んで、ずっと考えていた。

残酷なまでに厳しい現実を常に突きつけられ、それでも懸命に喘ぐように生きる桐山零くんという少年の物語な訳ですが。余りの苛酷さに読んでて血を吐きそうになる程なのですが、何がそんなに苛酷なのだろう? 何が苦しいんだろう? と悩んでいたりしました。それは、まあ相手の人生を蹴散らしてまでも進むしかない自分の暴力性や、それを要求するシステムそのものが苦しませているのだろう、と思う。ようは、戦っている訳ですね、零くんは。

戦っている。

その感じがとても通底にあって、本質的に激しい感情が作中を支配している。口では相手の事を思いやったりしていても、結局勝ち残るしか、生きる手段が無い。負けられない理由や、周囲の後押しが描かれてはいても、根っこの所でみんなこう考えているんだ。「負けたくない」と。何に? 何だろう。

 

話は変わりますが、冬の本……『あなたの空が青い理由』の感想を読み返して、欠点を何度も分析したりします。暇な時に携帯を取り出してコレ読み返したりします。

http://togetter.com/li/81866

まぁ、色々褒められたり貶されたり色々な訳ですが、というか読み返すと色々煮えくりかえるのですが、まあ読みます。何度も。特に堪えていた指摘点が、海燕さんのいう「なんだかんだで実存的な対立がない。みんな結局仲良しっぽすぎる」という言葉。これはまあ、自分でも自覚症状のある欠点で、何故なのかよく分かっていなかった。本質的な意味で。その海燕さんの指摘に対してペトロニウスさんが「ああ、そりゃそうですよ、だってこの物語始まってない(始まった所で終わってる)んだもん」と返すのですが、これが、なんかよく分ったようなよく分かんない言葉でした。なんで? 物語始まってない=実存的な対立がない、なの? とかなり不思議だったのでした。

 

3月のライオンは、「自分の生きる理由」や「価値」を証明する為の物語……と言い換えてもそれほど差し支えがないもののように思えます。というか、そういう側面がある、と言ったほうが正確ですか。作中の桐山零くんは、動機のある人物――というか動機が出来てしまったというかそんな人物です。いや「出来てしまった」以外に動機の出来方って無いと思うんだけど、まあ出来ちゃった人。自分が生きていくということは、勝ち続けるということなわけですよね。ゲームの勝敗がイコール人生だと。これを「物語が始まっている」とぼくは感じました。そもそも物語が始まってる、って何だ??というと「内面の問題を克服して自分の道を歩み始めること」とぼくは定義していたのですが、零くんはその定義に沿えば「物語はじまってない」筈なんですよね。でも「始まってる」と感じた。ということは、多分本質的にこの定義は間違っていると(笑)、いうことなんでしょう。たぶん、内面的な問題を克服しているかどうかは、物語が始まることにそれほど関係がないのでしょう。戦うこと。それがおそらく、物語が始まる条件なんだと思います。

 

『あなたの空が青い理由』は千里の内面解決の話……でしたが(相馬さんもだけど)、結局道を選んだだけなので、戦いにエントリーするまでの話なんですよね。ぼくのなかで、それまで「物語が始まっていないこと」と「実存的な対立」は無関係なモノでしたが、その二つが接続するものであると漸く気付いた気がします。なるほどなーと思います。

 

ところで。

 

ところでぼくは基本的に負けず嫌いでして。というか負けず嫌いじゃない人間なんか居るはず無いので、ぼくもそのご多分に漏れず負けず嫌いであるというだけなんですが。あれこれと「これがだめ」「あれがだめ」とか言われるのは好きではありません。

っていうか、嫌いです。

ぼくが上記の感想を読み返すのは、いわゆる臥薪嘗胆の為。ダメだダメだと。言われてむかついて、苛立って、悔しがって、だから頑張ろうと思うために、何度も読み返すのです。お前がこの程度だと判断している自分は、そんなもんじゃないと。そう突きつけるために読み返すんです。オリジナルでいっこ作ったのも、屈服させられなかったので(何)、次は許しません。

 

……と同時に、読んで貰って凄く嬉しくもあり、にやにやして、頬を緩めて読んでいたりもするわけですけど。読んで貰える人が居て、本当に良かったなと。そう思います。

それにしても、こういう自分の内面の動きを実際に書き出してみると、ぼくはただのツンデレにしか見えないんですけど。何なのこの子。恥ずかしくないの。恥ずかしいよ。恥ずかしいのかよ。

 

そんなわけで、次は絶対に勝つ。何に? なんでしょうね。

2011-07-03

『TIGER&BUNNY』1〜3話。

ゴッサムシティみたいな犯罪はびこる街で、スポンサー達が金を出して造りあげた幾人もの「ヒーロー」が犯人を取り締まる、みたいな話。ヒーロー達の活躍をTV番組にすることで広告費を集めて、運営させているようですね。けっこう新しい匂いのする感じです。わりと好き。今期のアニメでは人気なようでツイッター上ではよく話題に上っている様子です。ついったーで俎上にあがる、実況する人間が波となって現れる番組はやっぱり強いですね。ルイさんは「キャラ立ちがすごくいい!」と言っていますが、たしかにコテツおじさんがチャーミングでいいかんじ。バーナビーもツンデレ臭がぷんぷん漂ってきますが、内面的に暗いもの抱えてそげでいいです。無料放送で後追いで一気に追いつけるようにしているのは、乗り遅れた人間からすると有り難いですね。いい手なんだろうな、これ。

 

http://extr.b-ch.com/tiger_and_bunny/

 

あと地味に予告おもしろいですw

2011-06-26

『CAPETA』と『ARMS』と『EDEN』よんでる。

なんか横文字ばっかりのタイトル。

ダントツで好きなのはカペタですが、ARMSもエデンも面白い。曽田さんの漫画は本当に好きなのですが、魂の温度が凄く高い所にあるのが素晴らしいといつも思うんです。モチベーションを燃やす人間の姿を見るとぼくも「やらなきゃあかんぜよ!」みたいな気持ちになるんですよね(なぜか土佐弁)。カペタは昴のあとに書かれた……というか昴の途中あたり?から書かれている話だけあって、初期のころは絵柄が完全に昴で、あの「妖しい」感じがビンビン伝わってきます。そのあとはある意味「健康な」絵柄にもどってしまって、ある角度から見れば魅力が半減してしまっているのですが、それでも面白いものは面白い……というか面白さの質がたぶん全然『昴』とは違うんですよね。昴は個人の天才をどこまで突き詰めて描くかという一点に集中して描かれていると思いますが、その点カペタはもっと「チーム」寄りというか、天才が生きるその周りの環境にも目を向けた作品になっていると思います。スポンサーをどう口説くかという話や、F3のトライアルで見せた彼の行動が、最終的にチームや上の人間の心を惹きつけていく過程など、言ってみれば「天才の周りに集まる人々」……というか集まってしまう人々にもフォーカスされていますよね。とくに親友ノブ(!)の事なんか典型だと思いますし。ノブはほんとかっこいいっすよね……。あいつすげえよ。なにがすごいのか?というと……なんなんだろう、行動に確信が見えるということとその背後にある悩みまで感じるところなのかなあ。決断してる男!って感じがしてほんと素晴らしい。ある意味、この物語の影の主役は間違いなく彼でしょう。天才の裏でその天才を支える人間がいるという人間関係は、ありがちといえばありがちなもののように思いますけど、好きだからどうでもいいです(いいのか)。曽田さんの作家としての頂点は今以てやはり『昴』のように思えますが、それでもなお輝きを見せ続ける『CAPETA』という物語がなんか好きです(たいがい失礼な言い分ですが)。

 

前に記事に書いたとおり『ARMS』も読み進めています。デラックス版で9巻まで。とりあえす「いったい何種類の最強があるんや……」とツッコミを入れたくなるのはどうしたらいいんだ(笑)。もう「げげぇっ!? あいつらは米軍最強の特殊部隊○○○○○じゃねえか!」は聞き飽きたよ……。それにしても、物語の作り方として、サンデーというよりもむしろジャンプに近いような印象を受けます。次々に現れる新しい強敵がなんども主人公に襲いかかり、そのたびにARMSの強さが上がる……という典型的なジャンプ漫画的な構造に思える。とくに物語前半はひたすらにそれを繰り返しているだけなので、興奮はたしかにするが、正直飽きるなぁ。後半にはいって「ARMSとは?」「エグリゴリとは?」というある種のネタばらしがはじまって、ようやく物語が質的に変わった印象を受けます(その後結局また戻るけど)。どういう結論にもっていくのか気になりますが、物語の最終的な回答にあまり期待はできそうにないなーと思いつつ読んでいます。敵の行動理由があまりにも陳腐。ああいう「新人類」ものを描くのであれば、少なくとも旧人類が新人類に出会うことで起こる混乱などを描かないといけないのでは……そこらへんを「エグリゴリは秘密結社だから!(キリッ」ですべて誤魔化しているところがいまいち好きになれない理由かもしれない。要素(中二的な)としてはものすごく好きなガジェットが多いのですが、そこら辺でどうしてもペラく感じてしまう……。まあ、そこらへんはむしろハードSFなどの領域なのだと思うので、そっちで勉強したり求めるのが正しいのであって、もともと少年漫画で連載していたこのARMSという話については求めないほうがいいのかもしれないんですけどね。「種族交代」「新人類」というネタでいうとぱっと「幼年期の終わり」が思い浮かびますが、あれ、どうなんだろうなあ(笑)。あんまり参考にならない気がするし。とにかくSF読んでないのはわりと自分のなかで欠点になっている要素だとは思うのですが、いかんせん難しいの読むのいやなんだよなあ(´・ω・`)。基本的にがんばるのはいやなのだ……。

 

『EDEN』は上記のARMSの欠点的な要素はすくなくともクリアしている作品ぽいのですが、こちらはいかんせん世界の色彩がセピア色というか(苦笑)。あんまり華やかな世界ではないですよね。絶望したあとのドライな感覚が世界を満たしている。ウイルスが世界に蔓延し、それに耐えられる人類とそうでない人類に分類され……みたいな要素がある点でARMSとは共通点があるわけですが、そこらへんのリアリティは圧倒的にこちらの方が上。とにかく練り込まれているのがよく分かるので、ひゃあ、すげえーとひれ伏す感じです。というか、AMRSもEDENも、ある意味でちょっと前にオリジナルで書いた「やりたいこと」をやってる作品だったりするので、なんかもーめんどくせーよのなかめんどくせー(白目)って感じです。とはいえ、EDENの作者コメントで「おお」と思ったのですが、この遠藤さんはエヴァを見て「やりたいこと全部やられた」と思ったみたいなんですよね。それじゃあ何も書かないのか?というと書いてる。なんで書いているのかというと「それでもこぼれ落ちていく感情があったから」と書いている。ようは完全に自分が見たかったものじゃねえ!と気付いたということなのだと思いますが、更に続けて「自分の書いた作品からさえ感情がこぼれ落ちていることに気付いた」と書いています。まあ、そりゃそうだと思いますよね。作者は完全に物語をコントロールできるわけじゃないですもの。

 

まあそんなわけでぼくも安心して次の作品かんがえないとなあ、とか思ったのでした。

 

でもさ、物語書くのってたいへんなんだよね……(´・ω・`)。

岡田斗司夫『スマートノート』よんでるなう

 

 

これを読んで実戦すればおれもえーちゃんになれるんやな!

とか思いながら読んでます。就職活動していたときはぼくも流石に毎日ノートを付けていたんだけど、さいきんはめっきり。良い機会なので再会しようかなーと思っています。

 

……というかですね、生産性をあげないとどうにもならねーというか、日々しんどいわけですよ、ぶっちゃけ(笑)。いや、この本のなかでは「生産性」を上げるという考えは一部のトップエリートのやることだ!と言っていて、まあその通りだとぼくも思うんですけど。まあようはなんか書いてメモして「楽に」なりたいというのが本音ですよね。その意味ではこの本のやり方はとても良さそうな気がします。カーネギーの悩みを書き出したというエピソードは素晴らしいなーと思いましたよ。あれほど凄まじいものではないですけど、メンタル的に厳しい状態になったらやることって決まっていてそれは「何をやるか書き出す」とかだったりするんですよね。書いてある通り「ああ……あれもやらねーと、でもこれやっちゃうとここに影響が……うわあああああああ!」みたいに思考ループしちゃうのがまずいわけで。とにかく書く。書いて客観できるようにする、というのは体験的になるほど重要だなーとわかります。読んでてなるほどーと納得させられるので、とりあえず書いてあることをそのまま実践してみようかな、と思ってます。

とりあえずもうノートは買って今日のぶんは書いたぜ!(笑)。

2011-06-21

『しゅごキャラ』PEACH-PIT著 3巻まで

 

 

読んでます。あむちゃんかわいい。周囲に見せているキャラクターと自分の素のキャラクターが乖離していることになやむ女の子なんですけど、いやはや、かわいい。うへへ(?)。

演じている自分(外面)と本当の自分(内面)が一致しないことが原因になってしゅごキャラなる新しい「仮面」がやってくる、みたいな話で、ここまで読んでて『仮面ライダー電王』を思いだした。あれも幾つもの自分をその場で選んで戦うーみたいな話ですよね。よくセルフの一致とか言ったりしますが、この手の話は最終的にすべての人格がごっちゃになった「全部自分」を作る方向に向かうようです。まあ成熟した人間ならその場その場で役割に合わせて顔を使い分けることくらいは普通の行為なのだと思いますが、その求められる年齢が下がった(低年齢化)したことによってこういう物語が若年層に求められるようになった、とかそういう話、ぽい。その手の議論は『ゼロ年代の想像力』とかで出てきてた記憶がありますが、あれはあれで独自の主観の話だなーとか思ったので(※適当に言ってます)ここでは触れない。

「仮面」をどう使い分けるか? というのは近年の創作では自覚的なテーマらしく、そういえば『コードギアス』なんかでも仮面そのものがモチーフとなって「どれが自分なのかわからない」とシャーリーが思い悩むシーンがありましたっけか。他にも『シュタインズ・ゲート』なんかでも、オカリンの中二病は「自分を奮い立たせるための鼓舞の手段」として使われるようになっていくあたり、このへんの話とも無縁じゃないように思えます。

これも結局は「人間の内面的成長」を別の視点で描いたっていう話ですよね、たぶん。これらを「本当になにをやりたいのか決める」話に織り交ぜられたら新しい気がします。それぞれの個別の人格がもつ得手不得手が最終的にすべて揃うことで見える一枚の絵。そういう「夢」が出来上がるまでのミステリ……として物語を構築できたならカタルシスも大きいのかなーと思います。お。なんかいいアイデアっぽいぞ。これはいいかも。

 

なんかまったく『しゅごキャラ』の話してませんが、とりあえずあむちゃんが可愛いので、それでいいじゃないですか。

風邪がしんどいんですもの、ねえ、パトラッシュ。わおん。


なかのひと