2011-06-21
『しゅごキャラ』PEACH-PIT著 3巻まで
読んでます。あむちゃんかわいい。周囲に見せているキャラクターと自分の素のキャラクターが乖離していることになやむ女の子なんですけど、いやはや、かわいい。うへへ(?)。
演じている自分(外面)と本当の自分(内面)が一致しないことが原因になってしゅごキャラなる新しい「仮面」がやってくる、みたいな話で、ここまで読んでて『仮面ライダー電王』を思いだした。あれも幾つもの自分をその場で選んで戦うーみたいな話ですよね。よくセルフの一致とか言ったりしますが、この手の話は最終的にすべての人格がごっちゃになった「全部自分」を作る方向に向かうようです。まあ成熟した人間ならその場その場で役割に合わせて顔を使い分けることくらいは普通の行為なのだと思いますが、その求められる年齢が下がった(低年齢化)したことによってこういう物語が若年層に求められるようになった、とかそういう話、ぽい。その手の議論は『ゼロ年代の想像力』とかで出てきてた記憶がありますが、あれはあれで独自の主観の話だなーとか思ったので(※適当に言ってます)ここでは触れない。
「仮面」をどう使い分けるか? というのは近年の創作では自覚的なテーマらしく、そういえば『コードギアス』なんかでも仮面そのものがモチーフとなって「どれが自分なのかわからない」とシャーリーが思い悩むシーンがありましたっけか。他にも『シュタインズ・ゲート』なんかでも、オカリンの中二病は「自分を奮い立たせるための鼓舞の手段」として使われるようになっていくあたり、このへんの話とも無縁じゃないように思えます。
これも結局は「人間の内面的成長」を別の視点で描いたっていう話ですよね、たぶん。これらを「本当になにをやりたいのか決める」話に織り交ぜられたら新しい気がします。それぞれの個別の人格がもつ得手不得手が最終的にすべて揃うことで見える一枚の絵。そういう「夢」が出来上がるまでのミステリ……として物語を構築できたならカタルシスも大きいのかなーと思います。お。なんかいいアイデアっぽいぞ。これはいいかも。
なんかまったく『しゅごキャラ』の話してませんが、とりあえずあむちゃんが可愛いので、それでいいじゃないですか。
風邪がしんどいんですもの、ねえ、パトラッシュ。わおん。

