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2006-11-29 (水)

善意や愛情の行き着く先〜犬連れ登山の是非から考えてみる

屈託のない笑顔に抱いた疑問

先週末、立て続けに日帰りで行ける山に登る機会があった。

ガイドブックにも丁寧なルートガイドが記された山、要は初心者でも十分に歩けるルートをサクッと往復してきただけなのだが、少しだけ気になることがあった。

犬を連れて歩いている人を、登ったいずれの山でも数組見かけたことだ。

愛するペットを連れて山に登ること自体、その部分だけを切り取れば微笑ましい光景だったのかもしれない。

だが、主人とペットのあまりの屈託のなさに、かえって疑念を抱かずにはいられなかった。

「あれ、これなんか違うんじゃないかなあ」と。

古くて新しい問題

家に戻ってウェブを歩いてみると、「ペット連れ登山」「犬連れ登山」に関するページがわんさと出てきた。

どうやらペット連れの登山は古くて新しい問題のようで、日付を見る限りでは数年前に作成されたページも確認できた。

賛成、反対の意見ともに、どのページも当事者の言葉で発せられているだけに、無視できない重みが伝わってくるようだった。

もしかしたら、自分は安易に触れてはいけない領域に立ち入ってしまったのではないだろうか。

思った以上に根の深い問題なのかもしれないと思いつつ、気になるページを手当たり次第にブックマークしていった。

多様な意見

ウェブを歩いた限りで目に留まった意見を抜き書きしてみよう。

賛成派

まずは、ペット連れ賛成派の立場から。

老人家庭や独り暮らしの人にとって、犬はペットを超えて、大切な家族である。

我が家の例からは、子供にとっても犬はただのペットや友達ではなく、それを超えた存在であることがわかる。

僕はペットじゃない・コンパニオンアニマル・家族犬・犬連れ登山

家族にも等しい存在であるペットと一緒に山に登れなくなっていくことを嘆く意見。

環境省の責任者は「犬の登山は禁止ではありません。自粛です。」と言う。

法律に基づかない役人による恣意的な行政指導は百害あって一利無しだ。

愛犬と登山の法律 国立公園犬は登山禁止?

法的な拘束力がないことをもって、犬連れ登山を正しいことと主張されている。

反対派

続いて、反対派の意見。

専門家の意見を論破できないまま犬連れ登山を続けるということは、必然的に「自分たちが犬連れ登山を続けるためには野生動物が絶滅しようがどうしようがオレには関係がない」ということを宣言しているのに等しいではないか。それに気づいているのだろうか。

犬連れ登山を考える

法的な拘束力はないにせよ、犬連れ登山が自然に影響を及ぼすという専門家の意見には耳を傾けるべきではないかと主張。

法で定められなければ、何をしてもいいのか・・。 ならば、山でこちらに寄って来た犬を襲ってきた獣として処分するのも“正当防衛”として認められる・・ってことだな・・。 

思いのまま日記 2 - 平成16年11月7日 犬連れ(ペット連れ)登山は絶対に禁止!

さっき見た賛成派の意見と比べてみると、売り言葉に買い言葉だなあ、これは。

おそらく、ペットを家族のように愛している人が、ペットを毛嫌いしている人にペットの可愛さや効用を説いたとしても、間にある「溝」を埋めることは、きわめて難しい、というか、無理だろう。

自らの主観に終始する感情を相反する価値観を持つ相手に理解させようとしたところで、反発されこそすれ平行線をたどる以上のコミュニケーションは見出しがたいと考えるからだ。

中道

もちろん、犬連れ登山を実践する愛好家のなかにも、対話の糸口を探ろうとする人もいる。下記のような意見は、 建設的な議論を始めるうえで、参考にしたい記事になるだろう。

山も公園も同じなのだ、山では糞の始末はもちろん、吠えたり、飛びついたり・・リードでつながれていたとしても狭い登山道でのすれ違い、 やっぱりしつけをしてからでないと絶対駄目でしょう、当たり前なのだ(中略)

登山者の人は犬を邪魔にしているわけではないのです。その原因は全て犬連登山者側にあるのです。登山道を外れず、大人しく山登りするワン子を見て、思わず頭をなでる・・「えらいね〜」 ワン子とそんな良い関係で山登りをしていれば、きっと何処の山もペット禁止、なんて野暮な立て札もなくなるかも知れません・・・「夢のような話だって??」  「たしかに」

犬と山(ペット入山禁止の疑問)

行政の見解

では、山岳地帯を管理する行政の見解はどうなのだろうか。いくつか見る限りでは、似たような文言が並んでいた。

ペット連れ登山はやめましょう

登山道の幅は狭く、ペットの苦手な人に対して迷惑となります。

また、ペットの獣臭によりヒグマを 引き寄せたり、ヤブの中で人をやり過ごそうとしているヒグマに対しペットが吠えたりして、 飼い主と周囲の人を危険な状態にする恐れがあります。

網走南部森林管理署HP〜知床の登山〜

北海道知床半島を所管する営林署の注意書きから。

ペット連れは止めよう

 野生生物への影響も考えられるので、犬などペット連れの登山は止めましょう。また、他の登山者の迷惑にもなります。

石川県 - 登山マナーについて

白山のある石川県のサイトにあった注意書き。

犬連れ登山が環境に影響を及ぼすかどうかについては諸説の域を出るものではないとしても、行政としてペット連れ登山を容認する積極的な理由は見出しがたい、ということだろう。

なぜこじれるのか

ペットを連れて山に登ることが、普段の散歩のように愛好家の環境の中でほぼ完結するものであれば、ここまで長引く話題にもなっていなかっただろう。ネット上で長い間語られていながらも混沌とした感が抜けないのは、以下のような背景があるのだと思う。

  • ペットを連れて山に登ることが、周りの環境に影響を及ぼす恐れがあると専門家から指摘されている。一方で、確たる証拠もなく法律で禁止されているわけではないとする主張もある。
  • ペットそのものを迷惑と思っている人もいる。一方で、ペットを家族の一員とみなして愛情を注ぐ人がいる。

善意や愛情に基づく行動が自らのコントロールできる環境を超えてしまったとき、あくまで自らの行動に正当性を持たせようとするのか、多様な価値観のなかでの自らの位置付けを再び定義しようと試みるのか。

脅威を及ぼす恐れのある対象は一律に排除すべきなのか、それとも条件をつけた上でなら容認されうるのか。

情熱を注ぐ対象が「自然保護」なのか、「ペット愛護」なのか。

「善意や愛情に基づく行動」「脅威を及ぼす恐れのある対象」にどちらの言葉も代入できることに気づきはしないだろうか。

第三者から視える「善意や愛情」とは

たかが数日ウェブを歩いてみただけでまとまった意見が言えるとも思っていないが、少し乱暴にまとめてみよう。

善意や愛情に動機を発する行動は、その感情を向ける対象(二人称)に対しては響くとしても、第三者からその行動がどのように視えているのか、僕も含めて思いを外に巡らせることは意外に少ないように思う。*1

自らがその対象に抱いたポジティブな感情を論理や思考に発展させる時機を逸してしまうと、立場やアイデンティティを与えてくれた対象とともに抱いてきた多幸感を断つことは次第に難しくなる。*2自らの行動を懐疑的に省みる余地は、少しずつ狭まっていくのではないか。

「ペットを連れた登山」を巡ってウェブに記された意見にざっと目を通してみて、そんなことを考えていた。

最後に:私信など

はてブをしながら言葉にならないもやもやを抱えていると、satomiesさんに「S嬢 はてな - 犬が嫌いな人を理解しない犬が好きな人 」でまさに気になっていた話題を取り上げていただきました。

僕自身自分の言葉でどこまで形にできているかわからないのですが、トラックバックさせていただくことにします。

*1:善意や愛情に動機を発する行動を好意的に捉える人もいれば、逆に反発する人もいることに想像を及ばせることがあるだろうか、という意味において。もちろん、善意や愛情を第三者に伝播させて結果的に成功している事例があることも僕たちは知っている。はてなで最近話題になった例を挙げるならば「さくらちゃんを救う会」の募金活動などがあるだろう。

*2:時折はてブでも話題になる「善意の転載」の当事者よろしく