忘却防止。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-08-31 (木)

節目のとき〜たかがアクセス数だけど

仕事を終えて自宅に戻り自分の日記にアクセスすると、カウンターが100,000を超えていることに気づいた。

ページを移ったり更新をかけるごとに回るカウンターである。一番カウンターを回しているのは間違いなく自分であろうし、読んでくれた人の感情やアクセスされたシチュエーションもろくに検討もせずにページビューを云々するのは滑稽ですらあることはわかっているが、それも含めて開設以来のページビューが大台に乗ったのは一つの節目ではあるのだろう。

はてなで日記をつけ始めたのが昨年12月末。

ブログのタイトル「忘却防止。」の名前が指すとおり、ブログを始めた動機はまさに「自分のためのメモ」。ブログなんぞしょせんチラシの裏の備忘録。はてブしていて気になった記事を書き留めたり、日々思った雑念を書き留められればそれでいいやと思っていたが、山ネタ、はてブネタ、ネットネタ。思ったことを書きつづっているうちに8ヶ月が過ぎてしまった。

何をやらせても三日坊主の自分が飽きずにここまで取り組めたのは、自分の文章を読んでくれる他者を意識することができたからだろう。はてブブックマークされたり、コメントやトラックバックをいただいているうちに、自分が書き殴る雑文でも他者の思考の海に雫を落とせるかもしれないと感じられたのが間違いなく大きい。

誰も読んでいない文章でも公共の場にアップロードするということ自体がチラシの裏に書き散らす文言とは別のセラピー効果を生むことは多くのブロガーが経験していると思う。したがって、そのことばは発せられなければならない。

Discommunicative - ブログ論と「ふつうの日記」(メタによる融合について)

公共の場に文章をアップするということを意識するようになって、自分を省みて文章を書くことを少しは自分も覚えただろうか。

どこまで続けられるかわからないが、自分の思考を整理する場としてブログを使いながら周りの人たちと交流を続けることができれば、僕はもう少し頑張れる。

老ノ坂峠周辺を周回

夕食後MTBで走りに出る。

峠の登りで雨が降り出す。かといって戻る気にもならず黙々とペダルを踏む。27分59秒でトンネルに到着。1ヶ月前来たときより1分短縮。まあこんなものだろう。

雨で眼鏡は水滴だらけ。峠の下りは用心深くブレーキを効かせながら下る。

外へ出たついでにとレンタルビデオ店に切れかかった会員権を更新しに行くが、肝心のハガキを忘れてしまいとぼとぼ帰ったのは内緒。

データ項目データ
ルート自宅〜R9〜老ノ坂峠〜日文研〜R171東土川〜自宅
走行距離29.9km
コースタイム(往復)1時間22分17秒
平均速度21.8km/h
最高速度45.7km/h
積算距離1877km

2006-08-29 (火)

配慮を強制されるときに感じる違和感とは〜障害者とのコミュニケーションをめぐって

このエントリを読んでいて、1年以上前にはてブ人気エントリーになった記事を思い出した。「席を譲らなかった若者」の話である。

あらすじは、高齢者が若者に席を譲らせようとわざと聞こえるように嫌みを垂れていたところ、若者に見事切り返されてぐうの音も出なかった、という内容だった。*1

一見刷り込まれている「配慮」

身体の不自由な人、いわゆる障害者には日常生活のいろいろな場面で配慮しなければならないことを、社会で生活していく上で守らなければならない常識的なルールとして、僕たちは親や学校から教わっている。

だから、障害のある人に直接接するとき、その人の性格を知る前にまず「障害がある」ことをインプットして、円滑にコミュニケーションできるよう配慮しなければならないと思考を切り替える。

それは僕自身が教わってきたことを実践する場面でもあり、初めて接する彼らからどのような変化球が投げられるか内心は戸惑うこともあるかもしれないが、配慮することに向こうからの見返りを期待しているわけでもなく、粛々とコミュニケーションは進んでいくのが常である。

「配慮」が強制されるとき

だが、ルールを守ることを当然のように要求される、不利であるがゆえの権利を振りかざしてこられた場合、僕は戸惑うだろう。

本来自発的になされるべきであることを押しつけられることで、これまで自分が配慮してきたつもりでいたことを反故にされるような心境になるのだ。普段は隠れて見えないざらついた部分に直に触れられるような違和感を覚えるのだ。

あるいは、配慮を強制されるということは、これまで充分だと思っていた自分自身の配慮が行き届いていないことから受ける叱咤なのかもしれない。

権利を獲得するためには、声なき者が声をあげなければならないことを彼らは誰よりも知っているのかもしれない。障害者の置かれた立場を当事者として先鋭に感じ取っているからこそ、彼らは日常のコミュニケーションを闘争になぞらえているのかもしれない。

配慮を強制されることで感じる違和感は、自分が「障害者は健常者より不利な立場にある」ことを意識下で考えている驕りからきているのか、単にコミュニケーションの齟齬から感じる不快感に源を発しているのか、自分自身、まだわからずにいる。

トレーニングジム

たまたま時間の工面ができたので、夕食後地元のトレーニングジムに繰り出す。

実質90分しか時間が取れなかったのでいつもより縮小メニュー。ジムまでは往復MTBを使用。

1日間隔でそれなりの負荷を与え続けるか、毎日少しづつ負荷を与え続けるか、どちらかだろう。

*1この記事についたブックマークのエントリーページや、エントリーのコメント欄を読んでいると、当時大きな議論になったことがわかる。

2006-08-28 (月)

あえてお気に入りを整理するということ〜情報過多になる前に

はてブのお気に入り機能をめぐって、熱い議論が繰り広げられているようである。

この機会に、自分自身はてブのお気に入り機能をどう使ってきたか、経験に即して書き留めておきたい。

安心感を得るために「大旦那」をお気に入りに入れる

はてブを始めて間もない頃は、お気に入りの機能をどう使ったらいいか皆目見当もつかず、ひとまず有名どころのユーザを登録しておけばいいかと思ってはてブ界では名の通ったユーザ、いわゆる「大旦那」をとにかくお気に入りに放り込んだものだった。

しばらくは「ああ、この人はこういう情報に興味があるのか」と興味津々だったものの、ある時点からマウスのホイールを退屈に回している時間が増えていくことを虚しく感じ始めた。そのユーザを自分がお気に入りに入れたトリガーは単に「はてブ界で大手」であることだけ。自分の興味とどの程度シンクロするかまで計算などしていななかったし、実際大旦那が自分の求めている情報をいつも拾ってきてくれるわけでもなかった。

また大旦那はブックマークする数も他のユーザに比べて桁違いに多い。ネット断ちを数日間したら最後、ブックマークをチェックすることもままならず消化不良で追うのを諦めたこともあった。

結局、そのユーザをブックマークを通してウオッチしたいのか、そのユーザがブックマークする記事を参考にしたいのか、わからなくなってしまったのだ。

大旦那をお気に入りに入れる動機には「見栄」もあるのではないだろうか

はてブユーザの悲哀を面白おかしく綴ったこの記事を読んでいて僕自身身につまされるところがあったのだけど、いわゆる大旦那をお気に入りに入れる動機には、「ファッション性」を自分のブックマークに持たせたい、悪く言えば見栄を張りたいとの思いが少なからずあるんじゃないかと思った。

たとえば、はてブの産みの親であるnaoyaさんのブックマークを抑えておくことは、ある意味では「常識の範疇」なのだろう。しかし僕のようにプログラミングとは縁のないごく一般のネットユーザが、naoyaさんのブックマークをコメントを含めて意味を理解するのは、はっきりいって難しい。

naoyaさんが普段何を考えているかを知りたければnaoyaの日記naoyaのはてなダイアリーを読んだ方が、アウトプットが整理されている点ではよほど有用だろう。冷静に考えてみれば、自分にとってnaoyaさんのブックマークは関心の分野が明らかに違う。

あえて大旦那から距離を置く選択肢もあるかもしれない

単純に考えれば、数百人がお気に入りに登録している「大旦那」は、数百人のブックマーク行動に影響を与えうる存在ともいえる。

大旦那のブックマークした記事で、たとえばプログラマーでなくても理解できそうな汎用的な情報は、その他大勢のユーザがフィルタしてホッテントリに仕立て上げてくれる可能性は高い。

逆説的に考えれば、多くのユーザにお気に入りに登録されているからこそ、大旦那をお気に入りから外してもよい、と考えれば、少しは楽になれないだろうか。

無理して背伸びしてまで、自分が数百人いるうちの一人になる必要は、必ずしもないのではないだろうか。

自分にとって有用なお気に入りって、何だろう。

じゃあ、どんなユーザならしっくりと馴染むのだろうか。自分の場合だと下記のような感じだろうか。

  • ブックマークする頻度がそれほどなくても、時折目の覚めるような記事をブックマークしてくれるユーザ…自分の趣味(山登りや鉄道)に関係するユーザに多い気がする。
  • コメントを含めて味わい深く、ブックマークそのものがコンテンツになっているユーザ…こうしたユーザのコメントを読めることがはてブの大きな魅力だとも思う。
  • 「自分自身興味はあるけど、弱い」分野の情報をブックマークしてくれるユーザ…いつもありがとう、の気持ちを込めてリンク先をクリックしている。
  • 鮮度の高い情報をブックマークしてくれるユーザ…どこからこんなネタを拾ってくるのか感心してばかり。この分野のユーザを選ぶのに一番試行錯誤して、いまではだいぶ落ち着いた。

お気に入りを選ぶことに関して、過去に書いた記事

結局有名なユーザよりも自分にとって役に立つユーザを見つけるのがはてブを長く使い続けるコツみたいなものなんだろうか、と落ち着きそうなんだけど、はてブにどっぷり浸かっていない限りアンテナを高く張り続けるのはなかなか難しいんじゃないかと思う。

お気に入りユーザをサジェストしてくれるサービスも上手く使いつつ、どうすれば自分の求めているお気に入りに出会えるのだろうか、これまで書いた記事を振り返ってみた。

はてブのお気に入りを鍛えるということ
4月の記事。同じ分野のユーザが被るのはあまりよくない、と書きました。
はてブの海を泳ぐ奥義〜羽生善治氏のインタビューから
6月の記事。はてブを使いこなすにはお気に入りがキモになるのではないかと、羽生善治氏のインタビューを真似て書きました。
はてブお気に入りホイホイを仕掛けてみよう〜はてブ+RSSリーダーで同好の士を探そう
7月の記事。自分にとって有用なお気に入りユーザをどうやって見つければいいか、RSSリーダーとタグを使った方法を考えてみました。

2006-08-27 (日)

トレーニングジム

用事を済ませたあと、午後は地元のトレーニングジムに繰り出す。ジムは7月30日以来だからおよそ1ヶ月ぶり。

身銭を切ったと思うと少しだけやる気が出た。メニューは下記のとおり。

実はジムに着いたあとシューズを忘れたことに気づき一旦家に取りに戻るという大ボケをかまして一時やる気をなくしかけたが、メニューを終えたあと体重計に乗ると運動前より2600gばかり減っていた。

いい汗かきました。

こんな本読んだ〜『アメリカの宇宙戦略』

アメリカの宇宙戦略 (岩波新書)

アメリカの宇宙戦略 (岩波新書)

先週は冥王星が惑星の座から降りる話がホットだった。

科学に基づいた意思が政治の意思を上回ると賞賛する声が上がる一方で、冥王星アメリカの天文学者が発見した唯一の惑星だけに米国では複雑な感情があるという話も気になっていた。

ジムでのトレーニングを終えたあと電車に乗るときに本が鞄にないことに気づき、駅前の本屋でそれとなく引っかかった本を手にる。曰く『アメリカの宇宙戦略』。

アメリカのこれからの惑星探索や宇宙開拓の構想を展望する本かな、とぼんやり感じて往復の電車の中で一気に読んでみた。

内容は「冷戦前後の国際政治を、宇宙を肴に語る」感じ。ちょっとタイトルに釣られたかな。

冷戦下でソ連を牽制するためにアポロ計画が急ピッチで進められたように、宇宙開発はかつて国威発揚の象徴だったが、冷戦終結後国際政治の対立軸が対テロ・対核保有国と複雑化していく中で、アメリカの宇宙戦略は迷走している、というのがものすごくおおざっぱな要旨。

読んでいてなるほどと思った箇所を書き留めておく。

2006-08-26 (土)

鉄道ジャーナル 1989年からの夜行列車特集をまとめてみた

鉄道趣味誌のひとつである「鉄道ジャーナル」が最近マンネリ化している*1との記事をWikipediaの解説をはじめいくつかのブログで読んだ。

僕自身、同じ特集であっても「今年もこの特集が読めるのか」と安堵するほどで、いかにも保守的な読者ということが知れてしまいそうなのだが、先日鉄道ジャーナルの夜行列車特集のレビューを書いていたこともあるので、この機会に夜行列車を特集にとりあげたバックナンバーがどの程度あるか、本棚を引っ張り出して遡れる限り書き留めてみようと思った。

鉄道ジャーナル」誌の夜行列車特集の一覧及び特集で取り上げられた列車(1989年〜2006年)

年月特集名取り上げられた列車現存*2
1989年10月号ブルー・トレイン'89トワイライトエクスプレス大阪札幌
北陸上野金沢
1991年10月号転換期のブルー・トレインあさかぜ4号(博多東京-
あおもり(大阪青森
利尻札幌稚内-
1992年7月号現代夜行列車事情はくつる(上野青森-
だいせん大阪出雲市-
中央東線1521M〜421M(新宿〜松本)-
1994年8月号岐路に立つ夜行列車の現実はやぶさ東京西鹿児島
銀河東京大阪
きたぐに大阪新潟
1995年10月号夜行列車 光と影あかつき京都長崎
紀勢本線2921M(新大阪〜新宮)-
はまなす札幌青森
ミッドナイト(札幌函館-
おおぞら13号(札幌釧路
オホーツク9号(札幌網走-
利尻札幌稚内-
1996年10月号夜行列車の旅路'96日本海1号(大阪函館
ちくま(長野大阪-
ムーンライト松山京都〜松山)
1997年4月号ブルー・トレイン'97あけぼの上野青森
彗星新大阪南宮崎-
1997年10月号寝台車 現状とこれから出雲2号(出雲市東京-
はまなす青森札幌
1998年10月号サンライズエクスプレス 発車!サンライズ出雲東京出雲市
きたぐに新潟大阪
北斗星4号(札幌上野
1999年10月号寝台特急カシオペアカシオペア東京札幌
富士(東京〜大分)
2000年10月号午前2時の鉄路あけぼの上野青森
だいせん大阪米子-
2002年7月号寝台特急の明日トワイライトエクスプレス大阪札幌
あさかぜ東京〜下関)-
2003年10月号2003夏の夜行列車さくら東京長崎-
ムーンライトながら91号(東京大垣
2005年7月号夏こそ夜行列車あけぼの上野青森
はまなす青森札幌
2006年10月号夜行列車を考える富士(東京〜大分)
銀河大阪東京
ムーンライトえちご新宿新潟

毎年3回しか出せない特大号や、発行の節目となる記念号*3夜行列車の特集を持ってくるあたり、鉄道ジャーナル社の編集部がいかに夜行列車を愛しているかがわかる。「ジャーナリスティックに鉄道をとらえるという題目」以前に、なぜ鉄道誌の編集者を志したのか、アイデンティティに直接触れる魅力のようなものを夜行列車が有している、ととらえることもできそうだ。

特集号には毎号夜行列車の将来を展望する記事が書かれいて、夜行列車が経営上の負担になっているのではないかと憂う記述が一貫して見られる。12年前の1994年には既に車両の老朽化対策が指摘されており*4、11年前には21世紀に夜行列車は果たして残るのか*5といった問題提起すらなされている。

夜行列車は風前の灯火である。遠出する機会があれば、多少値段は張ってもまだ現役の夜行列車に乗って昭和の記憶に触れてみるのも、悪くはなさそうだ。

こんな本読み返した〜『オホーツク諜報船』

北方領土付近でロシア警備艇が日本漁船を銃撃して1人が死亡、3人が連行されたニュースが話題になって2週間近くが経つ。

北方領土がらみで学生時代読んだ本を思い出したので、本棚から引っ張り出して読み返してみた。

1980年の著作。西木正明氏Wikipedia)はこの作品で日本ノンフィクション新人賞を受賞している。

領海侵犯区域で密漁していたのを拿捕され、「ソ連の資源を盗んだ」と収容所で服役していた漁師にぶら下げられたのが、日本の自衛官や警察の名簿など、西側の情報をソ連に提供するスパイの任務。引き受ける見返りに北方領土の海域で漁をすることを許される。公安当局や仲間を欺いての危険な任務だ。

持ちつ持たれつの蜜月の関係は長くは続かない。要人をソ連に引き渡す最後の任務を果たした漁師たちに下したソ連の判断は、漁師を口封じするために漁船もろとも海に沈めることだった。

関連する情報

シエスタ〜夢の途中で〜 | オホーツク諜報船
オホーツク諜報船』の詳しいあらすじと感想が述べられている。ここに目を通せば、この本を読みたくなるかもしれない。
東京新聞:領土保全へ警備強化も 北方四島に巨額投資 プーチン政権
東京新聞のサイトより。「ロシアが急激な経済成長をとげ、北方領土問題における対日経済協力の意味が薄れる中、領土保全を強めるプーチン政権の姿勢が、北方海域での漁船取り締まり強化に微妙な影響を与えた可能性もある。」との記述がある。

ブログの閉鎖で感じる虚無感

ここ数日ネットを賑わせた「子猫殺し」の倫理観を巡って激しいやりとりをしていた片方のブログが閉鎖されたようだ。

哲学的で抑制の利いた語り口に惹かれてここしばらく更新の楽しみなブログと思っていただけに、かえすがえすも残念だ。

こういうとき、僕たちははてブのコメントで在りし日の賑わいを偲ぶことしかできない。

それでも、心にぽっかり空いた穴は、はてブのエントリーページでも埋めることはできない。

それは愛情とは到底いえない一方的な思いこみであり相手には通じない感情であったとしても、自分の好きな場所が忽然と消えてしまったときほど、その虚無を強く感じざるを得ない。

顔の直接見えない、IDやURLでしかつながっていないネット上の人間関係は、築くこともたやすい一方で、無に帰すこともまたたやすい。

そういえば、ブログの閉鎖を寂しく思った記事を書いたのは先月のことだった。ネットの世界は一期一会なのかもしれないと、最近強く思う。

またいつかどこかで、まみえることのできる日が来るだろうか。

*1:確かに、新幹線首都圏京阪神ブルートレインローカル線の特集は定期的にローテーションが組まれている感がある

*2:現在も取り上げられた区間で運行されている列車は「○」、運行区間が縮小されている場合は「△」、廃止されたり臨時列車に格下げされている場合は「-」を付した。臨時列車の場合は曖昧な部分がある。

*31991年10月号は、創刊以来400号の超特大号

*41994年8月号

*5:1995年10月号

2006-08-24 (木)

はてブの棚卸しをやってみた〜記憶装置としてはてブを使うならば

タグを整理してみた

はてブでエントリをブクマする登録画面の動作が重くなってきたと感じたので、最近増える一方だったタグを整理してみた。整理したタグのポイントは2つ。

  • タグクラウドで文字が薄くなっているタグ(しばらく使っていないタグ)
  • 文字の小さいタグ(ほとんど使っていないタグ)

これらのタグを汎用的なタグに置き換えるなどしたところ、420あったタグを359まで減らすことができた

1年近くも経てば*1自分の中のタグ付けのルールも知らないうちに変わっていることもあるし、タグの数なんぞ油断すれば際限なく膨らんでしまう。

新着情報を貪欲に漁るのもいいけれど、はてブを記憶装置の代わりに永く使っていこうとするならば、定期的にメンテナンスするのがよいかもしれないと思った。

コメント欄を上手く使いたい

整理していて「しまったなあ」と思ったことが一つ。

ニュースサイトや閉鎖したブログなど、ブックマーク先の記事がいくつかリンク切れを起こしていたのだけど、ブクマにコメントを残しておらず「なぜこの記事をブックマークしたのか」記憶を呼び戻せないものがあった。

あえて喩えるならこれらのブクマは数を埋めるしか意味のない、完全な「死に筋」。

迷ったあげく、ブックマークした理由が曖昧で参照する機会もないだろうと判断したものは、ホッテントリであるかどうかに関係なく削除した。

感想や概要を書き留めておくと、あとでブックマークを参照したときに「なぜこの記事をブックマークしたのか」思い出しやすい。リンク先の記事が消失していても、記事の気になったところを要約しておけば概要を思い出すのは格段に楽になる。

作業をひととおり終えてみて、ああこれははてブの棚卸しみたいなことをやっていたのだな、と思った。

西山山麓沿いを周回

MTBにしようか迷ったが、脚の調子がまんざらでもなくなっていたので昨日と同じコースを走る。

データ項目データ
ルート自宅〜西山山麓周辺〜自宅を周回
走行距離6.7km+ウォーク0.3km
コースタイムおそらく35分程度+アップ5分+ダウン3分(時計なく正確な時間は測れず)

鉄道ジャーナル 2006年10月号

Wikipediaの鉄道ジャーナルの項目を読むと、取り扱う特集がマンネリ化していると手厳しいのだが、僕はほぼ毎年登場する「夜行列車」の特集を楽しみにしている。

今月号の特集は「夜行列車を考える」。

列車の乗車レポート(実際に列車に乗ってその様子を詳細にレポートする、鉄道ジャーナルの売り物ともいえる記事)は「富士」と「銀河」「ムーンライトえちご」。

今号の特集で読み返したいと思ったのは夜行列車の今後を考察した「夜行列車ものがたり」。1960年代黎明期から現在の衰退期まで、5つの時期に分けて夜行列車の歩みを分析している。

第1期(1958-1964)
東京九州間長距離列車の新設期。20系客車登場。「あさかぜ」運転開始
第2期(1960年代後半)
東北、日本海縦貫線方面への拡大期。583系寝台電車登場。「はくつる」「日本海」「月光」運転開始
第3期(1970年代前半)
夜行急行列車の格上げによる寝台特急の増発期。24系客車登場。上下2段式寝台の24系25形登場。
第4期(1970年代後半〜1980年代)
夜行需要減退に伴う夜行輸送力の適正化の時期。国鉄経営難。
第5期(1987年国鉄分割民営化〜現在)
寝台列車の新しい方向性の示唆。「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」「サンライズ」の登場。利用客の減った列車の整理・淘汰。新幹線の延伸や航空機が普及したことで、寝台特急は観光をコンセプトとする特殊なサービスになった。

手短に言えば、ビジネス客が離れ始めた1970年代後半から夜行列車の衰退は始まっていて、個室や座席車両の導入など工夫がなされたが流れを変えるには至らず結果的に安楽死への道を歩んでいる、ということ。

現在夜行列車の任に就いている車両は大半がいわゆる国鉄型車両*2。寝台用の客車の大半を占める24系の車齢も30年に近く、旅客会社が夜行列車のために客車を牽引する機関車を新たに開発する構想があるはずもない。

この記事も予言しているように、夜行列車に最後の転機があるとすれば、数年後の九州新幹線の全通であり、北陸新幹線金沢延伸、北海道新幹線新函館開業が視野に入る時期だろう。その時期には国鉄型車両がいよいよ寿命を迎え、並行する在来線の経営は長野新幹線九州新幹線と同様第三セクターに経営分離される。そうなると、豪華路線、対若者といった明確なコンセプトのない列車はいよいよ淘汰されるのだろう。

夜行列車の特集以外には、鍋倉紀子氏の上海の生活を綴ったエッセイが読ませる記事に思えた。

*1:始めたのは2005年11月29日から

*2国鉄が分割・民営化される1987年以前に製造された車両を、国鉄型車両と呼んでいる

2006-08-23 (水)

西山山麓沿いを周回

距離は抑えて峠越えのRUNを行う。

データ項目データ
ルート自宅〜西山山麓周辺〜自宅を周回
走行距離6.5km+ウォーク0.5km
コースタイムおそらく35分程度+アップ5分+ダウン5分(時計なく正確な時間は測れず)

昨日夏合宿の写真をいただいたのだが、写真に映った自分の姿を見て身体が膨れあがっていることに驚いてしまった。

7月中旬から1ヶ月近く運動できずに悶々と過ごして気づいたのは、いつも通りの食事を続けてアウトプットがなければ、身体を腫れぼったく感じるようになったということ。

20代のときはいくら食べても週末に山に行けばいいさ、みたいに鷹揚にとらえていたが、三十路以降はどうやら甘いらしい。

基礎代謝は年齢を重ねるにつれて低下します。食事の量がカロリー計算上は適切であったとしても、20代のころと同じ量の食事を30代の人がしていれば、基礎代謝が低下している分、太りやすくなります。

WeightManagement|ウエイトマネージメントのポイント

2006-08-22 (火)

銀閣寺を往復

山岳会の会合に出席する。

データ項目データ
ルート(往路)自宅〜国道171号東大路通今出川通銀閣寺駐車場
ルート(復路)銀閣寺駐車場〜今出川通東大路通国道171号〜自宅
走行距離41.5km(合計。往路約20.3km、復路21.2km。)
コースタイム(往復)1時間49分45秒
平均速度22.6km/h
最高速度39.3km/h
積算距離1838km

往路のペダルが重かった。往路の平均速度は21.7km/h。往復で平均速度26.0km/hを出していた頃が信じられん…

2006-08-21 (月)

帰省

8月18日(金)は僕の親の実家へ、19日(土)と20日(日)はかみさんの親の実家に帰っていた。

新たな顔ぶれで墓前に手を合わせる。

「なんとか、この一年を無事に過ごすことができました。これからも、僕たちを見守っていて下さいね。」

こんなとき、大事な人ができたことで周囲のつながりが広がったことを実感する。

かみさんの親族に挨拶するのは結婚式以来。しばらくは緊張のあまり気の利いたことも喋れず部屋の隅でおとなしくしていたが、アルコールを入れると気持ちもほぐれて舌も滑らかになったようだった。

帰りは庄川水記念公園で食事をごちそうになり、旧平村(現:南砺市)の相倉集落に立ち寄る。砺波平野から結構な坂道を登るのだが集団でサイクリングに来ていた学生たちに感動した。小矢部からは有料道路名神に入っても心配していた渋滞はなく21時には京都着。現在高速道路のSAのガソリンが巷より安い逆転現象が起きている(8月の全国平均は144円だが、高速道路ではリッター137円。)らしく、賤ヶ岳SAでは10分以上並ぶほどの盛況だった。

そういえば、先月に車のオイルを交換して、この1ヶ月で4300km走っていたことに気づく。ガソリン代もこのごろうなぎ上りに上がっているしドライブは控えめにするつもりだったのだけど、こういうときに限ってなぜか距離を走りこんでしまう。ガス代を割り勘にすると欲望を開放してしまうようだ。

はじめての人に京都らしさを味わってもらうスポットとは

帰省中の席で、義理のいとこが来年の就職を無事決めたことを教えてもらった。嬉しくなって「卒論が終わったら京都に是非おいで」と伝えたものの、自分自身京都に住んでいながらも京都らしい場所をほとんど抑えていないことに気づいた。

就職を控えた若い青年に、お手軽に京都らしさを味わってもらえそうな場所ってどんなところだろう?

若い青年に京都を案内するとするならば hatayasanの場合

  • まずは京都駅の駅ビルを散策しつつ、駅に出入りする列車を観ているのも趣があるかもしれない。でも鉄道に興味がないと暑くて苦痛なだけか(鉄脳)。
  • 天下一品*1王将*2も、京都発祥ということで若い衆には必修かも。でももはや全国展開しているしなあ(外食脳)。
  • さすがに愛宕山大文字山ハイキングというのは、なんで京都まで来て、って感じか(山ヤ脳)。
  • 河原町通に最近できた京都でも指折りの店舗面積を誇るというジュンク堂や、今年限りでなくなる近鉄PLATZの旭屋書店で日がな一日書林に埋もれるのも悪くはないかな。あ、自分の願望を語ってしまった(本ヤ脳)。
  • 究極は祇園や貴船の川床か。でも財力ないしなあ(そもそも自分にその趣味がないし)。

妄想ベースでここまで考えて、やはり

このあたりが、外から来た人の京都のイメージにも沿うようで当たり外れがないかもしれないと落ち着いた。

体力作りも兼ねて、たまにはチャリで名勝を散策するくらいの時間を作っておいたほうがよさそうだ。

西山山麓沿いを往復

先週の沢登りから帰って以来まともに身体を動かさず食べてばかりいたのが災いして、臀部のあたりが腫れぼったくなってきているのを感じていた(予想を裏切らず、体重計はベストの時+2kgを差していた…)。さすがに危機感を感じたのではてブを途中で切り上げて走りに出る。

日記を手繰ってみると屋外でRUNするのは5月31日以来。7月に痛めた右脚に微かな違和感が残るためセーブ気味に走る。休憩抜きで10kmを60分強かけて流してきた。それでも帰ってきた今、両脚が筋肉痛に襲われている。

体力なんて、落ちるときは早いものだ。また、地道に取り組んでいくほかないだろう。

データ項目データ
ルート自宅〜大原野神社〜自宅
走行距離10.0km
コースタイムおそらく60分(時計なく正確な時間は測れず)

2006-08-18 (金)

飯豊川本流での沢登り中の遭難死亡事故を聞いて

山岳会の人から、東北の飯豊川本流(いいでがわほんりゅう)で遭難事故があったことを教えてもらった。

水難事故:登山客の男性が川に流され死亡−−新発田・飯豊川 /新潟:MSN毎日インタラクティブ
毎日新聞、8月16日の記事より。
ROCK & ICE WORLD
事故に遭ったパーティのメンバーが開設していると思われるウェブサイト。トップページには、今回の事故に関する記載がある(8月19日現在)。
山道を行く 【遭難カルテ102】 飯豊川で男性死亡
山岳遭難を鋭い切り口から分析しているブログから。

死亡したのは46歳の男性。原因は水死。徒渉中ロープを手から放して本流に50m流されたとのこと。

4名パーティ、山岳会の名称はわらじの仲間

沢登りを志す全国の山岳会の目標とされており、50年近い歴史のなかで一貫して飯豊の沢にこだわり続けている「わらじの仲間」がなぜ、という思いももちろんあるのだが、もしかしたら自分たちがここを溯行していたかもしれなかったことから感じる畏れがこの記事を書かせている。

先週飯豊の沢をなんとか登らせてもらったばかりなのだけど、雪が例年になく多い、ということで流れの強い飯豊川本流を避けて飯豊では易しい部類に入るといわれる頼母木(たもぎ)川にした、という経緯があったからだ。

道迷いで沢に入り込んで遭難、経験が足りずに遭難、という事例は毎年いくつか耳にするが、手練の経験者が沢で死亡事故を起こす話はあまり聞いたことがない。

どのような状況下でロープを放さざるを得なかったのか、もう少し続報に注目しておきたい。

故人のご冥福をお祈りいたします。

関連する情報

豊川本流は、飯豊連峰最大の渓谷であり、日本を代表する大渓谷とされている。名を成したクライマーの思い入れあるルートをまとめた『日本の登山家が愛したルート50』にも「飯豊川本流」が含まれている。少しだけウェブで記録を拾ってみた。

山と遊ぼう!:飯豊川洗濯沢清十郎沢
1998年8月、飯豊川本流から洗濯沢という支流を溯行した記録。今回の遭難事故も、洗濯沢を溯行する予定だったと思われる(洗濯沢を詰め上げたところにある山が「北股岳」という山のため)。増水で沢に入る日を一日遅らせている。条件はよかったようだ。
ひぐらし:飯豊川本流
2005年8月〜9月、飯豊川本流を上流まで溯行した記録。雪渓の状態が悪く途中で藪こぎで稜線に詰め上げている。「13時間のヤブコギ」「ボロボロになれる」の記述。沢登りをやっててよかったと心の底から歓んでいる様子が伝わってくる。写真が豊富。
北海道と越後の山: 飯豊川本流 昭和56年8月13日から15日 越稜山岳会会山行
1981年8月の記録をリライトしたもの。この年も例年になく雪が多かったようで「雪渓の長さは3km近くあったのではないか。水は昨年と比較にならないほど冷たく、一回渡しょうするだけで足がしびれた。」との記述がある。

2006-08-15 (火)

夏合宿・飯豊の沢登りを終えて

無事に成功した飯豊の沢登りの余韻が醒めないうちに、いま思っていることを書きつづっておきたい。

怪我を負って味わった不安

僕自身、7月中旬の沢登り中に、岩場から不意に滑り落ちて右脚を強打するアクシデントを起こしていた。捻挫した翌日は布団から起き上がることさえ億劫で、骨折はなかったものの松葉杖をついて病院からタクシーで戻る始末。直前にハイキングでリハビリをする機会はあったものの、怪我をして2週間は右脚を引きずらねば歩くことさえかなわなかった。(このときに感じていたもどかしい想いは、「山で怪我をしたときに受け入れたい3つの戒」の記事に現れていると思う)

本番まで1ヶ月近いブランクが空いてしまい、合宿に向けて念入りに調整を行ってきたとはとてもではないが言えなかった。

これで飯豊に入ってもパーティのお荷物になるだけだ。

積み上げが中途半端な状態で困難な沢に向かう資格があるのか、自分の実力に正面から向き合うのが怖かった。だから本番の週になるまで山行計画書には目を通せずにいた。本番の直前までルート図を読んでもまるで頭に入らなかった。ただ、これまで夢だと思ってきた東北の沢を覗けるまたとない機会をどうしても逃したくはない。その一念で不安を拭い去ろうとした。一旦は参加を諦めた合宿だ、参加できることを幸運に思えばいいじゃないか。

それでも、果たして自分でも行けるのだろうか。一抹の不安は最後まで抜けなかった。

重なった偶然、鼓舞された心

僕にとって、初日の停滞は良い方向に作用したようだ。のしかかる重圧とドライブの疲れでこれまでになく重かった身体も、一晩眠れば沢に通っていた頃の感覚を取り戻したようだった。

それでも、今回の沢はこれまで自分が経験した中で間違いなく一番歯応えのある沢だった。

いつ撤退の判断を下してもおかしくはない場面がいくつも出てきた。

2日目に雨に降られたとき。濁流のゴルジュの入口に立ったとき。滝のきわどい草付きを直登するとき。泥壁をトラバースするとき。

一回の山行で胃酸が逆流するような苦みを何度も味わったのは今回が初めてだった。

それでも、平常心を終始保ったままで溯行を続けられたのはリーダーのAさんを心から信頼できていたからだ。

また、年齢は僕より4年から6年離れているが僕より沢経験・リーダー経験の豊富なY君とNZ君にも助けられた。2日目のゴルジュに架かる滝のリードなど、僕ならば尻込みして考え込んでしまうような場所でも、彼らは果敢に攻めてくれた。

渋い状況にあってもあきらめない。結論を出す前に自分で行動を起こしてから判断する。一見難しそうな場所でもそばに取り付いて実際に触れてみる。それでも、退くときは退く。そして、メンバーを信頼する。言葉ではなく態度で示す。

同じくメンバーであったNM君、K君のそつない仕草にも鼓舞された。

もう少し、夢を見ていたい

この頼母木川、飯豊の沢の中では一番易しく短い部類に入るという。あれだけ渋い思いをしたのに、まだ入口を見せてもらっただけかと思うと沢登りの世界は途方もなく広いことを肌で感じざるを得ない。

また飯豊に行きたいかと問われると、きっと行きたいと答えるのだろう。

そして、沢の季節がくればいつものように不器用に準備をせせこましく始めているのだろう。

2006-08-14 (月)

東北 飯豊 頼母木川下ノ小俣沢(3日目 下ノ小俣沢出合〜稜線〜下山)

泥壁の高巻き、最後の激ヤブ

f:id:hatayasan:20060813171051j:image 下ノ小俣沢出合の20m大滝。右壁を巻いた

4時起床、6時出発。暖まりきらない身体だが、20mの大滝の高巻きから行動をスタートする。大滝左岸の泥壁のルート工作はAさん。ザイルを背負っている僕が続いてユマーリングで登って次のピッチをリードするAさんを確保する。確保している最中下方の雪渓が音を立てて崩壊する場面を目の当たりにする。1ピッチ目の取り付きはアイスハンマーを泥壁に打ち込んでいても足場が怪しかった。2ピッチ目の岩の乗り越しは荷物を背負った状態では少々おぼつかなかった。

ここを越えればあとは難所といえる場所はない。ゴルジュに架かる小滝はY君・NZ君のリードで越えた。

最後は藪。背丈ほどもあろうか濃い笹藪に四方を囲まれて進むことさえままならない。眼鏡を藪にもぎ取られる。汗が全身から噴出す。頭が白くなってくる。濃い藪に遮られて先が見えない。まだだろうか。集中力が途切れそうになった頃、ようやく稜線が見える。どうやら山頂をめがけて藪を漕いでいたようだった。軌道修正して藪をトラバース、稜線になんとか詰めあがる。

f:id:hatayasan:20060814114903j:image 藪こぎを終えて、頼母木小屋西方の稜線に出た

稜線から登山口までは足早に下る。稜線に詰めた時点で緊張感が切れてしまったようで足元がまるでおぼつかない。やはりまじめにトレーニングしないと体力なんてすぐに落ちてしまう。それでも飯豊山系のたおやかな稜線、優しげなぶなの森はすばらしい。沢登りでなく縦走やハイキングをメインにしても、十分に楽しめそうだ。

頼母木小屋から足の松登山口まで、コースタイム4時間強を2時間半で駆け下りる。当初は間に合うとは思っていなかった16時のバスで胎内ヒュッテへ。ふうっ、なんとか最後まで行かせてもらえました。

あとは温泉に入り沢臭さを流れ落とし、酒類の買い出しを済ませ地元の回転寿司で腹ごしらえ。新潟西から北陸道へ。栄PAのあずまやでささやかに打ち上げてPA泊。

翌日(8月15日)は6時出発で北陸道を南下。お盆の渋滞を避けて13時には京都市内に到着。エアコンが効かなくなってきたと思い外気温に目を向けてみると、気温が40度を差しておりびびる。

新胎内温泉 クアハウス胎内(新潟県胎内市)

500円、21時まで。

メインは水着着用のプールらしく、裸の入浴は隅に追いやられているような感じ。

浴場には洗い場が5つしかなく、しばらく待たされる。

休憩スペースは手入れが行き届いており、快適だった。

2006-08-13 (日)

東北 飯豊 頼母木川下ノ小俣沢(2日目 入渓〜下ノ小俣沢出合)

ゴルジュ帯、雪渓の高巻き

4時起床、6時出発。一晩中蚊の襲来を受けて、顔がすっかりはれぼったい。天気は曇り模様。6時に出発、堰堤を越えるが昨日に引き続いて雨が降り出す。ゴルジュ帯に入る前で堰堤まで引き返し、雨が小止みになった頃を見計らって再び前進を開始する。水は冷たいが重いというほどでもない。

しばらく足慣らしのような河原歩きと徒渉を続け、ゴルジュ入口にさしかかる。水は濁っており、流れは強そうだ。

リーダーのAさんが右岸から取り付きを試みるも、濁り気味の水流にはね返される。次に左岸の滝をへつってゴルジュ帯の様子をうかがうも、水流が強く危険とのこと。ならば、と水線沿いは諦め左岸の滝を巻いて下降点を探る。滝のルート工作はリーダー。後続はユマーリング。滝を上まで詰め、ゴルジュ帯を巻くまで意外に道はしっかりしていた。

f:id:hatayasan:20060813094612j:image 現れた雪渓

f:id:hatayasan:20060813120406j:image 逆くの字滝。左壁を直登した。上部の草付きは悪かった

沢に戻ってからはしばらく平凡な河原歩き。分岐となる小俣沢の出合は注意していなければ通り過ぎてしまいそうなほど入口が狭い。数カ所続く小さな滝は適度な緊張感で快適に乗り越える。最初の難所、逆くの字滝は一旦右岸からのトラバースを試みるが草付きのトラバースが悪く、Y君の提案で滝の左壁を乗り上げる。Aさんリード。滝をジグザグ状に登って安全に高度を稼ぐと思っていたが、途中で荷物とデポしながらもなんと草付を直登していく。後続はユマーリング。テンションをかけてもいいとはいえ草付きの泥壁を登るのはあまり心臓には良くない。思い切り引っ張ったら抜けてしまいそうな草の根を頼りに神経を集中させる。

逆くの字滝を終えると、早くも雪渓が出てくる。短いスノーブリッジは一人ずつ足早にくぐり抜ける。天井からしたたり落ちる水滴と雪渓の中でこだまする流れの音はなんとも神秘的。崩壊したら最後生命の保証はないのはわかっているのだが、不思議と心地よさを感じる空間であった。距離の長い雪渓はさすがにくぐり抜けるわけにもいかず右岸の側壁を巻くことに。ここで初めて先日購入したアイスハンマーが役に立つ。草付きもおぼつかない泥壁ではハンマーを差し込んで支点を確保し体重を移動していく。足場はもとより心許ない。だましだましでトラバース。その繰り返し。しばらくすると植生が変わり木の根を掴めるほどになってきた。雪渓の途切れた小さな枝沢を20m懸垂下降して沢に復帰する。

f:id:hatayasan:20060813161600j:image 崩壊した雪渓を通過する

しばらく歩くと大滝右岸に出てきた。時刻は16時半。猫の額ほどの河原にツエルトを張る。

(この時点では上ノ小俣沢出合の25m大滝と疑わなかったが、溯行を終えた場所と照合すると、下ノ小俣沢の出合の20m大滝を前に幕を張っていることがわかった)

目の前には巨大な雪渓が沢を覆っている。雪渓から湧き出す冷気を浴びていると真夏でも寒い。おかげで虫はほとんどおらず、昨夜に比べると格段に快適な一夜となった。20時半には就寝。

2006-08-12 (土)

東北 飯豊 頼母木川下ノ小俣沢(1日目 停滞)

8月11日から15日まで、東北の飯豊(いいで)山系に沢登りに行ってきました。

「沢登り」というのは、川の源流を山の頂上まで詰め上がる、登山のジャンルの一つに数えられる遊びです。

自分自身本番に向けて十分なトレーニングを積めたとはいえなかったのですが、強力なリーダーとメンバーに鼓舞されて、終始密度の濃い山行を楽しむことができました。

以下、簡単に所感を書きつづってみます。気が向いたら、あとでちょこちょこ追記していくかもしれません。

出発まで

今年の沢登りの夏合宿の行先は、東北の飯豊山系の沢に決まった。沢登りをしている者にとって、飯豊・朝日連峰の沢は一つの憧れでもあり目標でもある。

沢の伝道師でありスペシャリストでもあるA氏をリーダーに、6名での溯行となった。

入渓まで

8月11日(金)、22時に京都駅に集合し東北に向けて出発。今回は片道約650kmの長丁場、さすがに運転を交替してもらいながら深夜の高速道路を突っ走る。北陸道を夜通し走って日本海東北自動車道の中条ICで下車。国道7号沿いのマックスバリュで朝食やおつまみの買い出しを済ませ、ひとまず目的地の胎内ヒュッテには7:30頃到着する。

ここから頼母木川の入渓点までは1時間強歩くつもりだったが、奥胎内橋まで季節運行するバスに偶然乗ることができた。片道300円、5分で足の松尾根の登山口に到着。沢装備に身を固め入渓。

突然の雨、恵みの雨

ところが沢に入ってものの30分もしないうちに空から大粒の雨が注ぎだした。みるみるうちに川が白波を立てて濁っていく。ダムの堰堤の前で一旦引き返し、林道上で様子を見ることに。林道上でタープを張って雨宿りのスペースを確保したあと川面をのぞき込むと手が着けられないほどの濁流。この日の入渓は見合わせるほかなかった。

恨めしい雨は昼前にはおさまり日差しすら差してきた。昨夜の睡眠不足を解消すべくメンバー全員死んだように眠る。16時を過ぎ思い出したようにツエルトを張り、焚き火にも点火。日射しを浴びてかなり乾燥していたのだろうか、おもしろいほど良く燃える。

f:id:hatayasan:20060812114740j:image 濁流で初日の入渓を見合わせる

f:id:hatayasan:20060812190234j:image おもしろいほどよく燃えてくれた

東北の強い虫

東北の沢は、紀伊半島の沢以上にアブや蚊が多いとのこと。今回の山行を前にリーダーからは「顔に被せる網」を持参するよう指示があったが、その猛威は想像を超えていた。網を顔にかぶっても隙間をつくようにアブと蚊が襲ってくる。ジャージやタイツで武装していても関係なく痒みが全身に走る。露出している耳や顔はもちろん、背中や脚や臀部、とにかく全身がかゆい。これなら多少寒いほうがまだましだ。

翌朝、ツエルトを撤収しようとしたところ、全面に所々赤い斑点が広がっていた。どうやら、僕が蚊に献上した血液が、すり潰された蚊からそのまま吐き出されているようだった。

2006-08-11 (金)

こんな本読んだ〜『文系のための「Web2.0」入門』

文系のための「Web2.0」入門 (青春新書INTELLIGENCE)

文系のための「Web2.0」入門 (青春新書INTELLIGENCE)

小川浩氏の前著『Web2.0 BOOK』を先日読んで、豊富な事例とわかりやすい解説に好感を持った。

同じ筆者だったので手に取ってみたところ、本を離すことができずつい購入してしまった。

一読する限り、ITmediaCNETの記事で出てくるWeb2.0にまつわる重要なキーワードを流れに乗せてまとめた感じ。

3月の『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』以後に出てきた動き(Youtubeの急成長やGoogle Spreadsheetsの登場、国産検索エンジンの構想)も抑えており、ウェブを巡る最新のキーワードをさらりと理解しておきたいときに役立つと思う。

帯の文句どおり、3時間あれば十分に読める本でした。

以下、気になったフレーズを抜き書きしておきたい。

情報をお金のように預ける

企業で個人情報の含まれるデータは自社内で保管・運用するところがいまのところ大半ではあると思うけど、情報を守る人的・物理的・技術的なコストも同時にじりじり上昇しているように思う。セキュリティとコストのせめぎあいがある閾値を超えると、「情報も信頼置ける機関にアウトソースする」流れが一気に生まれそうな気もする。

「企業情報を他のインターネット企業に預けることにセキュリティ上問題があると懸念する声もあるが、そもそも銀行という民間企業にお金を預けていない企業はない。お金は預けられて情報は預けられないというのはナンセンスだ」

149頁「Web2.0的ビジネス最前線」 (株)セールスフォース・ドットコムの宇陀栄次社長の言葉より

1.0と2.0の対比

Web1.0とWeb2.0の雄が正面で対決する構図を非常にわかりやすく表現。

マイクロソフトは現在、Web2.0の覇者であるグーグルへの対抗手段として、OSデスクトップソフトウェアのユーザからトラフィックウェブに集めていく、という戦略を進めている。

グーグルのアプローチはこれとは逆で、インターネットに確保した巨大なトラフィックから、クライアントイントラネットの中に侵食し始めている。

174頁「車も家電も、ヒトの行動も2.0化し始めた」(一部抜粋)

本書では、ビルゲイツが引退したのは「1.0の世代では2.0な世代の俊敏な動きに追いつけないことを悟ったから」と何度も述べられている。

テクノロジーからの解放

はてブでも「ブログの書き方」などの題材が定期的に注目を集めるのは、Web2.0の裾野に立つユーザが増えつづけていることと、決して無関係ではないように思う。

今のところは、まだまだWeb2.0とは何か? という解説や議論に終始しているのであるが、そろそろその時期は過ぎ、Web2.0が何かというよりも、Web2.0的なビジネスモデルテクノロジーの活用方法を考える(蒸気機関の仕組みを考えるのではなく、鉄道自動車への応用を考えるのと同じこと)時期がきている。

180頁「車も家電も、ヒトの行動も2.0化し始めた」

煩わしい覚えごとから解き放たれて、本来の目的(ブログなら、納得いく文章を書くこと)に専念できるようになる一方で、基盤をなすテクノロジーに向けられる視線は稀薄なものになっていく。筆者はweb2.0テクノロジーブラックボックス化していく過程でもあると書いている。

検索は不動の地位を占めるようになった

そういえば、検索エンジンURLを直接打ち込む場面がめっきり減った。覚えているキーワードGoogleツールバーの窓に放り込めばほぼ間違いなく目的のサイトにアクセスできるのでブラウザのお気に入りに入れなくても「まあいいや」と思う場面が増えた。

検索エンジンウェブのスタートページになっているのは間違いないようだ。覚えやすく格好いいドメイン名でブランドを競うよりも、GoogleYahooの検索結果でトップに表示されるのが価値があるとみなされるようになった。URLを打ち込むのは、IPアドレスを打ち込むのと同じように時代遅れのユーザインターフェイスになりつつあると筆者は説く。

面白いのが、ブラウザーに設置された検索窓を使う場合でもっとも頻繁に記入されるキーワードは、なんと「Yahoo!」である。(中略)これはもちろん、トラフィックの基点が検索サービスというよりも検索エンジンそのものにシフトしている事実を示しているわけだが、同時に、URLでさえも、ユーザにとってあまり重要でなくなってきている、ということを意味する。

183頁「車も家電も、ヒトの行動も2.0化し始めた」

だから、最近はわざわざ検索エンジン経由で目的のサイトに誘導する広告が流行っているらしい。こういう手法は、最近ではLPO=Landing Page Optimization(ランディング ページ最適化)と呼ぶようだ。

最近では「○○、と検索してみよう」というメッセージが多くなっていることに気付いたヒトは少なくないはずだ。

183頁「車も家電も、ヒトの行動も2.0化し始めた」

人格をウェブ投影するということ

終盤はGoogleの脅威を説く。このへんは佐々木俊尚の『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)』に一歩譲る。

パブリックはてブをしたり、ブログを書き綴ることはウェブの向こうに自分の人格を投影していく作業であると僕は思っている。時にはそれが思わぬつながりをもたらしてくれることもあるし、時には不愉快な思いをする引き金になることもある。

文中の「Googleは帝国になった」というフレーズに目を通していると、住基ネットが稼動するときに国民総背番号制が恐怖の文脈でもって語られたのをぼんやりと思い出す。

稼動から4年経った今、当時語られた懸念は、より柔和に、より先鋭に深まっていることを、時には心に留めおくことも必要なのかもしれない。

2006-08-09 (水)

自らを省みるということ〜一つのブログを事例に

気になるブロガーが遭難事故を起こしていた

フルマラソンや山岳耐久レースを志向している女性山屋さんのブログからのエントリ。女性には珍しくハードな単独登山も志向する姿に「面白い人がいるな」と興味を持っていた。

今年6月の沢登りの醍醐味を箇条書きで面白おかしく書きつづった記事を読んで以来、共感するところがあってRSSリーダーでこのブログを購読していたのだが、最近の記事で7月に遭難事故を起こされていることがわかった。

単独行の最中、南アルプスの「鋸岳(のこぎりだけ)」の稜線上での転落事故。文中から察するに甲斐駒ヶ岳に抜けるつもりだったと思われる。ボロボロの岩場から2度滑落、ヘリの救助を要請したのは携帯電話から。滑落したときに携帯が破損していれば、危なかったかもしれない。

自らの責を負うという姿勢

僕がこのエントリを書き留めておきたいと思ったのは二つの理由がある。

一つは、遭難事故を起こしたことを前後の行動の記録を含めて詳しく記載していること。

確かに、一般道とは言いきれないそれなりのバリエーションルート*1を行くにあたって、装備は十分なものだったのか疑問に思うところもある。ただ、自分が冒した事故を自らの責と認めて、周りの視線を覚悟で書き綴ることのできる人は、そうはいない。

二つは、事故の喧噪が過ぎたあとのリハビリの記録を詳しく綴っていること。

下界に戻ってのリハビリであったりトレーニングの記録などがその日の感触を含めて記述されている。僕自身「山で怪我をしたときに心がけたいこと」というエントリを先日書いたばかりだけど、事故を起こしたときの恐怖から立ち直るにはやはりそれなりの時間が必要だと身をもって体験したことがある。身体の自由が利かないために山に行けないことを心底恨めしく思ったこともある。それだけに、7月以降リハビリの日々を綴った記事に、本人の登山への強い意志を感じてしまったのだ。

自らを戒めるきっかけとして、折に触れて立ち寄りたいブログであると思う。

*1クライミングの技術が求められる、困難を含む登山のルート

2006-08-08 (火)

ブログを長く楽しむ7つのコツ

萌え理論Blog - ブログアクセスアップ十訓を読んで。

自分自身、文章を書くことを生業にしているわけでもないし、ブログランキングみたいな順位を競う類のものに興味があるわけでもない。

ブログアクセス数や注目度を上げる」といった話題にはあまり馴染めないけれど、ブログを長く楽しむコツのようなものがあるとすればどんなものがあるか、これならば自分でも考えられそうだと思った。

以下、思いつきで書き留めておきたい。

ブログを長く楽しむ心がけがあるとすれば hatayasanの場合

  1. 気が向いたときに更新する。
    • できる限り頻繁に更新できるのが理想ではあるけれど、自分にとってのブログは、エンターテイメント。一日仕事を終えたあとにありつける娯楽ととらえる余裕を持ち続けていたい。
    • だから、書きたくなることが思い浮かばないときはおとなしく寝る。夜遅く帰ってきたときははてブブクマだけして寝る。
    • もやもやと溜まってきたものが湧きだしてきたとき、頃合いを見て書きだしてみれば、言いたいことが少しは書けているだろうか。
  2. テーマは赴くままに。
    • テーマは絞らない。はてなのことも書くし自分の趣味のことも書く。自分の中でしっくりくれば書く。
    • これは面白そうだ、というテーマを見つけたら、はてブで関連記事や過去ログを拾い集めてみる。
    • 読んでくれる人は僕のどんな記事に興味を示してくれたのだろうか、気になることもある。それでも僕は複数のブログを切り盛りできるほどまだ器用ではない。だからテーマは絞らずに書けることを書く。
  3. アクセス解析をする。
    • はてブブクマ数と並んで、アクセス解析のログは(語弊を恐れずにいえば)自分の記事に返ってきた反応を示す通信簿みたいなもの。
    • アクセス解析のログを拾っていると、「それなりにブックマークしてもらえたけれど旬が過ぎたらアクセスがさっぱりない記事」、逆に「ブックマークの数はほとんどないのにしばらく安定してアクセスのある記事」があることに気づく。それはきっと、記事に目を通してくれる読者の層や嗜好が違うということなのだろう。
    • 検索エンジンはてブニュースサイト。記事ごとに訪問元が違ってくることも抑えておく。誰に向けて記事を書けばよいか、ジャンルごとの目安のようなものが掴めるかもしれない。
    • もう少し突っ込んでブログをやってみたいとき、別館をこしらえてみようかと思ったとき、サイトに来てくれた人の足跡は心強い判断材料になってくれるはずだ。
  4. 自分の納得のいくものを書く。
    • はてブや掲示板で拾った鮮度の高い情報にいち早く言及する。」それが生き馬の目を抜くようなブロゴスフィアにあってはいち早く評価を確立するひとつの手段なのかもしれない。
    • しかし、自分で内容を咀嚼して自分の言葉で文章に表すことができるまで、立ち止まってみよう。
    • 自分の足跡を一番振り返りたくなるのは自分。自分の文章を一番好きなのも自分。未来の自分が読み返してみても恥ずかしくない記事を書き留めたい。
  5. 読んでくれる人を意識する。
    • ディスプレイの向こうに、自分のブログを登録してくれている人は自分の文章を読んだときどう感じてくれるか、想像力を働かせてみよう。
    • 書きたいことが書けないようなジレンマに陥ることがあるかもしれない。こんな些末なことでも更新していいのだろうか、踏みとどまりたくなることもあるかもしれない。
    • それでも、自分の文章に興味を持ってくれる人がいることを頭の片隅に描いておくことは、ブログの世界が自分の中にはとどまらない広がりを持つことを実感するきっかけになるはずだ。
  6. 欲張らない、背伸びしない。
    • 自分の手に余る話題を扱おうとしても、消化不良に陥るだけですぐにボロが出てしまう。
    • 自分の馬力にはそぐわない過剰なノルマを課してしまうと、意欲が空回りするだけで後が続かないことに気づくはずだ。
    • あくまで、趣味として楽しめる範囲でブログを楽しみたい。
  7. 気になるブロガーを見つける。
    • 更新のスタイル、扱うテーマ、考え方。手本になるようなブロガーを見つけよう。
    • 「これは」と思うところは自分のブログにも採り入れられないか、考えてみよう。気になった記事があれば言及してみよう。
    • 行き詰まったときやふと疲れたとき、気軽に立ち寄れる場所に帰ることで、思いがけない意欲やアイデアをもらえるかもしれない。

2006-08-06 (日)

亀田興毅選手の判定勝利に覚える既視感〜10年前の「猿岩石」を例に

プロボクサーの亀田興毅選手の判定勝利について、1週間近く経った今でもネットでは様々な見方が提示されているようである。

僕自身、試合風景やワイドショーのコメントはすべてYoutube経由で観たくらいにこの件に関しては無関心だったのだけど、はてブホッテントリを歩いていて既視感を感じたところがあったので、忘れないうちに書き留めておきたいと思う。

ベタがネタであることが暴露されるとき〜10年前の「猿岩石」を覚えていますか

ベタと信じていたものがネタであることが暴露され、その落差に視聴者が憤慨する。

亀田興毅選手や、亀田親子をバックアップするTBSを批判する記事に目を通していると、いつか味わった感覚を再び体験しているような既視感に囚われた。

思い出したのは、1996年、TV番組「進め! 電波少年」の企画「ユーラシア横断ヒッチハイク」で世間の注目を集めたお笑い芸人猿岩石」(Wikipediaの解説)である。

年端もいかない芸人二人が手探りで苦難にもまれながら旅を続けていくその様子は書籍化(『猿岩石日記〈Part1〉極限のアジア編―ユーラシア大陸横断ヒッチハイク (角川文庫)』はじめ複数)されて当時のベストセラーにもなったが、途中で飛行機を使っていたことが暴露され、「電波少年」をプロデュースしていた日本テレビと猿岩石は批判の矢面に立たされた。当時10代から20代だった方は、ああ、あの芸人か、と思い出されるかもしれない。

猿岩石ヒッチハイクに夢を託していた視聴者からは罵倒に近い感情的な意見が寄せられていたようだが、「そもそもテレビなど娯楽であり、バラエティ番組に真摯に感情を移入することなどナンセンス」とするオチで論争の幕が下りたように憶えている。

当時の諦念にも近い空気を言い表す下記の記事の固有名詞を差し替えると、今の状況に当てはまる部分が少なからずあることに驚かざるを得ない。

バラエティとは偶然の結果を期待するものではなく、あらかじめ決められたストーリーにしたがって行っている。その途中でのアドリブ(ハプニング)の面白さをミックスはしているがおおむねハッピーエンドに終わるのがオチなのだ。仮に失敗に終わったとしてもバラエティではギャグとして処理されるものなのである。

だから電波少年や同じく雷波少年がやらせインチキ番組だと言って批判するのは筋違いなのである。あれを感動ドキュメントなどと考えるからそういう発想が生まれるのだ。

人生いつもキツイぜ!<やらせと本気の境界線>

ネタがネタと認知されるとき

猿岩石」が注目を集めたことをよしとして、南米縦断ヒッチハイクなどの似たような企画が別の芸人を使って行われたが、素人目にも彼らが猿岩石のように視聴者の感情に訴えたとは思えなかったし、一瞬は注目されこそすれ、ほどなくメディアでその名を耳にする機会はなくなっていったように思う。

ベタのメッキが剥がれてネタがネタと認定されたことで、ネタをベタだと信じ込まされていた視聴者が離れていったのは想像に難くない。

ネタのレッテルを貼られてしまったら最後、ただの娯楽として消費されてそれでおしまいなのだろう。

メディアリテラシーの話になるけれど

こういうメディアの話になると、学生の時は決まって「メディアリテラシー」の話になったものだ。レポートの課題を求められれば「情報を取捨選択する眼を養わなければならない」と間違いなくしたり顔で書いていただろう。

しかし、ウェブが隅々まで普及して求める情報にアクセスしやすくなった今こそ、情報の真贋を見極めることが逆に容易ではなくなっていることを、情報の流れが複雑化していく「web2.0」の持つ見落としがたい側面として、僕たちはそれとなく気づいている。

メディアが視聴者にアプローチするパラダイムが視聴者優位に変わろうとしている空気にあっても、「持つ者」であるヘッドと「持たざる者」であるロングテールの質の差はたやすく縮まることはないように思える。

自分自身の依拠する情報源が偏ってしかも限りがあることを認めたうえで、「持たざる者は進化する」ことを頭の片隅にでも意識していなければ、いつか見た騒ぎは、また繰り返されるのだろう。

2006-08-03 (木)

はてなのウェブサービスを誰にでもわかるように説明すると

まだまだ世間ではマイナーな、SBMRSS

直近の市場調査によると、RSSリーダーSBMはまだ普及しているとは言えない状況。

ブラウザのお気に入りからウェブにアクセスするスタイルが依然として根強く支持されているようだ。

はてな」って、なに?

ところで先日、知人と思いがけずはてなウェブサービスについて意見を交わす機会があった。

はてなはたくさんサービスを提供しているみたいだけど、情報を集めたいときにどんなサービスを使えばいいか、今ひとつわからない」とのこと。

「ああ、はてなアンテナは1.0なサイト、はてなRSSは2.0なサイトをチェックするときに使えばいいよ」と言いかけたところで、入門者向けの説明にまるでなっていないことに気づいて慌てて言葉を飲み込んだのだが、はてなに初めて触れようとしている人にはてなの(情報収集系)サービスをゼロから説明するとすればどんな感じになるか、言葉をかみ砕いて考えてみようと思った。

はてなウェブサービスを、ゼロから説き起こしてみよう

はてなのサービスは、ウェブにつながっていれば、どこからでも使える。

今までは、自分のパソコンのお気に入りからネットサーフィンを始めていただろう。それだけに、他のマシンでウェブを見ようとすると不自由に感じたことも多かったはずだ。

はてななら、ネットにつながっていさえすれば、どのパソコンからでも環境を呼び出してサービスを使うことができる。

はてなアンテナは、動くお気に入り。

これまで、ブラウザのお気に入りをジャンルごとにフォルダで管理して、ブックマークが増えればさらに深い階層にフォルダを作るという作業を繰り返していたんじゃないだろうか。

ただ、お気に入りが増えすぎるとサイトの巡回を漏らしてしまったり、更新されているかもわからないのにサイトを様子見で訪問してしまうことが増えていったと思う。

はてなアンテナに気になるサイトを登録しておけば、更新された日時順にサイトを自動的に並べてくれるので、巡回のロスを減らすこともできるし、取りこぼしもぐっと減るはずだ。

はてなブックマークは、高機能なしおり。

たとえば、巡回先のウェブサイトの個別のページで、気になるフレーズを見つけたとしよう。

「このページはまた近いうちに訪問するかもしれない」と思って、これまではひとまずブラウザのお気に入りにそのページを登録していたと思う。

ただ、これをやってしまうとトップページと個別のページとの区別がつきにくくなって、きちんと管理していないと巡回するときに非常に面倒なことになる。

はてなブックマークを使えば、トップページでなくても、サイトの中の個別のページを登録できる。いわば本に貼る「付せん」「しおり」みたいなものだ。

ただ登録できるだけじゃなくて、しおりを分類するときに役立つ「タグ」や、ページを読んで感じたことなどを書き留める「コメント」を残すことができるので、今までと比べると登録した動機を覚えておけるし、後から振り返るときに便利に感じられるはずだ。

はてなRSSは、安全な自分向けメールマガジン製造機。

これまで、情報を収集する手段のひとつとして、メールマガジンを読んだことはなかっただろうか。

メールマガジンを購読していて、鬱陶しいと思うことは三つある。

一つは、必要とする情報以上にメールに広告が挿入されること。中には広告だけのメールを定期的に送りつける業者もいる。

二つは、削除しない限りメールは受信箱に溜まり続けるということ。次第にメーラーが重くなっていることは気づいているのに、読んだメールをこまめに削除しようとはなかなか思わないだろう。

最後、これが一番たちが悪いのだけど、一つのメールマガジンを読み始めたのがきっかけで、見知らぬ送信元から大量に迷惑メールが届き始めることがある。購読するときに登録したメールアドレスが、本来知らせる必要のない業者に流れた可能性は拭えない。できればそういった情報は、信用できる機関や知人以外には渡したくはないところだ。

RSSリーダーは、今までメールマガジンに抱いていた懸念を取っ払ったうえで、気になるサイトから新着情報を自動的に手に入れることを可能にした道具、と思ってくれればいい。

気になるブログニュースサイトRSSを組み合わせれば、自分専用のポータルサイトができたようなものだ。メールアドレスを登録する必要がない意味ではメールマガジンより安全と言えるし*1、広告に溢れたメールを受け取る必要もなくなる。また旧くなった情報は自動的に削除される仕組みになっているので、読んだメールを削除するといった余計なことを考えなくてもいい。

RSSリーダーで購読できるサイトかどうかを確認しようと思ったら、「フィードの新規追加」のフォームに登録したいサイトのアドレスを放り込めば、RSSリーダーで読めるかどうかはすぐにわかる。

じゃあ、なんではてなを使うの?

これまでの説明を聞いていて、同じようなサービスがあちこちのポータルサイトで提供されているなかで、なぜはてなを使うのか疑問に思ったかもしれない。

確かに、単発のサービスだけを見ていけば、はてなRSSより使い勝手のいいRSSリーダーはあるし、単にしおりとしてだけブックマークを使うなら、後発で新しい機能を打ち出したサービスがいくつも出ている。

これはもう少し使い込んでいくとわかると思うのだけど、それぞれのサービスの中を覗いてみれば、ユーザのコミュニティのようなものが見えてくるはずだ。はてなブックマークをしばらく使っていれば、自分と似たような記事をブックマークしているユーザの存在に気づくだろうし、はてなRSSでも自分の購読しているサイトをどんなユーザが読んでいるかを知ることができる。欲しい情報を手っ取り早く集めるうえで、気になるユーザは水先案内人。要は財産みたいなものだ。

また、はてなウェブサービスは使い勝手を考えて密接に連携しているというのもある。はてなRSSの画面からはてなブックマークブックマークしているユーザの数を知ることができたり、はてなブックマークに直接記事を登録できるなんてのは、その一つの例だろう。

サービスを上手く組み合わせて独自の楽しみ方を生み出しているのが、他のポータルには真似できない、はてなならではの魅力かもしれない。

*1はてなRSSの場合、プライベートモードでもリファラがついてしまう意味では、安全とは言い切れないかもしれない

2006-08-02 (水)

ブクマする記事に出会うまでに〜「情報収集のための11の質問」を補助線に

あなたはブックマークする記事をどのように探してきますか?

ふんだりけったり。 - 調査するなら今のうち? - はてなブックマーカの生態について

自分の現状を見る限り、はてなウェブサービスを使いながら記事を見つけていますよ、としか答えようがないのですが、これでは寂しいので、昨年話題になった情報収集のための11の質問(量産型ブログ 先行思索記【元「穏やかな日々」】 )を補助線に答えてみれば、言いたいことが少しは伝わるのではないかと思いました。*1

情報収集のための11の質問 hatayasanの場合

  1. RSSリーダーを使っていますか?(y/n)
  2. アンテナを使っていますか?(y/n)
    • はい。はてなRSSに比べると、アクセスやメンテナンスの頻度は少ないですが、いちおう使っています。
    • 以前はほかのユーザのアンテナインポートして購読していた時期がありましたが、到底チェックできないことがわかったため、毎日自分が巡回するサイトに絞りました。
  3. ソーシャルブックマーク(SBM)を使っていますか?(y/n)
  4. その他情報収集に使っているツールはなんですか?
  5. 他人にこれはお勧め!と思う方法は?
  6. 逆にこれはお勧めできないな、と思う方法は?
    • 僕自身にも言えることなのですが、情報源が偏りすぎると「浮世離れ」しているとリアルの知人から評価されてしまいますので、注意が必要です。
    • できれば複数のサイト、はてブなら違った趣向のお気に入りユーザを探すよう意識したいところです。
    • はてブの場合、お気に入りを登録しすぎると、1日ネット断ちをしたときなど消化不良に容易に陥りますので、ある程度ユーザを取捨選択する作業は必要だと思います。
  7. 情報収集で良く参照するサイトは?
    • はてなウェブサービス以外だと、Yahooニュース、アサヒ・コム。
    • 全国の新聞紙からひとつのトピックに関する記事を広く集めたいときは、Googleニュースで検索。
    • 調べものをするときは、WikipediaGoogleで上位に表示されることが多く、最近は記事も充実してきたので、Wikipediaをすっかり百科事典代わりに使うようになりました。
    • わからない英単語を調べるときは、Yahoo辞書で検索します。
    • リアルタイムに言及されている時事ネタを拾うときは、Yahooブログ検索で記事をチェックします。Technoratiは重くてエラーを返すことが多いので、最近は使わなくなりました。
    • 気になる本の評判を手っ取り早く知るときは、Amazonのレビューを参考にしてブログ検索で記事を漁ります。
  8. 自分のブログで良く言及・リンクするサイトは?
    • 特にありません。強いて挙げるなら自分の過去記事にリンクを貼ることがあります。
  9. 逆にここは参照してはいけない、と思うサイトは?
  10. WEB以外で良く情報源にするものは?
    • 本や雑誌に使える金が限られるようになって、ウェブでの情報収集のウェイトがこれまでになく高まっている気がしています。それでも新聞、書籍、いくつかのおじさん系週刊誌は抑えています。
    • 新聞で得られる情報はウェブでも得られるのですが、地元のスーパーや家電店のチラシが欲しいがために切れずに購読を続けているのが真相です。
    • 書籍は、以前はタイトルと著者を見ればその場で躊躇わずに買っていましたが、積ん読が結果的に増えていることがわかったためこのごろは慎重になりました。本屋で気になる本と出会う→ウェブで評判をチェック→再度本屋に足を運び、モチベーションが高いことを確かめて買って一気に読む、と、自分の中で敷居を設けて無駄な出費を抑えるようにしています。
    • 「制限時間内に本を読む」という逆転の発想で図書館を見直してみることが必要なのかもしれません。
    • テレビはNHKの朝と晩のニュースを観る程度です。
  11. 最後にあなたが情報収集方法を知りたい人は?
    • この記事を考えながらotsune氏がGmailを軸に情報収集している記事を発見。多様なソースからでも美しく情報を集める手段があることに目から鱗が落ちる思いでした。
    • 強いていうなら、半年後、一年後の自分がどのようなスタイルで情報収集しているかを書き留めていければと思います。

*1エントリーページで「11の質問」を紹介してくれたb:id:sweetloveさん、ありがとうございました。

2006-08-01 (火)

私のブログの書き方〜半年を振り返る

最終防衛ライン2 - 皆さんの記事の書き方を知りたいな」を読んで。

ブログをつけ始めてそろそろ半年が過ぎたので、これまでを振り返る意味も含めて回答してみたいと思います。

私のブログの書き方 hatayasanの場合

  1. 記事を書くモチベーション
    • ネット(主にはてブ)を歩いていて気になったことを書き留める備忘録として、インプットがある程度の量に達したときに不定期に書き出します。
    • 日常のプライベートな活動*1を振り返ってみたいときに一気に書くことがあります。
  2. 記事のタイトル
    • 心がけているとすれば、専門的な言葉を避けることくらいでしょうか。
    • 文章を書き上げて目を通してみたあとの感触でタイトルをつけることが多いです。
  3. 記事の書き始め
    • 書き始めるまで腰が重いですが、始めると一気に書きます。
    • はてブブックマークした記事をつなぎ合わせながら、別の角度からものごとを捉えられはしないだろうか、と考えながら書いていることが多いです。
  4. 記事の構成
    • 長文を書くと支離滅裂になるので、適当なところで見出しで区切ることが多いです。
    • 最近は箇条書きを多用するようになりました。
  5. 記事の推敲と校正→アップ(参考:ブログの文章をアップした後の修正)
    • 書いた文章を寝かすことは基本的にはありません。
    • 書き上げて何度か確認画面と編集画面を行き来して、誤字や脱字がないことを確認してアップします。
  6. 記事を書く場所
  7. その他
    • 文中リンクの使い方及び、文中リンクに関する考え方
      • はてブで拾った記事の断片をつなぎ合わせることが多いので、勢い言及先のリンクが多くなってしまいます。
      • 以前は頻繁に記事から引用していましたが、最近は文中リンクで済ませることが増えています。
      • 引用が頻繁になると「引用先を読まなければ内容が理解できなくなって、自分の主張が霞んでしまう」ので、自説を補強する材料として文中にリンクを貼ることが増えました。
      • 読まれることを積極的には意識しない「日々の活動記録」には、関連するページへのリンクを貼っておくことが多いです。経験したことを新鮮に覚えているうちに関連する情報を漁ってブログに書き留めておくことで、後で振り返るときにより鮮明に思い出せるのではないかと思うからです。
    • 過去ログを多用するかどうか
      • 過去ログを紹介できるほどの蓄積がないので、滅多にやりません。
    • 過去ログを修正するか否か
      • 明らかな誤字・脱字を見つけたときは、過去ログであっても修正します。
      • エントリをアップしたあとに予想外の反応が得られて、関連するエントリを続けてアップした場合などは、反応のあったエントリに「追記:」という形で記事に誘導することがあります。
    • コメント、トラックバックブックマークなどの対処

回答を終えて

ブログをつけ始めたきっかけが「はてブブクマしながら溜まったインプットを何らかの形で吐き出したい」ことだったので、ある意味偏りがあるかもしれません。

半年後、一年後、自分のブログの書き方がどのように変わっているか、定期的に振り返ってみるのも面白いと思います。

*1:山に登った記録、ドライブに繰り出した記録など